はじめに
1989年4月、国産 OS などと言われている TRON(トロン)は米国のスーパー301条の制裁対象の候補(全34項目)の一つに指定されました。これは事実です。ただし制裁対象の候補になっただけで制裁対象になったわけではありません。米国は 2 つの市場、「教育用パソコン」と「NTT の次世代デジタル通信ネットワーク」に米国の企業が(事実上)参入できないことを理由にしていました。日本に参入障壁があったのは事実で、米国はなにかを誤解していたわけではありません。
現在 TRON に関して多くのデマや陰謀論が広まっています。その原因の一つはスーパー301条の制裁候補に指定された本当の理由が正しく伝わっていないからです。Microsoft や米国が日本の TRON 開発を脅威に感じていたとか、TRON 開発を縮小させるために指定したというのは典型的なデマです。BTRON(パソコン用の TRON)は米国に潰されたのではなく、日本国内の事情でマーケティング的に失敗しました。
「スーパー301条の制裁対象の候補に指定される」とは、具体的には米国通商代表部 (USTR) が「外国貿易障壁報告書」で貿易障壁を報告したということです。外国貿易障壁報告書とは、貿易摩擦の原因を報告するものでなく、関税や「不公正な取引慣行」を含む貿易の障壁を報告するものです。米国は日本に TRON の開発を続けたら関税を引き上げるぞと圧力(外圧)をかけたわけではありません。また、TRON プロジェクトが外国企業を拒んでいたと米国が勘違いしていたわけでもありません(したがって「TRON プロジェクトには誰でも参加できる」は反論にならない)。実際になんと言ったかはこの記事に書いています。
ある人が「TRON パソコンが貿易摩擦の原因になるわけがない。なぜなら当時はまだ TRON パソコンは完成していなかったからだ。未完成の TRON パソコンがスーパー301条の制裁対象の候補に指定されたのは、米国が勘違いしているからだ」と言っていますが、それはある人のほうが勘違いしています。外国貿易障壁報告書は、TRON そのものを指定したのではなく、TRON に関連する事柄である 2 つの市場の閉鎖性を指定したのです。米国は TRON 開発に問題があるとは言っていないのです。続けられたはずの TRON (BTRON) 開発をやめたのは日本のパソコンメーカーです。BTRON 開発を続けていては儲からないと考えたのでしょう。
余談ですが、wikipedia の BTRON#通商問題 にはちょっとおもしろいことが書かれていて、
「半導体」「光ファイバー」「航空宇宙」「自動車部品」「流通システム」「商慣行(Marketing Practice Restrictions)」「大店法」のようにサブセクションを設けて列挙されたうちのひとつがTRONであった。他が基本的に分野を挙げているのに比べて、特定のシステムの名指しは異様である。
TRON について「特定のシステムの名指しは異様である」となっているのですが、実は TRON に関しても分野なんです。つまり TRON 分野である「教育用パソコン市場」と「NTT の次世代デジタル通信ネットワーク市場」について貿易の障壁があると書くために、このようなセクションになっているわけです。もっと良い書き方があったんじゃないかと思わなくもないですが、TRON そのものを名指ししているわけではないんですよ。
外国貿易障壁報告書を読みましょう
米国は TRON が貿易摩擦の原因になっていると勘違いしたんだとか、日本の TRON 技術を広めさせないように圧力をかけたんだとか、Microsoft がーとか、孫正義がーとか馬鹿なことを言ってないで、正しい理由を調べましょう。スーパー301条の制裁対象の候補に指定された理由を知る最も確実な方法は、外国貿易障壁報告書を読むことです。候補に指定される理由がわからないなら外国貿易障壁報告を読めばわかります。全文は以下で解説しています。
重要な部分を抜き出すと
第一に、日本の文部省 (MOE) は、日本の中等教育機関向けに 220 万台のパーソナルコンピュータを調達する計画を立てている。そのうちおよそ 70 万台が、1989 年に発表される予定の最初の調達において購入されることになっている。通産省 (MITI) と文部省の共同管轄のもと、特別グループ (CEC) がこの利益の大きい調達に対する技術仕様を作成したと見られている。この仕様は、新たに開発されたオペレーティングシステムソフトウェア (TRON) に有利となっている。
第二に、1989年1月、NTT は次世代デジタル通信ネットワークのアップグレードにおいて TRON アーキテクチャを必要とすることを発表した。NTT は 1988年11月に高速パケット多重化システムの共同開発を求める要請を出し、その中でシステム管理には TRON が使用されると述べている。
米国が TRON をスーパー301条の制裁対象の候補に指定した理由はこの2つです。
私が TRON についてまとめるまでは、外国貿易障壁報告書を参照している記事はあっても、引用している記事は見つかりませんでした。正しい情報が広まっていなかった証拠です。
ほらね、米国は TRON 開発の妨害なんかしてないでしょ?
理由はちゃんと外国貿易障壁報告書に書いてありましたね。もし米国が日本の TRON 開発を脅威に感じていたなら、日本に TRON 開発をやめるように通達したでしょう。米国は TRON の開発自体を問題にしていませんでした。このことは、トロン協会の過去のホームページの「トロン沿革」も書かれているので間違いありませんし、トロン協会も知っていることです。
1989年6月
USTR代表から協会抗議文への返書入手。
「米国政府はトロン協会の活動に対して反対するものではない。しかしながら日本政府が実質的及び潜在的に市場介入することによってトロンを援助することに関心を持っている。政府の命令によってではなく市場の力によって、どのOS・マイクロプロセッサ及びコンピュータアーキテクチャが成功するかが決定されるべき。トロン以外の単一のOSが作動するコンピュータは、(財)コンピュータ教育開発センター(CEC)の仕様に合わないし、トロン以外の単一のOSが動くPCの試作機は(CEC)には採用されなかった。」
米国が言っていることは、「政府の命令によってではなく市場の力によって、どのOS・マイクロプロセッサ及びコンピュータアーキテクチャが成功するかが決定されるべき」です。
米国は「教育用パソコン」と「NTT の次世代デジタル通信ネットワーク」の 2 つの市場を問題にしていましたが、多く話題になったのは、教育用パソコン市場です。NTT の次世代デジタル通信ネットワークに関しては、NTT が米国企業(以前からの協力会社)をプロジェクトに参加させることで問題は解決しました。詳細は以下の論文「TRONプロジェクトの標準化における成功・失敗要因」を参照してください。
1988 年から、TRON プロジェクトに米国の外圧がかかり始めるが、CTRON サブプロジェクトは、NTT と提携していた米 ATT とカナダのノーザンテレコム を CTRON プロジェクトに参加させた。それと同時に NTT の通信機器調達を CTRON に準拠した仕様による国際調達として、海外企業からも調達するよう にした。そのため、米国側の要求はほぼ通った形となり、CTRON は NTT の調達基準として使用されることとなった。
3.4.4 CTRON に対する米国の外圧 CTRON への外圧は、NTT の通信機器調達問題と密接に関係しており、これ は米国による通信機器の自由化への圧力だったといえるだろう。それに対して、 NTT を含めた日本側の対応は、CTRON プロジェクトに ATT とノーザンテレコムを参加させ、更には調達を自由化して国際調達とし、ノーザンテレコムを参 入させた。これによって、日本は米国側の要求をほぼ満たした事になり、NTT は CTRON を採用する事が出来た。
日本の教育現場の話なんだから、日本が勝手に決めてもいいだろ思うかもしれませんが、ここで重要なのは「政府の命令で決めた」という点です。また、日本から米国製品を締め出していいというのであれば、逆に米国も日本製品、つまり BTRON を締め出していいということになります。日本やり方を許せば、米国は同じやり方を使うでしょうし、そうなれば BTRON が世界(少なくとも米国)で普及する可能はなくなります。
TRON は 1989 年版に続いて 1990 年版の外国貿易障壁報告書でも指定されます。その理由は一年の間に市場開放が進んでいなかったからです。米国が脅威に思っていたから再度指定されたなどと説明しているところがありますが、1990 年版の外国貿易障壁報告書で指定された項目、全 35 項目中 32 項目は 1989 年版と同じです。1989 年の反論で米国が納得したから外れたのであれば、1990 年で同じ項目がこんなにも再指定されるはずがありませんよね? 1989 年で問題が解決されなかったから 1990 年でも再指定されたというだけです。1990 年版は理由に若干違いがあり BTRON よりも CTRON の方が問題視されています。外国貿易障壁報告書を読みましょう
教育用パソコン市場の「不公正な取引慣行」
この問題は、当時の通産省によって仕組まれたものです。通産省は米国の製品や技術が日本に蔓延することを嫌っており、不公正な取引慣行によって、米国を締め出そうとしました。たかが教育用パソコン市場と侮らないでください。日本は米国にとって重要な市場であり、教育用パソコン市場は当時のパソコン市場よりも大きな市場と見られていました。
具体的な行動したのは、通産省と文部省の共管であるコンピュータ教育センター (CEC) です。コンピュータ教育センターは教育用パソコンにパソコン用の TRON (BTRON) を指定しました。その指定に先駆けて、通産省は各パソコンメーカーに BTRON パソコンを開発するように異例の通達を出していました。
CEC は各パソコンメーカーと協力して、どのようなパソコンが BTRON にふさわしいか仕様を策定しますが、BTRON パソコンが選ばれるように教育用パソコンの仕様を作りました。この時点で BTRON パソコンは完成していないことに注意してください。誰も BTRON パソコンを使っていないのに、BTRON パソコンが選ばれるわけがありません。これは仕組まれた出来レースでした。この話はさまざまな書籍や当時の雑誌にかかれています。
当時(スーパー301条の制裁対象の候補に指定される前)の雑誌「I/O (アイ・オー)]では 2回にわたって次のような特集が組まれています。
- I/O 1987年12月号 (Internet Archive) - TRONが教育用標準OSに!
- I/O 1988年1月号 (Internet Archive) - TRONと教育用パソコンのあり方
補足(個人用メモ)I/O 40年分の目次 はこのページでまとめられています。PDF へのリンクが切れていますが、Internet Archive を併用すれば見れます。
CEC (というか通産省)のよる BTRON 押しは、当時 PC-98 で大きなシェアを獲得している NEC が猛反発しています。しかし、教育用パソコンプロジェクトに参加したパソコンメーカー全 12 社中 11 社は、NEC からシェアを奪うために対抗するために BTRON 陣営となりました。しかし、実際に BTRON を開発していたのは、初期の頃から開発を行っていた松下電器のみでした。他のパソコンメーカーは教育用パソコンがうまく行ったら BTRON 開発に本格参入していた可能性がありますが、ほとんど試作機を作ったのみで終わりました。BTRON OS は教育用パソコンの試作機を作ったときは、松下電器から使用ライセンスを買っていました。つまりは教育用パソコンで BTRON 陣営の 11 社のうち松下電器を除く 10 社は BTRON 開発に本気ではなかったのです。
NEC は MS-DOS と BTRON OS の両方が(スイッチ切り替えで)動く教育用パソコン試作機も作りましたが、これは NEC も BTRON OS 陣営に加わったと言う意味ではありません。むしろ逆で、本来なら OS は BTRON OS だけで十分のはずなのに、MS-DOS も動くようにしたということは、今までのパソコンと互換性のある MS-DOS を使えるようにしてシェアを奪われないようにしたということです。
ちなみに、「松下電器の果し状」や「マイクロソフトの真実」によると、NEC は MS-DOS と UNIX の両方が動く教育用パソコンの試作機も作ったようです。NEC は BTRON OS に最初から最後まで反対していました。
このように教育用パソコン市場には「不公正な取引慣行」がありました。米国がスーパー301条の制裁候補に指定したのはこのためです。
教育用パソコンの BTRON 標準化の崩壊
「教育用パソコン」(と「NTT の次世代デジタル通信ネットワーク」)の市場の閉鎖性により、TRON は米国がスーパー301条の制裁対象の候補に指定されました。
米国がスーパー301条の制裁対象の候補に指定したのは、孫氏が米国に訴えたからの可能性があります(あくまで可能性です。「孫正義 起業の若き獅子」参照)。ただし「マイクロソフトの真実」によると、Microsoft のビル・ゲイツや Apple のジョン・スカリーも行動を起こしており、孫氏がいなくても結果は同じだった可能性もあります。少なくとも NEC の猛反発(MS-DOS や UNIX が動作する教育用パソコンの開発)によって、PC-98 の牙城を崩すことはできなかったでしょう。
教育用パソコンが、スーパー301条の制裁対象の候補に指定されたことから、CEC は教育用パソコンを BTRON 限定にするのを断念しました。しかし、CEC はなにも BTRON ベースの教育用パソコン禁止したわけではありません。BTRON を開発していた松下電器は BTRON 開発から撤退し、BTRON 開発部隊は松下通信工業(教育関係の電子機器も開発していた)へと移りました。そして松下通信工業から BTRON OS「ETマスター」を搭載した教育用パソコンが発売されました(参照: 謎のBTRON ETマスター)。このように教育用パソコンを続けた会社もあるわけです。しかしその他のパソコンメーカーは BTRON 開発から撤退しました。
BTRON パソコンの普及が潰された理由は、米国がスーパー301条の制裁対象の候補に指定されたからと言われていますが、実際には間接的なものです。米国は BTRON 開発を禁止したわけではなく、教育用パソコン市場に米国製品のパソコンでも参入できるようにしろ、OS に MS-DOS、OS/2、UNIX のいずれかだけを採用したパソコンでも採用可能にしろと言っただけなのです。それなのになぜ各パソコンメーカーは BTRON 開発から撤退したのでしょうか? それは米国が言うように「政府の命令によってではなく市場の力によって、どのOS・マイクロプロセッサ及びコンピュータアーキテクチャが成功するかが決定されるべき。」に従った結果、市場の力で BTRON 開発から撤退したというだけのことです。つまり BTRON パソコンは売れないと考えたから撤退したということです。
さいごに
TRON (トロン)は米国のスーパー301条の制裁対象の候補に指定されました。これは外国貿易障壁報告書にかかれている通り、「教育用パソコン」と「NTT の次世代デジタル通信ネットワーク」の 2 つの市場に、米国の企業が参入できないような障壁があったからです。
米国は TRON の開発を禁止したわけではありません。障壁を取り除き、教育用パソコンに MS-DOS を採用した PC-98 でも良いとなった途端各パソコンメーカーが BTRON 開発から逃げ出したのは、各パソコンメーカーが決めたことであって米国の脅しで撤退したわけではありません。撤退しなかった松下通信工業が BTRON ベースの教育用パソコンを販売したのがその証拠です。そして BTRON ベースの OS である「超漢字」は今も 2 万円で売られています。BTRON OS が欲しいと思うならこれを買って使ってあげましょう。
PC 互換機で動く BTRON OS「1B/V1」は 1994年に発売されました(当初発売された完全版 7 万円、アプリなしの簡易版は 3 万円)。しかしすでに Windows 3.0 (1990) や Windows 3.1 (1992) の日本語版が発売されており、その裏で安定性が高い革新的な Windows NT も 1993 年に完成していました。1995 年には MS-DOS 用アプリが使える Windows 95 が発売されました(3万円、アップグレード版は 16,800円)。多くの日本国民にとって、BTRON OS が使えるようになった時点で BTRON OS を選ぶ理由はなくなっていました。