はじめに
未完成のパソコンで、日本を席巻するパソコンに勝つ方法なんて存在するのでしょうか?
未完成なのは松下電器製の TRON パソコンです。TRON パソコンは完成し、パーソナルメディアから発売されました。BTRON OS「超漢字」は今も販売されています。
TRON(トロン)プロジェクトとはなに?
1984年、日本では TRON プロジェクトというものが開始されました。プロジェクトの提唱者は坂村健氏です。TRON プロジェクトは狭い意味では OS を作るプロジェクトですが、より正確には 1990年代を見越した技術で、それまでとは異なる全く新しい設計でコンピュータシステムのすべてを作り変えるという壮大なプロジェクトです。
このプロジェクトは 1980年から 1983年かけて行われた、坂村氏が主査を勤める日本電子工業振興会のマイクロコンピュータ応用委員会OS分科会で行われた、現状の調査活動とその報告が元になっています。つまり 1980 年初期の時点での報告書を元に開始されたプロジェクトということになります。
TRON プロジェクトの基本となるのは組み込み用のコンピュータですが、その応用としてパソコンの開発も含まれていました。パソコン用の TRON は BTRON (Business TRON) と呼ばれています。
現在の TRON プロジェクトはパソコン用の OS を作ることは諦め、組み込み用の OS を作るプロジェクトとなっています。TRON は日本では知られているようですが世界ではあまり知られていないようです。日本で行われたおよそ 100 人程度に聞いたアンケートで、TRON は世界シェア一位と主張しているのがすべてです。
TRON と 松下電器(パナソニック)の関係
TRON プロジェクトは OS をどのメーカーでも開発できるように、標準化した OS のインタフェースを作るプロジェクトです。現代の人は「OS をどのメーカーでも開発できる」という言葉の意味が分かりづらいと思いますが、例えば、乾電池はいくつものメーカーが開発していますよね? 富士通、三菱、東芝、いろんなメーカーが同じような乾電池を開発して発売しています。同じように、どのメーカーでも同じような OS を開発できるようにしたかった。そのために OS の規格を統一しようとしたのが TRON プロジェクトです。そして、その規格に合うように 新しい OS を研究開発していたのが松下電器(現在のパナソニック)です。
- OS の仕様を作る ・・・ 坂村健
- 上記に従って OS を作る ・・・ 松下電器(将来的にはその他のメーカー)
研究開発ですから、坂村氏が最初に作った OS の仕様はたたき台であり、その仕様に従って作ってみて、うまくいくかどうか性能が出るかどうかなどを検証し、フィードバックを仕様に反映させていました。BTRON の仕様書が完成したのは 1990 年です。
同じような OS といってもソースコードは別(各メーカーがそれぞれ開発する想定)ですから、互換性問題で苦しめられていただろうと思います。各メーカーがそれぞれ開発するのは無駄ですから、結局は OS 開発に強いメーカーが作った OS が広く使われることになったでしょう。
TRON プロジェクトは、広く開放されていました。つまりどの企業でも TRON OS を作ることができました。だから、外国のメーカーも TRON OS を作ることができました。もしかしたら今頃は Microsoft が作って販売した TRON ベースの Windows が世界を席巻して、ビル・ゲイツは莫大な富を得ていたかもしれませんね。作った OS を無料にしろなんて坂村氏は言っていないわけですから。
「TRON パソコン」が先進的とされた理由
TRON パソコン (BTRON) はそれまでにあった次のようなパソコンの問題を解決するものでした。
- 日本語を扱えるようにする
- どのメーカーのパソコンでも同じ用に使える GUI インタフェースを実現する
- 異なるメーカーのパソコンでも同じソフトやハードを使えるようにする
- 過去の互換性を切り捨てて、新しい時代のための新しいパソコンを作る
え? そんなことが先進的な理由なの? と思うかも知れませんが、当時(1970 年代から 1980 年代初頭)のパソコンはそれすらできていない時代でした。
「TRON パソコン」は先進的でなくなった
先進的と言われていた「TRON パソコン」は、研究開発中に先進的ではなくなりました。
1984 年のプロジェクトが発足する頃、日本(や世界)ではパソコン用 OS として CP/M、MS-DOS、UNIX がパソコン用 OS の覇権を握るべく争っていました。初期の頃は CP/M が優勢でしたが、1981 年に IBM が IBM PC を発売すると、次第に MS-DOS が優勢となっていきました。UNIX はミニコンピュータの世界で普及していましたが、当時のパソコンで巨大な OS でパソコンで動かすには少々きつい OS でした。
TRON パソコンが解決しようとしていた次のような問題は、次のような形で解決されていきました。
- 1981 年に開発された MS-DOS は異なるメーカーのパソコンで使える OS でした
- 日本語問題は、1983 年頃の MS-DOS や 1896 年の Macintosh で解決されました
- GUI は 1984 年の Macintosh や 1985 年の Windows で実装されました
- ソフトウェアやハードウェアの互換性は Windows で解決されました
もちろん、Macintosh も Windows も登場当初は十分ではありませんでしたが、そのような問題は徐々に解決されていきました。
1990年代、過去との互換性は最重要になった
TRON プロジェクトの計画は 1980 年初頭です。その頃は過去(1970年代)との互換性を切り捨てても、新しく作れば問題ないと考えていました。確かに 1990 年代に 1970 年代との互換性は重要ではないかもしれませんが、1990 年代には 1980 年代との互換性は重要になってしまいました。
1980 年代初期には想定しなかった自体が発生しました。1980 年代の日本では、NEC のパソコン「PC-98」シリーズが国民機と呼ばれるまでに広く使われるようになっていたのです。PC-98 シリーズは OS に MS-DOS を採用しており、さらに初期の MS-DOS は 1987 年頃までソフトウェアに無料でついてきたため買う必要がありませんでした。その結果、MS-DOS は日本で広く普及し、多くのソフトウェアが MS-DOS 上で動くように作られました。
松下電器以外は BTRON に消極的だった
TRON パソコンを開発していた、ほぼ唯一と言って良いメーカーは松下電器です。当時の通産省と文部省の共管であるコンピュータ開発センターがなぜか未完成の BTRON を教育用パソコンに採用するという話がありましたが、NEC は猛反発し、他のメーカーは弱者連合として BTRON 陣営を結成しましたが、松下電器以外は様子見でした。様子見とは、試作機として BTRON 搭載機を納品したが、それは松下電器が作った BTRON パソコンをちょっとカスタマイズした程度のものだったということです。松下電器以外、本気で BTRON の開発なんてしていませんでした。
松下電器の開発した BTRON はバグもあり、教育用現場から、MS-DOS が使えないと過去に作ったプログラムが動かないなどの反対もあったため、最終的に教育用パソコンを BTRON (ベース)に限定することは断念されました。スーパー301条の候補になったという話もありますが、米国は TRON の開発を禁止したわけではなく、問題としたのは教育用パソコン市場から米国製 OS を締め出そうとしたアンフェアことで、その問題は教育用パソコンを BTRON 限定にすることを断念したことで解決しています。
松下電器製の BTRON は未完成で終わった
松下電器はパソコン業界への参入が遅れており、日本を席巻する NEC に比べると弱小パソコンメーカーでした。それを逆転するための一つとして BTRON を研究開発していました。しかし、松下電器は 1990年6月頃に BTRON の発売を断念しました。それは当然でしょう。なにせ TRON が解決しようとしていた問題は Macintosh や Windows で解決されてしまったからです。
松下電器は、なにも BTRON 一本で行こうと考えていたわけではありません。MS-DOS を搭載したパソコンも発売していました。研究開発していた BTRON に将来性を感じなければ、MS-DOS や Windows に乗り換えるまでです。1990 年には、近く販売される Windows 3.0 の話題でいっぱいでした。
松下電器の BTRON は研究開発段階で終わり発売されることはありませんでしたが、パーソナルメディアという別の会社から発売されたので、BTRON そのものは完成しています。
PC 互換機用の BTRON は 1994 年に発売
松下電器製の BTRON は未完に終わり、後を引き継いだのがパーソナルメディアです。パーソナルメディアはいわば BTRON 開発の協力会社です。松下電器が BTRON 開発を開始した 1985 年頃、松下電器には OS 開発に慣れていた人はいませんでした。そのため坂村氏からの提案で参加したしたのがパーソナルメディアの開発者でした。
BTRON 搭載パソコン「1B/note」はパーソナルメディアから 1991 年に発売されました。当初に想定していた本来の BTRON はそれまでの技術を使わない独自仕様のパソコンで、将来的には CPU にも TRON チップを使うことになっていましたが、1B/note では インテルの 386 CPU を使ったものでした。
この頃には TRON チップを使った専用の BTRON パソコンは現実的ではなくなってしまっていたので、パーソナルメディアは 1994 年に PC 互換機で動く BTRON OS を開発しました。
まとめ
1990 年時点で TRON パソコンは未完成です。当時、日本を席巻していた NEC の国民機「PC-98」に勝てるはずがないのは当然です。その頃には、TRON パソコンの計画はもはや先進的ではなくなっていました。互換性がなく、アプリがほとんどなく、ユーザーが使いたいと思う理由はほとんどありませんでした。当時のパソコンは信じられないぐらいの速度で進化しました。TRON パソコンの計画は、当初より 1990 年の完成を目指していましたが、1980 年初期の研究報告書の内容は 1990 年には時代遅れになっていたということです。そして 2000年代の闘いに BTRON はついていけませんでした。最新の BTRON OS である「超漢字V」は 2006 年に発売され今もサポートが続いていますが、2000 年代初期の OS の姿のままです。