何をポエムと呼ぶか、何をポエムと呼ばないかは個人の自由である。
仕様を自然言語で書くのやめませんか。「言葉にすれば」「嘘に染まる」水谷啓二・ダンシングオールナイト もんたよしのり
自然言語で意思疎通する限り、嘘に染まらずに、大事なことをすることはできないというのが経験則。
ポエムというのが、嘘であってもかまわない。
じゃ、「ポエムとは呼ばないで」というのが、誰が誰に対する伝言かを記録する。
主人公(第一者)
文章そのもの。
自分のことを、「ポエムとは呼ばないで」と言っているとする。
じゃ、主人公が誰なら、ポエムと呼んで欲しいと言っているか。
プログラムは詩のように描こう
ここでの定義では、プログラムのソースコードがついているものが、poemです。
プログラムは詩を創るように
programming like making a poem.
本論では、何をポエムと呼ばないでと言っているかは記述しない。
プログラムはpoemと呼んでという主張をしていることは明記する。
言葉にすれば、意志が通じるとは限らない。
立場の違いは言葉では超えられるとは限らない。
数学であれば、通じるということはないことや、
物理学であれば、通じるということはないことを目撃してきたような気がする。
初期条件を含む事前条件、制約条件、事後条件など、少しでも違えば、意味が違うことがある。
書き手(第二者)
書き手は、事後には読み手となる。ここでは、書き手を読み手に含めて、第二者とする。
計算機・機械学習(第三者)
第一者、第二者がいれば、第三者も決めておくといいかもしれない。
計算機の機械学習を第三者とする。
第一者、第二者が入力したプログラム、データも機械学習の処理に影響を与える。
純粋な第三者は存在することはありえないのかもしれない。
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