すこし前まで
「休みの日は、個人でアプリ開発をしています」
とか、
「休日は趣味で競技プログラミングをしています」
とか、
そんなことを言うひとに強い疑念がありました。「それ、絶対に休めてねーだろ(笑)」という疑念です。
どうして休みの日にまで仕事をするのか(できるのか) ─── そういう、嫌味のような、妬みのようなニュアンスをふくむ想いがありました。
しかし最近、それが間違った認識であることに気がついたのです。
そもそも「休む」とは
まず、「休む」とは何をすることでしょうか。
体を横にしているだけでは「充分に休む」ことにはなりません。これはもう、共通認識といってよいでしょう。異論はないはずです。
異論は叩きつぶしておきます。
疲れている人は往々にして「長く眠ること」で疲れを取ろうとします。しかし睡眠時間を長くしたり、ベッドやソファで横になったりしているだけでは、かえって逆効果になることをご存じでしょうか。
休養というと、ただボーッとして何もしないことと思われがちですが、これからはそうではなく、もっと主体的な休み方をする必要があります。
出典:片野秀樹『休養学』P6
ちなみに、「おい、〇〇」シリーズを発信しているエンジニアの nwiizo さんは、2日間ベッドの上でスマホを持ったままダラダラした休日体験について、このように述べています。
体は動かしていない。仕事もしていない。だから休んだと言えば休んだのだろう。でも、回復したかというと、していない。月曜の朝を迎える自分は、金曜の夜の自分より確実に疲れている。
出典:じゃあ、おうちで学べる.「おい、休め」(2025/12/21)- https://syu-m-5151.hatenablog.com/entry/2025/12/21/092456
すぐに「はいはい、あの感じね」と分かります。
つづけて、nwiizo さんは「休んでいるのに休めていない」の正体について考察しており、「脳は、休んでいない」からだと結論づけています。
情報を入れ続けると、入力過多で整理が追いつかないとのことです。
─── 興味深い考察ですよね。
たしかに、スマホをもったままダラダラ過ごしていると、YouTube ショートを無限再生したり、横動画を数倍速でみたりと、そうした状態になりやすくなります。
だから脳が休まらない、と。
現代においての休養は「脳への入力(インプット)を減らすこと」という主張は、なんとなく「そうかもな」と感じます。
では、本題。
インプットの逆、アウトプットはどうなのか。
アウトプットは「休養」になるか
結論から参ります。アウトプットは「休養」になります。
片山秀樹 氏の著書『休養学』によれば、休養サイクルの要素には「活力」があるとされています。また、このようなことが書かれています:
- 疲労の反対は「休養」ではありません。「活力」です。
- 「疲れたから休む」の一般的なサイクルは「活動 → 疲労 → 休養」かと思います。しかし、休養だけでは 50% 程度しか充電できていない感覚です。
- そこで、このサイクルに「活力」を加えて、「活動 → 疲労 → 休養 → 活力」としましょう。そうすることで、満充電に近いところまでもっていけます。
充電に例えるとわかりやすい。
ゆっくりするだけでは 50% 程度しか回復しない。それでまた 20% くらいまで減り、どうにか 50% まで戻す……。なのでいつも疲れているように感じるし、消耗する。
ここに「活力」を加えることで、100% 近くまで回復できる。
─── そういう主張です。
では、なにをすれば「活力」を得られるのでしょう。
実はあえて軽い "負荷" を自分にかけると、活力が高まることがわかっています。
では、どんな負荷がよいのでしょう。
以下 4 つの条件を満たす負荷がよいとされています。
①自分で決めた負荷であること。
②仕事とは関係ない負荷であること
③自分が成長できるような負荷であること
④楽しむ余裕があること
では、負荷としてなにをするのがよいでしょうか。
私は(「ひとによる」は大前提として)、エンジニアであればアウトプットは最適解のひとつではないかと考えています。それこそ冒頭の:
「休みの日は、個人でアプリ作ってます」
とか、
「休日は趣味で競技プログラミングしてます」
とか、
こういったアウトプットです。
趣味や成長のためのアウトプットであれば、良い負荷とされている 4 つの条件をすべて満たすことができますし、すぐに家ではじめられます。
平日に食った情報を、休日に消化・吸収するイメージです。
--
こういうことをいうと、「アウトプットは仕事で出すものでしょ」という反論を受けそうなので、「そうじゃないんだよなー(笑)」ということを書いておきます。
仕事で得られるインプットは、仕事のために必要なものばかりです。また、そのアウトプットは、「自分の好きなようにできる」余地がほとんどありません。
しかし、休日にひとりで作るアプリはその制約から解放されています。
「登場したばかりで、実績が少ないし」となるようなフレームワーク・ランタイムも、個人アプリなら遠慮なく選べます。失敗しても責任は自分です。
業務だと「ユーザーが混乱する」といわれがちな UI 設計も、個人アプリなら試せます。結果が出なくても、つくった経験そのものが価値になります。
"作りたいものを作る" ことができるので、そりゃあメチャクチャに楽しい。これが仕事とのアウトプットの大きな違いです。
趣味でプログラミングをしたい人のほとんどは「作りたいもの」が決まっています。 例えばゲームとか、個人用のWebサイトとか。会社の中で効率化のためにマクロやプログラムを書き始める人もこれに含めても良いかもしれません。書きたいものがある、または書くのが楽しくてプログラムを書いているからです。
それで、もし趣味なのに色々試しても全く楽しめないなら、それはやめた方がいい趣味なのかもしれません。趣味は楽しむためにやるものです。
出典:Qiita.「プログラミングを独学しているのですが、全然楽しくありません。向いてないのでしょうか?」(2025/12/28)- https://qiita.com/t7u-ito/items/6e61a95da4a9ded69327
まぁこういうことです。
上記の記事で述べられている内容には、私も同感です。
「趣味は楽しむためにやるもの」というのも、そりゃそう。(楽しめない場合は、負荷の条件「④楽しむ余裕があること」に反しています。)
負荷のカタチはそれぞれ
本記事では、インプットと対比してアウトプットを推し、さらにプログラミングに焦点をあてました。しかし、負荷のカタチはひとそれぞれです。
私の場合は、「Qiita やブログに記事をかく」ことが性にあっているようです。皆さんにも、かならず自分にあった負荷があります。(記事をかくことも、ひとには「うへぇ、大変そう」といわれるが、自分ではあまり負荷だと思わない。)
また、負荷は精神的なものにかぎりません。
『休養学』にも「自分に負荷をかける課題は、できれば肉体的なものと精神的なものの両方があるといいでしょう。」とも書かれています。
別に、カンタンなウォーキングからはじめるでもよいのです。
それが自分にあったものであれば、徐々に負荷も高くなり、体力もついてくるはずです。やがてランニングになり、フルマラソンが目標になるかもしれません。
そういう趣味をみつけられたなら、しめたものです。
もし、まだ "負荷" がみつかっておらず、休日は家でダラダラしているだけと感じているなら、ぜひとも自分にあった "負荷"(という名の趣味)をさがしてみてください。
・日記を書く、ブログを書く、資格勉強をする
・ジムに通う、筋トレをする、ヨガ教室にいってみる
・散歩をする、旅行をする、カフェ巡りをしてみる
なんでも良いと思います。
それはあなたを疲れから救うものかもしれません。
守りの休養から、攻めの休養へ。
以上です。