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ChatGPT o1Proの小説生成能力の検証

Last updated at Posted at 2025-02-26

概要

この記事ではChatGPT o1Proの小説の生成能力について検証します。
o1 Proが何かとかの説明は割愛。
知らない方は以下の公式記事をご覧ください。

検証項目は二つ。
1つは、プロットはこちらで用意して、用意したプロットを書いてもらう場合。
もう1つはテーマだけ与えて、それを元にプロットを作成してもらって小説を書いてもらう場合。

この二通りで検証します。
指示したプロットを如何に面白く表現してくれるかの能力と、プロット自体を作成して小説を書く能力。
これら二つを検証します。

プロットはこちらで用意して、用意したプロットを書いてもらう場合

実験内容

以下のプロンプトで、小説を生成してもらいます。

あなたは優れた小説を書くAIです。
以下の世界観とプロットから、面白い物語を記述してください。

設定
主人公は元プロボクサー。
23歳ぐらい。若い。
「勝たないと意味がない」と思ってる。
無敗で世界タイトル挑戦までいった。でも負けた。そこで潔く引退。
経験を活かしてボクシングの小説を書こうとする。
小説を書くのは生まれて初めて。

話のスジ
【起】
引退会見にのぞむ主人公。なぜ早々に引退するのか聞かれ「勝つ姿を見せられないボクサーに存在意義などないからだ」と言い放つ。

引退後、のんびりした暮らしをする主人公。でも退屈で何の張りもない生活に飽きてくる。どうすればいいのだろう。「そうだ。小説を書こう。経験を活かせばいいボクシング小説が書けるはず」

【承前半】
自分と同じように「勝たないと意味がない」と思っているボクサーの小説を書く。無敗で世界チャンピオンになる男のストーリー。自分の叶えられなかった夢を叶えるボクサーの話。

そうやって小説を書き上げた。でもなんだか面白くない。

なぜつまらない小説になってしまうのか、その原因の検討がつかない。仕方がないので取材に行くことにする。

【承後半】
お世話になっていたジムを訪問。取材する。

自分がデビュー戦でKOしたベテラン選手の引退試合も見に行く。弱い選手だったけど意外とたくさんのファンが駆けつけていた。

大怪我をして再起不能と言われた選手の復帰戦も見にいった。負けてしまったけど彼は今の自分にできることを必死にやろうとしていた。

新人王戦のとき1ラウンドで軽く倒した選手も取材させてもらった。もう子供がいて試合も何回か見に来ているらしい。でも毎回負けている。「今度こそ勝つところを見せたい」そう意気込んでいた。

【転結】
主人公はジムの会長に頼まれて天才高校生とエキシビジョンマッチで戦うことに。オリンピックを目指している期待の若手だ。

前座として他の選手の試合もいくつか組まれていた。「子供に勝つところを見せたい」と言っていたあの選手の試合もあった。主人公は会場の後ろの方からその試合を観戦する。彼の奥さんと子供も見に来ていた。でも彼は今回もやっぱり負けてしまった。泣き崩れながらリングを降りるその姿が主人公の胸に刺さる。

主人公はリング上で天才高校生とグラブを交える。彼の強烈なパンチを受けながら主人公はずっと自分の中にくすぶっていたものに気づく。

主人公は小説を書くことをやめて現役復帰のトレーニングをはじめる。もう一度世界タイトルに挑戦するのだ。

重要項目
オモテのストーリー
ボクシングの小説を書いて賞に応募。

裏ストーリー
引退したあと胸にくすぶっていたものを払拭。

秘めたる想い
勝たないと意味がない。

間違いが正される
勝つことだけにドラマが潜んでいるわけではない。

指示:
また、文章は小説のように、できるだけ詳細まで描写してください。人物の体の動きや心情描写、情景まで描写してください。
また描写は主人公の一人称で行ってください。
優れた小説家のように、同じ描写を繰り返すことなく、読みやすくわかりやすい文にしてください。
小説の文字数は日本語で5万文字程度で書いてください。
プロットの情報から適当に話を膨らませてください。

実験結果

 俺が最後にリングに立ったのは、世界タイトルマッチの夜だった。その試合は十二ラウンドの死闘だったものの、俺は判定で敗れた。無敗街道を駆け上がってきた若き挑戦者、そう呼ばれていた俺が、初めて喫した黒星。世界王座に手が届く直前の敗北。痛烈だった。思えばその瞬間に、なにかが音を立てて崩れ落ちるのを感じていた。

 「もう、いいや」

 試合終了のゴングが鳴ってからジャッジの判定までのあいだ、俺の心には奇妙なほど穏やかな声が響いていた。勝たないボクサーに価値はない。それまで口癖のように言い続けてきた言葉だ。しかし、世界タイトルへの挑戦で負けてしまったのだから、もうプロとして続ける意味はない。俺はそう信じ込んだ。

 だからこそ、引退を決断するまで時間はかからなかった。無敗で世界チャンピオンを狙うという夢は破れた。ならば潔く撤退する――。そして、俺はリングを降りることを選んだ。

 やわらかいフラッシュと無数のカメラ。耳を突き刺すような記者たちの問い。赤い絨毯の敷かれた壇上で、俺は引退会見に臨んでいた。鮮やかなスポットライトが目に痛い。この場所にいまだ慣れないまま、俺はマイクを握る。

 「……世界タイトル戦で負けた。それで燃え尽きました」

 誰もが驚いた顔をする。二十三歳にして。若き有望株で、世界ランクでも上位に食い込んでいて。そんな期待の星が、たった一度の敗北でリングを去ると言うのだから当然だ。

 壇上の向かって左側に座るジムの会長は、むすっとした表情のまま、時々うなずく。それ以外の記者たちも、この会見に詰めかけているスポーツ紙の記者も、テレビ局のリポーターもみな食い下がってくる。

 「なぜ、たった一度の敗北でやめてしまうのですか?」  「再起戦を望むファンの声もあると思いますが?」  「世界タイトルはまだ狙えるでしょうに。年齢を考えてもまだ挑戦は可能では?」

 そうした問いを次から次へと浴びせられて、わずかに息苦しさを覚える。だが、俺はすでに自分の答えを持っていた。

 「勝たないと意味がない。俺はそう思っています。世界の頂点に立つためにボクサーになった。しかし、敗れた今となっては、リングに上がる資格がないんです。勝つ姿を見せられないボクサーに存在意義などない――そう考えているからです」

 会見場が静まり返った。ずいぶんと尖った物言いだろうが、嘘は言っていない。リングは、夢を叶えられる者だけが立つ場所。そう信じていたし、俺にとってはそれしかなかった。

 「そういうことなので、これ以上ボクサーを続けるつもりはありません。申し訳ありませんが、これで失礼します」

 会見はあっけなく終わった。ほかの記者はまだまだ何かを問いかけようとしていたが、俺は深く一礼して壇上を降りた。会長の目はまだ納得いかないという色を帯びていたが、もともと俺が頑固な性格だということはよくわかっているだろう。だからこそ、彼も止めようとはしない。

 引退後の暮らしは思いのほか平穏だった。世界を目指していたときには、想像もできないほど自由だ。朝は早く起きなくてもいいし、深夜にふらりと外に出ても誰にも咎められない。食事制限もなく、体重管理に悩まされることもない。

 最初の頃はそれが新鮮で、気楽なものだった。わざわざ遠くへ足を運んで人気のパンケーキを食べたり、夜中に映画を観に出かけたり。カフェでのんびりと本を読んでみたり。それまでの自分には考えられなかったほど気ままな生活。今まで追い詰めていた自分を思えば、パラダイスと言えるような時間だった。

 だが、数週間も経つと、その気ままさに退屈を感じ始める。どこか空虚なのだ。かつて俺は、あの四角いリングの上で勝ち続けることこそが、俺の生きがいだと思っていた。誇りや存在意義、全部そこにあったと言っていい。しかし、いま、その拠り所を失ってしまった俺は、ただ退屈なだけの人間になりつつあった。

 「このままでいいんだろうか……」

 そう呟いても、答えは返ってこない。会長やスタッフ、先輩たちがそれぞれの道で頑張っているのは知っていた。だけど俺は、無敗神話に乗っかって世界を目指し、あっさりと挫折した。そして燃え尽きた。それは俺の性分がそうさせたのだろう。とはいえ、心の奥には「このまま終わりたくない」という声が絶えず聞こえてくる。にもかかわらず、“勝たないと意味がない”と思う俺には、次の道が見えないのだ。

 そんなある日。陽のあたる午後の部屋で、俺はふと思いついた。

 「小説を書いてみようか……」

 もちろん作家になりたいなんて夢は、これまで抱いたことがなかった。ボクシング一筋、文章などとは無縁の生活を送ってきた。だが、ふと「ああ、自分の経験を活かして何か作品にしてみるのもいいかもしれない」と思ったのだ。

 ボクシングという競技は、リングの上の出来事だけではない。ジムに通い始めるころから、減量やトレーニング、試合に臨む心の揺れ、多くの人々との出会いがある。戦うのは自分一人かもしれないが、実際には多くの人間関係が絡み合っている。それを小説として描けば、案外面白いのではないか。そう思った。なにより退屈を紛らわせるのにちょうどいい。

 思い立ったが吉日。俺はさっそくノートパソコンを開いて、白い画面と向き合う。タイトルは「無敗の栄光」――安直だが、俺らしいと言えなくもない。主人公はもちろん天才ボクサー。どんな相手にも負けたことがなく、世界王者になるまで一度も引き分けすらしない。かつての俺が、実現できなかった夢を叶えるかのように、物語を描いていく。

 執筆してみると、意外と楽しかった。特に最初は、自分の体験があるから文章がスラスラ浮かんでくる。どんなに厳しい減量に苦しんでも試合に勝てる主人公。ライバルを豪快にKOする華やかなシーン。ジムの仲間もサポートを欠かさない。闇というべき要素はほとんどない。なぜなら俺は、ボクサーにとって最大のドラマは「勝利の瞬間」にあると信じていたから。

 書き進めていくうちに、完成はそう遠くないと感じた。文章として多少荒削りではあるものの、数週間を費やして書き上げたときは、それなりの達成感があった。

 だが、読み返してみると、どうにも心が躍らない。なんというか、かえって白々しい。主人公はどんな困難もどこかで呆気なく乗り越えてしまい、一度も敗北を味わわず、最終的に世界王者のベルトを腰に巻く。確かに俺の夢が詰まった小説ではあるけれど、どうしてこんなにつまらないのだろう。

 「……面白くない。何が原因なんだ?」

 ソファの上でうなだれる。リング上で繰り広げられるドラマには勝ち負けがつきものだ。格闘技ほどわかりやすい勝敗のある競技はない。そして、観客は勝者を称え、敗者をときに罵る。俺はそこに喜びを見出してきたのに……。

 どうにも腑に落ちない。それでもう一度、最初から読み直してみたが、やはり盛り上がりに欠ける。登場人物に血が通っていないというか、彼らが実感をともなって動いていないように感じるのだ。なんだか綺麗にまとまりすぎている。そもそも、負けを知らないまま世界王者になって終わるというのは、俺の理想かもしれないが“物語”としては記号的すぎるのだろうか。

 「何が足りないんだ?」

 自分では原因がわからない。現役時代、勝利を積み重ねることでしか喜びを感じなかった俺には、こうした物語の“厚み”を付与する感性が足りないのかもしれない。となると――取材をするしかないだろう。俺の視点だけでは限界がある。

 その日は朝から天気がよかった。窓の外で風が吹き、青空の下をどこかへ向かう人々が見える。俺は軽くストレッチをして伸びをしながら、着替えを整えて外に出た。久しぶりにジムに行く。引退以来、一度も足を運んでいなかった場所だ。

 電車を乗り継いで、小さな駅で降りる。商店街を少し歩くと、赤い看板を掲げたボクシングジムが見える。俺は少しだけ気恥ずかしさを感じながら、その扉を開けた。

 中からはシャドーボクシングの軽快なステップ音や、サンドバッグを打つバンバンという衝撃音が響いてくる。汗とゴムの匂い――懐かしい空気が、一気に俺の鼻を刺激してきた。一瞬で、かつての俺が蘇るような気がする。

 「いらっしゃい……って、お前か!」

 カウンターの奥にいたのは古株のトレーナーだ。俺の姿を見て眉を上げる。俺が引退するときにはとくに言葉を交わさなかった人だけれど、目が合うとちょっとだけ笑ってくれた。

 「久しぶり、元気そうだな」  「まあ……自由すぎて退屈してたくらいです」

 そう言うとトレーナーは苦笑して、リングのほうに視線を向ける。

 「会長なら奥にいるよ。お前が会見で言ったセリフに怒ってたりもしたけど、まあお前の性分もわかってるし、今日来てくれたのは嬉しいんじゃないか」  「そうか……じゃあ顔出してみる」

 俺はそう言って、ジム奥の階段を登る。二階の事務所には何人かのスタッフの姿が見え、書類を整理している会長の後ろ姿があった。俺がノックすると、彼は少し振り向いて、不機嫌そうに言う。

 「何の用だ?」

 相変わらずの愛想のなさ。もっとも、俺が勝手に引退会見を開いてしまったのだから当たり前かもしれない。

 「すみません。いろいろと、あのときは」  「お前は、いろいろ謝るよりも先に言葉にするべきことがあっただろう。まあいい」

 そう言って会長は書類を置き、腕を組んだ。昔から頑固一徹で知られる人だが、俺が苦しいときに一緒に走ってくれたこともあった。だからこそ、心の底では感謝している。そんな彼の前に、俺は息をついて本題を口にした。

 「実は、小説を書いてるんです。ボクシングが題材で……でも、どうにも物足りなくて。だから取材をさせてもらえたらなって」  「へえ、小説ねえ。そうきたか。お前が小説なんて、意外だな」

 会長は渋い顔を少し和らげた。興味を引かれたのかもしれない。

 「それで、ジムの練習風景を見学してもいいですか? あと、いろんな選手に話を聞きたいんです。俺と同じようにボクサーをやってきた人たちが、どういう気持ちでリングに向かっているのか、それを知りたい」  「好きにしろ。邪魔にならない程度ならな。でも、お前に声をかけてくる連中もいるだろうから、うまくかわしてやれよ」

 そう言って会長は笑いかけた。俺はほっと胸をなで下ろす。

 「ありがとうございます」

 久々に眺めるリングは、なんとも言えず眩しかった。ギラギラ照りつける照明の下、シャドーをしている若手もいれば、ロープを使ってフットワークを確認する者もいる。バッグを連続で叩き込む中堅選手の様子なんて、かつての自分を見ているようだ。トレーナーとミット打ちしている新人もいる。掛け声とともに力強いパンチが空気を震わせる。

 「うわ、本物だ……って感じ」

 ちらほらと、俺に気づいてヒソヒソ話す選手たちがいる。俺がテレビや雑誌に出ている時期もあったから、顔は多少は知られているだろうが、引退会見を見た人たちはどんな思いを抱いているんだろう。俺は「取材のために来たんで、お構いなく」と軽く挨拶をし、ひとまずリングサイドのベンチに腰をおろす。メモ帳を取り出し、耳を研ぎ澄ませる。

 選手たちが放つジャブやストレートの音。息遣い、床を踏むステップの音、トレーナーの「いいぞ!」という鼓舞の声。すべてが懐かしい。俺はときどきメモに走り書きする。どんな言葉を使えば、この緊張感や熱気を文章で再現できるのか――その糸口を探るように。

 やがて、トレーナーが気を利かせてくれたのか、何人かの選手が休憩を取った合間に、俺に近づいてきた。みんな口々に「初めまして」「引退会見見ました」「世界タイトルマッチ、惜しかったっすね」などと声をかけてくる。そのたびに俺は固い笑顔で受け答えし、彼らがいま何を目指しているのか尋ねた。

 「新人王を狙ってるんですか?」  「いや、まだ試合経験も少ないんで、まずは地道に格上を倒してランキング入りしたいですね」  「なるほど。トレーニングはどういうことを意識してます?」

 そんな他愛ない質問を重ねるうち、練習生たちの熱い思いが少しずつ見えてくる。たとえプロではあっても、有名選手ばかりじゃない。苦労しながら、一勝また一勝と積み上げていく選手たちが大多数だ。その姿を見つめていると、俺が描いた“無敗で世界王者になる”物語との落差を感じざるを得ない。

 もちろん、勝たなきゃ意味がないという思いは今も自分の中にある。だが、彼らが地を這うように努力する姿も一方では格闘技のリアルなんだ。勝ち負け以前に、リングに上がるまでの過程にこそ、なにか尊いものが宿っているのかもしれない。そう思えるようになりかけている自分がいる。だが一方で、負けることに意味はあるのか、と問う自分もいる。二つの声がせめぎ合うような感覚が続いた。

 翌日、俺は“ある選手”の引退試合を見に行くため、地方の体育館に足を運んだ。その選手は、俺がプロデビューしたとき、対戦相手となったベテラン選手だった。すでに三十代後半にさしかかっていたが、俺が対戦したときは明らかに動きが鈍く、デビュー戦の俺が二ラウンドでKOしてしまった相手だ。

 当時、俺は正直「相手にならないや」と失礼な考えを抱いていた。キャリアの長い選手ではあったが、すでにピークを過ぎているように思えたからだ。実際、試合も一方的で、俺はデビュー戦勝利の喜びに酔いしれた。あれから数年――引退目前だったらしく、この試合がラストになると聞いたのだ。俺は何か感じるものがあるかもしれないと思い、足を運んだ。

 体育館はそれほど大きくはないが、観客席にはたくさんの人が詰めかけていた。若いファイターの試合に沸く歓声と熱気が渦巻いている。そんななか、俺は席を探していると「あ、あの人……」という声が聞こえたが、気にせずバックスタンドの上段あたりに腰掛けた。

 引退するベテラン選手は、俺の記憶どおりに動きがゆったりとしていた。そこに衰えを感じざるを得ない。相手はランキング外の若手だったが、明らかにスピードもパワーも違う。ベテランに分があるようには見えない。

 ゴングが鳴り、一ラウンドから若手が容赦なく攻め立てる。ベテランは顔面をガードしながら懸命に耐えるが、パンチが何発ももらっている。セコンドの声が飛ぶが、それでも体はついていかない。第二ラウンド。ベテランはダウンを奪われながらも必死に立ち上がる。だが、結果は三ラウンドKO負けだった。

 試合終了のゴングが響き、若手が拳を突き上げる。その向こうで、倒れ込んだベテランがロープに寄りかかるように立ち上がろうとしている。満身創痍だ。それでも、盛大な拍手が沸き起こった。俺は驚いて周囲を見渡す。客席に集まったファンらしき人々が声援を送っている。それも、「引退お疲れさま」「長い間、楽しませてくれた」「ありがとう!」……そんな言葉たちが飛び交うのだ。

 「弱い選手かもしれないけど、こんなに多くの人から愛されているんだな……」

 俺は複雑な心境でその姿を見つめた。引退試合で負けるなんて、格好悪い――そう思う自分がいる。一方で、彼は長きにわたってリングに立ち続け、それだけ多くの人に何かを与えてきたのだ。その事実を目の当たりにしてしまった俺は、言葉にできない感情が生まれてくる。勝利していなくても、彼には何かがあった。確かに、俺が見落としていたものがそこにあるような気がする。

 続いて、俺が足を運んだのは、かつて大怪我を負った選手の復帰戦だった。話を聞くに、彼は以前、試合中に顎の骨を複雑骨折し、いったんは再起不能と診断されたそうだ。けれど、必死のリハビリとトレーニングで奇跡的にカムバックを果たし、今回が復帰第一戦。対戦カードはそこまで注目を集めるものではなかったが、俺はなぜか見届けたいと思った。

 試合当日、彼はリングへ上がるときから落ち着いて見えた。もともと巧みなディフェンスをする選手だった記憶がある。とはいえ怪我の影響は心身ともに大きいはずだ。俺は観客席の後ろの方で静かに観戦する。試合が始まると、明らかに打ち合いを避けている印象を受けた。怖いのかもしれない。顎を撃たれることが頭をよぎるのだろうか。相手は遠慮なくパンチを振ってくるが、彼はなんとか足を使って捌き、ガードを高く維持して耐える。

 しかし、結局は中盤以降に相手に詰められてロープ際でまともにパンチをもらい、レフェリーストップ。負けだった。復帰戦を白星で飾ることはできなかったわけだ。

 俺はその試合を見て、どこかやるせない思いを覚えた。彼の努力を知っているだけに勝たせてやりたいと思ったし、“勝利”こそが復活の証だとも感じていたからだ。だが、リング上で敗れた彼の表情は、なぜか充実しているように見えた。試合後のインタビューで「やれるところまではやった。今日は負けたけど、まだ終わりじゃない。次こそは……」と語る姿を聞いて、俺の胸が少しだけ熱くなる。

 「この人は、まだ闘いを続けるんだな……」

 どうしてだろう。俺はタイトルを逃した瞬間にすべてを放り出したのに。この選手は、大怪我を負い、現役続行が絶望視されても復帰を目指し、そして敗北してもなお、未来を見据えている。負けても“まだ終わりじゃない”と言い切れるその根拠はなんなのか。俺の頭には疑問が渦巻いた。同時に、そこには俺が長年理解しようとしなかった何かがあるのではないか、と感じさせた。

 さらに、俺は自分のプロキャリアの初期を振り返りながら、新人王トーナメントのときにたった一ラウンドで倒した選手にも取材を申し込んだ。彼はあれからも何度か試合に出続けているらしいが、正直、勝ち星は少ない。試合の動画を見ても、たいていは途中で倒されるか判定負け。階級も同じなので、一時期は試合会場で顔を合わせることもあったが、話したことはほとんどない。自分のほうが遥かに先を行っていると思っていたからだ。

 待ち合わせ場所に指定されたのは、小さなファミレスだった。午後のわずかに落ち着いた時間帯。俺が先に入って席に案内されていると、「お待たせしました」と声がした。振り向くと、スポーツバッグを提げた細身の男がいた。格闘家らしい鋭さというよりは、どこか穏やかな眼差しが印象的だ。そういえば、試合中は必死だが、終わった後に泣きそうな顔をしていた記憶がある。

 「お久しぶりです。プロ初期に闘った……そう、覚えてますか?」  「ええ、もちろん覚えてますよ。俺にとっては大事な試合だったんで」

 大事な試合――俺にとってはあまり記憶に残っていない相手だが、彼にとっては特別だったという。俺は気まずさを覚えながら、取材の趣旨を伝えた。ボクシングの小説を書いているが、なかなかリアリティが出せずに苦戦している、と。

 彼は真剣な表情で俺の話を聞いてくれた。驚いたことに、彼は小説に少し興味があるのだとか。小説までは書かないにしても、試合の記録や日記のようなものをつけているらしい。その日々の振り返りの中で、負けた試合も含めて何かを学ぼうとしているのだという。

 「実は、子どもがいて……もう小学生なんですよ。家族がいる以上、やっぱり試合に勝って、少しでもいい賞金を手に入れてあげたいと思うんですよね。俺の試合は毎回家族も見に来てくれます。負け続きなんですけど……」

 そう言うと、彼は苦笑いを浮かべた。タオルでグラスの水滴をぬぐいながら、視線を下に落とす。

 「だからこそ、今度こそ勝つところを見せたいって、いつも思うんです。俺はもちろんチャンピオンを目指したい気持ちもあるけれど、子どもに『お父さんはかっこいい』って言ってもらえる姿を見せたいんです。もし勝てるなら、それだけで俺の気持ちは満たされるんじゃないかなって……」

 彼の言葉を聞いて、俺は胸が締め付けられるように苦しくなる。俺にとって勝利とは、世界王座を手にすることこそが至高だった。けれど彼にとっては、毎回の試合で一度でもいいから家族に勝つ姿を見せたいという願いが大きいという。なんというか、同じ“勝ちたい”という思いでも、その根っこが全然違うんだ。俺は世界王者になれなければ存在価値がないと思った。それとは違って、彼は家族への思いを軸にボクシングと向き合っている。

 「あの試合で負けたときは、本当に悔しかったですよ。でも俺、子どもの前では『またがんばるから』って言うしかなくて。勝てない自分にイライラしたり、自信なくしたり、言い訳しそうになったり、ずいぶん腐りました。でも、この年齢になってようやく、俺は“負けてもボクシングが好き”って気持ちを大事にしているんだなって気づいたんです」

 負けてもボクシングが好き――。俺には理解が難しい感情だ。敗北に意味などないと思っていた。だから一度負けたあとの自分は、引退を選んだ。だけど、こうして話を聞けば、彼の“負けても好き”という言葉には、確かな情熱がこもっている。それが歯がゆくもあり、眩しくもある。

 「……ありがとう。すごく参考になったし、胸に響いた。小説を書き上げたら、読んでもらっていい?」  「はい、ぜひ。楽しみにしてます」

 そう言うと彼は笑い、最後にファミレスの安いコーヒーを一気に飲み干した。諦めないボクサーという言葉は、決して世界ベルトだけを目指す選手のことを指すのではないのだ。俺はこの取材を通して、そのことを知った。だけど、同時に少しだけ困惑もしている。俺が追い求めていた“勝利”とはなんだったのか。その答えをまだ見い出せないまま、俺はファミレスを後にした。

 取材を続け、俺なりに原稿を何度か書き直してみたものの、やはりスッキリとは仕上がらない。確かに、さまざまなボクサーの視点を取り入れることで、物語の厚みは増えた気がする。しかし、肝心の俺の中にある思い――“勝たないと意味がない”という気持ちを正面から描くことができていない。あるいは、それだけではないという現実を見ても、なお俺の心に整理がつかないのだ。

 人は、なぜ敗北してもリングに立ち続けるのか。なぜまた拳を握るのか。そこには勝利以外の価値があるからだと、頭では理解できつつある。それでも、かつての俺が体感していた“勝利のみがすべて”という考えはそう簡単に変わらない。どうやって書けばいいのかわからなくなる。机に向かっていても、指が止まってしまう。

 そんな折、ジムの会長から連絡があった。電話越しに、少し興奮気味の声で「ちょっとお前、用がある」と言う。

 「会長、どうしたんですか? 俺、もうボクサーを引退しましたよ」  「だからこそ、頼みたい。実は、新人でとんでもなく優秀な高校生がいるんだ。天才と言っていい。お前が高校生のときよりもすでに強いと言っても過言じゃない」  「へえ、すごいですね」  「で、今度イベントでそいつのエキシビジョンマッチを組んでくれと言われてる。相手は強い選手……ってのが理想なんだが、実は高校生だからプロライセンスがまだなくてな。プロ相手に試合はできない。だからエキシビジョンだ。そこで、お前が引退してると聞いて、ちょうどいいって話になった」

 ちょうどいい、と言われてなんだか複雑な気分だが、要は俺に白羽の矢が立ったということらしい。ジムとしては、この天才高校生を将来のオリンピック代表として売り出したい。とはいえ実戦経験を積ませるには、ある程度ネームバリューのある相手がいい。そこで、元無敗の世界ランカーだった俺が適任、というわけだ。

 「エキシビジョンマッチ……そんな俺でいいのか」  「お前じゃなきゃダメなんだよ。こっちは引退したとはいえ、実力も知名度もある。高校生と真剣勝負ってわけじゃなくても、そいつの宣伝にはなるし、興行としても盛り上がる。ギャラも払うから、頼むよ」  「わかりました……」

 気が進むわけではないが、世話になった会長の頼みだ。断る理由もない。俺は一応、ここ最近はトレーニングらしいトレーニングをしていないが、エキシビジョンなら大丈夫だろう。形だけの試合だと思っていた。いずれにせよ、天才高校生の相手を無難にこなして、“負けても気にしない”という姿勢を示せばいい。だが一方で、心のどこかで「勝たないと意味がない」という声がささやいているのも事実だった。

 会場はそこまで大きくはないが、数百人規模の客席があるホールだ。当日は、エキシビジョンマッチの前に何試合か組まれるらしく、俺は控室で待機していた。トランクスにグローブ、シューズを履いて、軽くシャドーをしながら体を温める。久々に感じる試合の緊張感だが、正直、現役の頃とは比べものにならない。身体は張りがなく、スタミナも落ちているだろう。もっとも、本気で殴り合うわけじゃないから問題ない。

 しかし、不意に心が騒ぎ始める。エキシビジョンマッチとはいえ、リングでグローブを交える。その事実が俺の中の何かを刺激しているのだ。俺が捨てたはずの“勝たねばならない”という思い――それが今も胸を掻き立てる。

 「……何を考えてるんだ、引退した身なのに」

 そう自分を戒めながら、控室のテレビで先の試合を観る。そこには、家族に勝つところを見せたいと言っていたあの選手が映っていた。前座の一つとして彼の試合が組まれているらしい。カメラが奥さんらしき女性と子どもを映すと、観客席で声援を送っているのがわかった。子どもが懸命に「がんばれー!」と叫んでいる。彼はリング上で歯を食いしばるようにして動き回るが、やはりペースを握れない。中盤以降は相手に一方的に攻められ、最後は判定で負けてしまった。決定的なダウンこそなかったが、どう見ても完敗だ。

 画面にはリングから降りる彼の姿が映し出される。頭を垂れ、目に涙をにじませていた。セコンドの肩を借りながら歩く姿は、痛々しさが際立つ。しかし、客席からは「次こそは!」という声や拍手も少し起こっている。とはいえ、彼にとって勝利はかなわなかった。奥さんは客席で立ち尽くし、子どもも泣きそうな表情をしている。こんな姿を見せたくなかっただろうに、それでも彼はリングを降りる。

 テレビ越しのその光景が、俺の胸を鋭く刺してくる。勝てない。その無念。家族に情けない姿を見せる苦悩。にもかかわらず、試合を続ける。俺には耐えがたいような屈辱だけれど、彼はその中でも立とうとする。こういう人がたくさんいるのがボクシング界なのだろう。俺はあらためて思い知らされる。

 「お前の試合、あと十分くらいだ。リングに向かうぞ」

 スタッフに促されて、俺は意識を切り替えるように大きく息を吸う。そして控室のドアを出た。見慣れたようでいて、久しぶりの試合前の通路。薄暗い照明のなかを歩き、リングへ続く階段を上る。客席の照明は少し落とされ、リング上にだけスポットがある。アナウンスが俺の名前をコールする。すると、思いのほか大きな拍手がわき起こった。これには少し驚いた。引退した俺に、これだけの拍手があるんだ……。

 リングに足を踏み入れると、すでに天才高校生はリング中央でウォーミングアップをしていた。身長はほぼ俺と同じくらいか。だがスピード感のあるフェイントやステップをちらりと見るだけで、相当に仕上がっているのがわかる。その目はきらきらと輝いていて、“自信”と“若さ”が入り混じった覇気を感じる。

 「……よろしくお願いします!」

 彼が深く礼をする。俺もグローブを軽く合わせた。客席の拍手が響く。これはプロの公式戦ではなく、あくまでエキシビジョンマッチ。KOや勝敗はつけない。ただ、技術交流のための二ラウンドのスパーリングのようなものだ。

 「じゃあ始めるぞ、いいな?」

 レフェリー役のスタッフが声をかける。ゴング代わりの合図が鳴り、俺たちは軽く構える。お互いにジャブを探り合いながら距離を測るが、やはり高校生はスピードがある。どこからでも打ってきそうな雰囲気だ。最初のうちは軽いタッチの交換をするだけだったが、次第に彼のステップインが鋭くなり、こちらも反射的に本気でディフェンスしてしまう。

 客席からは歓声が上がる。エキシビジョンにしては白熱しているようだ。いけないとわかっていながらも、俺の中の“勝負勘”が呼び覚まされそうになっていく。いや、これは遊びじゃない。かといって公式戦でもない。でも、拳を交えること自体に身体が震えるのだ。俺は彼の連打に対し、ダッキングやブロッキングで耐えようとする。そんななか、ノーモーションの強烈なストレートが俺のガードをすり抜けて頬をかすめた。

 「……っ!」

 軽い衝撃ではない。ずしんと響く衝撃が襲う。もしまともに食らえば、俺だって危ないパンチ。高校生のパンチ一発でダウンなんて情けない話だが、その力強さは想像以上だ。

 「す、すみません!」

 相手は慌てたように謝ってくるが、俺は首を振り「いい、いい」と返す。胸が熱くなっている。なんだ、この気持ちは。久しぶりの痛みで、俺は目が覚めるような感覚を得た。エキシビジョンだというのに、このままやられてたまるか。俺は急に闘争心が湧きあがって、少しだけ本気でカウンターを狙ってしまう。すると、彼もそれを察知したのか、さらにヒートアップ。リングサイドから「ちょっとやりすぎだぞ!」という声が飛ぶが、俺の耳には届かなかった。

 互いに何発かパンチを交換して、ラウンド終了を告げる合図が鳴る。そこでようやく、お互いの手が止まった。俺は肩で息をしながら、リングシューズが重く感じていた。グローブを下ろし、相手を見ると、彼は汗を流しつつも興奮した表情だ。

 「すごい……元世界ランカーは違う……!!」  「いや、まだエキシビジョンでも手加減してもらったよ……」

 心臓が爆音のように打っている。体力的には数分の軽いスパーなのに、こんなにも動揺している。いや、“勝たなきゃ意味がない”と思い込んできた俺が、いま負けることを恐れているのか? それとも、リングに戻ってきた興奮を感じているのか? どちらとも言えない感情が胸の奥で渦巻いている。

 この時、初めて俺は気づいた。あの世界タイトルマッチで負けた後、俺は何もかも断ち切ったと思っていた。でも、断ち切れていなかったんだ。身体の底に、まだボクシングへの情熱がくすぶっていた。この一発、この痛み、そして血が騒ぐような興奮に触れたとき、自分がまだリングを求めていることをはっきりと知った。

 エキシビジョンマッチが終わり、会場は拍手で包まれる。俺はすぐにリングを降りる。スポットライトの当たるリングの真ん中に立つ天才高校生は、未来への希望に満ちた表情をしていた。俺も昔はああいう光を放っていたのかもしれない。

 控室に戻る道すがら、さっき試合をして敗れたばかりの「子どもに勝つところを見せたい」と言っていた選手が廊下の奥にいた。トレーナーに肩を支えられ、子どもを抱き寄せながら悔しそうに泣いている。その家族を見て、俺はなぜか足が止まった。心がぎゅっと締め付けられる。勝てないのに立ち続ける。その姿に、俺はこれまで見下すような気持ちさえ抱いていた。負けるボクサーに存在意義などない、と。しかし、いまは違う。その泥臭い姿が、俺にはすごく愛おしく、そしてなにより“眩しい”と思えた。

 (何なんだ、俺は。一度負けただけで逃げたくせに)

 自分自身に腹が立ってくる。敗北してもなお、あがき続ける人たちを取材で見てきた。彼らは言い訳や迷い、負けてもなお続ける理由を探しながら、それでも拳を握る。そして俺自身も、こんなにもボクシングを捨てきれない。敗れた後に抱いた“このまま終わるくらいなら、初めから挑戦しないほうがマシだ”という考えが、どこか虚しく感じられてくる。

 会長に挨拶を済ませ、荷物をまとめて帰ろうとしたとき、廊下を歩いている俺に会長が声をかけた。

 「今日はすまなかったな。エキシビジョンマッチ、けっこう白熱してたじゃないか。楽しそうに見えたぞ?」  「……楽しかったです。久しぶりに、自分がまだボクシングを好きなんだって実感しました」

 その言葉を発した瞬間、胸が熱くなった。今までは口が裂けても言えなかった。それは敗北した自分を否定したくなるからだ。けれど、嘘はつけない。あの一瞬の衝撃と痛みは、俺にとってたまらなく刺激的で、そして“まだもっとやれるんじゃないか?”という希望を感じさせたのだ。

 「そうか。それならよかった。お前がその気になったら、いつでもリングに戻ってきていい。俺のジムなら歓迎するぞ」

 俺は笑う。引退を決めたときの自分なら、こんな言葉は無意味だと笑い飛ばしただろう。でも、今の俺は違った。頭の中で、引退を撤回する言葉が浮かぶ。だが、それを口にするにはまだ早いとも感じていた。ここから先は、俺が自分で決めるべきことだ。

 家に帰り、ソファに倒れ込むようにして仰向けになる。今日のエキシビジョンマッチの余韻がまだ身体に残っていた。頬には薄い痛みがあり、パンチを受けた部分がほんのりと熱をもっている。こんなにも身体を感じたのは久しぶりだ。心臓が高鳴っていたのを思い出しては、何度も鼓動を意識してしまう。

 (俺、また……ボクシングをやりたいのか?)

 自問自答。答えはおのずと見えている。でも、“勝たないと意味がない”と信じ続けてきた俺が、もう一度世界を目指すなんて現実的だろうか? あの天才高校生ですら、俺より速いパンチを打つ。世界のトップレベルになんて、とても通用しないかもしれない。さらに年齢だって気になる。二十三歳は若いといっても、ボクシング界では早くにピークを迎えることも多い。しかも、一度完全にやめてしまった俺が、今さら戻っても間に合うのか……?

 そんな疑問に苛まれながら、俺は起き上がってノートパソコンを開いた。書きかけの小説データがフォルダに残っている。「無敗の栄光」。タイトルを見て、苦笑いしか出ない。自分自身が、世界タイトルに一度負けただけで諦めたくせに、どうしてこんな理想ばかりを詰め込んだ物語を書いていたんだろう。いや、わかってる。本当は、自分が叶えられなかった夢を、小説の中で成就させたかったんだ。それはそれで一つの創作の在り方かもしれない。けれど、いまの俺にはもう、そんな綺麗事のような物語は書けない。

 俺はデータを開く。画面に映る文章は、それなりに時間をかけた形跡こそあるが、正直、今見ると痛々しいほどに空虚だ。勝利の美酒しか登場しない、まるで一面だけ切り取ったような世界観。そこには欠けているものがあまりに多い。敗北や挫折、家族の支え、世間の厳しい目、ケガとリハビリ、負け続けても挑む人々の想い……。俺が取材で感じたものが、なに一つ反映されていない。

 「……ダメだ、これはもう書けない」

 そう呟くと、俺は思い切り、ファイルのウィンドウを閉じた。消去はしなかったが、続きを書く気にはなれない。もし小説を書くなら、いまの俺が見てきた世界こそ描かないと嘘になる。それでもって、どこかで“勝たなきゃ意味がない”と苦しんでいる俺自身の物語を書かなければならない。でも、それはまだ今じゃない。俺自身が、もう一度、ボクサーとしてリングに立つ道を選んで、そこで何を得るのかを確かめたいのだ。勝利でしか充たされないのか、それとも――。

 翌朝、俺はいつもより早くベッドを出た。冷たい水で顔を洗い、トレーニングウェアに着替える。鏡の前で軽くシャドーボクシング。映る自分の姿は、少し筋肉が落ちているし、腹筋の割れ具合もかつてほどじゃない。でも、やる気が湧いてくる。あの興奮をもう一度味わいたい。あの悔しさを超えたい。

 「よし……走るか」

 俺はランニングシューズを履いて外に出る。まだ街は朝の準備すら始めていない時間。寒さが頬を刺すが、走り出してすぐに体は温まった。今さらかもしれない。あの世界タイトルマッチで負けたときには、こんな再スタートが待っているなんて思わなかった。それでも、まだ二十三歳。まだいける――そう信じたくなる自分がいる。

 街を走りながら、ゆっくりと息を合わせる。心拍数が上がり、肺が苦しくなると、少しペースを落とす。フォームを意識し、丹田に力を入れ、肩を開く。現役の頃に染みついた感覚がよみがえってくる。あのとき嫌というほど走った朝練の光景がフラッシュバックする。苦しい、もう辞めたい、そう思いながらも走り続けた日々。

 (俺はまだやれる。いや、やりたい)

 心のなかで、固くそう呟いていた。こんな俺を待ち望んでくれる人がいるかはわからない。でも、関係ない。リングに戻った先に何があるのか、それを確かめたい。無敗で世界王者になるという夢を今度こそ叶えられるのか、あるいはまた敗北するかもしれない。そこに行き着くまでには、きっと多くの苦しみや不安があるだろう。

 だが、それでも俺は思う。勝つことしか信じられなかった自分が、それ以外の価値があることを知りつつ、なおリングに戻る。はたから見れば矛盾に満ちているかもしれないが、俺にとっては大きな一歩だ。まだ見ぬ景色を、この拳で切り開いてみたいのだ。

 (勝たないと意味がない――でも、勝ち以外にもドラマがあるってことも知った。それでも、俺はやっぱり、勝ちたいんだよ……)

 その思いを胸に、俺は息を弾ませながら、勢いよく道路を駆け抜ける。遠いゴールを思い描きながら。まだ誰もいない朝焼けの中で、ひとり全速力で走る。コンクリートを踏む足音だけが規則的に響き、それが俺の決意を後押ししてくれているように感じた。

 こうして、俺は現役復帰への最初の一歩を踏み出したのだ。

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考察

プロット自体に面白さの限界があるから、これはプロの小説として通用する! というほどの面白さはまだないが、少なくとも文章力は地の文やセリフ含めて一般的なプロの小説家レベルあるように感じる。
ついでにo1にも同じプロットで書かせてみると以下のような文章になった。
どっちのほうが面白いかというと正直何とも言えない。
個人的にはo1の方が文体が砕けていて好みかな。
o1とo1 proには、プロットに沿って書かせるとそこまで顕著なほどの差はないように見える。
o1 proが優れているのは推論能力だが、詳細なプロットを渡したうえで書かせる小説に推論能力はそんなにいらないのでそこが原因かもしれない。

o1が書いた小説

第一章 引退会見
 まぶしい照明が、まるで演劇の舞台のように会見場を照らしている。ホテルの宴会場の一角で行われるその記者会見は、ボクシングファンならずとも注目を集めているらしい。テレビのカメラ、新聞記者、ネットニュースのライターたち、そしてファン代表のような人々が集まり、俺――元プロボクサー・如月 翼(きさらぎ つばさ)を取り囲んでいる。いや、「元」というのはまだ正確じゃないのかもしれない。今日をもって引退を表明するのだから、書類上の手続きはこれからだ。それでも、ここで正式に「引退」を口にする以上、世間ではもう俺は「元」と呼ばれるのだろう。

 俺は二十三歳。プロボクサーとしてはまだまだ若いと言われる年齢だ。しかも、一時は無敗を誇り、世界戦の舞台にまでこぎ着けた。本来ならこれからがキャリアの本番だと世間は思っていたはずだ。しかし、その世界タイトルマッチで俺は初めての敗北を喫し、そして、その直後に引退を決断した。あまりにも早い決断に驚きの声が上がるのは当然だろう。世間だけじゃなく、俺を育ててくれたジムの会長やトレーナーからも猛反対された。「まだチャンスはある」「若いんだから、これからだ」。そんな言葉をかけられ続けたけれど、それでも俺は背を向けた。結論は変わらない。

 会見室の中央には長机が置かれ、机の上には花束やマイクが用意されている。俺はそのマイクの前に座り、深呼吸してからゆっくりと頭を下げた。顔を上げると、無数のフラッシュが瞬く。こういう場に慣れているとはいえ、やはり独特の緊張が胃のあたりにしこりをつくる。

「本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます」

 そう切り出すと、最低限の礼儀としての挨拶と謝辞を述べて、俺はこれまでの感謝の気持ちや試合にかける思いなどを簡単に振り返った。そして、最大のポイントである引退の理由について問われたとき、俺は言葉に詰まった。まあ、あらかじめマネージャーやジムの会長からは「うまくまとめろ」と言われていたし、俺自身も昨夜必死に考えたのだけれど、どうも要領を得ない。そんなとき、会場の真ん中あたりから一人の記者が声を上げた。

「如月選手、まだ若いのにどうして引退されるんですか? 惜しいと感じるファンも多いと思いますが、やはり世界タイトルマッチでの敗北が大きかったのでしょうか?」

 その質問には、正直に答えるほかないと思った。俺はゆっくりマイクを握り直し、会場全体に響くように声を出す。

「そうですね……。世界タイトルマッチで負けて、自分の中で区切りがついたと言えば嘘になるかもしれません。本当は勝って世界王者になりたかった。それはずっと目指していた夢です。でも俺は勝てなかった。勝てないボクサーは存在意義がないと、俺はそう思ってしまうんです。ボクシングは勝負の世界ですから。自分が勝てないとわかった時点で、続ける意味が見いだせなくなった。それが正直なところです」

 そう言うと、記者席が少しざわめく気配がした。「勝てないボクサーは存在意義がない」――ちょっと刺激的な言葉だったかもしれないが、俺の本音だ。ボクシングを始めた頃からずっとそうだった。リングに立つからには、勝たなきゃ意味がない。俺はそう信じてやってきた。練習も試合も、すべては「勝利」という二文字のために存在していた。だからこそ、世界タイトルマッチでの敗北はあまりにも重い。初めての敗北が自分の最終戦になる――そう直感的に感じたとき、ボクサーとしての人生をやめる覚悟が自然と固まっていた。

 フラッシュの光がまた連続して灯る。さらに質問は続くが、大方は「本当に復帰の可能性はないのか」とか「今後の活動予定」についてだ。俺はどれも同じように、「復帰は考えていない。今後はゆっくりしたい」と答える。会場には落胆の空気が漂っているのが肌でわかる。俺自身が一番落胆しているとは言いたくても、それを口にはしなかった。そんな言葉を吐いてしまえば、いままで熱心に応援してくれた人たちに失礼かもしれないから。

 そして、すべての質問が終わり、会見は閉幕した。表情を引き締めたまま、再び深く頭を下げる。これで俺のプロボクサーとしての一区切りがついた。まるで何か大きな行事が終わったときのような虚脱感が心と体を包んでいる。ホテルを出ると、やけに風が心地よい。それは俺の決断が間違いではないと教えてくれているようにも思えた。

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第二章 引退後の日々
 引退会見の翌日、俺は長年の早朝ロードワークをさぼった。いや、「さぼる」という表現は変かもしれない。もうプロボクサーではないのだから、早起きして体を鍛える必要はない。そんな必要はどこにもない。そう思うと、布団の中でうとうとしているときに妙な罪悪感を感じつつも、もう少しだけ寝ていようという誘惑に負けた。それが随分と幸せなものに思えた。

 朝食を何気なく食べる。あたたかいご飯に味噌汁、卵焼き。何の変哲もないが、ずっと行動制限と体重管理に縛られていた身としては、こうやって自由に食べられるのがありがたかった。減量期には食べたくても食べられなかったものがいくつもある。甘いものや揚げ物なんかも制限したり、試合直前は水分も最小限に抑えたりと、日常生活から離れすぎていた部分が多い。そう考えると、食事の喜びは大きいと思う。

 しかし、いざ引退してみると、自由になったという実感よりも、どこか空白が生まれたように感じる。起床時間すら定まっておらず、何かに追われることもない。ジムで汗を流すこともなく、明日の対戦相手の映像を観る必要もない。試合が近づけば、あの緊張感に包まれて、神経が研ぎ澄まされるような感覚があるのだが、それもない。それが俺にとって幸せなことかどうか、まだよくわからなかった。

 引退してから一週間ほどは、ただぼんやりと過ごした。漫画を読んだり、ネット動画を観たり、ゲームをしたり。友人と連絡を取って、夜遅くまで飲みに行ったりもした。プロボクサーだった頃は夜遊びには制限があったが、もう誰からも何も言われない。楽しい時間のはずだった。だけど何かが物足りない。朝起きるたびに「今日、俺は何をすればいいのだろうか」と自問する。そんな日々が続いた。

 ある日、部屋の掃除をしていると、引退会見のときの新聞記事が目に入った。そこには俺の写真と、会見でのコメントが大きく載っている。「勝てないボクサーは存在意義がない――突然の引退表明、まだ二十三歳」。そんな見出しが躍っている。世間の反応は賛否両論らしい。「潔い」「もったいない」「逃げたんじゃないか」「彼にしかわからない事情があるのでは」といろいろな声があるようだ。ネットの掲示板やSNSを見ても、様々な意見が飛び交っていたが、正直あまり気にしていない。俺にとっては自分が納得した決断なのだから。

 だが、記事の末尾に「今後はどのような道を歩むのか期待がかかる」と書かれているのを見て、胸が少しだけ痛くなった。俺はこれから何をするのだろう。このままブラブラしているわけにはいかない。人生はまだまだこれからだ。スポンサー契約はすでに解除され、収入の見込みもない。無職、というわけだ。どうするべきか。ぼんやりと考えながら、ネットで求人を見てもピンとこない。やはりボクシング以外の仕事はどれも他人事のようだ。

 そんなとき、ふと頭をよぎったのが「小説を書く」というアイデアだった。突然のように思えるかもしれないが、きっかけは先日テレビで見たニュースだった。「人気新人作家が自伝的小説でデビュー」なんて特集をやっていたのだ。その作家はまだ二十歳そこそこという若さながら、自分の体験を生々しく綴って多くの読者の支持を集め、デビュー作がいきなり新人賞を受賞したという。「体験を生かす」という言葉が、まるで電撃のように俺の意識を刺激した。俺にも書けるのではないか。俺にはボクシングの経験がある。今まで見てきた風景、戦いの記憶、試合で味わった痛みと緊張感。そういうものを、文章にしてみたらどうなるのだろう。 

 思い立ったが吉日だ。パソコンを立ち上げ、ワープロソフトを起動してみる。ファイルを作成して、タイトル未定のまま、白いページが画面に表示される。キーボードに指を置いてみるけれど、何を書けばいいのかさっぱりわからない。文字を打つこと自体は慣れていないわけじゃない。SNSで友達とやりとりもしていたし、ネットで調べ物をするときはちょくちょく使っていた。ただ、「小説を書く」となると別だ。どうやって書き始めればいいのか、まるでわからない。ボクシングの場合は試合前に準備がある。相手を想定した練習メニューを組み、コンビネーションを試し、防御を鍛え、スタミナを強化する。だが、小説にはそんなわかりやすいメニューはない。

 それでも、始めなくては何も生まれない。俺は思い切ってキーボードを叩く。最初に思いついたのは、プロローグとして主人公がジムに入門する場面だ。ジムの独特のにおい、サンドバッグを叩く音、ロープを跳ぶリズム。そういったものを描けば、ボクシングの世界観が伝わるのではないか。俺自身が感じてきた空気感を、できるだけリアルに書きたい。最初はつっかえつっかえだったが、しばらく書いているとなんとか文章が連なっていく。もちろん、読んで面白いかどうかなんてわからない。まだ文字数もたいしてない。ただ、「何かを創造する」という行為は、ボクシングとはまた違う刺激がある。最初は戸惑ったが、指が文字を刻むと、それがまるで自分の中から湧き出るような感覚に包まれる。これはこれで悪くない。そんな風に感じた。

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第三章 最初の作品
 何日もかけて書き溜めた文章が、ようやく一つの物語の形をとり始めた。タイトルは「ラスト・バウト」。安直かもしれないが、俺の中で「最後の勝負」に固執している気持ちがどこかにあるのかもしれない。主人公の名前は神谷 拓海(かみや たくみ)にした。同じように「勝たなければ意味がない」と思っている性格に設定し、無敗で世界チャンピオンになるサクセスストーリーを描く。まさに俺が成しえなかった夢を、紙の上で叶えるように書いている。

 拓海は高校時代、ケンカに明け暮れていた不良少年だった。そこへたまたま訪れた名コーチが「その拳は宝だ」と見出す。やがてボクサーとしての才能が開花し、アマチュア大会で連戦連勝、プロに転向しても連勝を続ける――そして世界戦で勝利を手にする。そんな王道中の王道のストーリーだ。書いている最中は、それなりの熱量でキーボードを叩いていたのだけれど、いざ全部を書き上げてみると、どこか物足りなさを感じる。

 俺は原稿をプリントアウトし、一晩かけて読み返してみた。もともと小説を書くのは初めてだから、文体や表現の問題は多々ある。だが、それ以上に気になったのは、登場人物たちが平面的で、感情の奥行きがないことだった。主人公が勝ち続けることに疑問を抱かないし、周囲の人物は「才能を認める」か「嫉妬する」かのどちらかしかしていない。結局、拓海は大きな苦難に直面することなく、いともたやすく世界を手にしてしまう。自分が書いたにもかかわらず、「なんだ、この小説?」と首をかしげるばかりだった。まるで少年漫画の一番単純な筋書きを文章に置き換えただけ。たしかに俺は、自分の叶えられなかった夢を小説に投影したつもりだった。だが、ただの理想を並べても何かが足りない。そこにドラマはあるのだろうか。

 でも、問題は「何が足りないのか」ということがよくわからないことだ。勝っている場面ばかりを書いているせいか、苦しみや葛藤が薄っぺらいのかもしれない。しかし、俺自身は苦しみのど真ん中にいたのに、それを文章にうまく落とし込めない。自分では「勝たなきゃ意味がない」という考えに強く囚われていたわけだけれど、実際にはもっと多面的な感情があったはずだ。例えば減量の辛さ、怪我の痛み、周囲の期待に応えられるかという不安、そういったことを表現できていないのかもしれない。 

 さて、どうするか――。一度完成させたけれど、これはいくらなんでも応募しても受賞は無理だろう。自分自身が面白いと感じないものを、他人が面白がるはずがない。かといって、いまの俺には書き直すだけの力もないと感じていた。プロの作家はきっと、こういう壁にぶち当たっても乗り越え方を知っているのだろう。でも俺は初めて小説を書いた素人だ。

「よし、取材に行こう」

 そう思い立ったのは、ボクシング雑誌やスポーツ新聞のインタビュー記事なんかを思い出したからだ。自分ではわからないことを、直接体験している人に聞く。それはボクシングでいうところの「スパーリング」や「対戦相手のビデオを観る」に近いのかもしれない。俺が書こうとしているのは「ボクシング小説」だ。自分の経験だけではなく、他のボクサーの思いや背景を聞けば、なにか参考になるかもしれない。物語を深めるヒントが得られるかもしれない。実際に会って話をして、リング上の表情を見て、そこからインスピレーションを得よう。そうすれば俺の小説はもっと深みを増すはずだ――少なくとも、何もしないよりはマシだ。

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第四章 ジムへ
 取材の第一歩として向かったのは、俺がお世話になっていたジムだ。現役時代はほぼ毎日通っていた場所。引退後はなんとなく顔を出しづらくて、ずっと足が遠のいていた。ジムのドアを開けると、独特の汗とゴムのにおいが鼻をつく。サンドバッグを叩く低く鈍い音、シャドーボクシングの軽やかなステップ音、コーチの掛け声。懐かしさで胸がいっぱいになる反面、引退した俺がここにいるのは場違いにも感じる。 

「お、如月か!」

 パイプイスに座っていたトレーナーのひとりが声をかけてきた。俺がデビューした頃からずっと指導してくれていた人だ。優しい笑顔で手招きしてくれる。周囲の選手たちも、ちらちらと俺の存在に気づき始めた。だけど、誰も嫌な顔はしない。むしろ「あ、如月さん、久しぶりっすね!」と、次々と声をかけてくる。それが嬉しいやら気恥ずかしいやら、何とも複雑な気持ちだった。

「お疲れさまです。……ちょっと、今日は取材に来たんですけど」

「取材? ジャーナリストか何か始めたのか?」

「いや、小説を書いてみようと思って……ボクシングの題材で」

「お前が小説? へえ、面白いな」

 そう言って、トレーナーはにやりと笑う。変わらない顔だ。俺がわざわざここに来る理由を伝えると、ますます面白がっている様子だった。会長にも挨拶をしたが、会長は「お前が書くボクシング小説ならきっと迫力あるだろうな」と期待してくれているらしい。ありがたい反応だ。少なくとも「何言ってるんだ」みたいに否定されることはなかった。

 俺はジムにいる選手たちを見回す。サンドバッグを叩き込む若手、中量級の選手同士がスパーリングをしている姿、近々デビューする予定の新人。それぞれが真剣な表情で汗を流している。その姿を見ていると、自分が現役だったころの感覚がふつふつと蘇ってきて、なんとも言えない焦燥感に駆られる。俺はもう、この輪の中にいないんだ――だけど、話を聞き出すのが目的だ。嫉妬心を抑えて、俺は一人ずつ声をかけて回った。

「最近どうだ? 調子は?」

「はは、減量地獄っすよ。もう食べたいもんが食べられないのがツラいっす」

「次の試合はいつ?」

「あと一ヶ月後っす。しっかり仕上げて、勝って上に行きたいっすね」

 そんな何気ない会話を重ねていくと、みんな俺にいろいろ話をしてくれる。少なくとも「勝つのが当たり前」「無敗で突き進むのが当然」とは誰も思っていない。彼らは現役ボクサーとして、日々の練習や減量の辛さ、怪我との闘い、そして試合の日程が近づくほど増す緊張や不安を抱えている。俺が現役時代にも感じていたことだが、改めて他人から聞くとやはり生々しい。これらの要素を物語に織り込めば、もっとリアルさが増すかもしれない。そんな手応えを感じ始めた。

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第五章 ベテラン選手の引退試合
 ジムでの取材を終えた翌週、俺はあるベテラン選手の引退試合を観に行った。俺がデビュー戦でKOした選手だ。その人は当時も既に三十歳を超えていて、引退間近と噂されていた。その後も何度か試合を重ねていたが、勝ったり負けたりを繰り返し、とうとう今回の試合を最後にグローブを置くことになったらしい。俺はその人の名前を聞くと、複雑な思いが込み上げた。記憶に残る相手ではある。デビュー戦、俺は彼を圧倒的なスピードとパワーでわずか二ラウンドでKOした。当時の俺は「プロでやっていくにはインパクトある勝利が必要」と血気盛んで、リングの上で容赦なく攻め込んだ。相手は相当の打たれ強さを見せて、粘ってはいたが、最後は俺の右ストレートがクリーンヒットしてダウンした。その試合後、俺は一気に注目され、順調に連勝街道を走るきっかけになった。一方、彼はその試合を境に戦績が下り坂になったらしい。罪悪感とは言わないが、何かしらの因縁を感じていた。

 試合会場は小さなホールだった。椅子がぎっしり並べられ、観客たちが拍手と歓声を送る。ベテラン選手の引退試合ということもあって、いつもより客入りが多いと聞いていたが、そのとおりだろう。俺が足を踏み入れると、知り合いの関係者たちが「おお、如月君、久しぶり」と声をかけてくる。俺が引退してからさほど時間は経っていないが、ボクシングの世界では一試合ごとに人間模様が変わっていくから、別世界の人間のように見られても仕方ない。

 試合が始まると、ベテラン選手は動きこそ遅いものの、これまで培ってきたテクニックを駆使して攻めていた。ガードをしっかり固め、パンチを正確に当てる様子は、若いころの自分を思い出させる。「どうにか勝って有終の美を飾りたい」と彼の意思が伝わってくる。会場のファンたちも総立ちで声援を送り、彼のパンチがヒットすると大きなどよめきと拍手が起こる。それは俺が現役だったころと比べても遜色ないほどの大声援だった。「こんなにファンがいるんだな」と驚いた。正直なところ、俺がデビュー戦で当たったころは「そんなに強くないベテラン」というイメージがあった。だが、実績や戦績だけでは計れない、人間的魅力や長年の応援がここにはあるのだろう。

 結果的に、その試合は彼が判定勝ちを収めた。衰えは見えていたが、最後まで粘り強く戦ってきた彼の意地が勝利を呼び込んだように思う。勝ち名乗りを受け、彼は涙を流しながらリングに腰を落とした。その姿に、会場中から惜しみない拍手が送られる。俺は立ち上がって、その拍手に参加する。彼はリング上のインタビューで「こんな弱い俺でも、最後まで応援してくれるファンがいる。それが一番の誇りだった」と声を詰まらせながら言った。弱くても応援してくれるファンがいる――俺はその言葉に胸を打たれる。俺はずっと「勝たなきゃ意味がない」と思っていた。だが、彼は何度も負けながらもファンに支えられて今日までリングに立ち続けてきたのだ。

 引退セレモニーが終わったあと、俺は彼が控室に戻る前に急いで声をかけた。

「おめでとうございます。――あの、覚えてますか? 俺、如月って言います。デビュー戦で対戦させてもらった……」

 俺がそう切り出すと、彼は息を切らせながら、汗でびっしょりの顔を俺に向けた。数秒、こちらを見つめ、それから「ああ」と思い出したように頷く。

「そりゃ覚えてるさ。あんときは、完全にやられたよ。強かったなあ……。今でもあのパンチはトラウマだよ」

 苦笑いしながら、俺の肩をぽんと叩く。それだけで俺の心が少し軽くなった。彼はまったく怨んでいないようだった。

「すいませんでした。あの試合、容赦なく攻めて……」

「いやいや、ボクシングは勝負だからさ。それに俺も、若いころは同じことを先輩にしてきた。これが逆の立場だったら、お前に同じことされてたってことさ」

 そう言って笑う。俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。勝負の世界で生きてきたからこそわかる、敗北の重み。そして、敗北を超えた先にも、こんな清々しい笑顔があるのだ。俺は彼に、「引退後はどうするんですか?」と尋ねた。すると、彼はタオルで顔を拭きながら答える。

「俺は地元で小さなラーメン屋をやろうと思ってる。親父が昔からやってて、跡を継いでくれってずっと言われてたんだ。やっと親孝行できるよ」

 そう言った彼の瞳は、どこか晴れやかだった。勝ち負けを超えたところで、次の人生を楽しもうとしている。俺は自然と「がんばってください」と声に出していた。

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第六章 大怪我からの復帰戦
 次に取材したのは、大怪我をして再起不能と言われながら、奇跡的に復帰を果たした選手の試合だ。彼は数年前の試合中に顎を砕かれ、さらに視神経にもダメージを負い、一時は引退やむなしという状況に追い込まれた。それでも諦めず、手術とリハビリを経てリングに戻ってきたのだ。

 その試合会場は地方都市の体育館で、そこまで大きなイベントではなかった。観客席に空席が目立つが、彼を応援する人たちの熱は高い。復帰戦の相手はランキング的には格上だが、彼は堂々とリングに上がる。実況アナウンサーも「壮絶な怪我からのカムバックに注目です」と煽っている。俺は客席の後ろの方で、それを静かに見つめていた。

 ゴングが鳴る。両者が丁寧にジャブを出し合い、距離を図る。復帰戦ということで、彼も慎重な入り方だ。過去の怪我を思えば無理もない。顎や目に再度ダメージを受けたら、今度こそ選手生命が終わるかもしれない。それでも、ラウンドが進むにつれ、彼はじりじりと前に出ていく。自分からパンチを放ち、手数で相手を上回ろうとしている。その姿は必死で、そしてどこか痛ましい。元通りの動きが取り戻せているかどうかはわからないが、少なくとも気迫は伝わってくる。

 だが、現実は甘くない。相手もプロである以上、攻撃の手を緩めることはない。中盤、彼のガードが少し下がったところを見逃さず、相手が強烈な右フックを叩き込む。ぐらりとバランスを崩し、ロープに寄りかかりそうになる。会場がざわつく。俺は思わず立ち上がりそうになった。顎や目をまた傷めるんじゃないかという不安で胸がいっぱいになる。だが、彼は必死に踏ん張り、なんとかダウンを免れた。その後も必死に食らいつき、決して諦めようとはしない。

 最終ラウンド、ポイント的にはかなり厳しい状況だ。それでも彼は最後の力を振り絞るように打ち合う。観客席からも「がんばれ!」という声援が飛ぶ。俺はただ拳を握りしめて見守るしかない。ゴングが鳴り、試合終了。判定は、残念ながら彼の完敗だった。だが、リングを降りてきた彼の表情は、どこか清々しい。それは俺が世界戦で負けた時の絶望的な気持ちとは少し違って見えた。

 彼は肩を借りながら控室へ歩いていく。その後を追うと、彼は汗を拭きながら、息を整えていた。周囲にはチームのスタッフや友人らしき人たちが集まっている。みんな「よくがんばった、復帰だけでもすごい」と声をかけている。彼は悔しそうに歯を食いしばっているが、それでも「今日の悔しさをバネに、またやり直す」と言う。その瞳には、「まだまだこれからだ」という強い意志が宿っていた。

 俺はその姿を見ていて、何とも言えない感情に襲われた。俺なら、あれほどの怪我をしたら、きっともう立ち上がれなかっただろう。彼のように「少しでもリングに立ちたい、まだやれる」と思えただろうか。そして、いま勝ち負け以上の何かを得ているような、そんな達成感や感謝のようなものを彼の表情から感じ取った気がする。「勝たなきゃ意味がない」と思っていた俺とは全然違う景色がそこにある。俺は控室の片隅で、かすかに拳を震わせながら、それを見つめていた。

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第七章 新人王戦で倒した男
 さらに足を伸ばして、俺は昔の対戦相手にも話を聞いて回ることにした。次にアポイントが取れたのは、新人王戦のときに一ラウンドで倒した相手だった。名前は坂本。俺と同じ年齢で、当時はデビューしたばかりだった。とはいえ、俺は大差をつけて勝った記憶がある。パンチを合わせればすぐにぐらついてしまい、最後は左フックでダウン。たった一ラウンドで終了した。新人王戦でインパクトを残そうとしていた俺にとって、ある意味で都合のいい相手だったという印象だった。

 そんな坂本がどうしているのか気になった。ジムに電話すると、「今も現役だ」という。しかもすでに子どもがいると聞いて驚いた。俺と同い年で、もう家庭を持っているのか……。彼もまた、何度も負けを繰り返しながら、それでもリングに上がり続けているらしい。次の試合が近いとのことで、練習後に時間を作ってもらうことになった。

 指定された喫茶店に到着すると、坂本はジャージ姿で待っていた。短髪で少し焦げ茶色に染めた髪。人懐っこい笑顔が印象的だ。俺を見るなり「おー、久しぶり!」と手を振ってくる。こちらも思わず笑顔になる。ボクサー同士ということもあって、不思議な連帯感があるのかもしれない。

「なんか引退したって聞いてびっくりしたよ。まだ二十三でしょ?」

「そうなんだよね。俺も自分でびっくりしてるぐらいだけど、まあ、勝てなくなったら意味ないしさ」

 そう答えると、坂本は少し表情を曇らせる。

「でも、お前らしくないな。デビュー戦で対戦したときは、圧倒的だったじゃん。あの強さ、もう見れないのかと思うと寂しいな」

 その言葉を聞いて、胸がちくりと痛む。あのときの俺を覚えているのは、自分の中にある強さへの憧れだったのだろうか。あるいは悔しさかもしれない。

「お前は今どうなんだ? ジムのみんなはお前のこと、がんばってるって聞いてるよ」

 俺がそう訊ねると、坂本は恥ずかしそうに頭をかく。

「がんばってるっていうか……もう子どももいるし、簡単に引退もできなくなっちゃってさ。俺はお前と違って、ほとんど負けてばっかなんだよ。だけど、不思議なもんで、毎回試合をやるたびに、仲間や家族が応援してくれる。俺の試合なんて毎回負け続きなのに、次こそは勝てるんじゃないかって信じてるみたいで」

「それ、逆にプレッシャーじゃない?」

「まあ、プレッシャーだよ。でも、だからこそやってるのかも。勝たないと、次こそは勝たないとって思うんだよ。いつか家族に勝ち試合を見せたい。それがあるから、練習もやめられないし、試合もやめられない」

 坂本はそう言って真顔になる。「いつか家族に勝つところを見せたい」――それが彼を支える原動力らしい。俺は、そんな坂本の姿に少し羨ましさを感じた。俺が「勝つこと」にこだわっていたのは自分のプライドやキャリアのためだった。でも彼は、「家族のため」という明確な理由を持ち、負け続けても諦めない。「勝たないと意味がない」と俺はずっと思ってきたが、その意味をどこに置くのかは人それぞれだ。坂本にとっては勝利が「家族に喜んでもらうための手段」になっている。俺のように自分のプライドのためだけに追い求めていたのとは違う世界がそこにある。

 話を聞けば聞くほど、俺の中にある固定観念が揺さぶられていく。ボクシングは勝つことが全て。でも、勝てなくてもリングに上がり続ける人間がいる。それはなぜなのか。彼らの理由はさまざまだ。ファンがいるから。家族がいるから。自分の生きがいだから。あるいは本当に好きだから――。俺は自分の中で何かが変わり始めているのを感じた。

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第八章 埋まらないピース
 こうしていくつもの試合を観戦し、元対戦相手に話を聞き、俺はたくさんのメモを取った。帰宅してから、そのメモを読み返しつつ、再度小説を書き直そうとした。今度は、主人公を完璧超人ではなく、いろいろな悩みや葛藤を抱えたボクサーにした。何度も怪我をし、時には家族との関係も危うくなりながら、それでも「勝ちたい」という思いを捨てずにリングに立ち続ける――そんなストーリーだ。

 だが、不思議なことに、前よりはマシになった気もするのだが、まだ自分の中でしっくり来ない。読んでみても、なぜか「これは面白い!」と胸を張れない。確かに、取材を通じていろいろな選手のドラマを学んだ。そのエピソードを散りばめているから、以前よりはリアリティや感情の起伏もある。けれど、何かが足りない。俺が本当に書きたいのは「強くて無敗のチャンピオンの物語」ではなかったのか? いや、それを描きたいはずなのに、どうしても負けたり、苦戦したり、迷ったりする描写ばかりが多くなってしまう。それはまるで俺自身の葛藤の反映のようでもある。

 夜中、パソコンの画面を見つめながら、ため息がこぼれる。もしかしたら、俺は根本的に「勝つことだけにドラマがあるわけではない」という事実を、まだ受け入れきれていないのかもしれない。取材した選手たちの姿を見て、頭ではわかったつもりでいる。彼らのように負けても続ける意義があるということを。でも、俺の心の奥底には「勝たないなら意味がない」という信念が根強く残っている。それを自分で否定することにためらいを感じているのだろう。

 こうして悶々としながらも、締め切りは近づいている。俺は自作の小説をいくつかの新人賞に応募してみようと考えていた。もちろん、落ちる可能性のほうが高いだろうけれど、応募しないことには始まらない。だからこそ、なんとか形にして締め切りに間に合わせようとしていた。しかし、書けば書くほど中途半端で、筆が重くなる一方だった。

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第九章 天才高校生とのエキシビジョン
 そんなある日、古巣のジムの会長から電話があった。

「如月、お前、ちょっとリングに上がってくれないか?」

 唐突な申し出だった。詳しく話を聞くと、近々ジム主催の興行があり、その前座として注目の天才高校生ボクサーとエキシビジョンマッチをやってくれないか、というのだ。その高校生はアマチュアでめきめきと頭角を現し、オリンピック候補として連盟からも注目されているという。プロの選手ではないから公式戦にはできず、あくまでイベントとしてのスパーリング形式になるらしい。ジムとしては話題作りにもなるし、観客も呼べるだろうという思惑だ。 

「俺はもう引退してるんですよ? そんな俺とやって、面白いんですか?」

「やっぱりお前は元世界タイトル挑戦者だし、知名度もある。そいつの名前を売るにしても、いい機会なんだよ。それに、エキシビジョンって言っても、観客はちゃんとお金を払って観に来る。本気じゃなくてもある程度動ける相手がいないとな」

 そう言われて、断り切れなくなった。正直なところ、引退してからまともに練習なんてしていない。体力も落ちているし、スパーリングしたらどうなるのかすら不安だ。でも、会長には恩があるし、少しぐらいなら協力してもいいと思った。何より、「リングに戻る」という響きが、心のどこかをざわつかせる。久しぶりにグローブをはめ、パンチを打ち合う感覚――それを考えると、なぜか不思議な興奮を覚えた。

 当日までに多少の準備はしておこうと、ジムに通って体を慣らすことにした。久しぶりの縄跳び。すぐに息が上がり、脚がもつれそうになる。シャドーボクシングもやってみたが、筋肉が悲鳴を上げる。こんなにも衰えているのか……。でも、あの汗のにおい、ミットを打つときの鈍い音、すべてが懐かしく、同時にワクワクする気持ちを呼び起こす。自分はやっぱりボクサーだったんだ――その事実を改めて思い出す。

 やってくるエキシビジョン当日。会場は中規模のホールだ。客席にはそこそこの人数がいる。前座として組まれている他の試合には、坂本の試合も含まれていた。「今度こそ勝つところを子どもに見せたい」と意気込んでいたのを思い出す。坂本は控室で緊張の面持ちだが、「がんばろうな」と言って俺とグローブタッチを交わした。その瞬間、俺も「がんばれよ」と拳を握り返す。勝ち負け以前に、必死にがんばる姿を俺は見届けたいと思った。

 坂本の試合は第三試合に組まれている。客席の後ろの方から、俺はそっと観戦する。リング上で彼の姿を追うと、客席には奥さんと小さな子どもの姿が見えた。二人とも坂本の名前が入ったうちわを持っている。子どもはまだ幼いが、一生懸命にパパを応援している。その光景を目にすると、不思議と胸があたたかくなる。

 試合が始まる。坂本は気合十分に攻めるが、相手のカウンターが的確に入る。何度もパンチをもらい、足元がふらつく場面が続く。観客席からは「頑張れ!」「下がるな!」という声援が飛び交うが、次第に坂本は体力を削られていく。最後のラウンド、なんとか立っているが、ポイント差は明らかだ。ゴングが鳴り、判定に持ち込むものの、やはり負け。マイクを持ったリングアナウンサーが相手の名前をコールすると、坂本は崩れ落ちるように泣き崩れる。奥さんや子どもの前で、また負けてしまった。その悔しさは想像に難くない。俺は会場の後ろで、ただその姿を見つめることしかできなかった。子どもはわけもわからずキョトンとしているが、奥さんの顔は歪んでいた。坂本は震える手でロープを掴み、リングから降りる。スタッフが肩を支えながら控室へ連れて行く。勝つことを夢見てリングに上がっても、結果は非情だった。

 その瞬間、俺の胸は重苦しい痛みで締めつけられた。坂本はあれほど家族に勝ち試合を見せたいと願っていたのに、その想いはまたも報われなかった。なぜボクシングはこんなにも残酷なのか。いや、勝負の世界はどれも残酷だ。そこに救いを見いだすかどうかは本人次第なのだろう。けれど、勝てなかったとしても坂本の闘いは無意味だったのか? そう考えたとき、俺は頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。

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第十章 エキシビジョンマッチ
 会場がいったん暗転し、スポットライトがリングを照らす。リングアナウンサーが俺の名前をコールする。客席からはざわめきが起こる。引退したはずの元世界挑戦者が出てくるのだから、当然だろう。俺はセコンドについた会長とともに入場ゲートからリングへ向かう。その短い距離を歩いている間、頭の中にはいろいろな思いが駆けめぐる。坂本の悔し涙、ベテラン選手の引退試合、大怪我を乗り越えた選手の姿、そして俺自身が世界タイトルマッチで敗れた瞬間――。すべてが入り混じって、胸が苦しいほど高鳴る。

 リングに上がると、対戦相手である天才高校生がすでに待っていた。身長は俺より少し低いが、筋肉の張りは一目見てわかるほど。目つきは鋭く、すでに闘争心を燃やしているように見える。「今日はよろしくお願いします」と一応礼儀正しく頭を下げてくれたが、その瞳は俺の強さを試したいという欲でギラギラしている。

 ゴングが鳴り、エキシビジョンマッチとはいえ、俺たちはガチンコのスパーリングを始める。相手は鋭いジャブを伸ばし、スピードもある。俺はブロッキングしながら、その感触を確かめる。久しぶりの本気の打撃を受けると、体が硬直しそうになるが、同時に「懐かしい」という感覚が走る。相手のパンチをかいくぐりながら、俺はカウンターを狙う。自然と踏み込みが深くなる。だが、体は思うように動かない。距離感を計り誤り、逆にガツンと右ストレートをもらってしまう。頭が揺れ、口の中に血の味が広がる。痛み。こうだった。これがボクシングのリアルなんだ。久しぶりに味わう、懐かしくも憎い痛み。 

 次の瞬間、相手が一気に畳み掛けてきた。スピードのある連打が俺のガードを弾き、ボディにも重い一発が入る。たまらずロープ近くまで後退するが、ここで踏ん張らなければ、あっという間に沈められてしまう。俺は必死に反撃する。左フックを頭部に引っかけ、さらに右ストレートをボディへ打ち込む。相手も息をつまらせたように、一瞬動きが止まる。しかし、高校生とは思えないほどしなやかなリカバリーで即座に距離を取り直す。なんて反応速度だ。俺は舌打ちしたくなるほど、彼の才能に苛立ちと羨望を感じる。

 しばらく打ち合いが続く。エキシビジョンといえども手加減なしの攻防だ。やがて制限時間が近づき、コーナーから合図がかかる。互いに一歩下がり、ゴングの音を聞いて試合終了――すぐさま会場中が拍手喝采に包まれる。血が沸き立つのを感じながら、俺は息を切らして天才高校生とグローブタッチを交わす。彼はまだ十分に余力がありそうな顔をしていた。俺は正直、フラフラだった。

 リングから降りて控室へ戻ろうとすると、急に視界が滲む。ああ、疲れた。本格的な試合ではないのに、ここまで体にこたえるとは。だが、久しぶりに拳を交えたことで、言葉にならない高揚感がある。そして、その高揚感と同時に、俺の胸にはこれまでくすぶっていた何かが熱を帯びて燃え上がるのを感じた。

「俺は……やっぱりボクシングが好きなんだ」

 そう、心の中で呟く。勝ち負けだけが全てだと思っていた。事実、世界戦で負けて落ち込んで引退した。それなのに、こうして再びグローブをはめたとき、俺の魂が震えたのだ。坂本の涙や、ベテランの引退、怪我からの復帰。そこにあるのは「勝利」という言葉だけでは測れないドラマだ。人は失敗し、負けながらも、それでも戦い続ける。俺はその姿を取材で目の当たりにしてきた。そして、いま自分がリングに上がって感じるのは――「まだ終わりたくない」。全身がそう叫んでいる。

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第十一章 再始動
 エキシビジョンを終えた夜、俺はシャワーを浴びながら決意していた。「現役復帰しよう」。そう、はっきりと心に誓った。あのまま引退して終わるには、俺はまだ若いし、心の炎は消えていなかった。世界タイトルに挑戦して負けた、だからと言ってすぐ引退するなんて、もしかしたら逃げだったのかもしれない。たしかに「勝たなきゃ意味がない」という信念は今も根強い。だが、「一度負けたからって、そこですべて終わりにするのは違う」と、今回の取材で学んだのだ。

 翌朝、目が覚めると同時に、「もう一度走らなきゃ」という思いが湧いてきた。いつもなら「もうプロじゃないし」と布団に潜り込んでいただろう。しかし、今日は違う。すぐにジャージに着替え、スニーカーを履いて家を出る。まだ日が昇り切らない街を、ゆっくりとジョギングする。心拍数を上げながら、空気を胸いっぱいに吸い込む。なんだ、この感じは……。身体に活力がみなぎってくるようだ。遠くの空が徐々に明るんでいくのを見ながら、「もう一度世界に挑戦したい」という言葉が頭に浮かぶ。そして、それを否定する気にはなれなかった。

 帰宅したら、さっそくジムの会長に電話を入れる。会長は驚いていたが、俺の決意を聞くとすぐに「じゃあ、明日ジムに来い。改めて話をしよう」と言ってくれた。俺はそれを聞いてガッツポーズをとった。これから先、大変な道のりになるのはわかっている。それでも、「もう一度やりたい」という気持ちが勝る。

 そして、パソコンの前に座ると、これまで書いてきた小説のデータをゆっくり眺める。数週間前まで、これを完成させて新人賞に応募しようと必死になっていたのに、不思議と急に気持ちが冷めてしまった。「小説を書きたい」という情熱は、今の俺の中では小さくなっている。というより、それよりも「現役に戻りたい」という想いが大きく膨れ上がっているのだ。もちろん、このまま小説を書くことを投げ出すのは中途半端だとは思う。だけど、俺は今、ボクサーとしての道を進む決意をした。勝負はこれからだ。いつか、もっと自分の気持ちに区切りがついたとき、本当に書きたいものを書けるようになるかもしれない。そんな予感がある。

 書きかけの原稿をスクロールする。そこには、負けても立ち上がるボクサーたちのエピソードが並んでいる。かつての俺なら、「そんなに負けるのは恥だ」と思っていたかもしれない。でも今は違う。負けてもなおリングに上がる姿には尊敬すべきドラマがある。それを描くのには、もう少し俺自身が戦い続けなくてはいけないのかもしれない。俺はファイルを上書き保存し、ゆっくりとパソコンを閉じた。

「待ってろよ、世界。今度こそ絶対に勝ってやる」

 そう呟きながら、俺は拳を握りしめる。まだ間に合う。二十三歳、若さは最大の武器だ。もう一度挑戦して、もしそれでもダメだったら――そのときこそ、本物のボクシング小説を書けるかもしれない。負け続けてでも、俺は立ち上がる選手たちのような物語を、生身の経験として綴れるのかもしれない。それを思うと、不思議と胸が高鳴った。

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エピローグ
 それから数日後、俺は正式にジムへ復帰の意志を伝え、再びプロライセンスの更新手続きを始めた。会長やトレーナーからは「やはり戻ってきたか」と大歓迎を受けた。周囲の反応はさまざまだ。引退を表明したくせに、また戻ってくるなんて無責任だと批判する人もいるだろう。でも、構わない。俺自身の心に火が灯っているのだから、その炎を消したくない。

 とりあえず新人賞に出す予定だった小説は、いったん投稿だけはしてみることにした。未完成感は拭えないが、締め切りは待ってくれない。書き直した部分はある程度かたちにしたので、ひとまず送っておこうと思ったのだ。結果はどうなるかはわからない。たぶんダメだろう。でも、それでいい。今はボクシングに戻ることが最優先だ。

 早朝ロードワーク、シャドーボクシング、サンドバッグ打ち。以前の生活リズムが戻ってきた。最初は体が悲鳴を上げていたが、日に日に慣れていくのがわかる。あの天才高校生にリングで打ち負かされそうになった悔しさも、俺を奮起させる要因だった。いつかあいつがプロになったら、今度は公式戦で拳を交えたい。ボクシングをやめずに続けるなら、そのチャンスはきっと巡ってくるだろう。

 取材で出会ったボクサーたち――坂本や大怪我から復帰した選手たちも、それぞれの場所でがんばっているだろう。坂本は次の試合が決まったらしい。今度こそ勝つところを子どもに見せられるかどうかはわからない。でも、リングに上がり続ける限り、チャンスはある。勝利という結果だけがドラマを生むわけじゃない。俺はそれを、彼らの姿から学んだ。 

 いつか俺も本当の意味で強くなりたい。リング上でも、心の中でも。勝たなければ意味がないと思い続けた俺だが、負けても生まれるものがあると知った今、その「勝利の意味」も少し変わるかもしれない。世界タイトルに再び挑む日が来るまで、俺は走り続けよう。そして、すべてを出し切ったときに、改めて「ボクシングとは何か」を書く。今度こそ、本物のドラマを描きたい。そのときこそ、俺は胸を張って「小説家になりたい」と言えるのかもしれない。

 朝日に照らされる道路を、俺は今日も駆ける。息が上がり、心臓がドクドクと大きく鳴っている。だが、その鼓動は俺の生きる証そのものだ。勝つことだけがすべてだった過去の俺。それがあったからこそ、今の俺がいる。そして、俺はもう一度立ち上がる。まだ終わりじゃない。リングの魔力に魅せられた一人のボクサーとして、俺は自分の拳を信じて戦う。そして、いつか遠くない未来に訪れるかもしれない「もう一度の世界戦」を夢見て、今日はまたひたすらに走るのだ。

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テーマだけ与えて、それを元にプロットを作成してもらって小説を書いてもらう場合

実験内容

以下の内容のプロンプトを連続で与えて、自分で作成した小説をo1 proに作ってもらう。
ほぼ最低限のプロンプトで自由に考えさせる。

あまり見ない、斬新で面白い短編のファンタジー小説のプロットを書いて
ではこのプロットを使用して、小説を書いて。
小説家のように、地の文大目で重厚な古典ファンタジー小説のように書いて
文字数は3万文字程度で書いて。

実験結果 プロット

タイトル:群青の空を泳ぐ魚たち

あらすじ(プロット):

水底都市と空魚(そらざかな)
物語の舞台は、地上が海に沈んでから数世紀後の世界。人々は海の底に作られたガラス張りの都市「アクア=シェル」に住んでいる。ある日、外に住むはずのない「空魚(そらざかな)」が水底都市の空中を泳ぐという奇妙な現象が起こる。透明な魚のようにも見えるが、その姿は微かに光をまとい、どこか人間の記憶を映すかのように色合いを変えている。

忘れられた天井(そら)
アクア=シェルの空は、昔の地上にあったはずの“大空”の名残としてみなが呼ぶ“天井(キャノピー)”で覆われている。だが住人たちは実際の空の色を知らず、「青」という概念すらも神話の一部になってしまっている。空魚が出現したと同時期に、このキャノピーに亀裂が走り始める。

主人公と空魚との接触
若き修繕技師の〈ラナ〉は、天井の点検中に初めて空魚に近づく。ふわりと水中を漂うように泳ぐ空魚に触れた瞬間、〈ラナ〉は不可解な映像を見る。そこには、荒れ果てた陸地と深い青空が広がっている。記憶のようでもあり、誰かの夢のようでもあるその情景に戸惑う〈ラナ〉。アクア=シェルの市長は、天井の亀裂や空魚の出現が住人に不安を与えるとして、空魚の捕獲を命令する。

空魚が映し出す「失われた物語」
空魚は、人々の心の奥底にある「失われた空の記憶」を反射する存在だった。大昔、まだ水没する前の世界で人々が夢見た「群青の空」を映し出しているという。さらに、空魚は地上に残された“何か”の呼びかけによって現れた可能性があると、古代伝承を研究している学者が語る。

キャノピー崩壊の危機と脱出
空魚の数は増え続け、亀裂もどんどん広がっていく。アクア=シェルに暮らす人々は、水圧に守られた安定した生活を捨てるか、このまま都市ごと壊滅してしまうかという選択を迫られる。市長は「もっと深い海溝の底」へ移転する案を打ち出すが、〈ラナ〉は古代の地上(空)を再び見たいという想いを捨てきれない。
そこで〈ラナ〉は、空魚が導く映像を手がかりに、海面近くの廃墟を目指す計画を立てる。外界へ出る決断は、都市の外へ出たことがない住人からすると命がけの冒険だった。

海面上の世界と新たな発見
〈ラナ〉は仲間数人とともに古びた潜航船で海面を目指す。そこには、時代に忘れられた陸地の残骸があり、浅瀬には再び輝きを取り戻しつつあるサンゴや植物が育ち始めていた。息苦しいと思われていた地上の世界に、実は再生への光が宿り始めていたのだ。海面に浮上したとき、〈ラナ〉の目に映ったのは神話でしか知らなかった「群青の空」。そして空魚たちが、まるで歓迎するように青空へと舞い上がっていく。

選択の結末
〈ラナ〉たちは、アクア=シェルの住人たちにこの新しい地上の状況を伝えるために再び潜航船に乗る。人々は安全な深海へと逃れるか、それともリスクを負って再生した世界へ踏み出すか。物語のラストでは、〈ラナ〉の報告を受けて迷いながらも希望を見出そうとする住人たちの姿が描かれ、「閉ざされた空」を破って外界へ向かう意志が芽生えるところで幕が下りる。

テーマ・メッセージ:

「失われたもの」が実は今も人々の心の中で息づいていること
自分たちが慣れ親しんできた環境の“外”にこそ、新たな再生と可能性が存在すること
記憶や伝承から学び、恐れや安定を手放してでも未来を切り拓こうとする人間の強さ
この短編のポイントは、「海底都市に住みながら空を知らない人間たち」が、「自分たちが神話だと信じていた空」や「空魚」の不思議な導きによって外の世界に飛び出していく物語性にあります。過去の文明の名残と再生へ向かう兆しを交差させることで、ファンタジーとしての新鮮さと希望に満ちた結末を提供する作品構成になっています。

実験結果 生成した小説

群青の空を泳ぐ魚たち
 その都市は海底にあった。海面から遠く、深く、闇のただ中でかろうじて光を保ち続ける、ガラスのドームに覆われた人類の最後の砦――名をアクア=シェル。
 人々は何世紀も前に大海原が陸を覆い尽くしたその時代から、このドームの内側に住み着き、外界の猛威から身を護っていた。彼らの祖先は、追いすがる波涛と沈みゆく文明を見限り、少しずつ海底へと逃れていったのだという。古書や伝承によれば、かつて人類は青い空のもとで暮らしていたそうだが、その“青”がどのような色合いだったのか、いまや誰も知らない。
 天空であるべき場所は、アクア=シェルの住人たちにとっては「ガラスの天井(キャノピー)」と呼ばれる堅牢な壁にすぎなかった。その内側にはいくつもの塔と居住区画が連なり、無数の水路が巡らされ、人口の光源が昼夜の変化を一応はもたらしている。だが、文明の記憶が失われて久しく、もはや外の世界に興味を持つ者は少ない。
 あくせくと働き、ほんのささやかな幸福に酔いしれ、やがて土に還る――彼らは海底の町に根を下ろし、その暮らしを当然のものとしていた。外界に関する伝承や逸話はおとぎ話に近く、子供にだけ人気のある物語だったのである。かつては光にあふれた陸地があったと。それを実感する手段は、もはやほとんど残されていなかった。

第一章 海底都市の朝
 アクア=シェルに“朝”が訪れるとき、それは巨大な照明装置がゆっくりと輝きを増していくことで知覚される。ドームの内部に閉じ込められた薄暗さを振り払うように、柔らかなオレンジの光が壁を染め始めるのだ。
 市の中央に立つ時計塔が六つの鐘の音を響かせた。合金製の歯車たちが静かに連動しながら澄んだ音色を生み出し、人々に新しい一日を告げる。
 ラナは修繕技師の見習いとして、いつも通りその音を聞くや否や布団から身体を起こした。彼はまだ少年のあどけなさを残しつつも、修繕工房での厳しい修行によって鍛えられた腕と、機械に対する好奇心に満ちた瞳を持っている。
 ラナの部屋は円筒形の建物の三階部分にあった。窓と呼べるような外界と通じる開口部はなく、かわりに壁に埋め込まれた小さな水槽が淡い光を灯している。水槽の中には発光クラゲがふわふわと漂い、まるで自分だけが大海原を自由に生きているかのように見える。ラナは毎朝そのクラゲに向かって挨拶をするのが習慣だった。
 「おはよう、クラゲさん……今日も頑張るよ」
 いつものように呟くと、クラゲは小さく震えるように光を強める。返事なのか偶然なのかはわからない。だがその揺らめく光を見るたび、ラナは自分がまだ少年であることを感じていた。ここは都市の片隅。彼がこれから向かうのは、ドーム外郭を始め、ありとあらゆる機械や装置の修繕を請け負う工房である。
 朝食は簡素なスープと、深海魚の干物を塩で軽く調味したものだ。淡泊な味に慣れた舌でも、たまにはもう少し多彩な風味を味わいたいと思う。しかし海底という環境では贅沢品は限られている。ラナは食器を片付けると、作業服をまとい腰道具を装着した。
 工房へ向かう途中、すれ違う人々も大なり小なり同じような姿だ。皆が自分の役目をこなし、都市を支えている。通りには様々な施設が並び、市場には養殖場で育てた魚や植物が並んでいた。この都市で手に入る食料は限られているが、それでも人々は工夫して生活しているのだ。
 アクア=シェルの朝は、いつも通りに穏やかなはじまりであった。しかしこの日ばかりは、誰もがほんのわずかな違和感を覚えていた。まるで空気が濡れているような妙な気配――ドームの内部とは思えぬほどの涼やかなそよ風が、かすかに頬を撫でた。だが、人々はそれに気づいても「変な天候だな」と首をかしげるだけで、特に深く考えることもなく足早にそれぞれの目的地へ向かう。
 彼らにとって外界の異常気象など関係ない。ドームがあればこその安定が守られている、と信じて疑う者はいなかったのである。

第二章 光の中を泳ぐ影
 修繕工房は都市の北側区域に位置し、高くそびえるタワーの一角を占めている。そこにはさまざまな技術者や職人たちが集まり、ドームの保全や機械装置の維持管理に従事していた。
 ラナが工房の門をくぐると、先に来ていた仲間たちが作業準備に取りかかっているところだった。機械仕掛けの道具が所狭しと並んだ作業台の向こうで、親方であるグライスが大きな図面を眺めている。黒く整えた髭と厳つい肩幅は見るからに職人肌を思わせるが、その目はいつもどこか優しげだ。
 「おはよう、ラナ。今日はドームの外郭部分の点検だ。キャノピーの接合部に少しヒビが入ってるんじゃないかって連絡があった。」
 グライスは図面から目を離さずに言った。
 「外郭、ですか? また潜水服を着て潜るんでしょうか?」
 ラナは一瞬身震いする。ドーム外郭の点検作業は水圧との戦いであり、海底の闇と隣り合わせの危険な仕事だ。潜水服こそあるとはいえ、外の世界へ直接出るというのは並大抵の不安ではない。
 「そういうことだな。だが、お前ももう何度か経験してるだろう。いい加減慣れてきた頃合いじゃないか?」
 グライスは笑う。ラナも口元で苦笑を浮かべるしかない。工房の修繕技師として避けては通れない重要任務である。ましてドームに亀裂が入っていれば大事だ。
 「はい、準備します。」
 ラナは素直にうなずいてから、ロッカーへと向かった。そこにはゴムと金属が組み合わさった重厚な潜水服が並んでいる。彼が見習いになってから初めて着たときの息苦しさといったらなかった。今では多少慣れたものの、装着すれば相応の緊張感が身体を包む。
 「ラナ、今日はお前とオルフェ、二人で外郭を回って来い。俺はここで待機している。何かあったら無線で報告しろ。」
 グライスが指示を出し、隣のロッカーから現れたのは同じく見習いのオルフェという青年だった。ラナより少し年上で、落ち着きのある性格だ。
 「よろしくな、ラナ。準備はいいか?」
 オルフェは力強く手を伸ばし、潜水服の接合部をラナの背中側で留めてくれる。金属の留め具がカチリと鳴り、頭部のヘルメットと胴体部分の連結が確かめられる。
 「うん。空気供給のバルブ……よし、問題ない。」
 ラナもオルフェの装備を手際よく確認していく。互いに点検し合わなければ、万が一外の水圧に耐えられなかったとき命を落としかねない。
 やがて二人は潜水服に身を包み、工房の地下にあるドッキングルームへ向かった。そこにはドームの外へ繋がる小さな水門があり、丁寧に圧力を調整しながら外に出ることができる構造となっている。
 水門が開き、分厚いガラスの扉を抜けた瞬間、濃紺の海水がどっと襲いかかる。身体を押しつぶすような圧迫感に慣れるまでに数秒を要し、その間、ラナの鼓動は激しく脈打った。
 しかし、数度の深呼吸を繰り返すと、ヘルメット越しに聞こえる自分の呼吸音が安定し、視界には深海の静かな世界が広がっていく。
 水中をゆっくりと漂いながら、アクア=シェルの巨大な外郭部分を目指す。ドームの姿は内部から見る以上に雄大だ。外側の曲面を照らす弱い光と、所々に生えついた海藻、そしてドームを巡回している巡視艇。海底の暗闇に沈むその構造物は、一見すると神の創りし奇跡のようにも見える。
 「オルフェ、これ見て。」
 ラナは水中ライトを掲げながら、ドームの表面を指さした。そこには細かな亀裂が走っている。ひび割れは外郭の表層を走り、小さな泡がわずかに染み出しているように見える。
 「ちょうど連絡があった通りだな……ただ、思ったより大きくないか?」
 オルフェもライトを当てて観察する。その亀裂はかなり長く伸びていた。補修剤で塞ぐだけで済むのか、あるいは大掛かりな交換が必要なのか判断に迷うほどだ。
 二人は慎重に亀裂の幅や深さを確認し、メモを取る。酸化や劣化を抑えるための保護剤を塗り込みながら仮修理を行い、本格的な補修のための報告書を作るのが今回の仕事である。
 空気ボンベの残量を確かめながら、ラナはさらにドームの外郭を周回する。視界の隅で、何かがちらっと光った。
 「……ん?」
 ラナは動きを止める。ヘルメットのガラス越しに、ぼんやりと白い影がゆらめいているのを捉えたのだ。
 「オルフェ、あそこ……何かいる。」
 「え?」
 二人してライトを向けるが、何も見当たらない。
 「気のせい……か?」
 そう呟いたそのとき、ちらりと視界の片隅にまた白い影が横切った。ふわり、と水中を漂うように泳いでいる。それは一匹の魚のようにも見えたが、明らかにこの深度にはいるはずのない形状だ。
 「どういう……魚、か?」
 ラナが訝しげに目を凝らすと、その不思議な生き物は光を纏うかのように微かに発光している。しかも、ドームの壁をすり抜けるようにして、まるでドームの内側へ泳いでいったのだ。
 「なあ、オルフェ……見えた? ドームの中に……」
 「……まさか、そんな馬鹿な。ガラスを通り抜けるなんて。見間違いだろう。」
 だが、ラナの心には説明のつかない違和感が残る。確かに見たのだ。白く透き通った魚が、ゆらゆらとドームの内側へ消えていく姿を。
 すぐさま何か大変な問題が起きるわけでもない。しかし――その正体を知りたいという好奇心が、ラナの胸をざわつかせた。
 結局、二人は仮修理と点検を済ませ、工房に戻ることにした。その道すがら、白い魚の影は脳裏に焼きついて離れなかった。

第三章 市長の警告
 修繕工房に帰還したラナたちは、グライスに外郭の状況を報告し、ひび割れが予想以上に広範囲に及んでいる事実を伝えた。ドームが築かれて以来、長い年月を経た影響は少なからずある。
 しかし、ラナの頭を占めていたのは、外郭よりもむしろあの白い魚――自分の目にははっきりと見えた“空魚”のような存在――だった。
 「親方、変なことを言うようですけど……外で、何か白い魚みたいなものが泳いでいたんです。それが、ドームを通り抜けて中に入って……」
 ラナはおずおずと口にする。さすがに信じてもらえないかもしれない、と半ば覚悟していた。
 ところがグライスは渋い顔をして口を開く。
 「実を言うとな、最近ドームの内側でも“白い魚を見た”っていう報告がちらほらあがってるんだ。どこかで誰かが放した珍しい生体かと思っていたが、どうもそういう話ではないらしい。」
 「じゃあ、やはり何か正体不明の生き物が……」
 「その可能性が高いな。しかも、水中にはいないはずの場所で泳いでいたという証言もある。それが事実なら、説明がつかない。」
 グライスは腕を組み、うなっている。修繕の仕事からすると、不可解な生き物よりもドームの亀裂の方が重大な問題のはずだ。だが、もしその生き物が原因でドームにさらなる影響を与えているとしたら――いや、そんなことがありうるのだろうか。
 そこに工房の扉を勢いよく開けて現れたのは、市長の側近を名乗る役人だった。整った髪型と頬の痩けた横顔が、慌ただしい様子を物語る。
 「グライス親方、いらっしゃいますか? 市長が修繕工房の皆様に緊急の招集をかけておられます。至急、市長府へお越しを!」
 グライスは驚きの表情で振り向く。
 「市長直々に、俺たちを? ひび割れの件か?」
 「いえ、その件もありますが……問題は“白い魚”についてです。住人たちの不安が高まっているので、速やかに捕獲する方法を検討するよう市長がお命じです。」
 修繕工房の技師たちは顔を見合わせた。捕獲といっても、そんな得体の知れない生き物をどうやって捉えればいいのか。相手はまるで幽霊のように壁をすり抜けるという噂まであるのだ。
 市長の招集を無視するわけにもいかず、グライスやラナ、オルフェたち数名が揃って市長府へと向かうこととなった。
 アクア=シェルの中心部に立つ市長府は、かつて地上の国々にあったとされる宮殿を模倣して建設されたと伝えられる。外観は石造りのようにも見えるが、実際には耐圧性の高い特別な合金やガラスで作られている。入口は円柱の列が並び、壁には過去の歴史を描いたレリーフが施されている。
 広間へ通されると、そこにはすでに多くの高官や研究者が集まっていた。その中心にいるのは市長であるミハル。銀髪を整え、品位のある身なりだが、その眼差しには常に鋭い光が宿っていると評判だった。
 「諸君、よく来てくれた。先に用件を述べるが――現在、アクア=シェル内外にて“白い魚”が相次いで目撃されている。これは住民の不安を煽っているだけでなく、キャノピーの亀裂拡大とも時期が重なっていることから、何らかの因果関係を疑わざるを得ない。そこで、速やかにその捕獲もしくは駆除を行い、正体を明らかにしたいのだ。」
 ミハル市長の声は落ち着いているが、その裏には焦燥感が滲んでいた。ドームは都市そのものの生命線――亀裂が広がれば最悪の場合、都市が壊滅する恐れがある。加えて正体不明の生物が人々を動揺させているのだ。
 役人の一人が説明を補足する。「すでに幾つかの研究者や探索隊を組織しているが、どれもうまくいかない。白い魚は網をすり抜けるという証言や、近づいた瞬間にどこかへ消えてしまうという目撃談が相次いでいます。どうも普通の生物ではないらしい。」
 グライスが重々しい口調で言った。「我々技師に捕獲の方法を聞かれても、具体的な答えは持ち合わせておりません。もし捕獲器を作るとすれば、相手の性質を解析する必要がありますが……」
 市長は広間の壁にかかった大きな絵図に目を向ける。それはかつての地上の風景を想像で描いたとされる絵だった。青空に、黄金色の大地、そして鳥の群れが描かれている。
 「白い魚は、一部の古文献には“空魚(そらざかな)”と呼ばれる存在ではないかと論じる者もいる。――だが、私自身はそんな伝説じみたものを信じる気はない。私が信じるのは、理と実証だけだ。ともかく、住民がパニックを起こさないうちに方策を立てねばならん。君たち修繕工房の手も借りたい。必要な予算は出すから、あらゆる手段を講じてくれ。」
 ラナは市長の言葉を聞きながら、先ほど海中で見た光景を思い出していた。確かにあの生き物には、この世界の常識が通じない何かを感じた。だが、だからといってすぐに危険だと決めつけられるものでもない。
 しかし、市長は一刻も早い対応を望んでいる。都市のトップとしては、住民を守るために当然の判断かもしれない――ラナはそう思いながらも、なぜか胸の奥で小さな違和感が疼くのを覚えた。
 いわゆる“駆除”という発想が正しいのだろうか。何か別の可能性はないのか。

第四章 謎を解く手がかり
 その日の会議は白い魚、あるいは空魚と呼ばれる存在について討議され、最終的には「捕獲作戦を行う」という結論に落ち着いた。具体的な方法は未定だが、特殊な装置や網を考案して試すことになった。
 修繕工房としてはドームの亀裂対策で手一杯のはずだが、市長の強い要望により、何らかの仕掛けを設計するよう指示を受けた。グライス以下、熟練技師たちが頭を悩ませることになるだろう。
 会議を終え、市庁舎の広間を出たラナは、重たい気分のまま歩みを進める。すると誰かが声をかけてきた。
 「君は、ラナくんだね? 修繕工房の若い技師と聞いていたが……」
 振り返ると、細身の長いローブをまとった男性が立っていた。年の頃は三十代ほどか。鋭い目付きと、浅黒い肌に白い髪がよく映えている。
 「ええ、そうですが……あなたは?」
 「私はイレーン。都市の考古研究をしている者だ。近頃、この白い魚に興味を持っていてね。君が実際に海中でそれを目撃したと聞いた。何か詳しく話を聞かせてくれないか?」
 ラナは警戒しながらも、少し迷った末に海中で見た光景――白い魚がドームをすり抜けるようにして内側へ泳いだことを伝えた。
 「やはりそうか……」
 イレーンは静かに頷く。
 「私の調査では、古文献に“空魚”という名がある。大昔、まだ地上が海に沈んでいない頃、空を泳ぐ幻の魚が目撃されたという記録が断片的に残されているのだ。そしてその魚は、人間の記憶を映し出す力を持っていたとも……もちろん、信憑性は薄い伝説だがね。」
 「人間の記憶……ですか?」
 ラナは眉をひそめた。そんな馬鹿な――と半ば呆れつつも、海中を漂う白い魚の神秘的な姿を思い出すと、あり得ないとも言い切れない気がした。
 「もしそれが事実なら、空魚の出現とキャノピーの亀裂には何らかの繋がりがあるかもしれない。私としては、その謎を解くために空魚を探し出し、むやみに捕獲や駆除するのではなく、調査したいと思っている。」
 イレーンの目は熱っぽい好奇心に満ちていた。
 「市長は、危険だと判断するなら駆除もやむなしと考えている。しかし私は違う。もしかしたら、この空魚がドームの外側――かつての青空や大地――に関する何かを伝えに来ているのかもしれないからね。」
 その言葉を聞いたとき、ラナの胸に引っかかっていたものが少し形を帯びた。――そうだ、あの魚は何かを訴えかけているように思えたのだ。
 「ラナくん、もし興味があるなら、私の研究室に来てくれないか? 古い文献や地図など、何か手がかりになる情報があるかもしれない。それに君の体験をもっと詳しく知りたい。」
 そう言って、イレーンは研究室の場所が書かれたメモを手渡す。迷いながらも、ラナはその紙を受け取った。今すぐにどうこうできるわけではないが、何か導かれるような感覚がしたのは事実である。
 「わかりました。時間をつくって伺います……」
 そう答えてメモをポケットにしまう。その指先がわずかに震えていた。――自分でも理由はわからないが、心がざわめいて止まらないのだ。

第五章 キャノピーに走る亀裂
 ラナがイレーンと別れて工房に戻ると、そこでは修繕技師たちが大わらわだった。ドームの一番上部、いわゆる「キャノピー」の中央付近に大きめの亀裂が見つかり、緊急の補修が必要だという連絡が入ったのである。
 キャノピーとは、アクア=シェルの“天井”を構成する分厚いガラスの総称だ。ドーム状に都市を覆ってはいるものの、都市の中心付近は特に高度な技術で作られたガラス板が並び合わせられ、長い年月の間、海の圧力から人々を守り続けてきた。
 しかし、ここ数日で亀裂の報告が急増している。海底であるにもかかわらず、まるで空からの衝撃を受けているかのような割れ方だ、という者もいるくらいだ。
 「ラナ、準備しろ。今度はキャノピーに上るぞ。内部からの点検も外部からの点検も必要だ。時間が惜しいからな。」
 グライスが苛立たしげに声をかける。彼も寝る間を惜しんで対処に追われているようだ。
 ラナとオルフェは再び工具をまとめ、今度は都市の上部へと向かった。キャノピーへの道は細い階段やエレベーターで繋がっており、内部から表層部分にアクセスできる狭い通路がある。そこを抜けると、曲面ガラスのすぐ裏側を歩けるようになっているのだ。
 「ここか……確かに大きなヒビだ。」
 オルフェがライトで照らすと、ガラスの厚みを貫くようにジグザグとひび割れが走っている。ところどころに濡れた箇所があり、漏水とまではいかないものの、気味の悪い雫が垂れていた。
 「まずは応急処置で亀裂を埋めるフィラーを流し込む。急げよ、ここは高所だから何かとやりづらい。」
 ラナは指示に従い、特製の透明樹脂をひび割れに流し込んでいく。外部からも同様の作業が必要だが、それは別の班が潜水服を着込んで行う予定だ。
 作業を進めながら、ラナは気づいた。キャノピー越しに見える外界の海水が、いつもより明るいように感じるのだ。海底の暗闇に閉ざされた世界なのに、ほんのりと青みがかった光が見える。
 「なんだろう、あれ……」
 ラナは思わずガラスを見つめ、外の様子をじっと凝視する。するとそこに、ふわりと白い影が浮かんできた。
 「空魚……!」
 まさにあの白い魚が、キャノピーのすぐ外をゆらめくように泳いでいる。そして、ガラスの表面をすり抜けるかのように、その身体がぼんやりと中へ溶け込んでいった。
 「ラナ、どうした?」
 オルフェが怪訝な顔で振り向くが、彼の視界には映っていないのかもしれない。目を擦ってもそこには確かに白い魚がいるという感覚はあるのに、オルフェは気づいていない様子だ。
 空魚はキャノピーを抜けると、まるでラナの周囲を舞うかのように円を描いた。ラナは恐る恐る手を伸ばしてみる。すると、その指先が何か温かいものに触れた気がした。途端に、頭の中に見知らぬ景色が流れ込む。
 ――それは深い青空と、乾いた大地。突き抜けるように広い空に雲が流れ、小川のせせらぎが聞こえる。そこには子供たちが走り回り、笑い声が響いていた。
 ラナはこの感覚が何なのか理解できない。ただ、自分が見ているのではなく、まるで誰か別の人間の記憶を垣間見ているようだった。
 「……っ!」
 不意に頭痛が走り、景色が暗転する。ラナは倒れ込みそうになり、オルフェが慌てて支える。
 「ラナ、大丈夫か!? どうしたんだよ、急に!」
 ラナは息を整えようとするが、頭の中は混乱している。青空が脳裏を離れない。――空なんてものは、この都市では存在しないはずなのに。
 「ご、ごめん……ちょっと、目まいが……」
 どう説明すればいいのかわからない。空魚の姿も、いつの間にか消えていた。オルフェは真剣な表情でラナの顔を覗き込み、フィラーの充填作業を中断する。
 「あんまり無理するなよ。とりあえず一旦休憩しよう。」
 こうしてラナはキャノピー上での作業を少し離れ、休息をとることとなった。だが、その間も頭の中には鮮烈な“青”のイメージが焼きついて離れなかった。

第六章 イレーンの研究室
 翌日、ラナは休暇を取り、イレーンの研究室を訪れた。親方のグライスには「少し古い資料を調べてみたい」と告げてきたが、どこまで正直に言うべきかわからなかった。
 イレーンの研究室は市内の一角にある細長い建物の三階だった。部屋に入ると、壁一面に書籍や古いスクロールが並び、机の上には年代物の地図や発掘品らしき装飾品が散乱している。まるで歴史の欠片を寄せ集めた宝庫のようだ。
 「よく来てくれた、ラナくん。さあ、座ってくれ。」
 イレーンは嬉しそうに笑みを浮かべ、椅子を勧める。ラナは遠慮がちに腰かけ、部屋を見回した。分厚い本の背表紙には得体の知れない言語が書かれ、埃をかぶった文献の山には何百年も前の知識が眠っているのかもしれない。
 イレーンはテーブルに一冊の本を開くと、その文章を指さした。そこには古代文字と思しき記号が並び、挿絵のようなものが描かれている。かろうじて判別できるのは、魚の姿をした何かと、人々が空を見上げる様子であった。
 「これが“空魚”にまつわる最古の記録だとされる。私が独自に解読を進めているところなのだが、断片的ながら興味深い記述がある。」
 イレーンはその記述をなぞりながら言った。
 「『空を泳ぎし白き魚、それは人の心を映し、人の願いに呼応して姿を現す』――と。さらに『その魚は世界の亀裂を探し出し、導きを与える』というような意味もある。だが、すべてが謎めいていて、現代の言語に直すのは容易ではない。」
 ラナは“世界の亀裂”という言葉に反応した。ドームに走るひび割れとは関係があるのだろうか。
 「実は、最近キャノピーに大きな亀裂が見つかったんです。外郭の部分にも……。もしかして、それと関係があるんでしょうか。」
 「私もそう考えている。空魚は亀裂と共に現れる――それが古い言い伝えの一節だ。まるで、亀裂の先にあるものを示そうとしているかのようにね。そして君のように、直接空魚に触れた者が何らかの幻を見るというケースも、以前からいくつか伝わっているらしい。」
 ラナは昨日起きた頭痛と、あの青い空の幻を思い出していた。
 「あの……僕、空魚に触れたとき、青い空と大地が広がる光景を見ました。あれは何なんでしょう。記憶なのか、それとも誰かの体験した景色なのか……」
 「それは、君自身の記憶ではないと思う。たぶん、かつてこの世界に存在した地上の景色だろう。あるいは、空魚自身が持つ“世界の記憶”かもしれない。古文献には、空魚が人々の失われた記憶を映す能力を持つ――と書かれている。それが真実ならば、あの幻こそ、私たちの祖先が生きた地上世界の姿なのかもしれない。」
 地上の姿――アクア=シェルの住民にとっては神話的な響きをもつ言葉だ。誰も実際に見たことがないし、現実にはもう存在しないと思われている。
 「もし空魚が、何らかの意志を持って私たちに呼びかけているとしたら……どう思う?」
 イレーンが静かに問いかける。
 「呼びかけ……それは、地上へ出ろとか、ここから逃げろとか、そういうことですか?」
 「わからない。ただ、ドームの亀裂が広がる一方で、空魚の数も増えている。これは偶然ではないだろう。もしかすると、ドームに閉じこもっている我々に何かを伝えたいのかも……」
 ラナは沈黙した。確かに亀裂があちこちで見つかる今、アクア=シェルの未来は不安に満ちている。市長は深海のさらに奥へ移転する案も示唆しているが、それが本当に正解なのか。
 「ラナくん……君は、地上が完全に滅びたとは思うか?」
 イレーンの問いは唐突だった。
 「え……? だって、何世紀も昔に海に沈んだと。もう陸地はほとんど残っていないはずで……」
 「確かに、海面が上昇し、大陸の大半は沈んだ。それでも、一部の場所はまだ残されているとする文献もあるんだ。海抜の高い山岳地帯や、波が届きにくい場所。あるいは、新たに地殻変動で隆起した土地があるかもしれない。もっとも、それが住める環境かどうかは別の問題だが。」
 イレーンは立ち上がると、壁際の棚から古い地図の束を取り出した。紙は黄ばんで折れ目が裂けかけているが、そこに描かれた大陸の形状は、現在の地図とは似ても似つかない。
 「私には夢がある。もし地上に人が住める場所が残っているなら、この閉ざされたドームから外に出て、新たな世界を探検したい。――しかし、それは多くの人にとってただの幻想にすぎないだろう。」
 アクア=シェルの住民にとって、外界は危険と未知の領域。深海の闇と高い水圧が支配する世界だ。それを超えて海面へ出るなど正気の沙汰ではないと、多くの者が考える。
 「ラナくん、君はどう思う? もし、ドームがもう長くもたないとしたら、深海へさらに潜る道を選ぶか、あるいは海面へ向かう道を探るか?」
 イレーンの問いは大きすぎる。それでもラナは、なぜか答えが頭に浮かんだ。――あの青い空。あの温かい光。あんな世界が本当に残っているなら、見てみたい。
 「わからない、ただ……外の世界を知りたいという気持ちは、少しだけあります。」
 その言葉に、イレーンは満足そうに頷いた。
 「ならば、一緒に調べてみないか。空魚が見せてくれた幻の意味を。私たちが行けるかどうかは別として、ドームに閉じこもっているだけでは、何も変わらないからね。」

第七章 招かれざる客
 ラナとイレーンが古文献や地図の断片を広げて議論していると、ノックの音が響き、ドアが開いた。そこに立っていたのは頑健そうな体格をした男たち数名。市長府の腕章をつけている。
 「イレーン先生、少々お時間をいただきたい。市長の命により調査に協力してほしいのだが……」
 彼らはそう言いつつ、部屋の中を物々しく見回す。イレーンは微妙な表情で眉をひそめた。
 「私でよろしければ、協力はやぶさかではないが。何の用だい?」
 「昨夜、市内の広場で白い魚が群れを成して飛び回ったという通報がありましてな。付近の住人が怯えておる。すでに何人かが体調不良を訴え、中には意識を失う者もいるとか。市長としては、これ以上の混乱を防ぎたい。そこで学識者の力を借りようというわけだ。」
 イレーンは「ふむ」と低く唸った。ラナは一瞬身をこわばらせる。意識を失う者までいるとは、ただ事ではない。
 「それと……そちらの若者は修繕工房の見習いか? もしや、白い魚に触れたという噂の――」
 男たちの目線がラナに向かう。ラナはぎくりとしながらも、「そうですが……」と返事をした。
 「ならば、君にも話を聞きたい。実際に体験したことを詳細に報告してもらうぞ。あとで市長府へ来てくれ。これは命令だ。」
 どうやらラナが空魚と接触したという情報は、既に市長府の耳に届いているらしい。気が進まないが、無視はできない。
 「……わかりました。今はイレーンさんのところで資料を調べていただけで、それ以上のことは何も。」
 ラナが必死に平静を装うと、腕章の男たちはそれ以上何も言わずに出て行った。彼らが去ったあと、イレーンは深くため息をつく。
 「市長府も相当焦っているみたいだね。住民が混乱しているのは事実だろうが、安易に駆除を優先するような行動は危うい。白い魚の正体がわからないままでは、事態を悪化させる可能性もあるのに。」
 ラナは沈んだ面持ちで頷く。昨夜の群れの出現で、人々の恐怖が一気に高まったようだ。もし多くの住人が“空魚は都市に災厄をもたらす存在だ”と思い込んでしまえば、もう後戻りはできなくなるかもしれない。
 (そうなったら、僕が見た幻は何だったんだろう。あの空は、何を意味している……?)
 ラナは言いようのない不安に包まれると同時に、イレーンの言うように、空魚が“導きを与えている”のだとしたら、ただ駆除するだけでは取り返しのつかない機会を失うことになるのではないか、という危惧が生まれた。

第八章 広場に舞う空魚
 市長府での事情聴取は、予想したよりもあっさり終わった。ラナは海中で白い魚を見たことや、キャノピー付近で意識が遠のきそうになったことを正直に話したが、市長や取り巻きたちは“それをどう解釈するか”という点では確かな方針を見出せないようだった。
 「で、結局、何なのかね。その白い魚は」
 市長のミハルが眉を顰めて尋ねる。
 「わかりません。ただ、無闇に危険だと決めつけるのは……僕はそれに反対です。あの魚は、どこか僕たちに何かを見せようとしているような……そんな気がしました。」
 「ふん……妄想かもしれん。現に具合が悪くなった者もいるのだろう。とはいえ、何も根拠がないまま都市を脅かす敵と断定するのも軽率かもしれんが……。やはり、捕獲して調べるしかあるまい。」
 ミハルはそう言って席を立つ。
 「いずれにせよ、私には都市の安全を第一に考える義務がある。空魚が何者であれ、放置はできない。私が恐れているのは、人々の不安が暴走して、余計な混乱を招くことだ。何か新しい情報を得たら報告するように。」
 そう告げられ、ラナは控室を後にする。どうしようもない不安と苛立ちがこみ上げるが、どう言っても聞き入れてもらえないだろう。
 市庁舎を出て、夜の街を歩いていると、遠くの広場が妙に騒がしい。ざわめく人々の声が聞こえ、淡い光が空中を漂っているのが見えた。
 「な……なんだあれ……!」
 誰かが叫ぶ。ラナが急いで駆け寄ると、そこには無数の白い魚が宙を舞っていた。いや、まるで水中を泳ぐように、重力を無視して空間をゆらゆらと漂っている。
 その姿は幻想的でありながら、住人たちは恐怖に包まれていた。あちこちから悲鳴や怒号が飛び交い、混乱の極みに近い。
 やがてその群れの中の一匹が、ラナの目の前にふわりと降りてきた。まるで人間を品定めするかのように、ゆっくりと宙に浮かんでいる。
 ラナは手を伸ばそうとしたが、周囲から「やめろ!」という声が飛んだ。住民たちは怯え、魚を追い払おうと棒や箒を振り回す者までいる。
 「駄目だ、そんなことしたら……!」
 ラナが止める間もなく、棒の先が空魚の身体を突こうとした。だが、驚いたことに棒は何の抵抗もなく空魚をすり抜け、そのまま空を切った。空魚の姿は揺らめくように形を乱し、また元の姿に戻る。人々は恐怖と驚きで後ずさった。
 やがて群れの空魚は、ひとときの舞いを見せた後、まるで風に流されるように散っていく。気づけば広場には白い残光のようなものだけが漂い、住民たちは唖然と立ち尽くした。
 「なんだ……幽霊か、あれは……?」
 「あんなの、見たことない……もうお終いだ、ドームが壊れる……」
 誰かが泣き叫び、また誰かは神に祈るように頭を抱える。都市の空気は、あっという間に絶望という名の濁流に呑まれそうだった。
 ラナはその場に立ちつくし、どうにもならない思いに苛まれた。空魚の出現が引き起こすのは、恐怖と混乱だけなのか。――でも、自分が見たあの青空は、まるで救いの光のように感じたのに。

第九章 迫り来る危機
 翌朝、ドーム上部の警報が鳴り響いた。キャノピーの亀裂がさらに広がり、いくつかの区画で小規模な漏水が始まっているという報告だ。応急処置をしても追いつかない速度でダメージが拡大しつつある。
 修繕工房は総出で補修にあたり、ラナも休む暇なく駆け回る。フィラーを流し込み、補強板を貼り、金属の支柱を当てがい――しかし、根本的な対策にはならない。次々と新たな亀裂が見つかり、まるでドーム全体が悲鳴を上げているかのようだ。
 「くそっ、こんなにすぐにまた亀裂が……! どうなってるんだ、いったい!」
 オルフェが声を荒らげる。ラナも疲労のあまり頭がぼんやりとしてきたが、作業を止めるわけにはいかない。
 キャノピーの点検を続けるうちに、ラナは奇妙なことに気づいた。亀裂が走る場所は、外部から特に衝撃を受けた形跡がないのに、内側から何か力が働いているような――あるいは、外と内が逆転するような感覚を覚えるのである。
 「何だ、これは……」
 手でガラスをそっと触れた瞬間、頭の奥がふっと眩む。まるでどこか別の場所と繋がるような――そのとき、また空魚の姿がよぎった。
 「ラナ、しっかりしろ!」
 オルフェの声に引き戻され、ラナは意識を保つ。だが、ドームの破損がこのまま進めば大惨事になるのは明らかだった。
 その頃、市長は緊急の会議を開き、「深海のさらに下層へ移転する」という案を正式に発表した。より圧力に強い新たなドームを建設し、少しずつ人々を移す――莫大な時間と資源が必要だが、それしか道はないというのだ。
 「外へ出るなど論外だ。海上にはもう生きられる場所などない。ドームを捨てるという選択肢はありえない。我々はこの地下で生き延びるほかないのだ!」
 ミハル市長の声は張り詰めていた。一部の議員たちは反対したが、混乱の中で人々の不安を抑えるには、この案を受け入れるしかないという空気になっていく。
 「まずは移転先を確保し、少しずつ居住区を移そう。ドームの修繕をしながら、最大限の時間を稼ぐのだ。」
 そう宣言されると、住民の間には安堵と同時に諦めにも似た感情が広がった。――もう地上には戻れない。深い闇の底へさらに沈んでいくしかない。

第十章 ラナの決意
 イレーンから呼び出しを受けたラナは、研究室を再度訪れる。そこにはイレーンだけでなく、数人の学者や探検家を名乗る者たちが集まっていた。皆、ドームの移転案に懐疑的であり、かといって他の方策があるかどうかはわからない。
 「ラナくん、正直に言うと、私たちは“海面を目指す”ことを検討している。今の深海ドームではいつ壊れてもおかしくない。なのにさらに下へ潜ろうというのは、リスクが大きすぎる。」
 イレーンはそう切り出す。周囲の仲間たちは頷き、困惑の表情を浮かべつつも、それが唯一の代案だと信じているようだ。
 「でも、海面の上がどんな状態かすらわかりません。海底よりも危険かもしれないじゃないですか……」
 ラナの言葉に、一同は黙り込む。確かに、その可能性は否定できない。だが、ここにいる者たちは、外の世界への希望をどこかで捨てきれずにいるのだ。
 「それでも、調べてみたい。私たちは、可能性を残しておきたいんだ。空魚が見せる幻――青い空が、ただの伝説で終わるのか、あるいは未来へ続く鍵となるのか。確かめたいんだよ。」
 イレーンの声には、熱意と切実さがあふれている。ラナは胸が締め付けられる思いだった。確かに、自分もあの幻を忘れられない。ドームに広がる亀裂は、まるで外の世界へ誘うための道標であるかのようにも思えてくる。
 「もし……僕が手伝えることがあるなら、やってみたい。でも、どうやって海面まで行くんです? ドームを破って泳ぐんですか?」
 「いや、昔使われていた潜航船がまだ残っているはずだ。あれなら、海面近くまで行けるかもしれない。もちろん整備や燃料の問題はあるだろうが、修繕工房の技術があれば可能性はある。」
 探検家の一人、背の高い男がそう言う。彼は以前にも浅い海域へ探索に行った経験があるらしく、古い潜航船の場所を知っているらしい。
 「ラナくん、どうだろう。君は修繕工房の一員で、機械にも詳しい。潜航船の整備に協力してくれないか?」
 イレーンが懇願のまなざしを向ける。
 ラナの胸中には葛藤があった。親方のグライスや工房の人々は、ドームの補修で忙殺されている。そんな時に黙って潜航船の整備などして、もしも失敗したら――。
 だが、空魚が見せてくれた幻。あれが単なる幻想なら、それでもいい。けれど、もし本当に外に新しい世界が残っているなら、それを確かめたいという想いは抑えられない。
 「わかりました……僕にできることがあるなら、やってみます。」
 そう答えたとき、ラナは妙な胸の高鳴りを感じた。ドームから出ていくことは命懸けだが、それでもただ座して滅びを待つよりは、遥かにましだと思えたのだ。

第十一章 潜航船の眠る場所
 イレーンたちが案内してくれたのは、アクア=シェルの外れにある巨大な倉庫だった。かつて都市を築いた祖先たちが使用していたという古い機械設備がいまだ眠っている場所である。
 倉庫の内部は薄暗く、床には埃や藻がこびりついている。何重にもロックされた扉を開けて進むと、そこに姿を現したのは錆びついた潜航船――かつて「グラン=ブルー号」と呼ばれていたという旧式の船だった。
 「大きいな……こんなものが、本当に動くんだろうか。」
 ラナは圧倒されながら船体を見上げる。外装は所々剥がれ、機関部が露出している箇所もある。少なくとも現状ではとても動きそうにない。
 「ドーム建設当初、資材や人員を運ぶために使われたそうだ。海面付近からここまで何度も往復し、都市を築き上げたと聞いている。」
 イレーンが解説する。周囲には同じく探索仲間の数名が懸命に船体を調べているが、全員が専門知識を持っているわけではないらしい。
 「ラナくん、どう思う? 修理できそうか?」
 ラナは船体の周囲を回り、細部を丹念に観察する。錆びているとはいえ、当時の高度な技術が随所に施されているのがわかる。肝心なのは動力源だ。
 「うーん……全体的に古いですが、しっかりメンテナンスすれば動きそうです。問題は燃料と電気系統。それから、圧力に耐えられるかどうか……」
 イレーンたちは顔を見合わせ、少しほっとしたような笑みを交わす。どうやら絶望的ではないらしい。
 「じゃあ、君を中心に整備を進めよう。必要なパーツや資材があれば、私たちが何とか手配する。いざとなれば、市長府から余剰の資金を横流し……いや、まあ、そこは柔軟にやってみるさ。」
 イレーンは冗談めかして言うが、その瞳には本気の決意が宿っている。いざというときは手段を選ばないという意思がうかがえた。
 こうしてラナたちは、昼夜を問わず潜航船の修復に取りかかった。工房の同僚たちには「ドームの補修用に古い装置を調べている」と言って誤魔化しつつ、実際に持ち出すのは潜航船の整備に使えるパーツや工具。それでも今はドームのひび割れ対応で周囲は混乱しているため、誰も深くは追及しなかった。
 作業の合間に、ラナはふと空魚のことを思い返す。あの白い魚は、いまも都市のどこかを泳いでいるのだろうか。――そして、自分たちがこれから潜航船に乗って海面を目指すとき、何らかの手助けをしてくれるのだろうか。

第十二章 キャノピー崩壊の警鐘
 潜航船の修理が半ばに差しかかった頃、都市中にけたたましいサイレンが鳴り響いた。キャノピーの重要接合部に大きな破損が発生し、ドーム上部の一部区画が浸水してしまったのだ。
 人々は避難を余儀なくされ、市長府は緊急に深海移転の計画を前倒しする通達を出した。もはや時間がない――ドーム全体がいつ崩壊してもおかしくない危機的状況だった。
 修繕工房のグライスたちも、必死に補修を試みるが、根本的に間に合わない。市長府はまず富裕層や役人、軍関係者を優先的に下層へ移すという噂が流れ、住民たちは怒りや不満、恐怖を抱えながら混乱に陥る。
 その騒動の中、ラナは夜陰に乗じて潜航船の倉庫へ向かった。整備はもう最終段階にあるが、試運転をする時間すらない。
 イレーンや仲間たちが集まり、急ぎ準備を進める。もしドームが崩壊すれば、すべてが手遅れになる。
 「ラナくん、どうだ? エンジンはかかりそうか?」
 「たぶん……成功確率は五分五分ってところです。最悪、途中で故障すれば海の底へ真っ逆さま……」
 それでも誰も引き返そうとは言わない。もはやこの都市に留まることが安全だとは思えないからだ。全てを賭けて海面を目指す――その一縷の望みを信じるほかない。
 そして、別れもあった。オルフェやグライスには何も告げずに去ることになる。彼らも今は補修で手一杯だ。自分がこっそり潜航船を修理していたなどと知れば、どう思われるか……。ラナは胸が痛んだが、同時に決意は揺るがなかった。
 「よし、全員乗り込んでくれ。」
 潜航船「グラン=ブルー号」のハッチが開き、ラナを含む十数名が中へ入る。内装は狭いが、操縦席や計器類は思ったよりもしっかりしている。
 「発進準備よし……酸素供給システム稼働……動力炉、温度上昇中……」
 ラナが計器を見ながらチェックする。心臓の鼓動が速まる。船体に振動が伝わり、古い機関がゆっくりと唸り声を上げ始めた。
 「エンジン点火……いける!」
 ごう、と低く唸るエンジン音。船が微かに浮き上がるように感じる。倉庫のシャッターが人力で開けられ、外界へつながる水路が姿を現す。
 「行くぞ……!!」
 ラナは操縦桿を握り、船を前進させる。倉庫を抜け、暗い水路へとゆっくり滑り込む。ここは都市の外側へ繋がる裏口のような水門があり、圧力を調整すれば外海へ出ることができる。
 視界が暗い闇に沈む。仲間たちは固唾を飲んで見守る。やがて水門が開き、海水が一気に押し寄せる。船体が外海の水圧に軋むが、補修した外殻はまだ持ちこたえている。
 こうして「グラン=ブルー号」は都市アクア=シェルを離れた。遠ざかるドームの姿はまるで沈む巨大な泡のように見える。まさか自分がこの都市を捨てる日が来ようとは――ラナは複雑な想いを抱えながら、操縦席の窓越しにドームを見つめた。

第十三章 深海を抜けて
 海底の闇は静かで重い。潜航船のライトが周囲を照らすが、視界は限られている。水圧は想像以上に高く、船体の軋む音が神経を逆撫でする。もしここで何かトラブルが起きれば、一巻の終わりだ。
 「大丈夫……エンジンの出力は安定してるよ。」
 ラナが声を出して皆を安心させる。だが先は長い。計画ではまず深海の崖沿いを上昇し、水圧の低い中層へ出る。そこからさらに海面付近を目指すのだ。
 船内には緊張が漂うが、イレーンだけは静かに微笑んでいた。
 「ずっと夢だったんだ……外へ出ることが。たとえそこに何が待ち受けていようと、私は後悔しないよ。」
 ラナも操縦桿を握りしめながら思う――もし海面に到達したとき、そこが荒廃した世界だったとしても、自分は何かを見られるのだろうか。あの“青空”は、まだこの世界に存在しているのか。
 やがて周囲の水温が微妙に変化してきた。さらに上昇すると、暗さが少しずつ和らいでくる。だが、そのとき、船首方向のモニターに異常値を示す反応が現れた。
 「何か来る……!」
 船体センサーが振動を捉え、画面に巨大な影が映し出される。深海魚か、あるいは見たこともないクリーチャーか。ひとまず回避行動を取るしかない。
 「右舷に回避……エンジン出力を上げろ!」
 操縦室に緊迫した声が飛び交う。ラナが舵を急旋回させると、船の周囲を何か巨大な生物が通り過ぎていった。うっすらとライトに照らされたその輪郭は、まるで古代の怪魚のように見える。
 「うわあ……こんな奴がいるのか……」
 仲間の一人が青ざめた顔で画面を見つめる。外の世界では、ドームの安定がいかに守りだったかを実感させられる。
 幸いにも怪魚は潜航船を襲うことなく、闇の中へと去っていった。ほっと息をつくと同時に、再び上昇を続ける。
 船がさらに浅い深度へと進むにつれ、水の色がわずかに明るくなってきた。深海特有の冷たい闇から、少しずつ抜け出しているのがわかる。
 「見て……少し光があるわ。」
 前方のガラス越しに、青白い光が差し込むのが見える。太陽光……ではないだろうが、深海底よりは遥かに明るい。生命感が漂う海中の世界が、薄ぼんやりと姿を現す。
 珊瑚のような構造物や、魚群が一瞬視界を横切る。アクア=シェルの陰鬱な水底からは想像もつかない、にぎやかな海の景色だ。
 「やっぱり……上の方は豊かな生態系が残っているんだな。」
 イレーンが感嘆の声を上げる。ラナも思わず視線を奪われた。――もしさらに上まで行けば、もっと驚くべき光景が広がっているのかもしれない。

第十四章 空への脱出
 潜航船は徐々に浮上していく。計器を確認しながら空気圧や温度調整を行い、船体に負荷をかけすぎないよう慎重に操作する。
 やがて水面までおよそ百メートル――という深度に到達した頃、船内のスピーカーから電子音が鳴り、システムが「海面近し」と表示する。
 「ついに……ここまで来たんだ。」
 仲間たちの間に緊張と興奮が入り混じった空気が漂う。アクア=シェルに生まれ育った人間が海面を見たことはない。地上がどれほど荒廃しているかも定かではない。
 「浮上するか……」
 ラナは覚悟を決めて操縦桿を引く。船の傾斜が変わり、上昇角度を増す。やがて視界の先に、淡い光の膜が揺れているのが見え始める。それは――水面だ。
 「すごい……光が強い……」
 仲間の女性が目を細め、思わず息を呑む。日差しが差し込んでいるのだろうか、海面は淡く輝き、かすかな揺らぎが船窓に映り込む。
 船がゆっくりと浮上し、水面を突き破った瞬間、眩い光が操縦室を満たす。誰もが言葉を失った。空気が変わり、潮の香りが漂ってくる。
 「これが……外の空気……?」
 ラナはマスクを外すと、一瞬むせ返るような生温い空気に戸惑う。だが、すぐに慣れ、肺に満たされる感覚に不思議な解放感を覚えた。
 周囲を見渡すと、果てしなく広がる水面と、半ば曇った空が広がっている。空は完全な青ではなく、薄灰色の雲に覆われているが、それでも都市のドームの中にはなかった“開放感”がある。
 「すごい……こんなに空が広い……」
 誰かが呟いた。イレーンは涙ぐんでいる。かつて古文献や夢の中でしか知らなかった空に、今、自分の身が触れているのだ。
 ラナはエンジンを低速運転に切り替えながら、海面をゆっくり進む。ここがどこの海域なのかは分からないが、計器によればいくつかの小さな島影が近いらしい。
 すると、不意に頭上で白い影が閃いた。見上げると、そこには空魚たちが漂っている――いや、泳いでいるとしか言いようがない。ドームの中と同じ姿だが、背景は青みがかった空と雲。
 「やっぱり……外にいたんだね……」
 イレーンが感嘆の声を漏らす。その空魚たちは、まるでラナたちを歓迎するかのように、船の上空を円を描くように回っていた。

第十五章 遺されし陸地
 潜航船がゆっくりと前進すると、遠くに低い陸地らしき影が見えてきた。岩肌が露出し、一部には緑色の植物が生い茂っているように見える。そこが果たして安全なのか、淡水源はあるのか、全くわからない。
 「とにかく上陸してみよう。ここまで来たら確かめるしかない。」
 仲間たちが頷き合う。海面近くは波が高く、不慣れな操船で上陸地点を探すのは困難だが、それでも多少なりとも穏やかな入江を探すことができた。
 船を浅瀬に寄せ、アタッチメントで固定すると、数人が先に陸へ降り立つ。ラナも船を停泊させてから足を踏み下ろした。
 濡れた岩と砂の感触が靴の裏から伝わり、その独特の磯の香りが鼻を突く。海鳥のような鳴き声が聞こえ、頭上を旋回する影が見えた。
 「海鳥……本当に生き残ってたのか……!」
 長い年月を経て完全に死滅したと思われた生物が、まだこの世界のどこかで生息しているという事実。ラナたちの胸に、言いようのない感動が広がる。
 入江から少し内陸に歩くと、小さな小川が流れているのを発見した。水質を調べると、海水ではなく淡水に近いことがわかり、歓声が上がる。植物も生えており、苔や草が岩を覆い始めていた。
 「すごい……再生しつつあるんだね、地上は……」
 ラナはその風景に息を飲んだ。完全に荒廃しているわけではなく、緑が戻り始めている兆しがある。とはいえ、大きな樹木は見当たらず、土地の広さも限られているように見える。
 イレーンたちは興奮混じりに周囲を調査し始める。小さな生物の痕跡や植物の種子など、研究には格好の素材が溢れていた。
 「ラナくん、見て……!」
 イレーンが指さす先に、やせ細った木のようなものが生えている。その先端には青い花のようなものが咲いていた。
 「こんな色の花、見たことがない……」
 「私たちは知らないだけさ。もしかしたら、昔は地上にたくさん咲いていたのかもしれないよ。」
 ラナはその花を眺めながら、ふと“空魚”に触れたときの幻を思い出す。――あの青空と地上の風景。もしかしたら、本当にここに似た場所なのかもしれない。
 海底都市で育った人々にとって、日光や風は未体験のものだ。紫外線や嵐など、これから直面する危険は数え切れないだろう。それでも、この場所には確かに生きる道がありそうだ。
 ラナは空を仰ぎ見る。雲の切れ間から微かな陽光が射し、そこに空魚の群れが舞っているのが見えた。まるで水中のように、ゆらりゆらりと。彼らはこの空をずっと泳いでいたのだろうか。
 遠い昔、人々が捨て去った世界。しかし、その世界はゆっくりと再生を始めている――そう思うと、不思議と胸が熱くなる。

第十六章 新たなる希望
 潜航船で上陸した数日後、ラナたちはこの小さな陸地を拠点に調査を進めることにした。どれほどの範囲が陸上化しているか、気候や生態系はどうなっているか。今後、アクア=シェルから人々を避難させることが可能かどうかを検討する。
 「問題は、ドームがいつ崩壊するかわからないこと。急げるだけ急いで、ここへ連れて来られる人々を助けたいが……」
 イレーンが言う。その顔には決意が宿っているが、実行には多くの障害があるのも事実だ。市長府やドームの多くの住民たちは、おそらく“さらに深海へ潜る”道を選ぶだろう。
 だが、ラナは確信していた。地上には、少なくとも生き延びる可能性がある。もう一度、空を仰ぎ、陸を踏みしめて暮らす道が。
 「一度、アクア=シェルへ戻って知らせる必要があるかもしれない。潜航船で行き来は大変だけど、今ならまだ間に合うかも。」
 仲間たちもうなずき、計画を練る。人を大勢乗せるには潜航船の改修がさらに必要だし、安全に航行できるかどうかも未知数だ。それでも、諦めたらもう二度と地上を踏む機会はない。
 その夜、ラナは海辺の野営地で満天の星空を見上げていた。曇りがちだった空が少し晴れ、無数の星が輝いている。地上に残っていた空は、こんなにも美しかったのか――彼は感無量の想いで胸がいっぱいになる。
 ふと視界の端に、白く光る小さな影が浮かんだ。例の空魚だ。ほかの仲間が寝静まる中、ラナは一人そっと砂浜を歩く。空魚が導くようにゆらゆらと先を進み、岩場を回り込むと、小さな潮だまりに行き着いた。
 潮だまりには満月の光が落ち、穏やかな波紋が広がっている。その中央で空魚がふわりと躍るように泳いでいた。
 ラナが手を伸ばすと、空魚はその指先に触れる。その瞬間、またしても頭の中に鮮烈な景色が流れ込んだ。――地上の広大な大地、青々と生い茂る草原、清らかな河川、そして大勢の人々が笑顔で過ごす村。
 それが現実の過去なのか、未来の幻なのかはわからない。ただ、そこには確かな希望があった。温かい陽光と人々の活気。それをラナは強く感じた。
 「……ありがとう。」
 思わず呟くと、空魚は一瞬だけ強く輝き、ふいにその姿を消した。消えた――というより、星明かりの中に溶け込んでしまったようにも見える。
 「僕たちは、きっと大丈夫だよな……」
 ラナは月明かりが照らす海を見つめながら、静かに誓った。――この世界にはまだ、再生の光が宿っている。ドームに閉じこもって終わりを待つのではなく、外へ踏み出す勇気を持つ者がいる限り、人類は生き続けるだろう。

第十七章 再び都市へ
 翌朝、潜航船は再度アクア=シェルへ向かうため出発した。ラナを含め数人が船に乗り込み、残りのメンバーはこの陸地に留まって拠点づくりを進めることにした。
 「必ず戻るよ。できるだけ多くの人を連れてくる。」
 ラナは決然と宣言し、イレーンや仲間たちと固い握手を交わした。
 船は深海へと潜り始める。またあの暗く冷たい世界に戻るのかと思うと身震いするが、やるべきことがある。
 アクア=シェルへ到着したとき、ドームは崩壊寸前の状態だった。市の上部区画はほぼ水没し、多くの人々が慌ただしく避難を進めている。市長府も機能不全に陥り、混乱は極度に達していた。
 ラナが修繕工房を訪ねると、親方のグライスやオルフェたちがまだ残っていた。彼らは水に浸った作業場で、最後まで諦めずに補修道具を握りしめている。
 「ラナ……生きてたのか……! どこ行ってたんだ、お前!」
 グライスが驚きと安堵の表情で駆け寄る。その視線は厳しくも、どこか嬉しそうだ。
 「すみません、勝手なことをしました。でも、外へ出たんです……地上を見てきました。そこは完全に滅びてなんかいません。人が生きられる可能性がある場所でした。だから、親方や皆を連れて行きたいんです!」
 ラナは必死に訴えかける。周囲で作業していた技師たちも耳を疑うような表情だ。
 「馬鹿な……深海より上が安全だと? 市長が言うには、もう外には何もないって……」
 オルフェが戸惑いながら呟く。
 「信じてください。僕は実際に空気を吸って、植物を見ました。淡水もあった。希望はあります。もしこのままドームが崩壊したら、深海へ行っても助かる保証はない。だったら……僕を信じて、一緒に来てください!」
 真剣なラナの目を見て、グライスは一瞬言葉を失う。しかし、長年ともに働き、息子のように思ってきたラナの言葉が嘘ではないと直感で感じたのだろう。
 「わかった……親方として、お前を信じよう。……オルフェ、他の技師たちにも声をかけてみろ。希望を捨てずに外へ出たい奴は、ラナについて行くように。」
 グライスの決断に、周囲はどよめく。半信半疑の者も多いが、ドーム崩壊の危険が眼前に迫る中、深海への移転もまた不安要素が大きい。こうしてラナたちの潜航船には、多くの修繕工房の仲間や家族、合わせて数十人が乗り込むことになった。
 市長府へも知らせに行こうとしたが、そこは既に機能を失い、誰も彼もが避難のために四散している。市長のミハルは見当たらなかった。おそらく彼は自分なりの責任を果たそうと必死に動いているのだろう。
 こうして船は再び暗い海底から抜け出し、海面を目指す。途中、ドームの外壁から何度も大きな破損箇所が崩れ落ち、巨大な水流や海底生物が襲い来るが、ラナたちは協力して乗り越える。
 「もう少しだ……外へ出れば、きっと……!」
 ラナは操縦桿を握る手に力を込める。少し前とは比べものにならないほど船内は混雑し、子供や年配者もいる。だが全員がラナに希望を託しているのだ。

第十八章 青空の彼方
 最後の難関であった中層の強い潮流を超え、潜航船は再び海面へ浮上した。船内の住民たちが声を上げ、恐る恐るマスクを外して外気を吸い込む。初めて味わう生温い空気や風に、とまどう人、歓喜する人――表情はさまざまだ。
 船窓からは、先日ラナたちが確認したのと同じように、空が広がっている。今回は運よく雲が途切れ、青みを帯びた空が少し顔を出していた。
 「これが……空、なのか……」
 「外の世界だ……こんな景色が本当に残っていたなんて……」
 住民たちは言葉も出ない様子で、その眩しい光と果てしない広がりに目を奪われる。涙を流す者、笑い声をあげる者――長い間忘れられていた“青”という色彩が、彼らの目と心を満たしていく。
 「すごい……こんなに……きれいだったのか……」
 オルフェはまぶしそうに目を細め、感嘆の息をつく。グライスも遠い昔の伝説かと思っていた光景が現実だと知り、複雑そうな表情を浮かべながらも静かな笑みを浮かべている。
 やがて、陸地が見えてきた。ラナたちが先に拠点を築いたあの入り江だ。船を接岸させると、そこには待っていたイレーンや仲間たちが歓呼の声をあげて迎えた。
 「よく帰ってきたね! こんなに大勢を連れて……すごいじゃないか!」
 イレーンはラナに駆け寄り、手を取って喜び合う。修繕工房の面々やその家族が続々と上陸し、新しい土地に足を踏みしめる。初めて見る植物や風景に戸惑いながらも、不思議と明るい空気が流れていた。
 「あれを見て……!」
 誰かが空を指さす。そこには、白い魚の群れが青空を泳いでいた。ドームの中と同じようにゆらゆらと優雅に。その姿はまるで、一足先に天空へ旅立った案内者のようだ。
 子供たちが目を輝かせ、手を伸ばす。すると空魚の一匹がふわりと降り、子供の小さな指先に触れる。その瞬間、子供の瞳に驚きの色が宿り、「青い花がいっぱい……」と口走った。
 それは夢か幻か、あるいは遠い昔の記憶か。だが誰もが、空魚が運ぶその光景を否定せず、ただ素直に受け止める。
 ラナは青空の中を舞う空魚を見上げながら、深く息を吸い込む。苦しかった水底の生活は終わった。もちろん、ここには別の困難が待ち受けているだろう。それでも、自分たちは前に進む。
 「きっと、もっとたくさんの人が来られる。アクア=シェルの仲間たちが……」
 どれだけの者がドーム崩壊から逃れられるのか、それはわからない。だが、ここには新しい未来がある。失われたと思われていた地上は、ゆっくりと再生していたのだ。
 白い空魚の群れは、やがて雲間へと消えていった。それを追うように、薄い雲が裂け、柔らかな陽光が差し込む。
 群青の空――ラナはその広がりに視線を向け、思わず微笑んだ。自分がかつて見た幻よりも、今こうして目の前にある現実の方が遥かに素晴らしい。
 この世界には、まだ希望が残っている。空魚が示してくれたのは、失われたはずの大地と空の記憶。――だが、それは終わった物語ではなく、今また始まる未来への扉だったのだ。

考察

あの、普通に面白い正統派ファンタジーとSFが混じった感じの小説が書けているんですが……
しかもきちんとした短編小説の長さで……
すごいですね。
以前o1でも同じ実験をして記事にしたのですが、その時は3万文字近くの長さで一貫性を保った小説は書けませんでした。
まだちょっと情感やパンチが弱い気もしますが、しっかりした小説を書けていますね……

まとめ

この記事ではChatGPT o1 Proの小説の生成能力について実験を行いました。
人間の手で作ったプロットからの小説生成能力はo1とそこまで変わりませんが、プロットを自分で作成させて短編小説を書かせた場合の能力はすごいですね。
ノーベル文学賞をAIが取れるまであと何年なのだろうか。
次は個人的により小説の生成能力が高いと感じているGrokで試してみたいと思います。
ただGrokはより砕けた感じで書いてくれますが、一定以上の長さの小説の一貫性という点ではo1 Proの方が性能高いだろうなぁ、と実験をする前から感じています。

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