日本語ライティング
何を言っているんだと感じるかもしれませんが、社会に出て最初に学ぶべきことは圧倒的に日本語ライティングです。
次点でタッチタイピングです。
あれ?わたし日本語書いてない?
自分の胸に手を当てて、日常生活を振り返ってみましょう。
Lineで短いメッセージを送ったり、facebookでなんとなく思ってることを書いたりはするけれども、まとまった量の文章を書く機会って、少なくないでしょうか?
現代文の試験で 「文章を読んで作者の考えを述べよ」 という問題が出題されて 「そんなアカの他人の考えなんか分からねーよw」 という黒い感情を抱いた人は少なくないと思いますが、文章には記載のない前提知識や業務知識も要求されるような問題が、業務では普通に出題されます。
例えば外部設計という仕事では、生まれも育ちも違うお客様が書いた 100ページ以上もある要件定義書を読んで、意図を汲み取って整理し、数100ページ単位の外部設計書を書いて、お客様が思った通りの製品を開発するための設計を開発者に伝えなければいけません。
この業務は、文章を読み取る、整理する、理解する、文章を出力する以外の能力を必要としませんが、できる人がとても少ないです。
理由は簡単で、まとまった日本語の文章を書く訓練をしていないからできない のです。
良質な書籍がたくさん出ているけれども、それでもできる人が少ないのは、一朝一夕でできることではないということを裏付けていると思います。
自分の手に馴染んで無意識で良い文章を書ける様になるには反復練習が必要です。
社説要約でも何でもよいですが、 『意味の分からないアカの他人の文章を読んでまとめて誰かにレビューしてもらう』 という日本語ライティングの訓練を継続してみませんか?
(参考書籍)
使わない能力は衰える
人間には恐ろしい仕様があります。
使わない能力はじわじわと少しずつ衰えるという仕様です。
フォートナイト、APEXやストリートファイターなどのアクション性の高いゲームや何らかのスポーツをやっている方は経験があると思いますが、強さを維持するためには、訓練や実践を継続する必要です。
同様に、文章力を維持するためにも定期的なアウトプットが必要です。
気づかないくらい少しずつ衰えるという鬼畜仕様で、気づいた時には致命的な程に文章が書けなくなっていて、書くのが嫌になったりするので本当に注意が必要です。1
タイピング
多くの人が「必ずしも必要ではない」と提唱していますが、飛び抜けて何らかの技能を持っていないのであれば身につけておいた方がいい能力かと思います。
文章にしてもプログラムにしても試行錯誤できる回数が増えるからです。
試行錯誤の回数はそのまま得られる経験値やアウトプットの品質に直結しますので、何をするにも効率がよいです。
加えてタイピングが遅いと何をするのも億劫になります。
足が速ければ、サッカーもバスケットもある程度抵抗なく始められると思いますが、足が遅ければ、そもそも運動に興味を持てない可能性が上がることもあるでしょう。
敢えて習得をドロップする理由はないと思いますが、いかがでしょうか?
新人の多くの問題は日本語力で解決できる
報連相ができない
先日、結論から報告するのは難しいという記事を書きましたが、こちらの記事の報告側の問題の多くは 日本語ライティング能力 で解決できると考えています。
報告書を書くこと自体が速くなれば、報告の回数を増やす事や内容を見直すことに対する抵抗も減ると思います。
当然、闇雲に試行錯誤していてもカイゼンしませんので、前人の偉大な知識はググったり書籍を読んだりして拝借するのがよいでしょう。
(書籍)
質問がうまくできない
先輩が忙しそうにしている中、懸命にタイミングを伺って質問をしたら、以下のような指摘を受けてテンションが下がった経験はないでしょうか?
- 早く聞け
- 整理してから聞け
聞きにいくたびに逆のことを言うじゃないかと。
でもこれって、日本語ライティング力とタイピング力があれば、「早く整理して」聞けることになりませんか?
先輩が感情的に話す方の場合はそこは改善してもらった方がいいと思いますが、質問の元になった問題、その時の状況および質問の内容を分析して次回どうするかを考えてメモして早く整理して聞けるようになりましょう。
間違っても「あの先輩は毎回言うことが違う困った先輩」とカテゴライズして以後のコミュニケーションを取ることを断絶するのはやめましょう。お互いにとってマイナスです。
プログラムが汚い
プログラミングは 『日本語をコンピューターを動かすための言語に翻訳する』 作業です。
ですので、「論理的で分かりやすい日本語」を翻訳したコードであれば可読性は高いはずです。
最適で高速な賢いアルゴリズムを書こうとした場合は「コンピューター」が見て分かりやすいコードを書く必要があるので、「人が見て」汚いのは仕方がないですが、そういう前提はあるとしても 「なぜその様な実装がされているか分からないコード」 を見かけることは少なくないです。
「論理的で分かりやすい日本語」をベースに書かれていないコードは、コードレビューでの説明もできないと思います。
説明が苦手なのではなくて、説明ができない日本語をプログラム化したのだと思います。
何年プログラマとして経験を積んでも設計ができるようにならない人が一定数いるのは、このあたりに大きな要因があると感じています。
『論理的で分かりやすい日本語を翻訳したコード』を書くのは慣れるまでは時間がかかるかもしれませんが、長いエンジニア人生で見た場合、その様なコードを書いておかないとどこかでキャリアが頭打ちするリスクがあることは理解しておいた方がよいでしょう。
プログラムが書けない
こちらは残念ながら 日本語ライティング力では解決できません が問題の構造は同じです。
突然ですが英語を話したり書いたりできますか?
義務教育を受けていれば相当長い期間習っていると思いますが、できない方が大半だと思います。
『書いたり話したりしていないからできない』 のです。
同様に、会社でどんなに先輩が懇切丁寧に分かりやすく教えてくれても書けるようになりません。
会社は学校ではないので自分で時間を見つけてコソ練するしかありません。コソ練を継続するコツは楽しむことです。楽しくないことは続けられないですから。
※コソ練用の記事も寄稿していますので、よろしければご参照ください。
新人Web系職業プログラマーのための「丁度よいサイズの課題集」
まとめ
今回は、日本語ライティングの重要性を書きました。
文中の報連相や質問の問題は、新人固有の問題かと思われがちですが、どこまでもついて回ります。お客様への報連相や質問は新人の時のそれより遥かに難易度が高いです。
炎上したプロジェクトを鎮火させるのに必要なのは日本語です。
炎上させない様に合意形成を取るのも日本語です。
プロジェクトを円滑に運営するのにも日本語は必要です。
エンジニアとしてやっている限り、ひいては、日本で社会人をやっている限り必要な日本語ライティングを是非今日から始めてみてはいかがでしょうか。
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この記事も自分の練習のために書いていたりします。 ↩