量産型フロントエンドエンジニア
こんにちわ。kinocoboyという。
新卒からエンジニアとして仕事を始めて、14年目だ。
年齢的には35歳を迎え、当時私が二十台前半だった時から言われていたエンジニア定年の年齢にさしかかってきた。
35歳定年説
前置きとして、筆者は35歳である認識をしっかり持っているし、枯れていったり、淘汰されることに美しさを感じるタイプでもある。
ただ実際のところ、内面の精神年齢としては28歳くらいから成熟が停止しているようにも感じる。そしてエンジニア的な感覚としては、28歳のころのバイタリティがずっと続いているような感覚だ。
比較的自己効力感は強く得られているので、まだまだ現役だと思う。
凡なエンジニア
冒頭でも記述した通り、筆者は自分のことを「量産型フロントエンドエンジニア」だと強く認識できるようになってきた。
もちろん実年齢が28歳のころはそんな量産型であることを自ら否定するためにがむしゃらだったシーズンももちろんあるが、そこにこだわりがなくなってきていることに少し驚きもある。
何が量産型なのか?
端的に述べると、技術的なスパイクポイントが自分の中にないことである。
例に挙げるとすると、秀逸な実装を形成するための言語知識や計算機に対する造詣の深さ、私生活でもエンジニアリングをやり続ける「趣味」としてのコーディング、技術的に人を魅了するような適切な技術発信活動だったりする。
このような能力を息をするように発する特異エンジニアは間違いなく存在するし、そのような人材に私もなりたかった。
でも、無理だった。
技術を根本的に好きでいられる才能はなかった
日常すべてをエンジニアリングに捧げるほど技術が好きではないことを知ったし、計算機事態にそこまでの興味もない。一定のメリットを超えた美しい実装をそこまで追求する気にもならない。
そんな筆者がそれでもここまで勝負してきた武器は何だったのかを棚卸したとき、それは誰でも再現性を持っている能力であることがわかってきた。
そして逆説的に技術的な秀逸さをAIが肩代わりする時代になってきて初めて認識するのは、私が誰でも再現性を持っている知識こそ実はエンジニアとして獲得が難しい代物なのではないか?という気づきに発展している。
AI時代に獲得するべき能力とは?
端的に記述すると、抽象化する力・具体化する力、境界線を明確にする力だ。
そして何より一番役になっているのは、これらを形作る総合的な「想像力」だと考える。
このアドベントカレンダーにおいて、筆者が磨いてきた再現可能なエンジニアとしての技術をまとめていこうと思う。
所詮凡庸なエンジニア、されど凡庸なエンジニア
凡庸エンジニアであることを自覚している筆者は、エンジニア業界で生きるために必要なことをきわめて具体的に言語化できるレベルで進めてきた。
そうしないと感覚的にステップアップできなかったからだ。
なのでできない人の気持ちがよくわかる。
なぜなら私ができないからだ。だからこその強みもある。
もし何か盗めそうなものを見つけてもらえたらとてもうれしく思う。