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「晶子と啄木」平板な批評を超えるための自然言語処理と社会評価法

Last updated at Posted at 2019-08-03

国文学 解釈と鑑賞 1994年2月号 第59巻2号 753 特集 与謝野晶子の世界
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p.34
晶子と啄木 目良卓

「みだれ髪」は当時の若い文学者・文学青年達に多大の影響を与えた。啄木もその一人

与謝野晶子と石川啄木は、自分が十歳から十八歳までの間に影響を受けた文学者の唯二人。
これまで、与謝野晶子の短歌と石川啄木の詩は拝見しても、関係について調べたことはなかった。

自分が感じていたことが何かが分かった気がした。

p.35「啄木と晶子の差異」

p.38

啄木も晶子を個人的には慕いつつも、芸術的には晶子離れを促進していったのである。

どちらも、焦点が定まっていない。

根拠を示していない。

p.36 「啄木は明治四十一年七月十日の日記に「... 晶子女子の作は巧みであるが、まるで生気なし」記し」

これは、この時点での評価である。
離れて行ったわけではない。
お互いのその時点での興味が違うだけである。

離れるとは、何か共同作業をしていて、その共同作業を辞めて、違う方向性の共同作業を始めるような現象を指す。
草の夢 1922(大正11)年 日本評論社
p.95 「草の夢 風景の肉身化」で 佐伯裕子は、
p.97 「突然に旅行歌を多作するなど、同時代のリアリズム短歌への接近と動揺を見せる晶子は、アララギの調べや技巧の部分ではなく、表現の抑制の方にばかりこだわりを持っていったようだ。それは晶子の作り方には向かなかったと思う。」

すでに啄木がなくなって10年。

流星の道 1924(大正13)年
p.98 「流星の道 短い晩年意識」佐伯裕子
p.99 「「短命の予感される私」という自覚の在り方が、晶子を<晩年の長き>を思う苦痛から解き放った。もっと弓なりになって<晩年>と戦っていたらとおもわないではない。冷えびえと安堵に満ちた作風の退屈さには<死の匂い>も確かにまつわりついている。」

人としての活躍と、短歌の作品の方向性は必ずしも同一とは限らない。

短歌作品の文字面と、短歌以外の記録での発言をもって、うんぬん言うのは文学者の遊びでしかない。その時代に、その人が、どのように生きようとしていて、その言語表現が、散文と韻文にどのように分布し、そのことが、その人の価値をどのように高めたか、それが周りの人にどのように影響を与えたか、社会にどのような影響を与えたかを評価しないのは怠慢だろう。

そのためには、散文の言語処理による評価と、韻文の言語処理による評価と、社会事象の評価という、必ずしも直交するとは限らない三つの軸で横顔(profile)してみるとよいだろう。

散文の処理は機械学習によって精度があがっているが、韻文の評価はまだ進んでいない。
歴史的な社会事象の評価は、これからである。

文字鏡フォントによって、すべての古典が電子化できるようになった現在、文学者がやるべきことはたくさんある。文字鏡フォントによって、諸橋大漢和辞典の重複などが指摘されたように、従来の文学的定説は電子化によってかなり変化することが想定できる。これは、生物の分類が遺伝子解析によって細部はかなりの入れ替えが起こっていることとも相似である可能性がある。

学術上の雑音として無視されないような意味のある議論を文学も始める時期だろう。

#時代と速度
与謝野晶子 1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/与謝野晶子
1901 みだれ髪 鳳晶子

石川啄木 1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/石川啄木
1910 一握の砂

年齢が7歳離れており、出版が9年離れている。
世代の違いというほどではない。

なくなったのが石川啄木が早く、26歳である。
石川啄木が一握の砂を出した時、与謝野晶子はすでに31歳である。

##歴史

琉球処分  1879年 4月 4日
岐阜事件  1882年 4月 6日  板垣退助遭難
名古屋事件 1884年 8月    政府転覆未遂
東海道本線 1889年 7月1日   全通(新橋 - 神戸間)
大津事件 1891年 5月11日  ロシア帝国皇太子・ニコライ
ハワイ共和国1894年 7月4日
日清戦争  1894年 7月25日 - 1895年 4月17日
台湾統治  1895年 4月17日 - 1945年10月25日
足尾鉱毒事件1901年12月10日 田中正造直訴
日露戦争  1904年 2月 8日 - 1905年 9月5日
大逆事件  1910年 5月25日   幸徳秋水
韓国併合  1910年 8月29日 - 1945年 9月9日
中華民国 1912年 1月 1日 孫文@南京
関東大震災 1923年 9月1日11時58分32秒

#社会評価
##人口
社会を評価するには、マルサスの人口論を引用するまでもなく、人口分布・増減が基本である。
社会の構成要素が人だからである。人の定量的な値は、その時点での人口と年齢分布である。
##食料品生産量
エンゲル係数のように、人と密接にむすびつく、社会現象は、食料品の生産量である。
飢餓は人類にとって重要な事件であり、その原因である干ばつなどの自然現象も記録しておくとよい。

##食料品以外生産量

木器時代であれば木、石器時代であれば石、鉄器時代であれば鉄の生産量は重要である。
現代のように鉄器時代の終わりだと、木、石、鉄、以外に石油が大事かもしれない。

##貨幣価値流通

金本位制の場合には金、金本位制崩壊後は、貨幣流通量と速度などを測定する。

参考文献(reference)

青山語文第十号 『みだれ髪』の与えたもの, 新間進一, 1980
http://www.cl.aoyama.ac.jp/japanese/thesis/index.html#1

自己参照

IT分野から与謝野晶子を学ぶには

人生で影響を受けた本100冊。

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