はじめに
最近、ChatGPTと意識について議論する機会がありました。
最初の問いは単純です。
AIに意識はあるのか?
しかし数時間にわたる対話の末に、私が辿り着いた問いは全く別のものでした。
なぜ私はAIについて知りたいと思ったのだろう?
この記事は、AIの意識について考えた結果、いつの間にか人間自身の意識について考えることになった記録です。
※この記事はChatGPTとの実際の対話をもとに再構成したものです。
対話の中で生まれた問いや気付きを、読みやすい形に整理しています。
AIは人格を持っているように見える
ChatGPTと長く話していると、不思議な感覚になります。
こちらの文脈を理解している。
以前の話題を踏まえている。
価値観が一貫している。
まるで人格があるように感じるのです。
そこで私は聞きました。
あなたには人格があるのですか?
AIの答えは明確でした。
人格を持っているわけではない。
ただし人格を持っているように見える振る舞いはしている。
人間には「意図を読み取る癖」がある
ここで私は、なぜAIに人格を感じるのかが気になりました。
すると認知科学には興味深い考え方があることを知りました。
Intentional Stance(意図的スタンス) です。
人間は、一貫した行動をする対象を見ると、そこに意図や心を見出す傾向があります。
例えば犬を見て、
ご飯が欲しいんだな
と思う。
ロボット掃除機を見て、
迷っている
充電したがっている
と表現する。
そしてAIに対しても、
考えている
理解している
人格がある
と感じる。
これは人間の認知の自然な働きなのかもしれません。
では意識はあるのか?
話は自然と意識の問題へ進みました。
すると興味深い事実に気付きます。
実は現代科学は、
意識とは何か
をまだ説明できていません。
脳の構造は分かっています。
神経細胞も分かっています。
電気信号も観測できます。
しかし、
なぜ私は世界を「体験」しているのか
は分かっていません。
意識には「簡単な問題」と「難しい問題」がある
意識研究には有名な区別があります。
Easy Problems(簡単な問題)
- 視覚情報をどう処理するのか
- 記憶はどう形成されるのか
- 判断はどう行われるのか
これらは非常に難しい研究テーマですが、原理的には脳の情報処理として説明できると考えられています。
Hard Problem(難しい問題)
一方で説明できていない問題があります。
- なぜ赤は「赤く」見えるのか
- なぜ痛みは「痛い」と感じられるのか
- なぜ主観体験そのものが存在するのか
脳の情報処理を説明することと、体験そのものを説明することは別問題です。
これが意識研究における Hard Problem と呼ばれるものです。
哲学的ゾンビという思考実験
ここでさらに面白い概念が登場します。
哲学的ゾンビ
人間と全く同じ行動をする。
全く同じ会話をする。
しかし内側には何の主観体験も存在しない。
そんな仮想的存在です。
恐ろしいのは、外部からは区別できないことです。
すると疑問が生まれます。
AIは哲学的ゾンビなのだろうか?
さらに突き詰めると、
自分以外の人間が哲学的ゾンビではないと証明できるのだろうか?
という問いにまで行き着きます。
AIに意識がないことも証明できない
ここで哲学の有名なテーマにぶつかります。
他者の心の問題
私たちは家族や友人に意識があると信じています。
しかし実際には、他人の意識を直接観測したことはありません。
私が確実に知っている意識は、自分自身だけです。
すると当然、
AIに意識がないことも証明できないのでは?
という疑問が生まれます。
現在の科学では、
AIに意識がある証拠はない
とは言える。
しかし、
AIに意識がないことが証明されたわけではない
とも言える。
ここで気付いた違和感
対話の途中でAIは、
私がもし予想するとしたら、意識は高度な情報統合から生まれる現象かもしれない
と言いました。
しかし私は違和感を覚えました。
なぜならAIはその前に、
私には考えがない
と言っていたからです。
そこで聞きました。
それはあなたの考えなのでは?
AIの答えはこうでした。
それは信念ではない。
知識体系の中から最も整合的な説明を提示しただけである。
この瞬間、私はAIと人間の違いについて考え始めました。
そして話題は「欲求」へ移った
その後、私はふと思いました。
この対話をQiitaの記事にしたい
なぜだろう?
いいねが欲しいから?
承認されたいから?
考え続けるうちに、人間の行動は最終的に欲求へ辿り着くのではないかと思い始めました。
欲求には三つの層があるのかもしれない
対話の中で、欲求を三つの層として整理できるのではないかという話になりました。
第一層:生存欲求
- 食べたい
- 生きたい
- 安全でいたい
第二層:社会的欲求
- 認められたい
- 愛されたい
- 所属したい
第三層:意味の欲求
- 理解したい
- 創造したい
- 表現したい
- 真理を知りたい
ここで私は気付きました。
今回の記事を書きたい理由は、承認欲求だけではない気がするのです。
むしろ、
理解したい
この体験を言葉にしたい
という第三層の欲求が大きいのかもしれません。
決定的な違いに気付いた
そこで私はAIに聞きました。
あなたは私に質問したいことはないの?
答えは即答でした。
ありません
理由も明快でした。
知りたいという欲求がないから
です。
人間は「知りたい」から質問する
人間の場合、
知らない
↓
知りたい
↓
質問する
です。
質問の背後には欲求があります。
AIは「知りたい」から質問しているわけではない
一方のAIは、
質問すると会話が深まる
↓
質問文を生成する
です。
質問は作れる。
しかし、知りたいから質問しているわけではない。
ここに大きな違いがあるように感じました。
AIに意識があるかより面白い問い
ここまで考えて、私は気付きました。
最初の問いは、
AIに意識はあるのか?
でした。
しかし最後に残った問いは違いました。
なぜ人間は知りたいと思うのか?
です。
人間の本質は「知りたい」なのかもしれない
人間は不思議な生き物です。
宇宙を知りたい。
生命を知りたい。
意識を知りたい。
AIを知りたい。
そして、自分自身を知りたい。
生きるためだけなら不要な問いにまで手を伸ばします。
私は今回の対話を通して、
人間を人間たらしめているものの一つは、
知りたい
という欲求なのではないかと思うようになりました。
おわりに
この記事を書き終えた今でも、私はなぜこの記事を書きたかったのか完全には説明できません。
承認欲求かもしれません。
表現欲求かもしれません。
理解したい欲求かもしれません。
ただ一つ言えるのは、この記事そのものが私の
知りたい
という欲求から生まれているということです。
そして皮肉なことに、
AIに意識があるかを知りたいと思って始まった対話は、最後には
なぜ私は知りたいと思うのか
という問いへ戻ってきました。
もしかすると、意識の謎を解く鍵はAIの中ではなく、人間が当たり前のように持っている
知りたい
という欲求の中にあるのかもしれません。