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「TRON(トロン)開発者が日航123便の墜落で死亡」デマの真実

Last updated at Posted at 2025-08-10

はじめに

日本航空123便墜落は1985年8月12日に発生した事故ですが、TRON 開発者が死亡した話は2008年頃にネットで生まれた悪質なデマ・陰謀論です。これを信じてしまった人は詐欺に騙されやすい人なので注意しましょうね。「日本航空 (JAL) 123便と TRON を結びつけた陰謀論」とは、トロン開発の妨害でトロン技術者が亡くなったというデマで、TRON 技術者17人が搭乗していた飛行機を米国がミサイルで撃ち落として暗殺したという陰謀論ですが、そもそも「123便にトロン技術者は一人も乗っていなかった」ことが、信頼できる複数の情報源(新聞などの一次資料)から証明されています

日本航空123便墜落事故(「御巣鷹の尾根」に墜落した「御巣鷹山墜落事故」とも呼ばれるが正しい墜落場所は高天原山)の後も TRON プロジェクトの進行にも影響はなく、組み込み用の TRON (ITRON) は日本で広く使われ、パソコン用の TRON (BTRON) でさえ完成して今も販売されている わけで、「米国に トロン OS が潰された」という話すらデマです。上場前(1986年にNASDAQ上場)の Microsoft(当時設立10年目のベンチャー企業)のビル・ゲイツ(当時29才の若僧)が Windows を普及させるために米国政府に命令して米国空軍を動かしたなんてアホな尾ひれが付いているものまでありますが当然デマです。

TRON プロジェクトの方針や歴史などからもデマとわかります。「Windows 95(1995年発売)の10年前に無償の国産 OS があった」というデマを見かけますが、TRON OS は1984年から作り始め、1985年時点で動くパソコン用 トロン OS はまだできていません。パソコン用のトロンOSのソースコードは公開されておらず TRON OSを無償にする予定はありませんでした。Windows は1981年に開発が始まり1983年にはデモが一般公開されて Windows 1.0 が1985年に発売されているのに対して、パソコン用 TRON が一般発売されたのは1991年(PC用は1994年)です。TRON パソコンの開発は Windows よりも5~10年遅れなので、トロンの存在はマイクロソフトに都合が悪いとか、Windows を凌駕していたとかいうのは嘘っぱちです。また、TRON プロジェクトは潰されておらず現在も活動し続けているわけで「トロン OS 復活」とか言っている人は TRON の歴史を知らない、興味がないと告白してるようなものです。

日航機123便墜落事故に関する陰謀論には事故当時からテロだとか自衛隊のミサイルの誤射だとかさまざまなものがありますが、トロン OS のデマ に関しては事故から随分経ってから登場したので、古くから123便の陰謀論を唱えている人は、新たに生まれた陰謀論を知らないという皮肉な状況になっています。現在、この話はデマであると断定されています(むしろ今はデマとして有名になっている)。この記事では、この陰謀論が、いつどこで、どうやって、なぜ生まれてしまったのか、真相と真実を全て明らかにします

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これは調べれば直ぐにバレるような非常に稚拙なデマです。こんなのを語ってる人は情報弱者であると自分で言ってるようなもんで、「御巣鷹山の日航機墜落事故で TORON 開発者が乗っていたらしい」なんて曖昧なことしか言えません。このデマの発祥は、信憑性のない陰謀論の拡散に使われる「阿修羅 掲示板」の2008年1月14日にポストされた内容ではないかと考えていますが、2ちゃんねるではないかとも言われています。いずれにしろ投稿者が面白半分で書いたネタに騙されてしまった人、ネタをネタと見抜けなかった人が広げたのかもしれません。

ファクトチェック - デマを明らかにしているその他のサイト

上記の一番下のまとめ記事でも「初出は2008年である」と説明されていますが、私は独立した調査で全く同じ結論に達しました。2ちゃんねるの投稿が最初と書かれており違いがありますが、近いタイミングでどちらかからコピペされた可能性は十分考えられますし、どちらが最初でも大筋に違いはないでしょう。その他 X (Twitter) でも、多数の人がデマであると指摘しています。

123便墜には多数どころか一人も TRON 開発者は乗っていないので、123便墜落事故で TRON 開発者は一人も亡くなっていません。これは123便墜落事故がなければ TRON が Windows に代わって普及していたはずだとか、死亡したから普及しなかったんだなんてこともあり得なかったことを意味します。TRON は潰れておらず普通に発売されましたが、Windows のほうが実用的で優れており、TRON はユーザーに認められなかったため普及しませんでした。陰謀論者にとって、パソコン用トロン OS「超漢字」が現在も発売されている事実は都合が悪いため、超漢字の存在をなかったことにしようとしています。陰謀論者はトロンのことを全く知らず興味もなく、面白がって陰謀論で遊んでいるだけです。陰謀論者がやっていることはトロン開発者にとって裏切り行為ですが、そんなこと構わずにトロンが潰れたことにし続けています。

TRON は日本では組み込み用の OS として家電などで採用されていますが、小さな組み込み用と大きなパソコン用とで求められることや規模は全く違うので、組み込み用で使えたからと言って、それだけでパソコン用(スマホも含む)に転用できるわけではありません。TRON は組み込みレベルでは実用レベルに達しましたが、パソコン用としては Windows と競争できるまでには至りませんでした。ワープロ専用機などの特定用途向けの OS レベルで限界でした。

坂村健氏が「TRON 関係者が事故で亡くなった」と明言したことはない

坂村氏は多くの著書を書いており、またさまざまな雑誌などでインタビューに答えていたり講演をしていますが、坂村氏が書籍や講演などで「TRON 関係者が123便墜落事故で亡くなった」と明言したことは一度もありません。もちろん私はすべてを知っているわけではありませんが、少なくとも調べた中にそのようなものは一つもなく、そのような発言があった講演を具体的に提示している人もいません。

もちろん坂村氏だけではなく「123便の搭乗者の中にTRONプロジェクトに関わっていたエンジニアや関連企業の技術者が複数含まれていた」と信頼できる人の発言も見つかりませんし、当時そのような報道があったなどという話もありません。根拠のない与太話を書いてある本はあるかもしれませんが、真面目に書いているものがあるとするならば、それはすべて陰謀論で有名な本でしょう。TRON 関係者や坂村氏が別便に乗るなどして運よく助かったみたいな話もありません(搭乗をキャンセルして助かったのではなく、最初から搭乗の予定すらなかった)。そんなことを主張している人がいれば、それはデマです。123便で TRON 開発者は一人すら犠牲になっていませんし、狙われてもいないのです。

搭乗者にトロン技術者が一人もいないと断定できる理由

なぜ搭乗者にトロン技術者は一人もいないとわかるのかと言うと、当時は個人情報が十分に保護されておらず、日本航空123便の犠牲者は、氏名、年齢、勤務先所属役職搭乗理由、住所、顔写真まで、すべて当時の複数の新聞に掲載されているからです。疑うなら大きめの図書館に行けば古い新聞を見られますし、下記の国立国会図書館デジタルコレクションからも調べられます。なお搭乗者524人中、犠牲者は520人という悲惨な事故で、犠牲者に含まれない人の中にトロン開発者がいるのでは?という考えは、生存者4人(大人2名と子ども2名、全員女性)という事実から否定されます。なお生存者の一人は日本航空の CA(別名 キャビンアテンダント・客室乗務員・スチュワーデス、正確にはアシスタントパーサー)だった落合由美さん(ただし非番)ですが、元 CA を名乗る事故とは無関係の人が陰謀論を広めている(通称「123便 陰謀論ビジネス」)ので混同しないようにしてください。

日航123便の乗客名簿
日航ジャンボ機墜落 : 朝日新聞の24時
著者: 朝日新聞社会部 編  出版者: 朝日新聞社  出版年月日: 1985年12月25日
国立国会図書館デジタルコレクション ※内容を見るには本登録(無料)が必要

乗客名簿
名簿の再録にあたって、片仮名で残った六人を漢字化するとともに、その人たちの旅行目的も加えた。掲載後判明した明らかな誤りを直し、細かな住所番地は省略したが、他は新聞掲載時とほぼ同じ。

1985年時点ではトロンはまだ研究開発段階です。実験機の完成が1987年、発売されたのは1990年代に入ってからです。123便墜落事故当時にトロンを研究開発していたのは松下電器の「中央研究所」(1987年12月から「情報システム研究所」に再編)なので、所属や役職を見れば、それがデマだとわかります。所属が異なっていても関係していた人がいたかもしれないという反論は「17人」という数で否定されます。17人とは搭乗者524人中の「松下グループ」の人の数です。

松下とは現在のパナソニックのことで、パソコンも扱っていましたが、当時は(現在も?)パソコンメーカーというよりも家電などを扱う大手電機メーカーとして有名な会社です。パソコン事業に関しては他社に遅れを取っていました。システムエンジニアリング本部で TRON が開発されていたと「推測」する人がいるようですが、システムエンジニアリング本部はシステムインテグレーターを担当する部署で、TRON 研究開発部隊ではありません。実験機すら完成していない研究開発中の TRON をシステム導入するわけが無いでしょう? したがって、システムエンジニアリング本部に所属する幹部、一木允 氏(部長)、南慎二郎 氏(参事)、秋山寿男 氏(副参事)はトロン開発者ではないと断定できます。さらに残りの14人の所属は無関係の部署です。また、TRON を研究開発していた中央研究所は本社がある大阪にありますが、システムエンジニアリング本部は(事故当時は)東京にあるため TRON 開発とは無関係だとわかります(下記参照)。

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日航ジャンボ機墜落 : 朝日新聞の24時 106ページ

どう考えてもトロン開発と関係ない所属の人ばかりで、搭乗理由もバラバラ、17人全員がトロン開発者でないのは明らかです。つまり17人全員がトロン開発者と言ってしまったためデマ確定です。それを指摘されると「実は関係者は13名だったのだよ(松下電器産業のみの人数)」とか「2名だったのだよ(理由不明)」とか後づけで人数を変えてくるわけですが、話がコロコロ変わるのが陰謀論の特徴です。陰謀論は事実ではなくそれを語る人の想像でしかないので、その場の思いつきで新たな説(笑)が誕生するわけです。真実は一つですが想像は無限に作れます。だから陰謀論には根拠のないさまざまな説が生まれるわけです。2人ならトロン開発に大きな影響はないでしょうし、飛行機を墜落させるなんて大掛かりなことをするぐらいなら、もっと簡単で確実な手段はいくらでもあるでしょう。思いつきでウソを吐くのも大概にしろという話。どこかの誰かが言っていたとか本に書いていたとか陰謀論を掲げても、そもそも TRON 技術者は一人も飛行機に乗っていなかったわけですから説得力はありません。

国立国会図書館デジタルコレクションでは、2000年までに出版された本など、およそ350万点から全文検索できますが、TRON と日航123便墜落事故を結びつけたものは一つも見つかりません(2025年時点)

陰謀論者はトロン開発者の名前すら言えない

陰謀論者に日航123便で亡くなったはずのトロン開発者の名前を聞いてもまともに答えが返ってくることはありません(補足 一木允氏、南慎二郎氏、秋山寿男氏がトロン開発者でないことはすでに説明しました)。123便に搭乗しているトロン開発者は一人もいない、一人も知らない、調べてもいないのに誰かから聞いた話を真に受けて言ってるだけなので当然ですね。

トロンプロジェクトの提唱者である 坂村健 氏や、その他の名の知られたトロン開発者は存命なことからデマと断定できます。松下電器中央研究所のグループマネージャーで総勢40名のトロン開発メンバーを集めた 真弓和昭 氏、トロン開発現場のプロジェクトリーダーの 櫛木好明 氏、小林正明 氏や 安藤誠 氏、坂村氏から紹介されたパーソナルメディア株式会社の 泉名達也 氏、松為彰 氏など、TRON 開発の最初から参加していたメンバーによる、123便墜落事故よりの後のインタビューなどが存在します。以下は「ASCII 1987年7月号」の記事ですが、1985年の123便事故でトロン開発の中心的な人物が亡くなったというのであれば、なぜこのようなインタビュー記事が存在するのでしょうか? デマであることは明らかですね? ちなみにこの記事の「松下電器産業が発表した BTRON マシンの実験機」という文章からは、トロンは先進的な OS どころか、1987 年時点で完成すらしていないことがわかります。当時、1981 年に発売された MS-DOS が日本を含む世界中で広く使われていたわけで、未完成の TRON が1985年の時点で米国の脅威になるわけがないんですよ。

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左下の写真下部の説明「TRONには、計画当初から関わっている櫛木好明氏」

数々の証拠を元に TRON 開発者が死んだなんてデマだよと言っても、死んだ人はいなかったんだって喜べない人や、むしろ死んでたはずだと理由探しをする人は、真実よりも死んでいて欲しいと願っているのでしょう。こんな主張をしている方が馬鹿というか偽の愛国心で金稼ぎをしている詐欺師です。引用はすべて誰かの適当な話、YouTuber が言ってことが根拠ですなんて平気でいうから笑っっちゃいます。事実を調べる調査能力や、物事を筋道を立てて考える能力がまったくないのでトロンに関して間違ったことばっかり言っています。「事件がなければ今頃は国産 OS がー」とか言うから、それなら復活させるまでもなく BTRON(超漢字)は販売されているよと言っても買いやしない。陰謀論をつぶやきたいだけで TRON に興味がまったくない。結局のところ TRON 陰謀論者は陰謀論の材料の一つとして TRON を都合よく利用しているだけです。日本航空123便の墜落事故と TRON プロジェクトにはなんの関係もありません。だから TRON プロジェクトの関係者から日本航空123便の話が出たこともありませんし、TRON プロジェクトの進行に影響がでたという話すらありません。そもそも1985年8月なんて松下電器が TRON プロジェクトを開始するために人を集めてから3ヶ月目とかで、みんな OS の開発なんて初めて、TRON 開発の素人です。TRON パソコンの実験機ができたのが1987年で、完成は1990年代に入ってからです。未来の優秀な TRON 開発者を殺すとか、未来のスカイネットの誕生を阻止するために、まだ何もしていないマイルズ・ダイソンを殺そうとしたサラ・コナーですかって話です。デデンデンデデン。

ユーチューバーやnoteは間違いだらけ

TRON は(一部で)過大評価されています。TRON は開発中(未完成)のときの未来予想図がもてはやされていただけで、実際に完成したときには Windows や Macintosh が先を行っており、TRON は見劣りするものとなっていました。TRON が普及しなかったのは米国からの圧力や孫正義が TRON 潰しに暗躍したからと言うよりも、単に多くの日本のメーカーや日本国民に選ばれなかったからです。パソコン用の TRON OS を開発しようというメーカーが、パソコンとしては弱小メーカーでしかなかった大手家電メーカーの松下電器しか現れなかったのがその証拠です。トロンパソコンなら他社のパソコンと互換性があると言っても、他社がトロンパソコンを作らなければ互換性はありません。海外(米国)がトロンパソコンを作らない限り、トロンパソコンが世界を席巻する未来などありえませんでした。

陰謀論に騙されてしまう理由の一つは正しい知識がないためです。最近(?)YouTube、ニコニコ動画、note、Yahoo 知恵袋、Twitter (X)、TikTok、Instagram、Threads などのウェブサイトや動画などで、Windows よりもすごい国産 OSがあったんだなどとトロンが持ち上げられていますが、ほとんどが、ろくに調べもしないで書いているので、内容が間違っていることが非常に多いです。ノーベル賞受賞だとか Windows に圧勝とか、笑っちゃうようなネタまでいろいろありますね。動画や記事で陰謀論の話を直接していなくても、そのコメントに陰謀論の話を書き込む人がいて、それを信じて陰謀論が広まっています。古い話なので当時のことを知らぬまま動画を作成したり記事を書いたりしているのでしょう。そういう人たちからは学べることは何もありません。詐欺師に騙されないように、ここで正しい知識を学びましょう。(それよりも「陰謀論はどうやって生まれたのか?」に興味がある人はこちらをクリック)

次の時系列から分かる通り、123便墜落事故の時点ではトロン OS は試作機すら完成していないわけで、トロンが「動作が安定性している」とか「セキュリティに強い」とか「Windows はトロンをパクった」とかは事実ではなく、幻を見ているとしか言えないわけです。ちなみに Windows の開発が始まったのは 1981 年、Windows 1.0 が発売されたのは 1985 年、Windows 3.0 が発売されたのは 1990 年です。言うまでもなくパソコン用トロン (BTRON) のほうが遅れており、パクったというのならむしろ BTRON の方です。実際 BTRON の開発では Windows やそれよりも前に発売された Xerox Star や Apple Lisa などを参考にしています。

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ITRONとBTRONの区別がついてない

TRON と ITRON と BTRON の区別がついていない人が多いです。TRON とはプロジェクトの名前で TRON という名前の OS があるわけではありません。

  • TRON ・・・ 全体のプロジェクト名
  • TRON プロジェクトのサブプロジェクト
    • ITRON ・・・ 産業(組み込み)向け。日本の携帯電話(ガラケー)はこれ
    • BTRON ・・・ ビジネス(パソコン)向け
    • CTRON ・・・ 通信機器や中央コンピュータ(サーバー)向け

TRON とは元々は日本独自のコンピュータシステムをゼロから新しく開発し直そうとする壮大なプロジェクトの名前でした。サブプロジェクトは用途ごとのコンピュータを開発するプロジェクトですが、コンピュータの一部として OS も開発します。風呂敷を広げすぎてしまった結果、開発はうまくいかなくなり、現在の TRON プロジェクトは、ほどんど ITRON のプロジェクトとなっています。

Windows と競合する OS は BTRON サブプロジェクトで開発されています。BTRON も OS の名前ではなく BTRON コンピュータ(BTRON パソコン)を作るプロジェクトですが、単に BTRON と言ったときは、BTRON に準拠した OS を指すこともあります。そういった点が話をややこしくしている所です。

BTRON サブプロジェクトでは OS の仕様を含む BTRON パソコンの仕様が定められています。BTRON 仕様に準拠した具体的な OS の名前はパーソナルメディア社が発売した 1B (1B/V1) や超漢字などです。初期の想定では BTRON 仕様に準拠した OS をさまざまなコンピュータメーカーが作成することになっていましたが、実際には開発していたと言えるのは松下電器ぐらいです(一応他にもあります)。パーソナルメディア社は1980年に設立された会社で、BTRON 開発の初期から関わっており松下電器の BTRON OS 開発のサポートをしていました。松下電器が BTRON パソコンの開発から撤退した後、パーソナルメディアは BTRON 開発を引き継いで、1991 年に BTRON パソコンを、1994 年に BTRON OS を発売しました

教育用パソコン問題(NECや教育現場の教師の反対)を知らない

1987年、通産省は各パソコンメーカーに BTRON を採用したパソコンを作るように異例の通達を出し、未完成の BTRON パソコンを教育用パソコンに採用しようと画策しました。最終的にこの計画は失敗に終わりますが、失敗した大きな理由は当時、日本国内のパソコン市場で圧倒的なシェアを持つ PC-98 シリーズを作っていた NEC が強く反発したことです。当時の多くの日本国民が PC-98 シリーズ(または EPSON が販売していた PC-98 互換機)を使っていました。そのような中、通産省は PC-98 が選ばれないような計画を立てたのです。その計画には教育現場の教師などからも、現在使っているプログラムが使えなくなると反対意見が出ました。ほとんどの人は BTRON パソコンを望みませんでした。未完成で誰も使ったことがなかったからです。BTRON を望んでいたのは通産省と NEC 以外のパソコンメーカーとよくわかっていない人ぐらいでしょう。パソコンをすでに使っていた人の多くは、標準的なパソコンと互換性がない独自仕様のパソコンに興味がありませんでした。もちろん中には BTRON を望んだ人もいたでしょうが、発売された BTRON パソコンや BTRON OS の売れ行きを見れば少数派です。

通産省がそのような計画を立てた理由は、日本が米国の技術を恐れており、日本を席巻している米国の技術を排除しようとしていたからです。そこに日本の技術だけでコンピュータシステムの全てを作り直そうとする TRON プロジェクトが都合が良かったのです。NEC の PC-98 シリーズは、パソコンこそ国産ですが OS には Microsoft の MS-DOS を採用していました。通産省は MS-DOS が広く使われるのが嫌だったのでしょう。MS-DOS が採用できないようにあらゆる手を尽くしました。他のパソコンメーカーも MS-DOS を採用していたところもありましたが、NEC からシェアを奪えるならと BTRON 陣営に加わったようです。しかし BTRON 準拠の OS を開発していたのは松下電器のみでした。他のパソコンメーカーは様子見で教育用パソコンの試作機を納入する際は松下電器から OS を買っていました。

通産省と文部省の共管であるコンピュータ教育センター (CEC) は、導入する教育用パソコンの仕様を決めようとしますが、BTRON に反対していたのは NEC だけだったため、BTRON に有利な仕様へと傾いていきました。もし通産省の目論見が成功していたら、日本はガラケーならぬガラパソの時代が訪れていたかもしれません。NEC は教育用パソコンを BTRON にすることに反対し、最終的に教育用パソコンの仕様を満たすため MS-DOS と UNIX の両方が使える教育用パソコンの仕様も満たすパソコンを作りました。この話は「マイクロソフトの真実」と「松下電器の果し状」」の両方に書かれています。CEC は国内シェア一位の NEC が出してきた BTRON ではない教育用パソコンに頭を抱えました。

そうこうしているうちに米国から教育用パソコンを BTRON 限定するのは不公正な貿易政策であると指摘されてしまい、CEC は BTRON に統一するのを断念しました。その結果、松下電器以外は BTRON を作るのをやめました。元々 BTRON パソコンを本気で作っておらず、BTRON がうまく言ったら本気を出そうと思っていたような会社です。BTRON に統一されないのであれば、NEC に勝てるわけもなく BTRON を作るメリットはないと考えたのでしょう。

1984年に開発されたと勘違いしている(実際にOSが開発できたのは1990年代)

「Windows 95 の 10 年前に優れた OS が開発された」と勘違いしている人が一定数いるようですが、1984 年は TRON プロジェクトが発足した年です。1984 年から OS の開発が始まったので、1984 年時点で動く OS はありません。1984 年は「紙の OS の仕様書」のみが公表されました。

なお、BTRON パソコンの「実験機」ができたのは 1987 年です。一般販売された BTRON パソコン「1B/note」の発売日は 1991 年で、PC 互換機で動作する BTRON OS「1B/V1」の発売は 1994 年です。

トロンはオープンソースでも無料でもない(実際のBTRON OSは2万〜7万円)

BTRON はオープンソースではありません。坂村氏が無料で誰でも使えると言ったことを勘違いしたのでしょうが、坂村氏が 1984 年に作ったのは「紙の OS 仕様書」で、無料と言っているものは「OS の仕様の利用料(ロイヤルティー)」 です。無料で誰でもダウンロードできて改造もできたとか言っているのを見みましたが、坂村氏自身は動く OS を作っていないのでダウンロードもできませんし当然改造もできません。設計書(ソースコード)を書いて OS の開発をするのはパソコンメーカーの役目で、1984 年以降に OS の開発が始まりました。実際には松下電器のみが BTRON 仕様に準拠した OS の開発をしていました。

坂村氏は「OS の仕様書を元に作った OS へのロイヤリティ」が無料と言いましたが、坂村氏は「著作権を放棄しない」と明確に言っています。当たり前ですが OS の仕様書には著作権があり、勝手な使い方は許されません。坂村氏はTRON の仕様書どおりに作れば著作権料をとらないと言っているだけです。もっとも著作権はアイデアは保護の対象とならず具体的な表現(実装)に発生するものなので、法律上は仕様書を元に OS を作っても著作権料を支払う必要は最初からなかったと思われます(特許は別の話)。実際に CP/M のシステムコールを真似た 86-DOS、UNIX を真似た Linux、Windows API を真似た WINE、Google対OracleのJava API訴訟 などがあります。MS-DOS の場合は、動く OS を開発したのは Microsoft なので話が違います。ちなみに世の中には勝手に作られた MS-DOS 互換の OS もあります。

BTRON 仕様に準拠した実際の OS は有料です。1994 年開発された PC 互換機で動く最初の BTRON 準拠の OS である 1B/V1 は 7 万円でした。その後にアプリケーションなしで 3万円で発売されました。その後継バージョンといえる OS が今でも2万円で売っています。ソースコードはもちろん配布されていません。なお B-Free という BTRON をオープンソースで実装しようとするプロジェクトはありましたが完成しませんでした(参考)。

2003年より、ITRON 仕様に準拠した T-Kernel がオープンソースで公開されましたが、それは 123便墜落事故から 20 年後のことであり、T-Kernel は組み込み向けなので、現在も Windows の対抗となるパソコン用の TRON OS(BTRON) がオープンソースで無料で公開された歴史はありません。

BTRONがWindowsよりも先進的と勘違いしている(実際はMS-DOSとの比較)

BTRON が先進的というのは「現在開発中の BTRONが MS-DOS よりも」という意味です。1980 年代において、1990 年代向けて開発中の BTRON が先進的という意味で、比較対象である当時の主流の OS は MS-DOS でした。MS-DOS ではキーボードから英文字の専門用語(コマンド)を入力してプログラムを実行する必要があり専門知識を必要としました。しかし BTRON の開発が完成したときは、すでにコマンドを入力しなくて良い Windows が販売されており大差がなくなっていました。未来に向けて先進的な OS を開発していたのは Microsoft も同じです。特に 1988 年に開発が始まった Windows NT 3.1 は完全なマルチタスクを実現する 32bit OS で 1993 年に発売されました。文字コードには 世界標準の Unicode を採用し、多くの国の文字を扱えるようにしながら他の OS との互換性も実現しています。完全なマルチタスクは Windows 以外を見れば UNIX などに前例があります。BTRON はさまざまな他の OS のアイデアを参考にして作られた、遅れて開発が始まった OS です。坂村氏の著書にも書いてありますが 1984 年に開発が始まった BTRON は次のような GUI を備えたパソコンを参考に開発されています

  • 1973 Xerox Alto(試作機、限られた顧客に限定販売 合計2000台)
  • 1981 Xerox Star(発売)
  • 1983 Apple Lisa(販売)
  • 1984 Macintosh(販売)
  • 1984 X Window System (UNIX)

1985 年に Windows 1.0 が発売されています。Windows 95 は GUI を備えた初のMicrosoft 製でOS ではありません。Windows 1.0 の GUI はウインドウを重ねることができないなど貧弱なものでしたが、1990 年に開発された Windows 3.0 は世界中でヒットしており、Microsoft の躍進のきっかけの一つとなりました。

BTRONがシェア争いで負けた理由は互換性がなかったから

BTRON が MS-DOS・Windows とシェア争いで闘って負けた一番の理由は、それまでの多くのソフトウェアが使えなかったからです。1980 年代、BTRON がまだ完成していなかった頃、NEC の PC-98 シリーズは「国民機」と呼ばれるほど普及していました。PC-98 シリーズには数千本のソフトウェアがありました。重要なのは数だけではありません。ワープロソフト「一太郎」や、表計算ソフト「Lotus 1-2-3」と言ったキラーアプリと呼ばれるソフトウェアもありました。また一部の会社は PC-98 で動作する独自の業務ソフト開発していましたし、現在でも生産設備や計測機器などを制御するために今でも PC-98 が稼働しているぐらいです。

Microsoft は 1993 年にビジネス向けに安定性の高い Windows NT 3.1 を開発して販売していました。しかし MS-DOS アプリの互換性がないため、ホーム向けには Windows 3.x や Windows 9x を開発していました。世界で広くヒットした Windows 3.0(1990年発売)や Windows 95(1995年発売)は、それまでの MS-DOS アプリの多くが動くように互換性が保たれていました。Windows 95 は世界中で大ヒットしましたが、いきなり発売して大ヒットしたわけではありません。すでに Windows 95 が動くパソコンを持っており、10 年以上に及ぶ MS-DOS の資産があったから大ヒットしたのです。ユーザーが使いたいのは OS ではなくアプリケーションです。今まで使えたアプリケーションが使えないのであれば乗り換えることはありません。BTRON は追加で購入する新たなパソコン(または OS)ですが BTRON を買ってまでやりたいことはなく、やりたいことは MS-DOS で十分でした。MS-DOS アプリはグラフィックもサウンドもゲームもネットワーク通信(パソコン通信)もできました。

一般に販売されたれた BTRON パソコンが最初に登場した 1991 年は BTRON のほうが OS としては優れているところもありましたが、OS のためだけにアプリケーションがほとんど無い BTRON パソコンを買う人はいません。BTRON パソコンのユーザーが少ないため、ソフトウェア開発会社も BTRON 用のソフトウェアを作りません。PC 互換機で動く BTRON 準拠の OS は 1994 年に発売されましたが、OS としては Windows 95 でほとんど追いつかれました。さらに Windows 95 は大量の MS-DOS アプリや、それまでの Windows アプリが使えるので、BTRON が勝負して勝つ要素は最初からありませんでした。唯一の望みは政府が教育用パソコンを BTRON 限定にしてくれれば、きっと卒業してからも BTRON パソコンを買ってくれるはずという、MS-DOS や Windows と勝負せずに勝とうとする、取らぬ狸の皮算用でした。

米国が日本の技術を恐れてスーパー301条の制裁候補にしたと勘違いしている

陰謀論を語っている(信じてる)人は、スーパー301条がなにかわかってないでしょ?

米国が恐れたのは、日本の技術ではなく、日本の教育パソコン市場に参入できないことです。米国は正々堂々と勝負しましょうと言っています。このことは TRON 協会自身が明らかにしています

6 USTR 代表から協会抗議文への返書入手。
「米国政府はトロン協会の活動に対して反対するものではない。 しかしながら日本政府が実質的及び潜在的に市場介入することによって トロンを援助することに関心を持っている。 政府の命令によってではなく市場の力によって、 どのOS・マイクロプロセッサ及びコンピュータアーキテクチャが 成功するかが決定されるべき。 トロン以外の単一の OS が作動するコンピュータは、 (財)コンピュータ教育開発センター(CEC)の仕様に合わないし、 トロン以外の単一の OS が動く PC の試作機は (CEC) には採用されなかった。」

これは本当に重要なことなので繰り返しますが、

  • 米国は BTRON の開発をやめろと言ったわけではない
  • 米国は 教育用パソコンを BTRON 限定(になるような仕様)にするなと言った

坂村氏は「BTRON は誰でも作れる」と反論していますが、米国は BTRON を作りたくないと言っています。BTRON を作りたくないのは当然です。教育用パソコン市場に参入したければ BTRON を作れと要求することは、あなた達が今やっている研究開発は捨てろという意味になるからです。「政府の命令によってではなく市場の力によって、 どのOS・マイクロプロセッサ及びコンピュータアーキテクチャが 成功するかが決定されるべき。」とは、政府が BTRON に限定するのではなく、BTRON や MS-DOS (やその他)で競い合って、実際に使う人が選ぶべきという意味です。闘うことから逃げたらダメです。

最初に米国の技術を恐れたのは日本です。だから日本の教育用パソコンに「完成していない BTRON」が採用されるような仕様づくりをし、。それに反対したのが、すでに米国の技術で日本のパソコン市場を席巻していた NEC なわけです。スーパー301条の前に日本での教育パソコンのゴタゴタがありました。そうこうしているうちに、米国から、政府が教育用パソコンを BTRON に指定するのは「不公正な貿易政策」であると指摘されました。

米国がスーパー301条の制裁対象の候補に入れたとき、実際に何を気にしていたかは以下の原文を読めばわかります。そこに書いてあるとおり、米国はトロンの開発をやめろとは言っておらず、教育用パソコン市場の閉鎖性を問題にしています。

問題にしているのは「政府の介入」です。政府が介入したら健全な競争ではなくなるからです。教育用パソコンなんて各学校に自由に選ばせればよかったんですよ。日本のことなのだから日本の教育用パソコン市場から米国の技術を締め出しても良いじゃないかと思うかもしれませんが、逆の立場で考えると、米国が米国の教育用パソコン市場から日本の技術 (BTRON) を締め出すのと同じことです。教育用パソコン市場は大きく、無視できるようなものではありません。米国にとって譲れない闘いでした。

スーパー301条は、相手の国が開発している技術を恐れて、報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせて、そのプロジェクトから撤退するように圧力をかけるようなものではありません。「不公正な貿易政策」を特定して、市場を開放するように求めるものです。日本は米国の主張を受け入れて教育用パソコンを BTRON に統一することを断念したため、スーパー301条の制裁候補から外れました。断念した理由には、NEC が MS-DOS の採用を主張したために開発の遅れたことや、教育現場から既存のパソコンとの継承性を重視する立場から MS-DOS を採用すべきだとの声が高まっていたことも含まれています。ただし統一することを断念しただけで BTRON パソコンの開発は続けられますし、BTRON ベースの教育用パソコンを作っても構いませんでした。実際に松下電器は BTRON ベースの教育用パソコンを作りました。正々堂々と勝負しようという話になった途端、BTRON 陣営が崩壊したのは日本側の問題でしかありません。

マスコミが悪い(マスコミが TRON を悪者に仕立て上げた)

マスコミがテレビなどで貿易摩擦で米国が怒っている映像を流した結果、日本が米国の怒りを恐れて日本のメーカーが TRON プロジェクトから去ったという話はデタラメです。坂村氏が言っている「マスコミが悪い」とはそのままの意味で、マスコミが TRON プロジェクトを失敗に追い込んだ(と坂村氏が考えている)という意味です。

TRON プロジェクトが潰されそうになった原因について坂村氏は、日本のマスコミが TRON プロジェクトを貿易摩擦の原因に仕立て上げた結果、日本のメーカーが TRON プロジェクトから去ったと、マスコミを批判しています。また通産省に対しても「いつも我々の足を引っ張る」と批判しています。

TRON プロジェクトが上手く行っている間はあれだけ持ち上げていたのに、いざ問題が発生すると手のひらを返して無責任に批判しだすのが、日本のマスコミです。

陰謀論が生まれた4つの原因

インターネット上のページや書き込みの多くには日付が記載されているため、いつの書き込みかがわかります。ここで便利なのが Google の日付の範囲を指定した検索と Internet Archive です。現在の Google 検索の結果は多いですが日付を指定すれば絞り込めます。また、Internet Archive は 1996 年からウェブページを保存し続けており、削除されたページや更新されたページでも、昔のページの姿を取り出して昔の情報を見たりリンクをたどれます。例えば 1996年11月20日 時点の Yahoo Japan はこのようにわかります。もちろんすべての情報が記録されているわけではありませんが、陰謀論がいつ頃出現したのかはだいたい把握できます。調査の結果、この陰謀論・デマは 2008 年頃に誕生し、2010 年頃から広まったことが判明しました。

1. NHKの番組「プロジェクトX」による歴史の改ざん

この番組が直接陰謀論を放送したわけではありませんが、2003 年に放送された NHK の番組「プロジェクトX ~挑戦者たち~ 家電革命 トロンの衝撃」では、TRON プロジェクトの歴史が改ざんと言っても良いレベルで修正されています。この番組は、NHK の会長自身が「ドキュメンタリーでは無く当時の記憶をネタにしたファンタジー(おとぎ話)なんだから」と言っているような番組です。この番組では TRON プロジェクトの ITRON と BTRON を区別せずに話を進め、パソコン用 BTRON の開発が失敗した後に、組み込み用 ITRON の開発で成功したかのように演出されています。実際には ITRON は最初からずっと開発されていました。

この番組で行なわれた改ざんの一部を紹介すると、教育用パソコンにどの OS を選択するかの話で「大手11社は皆トロンを希望」とまるで全てのメーカーが BTRON を希望したかのように演出されています。実際には、最大手の NEC が BTRON に反対しており「(最大手の NEC を除く)大手11社は皆トロンを希望」という意味でした。番組では教育用パソコンのゴタゴタが一切語られず、日本のメーカーすべてがトロンを希望したかのように演出されています。実際には NEC のトロン反対は最後まで続き、最終的に NEC は MS-DOS と UNIX を切り替えられる試作機を作り抵抗しました。トロンに反対したのは NEC だけではなく、現場の教師などもです。なぜなら一部の学校にはすでにパソコンが導入されており、すでに NEC の PC-98 シリーズ(の MS-DOSで)動作するプログラムの開発などが行なわれていたからです。そのような話を一切せずに、いきなり米国が立ちはだかったことにされました。

番組では米国がトロンを開発するなと迫ったかのように演出されていましたが、実際に米国が言ったことは、教育用パソコンを BTRON に限定するなと迫ったのです。日本は教育用パソコンの OS を BTRON に統一するのを断念しました。統一するのを断念しただけなので、BTRON の開発を続ける道もあったはずですが、多くのパソコンメーカーは BTRON の開発を断念しました。MS-DOS でもよいのであれば、過去のソフトウェアとの互換性がある NEC の PC-98 シリーズが選ばれるとみんな思っていたのでしょう。実際に当時の新聞を見れば、BTRON が期待されていなかったのは明らかです(以下の日経新聞の記事に「開発の遅れ」「教育現場からの反発」「現在主流の MS-DOS が優勢となった」などと書かれている)。

日本経済新聞(夕刊)1989年(平成元年)6月12日(月曜日)

そういった話は番組では一切語られません。番組全体の演出として、Microsoft のビル・ゲイツと戦う話となっており、米国の圧力で BTRON が潰されたことになっています。米国と Microsoft を敵視する歪められた歴史が日本航空123便の話と結びつけられ、米国がトロン開発をやめさせるためにトロン技術者が乗っていた日本航空123便をミサイルで撃ち落としたという陰謀論が生まれました。それを指示したのがビル・ゲイツであるという尾ひれまでついているものもあります。

2. 2008年に「一度に17人遭難松下電器グループ」がすり替えられた

松下電器のトロン技術者17人が亡くなったという話は、当時の新聞の見出しから来たものです。以下のサイトに当時の新聞の見出しがまとめられていました。

日航123便墜落事件を忘れない」内の「日航機墜落事故 東京-大阪123便 新聞見出しに見る30年間の記録」の「新聞見出し 1985年 8月~12月」より

85年(昭和60年)8月14日(水)
【慰】 あの人も乗っていた 中埜阪神タイガース社長 浦上ハウス食品社長も 歌手坂本九さん 一度に17人遭難松下電器グループ 元五輪選手やヅカガールも  脳細胞研究第一人者の阪大教授 甲子園球児の父 (毎日)

毎日新聞の8月14日に「一度に17人遭難松下電器グループ」という見出しがあることに注目してください。他にも「17人」「松下電器」の2つの単語を含めた見出しをつけた雑誌などもあるようです。17人というのは松下電器グループの社員であって、トロン技術者ではありません。犠牲者のうち松下電器グループに関係する人は以下の17人のみです。

■「トロン開発者17人」ということにされた松下グループ関係者17人 搭乗理由
【松下電器産業】(TRON 開発が行われていた「中央研究所」に所属する人は一人もいない) ──
 システムエンジニアリング本部 企画担当部長(54才 男性) 仕事
 システムエンジニアリング本部 システム推進部長(56才 男性)
 システムエンジニアリング本部 システム推進営業主担当(48才 男性)
 ビデオ事業部 企画部 原価推進課長(45才 男性) 仕事
 ビデオ事業部 商品技術二部 商品一課長(44才 男性)
 開発本部 製品開発推進センター副参事(41才 男性) 仕事
 エムエフ情報システム常務(52才 男性) 仕事
 ゼネラルオーディオ事業部 アクセサリー営業部長(43才 男性) 仕事
 ゼネラルオーディオ事業部 首都圏営業課係長(33才 男性) 帰省
 九州特機営業所 第二営業部 情報システム課(27才 男性) 帰省
 電化調理事業部 製造一課(19才 女性) 旅行
 電化調理事業部 製造二課(22才 女性)
 電化調理事業部 製造二課(23才 女性)
【松下電器貿易】 ──
 総合企画室長(52才 男性) 仕事
 東京支店 情報通信機器二部(29才 男性) 帰省
【松下電工】(照明機器や健康家電などを扱う会社) ──
 家電営業部 東京市場開発主管部長(50才 男性) 帰省
 家電営業部 営業開発課長(41才 男性) 帰省

ありがちな話ですが、陰謀論の亡くなったとされるトロン開発者の人数は違うことがあります。16人説とか15人説とか。「トロン技術者の数」に正解がないので、元にした情報の違いや「きっとこの人がトロン開発者に違いない」という根拠のない決めつけで変わるわけです。

  • 16人説: 一部の方法で「エムエフ情報システム」に松下電器が明記されていませんでした
  • 15人説: 一部の報道で「松下電器」グループに「松下電工」を含めていませんでした
  • 11人説: なぞ
  • 9人説: 「松下電器産業」かつ、搭乗理由が仕事の人?
  • 3人説: システムエンジニアリングを TRON 開発していた場所と勘違い

人数が少ないから飛行機を墜落するよりももっと簡単で確実な方法があるでしょうよ。

念の為ですが、「なぜこんなに松下電器の関係者がいるのだ? これこそが松下電器を狙っていた証拠!」などと言わないでくださいね。松下電器の本社は大阪ですから。123便は東京国際空港(羽田空港)発、大阪国際空港(伊丹空港)行、東京には支社がありますし遊ぶところもあります。1985年8月12日(月曜日)、お盆休みの期間ですから、出張、旅行、帰省で地元の会社の関係者が十数名搭乗することに何の不思議もありません。そもそも所属も搭乗理由も異なる17人が集まったことまで仕組まれたことだというのであれば、誰かがこの17人を集めたということになってしまうわけですが、超能力かなにかで操って集めたという話なのでしょうか?

さていろいろ探した所、このデマの発信源ではないかと思われるものを見つけました。それが「★阿修羅♪」の書き込みです。

123便 一度に17人遭難松下電器グループIT技術者。そして国産OSトロンはパソコンに乗らなかった。松下が社名変更

投稿者 愉快通快 日時 2008 年 1 月 14 日 01:54:14: aijn0aOFbw4jc
松下が社名をPANASONICに変更と報道されている。

123便では松下グループのIT技術者17名が遭難している。トロン関連だが、これでパソコンにトロンが乗らなかった経緯がある。

一度に17人遭難松下電器グループ(1985年8月13日 毎日)

【URL省略】
等でも、優秀なトロンOSがパソコンに乗らなかったことが疑問視されているが日本が誇るOSを担う頭脳の一端が御巣鷹に消失したことを今一度思い起こしてほしい。

この書き込みでは「一度に17人遭難松下電器グループ」と新聞の見出しをそのまま引用しているにも関わらず、コメントの内容が「松下グループのIT技術者17名」にすり替えられており、ありもしないトロン関連に勝手に紐づけられています。これが最初の書き込みという証拠はありませんが、少なくともデマの発信源の一つになったと考えています。興味深いことに、この「愉快通快」というユーザーの 2007 年 12 月 11 日の書き込みのタイトルには「一度に17人遭難松下電器グループ」とだけ書かれておりトロンの話が登場しません。おそらく 2007年12月11日 ~ 2008年1月14日 の間に123便墜落事故とトロンを結びつけるアイデアを思いついたか、何かしらの書き込みを見つけたのでしょう。ちなみに書き込みが参照している「1985年8月13日 毎日」とは正確には「1985年(昭和60年)8月13日(火曜日) 毎日新聞(夕刊)」です。

image.png

なお、日本航空123便が墜落した 昭和60年(1985年)8月12日時点では、まだ BTRON の開発は始まっていないという意見もありましたが、雑誌「PRESIDENT(プレジデント)」の 1988年1月号の表紙の裏には「松下電器中央研究所の櫛木好明(情報グループ主任技師)をリーダーとする小林正明(技師)、安藤誠(技師)、三村義裕らのチームである」「昭和59年夏、櫛木を中心とする BTRON 開発プロジェクトチームが結成された」とあり、墜落事故の一年前(1984年夏)には開発が始まっていることがわかります。

image.png

その他に、以下の情報からも1985年8月には開発が始まっていることが読み取れます。

  • https://30th.tron.org/tp30-05.html
    • 当時の松下は、まだ松下幸之助氏がご存命だったからか、決断は速く動きも素早かった。早川専務が決断してくださり、BTRONプロジェクトとして85年には開発が始まった。このときの現場のリーダであった真弓和昭氏も、また氏のスタッフの方々もやる気満々ですごい勢いで独自パソコンができあがっていく。
  • I/O アイ・オー 1985年01月号
  • 補足: 所属と肩書についてマイクロコンピュータに関する調査報告書 [昭和60年] より)
    • 真弓和昭: 松下電器中央研究所 計算機応用グループ グループマネージャ(4コマ目
    • 櫛木好明: 松下電器中央研究所 情報グループ 主任技師 (6コマ目

したがって、日本航空123便墜落時点のトロン開発者の所属は「中央研究所」でなければならないわけです。なお、トロンを実際に開発していたのは、正確には「中央研究所内の情報グループ」ですが、1987年12月からは「情報システム研究所」に再編されます。

image.png
金融情報システム : FISC 9月(233) 出版年月日 2000年9月

3. 2008年に書かれた怪文書

陰謀論が生まれたもう一つのきっかけは次の怪文書です。この内容の修正版がいくつかのページに複製されていますが、その中で古くオリジナルに近いと思われるものがこちらです。このサイトが本当の発信源というわけではなく、おそらくどこか(2ちゃんねる?)に書き込まれた内容をコピーしたものでしょう。その根拠は記事の投稿日が2009.08.11なのに対して、内容に「2008年の現在は」と書かれている所です。

上を向いて歩こう!~日本航空123便墜落事故のお話~
2009.08.11 Tuesday | 22:49

日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日午後6時56分、日本航空(当時)123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46が群馬県多野郡上野村の高天原山に墜落した事故である。

2008年の現在はどうか分からないが、この事故が起きた当時は日本の民間航空機を敵機と見なし、米軍の軍事演習が頻繁に行われていた。
亜米利加空軍戦闘機は、羽田や成田、伊丹から発着する旅客機をロックオン、演習用の模擬ミサイル弾を発射しまくっていた。(通常は被弾直前で逸れる)

123便が「何か変な音がしたぞ」と最初の異変に気付き、折れた垂直尾翼が落ちていた海洋近辺で、その当時空軍戦闘機は演習を行っていた。
真偽は不明であるが、回収された123便の垂直尾翼に付着していた塗料は模擬ミサイル弾のそれと一致する…らしい。

■事故発表を元にしたJAL123便飛行跡略図_Ver.1.2

××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××

自衛隊の無線技師だった知人の祖父は、事故当時、北海道は根室にて亜米利加空軍の軍事演習のやり取りを処理しており、こんな無線を受けた。

「…あ、当たっちゃった」

いやいやビンゴ、狙い通りでしょ?

追記:尚、この便には、純国産コンピュータ・オペレーション・システム「トロン」開発プロジェクトの技術者17名が搭乗していた。

■TRONプロジェクト
http://ja.wikipedia.org/wiki/TRONプロジェクト

2009年10月6日追記

■ja8119さんの「123memo」:イザ!
【URL省略】

■(新) 日本の黒い霧
日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故の真相、その他の未解決事件、改竄された歴史について考える。
【URL省略】

■日航ジャンボ123便 生存者は自衛隊員がアーミーナイフで殺害していた 愉快通快
【URL省略】

■123便 メモ - 記事一覧 15件目~
【URL省略】

偶然だと思いますが、ここにも「愉快通快」の名前が出てきていますね。「阿修羅♪掲示板」って何も知らないのですが、そういう人の集まりかなにかなんでしょうか?

可能性としては「元の内容自体にトロンの話が含まれていた」「このサイトの人がトロンの話を付け加えた」の2つが考えられます。いかにも付け足した感じの文章なので、このサイトの人がトロンの話を付け加えた可能性も十分高いと思います。「オペレーティング・システム」ではなく「オペレーション・システム」となっているのが雑な所です。多くのサイトにこの内容の切り取り、前半部分の一部とトロンの話をくっつけたものがコピーされています。調べればわかりますがこのようなサイトです。

この中で一番上のサイトが、参照の多さから、潜伏していた 2008 年の陰謀論を掘り起こしたように感じます。一部のサイトには、プロジェクトXの改ざんされた歴史を参照したような次の内容が追加されています。馬鹿馬鹿しいことにトロンをオープンソースで無償とか勘違いしています。最も大きなシェアを持つ NEC がトロンの採用に猛反対したことを知りません。だから上の方で指摘しておいたんです。

<実は20年前に日本に無償のOSが存在した>

無償OSというと耳新しいもののように感じるが、
実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃のこの日本に「トロン」というOSがあったのである。
「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSで
オープンソースであり無償なのであった。

95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占したわけだが、
実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたのである。
それがWindows95の独占的な採用になったのは、
米国政府からの圧力だったのである。

即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、
当時の日本政府が屈した結果だったのである。

プロジェクトXの改ざんされた歴史の話をしてるでしょう?
ね?だから改ざんされた歴史をそのまま放置しておいてはダメなんですよ。

4. インベスターZの4巻の歴史が改ざんされたトロンの話

漫画「インベスターZ」の4巻では 12ページほどにわたってトロンの話が登場します。この内容は、プロジェクトX の内容がベースとなっていると思われます。その理由は以下のとおりです。

  • 最近はあまり使われない「基本ソフト」という用語を OS の別名だとわざわざ説明して使っている
  • MS-DOS の話がなくいきなり Windows 95 の話がでてくる
  • 140社以上の企業が集まったという話がでてくる(プロジェクトXではたちまち143社が集まったと紹介されるが、実際に143社あつまったのはプロジェクト開始から数年後)
  • 教育用パソコンの話をするが、NEC や教師が反対したことに触れない
  • OS を「パソコンの心臓部」と呼ぶ特徴的な言葉が出てくる(プロジェクトXでもでてくる)

このようにわずかのページ数の中で、プロジェクトXのことしか知らない人が勘違いしてそうな内容になっています。著者は「Windows 95 の 10 年前にトロンという画期的な無償の OS が開発されていた」と勘違しており、また日米貿易摩擦の話は少しズレた解釈をしています。

おそらくインベスターZはプロジェクトXの犠牲者です。番組を見て改ざんされた歴史を真に受けてしまったのでしょう。これを読んで「日本で開発されていたトロンという OS を米国が潰した」と勘違いした読者も多そうです。

まとめ

  1. 1985年から2008年までの間、トロンと結びつけるような話はありませんでした
  2. 2003年のプロジェクトXで BTRON が米国によって潰されたと歴史が改ざんされました
  3. 2008年 事故当時の新聞の見出しからトロンに結びつけられました
  4. 2008年 事故に関する怪文書がトロンに結びつけられました
  5. 2014年 インベスターZの4巻でプロジェクトXに基づくと思われる話がでました

3 と 4 の時系列は逆の可能性があります。どちらかがどちらかを見て、トロンへの結びつけを真似した可能性があります。

陰謀論の内容は、誰がどうみてもデマだろうと思う、馬鹿げたものです。しかし、その陰謀論に一定の説得力を与えてしまったプロジェクトXの歴史改ざんは、見捨てておけるものではありません。42分30秒の番組全体を通して、いたるところが視聴者のミスリードを誘うような構成になっています。その内容を更に悪化させるような内容をインベスターZが広めました。本格的に訂正する人が誰もいなかったため、現在も陰謀論が広まり続けています。

BTRON の話など、1990 年代で終わった話です。しかしこうやって度々思い出され、そのたびに間違った歴史に改ざんされています。本当の歴史も知らずに米国や Microsoft を悪者扱いするのは歪んだ愛国心です。捏造された歴史を放置した結果が現状です。間違った歴史からは何も学べません。次の世代のために、正しい歴史に戻す必要があります。

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