謎のアドベントカレンダー、第 7 話です。
本日から別の話になります。
180 人の会社にクラス C のネットワークが 1 つ
初回の記事で触れたとおり筆者の勤務先に社内 LAN が導入されたのは 1990 年代の中盤でした。
まだ Windows 95 も発売前で、RFC1918 の前身の RFC1597 が出たかどうかぐらいの時期だったようです。
(入社前の話なので詳しくは知りません)
入社時点ではクラスフルアドレッシング前提の機器は存在しなかったので事情がよく分からないのですが(RIPv1 を喋っているルーターは居ませんでしたし)、
- 社内 LAN 導入時の社員規模はおそらく 150 人前後
- 「(正社員)1 人 1 台のパソコンを配布・貸与」をすでに決めて実行していた
にもかかわらず、なぜか社内 LAN の IP アドレス空間は /24 が 1 つだけ 設定されていました。
そして、筆者が入社した時点で 180 人規模になっていました。
…人間以外の機器、例えばネットワーク機器やサーバー、プリンタ(当初はネットワークに接続されていませんでしたが)などの台数を考えると、すぐに足りなくなるのは分かりきっていました。
実際、筆者が入社した時点で足りていませんでした。
どう対処していたのか?(ワークアラウンド)
ずばり、手作業で DHCP プールを確認して、もう使われていなさそうなリースをひたすら削除していました。
というか、新人である筆者がその作業をやらされていました。
当時の情シスの上司は「プログラムで自動的に切れるようになるまで頑張れ」と言っていましたが、その日は結局やって来ませんでした。
筆者が新人ではなくもう少し仕事に慣れた状態だったら、DHCP サーバーを Windows に任せず Linux で立てることでリースの自動解放を実装したかもしれません。
おそらく、それをしていたら別の問題が生じ、後々困っていたことでしょう。
(フラグ?)
一方、グローバルアドレスは
同じようにクラス C が 1 つ丸ごと与えられていました。
ただし、実際に使っていたのはそのうちのごくわずかでした。
(この話は後日別記事で触れます)
今から考えるととんでもない話ですが、おそらく筆者の勤務先(の関連会社)がグローバルアドレスを取得したタイミングでは、まだクラスフルな割り当てをしていたのでしょうね。
その後、新事業で協業することになった某大手製造業の工場・オフィスでは、協業当時、末端のパソコン 1 台 1 台に対してグローバル IP アドレスが付与されていたのを覚えています。
太っ腹。
8 日目の記事に続きます。