故事成語が、AI時代を見抜いてた件について
안녕하신게라!パナソニック コネクト株式会社クラウドソリューション部の加賀です。
先に警告しておきます。このポエム記事、前半は地に足のついた話ですが、中盤から妄想アクセルを踏み込み、いちばん遠いところでは「AIがお金を消した世界」みたいな SF じみた世界まで飛ばして、終盤にはちゃんと地上(現代)へ帰ってきます。そこから、全部ひっくり返します。
振り落とされないようしっかりとベルトを締め、眉に唾をつけつつ、一種の思考実験として読んでもらえたら嬉しいです。書き口はエンジニア向けですが、中身は職種を問いません。かなりの長文なので、お時間のあるときにどうぞ。
AI時代の「つよつよエンジニア」シリーズ
- 千里の道も0歩でGO。LLM Wiki時代に揺らぐ「つよつよエンジニア」道場
- 千里のAI馬は常に有れども、伯楽は人にしか無し。「つよつよエンジニア」が生きのこる3戦略とは(本記事)
- 千里の堤もAI蟻の一穴より崩れる。増幅される人間の善意と悪意
最初に結論から。
一日に千里を走る名馬(=優秀なAI)は、これからいくらでも現れ、進化する。
名馬を選び、走らせると決め、結果を引き受ける「伯楽」の役目は人に残る。
手綱を握り、目利きの先に見るは、如何なる景色か?
タイトルの「伯楽(はくらく)」とは、春秋時代に、馬の目利きにかけては右に出る者がいなかったと伝わる伝説の名人です。ひと目で、駄馬の群れに埋もれた名馬を拾い上げたといいます。後世に残る一節の通り1、名馬は世に常にいても、見抜く伯楽のほうは滅多に現れません。しかも伯楽が見るのは、脚の速さだけではない。荷を引く力、山道での粘り、気性の穏やかさ。馬の価値は多面的で、それを目的に照らして見極めるのが伯楽の腕です。
前回(本シリーズ第1回)の最後で、道場破りAIをどう乗りこなすのか、その手綱の握り方を掘り下げると予告しました。これからのエンジニアの価値も、自分が速く走ることではなく、どの AI をどこでどう走らせるかを見立てる「伯楽の目利き」の話から進めていきます。
「速く書ける」が、いちばん最初に安くなる
これまでエンジニアの価値は「自分がどれだけ速く、正確に走れるか」で測られてきました。スケールするコードを速く書ける人、難しい実装をセキュアにこなせる人が「つよつよエンジニア」だった2。ところが AI が馬を量産し始めると、話が変わります。誰でも千里の馬に乗れるようになれば、走力そのものは安くなる。
いわば、「つよつよエンジニア」のコモディティ化です。(悲しい。記事も書いたのに…)
希少になるのは、走る力ではありません。その馬が本当に使えるのかを見抜く目と、どの道でどう走らせるかを決める判断のほうです。問われるものが「自分が走れるか」から、「どこを目指し、どの馬を選び、どう走らせるか」へと移りつつあります。
名馬が一頭しかいない世界なら、目利きは要りません。その一頭に乗ればいいだけです。ところが馬が何百頭もいて、見た目では良し悪しが分からない世界になると、途端に「見抜く人」の値打ちが跳ね上がる。AI の量産は、皮肉にも人間の目利きの価値を押し上げます。
伯楽の3つの目
伯楽の目利きを、3つの目に分けて見ていきます。
伯楽の目1 「目的地」を知っている
伯楽の仕事は、突き詰めれば「目的に応じて最適な手段を選ぶこと」です。力のある馬も速い馬も、その先に「何を、どこへ、誰に運ぶのか」があって初めて選べます。行き先や目的が曖昧なら、どの馬が正解かも決まらない。良い馬ほど方角を誤ったときのダメージも大きい。しかも AI は道の走り方は教えてくれますし、行き先の候補だって並べてくれます。ただ、そのどれかを選んで背負うことはしません。間違った問いを渡せば、間違った答えに猪突猛進します。馬なのに。
だからこそ「いま解くべきはどれか」を選び、逆算して馬と道を決める。この順番が狂うと、手段があっという間に目的化します。
【ミニコラム】速い馬より、行き先を知っている御者
どれだけ速い馬を並べても、御者が行き先を知らなければ、隊列はただ速く迷走するだけです。走力が無限に供給される時代に希少なのは、「どこへ向かうべきか」を知っていること。価値ある目的地を定められる者だけが、名馬の速さを価値に変えられます。
伯楽の目2 「見抜く」 その馬の特徴を知っている
止まっている馬は、名馬も駄馬も見分けがつきません。伯楽は走らせる前に見抜く。AI も「正しそうに見える出力」と「本当に優秀な出力」は別物です。堂々と間違える答えの裏を取る力、得意と不得意を見切る力、そして「良い出力とは何か」の基準を自分の中に持つこと。この基準が土台で、ドメイン知識や設計経験がものを言うのはここです。
世の中もだいたい同じ気分のようで、Google Cloud の DORA チームが公開したState of AI-assisted Software Development 2025によると、回答した技術職の AI 利用は約9割に達した一方、AI 生成コードを「かなり」または「非常に」信頼すると答えた人は4分の1ほど。残りは中程度の信頼か、「ほとんど、または全く信頼しない」(約3割)に分かれます。皆で馬に乗りながら、多くの人が検証の必要性を感じている状態です。その感覚を勘のままにせず、言語化し確かめる手順に落とせるかどうかが分かれ目です。
しかも名馬とは、脚の速い馬のことだけではありません。荷を運ぶ馬、粘る馬、人を乗せても揺れない馬。速さも力も気性も全てを兼ね備えた完璧な一頭はまず居ない上に、居ても高額なので、目的や予算に応じて選び分ける。適材適所です。
AI も同じで、実行速度のほかに、いつも安定した品質を出せるか、変な入力で暴走しないか、セキュリティ上の穴3はないか、走らせるたびの費用は見合うか。見るべき軸は何本もあります。
「いちばん賢い AI」より「この仕事に噛み合う AI」を見極めるのが伯楽の目利きであると言えるでしょう。基準の無い人にはどの馬も同じに見えます。見抜く力は天性ではなく、積み上げた経験からくる基準の産物です。
伯楽の目3 「使い所」 名馬の一頭乗りは、もう卒業
行き先が決まり、乗せる馬を見抜けたら、最後は「どこで、どう走らせるか」の設計、いわゆるオーケストレーションです。どこまで AI に任せ、どこから人間が握るか。その線引きが価値になります。全部任せるのも、頑なに使わないのも設計不足。そして捨てたいのが「一頭に乗って自分が速く走る」イメージです。
これからの伯楽は厩舎全体を差配します。速いモデルに生成させ、その出力を別のモデルに検証させる。性格の違う役割を AI 同士で組み合わせ、速さと信頼性の両立を狙う。一頭の速さに賭けるより、組み合わせて目的を達します。
とはいえ、組めば上手く行くという単純な話でもありません。生成役の隣に検証役を据えた構成を得意げに組んだところ、似た系統の馬を並べたのもあり、二頭仲良く同じ勘違いを褒め合って太鼓判。高価な…トークンを…溶かしただけで…成果は!ゼロでした!
同じ系統のモデルは誤りの傾向まで似るので、モデル同士のレビューだけでは穴を塞げません。テストや型検査、静的解析、セキュリティスキャンといった、人の解釈に依らず機械的に判定できる検証と組み合わせて、はじめて検証役が機能します。
組み合わせを考える上でもう一つ気になるのが飼い葉代です。同じ成果を得るためのコストは、トークン単価の下落とモデルの効率化で下がってきました。もっとも、思考の過程にトークンを大量に使うモデルが主流になった分、1タスクあたりの請求額はさほど下がらない、なんなら上がることもある。そして私たちが払う金額と、その裏で使われた資源は単純には比例しません4。安く借りられたからといって、馬が飼い葉を食べずに走っているわけではない。私の財布から出たのはトークン代だけですが、その裏では電力や冷却の資源も使われていたわけです。お財布にも地球にも優しくなるような成果を出したいものです。(願望)
【ミニコラム】「使わない」という使い所
伯楽の判断には「この馬は今日は走らせない」も含まれます。AI にコストやリスクを評価させ、「今はやらない」と出力させる仕組みは作れます。ただし、何を許容して何を見送るかの基準を決め、その判断を承認し、結果を引き受けるのは人間や組織の側。危ない依頼を断るのも、多くは設計された囲いに触れた結果で、目的に照らした重みづけとは別物です。だからこそ、コスト的に踏みとどまる、技術的に可能でも選ばない、という「使わない使い所」を決められることが、人間側の核心的な役割になります。そしてその線引きは、財布だけでなく資源の線引きにもなります。
価値の下がるスキルと、上がるスキル
エンジニアが見極める対象は、AI の進化とともに動きます。予測は外れる前提ですが、区切って考えること自体が変化への耐性になります。
現時点でも、エージェントがコード変更・テスト・PR 作成まで自走し始めているのは、皆さんが肌で感じている通り。CI/CD と権限をつなげばデプロイまで自動化できますが、本番反映の前に人の承認を挟む運用が一般的です。この先、自律実装や複数エージェントの協調が進むほど、人間の役目は「何を作らせるか」と「責任を取る」ことへ絞られていきます。やがてコードは抽象化され、問われるのは馬の脚ではなく、どこを目指すかを決める目だけになる。
背中を押すのは AI の能力だけではありません。飼い葉代のくだりで触れたとおり、1件あたりの請求額はいま思考トークンに押し戻されていますが、長い目で見れば、同じ成果を得るコストは下がり続けます。安くなるほど、その作業自体で稼ぐ仕事から順に価値が下がる。逆に、いま高い飼い葉代に青くなっている使い方も、数年後には躊躇なく回せるようになることでしょう。
消えるスキルと残るスキルを並べると、価値の重心が「手を動かす作業」から「見抜き・使い分ける仕事」へ段階的に上がっていくのが分かります。起点は本記事を書いている2026年7月。数年後に答え合わせをしたいと思っています。
| フェーズ (2026年7月起点) |
価値が下がるスキル (自分で走る力) |
価値が上がるスキル (見抜き・使い分ける力) |
|---|---|---|
| 近未来、というか今 | 単体テストの記述作業、リファクタリング(機械的な整形)、レビューの一次対応、ライブラリの調査・比較作業(選ぶ判断は除く) | エージェント成果の検証、AI オーケストレーション、ドメイン知識 |
| 中期(数年のうち) | 定石どおりのアーキテクチャ設計、クラウドの手順 | 問題発見、問いの設計、ドメイン知識(比重の頂点) |
| 長期(その先、10年か、もっと早いか) | 実装言語の文法や作法、コードを読み書きする行為、ドメイン知識の保有そのもの | 倫理判断、価値の評価軸、責任引き受け |
注意:「価値が下がる」≠「無価値になる」です。
手を動かして走り込んだ経験は無駄とならず、後で手綱を握るための通り道となります。
テストを書く手が要らなくなっても、何を検証すべきかの設計は残ります。クラウドの手順を覚える必要が薄れても、費用や癖の勘所は馬を選ぶ物差しとして効き続けます。コードを読む手が要らなくなっても、検証そのものは消えません。行を追う検証から、振る舞いと結果で見る検証へ移るだけです。
第1回で書いた「アセンブリを書ける必要はないが、わかる必要は残る」と同じ話で、下の層を「わかる」人と「ブラックボックスのまま」の人では、問いの深さに差が出ます。
アーキテクチャ設計をあえて「定石どおり」と限ったのは、伯楽の目3で挙げたオーケストレーション、即ちどこまで任せてどこから握るかの線引きが、定石の外に残るからです。ライブラリも同じで、候補を並べて比べる作業は AI に寄っていく一方、依存先の癖やセキュリティ上の穴を疑う目のほうは下がりません。作業と判断は、同じ名前の仕事の中で別々に動きます。
ドメイン知識だけが3行にまたがっているのは、価値が山を描くと見ているからです。いまは AI の出力を検証する土台として効き、中期は問いを立てる材料として比重の頂点に来る。ただ長期には、業界の定石や規制の条文のように言葉になっている知識ほど、AI 側が抱えていきます。そのとき価値が残るのは、知識を持っていること自体ではなく、顧客の本音や現場の手触りのように、まだ誰も言語化していない情報を取りに行く動きのほうです。長期に残る倫理判断や評価軸も、その一次情報を材料にしてはじめて働きます。
早く安くなる「自分で走る力」に長居せず、「見抜き・使い分ける力」へ体重を移していく。そういうキャリア設計が要ります。下がるスキルを飛ばして上のスキルだけ身につく、という近道はたぶん無い。順番に通りつつ、長居しない、が肝です。
その「長居しない」の中身が、前回挙げた「輪郭を保つ」と「検算する」です。AI に投げる前に自分の答えを3行だけ書いて、出てきたものと突き合わせる。走る作業を明け渡しながらでも、見抜く基準を鍛える経験は積めます。
伯楽の目は、走った距離だけではなく、突き合わせた回数で育つのだと思います。
AI が逆立ちしても、届かない領分
見抜く・使い分けるという目利きには、AI が苦手であり続けるであろう領域があります。ここが「伯楽は人にしか無し」の中身です。
ひとつは、障害時に頭を下げ、原因と再発防止を説明し、直すと約束する「責任の主体」であること。いまの法制度は、AI システムそのものを責任主体として扱いません。事故が起きれば、開発者・提供者・導入した組織・運用者・使った人のどこに責任があるのかを、事案ごとに人の側で切り分けます。いずれにせよ「AI が言ったから」では誰も納得しないし、AI が下げる頭は誰にも見えません。(もし土下座するAIロボが来たら、ほぼ火に油になるのは火を見るより明らかでしょう)
最終責任者が人間だからこそ、見抜く目に本気が宿ります。
次に「何を作るべきか」を見つける問題発見。問いを立てられる者だけが、AI に走る道を渡せます。組織の力学や顧客の本音、業界の慣習といった、言葉になっていない情報を束ねて判断する越境力。誰かを傷つけるリスクを伴う決定や、命の選択となる要素に優先順位をつける倫理の判断。そして実機に触れ、ユーザの隣に座り、現地を歩く現場感。どれも「馬を見て、道を選ぶ」判断の質を支える、人間の資産です。
候補を並べるところまでは AI も手伝えますが、最後にどれを選び、その結果を引き受けるかという立場は代われません。
この節の弱点を自分で書いておきます。責任の話は現在の法制度の上に乗った主張なので、AI そのものに法的な責任主体性が認められる日が来れば、手綱の議論はまるごと組み替えです。他の領分も、原理的に無理だと証明したわけではなく、いまのところ人の側にある、という観察にすぎません。この先「人に残る」と書くものは全部この留保つきで、数年後の答え合わせでいちばん外れていそうなのも、ここだと思っています。
超未来でも「この先生きのこる」ための、3戦略
地に足のついた話は、いったんここまで。
警告どおり、ここから妄想アクセル全開で飛ばします。ベルトの確認、お済みですか?
さて、ここからは時間軸を思い切り未来に飛ばし、ひとつ SF じみた仮定を置きます。
この超未来では、AI が何もかもを作り、エネルギー問題も解決し、モノもサービスも無限に湧きます。お金やコストは、その意味を失っていきました。そんな超未来の世界で、最後まで価値として残るものは何か。
私は「ありがとう」だと想像しています。誰かの願いを生み、世に運び、受け取って感謝を返す。この「ありがとう」の循環こそが、超未来の通貨になる5。そんな仮定の世界です。
もちろん穴だらけの仮定です。エネルギーも土地も時間も有限なので、希少性がまるごと消えるとは思えない。おまけに感謝を数えられる形にした途端、点数稼ぎと相互監視が始まるのも目に見えています。イイネ疲れはかわいいもんです。しかも感謝は均等には配られません。集まる人にさらに集まるので、通貨と名付けた途端に格差社会の到来です。穴だらけなのは承知のうえで思考実験を続けてみます。
そんな飛躍した超未来の AI 時代、3つの生きのこり戦略を挙げ、その役割と、今日の小さな習慣から着想した「いまから鍛える一歩」をセットで紹介していきます。
戦略1 「プロデューサ」 願いを形に
何でも一瞬で作れる世界で「これがこうなるといいな」を生み出す側です。大それたビジョンでなくていい。「子育てでこれが大変だった」「通勤中(これは無くならない想定)にこういうのが欲しい」「この家事めんどくさい」という日々の小さな願いが、すべての起点になります。AI はデータから課題候補を並べることはできますが、当事者として不便を味わい「自分がこれを欲しい」と願うわけではありません。「あったらいいな」の一人称は、実際に暮らし、働き、不便に苛立つ人間の側から出てきます。その願いが、めぐりめぐって誰かの「ありがとう」に化ける。プロデューサは、その最初の一滴を垂らす人です。
しかも、その願いは合理的でなくていい。AI は与えられた目的に向けて最適を探します。学習した内容を組み合わせ、データにそのまま存在しない解決案を出してくることもあります。けれど人類の歴史を動かしてきたイノベーションの多くは、理屈で説明できない熱狂や、わがままな好奇心から生まれてきました。「効率は悪いけれど、どうしてもこれが美しいと思う」「何の役にも立たないけれど、これが見てみたい」。そんな、AI の計算式に入っていない衝動や愛着を差し込めることこそ、プロデューサの強みです。
向くのは、日常の「めんどくさい」「こうならいいのに」に敏感で、それを言葉にできる人。鍛えるなら、実現可能性は脇に置いて、小さな願いをメモに溜める癖を。落とし穴は、願いを溜めるだけで、誰かに届く形にできず終わることです。
戦略2 「コンシューマ」 返すのはありがとう
作られたものを受け取り、味わい、「ありがとう」を返す側です。ただ受け身の楽なスタンスなのかというとそうでもなく、意外と大変そうです。無数のプロデューサが似たようなサービスを毎日大量に吐き出す世界では、受け取る側にこそ目利きが要ります。どれが自分に合うのかを比べ、どこがどう違うのかを見抜き、「こっちはここが良い」と言葉にする。その評価が積もると、今度は「違いを教えてくれる人」として頼られ、気づけば評価そのものを生み出す側に回っている。受け取ることと、価値を見極めて伝えることは、地続きなのです。
AI も有用なレビューは書けますが、どれだけ賢くなっても腹は満たされないし、胸も震えません。「これは良い」「これは違う」と当事者として感じ、その差を自分の言葉で伝え、感謝を返すのは、生身の人間の側です。そしてその「ありがとう」こそが、プロデューサと、次に挙げる運び手の仕事に意味を与える終着点です。受け取る人がいなければ、どんな名馬も、ただ走っているだけになります。
向くのは、良し悪しを自分の感覚で判じ、その違いを言葉にできる人。鍛えるなら、AI が出した答えを鵜呑みにせず「他とどう違い、自分は本当に良いと思うか」を立ち止まって比べる癖を。落とし穴は、与えられるものを何も感じず受け流し、感謝も評価も返さない「ただ消費するだけ」の状態に留まることです。(ショート動画を流し見してる自分みたいで耳が痛い!)
戦略3 「ブローカ」 どの時代にも欠かせぬ、インフラのお仕事
プロデューサの願いを、それを必要とする人まで運ぶ側です。名前は Apache Kafka などメッセージングの Producer・Consumer に対する Broker から借りました。あいだに立って仲介し、届ける役です。行きは願いを世に届け、帰りは受け取った人の「ありがとう」や「ここが違う」を作り手へ持ち帰る。この往復があって、はじめて「ありがとう」がぐるりと循環します。無数の AI と社会のあいだに立ち、どこで走らせ、どこでは走らせないかを、法や慣習や人の感情とすり合わせて着地させる、運び手です。前半の「使わない使い所」で挙げた線引きを、社会の側と突き合わせて引き直す役でもあります。(なお実際の Kafka の Broker は、データを保存して配信する裏方であって、意味や感情を仲介するわけではありません。役割の並びだけを借りた比喩と思ってください。)
運ぶのは、モノや情報だけではありません。AI がすべてを最適化した超効率社会ほど、人と人が直接ことばを交わし、感情を震わせ、つながり(コミュニティ)を保つ営みは、放っておくと痩せ細っていきます。その細りかけた回路をつなぎ直すのも、あいだに立つ者の仕事です。効率では測れない「人と人の温度」を運ぶ、と言ってもいいでしょう。
向くのは、立場の違う人の間を行き来して落としどころを作れる人。鍛えるなら、「技術的に可能」と「社会的に許される」のギャップを意識し、反対する人の理屈を先回りする訓練を。落とし穴は、運ぶこと自体に追われて、誰に何を届けたいのかを見失うことです。
この3つ、どこかで見た形
気づいた人もいるかもしれません。この3つ、突飛な話に見えて、実は前半の「伯楽の3つの目」をそのまま超未来の設定に当てはめた姿です。
願いを生むプロデューサは、どこへ向かうかを定める「目的地」の目。
受け取って良し悪しを判じるコンシューマは、名馬を「見抜く」目。
世に届けるブローカは、どこでどう走らせるかを差配する「使い所」の目。
| 3戦略 | 伯楽の目 | 見極める対象 | 扱うものが変わっても残る問い |
|---|---|---|---|
| プロデューサ | 目的地 | どこへ向かうか(願い) | 誰の、どんな願いを起点にするか |
| コンシューマ | 見抜く | 名馬の良し悪し(価値) | 何が本当に良いと、自分は感じるか |
| ブローカ | 使い所 | どこでどう走らせるか(届け方) | 誰に、どう届けるか |
扱うものがコードからありがとう通貨に置き換わっても、問われている形はきれいに重なります。
ついでに言うと、この3つを職種の名前として読むと噛み合いません。今の肩書に当てればプロデューサは企画やPdM、ブローカは折衝も兼ねたインフラ屋あたり。コンシューマだけ肩書が浮かびにくいのですが、それもそのはずで、受け取って良し悪しを判じることを専業にした椅子は、いまのところ多くありません。評論家やインフルエンサーが近いといえば近いのですが、どちらも評価を積み上げた結果の姿で、はじまりはただの一利用者です。
肩書や職種で切ると噛み合わないのは、伯楽が使っていた3つの目と同じ軸だからです。ならば話は簡単です。この3つのどれかに軸足を置いて腕を磨いておけば、時代が何度変わっても立ち回れる。AI 時代も SF 世界もどんと来い!……と、先行きが明るく見えてきます。
タネあかし
超未来を覗いてみましたが、そろそろ帰りましょう。
こうして並べると、過去も今も未来も同じ形に見えてきます。
こうなると「自分はどれで生きのころう」「どれがより有望そうだろう」「複数できるとつよつよエンジニアなのか?」と、いろいろ品定めをしたくなってきます。有望株を探す気持ちが湧き、目がキラリと光だしてきた頃でしょうか。
ところが、です。
伯楽の3つの目も、その見立てを「作業」として切り出せる部分は、超未来で生きのこる3戦略ごと、いずれ AI 自身がこなすようになります。
今日、コード生成やレビューの一次対応を明け渡しつつあるのと、同じことが起きます。早いか遅いかの違いはあれど、順不同でいつの日にか起きていくだけです。「どの時代にも欠かせぬ」と書いたブローカも例外ではありません。
「これなら安全」という椅子は、たぶん残りません。
ただし、3戦略という枠組みごと消えるわけではありません。願いを生み、運び、受け取って返すという循環は残ります。AI 側へ移っていくのは、その循環の中の「作業」の部分です。だからこの3つは、腰を据えるための椅子ではなく、どこを明け渡してどこを握るかを見分けるための地図として使えます。
手段は、時代と共に移ろいます。諸行無常です。過去ポエムで自分が書いたことですが、よもやこんな形で返ってくるとは!
有望株を探せば探すほど、いちばん移ろいやすいものへと賭けていることになります。さっきキラリとさせた目は、実は私のものでもあります。誰だって安全地帯は確保したいものです。
そんなぁ、ペンペン草も残らないの? いいえ、ふたつ残ります。
ひとつは心。「欲しい」と願う心と、受け取って「ありがとう」と震える心。
企画も評価も仲介も、実務としてはいずれ AI がこなせるようになります。それでも、本気で欲しがる主体と、震えて感謝を返す主体にはなれません。作業は肩代わりできても、当事者として欲しがることも、感謝を実感することもない。言葉のうえで人間を真似てみせるだけです。(猫型配膳ロボットを撫でてる店内のお客様を見るに、ありがとうロボは伝える手段としてアリなのかも?)
もうひとつが「手綱」です。その一切を AI にやらせて、最後に「これでいく」と判断し、責任を負う立場。前半のフェーズ表で、長期に残るものとして「倫理判断、価値の評価軸、責任引き受け」を挙げました。
これは機能ではないので AI は代われません。名馬が何万頭湧こうと、手綱を握る者がいなければ厩の隅で朽ちるだけ。手綱を握るとは、馬を支配することではなく、その速さに意味を与えることなのです。
手綱は、立場ではなく判断のある場所に
前回、道場破りAI に「戦うのか、逃げるのか、取り込むのか、従属するのか」と問いを残しました。今回までの短い間にも名馬は日に日に増え続け、無視したまま速さで勝てる場面は減り続けています。ただ、ここでいう「取り込む」は全面的に使うことではありません。どこで使い、どこでは使わず、どこで人の承認を必須にするかを、自分たちで決めることです。
どの戦略を選ぶかという悠長な話ではなく、その線引きを自分で持つか、他人やアルゴリズムが引いた線に従うか。速さに意味を与える側に立つか、与えられるのを待つ側にとどまるかが、日々の仕事の中で問われています。
しかも「待つ側」は遠い未来ではなく、今日すでに横にいます。画面に出た指示のとおりに手を動かすだけで、自分の判断が入る余地のない仕事の進め方は、もはや珍しくありません。自分の手綱を、いつのまにか他人やアルゴリズムに握られていることもあるのです。役職の上下も関係ありません。上流にいても、上から降りてきた結論に判子を押すだけなら判断は明け渡しているし、現場で手を動かしながら握っている人もいる。その分かれ目は立場や役職ではなく、判断の主体がどちらなのかです。
3戦略を肩書や職種で切ると噛み合わない、と書いたのは、このためです。問われるのは、どの椅子に座るかではなく、循環の中に居ながらも手綱を握っていられるか。突き詰めれば3つとも「AI を働かせながら、手綱だけは手放さないための入口」に過ぎません。
この手綱さばきは、知識として渡せません。無数の馬を見て、自分で決めて、外して、引き受けた回数だけ手に馴染んでいく。走る経験がまるごと AI に移っている時代に、次の世代はどこでこの回数を稼ぐのか。第1回で挙げた「ジュニアの経験値稼ぎの場を残す」という論点は、先輩世代が引き受けるべき宿題です。
とはいえ、育てられる側も場が整うのを待たなくていい。AI が並べた案をそのまま通さず、自分で一つ選び、その理由を言葉にして誰かに晒す。外したら引き受ける。この小さな一巡なら、場が用意されていなくても自分で回せます。
【ミニコラム】手綱さばきを体で覚える場を、どう用意するか
AI に実装させたうえで「なぜその設計にしたのか」を若手に自分の言葉で語らせる。あるいはゲームデーの発想を育成に広げ、本番から隔離した検証環境で、合成データを使い、影響範囲・停止条件・復旧手順を事前に決めたうえで疑似障害を起こす。経験者が伴走しながら、検知から判断、復旧、振り返りまでを一巡させ、「どこで手綱を握り直すか」を体で覚えてもらう。大掛かりに聞こえるなら、規模の小さい訓練を定期的に回すだけでも十分です。ねらいは環境を壊すことではなく、失敗と回復を安全に経験できる場を用意することにあります。全員を伯楽に仕立てる必要もない。チームに何人、手綱を握れる人を置くのか。そういう配分で考えると、育成計画は立てやすくなります。
「経験を意図的に用意する」段取りが、先輩世代の新しい持ち場なのかもしれません。
ただ、手段を変えたとしても、目指す先ははっきりしています。「速く走れる人」ではなく「手綱を握れる人」。そこさえ外さなければ、必要な基礎は目的から逆算して積めます。基礎を飛ばしていい、という意味ではありません。なんなら、その先生役も AI という手段になってしまいそうですが。(本心では AI 時代も SF 世界も Don't 来い!と思っているのかもしれません。)
手綱さばきの練習メニュー
第1回の追加メニューに、今回分を3つ足します。
3戦略それぞれの「鍛えるなら」を、今日からできる形にしたものです。年次も立場も問いません。
-
【目的地】願いのメモを溜める
実現可能性は脇に置いて、「めんどくさい」「こうならいいのに」を書き留める。AI は当事者として困らないので、実感のある「困った」は自分の側からしか出てきません。ここは自分にしか溜められない在庫です。 -
【見抜く】AI の答えを、他と比べてから受け取る
出てきた答えを鵜呑みにせず、「他とどう違い、自分は本当に良いと思うのか」を一度だけ言葉にする。前回の「検算する」を、コードの正しさから価値の良し悪しまで広げる練習です。 -
【使い所】「やらない」を、自分で一度決める
技術的に可能でも、費用や納得感で見送る判断を意識してやってみる。手綱を握っている感覚は、たいていこの「やらない」を意図的に選んだときに掴めます。
ここまでが、手綱を握るための実務の話です。
ここからは、その手綱をどこへ向けるのかという話をさせてください。
目利きの先に見える景色は?
さて、伯楽は、そもそも誰のために名馬を探したのでしょうか。
伝わるところでは、伯楽はひとりで名馬を愛でていたのではありません。名馬を求める主君に仕え、その求めに応じて目を利かせました。
これは私の読み替えですが、名馬を見つけること自体がゴールではなく、「国を豊かにしたい」という主君の「志に応える手段」としての「目利き」だった、と捉えられます6。
手綱を握れるようになったら、もう一段だけ先があります。
というのも、SF 妄想で並べた3つの戦略は、裏返せばそのまま悪意の入り口にもなるからです。願いを生むプロデューサは、人を操り、抜け出せなくさせる願いも生み出せる。良し悪しを判じるコンシューマは、嘘のレビューで人を欺くこともできる。世に運ぶブローカは、その途中で価値をかすめ取り、都合よく歪めて伝えることもできる。同じ目利きでも使い方次第で、人を豊かにする方へも、食い物にする方へも働くのです。
しかも AI は、どちらへ向けた目利きだろうと桁違いに増幅します。世界を飛び交う「ありがとう」が増えるのか、被害者数と流れる涙の総量が増えるのか。どちらに転ぶかで、開く差もまた桁違いです。
目利きで選び出した名馬たちは、乗せる王を選べません。速く走れと言われれば、詐欺の片棒でも全力で走ってしまうことがあります。もっとも、これは使う人の意図だけで決まる話でもありません。モデルの設計、提供者の安全対策、つないだツールの権限、導入する組織の統制、そして使う人の操作が重なって、結果が決まります。主要なサービスには不正利用を抑える囲い(ガードレール)が設けられていますが、完全な防止を保証するものではなく、攻撃者や詐欺グループはジェイルブレイクと呼ばれる手口で囲いの綻びを日々探し回っていることでしょう。
ただ、志だけあっても馬は動きません。手綱を握れない王がいくら号令をかけても、名馬は厩から出てきません。逆に腕だけ磨いても、誰の何を富ませるのか分からないまま名馬を選び続けることになります。志なき手綱は速いだけの暴走を生み、手綱なき志は絵に描いた餅で終わる。どちらか片方では、名馬は何のために走るのかを失い、価値も運べないのです。
だから目指すのは、腕のいい伯楽であることと、自分の中に「王」を持つことの両方です。その両輪が揃ったとき、AI はどこまでも走る、最高の名馬になります。
おわりに
ここまで読んでいただきありがとうございます、最後に整理しておきます。
名馬(=優秀なAI)はいくらでも増え、見比べる「作業」も追いかけて AI 側へ移っていく。それでも、名馬を選び、走らせると決め、結果を引き受ける「伯楽」の役目は人に残る。そしてその腕は、どこへ走らせ何を為したいか「王の志」と揃ってはじめて、価値を運ぶ力になります。
目利きで選んだ名馬たちを走らせ、誰を、どんなふうに豊かにしたいのか。
この答えを出すのは AI ではなく、志を持つ人間の側です。
冒頭に置いた問い「目利きの先に見るは、如何なる景色か?」に答えるなら、見えるのは馬の速さではなく、その速さで誰を豊かにするのかという景色でした。AI 時代の「つよつよエンジニア」に問われているのは、その答えを自分で持てるかどうか。握る腕と、託す志の両方なのだと思います。
次回は「千里の堤もAI蟻の一穴より崩れる。増幅される人間の善意と悪意」。
名馬に罪はない。とはいえ AI は完全に中立な道具でもなく、設計や学習データ、与えた権限によっても振る舞いは変わります。
AI が桁違いに増幅してしまう「志」、その善意と悪意の根源はいったい何なのか。千里の堤に空いた蟻の一穴を覗きにいきます。
引き続き AI の進化や世間の動向を見つつ、ポエムを綴っていきたいと思います。
お断り
記事内容は個人の見解であり、所属組織の立場や戦略・意見を代表するものではありません。
あくまでエンジニアとしての経験や考えを発信していますので、ご了承ください。
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当然諸説あります。「千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」の一節は伯楽(孫陽)本人の言葉ではなく、1400年ほどあとの唐の韓愈が「馬説」(雑説・四)で綴った嘆きです。名馬を人材に見立てて、見抜く側がいないと嘆く話なので、AI に置き換えても妙にそのまま読めます。
ついでに言及すると、韓愈が嘆いたのは「見抜かれずに埋もれる馬」の側、即ち登用されない人材の哀しみです。本記事はその原意をひっくり返し、見られる側ではなく見る側に回って書いています。そこまで気づいた方は、脚注まで読んでしまう時点で同好の士です。 ↩ -
当然諸説あります。「つよつよエンジニア」像を言語化出来る方はLet'sコメント。 ↩
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当然諸説ありません。あってたまるか。セキュリティ軸は重要なので次回の主題です。 ↩
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当然諸説あります。単価はベンダが決める値なので、競争や先行投資の回収の都合も乗ります。同じトークン数でも、モデルや実行基盤によって消費される計算資源は変わります。規模の感覚として、国際エネルギー機関(IEA)のEnergy and AI によると典型的な AI 向けデータセンタ1施設の電力消費は一般世帯10万戸ぶんに相当し、いま建設中の最大級はその20倍規模とのこと。データセンタ全体の電力需要も2025年に17%増え、世界の電力需要の伸び(3%)を大きく上回りました。もっとも効率化も同時に進んでいて、IEA のKey Questions on Energy and AI(2026年)は、ソフトウェアとハードウェアの進歩によって、AI のタスク1件あたりのエネルギー消費が近年は年あたり少なくとも1桁(10分の1)のペースで下がってきた、としています。1件あたりが軽くなっているのに総量は増える。安くなったら余計に使ってしまう、飼い葉代の話とまるで同じ構図です。水の消費量は冷却方式や立地によって差が大きく、一律ではありません。将来世代にツケを回す話でもあるのですが、本筋から逸れるのでここまで。……と偉そうに書いておきながら、私も個人契約の環境で必要以上にトークンを使ってしまう月があります。自戒も込めて。 ↩
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当然諸説あります。感謝や評価を通貨のように扱う設定は、創作でも何度か描かれています。近い発想としては評価経済の議論や、ブラック・ミラーの「ランク社会(Nosedive)」、人の心理傾向を数値化して社会を運営する PSYCHO-PASS のシビュラシステムあたりが思い当たります。感謝や評価を数字にした社会が、だいたい碌な結末になっていない点も含めて。 ↩
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当然諸説あります。伯楽(孫陽)と秦の穆公のやり取りは、列子の説符篇にある九方皋の話が有名で、後継の目利きを穆公に推薦する逸話です。九方皋は連れてきた馬の毛色も牝牡も取り違えて穆公を呆れさせるのですが、馬の良し悪しだけは外していない。伯楽は「本質を見て、粗いところを忘れているからこそ本物だ」と評します。「いちばん賢い AI」ではなく「この仕事に噛み合う AI」を選ぶ話と、そのまま重なります。ちなみに穆公の「志」の話といえば、呂氏春秋の愛士篇、説苑の復恩篇にある、馬を食べてしまった野人を処刑せず逆に酒を与え、後の韓原の戦いで野人がその恩を返したというのがあります。漫画の方が有名かも、東周英雄伝の三百野人、キングダムの馬酒兵三百、他にもあったら読みたいのでコメントで教えてください。脚注だから誰も読んでないだろうと踏んで好き勝手書いています(笑) ↩