制度の説明は米国(FDA)を前提としています。
対象読者:ヘルスケア領域に関心のあるAI研究者・エンジニア
AIとヘルスケアが交わる領域で研究を続け、KEIJI AI を立ち上げた私たちは、いま臨床試験で起きている変革にとても大きな期待を寄せています。臨床オペレーション分野で最大規模のカンファレンスである SCOPE Summit 2025 でも、AIがこの産業をどのように変えつつあるかが大きく取り上げられました。これは、多くの方がまだ意識したことのない、しかし最も有望なAIの応用分野の一つです。その理由を順にご説明します。
臨床試験は、最先端の生物医学の発見を、命を救う治療へとつなげるために欠かせません。一方で、とくにヘルスケア領域に入ってきたばかりのAI研究者からは、複雑な迷路のように見られがちです。しかし、この複雑さこそが大きなチャンスでもあります。試験デザインや患者リクルートから、承認申請、市販後のモニタリングに至るまで、AIはあらゆるステップを大幅に効率化し、高度化できます。AI研究者が同じAI研究者のために書いたこの連載では、臨床試験のプロセスをひもとき、AIが大きなインパクトを生み出せる具体的な入り口を紹介します。自然言語処理、生成AI、予測モデリング、コンピュータビジョン――どの分野に情熱を注いでいても、臨床試験はイノベーションの余地にあふれた領域です。あなたの専門性が、どのように試験を加速し、コストを下げ、患者さんの安全性を高め、画期的な治療をより早く患者さんに届けることにつながるのか、ぜひ読み進めてみてください。
臨床試験のワークフローとAIの可能性
臨床試験は、初期の研究から市販後のモニタリングまで、複数の段階を経て進みます。以下では主な段階を順に整理し、それぞれでAIがどのように効率化に貢献できるかを示します。
非臨床研究
ヒトでの試験の前に、新しい医薬品や医療機器は、実験室や動物での試験を通じて安全性と生物学的活性を評価されます。良好な非臨床試験の結果は、規制当局への IND(Investigational New Drug:治験薬の臨床試験開始の申請)を支える根拠となります。米国では、試験段階の医薬品をヒトに投与するために出荷・使用する際、FDA の許可を得るための IND が必要です。IND の資料には、非臨床データ、製造に関する情報、そして最初の試験プロトコルが含まれ、参加者に不合理なリスクがないことを確認します。IND が受理されると(あるいは約30日の待機期間中に FDA から保留がなければ)、臨床試験を開始できます。
試験計画と施設選定
IND が受理されると、スポンサーは臨床試験のプロトコル(目的、デザイン、方法、統計的考慮事項を詳しく定めたもの)を作成し、倫理審査の承認を得ます。そして、試験を実施する施設(病院・クリニック)と、適格な治験責任医師を選定します。施設選定では、対象となる患者さんの数、設備、過去の実績などが考慮されます。適格な参加者を登録するためのリクルート戦略(アウトリーチやデータベースの活用など)も準備されます。
AIの貢献: 機械学習は、過去の試験を分析することで、プロトコル設計(用量の選択や症例数の設定など)を支援できます。AIツールはリアルワールドデータを分析して、最適な施設の特定や患者リクルートにも役立ち、勘に頼る部分を減らします。たとえば、過去の施設実績をAIで分析すれば登録が順調に進む施設を予測でき、自然言語処理(NLP)で電子カルテを読み取れば適格な患者さんをより早く見つけられます。
第I相:安全性と用量
少人数(数十名)の被験者――多くの場合は健康成人――を対象とするヒトへの初回投与試験で、安全性、忍容性、薬物動態を評価します。第I相試験では用量を段階的に上げていき、安全な用量範囲を決め、副作用を特定します。第I相を通過する候補薬は約70%にとどまります。これらの試験は通常オープンラベルで行われ、専門の第I相ユニットで実施されることもあります。
AIの貢献: 第I相では、AIがウェアラブルセンサーや検査からのデータ取り込みを自動化し、リアルタイムの安全性モニタリングを実現できます。AIシステムがバイタルサインや検査値の異常を研究者に知らせることで迅速な対応が可能になり、従来の安全性モニタリングを補強します。
第II相:有効性と用量
対象疾患を持つより多くの患者さん(多くは100〜300名)を対象に、安全性のモニタリングを続けながら、有効性と最適な用量を評価します。第II相は、その薬がヒトで効くかどうかの最初のエビデンスを示し、用法・用量を絞り込みます。第II相を通過する候補薬は約3分の1にすぎません。
AIの貢献: AIのアルゴリズムは、サブグループのパターンマイニングによって反応の良い患者集団の特定を助け、入ってくるデータの品質管理にも役立ちます。NLP を使えば、来院記録からプロトコル逸脱を見つけてプロトコルの遵守を確保したり、患者報告アウトカムの評価を自動化して効率化したりできます。
第III相:検証試験
大規模な試験(数百〜数千名、多国籍の場合もある)で、標準治療やプラセボと比較して有効性と安全性を確定的に評価します。第III相試験は、承認申請に必要な包括的なデータを生み出します。治療上のベネフィットを確認し、よく見られる副作用を明らかにし、多様な集団からデータを収集します。第III相に進んだ薬のうち、成功するのはおよそ25〜30%です。
AIの貢献: 第III相の膨大なデータに対して、AIはリスクに基づくモニタリングを支援できます。たとえば、機械学習モデルが誤りや不正を示唆するデータの異常を浮かび上がらせ、人によるモニタリングを必要な箇所に集中させます。試験に医用画像が含まれる場合は、AIによるコンピュータビジョンを活用できます(たとえば、がんの試験で腫瘍のサイズを自動計測する)。これにより評価項目の判定の一貫性が保たれます。予測モデルで登録の推移や患者さんの脱落リスクを予測し、先回りして調整することで、試験を計画どおりに進めることもできます。
承認申請:NDA/BLA
第III相で安全性と有効性が示されると、スポンサーはすべての試験データと試験報告書を、新薬承認申請(NDA)または生物学的製剤承認申請(BLA)にまとめて FDA の審査を受けます(欧州でも同様に、EMA に販売承認申請〔MAA〕を提出します)。NDA には、製造、非臨床・臨床データ、提案する添付文書に関する膨大な資料が含まれます。規制当局は、ベネフィットがリスクを上回るか、製品の品質が高いかを審査します。
AIの貢献: AIツールは、試験データセットを申請用の形式に変換し、データ標準への準拠を確認することで、データ準備を加速できます。注目すべきは、規制当局が現在、申請データを CDISC 標準(試験データは SDTM、解析データセットは ADaM など)に従うよう求めている点です。これによりデータは機械可読になります。この標準化自体が「AI-ready」であり、審査官が提出データに自動解析を適用することを可能にしています。また、申請前に膨大な NDA の資料の誤りや不整合をAIで検出し、品質ゲートとして活用することも考えられます。
第IV相:市販後調査
承認後、薬は市場に出ますが、モニタリングは続きます。第IV相試験(およびその他の市販後調査)では、より幅広い患者集団における長期の安全性や、まれな副作用についてリアルワールドデータを収集します。新たな用途や対象集団を探る試験が行われることもあります。
AIの貢献: 第IV相では、電子カルテ、保険請求データ、患者レジストリなどのリアルワールドデータ(RWD)を分析するうえで、AIシステムが非常に大きな価値を発揮します。たとえば、医療データベースにある膨大なデータポイントをAIのアルゴリズムでふるい分ければ、まれな有害事象のシグナルを検出でき、さらなる調査のきっかけになります。こうしたAIによるファーマコビジランスは、従来の方法よりも早く安全性の問題を特定できます。規制当局やスポンサーもこうしたツールの活用を進めています。たとえば FDA の Sentinel Initiative は大規模な医療データのネットワークを活用しており、FDA はリアルワールドの安全性・有効性データを迅速に評価するために AI プラットフォーム(Aetion など)とも協力してきました。
ワークフロー全体にわたるAIの可能性
現代のAI技術は、試験の多くの段階を支援します。プロトコル設計では、さまざまなデザインのもとで試験結果をシミュレーションし、評価項目や組み入れ基準の最適化に役立てられます。患者リクルートでは、NLP と予測モデルが診療記録や公開データを解析し、人手によるスクリーニングよりはるかに速く患者さんと試験の基準を照合します。施設選定や試験モニタリングでは、機械学習によって、どの施設が良い成果を上げるか(多様な患者さんを登録できるか、データ入力の期限を守れるか)を予測し、追加の支援が必要な施設を知らせることができます。
AIによる分析は、アダプティブデザインの試験も可能にします。たとえば、事前に計画されたアダプティブデザインでは、アルゴリズムが入ってくる有効性データを継続的に分析し、試験の変更(劣っている治療群の中止や症例数の再計算など)を提案できます。最終的な判断は人が行いますが、AIはデータに基づく示唆を提供し、臨床試験のパイプラインを効率化します。その結果、試験期間の短縮とコストの削減が実現し、新しい治療をより早く患者さんに届けられる可能性があります。
次回は、臨床試験を支えるソフトウェアとベンダーを紹介します。
KEIJI AI Japan は、臨床研究のためのAIエージェント「TrialMind」を開発しています。
https://keiji.ai

