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この記事は株式会社ドットログによる
コンストラク体操日記 Advent Calendar 2025 の 22日目 の記事です。

はじめに

最近、自走力についてよく考えている。
後輩と一緒に開発をしている中で、自分の関わり方は本当に正しかったのか、そう考える機会が増えた。

自分はこれまで、「放任の方が自走力はつく」と思っていた。

やることを細かく縛らず、努力の方向だけ間違えないようにして、何かを達成する経験を積めば、自走力は勝手についてくる。ずっと、そう信じていた。

でも最近、それは逃げだったかもしれない、と思うようになった。

放任は本当に正解だったのか

あまり教えない、口を出さない。そうすると、結果は本人の責任になる。
一見すると、本人が考える機会になる・主体性が育つ・自走につながる、そんな気がしていた。

でも今振り返ると、「自分の責任じゃなくなる」という側面も、確実にあったと思う。
教えなかった結果、できなかったとしても、「本人の問題だよね」と言えてしまう。

正直、それは指導する側としてはすごく楽だ。今考えても、自走力をどう育てるかは難しいし、人による部分が大きいのも事実だと思う。

ただ、今回はそれじゃダメだったパターンだと思った。
自分も、自分以外のメンバーから見ても、「技術力は伸びているけど、自走はまだ弱いよね」という認識が揃っていた。
だから、この記事を書いている。

自走力とは何か

ここで一度、自分の考える自走力を整理しておきたい。
自分の考える自走力とは、自発的に行動できることだと思っている。

ただし、これは「常に正しい判断ができる」とか、「誰よりも早く動ける」といった話ではない。
もう少し噛み砕くと、自走力とは判断を自分の内側に置けている状態のことだと思っている。

正解かどうかは分からないけど、「これは今やった方がいいかもしれない」という判断が、自分の中から立ち上がっている状態。逆に言うと、自走力がない状態というのは、能力が足りないというより、判断を自分の外に置いてしまっている状態だと思っている。

誰かの指示、チケットに書いてあること、暗黙の了解や過去のやり方。
それらがないと動けない状態は、どれだけ忙しく手を動かしていても、自走しているとは言えない。

自走力がある人は、「これをやっていいのかな」と迷いながらも、一度自分で判断して、動いてみる。

その判断が正しかったかどうかは、後から修正すればいいし、間違っていたなら学びになる。

重要なのは、正解を見つけてから動くことではなく、分からない状態のままでも、自分なりに判断して、まず一歩動いてみようとするかどうかだと思っている。

今のところ、自分はそれを自走力と呼んでいる。

なぜ「教えないとダメかも」と思ったか

後輩を見ていて、「技術力はめちゃくちゃついたな」という実感は正直ある。
それは自分だけじゃなくて、他のメンバーから見ても同じ評価だった。

一方で、「自走力はまだ弱いよね」という意見も、自分以外の視点から出てきた。

正直、「いや、教えてもできないでしょ」と、他のメンバーも含めて結論づけたときもあった。
でもそれって、最初に書いた通り、逃げなんじゃないかと思った。

技術力は教えるのに、自走力は「本人次第」にしていなかったか。

じゃあ、自走力はどうやって教えるのか

ここは正直、まだ模索中だ。ただ、今考えているやり方はこんな感じ。

自分は要領がいいタイプでもないので、できるだけシンプルにすることを意識している。

1. 自走力とは何かを具体的に説明する

まずは「自走力って、こういう行動のことだよ」というのを言語化して共有する。曖昧なまま期待しない。

2. 次の一歩を本人に決めてもらう

ここが一番大事だと思っている。何をするかは、こちらから言わない

  • 何に違和感を持ったか
  • 何をやってみたいか
  • それは達成できそうか

を、本人に決めてもらう。

3. 一歩踏み出してもらい、達成を確認する

実際に動いてもらって、やったかどうか、達成感を得られたかを一緒に確認する。小さくていい。達成できた、という感覚が大事だと思っている。

4. 次の一歩へ

これを繰り返す。あくまで目的は「言われたからやった」ではなく、自分で動いて、達成感を得ること

懸念していること

正直、不安もある。

これで自分が完全に何も言わなくなったとき、補助輪(自転車のコマ)を外した瞬間に、本当に一人で進めるようになるのか。「言われてたからやってた」状態になってしまったら、意味がない。

技術力なら、理解したか、説明できるか、アウトプットできるかで、ある程度判断できる。でも自走力は、定量的に測りづらく、見ている人がいる時だけ発揮される可能性もある。完全に感覚の世界だ。

ここをどう判断するかは、自走力を教える上で一番難しいところだと思っている。正直、まだ答えは出ていない。この部分は、もっと考えたい。

36100.jpg

ワシリー・カンディンスキー《支え無し(Without Support)》(1923)
作品ページ(ポーラ美術館)

おわりに

自走力を「教えるもの」として考えたのは、最近になってからだ。
それまでは、「放っておけば身につく」と思っていた。

それが間違いだったのか、やり方が悪かったのかは、正直まだ分からない。
ただ、逃げずに向き合うことは、今の自分にできる一歩だと思っている。

この記事は、後輩のためでもあり、完全に自分のための記事でもある。
この考えが正しいかどうかは分からないけど、考え続けること自体は、たぶん間違っていない。

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