はじめに
日本航空123便墜落は1985年8月12日に発生した事故ですが、結論から言えばこれは2008年頃にネットで生まれた(頭の悪い)デマ・陰謀論です。これを信じてしまった人は詐欺に騙されやすい人なので注意しましょうね。「日本航空 (JAL) 123便と TRON を結びつけた陰謀論」は、日本のトロン開発を妨害するために TRON 技術者17人が搭乗していた飛行機を米国がミサイルで撃ち落としたというものですが、搭乗者にトロン技術者は一人もいないと明らかになっています。TRON プロジェクトの進行にも影響はなく、組み込み用の TRON (ITRON) は日本で広く使われ、パソコン用の TRON (BTRON) は完成して今も販売されています。上場前(1986年にNASDAQ上場)の Microsoft(当時設立10年目)のビル・ゲイツ(当時29才)が Windows を普及させるために米国政府に命令して米国空軍を動かしたなんてアホな尾ひれが付いているものまでありますが当然デマです。日本航空123便に関する陰謀論には事故当時からテロだとか自衛隊のミサイルの誤射だとかさまざまなものがありますが、TRON に関する陰謀論は事故から随分経ってから登場したので古参の陰謀論者は逆に知らないという皮肉な状況になっています。この記事では、この陰謀論が、いつどこで、どうやって、なぜ生まれてしまったのか、真実を全て明らかにします。
なぜ搭乗者にトロン技術者は一人もいないとわかるのかと言うと、当時は個人情報が十分に保護されておらず、日本航空123便の犠牲者は、氏名、年齢、勤務先、所属、役職、搭乗理由、住所、顔写真まで、すべて当時の複数の新聞に掲載されているからです(疑うなら大きめの図書館に行けば古い新聞を見られます)。なお生存者は大人2名と子ども2名、うち1人は客室乗務員でいずれも女性です。トロンを開発していたのは松下電器の中央研究所なので、所属や役職を見れば、それがデマだとわかります。所属が異なっていても関係していた人がいたかもしれないという反論は「17人」という数で否定されます。17人とは搭乗者524人中の「松下グループ」の人の数です(17人の一覧はここ)。松下とは現在のパナソニックのことで、家電などを扱う大手電機メーカーです。どう考えてもトロン開発と関係ない所属の人ばかりなので、17人全員がトロン開発者でないのは明らかです。つまり17人全員がトロン開発者と言ってしまったためデマ確定です。それを指摘されると「実は関係者は2名だったのだよ」とか後づけで人数を変えてくるわけですが、話がコロコロ変わるのが陰謀論の特徴です。2人ならトロン開発に大きな影響はないでしょうし、飛行機を墜落させるぐらいなら、もっと簡単で確実な手段はいくらでもあるでしょう。思いつきでウソを吐くのも大概にしろという話。
トロンプロジェクトの提唱者である坂村氏やプロジェクトリーダーなど、その他の名の知られた開発者は存命なことからもデマだとわかります。TRON 開発者が死んだなんてデマだよと言っても、死んだ人はいなかったんだって喜べない人や、むしろ死んでたはずだと理由探しをする人は、真実よりも死んでいて欲しいと願っているのでしょう。こんな主張をしている方が馬鹿というか偽の愛国心で金稼ぎをしている詐欺師です。引用はすべて誰の適当な話、YouTuber が言ってことが根拠ですなんて平気でいうから笑っっちゃいます。事実を調べる調査能力や、物事を筋道を立てて考える能力がまったくないのでトロンに関して間違ったことばっかり言っています。「事件がなければ今頃は国産 OS がー」とか言うから、それなら復活させるまでもなく BTRON(超漢字)は販売されているよと言っても買いやしない。陰謀論をつぶやきたいだけで TRON に興味がまったくない。結局のところ TRON 陰謀論者は陰謀論の材料の一つとして TRON を都合よく利用しているだけです。日本航空123便の墜落事故と TRON プロジェクトにはなんの関係もありません。だから TRON プロジェクトの関係者から日本航空123便の話が出たこともありませんし、TRON プロジェクトの進行に影響がでたという話すらありません。そもそも1985年8月なんて松下電器が TRON プロジェクトを開始するために人を集めてから3ヶ月目とかで、みんな OS の開発なんて初めて、TRON 開発の素人です。TRON パソコンの実験機ができたのが1987年で、完成は1990年代に入ってからです。未来の優秀な TRON 開発者を殺すとか、未来のスカイネットの誕生を阻止するために、まだ何もしていないマイルズ・ダイソンを殺そうとしたサラ・コナーですかって話です。デデンデンデデン。
これは調べれば直ぐにバレるような非常に稚拙なデマです。こんなのを語ってる人は情報弱者であると自分で言ってるようなもんです。このデマの発祥は2ちゃんねるではないかとも言われており、元々ネタとして書かれたものを信じてしまった、ネタをネタと見抜けなかった人が広げたのかもしれません。
デマを明らかにしているその他のサイト
上記の一番下のまとめ記事でも「初出は2008年である」と説明されていますが、私は独立した調査で全く同じ結論に達しました。ただし2ちゃんねるの投稿が最初であるかはわかりませんでした。
ユーチューバーやnoteは間違いだらけ
陰謀論に騙されてしまう理由の一つは正しい知識がないためです。最近(?)ユーチューバーや note、どこぞのウェブサイトのページや Yahoo 知恵袋 などで、Windows よりもすごい国産 OSがあったんだなどとトロンが持ち上げられていますが、ああいう人達はろくに調べもしないで書いているので、内容が間違っていることが非常に多いです。ノーベル賞受賞だとか Windows に圧勝とか、笑っちゃうようなネタまでいろいろありますね。動画や記事で陰謀論の話を直接していなくても、そのコメントに陰謀論の話を書き込む人がいて、それを信じて陰謀論が広まっています。古い話なので当時のことを知らぬまま動画を作成したり記事を書いたりしているのでしょう。そういう人たちからは学べることは何もありません。詐欺師に騙されないように、ここで正しい知識を学びましょう。
それよりも「陰謀論はどうやって生まれたのか?」に興味がある人はこちらをクリック
ITRONとBTRONの区別がついてない
TRON と ITRON と BTRON の区別がついていない人が多いです。TRON とはプロジェクトの名前で TRON という名前の OS があるわけではありません。
- TRON ・・・ 全体のプロジェクト名
- TRON プロジェクトのサブプロジェクト
- ITRON ・・・ 産業(組み込み)向け。日本の携帯電話(ガラケー)はこれ
- BTRON ・・・ ビジネス(パソコン)向け
- CTRON ・・・ 通信機器や中央コンピュータ(サーバー)向け
TRON とは元々は日本独自のコンピュータシステムをゼロから新しく開発し直そうとする壮大なプロジェクトの名前でした。サブプロジェクトは用途ごとのコンピュータを開発するプロジェクトですが、コンピュータの一部として OS も開発します。風呂敷を広げすぎてしまった結果、開発はうまくいかなくなり、現在の TRON プロジェクトは、ほどんど ITRON のプロジェクトとなっています。
Windows と競合する OS は BTRON サブプロジェクトで開発されています。BTRON も OS の名前ではなく BTRON コンピュータ(BTRON パソコン)を作るプロジェクトですが、単に BTRON と言ったときは、BTRON に準拠した OS を指すこともあります。そういった点が話をややこしくしている所です。
BTRON サブプロジェクトでは OS の仕様を含む BTRON パソコンの仕様が定められています。BTRON 仕様に準拠した具体的な OS の名前はパーソナルメディア社が発売した 1B (1B/V1) や超漢字などです。初期の想定では BTRON 仕様に準拠した OS をさまざまなコンピュータメーカーが作成することになっていましたが、実際には開発していたと言えるのは松下電器ぐらいです(一応他にもあります)。パーソナルメディア社は1980年に設立された会社で、BTRON 開発の初期から関わっおり松下電器の BTRON OS 開発のサポートをしていました。松下電器が BTRON パソコンの開発から撤退した後、パーソナルメディアは BTRON 開発を引き継いで、1991 年に BTRON パソコンを、1994 年に BTRON OS を発売しました。
教育用パソコン問題(NECの猛反対)を知らない
1987年、通産省は各パソコンメーカーに BTRON を採用したパソコンを作るように異例の通達を出し、未完成の BTRON パソコンを教育用パソコンに採用しようと画策しました。最終的にこの計画は失敗に終わりますが、失敗した大きな理由は当時、日本国内のパソコン市場で圧倒的なシェアを持つ PC-98 シリーズを作っていた NEC が強く反発したことです。当時の多くの日本国民が PC-98 シリーズ(または EPSON が販売していた PC-98 互換機)を使っていました。そのような中、通産省は PC-98 が選ばれないような計画を立てたのです。その計画には教育現場の教師などからも、現在使っているプログラムが使えなくなると反対意見が出ました。ほとんどの人は BTRON パソコンを望みませんでした。未完成で誰も使ったことがなかったからです。BTRON を望んでいたのは通産省と NEC 以外のパソコンメーカーぐらいでしょう。パソコンをすでに使っていた人の多くは、標準的なパソコンと互換性がない独自仕様のパソコンに興味がありませんでした。もちろん中には BTRON を望んだ人もいたでしょうが、発売された BTRON パソコンや BTRON OS の売れ行きを見れば少数派です。
通産省がそのような計画を立てた理由は、日本を席巻している米国の技術を恐れており、日本から米国の技術を排除しようとしていたからです。そこに日本の技術だけでコンピュータシステムの全てを作り直そうとする TRON プロジェクトが都合が良かったのです。NEC の PC-98 シリーズは、パソコンこそ国産ですが OS には Microsoft の MS-DOS を採用していました。通産省は MS-DOS が広く使われるのが嫌だったのでしょう。MS-DOS が採用できないようにあらゆる手を尽くしました。他のパソコンメーカーも MS-DOS を採用していたところもありましたが、NEC からシェアを奪えるならと BTRON 陣営に加わったようです。しかし BTRON 準拠の OS を開発していたのは松下電器のみでした。他のパソコンメーカーは様子見で教育用パソコンの試作機を納入する際は松下電器から OS を買っていました。
通産省と文部省の共管であるコンピュータ教育センター (CEC) は、導入する教育用パソコンの仕様を決めようとしますが、BTRON に反対していたのは NEC だけだったため、BTRON に有利な仕様へと傾いていきました。もし通産省の目論見が成功していたら、日本はガラケーならぬガラパソの時代が訪れていたかもしれません。NEC は教育用パソコンを BTRON にすることに反対し、最終的に教育用パソコンの仕様を満たすため MS-DOS と UNIX の両方が使える教育用パソコンの仕様も満たすパソコンを作りました。この話は「マイクロソフトの真実」と「松下電器の果し状」」の両方に書かれています。CEC は国内シェア一位の NEC が出してきた BTRON ではない教育用パソコンに頭を抱えました。
そうこうしているうちに米国から教育用パソコンを BTRON 限定するのは不公正な貿易政策であると指摘されてしまい、CEC は BTRON に統一するのを断念しました。その結果、松下電器以外は BTRON を作るのをやめました。元々 BTRON パソコンを本気で作っておらず、BTRON がうまく言ったら本気を出そうと思っていたような会社です。BTRON に統一されないのであれば、NEC に勝てるわけもなく BTRON を作るメリットはないと考えたのでしょう。
1984年に開発されたと勘違いしている(実際にOSが開発できたのは1990年代)
「Windows 95 の 10 年前に優れた OS が開発された」と勘違いしている人が一定数いるようですが、1984 年というのは TRON プロジェクトが開始された年です。ここから OS の開発が始まったので、1984 年時点で動く OS はありません。1984 年は「紙の OS の仕様書」のみが公表されました。
なお、BTRON パソコンの「実験機」ができたのが 1987 年です。一般販売された BTRON パソコン「1B/note」の発売日は 1991 年で、PC 互換機で動作する BTRON OS「1B/V1」の発売は 1994 年です。
無料のオープンソースと勘違いしている(実際のBTRON OSは2万〜7万円)
BTRON はオープンソースではありません。坂村氏が無料で誰でも使えると言ったことを勘違いしたのでしょうが、坂村氏が 1984 年に作ったと言っているものは「紙の OS の仕様書」 です。無料で誰でもダウンロードできて改造もできたとか言っているのを見みましたが、動く OS はないのでダウンロードもできませんし当然改造もできません。設計書(ソースコード)を書いて OS の開発をするのはパソコンメーカーの役目で、1984 年以降に OS の開発が始まりました。実際には松下電器のみが BTRON 仕様に準拠した OS の開発をしていました。
坂村氏が無料と言ったのは正確には「OS の仕様書を元に作った OS へのロイヤリティ」 です。ただし坂村氏は「著作権を放棄しない」と明確に言っています。当たり前ですが OS の仕様書には著作権があり、TRON の仕様書どおりに作れば著作権料をとらないと言っているだけです。もっとも著作権はアイデアは保護の対象とならず具体的な表現(実装)に発生するものなので、法律上は仕様書を元に OS を作っても著作権料を支払う必要は最初からなかったと思われます(特許は別の話)。実際に CP/M のシステムコールを真似た 86-DOS、UNIX を真似た Linux、Windows API を真似た WINE、Google対OracleのJava API訴訟 などがあります。MS-DOS の場合は、動く OS を開発したのは Microsoft なので話が違います。ちなみに世の中には勝手に作られた MS-DOS 互換の OS もあります。
BTRON 仕様に準拠した実際の OS は有料です。1994 年開発された PC 互換機で動く最初の BTRON 準拠の OS である 1B/V1 は 7 万円でした。その後にアプリケーションなしで 3万円で発売されました。その後継バージョンといえる OS が今でも2万円で売っています。ソースコードはもちろん配布されていません。なお B-Free という BTRON をオープンソースで実装しようとするプロジェクトはありましたが完成しませんでした(参考)。
BTRONがWindowsよりも先進的と勘違いしている(実際にはMS-DOSとの比較)
BTRON が先進的というのは「現在開発中の BTRONが MS-DOS よりも」という意味です。1980 年代において、1990 年代向けて開発中の BTRON が先進的という意味で、比較対象である当時の主流の OS は MS-DOS でした。MS-DOS ではキーボードから英文字の専門用語(コマンド)を入力してプログラムを実行する必要があり専門知識を必要としました。しかし BTRON の開発が完成したときは、すでにコマンドを入力しなくて良い Windows が販売されており大差がなくなっていました。未来に向けて先進的な OS を開発していたのは Microsoft も同じです。特に 1988 年に開発が始まった Windows NT 3.1 は完全なマルチタスクを実現する 32bit OS で 1993 年に発売されました。文字コードには 世界標準の Unicode を採用し、多くの国の文字を扱えるようにしながら他の OS との互換性も実現しています。完全なマルチタスクは Windows 以外を見れば UNIX などに前例があります。BTRON はさまざまな他の OS のアイデアを参考にして作られた、遅れて開発が始まった OS です。坂村氏の著書にも書いてありますが 1984 年に開発が始まった BTRON は次のような GUI を備えたパソコンを参考に開発されています。
- 1973 Xerox Alto(試作機、限られた顧客に限定販売 合計2000台)
- 1981 Xerox Star(発売)
- 1983 Apple Lisa(販売)
- 1984 Macintosh(販売)
- 1984 X Window System (UNIX)
1985 年に Windows 1.0 が発売されています。Windows 95 は GUI を備えた初のMicrosoft 製でOS ではありません。Windows 1.0 の GUI はウインドウを重ねることができないなど貧弱なものでしたが、1990 年に開発された Windows 3.0 は世界中でヒットしており、Microsoft の躍進のきっかけの一つとなりました。
BTRONがシェア争いで負けた理由は互換性がなかったから
BTRON が MS-DOS・Windows とシェア争いで闘って負けた一番の理由は、それまでの多くのソフトウェアが使えなかったからです。1980 年代、BTRON がまだ完成していなかった頃、NEC の PC-98 シリーズは「国民機」と呼ばれるほど普及していました。PC-98 シリーズには数千本のソフトウェアがありました。重要なのは数だけではありません。ワープロソフト「一太郎」や、表計算ソフト「Lotus 1-2-3」と言ったキラーアプリと呼ばれるソフトウェアもありました。また一部の会社は PC-98 で動作する独自の業務ソフト開発していましたし、現在でも生産設備や計測機器などを制御するために今でも PC-98 が稼働しているぐらいです。
Microsoft は 1993 年にビジネス向けに安定性の高い Windows NT 3.1 を開発して販売していました。しかし MS-DOS アプリの互換性がないため、ホーム向けには Windows 3.x や Windows 9x を開発していました。世界で広くヒットした Windows 3.0(1990年発売)や Windows 95(1995年発売)は、それまでの MS-DOS アプリの多くが動くように互換性が保たれていました。Windows 95 は世界中で大ヒットしましたが、いきなり発売して大ヒットしたわけではありません。すでに Windows 95 が動くパソコンを持っており、10 年以上に及ぶ MS-DOS の資産があったから大ヒットしたのです。ユーザーが使いたいのは OS ではなくアプリケーションです。今まで使えたアプリケーションが使えないのであれば乗り換えることはありません。BTRON は追加で購入する新たなパソコン(または OS)ですが BTRON を買ってまでやりたいことはなく、やりたいことは MS-DOS で十分でした。MS-DOS アプリはグラフィックもサウンドもゲームもネットワーク通信(パソコン通信)もできました。
一般に販売されたれた BTRON パソコンが最初に登場した 1991 年は BTRON のほうが OS としては優れているところもありましたが、OS のためだけにアプリケーションがほとんど無い BTRON パソコンを買う人はいません。BTRON パソコンのユーザーが少ないため、ソフトウェア開発会社も BTRON 用のソフトウェアを作りません。PC 互換機で動く BTRON 準拠の OS は 1994 年に発売されましたが、OS としては Windows 95 でほとんど追いつかれました。さらに Windows 95 は大量の MS-DOS アプリや、それまでの Windows アプリが使えるので、BTRON が勝負して勝つ要素は最初からありませんでした。唯一の望みは政府が教育用パソコンを BTRON 限定にしてくれれば、きっと卒業してからも BTRON パソコンを買ってくれるはずという、MS-DOS や Windows と勝負せずに勝とうとする、取らぬ狸の皮算用でした。
米国が日本の技術を恐れてスーパー301条の制裁候補にしたと勘違いしている
陰謀論を語っている(信じてる)人は、スーパー301条がなにかわかってないでしょ?
米国が恐れたのは、日本の技術ではなく、日本の教育パソコン市場に参入できないことです。米国は正々堂々と勝負しましょうと言っています。このことは TRON 協会自身が明らかにしています。
6 USTR 代表から協会抗議文への返書入手。
「米国政府はトロン協会の活動に対して反対するものではない。 しかしながら日本政府が実質的及び潜在的に市場介入することによって トロンを援助することに関心を持っている。 政府の命令によってではなく市場の力によって、 どのOS・マイクロプロセッサ及びコンピュータアーキテクチャが 成功するかが決定されるべき。 トロン以外の単一の OS が作動するコンピュータは、 (財)コンピュータ教育開発センター(CEC)の仕様に合わないし、 トロン以外の単一の OS が動く PC の試作機は (CEC) には採用されなかった。」
これは本当に重要なことなので繰り返しますが、
- 米国は BTRON の開発をやめろと言ったわけではない
- 米国は 教育用パソコンを BTRON 限定(になるような仕様)にするなと言った
坂村氏は「BTRON は誰でも作れる」と反論していますが、米国は BTRON を作りたくないと言っています。BTRON を作りたくないのは当然です。教育用パソコン市場に参入したければ BTRON を作れと要求することは、あなた達が今やっている研究開発は捨てろという意味になるからです。「政府の命令によってではなく市場の力によって、 どのOS・マイクロプロセッサ及びコンピュータアーキテクチャが 成功するかが決定されるべき。」とは、政府が BTRON に限定するのではなく、BTRON や MS-DOS (やその他)で競い合って、実際に使う人が選ぶべきという意味です。闘うことから逃げたらダメです。
最初に米国の技術を恐れたのは日本です。だから日本の教育用パソコンに「完成していない BTRON」が採用されるような仕様づくりをし、。それに反対したのが、すでに米国の技術で日本のパソコン市場を席巻していた NEC なわけです。スーパー301条の前に日本での教育パソコンのゴタゴタがありました。そうこうしているうちに、米国から、政府が教育用パソコンを BTRON に指定するのは「不公正な貿易政策」であると指摘されました。
米国がスーパー301条の制裁対象の候補に入れたとき、実際に何を気にしていたかは以下の原文を読めばわかります。そこに書いてあるとおり、米国はトロンの開発をやめろとは言っておらず、教育用パソコン市場の閉鎖性を問題にしています。
問題にしているのは「政府の介入」です。政府が介入したら健全な競争ではなくなるからです。教育用パソコンなんて各学校に自由に選ばせればよかったんですよ。日本のことなのだから日本の教育用パソコン市場から米国の技術を締め出しても良いじゃないかと思うかもしれませんが、逆の立場で考えると、米国が米国の教育用パソコン市場から日本の技術 (BTRON) を締め出すのと同じことです。教育用パソコン市場は大きく、無視できるようなものではありません。米国にとって譲れない闘いでした。
スーパー301条は、相手の国が開発している技術を恐れて、報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせて、そのプロジェクトから撤退するように圧力をかけるようなものではありません。「不公正な貿易政策」を特定して、市場を開放するように求めるものです。日本は米国の主張を受け入れて教育用パソコンを BTRON に統一することを断念したため、スーパー301条の制裁候補から外れました。断念した理由には、NEC が MS-DOS の採用を主張したために開発の遅れたことや、教育現場から既存のパソコンとの継承性を重視する立場から MS-DOS を採用すべきだとの声が高まっていたことも含まれています(下記の画像をクリック)。ただし統一することを断念しただけで BTRON パソコンの開発は続けられますし、BTRON ベースの教育用パソコンを作っても構いませんでした。実際に松下電器は BTRON ベースの教育用パソコンを作りました。正々堂々と勝負しようという話になった途端、BTRON 陣営が崩壊したのは日本側の問題でしかありません。
陰謀論が生まれた4つの原因
インターネット上のページや書き込みの多くには日付が記載されているため、いつの書き込みかがわかります。ここで便利なのが Google の日付の範囲を指定した検索と Internet Archive です。現在の Google 検索の結果は多いですが日付を指定すれば絞り込めます。また、Internet Archive は 1996 年からウェブページを保存し続けており、削除されたページや更新されたページでも、昔のページの姿を取り出して昔の情報を見たりリンクをたどれます。例えば 1996年11月20日 時点の Yahoo Japan はこのようにわかります。もちろんすべての情報が記録されているわけではありませんが、陰謀論がいつ頃出現したのかはだいたい把握できます。調査の結果、この陰謀論・デマは 2008 年頃に誕生し、2010 年頃から広まったことが判明しました。
1. NHKの番組「プロジェクトX」による歴史の改ざん
この番組が直接陰謀論を放送したわけではありませんが、2003 年に放送された NHK の番組「プロジェクトX ~挑戦者たち~ 家電革命 トロンの衝撃」では、TRON プロジェクトの歴史が改ざんと言っても良いレベルで修正されています。この番組は、NHK の会長自身が「ドキュメンタリーでは無く当時の記憶をネタにしたファンタジー(おとぎ話)なんだから」と言っているような番組です。この番組では TRON プロジェクトの ITRON と BTRON を区別せずに話を進め、パソコン用 BTRON の開発が失敗した後に、組み込み用 ITRON の開発で成功したかのように演出されています。実際には ITRON は最初からずっと開発されていました。
この番組で行なわれた改ざんの一部を紹介すると、教育用パソコンにどの OS を選択するかの話で「大手11社は皆トロンを希望」とまるで全てのメーカーが BTRON を希望したかのように演出されています。実際には、最大手の NEC が BTRON に反対しており「(最大手の NEC を除く)大手11社は皆トロンを希望」という意味でした。番組では教育用パソコンのゴタゴタが一切語られず、日本のメーカーすべてがトロンを希望したかのように演出されています。実際には NEC のトロン反対は最後まで続き、最終的に NEC は MS-DOS と UNIX を切り替えられる試作機を作り抵抗しました。トロンに反対したのは NEC だけではなく、現場の教師などもです。なぜなら一部の学校にはすでにパソコンが導入されており、すでに NEC の PC-98 シリーズ(の MS-DOSで)動作するプログラムの開発などが行なわれていたからです。そのような話を一切せずに、いきなり米国が立ちはだかったことにされました。
番組では米国がトロンを開発するなと迫ったかのように演出されていましたが、実際に米国が言ったことは、教育用パソコンを BTRON に限定するなと迫ったのです。日本は教育用パソコンの OS を BTRON に統一するのを断念しました。統一するのを断念しただけなので、BTRON の開発を続ける道もあったはずですが、多くのパソコンメーカーは BTRON の開発を断念しました。MS-DOS でもよいのであれば、過去のソフトウェアとの互換性がある NEC の PC-98 シリーズが選ばれるとみんな思っていたのでしょう。実際に当時の新聞を見れば、BTRON が期待されていなかったのは明らかです(以下の日経新聞の記事に「開発の遅れ」「教育現場からの反発」「現在主流の MS-DOS が優勢となった」などと書かれている)。
日本経済新聞(夕刊)1989年(平成元年)6月12日(月曜日)
そういった話は番組では一切語られません。番組全体の演出として、Microsoft のビル・ゲイツと戦う話となっており、米国の圧力で BTRON が潰されたことになっています。米国と Microsoft を敵視する歪められた歴史が日本航空123便の話と結びつけられ、米国がトロン開発をやめさせるためにトロン技術者が乗っていた日本航空123便をミサイルで撃ち落としたという陰謀論が生まれました。それを指示したのがビル・ゲイツであるという尾ひれまでついているものもあります。
2. 2008年に「一度に17人遭難松下電器グループ」がすり替えられた
松下電器のトロン技術者17人が亡くなったという話は、当時の新聞の見出しから来たものです。以下のサイトに当時の新聞の見出しがまとめられていました。
「日航123便墜落事件を忘れない」内の「日航機墜落事故 東京-大阪123便 新聞見出しに見る30年間の記録」の「新聞見出し 1985年 8月~12月」より
85年(昭和60年)8月14日(水)
【慰】 あの人も乗っていた 中埜阪神タイガース社長 浦上ハウス食品社長も 歌手坂本九さん 一度に17人遭難松下電器グループ 元五輪選手やヅカガールも 脳細胞研究第一人者の阪大教授 甲子園球児の父 (毎日)
毎日新聞の8月14日に「一度に17人遭難松下電器グループ」という見出しがあることに注目してください。他にも「17人」「松下電器」の2つの単語を含めた見出しをつけた雑誌などもあるようです。17人というのは松下電器グループの社員であって、トロン技術者ではありません。犠牲者のうち松下電器グループに関係する人は以下の17人のみです。
■「トロン開発者17人」ということにされた松下グループ関係者17人 | 搭乗理由 |
---|---|
【松下電器産業】(TRON 開発が行われていた「中央研究所」に所属する人は一人もいない) | ── |
システムエンジニアリング本部 企画担当部長(54才 男性) | 仕事 |
システムエンジニアリング本部 システム推進部長(56才 男性) | 〃 |
システムエンジニアリング本部 システム推進営業主担当(48才 男性) | 〃 |
ビデオ事業部 企画部 原価推進課長(45才 男性) | 仕事 |
ビデオ事業部 商品技術二部 商品一課長(44才 男性) | 〃 |
開発本部 製品開発推進センター副参事(41才 男性) | 仕事 |
エムエフ情報システム常務(52才 男性) | 仕事 |
ゼネラルオーディオ事業部 アクセサリー営業部長(43才 男性) | 仕事 |
ゼネラルオーディオ事業部 首都圏営業課係長(33才 男性) | 帰省 |
九州特機営業所 第二営業部 情報システム課(27才 男性) | 帰省 |
電化調理事業部 製造一課(19才 女性) | 旅行 |
電化調理事業部 製造二課(22才 女性) | 〃 |
電化調理事業部 製造二課(23才 女性) | 〃 |
【松下電器貿易】 | ── |
総合企画室長(52才 男性) | 仕事 |
東京支店 情報通信機器二部(29才 男性) | 帰省 |
【松下電工】(照明機器や健康家電などを扱う会社) | ── |
家電営業部 東京市場開発主管部長(50才 男性) | 帰省 |
家電営業部 営業開発課長(41才 男性) | 帰省 |
念の為ですが、「なぜこんなに松下電器の関係者がいるのだ? これこそが松下電器を狙っていた証拠!」などと言わないでくださいね。松下電器の本社は大阪ですから。123便は東京国際空港(羽田空港)発、大阪国際空港(伊丹空港)行、東京には支社がありますし遊ぶところもあります。1985年8月12日(月曜日)、お盆休みの期間ですから、出張、旅行、帰省で地元の会社の関係者が十数名搭乗することに何の不思議もありません。そもそも所属も搭乗理由も異なる17人が集まったことまで仕組まれたことだというのであれば、誰かがこの17人を集めたということになってしまうわけですが、超能力かなにかで操って集めたという話なのでしょうか?
さていろいろ探した所、このデマの発信源ではないかと思われるものを見つけました。それが「★阿修羅♪」の書き込みです。
123便 一度に17人遭難松下電器グループIT技術者。そして国産OSトロンはパソコンに乗らなかった。松下が社名変更
投稿者 愉快通快 日時 2008 年 1 月 14 日 01:54:14: aijn0aOFbw4jc
松下が社名をPANASONICに変更と報道されている。123便では松下グループのIT技術者17名が遭難している。トロン関連だが、これでパソコンにトロンが乗らなかった経緯がある。
一度に17人遭難松下電器グループ(1985年8月13日 毎日)
【URL省略】
等でも、優秀なトロンOSがパソコンに乗らなかったことが疑問視されているが日本が誇るOSを担う頭脳の一端が御巣鷹に消失したことを今一度思い起こしてほしい。
この書き込みでは「一度に17人遭難松下電器グループ」と新聞の見出しをそのまま引用しているにも関わらず、コメントの内容が「松下グループのIT技術者17名」にすり替えられており、ありもしないトロン関連に勝手に紐づけられています。これが最初の書き込みという証拠はありませんが、少なくともデマの発信源の一つになったと考えています。興味深いことに、この「愉快通快」というユーザーの 2007 年 12 月 11 日の書き込みのタイトルには「一度に17人遭難松下電器グループ」とだけ書かれておりトロンの話が登場しません。おそらく 2007年12月11日 ~ 2008年1月14日 の間に123便墜落事故とトロンを結びつけるアイデアを思いついたか、何かしらの書き込みを見つけたのでしょう。
一つ気になるのは、「1985年8月13日 毎日」と、先程の新聞見出しをまとめたサイトの「85年(昭和60年)8月14日(水)」とで日付が異なっていることです。図書館で当時の新聞を確認したのですが、おそらく地方版の見出しではないかと思われ、どちらが正しいか見つけられませんでした。新聞見出しをまとめたサイトのほうが正しいだろうと予想しているのですが、もしその予想が正しければ「一度に17人遭難松下電器グループ(1985年8月13日 毎日)」と書いてあるものは、間違った情報をコピーしたものと考えられます。
なお、日本航空123便が墜落した 1985年8月12日時点では、まだ BTRON の開発は始まっていないという意見もありましたが、おそらく開発は始まっていたと考えられます。根拠は以下の通りいくつかあります。
-
https://30th.tron.org/tp30-05.html
- 当時の松下は、まだ松下幸之助氏がご存命だったからか、決断は速く動きも素早かった。早川専務が決断してくださり、BTRONプロジェクトとして85年には開発が始まった。このときの現場のリーダであった真弓和昭氏も、また氏のスタッフの方々もやる気満々ですごい勢いで独自パソコンができあがっていく。
-
https://dspace.jaist.ac.jp/dspace/bitstream/10119/355/2/1690paper.pdf
- 1984.6 松下が BTRON 開発を決定、公表
- 1985.5 松下が関西中央研究所部内に情報システム研究所を設置し、200 人の 研究員投入し、BTRON 開発開始
- I/O アイ・オー 1985年01月号
- https://archive.org/details/Io19851/page/n349/mode/2up
- B-TRON の全貌は明らかにされていないが 84 年中には設計を終える予定
その他いろいろな情報を総合すると、1985年8月には開発が始まっていたと考えるのが妥当と思われます。だからこそ日本航空123便墜落時点のトロン開発者の所属は(関西)中央研究所でなければならないわけです。
3. 2008年に書かれた怪文書
陰謀論が生まれたもう一つのきっかけは次の怪文書です。この内容の修正版がいくつかのページに複製されていますが、その中で古くオリジナルに近いと思われるものがこちらです。このサイトが本当の発信源というわけではなく、おそらくどこか(2ちゃんねる?)に書き込まれた内容をコピーしたものでしょう。その根拠は記事の投稿日が2009.08.11なのに対して、内容に「2008年の現在は」と書かれている所です。
上を向いて歩こう!~日本航空123便墜落事故のお話~
2009.08.11 Tuesday | 22:49日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日午後6時56分、日本航空(当時)123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46が群馬県多野郡上野村の高天原山に墜落した事故である。
2008年の現在はどうか分からないが、この事故が起きた当時は日本の民間航空機を敵機と見なし、米軍の軍事演習が頻繁に行われていた。
亜米利加空軍戦闘機は、羽田や成田、伊丹から発着する旅客機をロックオン、演習用の模擬ミサイル弾を発射しまくっていた。(通常は被弾直前で逸れる)123便が「何か変な音がしたぞ」と最初の異変に気付き、折れた垂直尾翼が落ちていた海洋近辺で、その当時空軍戦闘機は演習を行っていた。
真偽は不明であるが、回収された123便の垂直尾翼に付着していた塗料は模擬ミサイル弾のそれと一致する…らしい。■事故発表を元にしたJAL123便飛行跡略図_Ver.1.2
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自衛隊の無線技師だった知人の祖父は、事故当時、北海道は根室にて亜米利加空軍の軍事演習のやり取りを処理しており、こんな無線を受けた。
「…あ、当たっちゃった」
いやいやビンゴ、狙い通りでしょ?
追記:尚、この便には、純国産コンピュータ・オペレーション・システム「トロン」開発プロジェクトの技術者17名が搭乗していた。
■TRONプロジェクト
http://ja.wikipedia.org/wiki/TRONプロジェクト2009年10月6日追記
■ja8119さんの「123memo」:イザ!
【URL省略】■(新) 日本の黒い霧
日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故の真相、その他の未解決事件、改竄された歴史について考える。
【URL省略】■日航ジャンボ123便 生存者は自衛隊員がアーミーナイフで殺害していた 愉快通快
【URL省略】■123便 メモ - 記事一覧 15件目~
【URL省略】
偶然だと思いますが、ここにも「愉快通快」の名前が出てきていますね。「阿修羅♪掲示板」って何も知らないのですが、そういう人の集まりかなにかなんでしょうか?
可能性としては「元の内容自体にトロンの話が含まれていた」「このサイトの人がトロンの話を付け加えた」の2つが考えられます。いかにも付け足した感じの文章なので、このサイトの人がトロンの話を付け加えた可能性も十分高いと思います。「オペレーティング・システム」ではなく「オペレーション・システム」となっているのが雑な所です。多くのサイトにこの内容の切り取り、前半部分の一部とトロンの話をくっつけたものがコピーされています。調べればわかりますがこのようなサイトです。
- 2010年02月10日 ななしのいいたい放題
- 2011年7月05日 ★阿修羅♪ > カルト8 > 338.html
- 2012年9月7日 銀河系宇宙人のブログ
- 2013年08月14日 世界の真実を探すブログ
この中で一番上のサイトが、参照の多さから、潜伏していた 2008 年の陰謀論を掘り起こしたように感じます。一部のサイトには、プロジェクトXの改ざんされた歴史を参照したような次の内容が追加されています。馬鹿馬鹿しいことにトロンをオープンソースで無償とか勘違いしています。最も大きなシェアを持つ NEC がトロンの採用に猛反対したことを知りません。だから上の方で指摘しておいたんです。
<実は20年前に日本に無償のOSが存在した>
無償OSというと耳新しいもののように感じるが、
実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃のこの日本に「トロン」というOSがあったのである。
「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSで
オープンソースであり無償なのであった。95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占したわけだが、
実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたのである。
それがWindows95の独占的な採用になったのは、
米国政府からの圧力だったのである。即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、
当時の日本政府が屈した結果だったのである。
プロジェクトXの改ざんされた歴史の話をしてるでしょう?
ね?だから改ざんされた歴史をそのまま放置しておいてはダメなんですよ。
4. インベスターZの4巻の歴史が改ざんされたトロンの話
漫画「インベスターZ」の4巻では 12ページほどにわたってトロンの話が登場します。この内容は、プロジェクトX の内容がベースとなっていると思われます。その理由は以下のとおりです。
- 最近はあまり使われない「基本ソフト」という用語を OS の別名だとわざわざ説明して使っている
- MS-DOS の話がなくいきなり Windows 95 の話がでてくる
- 140社以上の企業が集まったという話がでてくる(プロジェクトXではたちまち143社が集まったと紹介されるが、実際に143社あつまったのはプロジェクト開始から数年後)
- 教育用パソコンの話をするが、NEC や教師が反対したことに触れない
- OS を「パソコンの心臓部」と呼ぶ特徴的な言葉が出てくる(プロジェクトXでもでてくる)
このようにわずかのページ数の中で、プロジェクトXのことしか知らない人が勘違いしてそうな内容になっています。著者は「Windows 95 の 10 年前にトロンという画期的な無償の OS が開発されていた」と勘違しており、また日米貿易摩擦の話は少しズレた解釈をしています。
おそらくインベスターZはプロジェクトXの犠牲者です。番組を見て改ざんされた歴史を真に受けてしまったのでしょう。これを読んで「日本で開発されていたトロンという OS を米国が潰した」と勘違いした読者も多そうです。
まとめ
- 1985年から2008年までの間、トロンと結びつけるような話はありませんでした
- 2003年のプロジェクトXで BTRON が米国によって潰されたと歴史が改ざんされました
- 2008年 事故当時の新聞の見出しからトロンに結びつけられました
- 2008年 事故に関する怪文書がトロンに結びつけられました
- 2014年 インベスターZの4巻でプロジェクトXに基づくと思われる話がでました
3 と 4 の時系列は逆の可能性があります。どちらかがどちらかを見て、トロンへの結びつけを真似した可能性があります。
陰謀論の内容は、誰がどうみてもデマだろうと思う、馬鹿げたものです。しかし、その陰謀論に一定の説得力を与えてしまったプロジェクトXの歴史改ざんは、見捨てておけるものではありません。42分30秒の番組全体を通して、いたるところが視聴者のミスリードを誘うような構成になっています。その内容を更に悪化させるような内容をインベスターZが広めました。本格的に訂正する人が誰もいなかったため、現在も陰謀論が広まり続けています。
BTRON の話など、1990 年代で終わった話です。しかしこうやって度々思い出され、そのたびに間違った歴史に改ざんされています。本当の歴史も知らずに米国や Microsoft を悪者扱いするのは歪んだ愛国心です。捏造された歴史を放置した結果が現状です。間違った歴史からは何も学べません。次の世代のために、正しい歴史に戻す必要があります。