『なぜなぜ分析』は難しいです。
これは「ひとを責める」ためにおこる問題です。じつは、『なぜなぜ分析』には絶対に守らなければいけない鉄の掟があるのです。今日はその話をします。
--
最近、気がついたら夜中になっていて、趣味の時間が減ってしまったように感じています。どこかで時間を無駄にしているのではないかと思いましたが、原因がまったくわかりません。
それで、なにかと話題の『なぜなぜ分析』を自分にやってみることにしました。「なぜ?」を繰りかえし問いかけ、真の原因(根本原因)をみつけるってやつです。
結果、ぜんぜんうまくいきませんでした。
何回やっても「なぜ?→自分が悪い」「どうすればいい?→もっとがんばる」というクソみたいな結果になってしまうのです。自己肯定感がさがり、どんどん具合も悪くなります。
次に、妻に協力してもらうことはできないか?と考え、妻を相手に『なぜなぜ分析』のシミュレーションをしてみました。
結果、ぜんぜんうまくいきませんでした。
何回やっても「なぜ?→妻も忙しい」「どうすればいい?→妻もがんばる」というゴミみたいな結果になってしまうのです。これでは喧嘩必至です。
「やりかたが悪いのか?」と思い調べてみると、やはり、やりかたが悪かったです。───というより、そもそも考え方に間違いがありました。
どうやら、『なぜなぜ分析』は "ひと" ではなく "仕組み" を責めることで再発防止をはかる手法のようです。一番大事な考え方は、ひとに原因を求めるのではなくて仕組みに原因を求めること、らしいです。
そして、こんな注意も書いてありました。
「なぜなぜ分析は、ひとにやると、ひとを潰す」
「なぜ?」の対象をひとにするな
ところで、6月ごろにこんなポストがバズっていましたね。
そのときは「まぁ、よくある話よな。管理職って難しいんやな」とボーっと考えていたのですが、自分で『なぜなぜ分析』をやってみて「なるほどなー」と思いましたよね。
なぜなぜ分析 ─── 自分にやるだけでもたいへんな負担です。これを他人にやられたら、とんでもなく疲れると思います。
完全に余計なことしてるよなぁ……
これは気をつけたい。
─── そういうわけで、私も余計なことをしないように「なぜなぜ分析のやりかた」を調べてみたのです。(ひとを潰す趣味もない。)
仕組みに原因を求めろ
『なぜなぜ分析』とは、「なぜ?」を繰りかえし問いかけて、問題の根本原因をつきとめる手法です。これは多くの方に知られていることだと思います。
しかし、絶対に守らなければいけない鉄の掟 ───ひとに原因を求めるのではなく、仕組みに原因を求める─── があることを知っているひとは、少ないのではないしょうか。
むしろ、なぜなぜ分析の対人使用は "ご法度" です。
- 使うべき対象は仕組みやプロセス
 - ひとに使うとひとを責めて潰すことになる
 - むしろ『なぜなぜ分析』は「ひとを守る道具」だといえる
 
どういうことか。
①本質は「ひとではなく仕組みに原因を求める」こと
なぜなぜ分析の目的は「誰が悪かったか」を探すことではなく、「なにが起きて、なぜそれが防げなかったのか」を、構造的・仕組み的な観点であきらかにすることです。
「手をぬいたひと → 疲労が限界だった」などは「個人のせい」に見えます。けれど、じっさいひとだけの問題であることは稀です。個人の「背景」を深く掘れば、組織がかかえる本質的な課題にたどり着きます。
②「ミスは誰でも起こしうる」という前提がある
人間は必ずミスをします。だからこそ、ミスが起きても致命傷にならない仕組み、ミスに気がつける仕組み、ミスをへらすための仕組みを整える必要があります。
ひとを責めるのではなく、仕組みを責めることで、だんだんとミスに強い組織へと成長していきます。
③安心して意見がいえる文化ができる
心理的安全性の観点です。ひとに責任を押しつける分析をしてしまうと、自分が責められるのが怖くて黙る、ミスをかくす、他人のせいにするという、萎縮と不信の文化になります。
誰も責めない姿勢を徹底すれば、「次回からこうすればよさそうですね」「前から気になってたんですが」と、現場(メンバー)からの建設的な意見が出やすくなります。
このように、「ひとを守るため」に「仕組みを責めよう」ということです。
「上司の理想」を当てるのはムダ
では、もし上司から部下に『なぜなぜ分析』をした場合にどうなるでしょうか。正解は、「"上司の理想" を当てるまで終われない、楽しいゲームになる」でした。部下が自分の意見を述べても、それが上司にとって間違いであれば無限に「なぜ?」と詰められるのです。
これはまったく意味がありません。そもそも「上司の頭の中の答えに辿りつかせる」という時点で、なぜなぜ分析の主旨を外しています。ただの詰問です。
上司は「自主的に答えにたどり着くようになって欲しい」と思っているのかもしれません。しかし、詰問のような問いかけでは、残念ながらそうはなりません。なぜなら、相手にとっては「早くこのやりとりを終わらせること」が目的になってしまうからです。
そもそも、心理的安全性がありません。そのせいで、「怒られないような答え」しか出てこなくなります。事実確認をするだけで、「だからどうするか?」につながりません。
深い思考をするモチベーションも皆無になります。「なんでもいいから終わらせよう」と投げやりになるため、そこには "成長" や "学び" が生まれません。
最終的には、「報告が遅れた → 忙しかった → タスクが多かった → 相談する余裕がなかった → 自分が無能だった」という言葉遊びのようなクソループで、上司に「自分が悪い」という結論に運ばれ、メンタルが折れます。
とはいえこれ本当に難しい
───とはいえ、じっさい「仕組み」を責めるのは難しいです。慣れていないとひとを責めてしまいがちです。それがなにより手っ取り早いですからね。意識をしていても、ついついひとに原因を求めてしまうものです。
そういうことにならないためには、たくさんの悪い分析パターンをみておくにかぎります。それを思いだして、自分はそのパターンになっていないか自問するのです。
悪い分析パターンをいくつか紹介して、締めようと思います。
--
なぜ報告が遅れた?
→ 担当のAさんがすぐに報告しなかったからなぜAさんはすぐに報告しなかった?
→ 気が利かない人間だからなぜ気が利かないのか?
→ 注意力が足りない性格だからなぜそんな人に任せたのか?
→ 上司が人を見る目がなかったからなぜ上司はそういう判断をしたのか?
→ 責任感が足りないから
これはふつうに狂っている分析です。極端に悪いパターンですが、「仕組みを責めること」を知らなければ、こんな風になってしまうでしょう。
言葉をやわらかくしただけで、人格攻撃になっている場合もあります。
なぜ報告が遅れた?
→ 担当のAさんが報告の必要性に気づかなかったようだなぜAさんは必要性に気づかなかった?
→ すこし配慮が足りなかったのかもしれないなぜ配慮が足りなかったのか?
→ ふだんから状況判断があまり得意ではないなぜそのような人に業務を任せたのか?
→ 上司が適材適所の配置を十分に考慮できていなかったなぜ上司は配置を十分に考慮できなかった?
→ 業務の全体像を把握する力にまだ課題があるから
「気づかなかったようだ」「配慮が足りなかったかも」 という言いまわしでソフトにみせかけていますが、本質的には「能力不足」を指摘しており、個人の能力に責任を求めています。
防止策も「人を入れ替える」「注意させる」程度になってしまいます。
仕組みやプロセスを責めようとしていても、いつの間にか、ひとを責めるようにすり替わってしまう場合もあります。
なぜ報告が遅れた?
→ 担当者の判断が現場レベルで止まっていた。なぜ現場レベルで止まっていた?
→ 判断基準が人によってバラついていた。なぜ判断基準にバラつきがあった?
→ 担当者の経験に依存した判断となったなぜ担当者の経験に依存する状態だった?
→ ある程度の裁量を持たせており個々の力量に任せていたなぜ力量に任せる設計だった?
→ 現場判断を尊重してマニュアルの記載が曖昧になっていた。
「現場判断の尊重」や「裁量を持たせていた」といった言葉で、責任がひとに帰着するような「なぜ?」になってしまっています。
仕組みを責めているようにみえますが、対策として「もっと注意する」「経験を積ませる」などになりがちです。人格攻撃や性格批判にすり替わらないように注意しましょう。
ひとを責める悪いパターンではないですが、思考が浅い場合は、意味がないという観点で悪いパターンとなります。5回以上の「なぜ?」が続く場合には、意味のない「なぜ」を繰り返していないか確認してください。
なぜ報告が遅れた?
→ 担当者が忙しかったからなぜ忙しかった?
→ 他の作業があったからなぜ他の作業があった?
→ 業務量が多かったからなぜ業務量が多かった?
→ 忙しい時期だったからなぜ忙しい時期だった?
→ 年度末だったから
すべてが状況説明や言いワケになっています。構造・仕組み・プロセスの問題にふれず、表面的な要因だけをあげており、改善できる観点がありません。
最後も「年度末だったから」で終わってしまっており、ただの事実確認になっています。本当の意味での「なぜ?」に向きあっていないため、根本原因にたどりつけないのです。
まず、おなじ言葉の繰りかえしを避けることです。
以上です。