ホクソエムの魅力
匿名知的集団ホクソエムという名称は、圧倒的に格好イイ。
なにせ、「匿名」で「知的」な「集団」なのである。影一族みたいだ。きっと一人一人のホクソエムが特殊な生い立ちに根ざすホモ・サピを超えた技能を持っているに違いない。そう言えば我が青春のヒーロー、エラリィ・クイーンも中身は二人であった。
「匿名」であるため、例え「私がホクソエムです。I am Hoxo_m.」と自己申告するヒトがいたとしても、私のような非ホクソエム Non-Hoxo_m には、彼が本当にホクソエムなのか実はホクソエムではないのか判断がつかない。もちろん、逆もまた然りvice versaでありまして、「私はホクソエムではありません。I am not Hoxo_m.」と言っているヒトが、実は生まれつきホクソエムだったりする In fact, she/he is born in Hoxo_m。油断してはならない。かのウィリアム・シェイクスピアも、名著『ホクソエムは電気羊の夢を見るのか』*Do Hoxo_m Dream of Electric Sheep?*の中で、「ホクソエムか死ぬか、それが問題だ」Dead or Hoxo_m. It is the problemと書き残している。来年にはハリウッドで映画化されると巷で噂となっている。備えよう。
更に言えば、ホクソエムという言葉の持つある種のダークさというかアングラさというかキラキラしていない、どちらかというと今すぐ引きこもっちゃうぜという感じも大変に良い。言うまでもなく、本来、「彼は夜中に一人でこっそり押入れの奥でタオルケットに包まりながら、ほくそ笑んだ。うひうひふふふ」という使い方をする言葉である。「私たちは大草原に集まり太陽光がさんさんと降り注ぐ中で心を一つに皆んなで仲良く、ほくそ笑んだ。絆と希望とホクソエム☆Japan2017」とは決して言わない。この「個人」の心象風景であるホクソエムという言葉の枕に「集団」が来る矛盾は、見る者のココロをざわつかせる。勢い余ってもはや匿名ではなくなっているという行き当たりばったり感も大好きである。それどころか昨日は誰でもホクソエムになれるツールが発表された。実にAwesomeである。
何故、彼ら/彼女らはホクソエムのであろうか。
ホクソエまなければ死んでしまうのであろうか。きっとそうに違いない。
そんなHOXO-M Advent Calendarに、酔った勢いで登録してしまった。
なんだよ、HOXO-M Advent Calendarって。
しかし登録してしまったら書かねばならない。
人生、ままならぬモノである。
飲もう。
私とホクソエム
そもそも私とRのお付き合いは、解析系(理論系)に片足を突っ込んだ実験系研究者(片足を抜いたとも言える)になった頃からに遡る。「対照との差の検出」に命をかける実験系に染まりつつも、その過程で膨大な情報を捨てているのはモッタイナイなぁと常々思っていたら、データドリブン・サイエンスという都合のいい言葉が流行しだしたのでその波に乗って流れているユルフワ系である。
実験系データの解析技術は、ある意味でガラパゴス的というか、井戸(局所解)的である。
真っ暗な真水の井戸という環境は、温度も一定で周囲に天敵もおらず、実にぬくぬくと快適であった。そんな地下水性ミジンコが、大海に出ようと志したキッカケは伝承には記されていない。古事記にも書かれていないらしい。パラフォルムアルデヒドを左心室から灌流してから-20度で15um厚の凍結切片にして適切な抗体試薬を振りかけたうえで海馬を観察すれば見つかるかもしれないが、とりあえずまだやめて欲しい。
Tokyo.Rに参加して数回が経った頃、私が懇親会の片隅でピザを食っていると、側に立っていたやはりピザを頬張っているヒト(一見ごく普通のホモサピのオス成体)から「あ、先ほどのLT、面白かったですネ」と声を掛けられた。私は渾身のネタがウケたと心の中でほくそ笑んだ。ニヤリ。
で、あ、いえ、それほどではごにょごにょなどとヘドモドしていると、そのヒトはニコニコしながら「ポスドクっておっしゃってましたね。やっぱりR○KENの方ですか?」と言われて、ピザが胃から逆流しそうになった。もちろん彼の胃ではなくワタクシの胃の中身の話である。
いや、えーと、ワタシは、そのぅ、など。「あれ?違うんですか?やっぱりポスドク=RI○ENってイメージあるじゃないですか、あはは」とそのオッサンさんは、ニコヤカに笑われていた。ワタクシも「あはは、そうですよねぇ」と顔は笑っていたが、心の中は手に持ったままのピザのように冷えて固まっていた。時が降り、その一見普通のホモサピのオス成体が、実はまさしくHoxo_m氏であった事を知った。Surprisingly, he is the Hoxo_m. きっとご本人はご記憶されていらっしゃらないと思われるプチ大事件でした。
R業界には、元RI○ENポスドクで30代で企業に引き抜かれましたよにこにこ的猛者がウヨウヨしているという現実。ぽっと出のユルフワ系地下水性ミジンコが社会という大海でデータ☆サイエンティストとして生き延びていく事の厳しさを目の当たりにした、塩味の効いた思い出である。我が幼少期のヒーロー、モーリス・ルブランの言葉を借りれば「ホクソエムとの出会いは事故のようなものだった。しかし、それは幸運な事故だったのかも知れない」La rencontre avec Hoxo_m était comme un accident. Mais cela a peut-être été un accident chanceux。
こんだけ書いたからもう終わりでいいよな
こうしたポエム記事がQiitaのコミュニティガイドラインに沿っているのかどうか、書いているワタシにも、もはやよく分からない。しかしタグでpoem
が登録されているので、ひょっとしたらまぁ、お許しいただける可能性もある。
Hoxo_m n'est pas mon ombre, je suis l'ombre de Hoxo_m.
「ホクソエムが私の影なのではなく、私がホクソエムの影なのだ」
補章: Rラジオ
最近、ホクソエムのuriさんがラジオを始めた。
Rラジオ。また何と言うか、ググラビリティが低い名前だ。
これが大変に楽しい。
先日、ワタシも出演させていただいた。
出演するのも、大変に楽しい。
これからも頑張りたい。実に楽しみである。