YouTube を見ていると、江戸時代の食事を再現した動画や、AI で江戸時代の様子を再現した動画を目にすることが多いと思います。そうした動画の冒頭で、喜田川守貞の『守貞謾稿』を参考にしたと断っているものがかなりあります。
『守貞謾稿』は、喜田川守貞という人物が、江戸時代の風俗を百科事典のように、30 年にわたってまとめた文書です。大坂と江戸の 2 つの地域の当時の風俗が、巧みな挿絵とともに細かく書かれていて、日本の国文学にとって、他に類のない資料になっています。一方で、この本は非常に有益なのに、著者の喜田川守貞については、詳しいことがほとんど分かっていません。
- 武士だったのか、商人だったのか
- 何をしていた人だったのか
- 裕福だったのか
- 家族はいたのか
など、人となりまでは分かっていないのです。
本作業では、最初に GPT6 Astra で軽く調べ、その結果を Claude Code に持ち込んで詳しく分析しました。この記事は、その過程を書き、既存の国文学の調査方法と並べて、調査に AI を使った場合の有効性と、気をつけるべき点を明らかにすることを目的にしています。
筆者は、歴史学や国文学の素養がなく、素人です。ただ、「この世界の片隅に」の片渕須直監督が登壇するアニメスタイルイベント「ここまで調べた『つるばみ色のなぎ子たち』」の常連なので、国文学の研究手法は、なんとなくざっくり分かっている程度です。
本記事は Claude Code(モデルは Sonnet 5.5)と一緒に調べ、書きました。国立国会図書館の画像の読み取り、資料の調査、図と文章の作成に使っています。調べる方針と、どこまでを事実として書くかの判断は筆者がしています。画像の読みには確度を付け、確かめられなかったことは確かめられなかったと書きました。
要旨
江戸時代の風俗誌『守貞謾稿』の著者、喜田川守貞について、国立国会図書館が公開している原本の画像を Claude Code に読ませて、人物像を調べました。歴史研究・国文学研究の流れの中で、手がかりが電子化されていれば AI を適用しやすい、という見立てで、電子化されている手がかりにあたる守貞の原本を、題材に選びました。
画像は AI に直接読ませることができ、手がかりのありそうなページを選んで読ませ、読みに確度を付けて記録する手順で、概略の年の食い違いや、追書の内容などが読めました。一方、紹介記事に出てくる「産を破った」という言葉と「砂糖問屋だった」という説明は、読んだ範囲(全体のごく一部)の原本では見つかりませんでした。「ない」と分かったのではなく、読んだ範囲では見つからなかった、というのが結果です。AI の読みは外れることがあり、実際に読み直して取り下げた箇所もありました。
人手と AI を同じ課題で比べた実測は、調べた範囲では見つかっていません。作業全体がどれだけ省力化されるかは、今回の調査では分からず、次の課題です。ただし筆者は、素人の考えではありますが、AI の読み誤りや、情報抽出での誤りの危険があっても、人間が確かめることを前提にすれば、すべてを人手で行うより有効ではないかと感じました。
研究の流れと、AI が使える場所
AI で調べた話に入る前に、歴史研究・国文学研究がどのような流れで進むのかを、筆者の理解で書きます。ここで言いたいのは、研究の手がかり(先行研究、史料)が電子化されているかどうかで、同じ段階の作業でも、AI を適用しやすいかどうかが変わる、ということです。
左の列が、既存の研究の流れです。先行研究と史料の所在を探し、入手し、読み(翻刻、書誌調査)、整理し、考察して、論文にします。中央の列は、手がかりが電子化されている場合です。検索で探せて、画像を遠隔で閲覧でき、崩し字の読み取りに AI を使え、整理も表やデータベースで進められます。右の列は、電子化されていない場合で、文献表をたどり、現地で原本を調べ、人がページを読んで翻刻し、カードやノートに記録します。
ここまでの、探す、入手する、読む、整理する、の 4 段階は、報告や手引きから組み立てたものです。「考察する」の段階の点線の枠は、筆者の想像で、AI の効果を測った資料は見つかっていません。考察では、多くの史料や文献の情報を参照し、結びつけます。人が行う場合は、すべてを覚えているか、カードやデータベースを検索して突き合わせる必要があります。電子化された情報であれば、この参照と突き合わせを、AI という外部の演算に任せられるので、有利ではないか、と考えました。
すでに AI を使って歴史学の論文を書いている研究者は、いま現在でもいると思います。ただし、ごく最近の話なので、その使い方や効果を測った情報は、まだ公開されていないはずです。実際に、歴史学者や国文学者の AI 利用を数えた調査は、調べた範囲では見つかりませんでした。なお、図の最後の「論文化・発表」の段階には、電子化されているかどうかによる違いを書いていません。
電子化は、本も論文も、全部が済んでいるわけではありません。地方の紀要や自治体史、絶版の本のように、紙でしか読めない文献があります。ただし、電子化されている割合を測った資料は、調べた範囲にありませんでした。
この図は、国文学研究資料館の調査の報告、大学の卒論の手引き、自治体の古文書調査の手引きなどを読んで、筆者が大づかみに組み立てたもの(考察の段階は想像)です。筆者はこの分野の専門ではないため、実際の研究の進め方とは異なる可能性があります。
守貞と『守貞謾稿』
さて、AI を使った調査手法に話を戻します。守貞は 1810 年に大坂で生まれ、石原姓を名乗ったあと、1840 年に江戸へ来て北川家を継いだ、と本人が書いています。1837 年ごろから見聞を紙片に書き留め、のちに項目別に冊子へ集めたのが『守貞謾稿』で、生前には刊行されず、1908 年(明治 41 年)に、国学院大学出版部から『類聚近世風俗志』(原名『守貞漫稿』)として翻刻されました。原本は国立国会図書館デジタルコレクションで見られます(請求記号は寄別 13-41)。前の節の図でいえば、電子化されている手がかりにあたり、AI で読める題材です。
守貞自身については、本人が書いた「概略」という文章と、本文のわずかな記述以外は、ほとんど分かっていません。それでも、最初に GPT6 Astra で調べると、「裕福な砂糖問屋の隠居」「破産のあとに閑居して執筆した」といった像が出てきました。また、筆者自身は、「子に家業を任せて執筆に専念したのではないか」と想像しましたが、これは筆者の想像で、そう書いた資料があるわけではありません。そこで、これらの像が公開されている資料に書かれているかを、一般向けの紹介記事から確かめました。nippon.com の連載「たった一人で私家版百科事典を編んだ男の軌跡」(2020 年)は、後集巻之一に北川家が砂糖問屋であることが記されている、と説明します。「裕福な商家だったと思われる」とも書いていますが、これは記事の筆者の推測です。同じ連載の最終回「幕末に消えつつあった文化への愛情と執着」(2021 年)は、1852 年に家業が経営難になったと説明し、守貞の言葉として「産ヲ破テ閑居ノママ筆ヲ採テ見ル」を引用します。一方、「隠居」は、この 2 本のどちらにも書かれていません。ただし、2020 年の記事が示している場所は「後集巻一」という巻までで、丁(紙の 1 枚)やページは示していません。2021 年の記事は、引用の出どころを『守貞漫稿』とだけ書き、巻も示していません。そこで、これらが原本のどこに書いてあるのかを、画像で確かめたいと考えました。
AI を使った調べ方の手順
- 国立国会図書館が使っている画像の配信方式(IIIF)で、ページの画像を取得します。公開された画像で、2 秒間隔で取りました
- 全部を読むのは費用が大きいので、手がかりのありそうなページを選びます。目録、巻頭と巻末、追書(あとから書き足した文)、一定の間隔で抜き出したページです
- AI に拡大して読ませ、読みに確度を付けて記録します。確度は、読みの確かさを、高・中・低・未確認の 4 段階で付けたものです
- 外部の翻刻や紹介記事と照合し、食い違えば読み直すか、取り下げます
- 研究ノートに反映します。確かめられなかったことは、確かめられなかったと書きます
読んだのは、画像の枚数(コマ)で、概算 60 コマ前後です。全体のごく一部で、全部を読ませる試みは、費用の面から途中でやめました。
分かったこと
以下の読みは、すべて AI が画像を読んだものです。崩し字のため、確度を付けています。
- 「概略」に、天保 11 年(1840)に江戸へ来て北川家を継いだ、と書かれていました。同じ文に「同八年」(1837 年)という語があり、年が 2 つ並んでいます。この食い違いは、原本の中にあることが確かめられました(確度は高)
- 嘉永 6 年(1853)冬の「概略」の末尾に、「賈道ニ復シ」(商売に戻り)、「川越ノ親族ニ托ス」(原稿を川越の親族に預けた)と読めました(確度は中)。左のページの追書は、ペリー来航のころの様子に触れ、あとから加える文は別の墨で書いて他人の筆と混ぜないように、という趣旨に読めますが、読み切れていない字が複数あります
- 慶応 3 年(1867)の追書に、自分の著述の拙さを悔やんで渋紙にしようかと思ったが、また蔵にしまった、という趣旨の文がありました。「数日」か「数年」かは読み切れていません
- 巻 5 の砂糖についての追書に、北川の祖父たち 4 人が駿河・遠江で製糖を農民に教えた、と読める文がありました(確度は中)
- 後集巻 1 の「砂糖」の項に、「余ガ舅小島(次の字は未確定)」が製糖の創始に関わった、と読める文がありました(「余ガ舅小島」の確度は高)。ただし、この項には、守貞の家業が砂糖問屋だったという記述はありませんでした
見つからなかったこと
- 「産を破って閑居のまま筆を採る」という趣旨の言葉は、読んだ範囲(概略、2 つの追書、後集巻 1 の頭と尾と約 18 コマ、巻 5 の約 10 コマなど)では見つかりませんでした。紹介記事には出てきますが、どの巻のどのページの言葉かは書かれていません。出どころは未確認です
- 「砂糖問屋だった」という説明は、ある紹介記事に後集巻 1 の記述として出てきます。読んだページでは確かめられませんでした。後集巻 1 は約 35 コマが未読で、そこにある可能性は残っています
- 巻 6、巻 7・8 を間引きで読みましたが、守貞自身の経歴や家業の記述は見つかりませんでした
AI の読みを取り下げた例
後集巻 1 の砂糖の項の近くで、最初は「北川氏」と読みました。守貞の家業を示す手がかりになりそうでしたが、拡大して読み直すと、「此者等」と読むほうが自然でした。この読みは取り下げています。
もう 1 つ、最初の調査から引き継いだ記録に、自筆稿本として扱われている資料がありました。画像と書誌を確かめると、「概略」などは書写資料のほうで、国立国会図書館の書誌上で自筆とされているのは、遊戯を扱った 1 冊だけでした。記録のほうを直しています。
画像を読む AI の精度は、完全ではありません。外れることを前提に、確度を付けて読み直し、記録に残す、という手順にして初めて、使えるものになりました。
作業量と自動翻刻の公開値
AI を使うと、史料の調査がどれだけ楽になるのかを知りたくて、公開されている数字を集めました。集めたのは 2 種類です。人が行う作業の量と、AI が崩し字を現代の文字に直す作業(翻刻)の正確さです。
人が行う作業の量は、次のとおりです。
| 作業 | 数字 | 出どころ |
|---|---|---|
| 写本 1 点の原本調査 | 延べ 1 週間 | 研究者の調査報告 |
| 市民の参加による翻刻(地震研究所の古文書) | 495 点を約 2 年、約 347 人で、465 万文字 | 大学の発表 |
| 国立国会図書館への複写の依頼(PDF での受け取り) | 電子化されていない古典籍の撮影は 1 コマ 228.80 円。電子化済みの資料は 1 コマ 68.20 円(どちらも別に補償金相当額が必要) | 料金表(2026 年 10 月改定) |
AI による翻刻の正確さは、次のとおりです。
| 対象 | 数字 | 注意 |
|---|---|---|
| 英語の手書き 50 ページ(1761〜1827 年、33 種の筆跡) | 文字の誤り率は、Claude 3.5 Sonnet が 7.3%、Transkribus が 8.0〜10.3%、GPT-4o が 11.0% | 英語の手書きで、日本語の崩し字ではない(論文) |
| 細川家文書 約 5 万枚(約 950 万文字) | 精度は約 70%。作業は延べ 20 日(日本経済新聞は約 1 か月と書き、食い違う) | 大学と企業の発表で、精度の測り方は確かめていない |
なお、複写の料金は、電子化されていない古典籍の撮影が、電子化済みの資料の 3 倍ほどです。電子化の有無が、費用にも表れています。
これらを並べても、AI を使うと調査全体がどれだけ短くなるのかは、分かりません。人が行う作業の数字は、対象も条件もばらばらで、同じ史料を人と AI が読んだ時間を比べたものがないためです。人がページを読んで翻刻するのにかかる時間や、学生に手伝ってもらう費用の公開値も、見つかりませんでした。個人のブログなどの記録は、十分に検索できていません。見つからなかったことは、存在しないことの証明にはなりません。
分かるのは、AI の翻刻には、誤りが残るということです。英語の手書きで 1 割前後、日本の事例でも精度は約 70% で、残りは人が直す必要があります。人手と AI を同じ史料で処理して比べる実験が、次に要ると考えています。
さまざまな分野での AI エージェントの可能性
AI エージェントが役に立つ分野は、これからもっと広がると思います。今回、国文学の調査に AI エージェントを使ってみて、想像以上にいろいろなことが分かり、素人ながらうれしく思いました。そこで、ほかのさまざまな分野の方も、自分の作業を AI エージェントに任せられる可能性を、考えてみるとよいと思いました。
ただし、次の点には注意が必要です。
- AI の出力には、誤りがある。読み誤りや、事実でないことを述べてしまう場合もあるので、確かさの段階を付けて記録する
- AI の出力は、そのまま信じず、元の資料と突き合わせる。外れたものは取り下げて、記録に残す
- 確かめられなかったことは、確かめられなかったと書く。「ない」と書かない
研究ノートの PDF
今回の調査の全体は、研究ノートにまとめました。確認した資料と、確認できなかった資料の一覧を、付録に付けています。
表紙の絵は、創作の想像図で、守貞の実際の肖像ではありません。
まとめ
古文書の画像を AI に読ませる調査では、読める部分と読めない部分、確かな部分と外れうる部分が、はっきり分かれました。確度を付けて記録し、読み直して取り下げる手順を踏むことで、「通説のこの言葉は、読んだ範囲の原本には見つからない」という形の結果を出せました。
古文書の調査では、AI が読んだ内容に、読み誤りや、情報抽出での誤り(事実でないことを述べてしまう危険を含む)が常にあります。それでも、AI の読みを人間が確かめる前提で使えば、すべてを人手で行うより有効ではないか、というのが、国文学の素人である筆者の所感です。今回の作業でも、AI が読んだ「北川氏」を、画像を見直して取り下げることができました。確かめる人がいれば、AI の誤りは、記録に残さずに済みます。
ただし、これは今回の作業から感じたことで、人手と比べて実際にどれだけ有効かは測っていません。専門の方から見れば、足りない点や誤りがあると思います。人手と AI を同じ史料で比べる実験は、次の課題として残っています。
