量子力学には時間作用素(時間演算子、time operator)と呼ばれるものがあります。位置や運動量と同じように、時間も観測量として作用素で表そう、という発想です。これに対して「パウリが不可能だと証明した」という話がよく引かれます。
この記事では、パウリの定理が正確には何を禁止していて、何を禁止していないのかを整理します。関数解析(非有界作用素、自己共役性、Stone の定理)は既知として進めます。
この記事でわかること
- パウリの論法の中身と、その論法のどこに穴があるか
- 交換関係 $[T,H]=i$ と Weyl 関係の差が効く具体例(調和振動子に対する Galapon の有界な時間作用素)
- 時間作用素の「強さ」の階層と、それぞれの具体例(自由粒子・調和振動子・2 準位系)
- 外部時間 $t$ と時間作用素 $T$ をいつ区別しないといけないか
- (補論)相対論に行くと、今度は位置作用素が時間作用素と同じ種類の困難を抱えること
想定読者 / 前提知識
- 学部の量子力学(交換関係、ハイゼンベルク描像、不確定性関係)と、数学科の学部卒程度の関数解析(非有界作用素、対称と自己共役、スペクトル、Stone の定理)を前提にします
- 途中計算は折りたたみに入れてあります。読み飛ばしても話はつながります
私は趣味で新井朝雄先生の時間作用素の理論を追いかけています。専門家のレビューを経た文章ではないので、誤りがあればコメントで教えてください。
話の発端: パウリの脚注
相対論では時間と空間は対等なのだから、位置作用素 $X$ があるなら時間作用素 $T$ もあってほしい。そう考えるのは自然だと思います。ここで観測量にしたい「時間」は、実験室の時計の読み $t$ ではありません。粒子が検出器に届く時刻(到着時刻)や、系の中に組み込まれた時計の針の読みのように、測るたびにばらつく量です。後半の「時間作用素は何を測っているのか」の節で具体的に扱います。
ところが 1933 年、Pauli が Handbuch der Physik の総説(1958 年の改訂版と英訳は参考文献)の脚注で、数行の論証とともに次のような趣旨のことを書きました。
$H$ が下に有界(または離散スペクトルを持つ)なら、$[T,H]=i$ を満たす自己共役な $T$ は存在しない。ゆえに時間は通常の数(c-数、つまり作用素ではないただの数)として扱わざるを得ない。
これがパウリの定理と呼ばれているものです。この脚注は 90 年のあいだに何度も言い換えられ、ネット上では次のような言い方をよく見かけます(言い回しの例として Physics Forums のスレッド など。掲示板の議論は定理の根拠にはしません)。
- 時間は観測量ではない
- 時間の量子化は不可能だとパウリが証明した
- だからエネルギーと時間の不確定性関係は、位置と運動量のそれとは違って本物ではない
どれも正しい部分と言い過ぎの部分が混ざっています。時間作用素は、定義の強さとハミルトニアンの種類に応じて、存在したりしなかったりするからです。
記号の約束
以下では $\hbar=1$ とします。交換関係は $[A,B]=AB-BA$ で、時間作用素には
[T,H]=i
を要求します。位置と運動量の $[X,P]=i$ で、$X$ を $T$ に、$P$ を $H$ に置き換えた形です。時間発展は $\psi_t=e^{-itH}\psi$、ハイゼンベルク描像の作用素は $A(t)=e^{itH}Ae^{-itH}$ と書きます。文献によっては逆の符号の約束を使っているので、式を引き写すときは注意してください。
先に結論
- パウリの定理が厳密に禁止しているのは「下に有界な $H$ と Weyl 関係(交換関係を指数関数の形で書いたもの)で結ばれた、自己共役な $T$」だけです
- 自己共役を「対称」に緩める、あるいは交換関係の成り立つ範囲を緩めると、時間作用素は普通に存在します
- 時間作用素 $T$ は外部時間 $t$ の置き換えではありません。$t$ で動く系の中にある時計が $T$ で、時計が系に比べて十分大きく古典的なら区別しなくて困りません
- 時空の量子化はパウリの定理と別の話題です。一方で位置作用素は、相対論に行くと時間作用素と同じ種類の困難を抱えます(この 2 つは記事の最後に補論として置きます)
パウリの定理はどんな主張か
形式的な論法: エネルギーをずらす作用素は作れない
脚注の論法は短いです。$[T,H]=i$ を満たす自己共役な $T$ があったとします。$T$ が自己共役なら $e^{i\epsilon T}$ は任意の実数 $\epsilon$ に対してユニタリで、形式的に計算すると
e^{i\epsilon T} H e^{-i\epsilon T} = H - \epsilon
になります。
途中計算
$F(\epsilon)=e^{i\epsilon T}He^{-i\epsilon T}$ とおいて $\epsilon$ で微分します。$\frac{d}{d\epsilon}e^{i\epsilon T}=iTe^{i\epsilon T}=e^{i\epsilon T}\,iT$ なので
F'(\epsilon)=e^{i\epsilon T}\,(iTH-iHT)\,e^{-i\epsilon T}=e^{i\epsilon T}\,i[T,H]\,e^{-i\epsilon T}=e^{i\epsilon T}\,(i\cdot i)\,e^{-i\epsilon T}=-1
です。$F(0)=H$ なので、積分して $F(\epsilon)=H-\epsilon$ になります。
「形式的に」と書いたのは、この計算が $T$ と $H$ の定義域をまったく気にしていないからです。非有界な作用素を含むので(有界作用素どうしでは $[T,H]=i$ は成り立ちません)、$TH$ や $HT$ がどのベクトルに作用できるのかは自明ではありません。この点が、あとで論法の穴になります。
左辺は $H$ とユニタリ同値なのでスペクトルが $H$ と等しいはずですが、右辺は $H$ を $\epsilon$ だけ平行移動したものなので、スペクトルは $\epsilon$ だけずれます。任意の $\epsilon$ でずらしても同じ集合でなければならないので、$H$ のスペクトルは実軸全体しかありえません(自己共役作用素のスペクトルは空になりません)。これは $H$ が下に有界であること、つまり $\langle\psi,H\psi\rangle\ge E_0\lVert\psi\rVert^2$ となる $E_0$ があることと矛盾します。

図 1: (a) 下に有界な $H$ では、$\epsilon$ だけずらしたスペクトルの下端が元と合わず矛盾する(図は $\sigma(H)=[E_0,\infty)$ の場合。離散スペクトルなど他の形でも、下端 $\inf\sigma(H)$ がずれるので同じ)。(b) 位置 $X$ で運動量 $P$ をずらす場合は、スペクトルが実軸全体なので矛盾しない。
なお「下に有界」は「基底状態がある」とは違います。自由粒子 $H=P^2/2m$ は $H\ge 0$ で下に有界ですが、固有ベクトルを 1 つも持ちません。パウリの論法が使うのは下限の存在だけです。運動量 $P$ が位置の平行移動を生成するのと同じ理屈で、$T$ はエネルギーの平行移動を生成してしまい、下限があるとそれが作れない、というのが図 1 の中身です。
離散スペクトルなら 2 行で済む
$H$ が離散スペクトルを持つ場合は、もっと短い形式的な論法があります。$H\psi=E\psi$ となる固有ベクトル $\psi$ をとり、$[T,H]=i$ の期待値をとると
\langle\psi,[T,H]\psi\rangle=\langle\psi,TH\psi\rangle-\langle\psi,HT\psi\rangle=E\langle\psi,T\psi\rangle-\langle H\psi,T\psi\rangle=E\langle\psi,T\psi\rangle-E\langle\psi,T\psi\rangle=0
となります($H$ が自己共役なので $\langle\psi,HT\psi\rangle=\langle H\psi,T\psi\rangle$)。一方で右辺は $\langle\psi,i\psi\rangle=i\lVert\psi\rVert^2\ne0$ です。
ただしこの計算が示しているのは、「$H$ の固有ベクトルは、交換関係 $[T,H]=i$ が成り立つベクトルの集合には入れない」ということだけです。$T$ が存在しないことまでは示していません。この区別が、あとで出てくる Galapon の構成の出発点になります。
パウリの論法の穴と、正しい定理
パウリの論法には飛躍が 2 か所あります。$T$ が対称なだけなら $e^{i\epsilon T}$ がユニタリ群にならないこと、そして $T$ が自己共役でも、交換関係 $[T,H]=i$ から $e^{i\epsilon T}He^{-i\epsilon T}=H-\epsilon$ へは一般には進めないことです。
対称なだけではユニタリ群が作れない: 半直線の運動量
$L^2(0,\infty)$ 上の $A=-i\,d/dx$ を、定義域 $D(A)=H_0^1(0,\infty)$(絶対連続で $\psi'\in L^2$、かつ $\psi(0)=0$ の関数)で考えます。$A$ は対称で、随伴 $A^*$ は同じ $-i\,d/dx$ を境界条件なしの $H^1(0,\infty)$ 上で考えたものです。$n_\pm=\dim\ker(A^*\mp i)$ を求めると $\ker(A^*-i)$ が $e^{-x}$ で張られ、$\ker(A^*+i)=0$ なので、欠損指数は $(1,0)$ で自己共役拡大を持ちません。Stone の定理の側から見ると、右への平行移動は等長ですが像が「$0<x<s$ で 0 の関数」に限られてユニタリにならず、左への平行移動は端がはみ出して等長ですらありません。パウリの論法の最初の一歩「$T$ が自己共役なら $e^{i\epsilon T}$ はユニタリ」は $T$ が対称なだけならこうして崩れ、あとで見る自由粒子の時間作用素がまさにこの型です。
途中計算(境界項、自己共役拡大が無い理由、区間との比較)
$\langle f,g\rangle=\int_0^\infty\overline{f(x)}g(x)\,dx$ とします。$f,g\in H^1(0,\infty)$ は連続で、無限遠で 0 に近づくので、部分積分で
\langle f,-ig'\rangle=-i\int_0^\infty\overline{f}\,g'\,dx=-i\Big[\overline{f}g\Big]_0^\infty+i\int_0^\infty\overline{f'}\,g\,dx=i\,\overline{f(0)}g(0)+\int_0^\infty\overline{(-if')}\,g\,dx
なので、
\langle f,-ig'\rangle-\langle -if',g\rangle=i\,\overline{f(0)}\,g(0)
です。$g(0)=0$ だけで右辺は消えるので、$f$ の側には境界条件がいりません。これが $D(A^*)=H^1(0,\infty)$ で、$D(A)=H_0^1(0,\infty)$ より真に大きくなります。
自己共役拡大が無いことの直接の確認: $A$ の対称な拡張 $S$ は $A\subset S\subset S^*\subset A^*$ を満たすので、境界条件なしの $-i\,d/dx$ をある定義域に制限したものです。$S$ が対称なら $D(S)$ のすべての $f$ で境界項 $i|f(0)|^2$ が消えるので $f(0)=0$ で、$S$ は(閉包を取れば)$A$ と同じものになり、自己共役ではありません。固有値方程式で見ると、$A^*\psi=i\psi$($-i\psi'=i\psi$)の解 $e^{-x}$ は 2 乗可積分、$A^*\psi=-i\psi$ の解 $e^{x}$ は 2 乗可積分でないので $(n_+,n_-)=(1,0)$ で、von Neumann の定理により自己共役拡大は存在しません。
比較のために区間 $[0,1]$ で、両端で 0 になる関数($H_0^1(0,1)$)から出発して同じ計算をすると(随伴の定義域は $H^1(0,1)$)、境界項は $-i\big(\overline{f(1)}g(1)-\overline{f(0)}g(0)\big)$ です。今度は $e^{\pm x}$ がどちらも 2 乗可積分なので欠損指数は $(1,1)$ で、$g(1)=e^{i\theta}g(0)$ を定義域の全員に課すと $\overline{f(1)}g(1)=\overline{e^{i\theta}f(0)}\,e^{i\theta}g(0)=\overline{f(0)}g(0)$ で境界項が消えます。自己共役拡大は $e^{i\theta}\in U(1)$ で径数付けられます(磁束を通した輪の上の粒子に当たります)。半直線では境界が片側にしかないので、「出ていった分を反対側から戻す」条件が作れません。
交換関係から指数関数の関係へは進めない
非有界な作用素を含むので、正準交換関係 $[T,H]\psi=i\psi$ はある部分空間の上でしか意味を持ちません。そこから指数関数の関係式へ進むには、定義域についての追加の仮定が必要です。十分条件として知られているのは Rellich–Dixmier 型の定理で、「対称な $T,H$ について、交換関係が成り立つ稠密な定義域 $D$ が $T,H$ の作用で閉じていて、$T^2+H^2$ が $D$ の上で本質的に自己共役なら、指数関数の関係が従う」という形をしています。不変な稠密定義域があっても最後の条件が欠けると進めない反例が Fuglede(Math. Scand. 20 (1967) 79)にあり、定義域が不変でない反例は、このあと Galapon の構成として具体的に見ます。
正しい定理: Weyl 関係と Stone–von Neumann
数学的に正しい言明は、交換関係ではなく、それを指数関数の形にした Weyl 関係で書いたものです。この記事の約束 $[T,H]=i$ に合わせると、
e^{itH} e^{isT} = e^{ist}\, e^{isT} e^{itH} \quad (s,t\in\mathbb{R})
となります。
途中計算(Weyl 関係の符号の確かめ方)
形式的な導出: 約束 $[T,H]=i$ からは、パウリの論法と同じ微分の計算で $e^{itH}Te^{-itH}=T+t$ が出ます($\frac{d}{dt}e^{itH}Te^{-itH}=e^{itH}\,i[H,T]\,e^{-itH}=i\cdot(-i)=1$)。両辺の指数関数をとると
e^{itH}e^{isT}e^{-itH}=e^{is(T+t)}=e^{ist}e^{isT}
で、右から $e^{itH}$ を掛ければ上の Weyl 関係です。
具体的な表現での確認: $L^2(\mathbb{R})$ 上で $T=x$(掛け算)、$H=-i\,d/dx$ とすると、$[T,H]f=x(-if')-(-i)(xf)'=if$ で約束どおりです。$e^{itH}$ は $f(x)\mapsto f(x+t)$ という平行移動、$e^{isT}$ は $e^{isx}$ を掛ける作用素なので、
e^{itH}e^{isT}f(x)=e^{is(x+t)}f(x+t),\qquad e^{isT}e^{itH}f(x)=e^{isx}f(x+t)
となり、比は $e^{+ist}$ です。
自己共役な $T,H$ がこれを満たすと、次の定理が使えます。
Stone–von Neumann の一意性定理(1 自由度)
可分な Hilbert 空間上の強連続な 1 径数ユニタリ群 $U(t)=e^{itH}$, $V(s)=e^{isT}$ が、すべての $s,t\in\mathbb{R}$ で $U(t)V(s)=e^{ist}V(s)U(t)$ を満たすとする。このとき Hilbert 空間は、互いに直交する部分空間 $\mathcal{H}_1,\mathcal{H}_2,\dots$(有限個または可算個)の直和に分かれる。各 $\mathcal{H}_n$ は $U,V$ の作用で閉じていて、$\mathcal{H}_n$ から $L^2(\mathbb{R})$ へのユニタリ変換で、$T$ は $x$ を掛ける作用素に、$H$ は $-i\,d/dx$ に移る。
どの成分でも $H$ は $-i\,d/dx$ とユニタリ同値なので、$H$ のスペクトルは $\mathbb{R}$ 全体です(Wikipedia の解説も参照)。したがって、下に有界な $H$ と Weyl 関係で結ばれる自己共役作用素 $T$ は存在しません(より一般に、$\sigma(H)$ が $\mathbb{R}$ 全体でなければ同じ結論です)。パウリの定理として厳密に正しいのはこの形です。
Galapon の構成: 調和振動子にも交換関係を満たす T がある
穴を実際に突いたのが Galapon です(Pauli's theorem and quantum canonical pairs, Proc. R. Soc. A 458 (2002))。彼は、固有値を持つ $H$ に対して、稠密な定義域の上で $[T,H]=i$ を満たす有界で自己共役な $T$ を具体的に構成しました。続編の Self-adjoint time operator is the rule for discrete semi-bounded Hamiltonians では、縮退度が一定の離散スペクトルで $\sum_k E_k^{-2}<\infty$ を満たし、固有ベクトルが全空間を張る下に有界な $H$ に対して、稠密な部分空間の上で $[T,H]=i$ を満たす自己共役な $T$ が存在することを示しています。調和振動子はこの条件を満たし、この場合は下のように有界な $T$ を具体的に書けます。有界性やノルム $\pi/\omega$ は等間隔のスペクトルを使った計算で、一般の離散スペクトルについてここで主張するものではありません。
調和振動子 $H=\omega(N+\frac12)$、固有値 $E_k=\omega(k+\frac12)$、固有ベクトル $|k\rangle$ の場合に具体的に書くと、
T_{kj}=\langle k|T|j\rangle=\begin{cases}\dfrac{i}{E_k-E_j}=\dfrac{i}{\omega(k-j)} & (k\ne j)\\[2mm] 0 & (k=j)\end{cases}
です。$\overline{T_{jk}}=T_{kj}$ なのでエルミートで、この行列は有界で作用素ノルムは $\pi/\omega$ です。定義域には「成分の和が 0 になるベクトル」
D=\Big\{\phi=\sum_k\phi_k|k\rangle\ (\text{有限和}):\ \sum_k\phi_k=0\Big\}
を取ります。成分の和が 0 という条件は、有限和のベクトル $\phi$ について $T\phi\in D(H)$、つまり $HT\phi$ が定義されるための条件そのもので、この $D$ の上で $[T,H]\phi=i\phi$ が成り立ちます。
途中計算([T,H] の計算、D(HT) の条件、D が稠密であること、ノルム)
行列要素で計算します。$H$ は対角なので
\langle k|[T,H]|j\rangle=T_{kj}E_j-E_kT_{kj}=T_{kj}(E_j-E_k)=\frac{i(E_j-E_k)}{E_k-E_j}=-i\quad(k\ne j)
で、対角成分は $T_{kk}=0$ なので 0 です。よって
([T,H]\phi)_k=-i\sum_{j\ne k}\phi_j=-i\Big(\sum_j\phi_j-\phi_k\Big)=i\phi_k-i\sum_j\phi_j
となり、$\sum_j\phi_j=0$ なら $[T,H]\phi=i\phi$ です。
ただし $\sum_j\phi_j\ne0$ のときは、右辺を計算する前に $HT\phi$ が定義されていません。有限和の $\phi$ では、$k$ が大きいところで
(T\phi)_k=\frac{i}{\omega}\sum_j\frac{\phi_j}{k-j}=\frac{i}{\omega k}\sum_j\phi_j+O(k^{-2})
なので、$E_k(T\phi)_k\to i\sum_j\phi_j$ です。これが 2 乗可和になる($T\phi\in D(H)$)のは $\sum_j\phi_j=0$ のときに限り、そのときは $E_k(T\phi)_k=O(1/k)$ です。
固有ベクトル $|0\rangle$ は成分の和が 1 なので $D$ に入らず、$HT|0\rangle$ も定義されません。パウリの節の「固有ベクトルは交換関係の定義域に入れない」とちょうど合っています。それでも $D$ は稠密です。たとえば $v_n=|0\rangle-\frac1n(|1\rangle+\cdots+|n\rangle)$ は成分の和が $1-1=0$ なので $D$ に入り、$\lVert v_n-|0\rangle\rVert^2=n\cdot\frac{1}{n^2}=\frac1n\to0$ です。同じ作り方で任意の有限和のベクトルを近似できます。
ノルムについて: 行列 $\big(\frac{i}{k-j}\big)_{k\ne j}$ は $(k-j)$ だけで決まる Toeplitz 行列で、その表象は $\sum_{n\ne0}\frac{i}{n}e^{in\theta}=-2\sum_{n\ge1}\frac{\sin n\theta}{n}=-(\pi-\theta)$($0<\theta<2\pi$)です。実数値の表象を持つ Toeplitz 作用素のスペクトルは表象の本質的下限から本質的上限までの閉区間になる(Hartman–Wintner の定理)ので、スペクトルは $[-\pi,\pi]$、作用素ノルムは $\pi$ です(ノルム $\pi$ は Hilbert の不等式の最良定数でもあります)。$1/\omega$ 倍して $\lVert T\rVert=\pi/\omega$ です。
手元で確かめる Python(Ï=1 として有限行列で打ち切る)
import numpy as np
N = 2000 # 基底 |0>,...,|N-1> で打ち切る(omega = 1)
k = np.arange(N)
E = k + 0.5 # 調和振動子の固有値
D = E[:, None] - E[None, :] # D[k, j] = E_k - E_j
T = np.zeros((N, N), complex)
off = ~np.eye(N, dtype=bool)
T[off] = 1j / D[off] # T_kj = i / (E_k - E_j)
H = np.diag(E)
print(np.allclose(T, T.conj().T)) # エルミートか -> True
print(np.linalg.norm(T, 2), np.pi) # ノルムと pi -> 3.1358... 3.1415...
phi = np.zeros(N, complex)
phi[:4] = [1, -2, 0.5j, 0.5 - 0.5j]
phi[4] = -phi[:4].sum() # 成分の和を 0 にする
C = T @ H - H @ T
print(np.abs(C @ phi - 1j * phi).max()) # [T,H]phi = i phi か -> 9.2e-16 程度
e0 = np.zeros(N); e0[0] = 1 # 基底状態
print(e0 @ C @ e0) # 打ち切り行列の対角成分 -> 0j
print(np.abs(H @ T @ e0)[[10, 100, 1000]]) # (H T e0)_k -> [1.05 1.005 1.0005]
print(np.abs(H @ T @ phi)[[10, 100, 1000]])# 和が 0 のとき -> [0.354 0.017 0.0016] 程度
ノルムは打ち切りを大きくすると $\pi$ に下から近づきます($N=200,800,3200$ で $3.094, 3.128, 3.138$)。基底状態で $\langle e_0,Ce_0\rangle=0$ になるのは、対角な $H$ との交換子の対角成分が有限行列では自動的に 0 になるからで、無限次元の性質ではありません。無限次元では $(HTe_0)_k$ が 1 に近づいて 2 乗可和にならず、$[T,H]e_0$ はそもそも意味を持ちません。
脚注を文字どおり「自己共役な $T$ で $[T,H]=i$」と読むなら、これは反例です。一方でこの $T$ は Weyl 関係を満たさないので、厳密版のパウリの定理とは矛盾しません。有界な $T$ なので $e^{i\epsilon T}$ はちゃんとユニタリですが、$e^{i\epsilon T}He^{-i\epsilon T}=H-\epsilon$ は成り立ちません。交換関係が $D$ の上でしか成り立たず、$D$ が $e^{i\epsilon T}$ や $H$ の作用で閉じていないからです。
時間作用素の階層
何をもって「時間作用素」と呼ぶか
ここまでで、交換関係をどの強さで要求するかによって答えが変わることが分かりました。新井朝雄先生たちは、この強さで時間作用素を分類しています(Arai 2005、Arai–Matsuzawa 2008、超弱時間作用素は Arai–Hiroshima 2017)。強・通常・弱の関係は講究録の解説に、全体は 2020 年の本の時間作用素の章にあります。強時間作用素にあたる関係(弱 Weyl 関係)を最初に時間作用素へ使ったのは Miyamoto (2001) です。
以下、$H$ は自己共役とし、1〜4 の $T$ は対称な作用素、5 の $\mathfrak t$ は作用素とは限らない形式です。条件の強い順に並べます。3 と 4 では、交換関係を課す部分空間を稠密なものに限ります(4 は講究録の定義どおりです)。2017 年の Arai–Hiroshima はここを「0 でない部分空間」に緩めていて、この差は下の 2 準位系の例で効きます。
- Weyl 関係 + 自己共役: $T$ が自己共役で、Weyl 関係 $e^{itH}e^{isT}=e^{ist}e^{isT}e^{itH}$ を満たす。下に有界な $H$ では存在しない(パウリ)。
- 強時間作用素: すべての $t\in\mathbb{R}$ で $e^{-itH}D(T)\subset D(T)$ となり、$\psi\in D(T)$ に対して $e^{itH}\,T\,e^{-itH}\psi=(T+t)\psi$。
- 時間作用素(交換関係型): 稠密な部分空間 $D\subset D(TH)\cap D(HT)$ があって、$\psi\in D$ に対して $[T,H]\psi=i\psi$。
- 弱時間作用素: 稠密な部分空間 $D_W\subset D(T)\cap D(H)$ があって、$\psi,\phi\in D_W$ に対して $\langle T\psi,H\phi\rangle-\langle H\psi,T\phi\rangle=i\langle\psi,\phi\rangle$。
- 超弱時間作用素(ultra-weak): $T$ を作用素から半双線形形式 $\mathfrak t[\phi,\psi]$($\phi$ について反線形、$\psi$ について線形)に一般化し、4 の関係を $\mathfrak t$ で書いたもの。部分空間は 0 でなければよく、稠密性は要求しません。
4 は 3 の交換関係を形式の形に書き直したもので、3 が成り立てば 4 も成り立ちます($\langle T\psi,H\phi\rangle-\langle H\psi,T\phi\rangle=\langle\psi,(TH-HT)\phi\rangle$)。2 を $t=0$ で微分すると 3 の交換関係が出て、$D(TH)\cap D(HT)$ が稠密なら強時間作用素は 3 の意味の時間作用素になります。1 から 2 は、Weyl 関係を $e^{is\,e^{itH}Te^{-itH}}=e^{is(T+t)}$ と書けば、Stone の定理により両辺の生成子が定義域まで含めて一致することから出ます。4 の $T$ からは $\mathfrak t[\phi,\psi]=\langle\phi,T\psi\rangle$ と置けば 5 の形式が得られるので、5 は 4 を含みます。
Arai–Hiroshima 2017 の定義(定義 2.5・2.8)と、この記事の定義の違い
2017 年の論文(内積は第 1 引数について反線形)では、3 の交換関係型の時間作用素も 4 の弱時間作用素も、交換関係を課す部分空間は「0 でない部分空間」であればよく、稠密性を要求していません(弱時間作用素は定義 2.5)。超弱時間作用素(定義 2.8)は次のとおりです。
0 でない部分空間 $\mathcal D_1,\mathcal D_2$ の上の半双線形形式 $\mathfrak t:\mathcal D_1\times\mathcal D_2\to\mathbb C$ が $H$ の超弱時間作用素であるとは、0 でない部分空間 $\mathcal D,\mathcal E\subset\mathcal D_1\cap\mathcal D_2$ があって、次の 3 つが成り立つことをいう。
- $\mathcal E\subset D(H)\cap\mathcal D$
- $\mathcal D$ の上で対称: $\overline{\mathfrak t[\phi,\psi]}=\mathfrak t[\psi,\phi]$ ($\phi,\psi\in\mathcal D$)
- $H\mathcal E\subset\mathcal D_1$ で、$\phi,\psi\in\mathcal E$ に対して $\mathfrak t[H\phi,\psi]-\overline{\mathfrak t[H\psi,\phi]}=-i\langle\phi,\psi\rangle$
$\mathfrak t[\phi,\psi]=\langle\phi,T\psi\rangle$ なら最後の式は $\langle T\phi,H\psi\rangle-\langle H\phi,T\psi\rangle=i\langle\phi,\psi\rangle$ で、4 の関係と同じです(論文は $[H,T]=-i$ と書いていて、この記事の $[T,H]=i$ と同じ約束です)。新しいのは、$T$ が作用素として存在しなくても形式として意味を持てばよい点です。論文の存在定理(水素原子のハミルトニアンなど)は、稠密な $\mathcal E$ を持つ超弱時間作用素を構成しています。
この記事は 3・4 に稠密性を課す講究録の流儀に従い、5 だけ 2017 年の定義を使います。2017 年の定義で読むと、下の 2 準位系の例は 5 だけでなく、その内側の 3 の例にもなります。
一般化弱 Weyl 関係(図 2 の破線の枝)
2 の右辺の $t$ を有界な自己共役作用素 $K(t)$ に置き換えた「一般化弱 Weyl 関係」
e^{itH}\,T\,e^{-itH}\psi=(T+K(t))\psi
もあります(Arai 2005)。$K(t)=t$ なら強時間作用素に戻ります。$K(t)=tC$ なら形式的に $[T,H]=iC$ になるので、$C\ne1$ のときは 3〜5 の列には入らず、階層の本線から分かれた枝になります。Arai 2005 はこの関係から量子力学的な減衰($\langle\psi,e^{-itH}\psi\rangle$ が $t\to\infty$ でどれくらい速く 0 に近づくか)の評価を導いています。

図 2: 時間作用素の階層と、それぞれの代表例。内側ほど条件が強い。交換関係型と弱時間作用素は稠密な部分空間で考えた場合で、2017 年の定義では 2 準位系は交換関係型に入る。破線は一般化弱 Weyl 関係の枝で、強時間作用素を含むが交換関係型の列からははみ出す。
強時間作用素があれば、$H$ のスペクトルは純粋に絶対連続(大まかには、固有値を持たず自由粒子のように滑らかに広がっている)でなければならないことが知られています(Miyamoto 2001)。固有値を持つ系、たとえば調和振動子や水素原子には強時間作用素がなく、図 2 で 3 以下の段の例が固有値を持つ系ばかりなのはこのためです。
途中計算(調和振動子に強時間作用素が無いことの直接の確認)
$H=\omega(N+\frac12)$ なら、$t_0=2\pi/\omega$ で
e^{it_0H}=e^{2\pi i(N+\frac12)}=e^{i\pi}\,e^{2\pi iN}=-1
です($N$ の固有値は整数なので $e^{2\pi iN}=1$)。すると強時間作用素の関係式の左辺は $e^{it_0H}Te^{-it_0H}=(-1)T(-1)=T$ になり、右辺の $T+t_0$ と一致しません($t_0\ne0$ なので $D(T)$ の 0 でないベクトルで矛盾します)。時計の針が $2\pi/\omega$ で元の位置に戻ってしまい、一方向に進み続けられない、という直観の厳密版です。
自由粒子の Aharonov–Bohm 作用素
強時間作用素のいちばん有名な例は、自由粒子 $H=P^2/2m$ に対する Aharonov–Bohm (1961) の時間作用素です。この記事の約束 $[T,H]=i$ に合わせると
T = \frac{m}{2}\left(X P^{-1} + P^{-1} X\right)
です。古典的には $mx/p=x/v$ で、粒子が原点を通過してからの経過時間に当たります。通過前は負の値で、あと何秒で着くかにマイナスを付けたものになります。時間とともに 1 の速さで増えるので、$e^{itH}Te^{-itH}=T+t$ と合っています。これは時計の読みの向きです。
一方、検出器 $x_{\rm det}$ に届くまでの残り時間は古典的に $m(x_{\rm det}-x)/p$ で、$X$ を $X-x_{\rm det}$ に替えた $T$ に負号を付けた
T_{\rm arr}=-\frac{m}{2}\Big((X-x_{\rm det})P^{-1}+P^{-1}(X-x_{\rm det})\Big)
が対応します。こちらは $[T_{\rm arr},H]=-i$、$e^{itH}T_{\rm arr}e^{-itH}=T_{\rm arr}-t$ で、状態を $t$ だけ進めると残り時間が $t$ だけ減ります。到着時刻の文献でよく使われるのはこの向き($x_{\rm det}=0$ なら $-T$)です。
途中計算(交換子)
$[X,P]=i$ から $[X,P^2]=XP^2-P^2X=[X,P]P+P[X,P]=2iP$ です。$P^{-1}$ は $P$ と可換なので
[XP^{-1},P^2]=[X,P^2]P^{-1}=2i,\qquad [P^{-1}X,P^2]=P^{-1}[X,P^2]=2i
となり、
[T,H]=\frac m2\cdot\frac{1}{2m}\big([XP^{-1},P^2]+[P^{-1}X,P^2]\big)=\frac14(2i+2i)=i
です。運動量表示($X=i\,d/dp$)で書くと $Tg(p)=im\Big(\dfrac{g'(p)}{p}-\dfrac{g(p)}{2p^2}\Big)$ で、$p=0$ で特異になります。
量子論では $P^{-1}$ が $p=0$ で特異になります。そこで $T$ を、まず運動量表示で $p=0$ の近くで 0 になる滑らかな関数($C_0^\infty(\mathbb R\setminus\{0\})$)の上で上の式で定め、その閉包を改めて $T$ と書きます。この $T$ は対称ですが自己共役ではなく、自己共役拡大も持ちません。エネルギー表示に移ると、$T$ は半直線 $E>0$ 上の $i\,d/dE$ を 2 枚重ねたもの($p>0$ の枝と $p<0$ の枝)になり、穴の節で見た半直線の $-i\,d/dx$ と同じ構造だからです。
途中計算(エネルギー表示と欠損指数)
$p>0$ の枝で $E=p^2/2m$ と変数変換し、波動関数を $g(p)=\phi(E)\,\sqrt{p/m}$ と書きます($|g|^2dp=|\phi|^2dE$ となるように $\sqrt{dE/dp}=\sqrt{p/m}$ を付けています)。$\frac{d}{dp}=\frac pm\frac{d}{dE}$ を使うと
Tg=im\left(\frac1p\frac{d}{dp}-\frac1{2p^2}\right)\Big(\phi\sqrt{p/m}\Big)
=im\left(\frac{\phi'}{m}\sqrt{p/m}+\frac{\phi}{2p^2}\sqrt{p/m}-\frac{\phi}{2p^2}\sqrt{p/m}\right)=i\phi'(E)\sqrt{p/m}
となり、$T$ は $\phi\mapsto i\,\phi'(E)$ に移ります。$p<0$ の枝でも $g=\phi(E)\sqrt{|p|/m}$ とすれば同じ計算で $i\,d/dE$ になります(sympy で両方の枝を確認しました)。
この変数変換で $C_0^\infty(0,\infty)$(運動量)は $C_0^\infty(0,\infty)$(エネルギー)に移るので、1 枝の $T$ は $C_0^\infty(0,\infty)$ 上の $i\,d/dE$ の閉包、つまり定義域 $H_0^1(0,\infty)$ の $i\,d/dE$ で、随伴は $H^1(0,\infty)$ 上の $i\,d/dE$ です。欠損指数はこの閉包についての計算です。$(i\,d/dE)^*\psi=i\psi$ の解は $e^{E}$、$(i\,d/dE)^*\psi=-i\psi$ の解は $e^{-E}$ で、2 乗可積分なのは $e^{-E}$ だけです。$n_\pm=\dim\ker(A^*\mp i)$ の約束で 1 枝あたり $(n_+,n_-)=(0,1)$、2 枝で $(0,2)$ となり、2 つの数が等しくないので自己共役拡大はありません。
自己共役でないものを観測量と呼んでいいのか、と思うかもしれません。現代的には、射影値測度の射影という条件を外した POVM(正作用素値測度)で観測量を考えるのが普通です。POVM は、実数直線の Borel 集合 $\Delta$ ごとに正の作用素 $F(\Delta)$ を割り当て、$F(\mathbb R)=I$ と可算加法性(互いに素な $\Delta_n$ について $F(\bigcup_n\Delta_n)=\sum_nF(\Delta_n)$、弱収束の意味)を満たすものです。Naimark の定理により、POVM はいつでも、より大きな Hilbert 空間上の射影値測度 $E$ を元の空間 $\mathcal H$ に圧縮したもの $F(\Delta)=PE(\Delta)|_{\mathcal H}$($P$ は $\mathcal H$ への射影)として書けます。閉じた対称作用素は、より大きな空間で自己共役な作用素に拡張でき、その射影値測度を圧縮すると POVM が付随します。欠損指数の片方が 0 の作用素(極大対称作用素)ではそれが一意に決まります。AB 作用素はこの場合に当たり、到着時刻の分布を与える Kijowski (1974) の構成も、残り時間の向きの $T_{\rm arr}$ に付随するこの種の POVM として理解されています(Muga–Leavens のレビューに解説があります)。
2 準位系で手を動かす
いちばん小さい例で、階層の下のほうを確かめてみます。2 準位系で $H=\sigma_z$、$T=\sigma_y/2$ とします。パウリ行列の交換関係 $[\sigma_y,\sigma_z]=2i\sigma_x$ から
[T,H]=i\sigma_x
です。これは $i$(単位行列の $i$ 倍)ではありません。そもそも有限次元では、$[T,H]=i$ はどんな行列でも成り立ちません。左辺のトレースは $\mathrm{Tr}(TH)-\mathrm{Tr}(HT)=0$、右辺のトレースは $2i$ だからです。有限次元では稠密な部分空間は全空間しかないので、稠密性を課すこの記事の定義では、弱時間作用素も存在しません。
ところが部分空間を 1 次元に絞ると話が変わります。$v=(1,1)/\sqrt2$ は $\sigma_xv=v$ を満たすので、$v$ の張る部分空間の上では
\langle Tv,Hv\rangle-\langle Hv,Tv\rangle=\langle v,[T,H]v\rangle=i\langle v,\sigma_xv\rangle=i
となり、1 次元の部分空間 $\mathbb Cv$ の上で弱い交換関係が成り立ちます。この記事の定義では、$\mathfrak t[\phi,\psi]=\langle\phi,T\psi\rangle$、$\mathcal E=\mathbb Cv$ とした 5 の超弱時間作用素の例です。一方、部分空間が 0 でなければよい 2017 年の定義では、$[T,H]v=i\sigma_xv=iv$ なので 3 の交換関係型の時間作用素(したがって弱時間作用素)の例になります。2 次元の全体ではトレースの議論で成り立たないので、交換関係が成り立つのはどちらの定義でも 1 次元の部分空間までで、定義の差がそのまま分類の差になります。この状態で不確定性も計算できます。$\langle H\rangle=0$、$\langle H^2\rangle=1$ から $\Delta H=1$、$\sigma_yv=(-i,i)/\sqrt2$ は $v$ と直交するので $\langle T\rangle=0$、$T^2=\frac14$ から $\Delta T=\frac12$ で、$\Delta T\,\Delta H=\frac12$ とちょうど下限に一致します。紙と鉛筆で 5 分ほどの計算なので、ぜひ手で追ってみてください。
時間作用素は何を測っているのか
強時間作用素の定義 $e^{itH}Te^{-itH}=T+t$ は、状態を $t$ だけ時間発展させると $T$ の測定値の分布がそのまま $t$ だけずれる、と読めます。期待値で書けば $\langle T\rangle_{\psi_t}=\langle\psi,e^{itH}Te^{-itH}\psi\rangle=\langle T\rangle_\psi+t$ です。系の内部に時計があって、外の時計と同じ速さで進んでいる。これが時間作用素の物理的な中身です。
「あと何秒で起きるか」を測る量は、時間発展で値が減る向きなので、AB 作用素の節の $T_{\rm arr}$ のように、この記事の約束の $T$ に負号を付けたもの($[T_{\rm arr},H]=-i$)になります。時計の読み(経過時間)と残りの到着時間は符号だけの違いですが、式を比べるときは区別が必要です。具体的には、時間作用素は次のような「いつ」の問いに確率分布を与えます。
- 到着時刻。粒子が検出器にいつ届くか(Kijowski の分布など)
- 時間遅延。散乱でどれだけ遅れるか(Eisenbud–Wigner の時間遅延、Wigner 1955)
- 生存確率の減衰。状態 $\psi$ がどれくらい速く元の状態から離れていくか。時間作用素との関係は Miyamoto(2001、続編)が散乱状態について調べています
- 振動子の位相。量子光学の位相作用素は $H=\omega N$ の時間作用素と実質同じものです。Susskind–Glogower (1964) が示したのは、消滅作用素を $a=V\sqrt N$ と極分解したときの位相因子 $V$($V|n\rangle=|n-1\rangle$、$V|0\rangle=0$)がユニタリにならない($VV^*=I$ ですが $V^*V=I-|0\rangle\langle0|$)ことで、$a=e^{i\Phi}\sqrt N$ となる自己共役な $\Phi$ は作れません。$N$ と Weyl 関係を満たす自己共役な $\Phi$ も、$\sigma(N)\ne\mathbb R$ なので Stone–von Neumann の定理から作れません。どちらも、$N$ のスペクトルが $0$ で下に切れていることが原因です。一方、交換関係を稠密な部分空間でだけ要求するなら、Galapon の $T$ を $\omega$ 倍した $\Phi=\omega T$ は有界な自己共役作用素で、その部分空間の上で $[\Phi,N]=i$ を満たします。位相作用素にも時間作用素と同じ階層があるということです
不確定性関係はどこまで言えるか
不確定性関係 $\Delta T\,\Delta H\ge 1/2$ は、時間作用素があれば、位置と運動量の場合と同じ導出で出ます。ただし成り立つのは、交換関係(少なくとも弱い形)が成り立つ部分空間に入っている状態 $\psi$ についてだけです。
途中計算(弱時間作用素からの不確定性関係)
$\psi\in D_W$、$\lVert\psi\rVert=1$ とし、$a=\langle T\rangle$、$b=\langle H\rangle$、$A=T-a$、$B=H-b$ とおきます。$a,b$ は実数で、$T$ が対称、$H$ が自己共役なので、定数をずらしても弱い交換関係は変わりません。
\langle A\psi,B\psi\rangle-\langle B\psi,A\psi\rangle=\langle T\psi,H\psi\rangle-\langle H\psi,T\psi\rangle=i
(展開すると $a,b$ を含む項は $\langle T\psi,\psi\rangle-\langle\psi,T\psi\rangle=0$ などで消えます。)左辺は $\langle A\psi,B\psi\rangle-\overline{\langle A\psi,B\psi\rangle}=2i\,\mathrm{Im}\langle A\psi,B\psi\rangle$ なので $\mathrm{Im}\langle A\psi,B\psi\rangle=\frac12$ です。Cauchy–Schwarz の不等式から
\frac12\le|\langle A\psi,B\psi\rangle|\le\lVert A\psi\rVert\,\lVert B\psi\rVert=\Delta T\,\Delta H
となります。
エネルギー固有状態はこの部分空間に入れません(パウリの節の 2 行の計算)。固有状態では $\Delta H=0$ なので、入れたらむしろ困ります。Galapon の調和振動子の $T$ では、さらに具体的なことが言えます。$T$ は有界で $\Delta T\le\lVert T\rVert=\pi/\omega$ なので、定義域 $D$ に入る状態は必ず $\Delta H\ge\frac{1}{2\Delta T}\ge\frac{\omega}{2\pi}$ を満たします。
時間作用素を使わない不確定性関係もあります。状態が目に見えて変化するまでの時間で $\Delta t$ を定義する Mandelstam–Tamm 型(いわゆる量子速度限界の元祖)がその代表です。型の区別は P. Busch のレビュー The Time-Energy Uncertainty Relation に、Mandelstam–Tamm 型の短い解説は John Baez の The Time-Energy Uncertainty Relation にあります。
時間作用素は一つに決まらない
時間作用素はどの段でも一意ではありません。$T$ が強時間作用素なら、有界な実数値関数 $g$ について $T+g(H)$ も強時間作用素です($g(H)$ は $e^{itH}$ と可換なので、$e^{itH}(T+g(H))e^{-itH}=T+t+g(H)$)。時計の目盛りの原点を、エネルギーごとに勝手にずらせることに当たります。
階層を下るほど、答えられる問いは減ります。Galapon の $T$ は自己共役なので測定値の分布(射影値測度)自体はありますが、状態を $t$ だけ発展させても分布は $t$ だけずれません。そのため「いつ起きたか」の分布としては読めず、言えるのはほぼ不確定性関係だけです。
外部時間 t と時間作用素 T は別物
| 外部時間 $t$ | 時間作用素 $T$ | |
|---|---|---|
| 数学的な身分 | ユニタリ群 $e^{-itH}$ の径数(ただの実数) | Hilbert 空間上の作用素 |
| 物理的な身分 | 実験室の時計の読み。系の外にある | 系が持つ観測量 |
| 値の決まり方 | 実験者が選ぶ | 測定すると分布が出る |
$T$ の定義式 $e^{itH}Te^{-itH}=T+t$ を見ると、両辺に $t$ が入っています。この式は、外の時計を $t$ 進めると中の時計も $t$ 進む、という校正の式です。$T$ は $t$ を使って定義されているので、$T$ があるから $t$ は要らない、とはなりません。
位置で考えると分かりやすいです。位置作用素 $X$ があっても、空間座標 $x$ を捨てる人はいません。$x$ は空間のラベルで、$X$ は粒子がどこにいるかという観測量です。検出器を $x=3$ に置いた、と言うときの 3 は測定結果ではなく設定です。$t$ と $T$ の関係もこれと同じです。
同一視して困らない場合
ふだん量子力学の計算をしていて $t$ と $T$ の区別を意識することはまずありません。意識しなくて済むのは、だいたい次のどれかに当たるときです。
- 時計が系に比べて十分大きく古典的なとき。実験室の原子時計の読みは量子ゆらぎも測定対象との相互作用も無視でき、c-数 $t$ として扱えます。Schrödinger 方程式の $t$ はこれで、通常の実験はほぼ全部ここに入ります
- 半古典的な波束を扱うとき。運動量がよく定まった波束の到着時刻の分布は鋭いピークを持ち、中心は古典的な $t=m(x_{\rm det}-x_0)/p$ です。飛行時間法(TOF)がこれで、分布の幅が問題にならない限り、残り時間の向きの到着時刻 $\langle T_{\rm arr}\rangle$ と実験室の時計で測った飛行時間 $t$ を同じものとして扱って実害はありません
- 問いが「時刻 $t$ に何が観測されるか」の形をしているとき。時刻は最初から設定で、$T$ の出番がありません
分けないといけない場合
逆に、区別しないと計算を間違えるのは次のような場合です。
まず、問いが「いつ起きるか」の形で、しかも分布の形まで必要なとき。トンネル時間、到着時刻分布の量子補正、崩壊の非指数則などです。ここで $|\psi(x_{\rm det},t)|^2$ を $t$ の確率密度と読むのは、よくある間違いです。$|\psi(x,t)|^2$ は $t$ を固定したときの $x$ の確率密度で(単位は 1/長さ)、$t$ について積分しても 1 になりません。形の上でも、遅い成分ほど検出器の近くに長く留まるので、重く数えてしまいます。
図 3 は、自由なガウス波束について、検出器の位置 $x_d$ での $|\psi(x_d,t)|^2$ と確率流束 $J(x_d,t)=\frac1m\mathrm{Im}\big(\overline{\psi}\,\partial_x\psi\big)$ を比べたものです。流束は検出器を単位時間に通過する正味の確率です。自由粒子では $\int_0^\infty J(x_d,t)\,dt$ は「最後に $x_d$ より右にいる確率」から「最初から $x_d$ より右にいた確率」を引いたものなので、これが 1 になるのは、波束が最初は全部検出器の左にあり、全確率が最後には検出器を通過するときです。その上で逆流も無ければ、$J$ は到着時刻の分布の素朴な候補になります。図の波束は $p<0$ の成分を 0.13% 含むので、全時間の積分は 0.99865 です。
一方 $|\psi(x_d,t)|^2$ は、遅い側に裾を引いています。図と同じ時間窓 $0\le t\le 80$ で積分すると 0.784 ですが、$t\to\infty$ で $1/t$ の速さでしか減らないので、全時間の積分は対数発散します。遅い成分を重く数えることの極端な形です。

図 3: 自由ガウス波束($\hbar=m=1$、初期幅 $\sigma_0=1$、平均運動量 $p_0=1.5$、検出器 $x_d=6$)。単位の異なる 2 量($J$ は 1/時間、$|\psi|^2$ は 1/長さ)を $\hbar=m=1$ で重ねている。表示は $0\le t\le16$。凡例の積分値はどちらも $0\le t\le 80$ の区間の値で、$J$ は 0.998(全時間では 0.99865)、$|\psi|^2$ は 0.784(全時間では発散)。
図 3 の計算方法
初期状態を運動量表示で $\phi(p)=(2\sigma_0^2/\pi)^{1/4}e^{-\sigma_0^2(p-p_0)^2}$ とし、
\psi(x,t)=\frac{1}{\sqrt{2\pi}}\int\phi(p)\,e^{ipx-ip^2t/2m}\,dp,\qquad \partial_x\psi=\frac{1}{\sqrt{2\pi}}\int ip\,\phi(p)\,e^{ipx-ip^2t/2m}\,dp
を $p$ について数値積分しています。$t$ は 0 から 80 まで刻み 0.01 で台形積分しました。流束の積分が 1 より少し小さいのは、$t=80$ 以降に届く遅い成分と、$p<0$ の成分(確率 0.13%)の分です。
$|\psi|^2$ の発散は解析的に見えます。この波束の幅は $\sigma_t^2=1+t^2/4$ で、中心は $1.5t$ なので
|\psi(6,t)|^2=\frac{1}{\sqrt{2\pi\sigma_t^2}}\exp\Big(-\frac{(6-1.5t)^2}{2\sigma_t^2}\Big)\ \sim\ \frac{2e^{-4.5}}{\sqrt{2\pi}}\cdot\frac1t\qquad(t\to\infty)
です(指数の中身は $\frac{2.25t^2}{t^2/2}\to4.5$)。$\int_0^{T}|\psi(6,t)|^2dt$ を数値積分すると $T=10^3,10^4,10^5,10^6$ で $0.810,\ 0.831,\ 0.851,\ 0.872$ となり、$T$ が 1 桁増えるごとに $\frac{2e^{-4.5}}{\sqrt{2\pi}}\ln10\approx0.0204$ ずつ増え続けます。
「いつ」の分布がほしければ、$T$ かその POVM(あるいは流束のような、到着を直接表す量)を使う必要があります。流束も万能ではなく、逆流が起きる状態では負になって確率として読めません。そこを整理したのが Kijowski の分布や Muga–Leavens のレビューの議論で、アト秒領域のトンネル時間測定では時間の定義の違いが解釈の違いとして表に出ています(Kheifets のレビュー)。
次に、時計自身が小さな量子系のとき。時計のエネルギーが有限なら読みの精度には限界があり、$t$ を c-数と置いた瞬間にこの効果は見えなくなります。
最後に、外部時間がそもそも存在しない系。一般相対論では時間座標の取り替えが物理を変えない(再径数化不変性)ため、ハミルトニアンが $H\approx0$ という拘束条件になり、正準量子化すると Wheeler–DeWitt 方程式 $H\Psi=0$ から $t$ が消えます。よく使われるのは、系の一部を時計に選び、残りの変化をその読みとの相関で記述する方法です(Page–Wootters (1983) の関係的時間、ループ量子宇宙論でスカラー場を時計にする方法など)。
非相対論的量子力学での話はここまでです。パウリの定理が禁止するのは Weyl 関係を満たす自己共役な $T$ だけで、条件を緩めた時間作用素は存在し、到着時刻のような「いつ」の分布を与えます。以下の 2 つの補論は、この結論をよく混同される話題(時空の量子化)と、相対論での位置作用素に広げたもので、読み飛ばしてもまとめにつながります。
補論 1: 時空の量子化とは何が違うのか
時間の量子化という言葉は、少なくとも 3 つの違う意味で使われています。
| 意味 | 問い | パウリの定理との関係 |
|---|---|---|
| 観測量化 | 時間を系の観測量として扱えるか | 直接の対象 |
| 場としての量子化 | 時空の幾何(重力場)を量子化できるか | 無関係 |
| 離散化 | 時間には最小単位があるか | 無関係 |
パウリの定理が触れているのは 1 行目だけです。量子重力が可能かどうかについても、プランク時間のような最小単位があるかどうかについても、何も言っていません。実際に構成されている時間作用素を見ても、AB 作用素に付随する POVM が与える測定値の分布は実軸上に連続的に広がっていますし、Galapon の調和振動子の $T$ のスペクトルは区間 $[-\pi/\omega,\pi/\omega]$ 全体です。どちらにも「最小の時間単位」は現れません。ループ量子重力で離散スペクトルを持つ面積や体積の作用素も、非可換時空で作用素になる座標 $x^0$ も、$H$ との Weyl 関係を要求しているわけではないので、パウリの定理とは抵触しません。3 つの意味が交わるのは、前の節の最後に出てきた量子重力の時間問題のところだけです。
非可換時空の模型の補足
非可換時空(Snyder 1947、Doplicher–Fredenhagen–Roberts 1995)では、座標 $x^\mu$ 自体を互いに可換でない作用素にします。交換子の右辺は模型によって違い、Snyder の模型では Lorentz 変換の生成子に比例し、DFR の模型では中心的な作用素 $Q^{\mu\nu}$ を使います。定数の $\theta^{\mu\nu}$ を置いた $[x^\mu,x^\nu]=i\theta^{\mu\nu}$ は、いちばん簡単な場合です。どれも事象の座標の非可換化で、ハミルトニアンに共役な時計ではありません。
補論 2: 相対論では位置作用素も怪しくなる
時間作用素が弱い意味でなら存在するとして、相対論で時間と対等なはずの空間の作用素はどうでしょうか。
非相対論的量子力学では問題ない
位置作用素 $X$ は自己共役で、運動量 $P$ と Weyl 関係を満たします。パウリの論法を $(X,P)$ に当てはめると $P$ のスペクトルは平行移動で不変でなければなりませんが、実際 $\sigma(P)=\mathbb{R}$ なので矛盾は起きません(図 1 の下段)。同じ論法が $(T,H)$ で破綻するのは $H$ のスペクトルに下限があるからで、エネルギーに下限があるのは物質が安定であることの表現です。その同じ性質が、Weyl 関係を満たす自己共役な時間作用素を排除しています。
逆に穴の節の例のように、粒子を半直線 $x>0$ に閉じ込めると今度は運動量のほうが自己共役でなくなります。スペクトルが片側で切れている相手と Weyl 関係で結ばれる自己共役作用素は無い、という現象は時間に固有のものではありません。
相対論的な 1 粒子では位置も怪しくなる
相対論に行くと、素朴な位置作用素(波動関数に $x$ を掛ける)が使えません。Klein–Gordon 方程式や Dirac 方程式の正エネルギー解だけを集めた空間は、$x$ を掛けると負エネルギー成分が混ざって閉じないからです。これを直したのが Newton–Wigner (1949) の位置作用素 $X^{\rm NW}$ で(Wikipedia の解説)、質量を持つ粒子では正エネルギーの 1 粒子空間の上で自己共役、成分どうしが可換で、回転と並進に対して正しく変換します。光子にはこの条件を満たす位置作用素が無いことも知られています(Newton–Wigner 1949、Wightman 1962)。
自由 Dirac 粒子の時間作用素
Newton–Wigner の位置作用素を使うと、自由 Dirac 粒子の時間作用素を次の形に書けます。$\hbar=c=1$ とし、$\omega=\sqrt{\mathbf{p}^2+m^2}$、$\{A,B\}=AB+BA$(反交換子)、$j$ は固定した 1 つの方向で和はとりません。
T = \frac{1}{2}\left\{ X^{\rm NW}_j,\ \frac{\omega}{p_j} \right\} \mathrm{sgn}(H)
$X^{\rm NW}_j$ を群速度 $v_j=\mathrm{sgn}(H)\,p_j/\omega$ で割った形で、AB 作用素 $mx/p$ の相対論版です(非相対論極限 $\omega\to m$ で AB 作用素に戻ります)。この式は筆者が Foldy–Wouthuysen 表示で $[T,H]=i$ を検算したもので、特定の文献の式を引いたものではありません。AB 作用素と同じく $p_j=0$ で特異になります。
検算: Foldy–Wouthuysen 表示では $H=\beta\,\omega(\mathbf{p})$($\beta=\pm1$ は正負エネルギーの成分を分ける行列で、$\mathrm{sgn}(H)=\beta$)、$X^{\rm NW}=i\nabla_{\mathbf p}$ です。$X^{\rm NW}$ は $\beta$ と可換なので、成分ごとに計算できます。$[X_j,f(\mathbf p)]=i\,\partial f/\partial p_j$ と $\partial\omega/\partial p_j=p_j/\omega$ を使うと、$\omega/p_j$ は $\omega$ と可換なので
[T,H]=\frac{\beta^2}{2}\Big([X_j,\omega]\frac{\omega}{p_j}+\frac{\omega}{p_j}[X_j,\omega]\Big)=\frac12\cdot2\cdot i\frac{p_j}{\omega}\cdot\frac{\omega}{p_j}=i
となります($\beta^2=1$)。sympy でも両方の成分で $[T,H]=i$ を確認しました。
自由 Dirac 粒子の $H$ は正負両方のエネルギーを持つので下に有界ではなく、パウリの定理の仮定からは外れます。ただし質量ギャップ $(-m,m)$ があって $\sigma(H)=(-\infty,-m]\cup[m,\infty)\ne\mathbb{R}$ なので、Stone–von Neumann の定理により、Weyl 関係を満たす自己共役な $T$ はやはり作れません。Dirac 方程式の枠組みで自己共役な時間作用素を主張している Bauer の論文(参考文献)は、Weyl 関係より弱い意味での時間作用素についてのものと読む必要があります。
Newton–Wigner の位置作用素には代償が 2 つあります。ひとつは Lorentz 共変でないことで、ある慣性系で一点に局在した状態が、ブーストした系では広がって見えます。もうひとつは因果律との緊張です。Hegerfeldt の定理(1974 年の原論文、本人による解説)は、解説の形で書くと次のとおりです。$H$ が下に有界で、$A$ が正の作用素(たとえば「ある領域に見つかる」ことを表す射影)なら、どの状態についても $\langle\psi_t,A\psi_t\rangle$ は、すべての $t$ で 0 か、ほとんどすべての $t$ で 0 でないかのどちらかです。時刻 0 に有界領域 $V$ に厳密に局在した状態で、$A$ を $V$ から遠く離れた領域の射影に取ると、前者は「その領域には永遠に行かない」ことを意味します。$H=0$ のように何も動かない系は前者で、下に有界なだけで広がるわけではありません。自由粒子のように波束がいずれ遠くまで広がる系では前者が起こらないので、後者、つまり直後から遠くの領域に見つかる確率が 0 でなくなり、光速を超えて裾が伸びることになります。
位置についてさらに強い制限を与えるのが Malament (1996) の定理です。ここでは Halvorson–Clifton の §2 の形で書きます。Minkowski 時空の空間的超平面上の有界領域 $\Delta$ ごとに、そこに粒子がいるかどうかを表す射影 $P_\Delta$ があり、時空の並進群の強連続なユニタリ表現 $a\mapsto U(a)$ があるとします。次の 4 つを要求します。
- 並進共変性。すべての並進 $a$ で $U(a)P_\Delta U(a)^{*}=P_{\Delta+a}$
- エネルギー条件。すべての未来向きの時間的な単位ベクトル $a$ について、$t\mapsto U(ta)$ の生成子が下に有界
- 局在性。同じ空間的超平面上の交わらない $\Delta_1,\Delta_2$ で $P_{\Delta_1}P_{\Delta_2}=0$
- 局所可換性。空間的に離れた $\Delta_1,\Delta_2$ では、別々の超平面(異なる時刻)にあっても $[P_{\Delta_1},P_{\Delta_2}]=0$
このときすべての $\Delta$ で $P_\Delta=0$、つまりどの領域でも粒子は見つからない、という結論しか残りません。同じ超平面上の可換性だけなら局在性から出るので、効いているのは異なる時刻どうしの可換性です。Halvorson と Clifton は、射影を正作用素 $A_\Delta$ に替え、局在性の代わりに加法性(同じ超平面上の交わらない領域で $A_{\Delta_1\cup\Delta_2}=A_{\Delta_1}+A_{\Delta_2}$)を課した POVM 版でも、同じく $A_\Delta=0$ になることを示しています(§5)。仮定の中に、パウリの定理で使ったのと同じ「エネルギーが下に有界」が入っていることに注目してください。Malament の定理は、位置に対するパウリの定理のような位置づけだと私は理解しています。
場の量子論では位置は最初からラベル
場の量子論では、場 $\phi(t,\mathbf{x})$ の $t$ も $\mathbf{x}$ もただのラベルで、作用素なのは場のほうです。粒子の位置という観測量は基本的な語彙から消え、代わりに時空の領域 $O$ ごとにそこで測れる観測量の代数 $\mathcal{A}(O)$ が割り当てられるので、時間と位置の扱いが揃います。
真空の局所性についての補足(Reeh–Schlieder と Knight)
Reeh–Schlieder の定理
場の量子論の真空表現(Wightman の公理系や Haag–Kastler の局所ネット)で、エネルギー運動量のスペクトルが前方光円錐に入る(スペクトル条件)、並進不変な真空 $\Omega$ が全体の観測量に対して巡回的、局所代数が弱加法的、という標準的な仮定を置く。このとき空でない任意の有界開領域 $O$ について、$O$ で測れる観測量 $A\in\mathcal{A}(O)$ を真空 $\Omega$ に作用させたベクトル $A\Omega$ の全体は、Hilbert 空間の中で稠密である。
どんなに小さな領域の観測量でも、真空に作用させたベクトルで任意の状態を近似できる、という主張で、真空がどの領域とも強く相関(もつれ)していることを表しています。ただし近似に使う $A$ は一般にユニタリではなくノルムも大きいので、局所的な操作で任意の状態を確定的に作れるという意味ではありません。物理的には、成功確率のごく小さい測定と選別に当たります。また Knight (1961) は、自由場の理論で、有限個の粒子からなる状態は、有界領域の外のすべての局所観測量について真空と同じ期待値を持つ(その意味で厳密に局在する)ことはできないことを示しています。
結局どうなっているのか
自己共役で Weyl 関係を満たす位置作用素はあるのに、同じ意味の時間作用素は無い、という非対称は、非相対論的な 1 粒子の量子力学での話です。相対論では、上の定理の仮定を受け入れる限り、位置も Newton–Wigner 位置のように Lorentz 共変性か局所性を諦めるか、場の量子論のように粒子の位置という観測量そのものを基本の語彙から外すことになります。時間作用素で条件を緩めてきたのと同じく、位置でも何かを緩めることになります。揃い方が「位置のほうが時間の側に寄ってくる」形だったのは、私には少し意外でした。
まとめ
冒頭の 3 つの言い方を採点しておきます。
- 時間は観測量ではない。半分正しいです。外部時間 $t$ は観測量ではありませんが、到着時刻や寿命は観測量で、時間作用素や POVM で記述できます
- 時間の量子化は不可能だとパウリが証明した。誤りです。禁止されたのは下に有界な $H$ と Weyl 関係で結ばれた自己共役作用素だけで、時空の量子化や時間の離散性には何も言っていません
- エネルギーと時間の不確定性関係は本物ではない。言い過ぎです。弱時間作用素があれば、交換関係(弱い形)が成り立つ部分空間の状態について $\Delta T\,\Delta H\ge 1/2$ が成り立ちます。ただしエネルギー固有状態はその部分空間に入りません
もう 1 つ、外部時間 $t$ は実験者が決める設定、$T$ は系の時計の測定結果です。時間を自分で設定しているなら $t$ でよく、測定結果として受け取っている時間も、分布の幅や形が効かない精度なら $t$ で近似できます。脚注を Weyl 関係の形に読み替えれば、正しい定理になります。冒頭の 3 つの言い方は、その定理の仮定(自己共役であること、Weyl 関係であること)を落として読んだものでした。
参考文献
本文でリンクした文献は書誌だけを並べ、本文で触れていないものにだけ説明を付けます。
パウリの定理と時間作用素
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- J. Kijowski, On the time operator in quantum mechanics and the Heisenberg uncertainty relation for energy and time, Rep. Math. Phys. 6 (1974) 361
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- E. A. Galapon, Self-adjoint time operator is the rule for discrete semi-bounded Hamiltonians, Proc. R. Soc. Lond. A 458 (2002) 2671–2689
- A. Arai, Generalized weak Weyl relation and decay of quantum dynamics, Rev. Math. Phys. 17 (2005) 1071
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- A. Arai, Mathematical theory of time operators in quantum physics, 数理解析研究所講究録 1609 (2008)
- A. Arai, Inequivalent Representations of Canonical Commutation and Anti-Commutation Relations, Springer (2020)
- 廣島文生, 時間の数理 (2010)。九大公開講座の資料で、パウリの定理と時間作用素を扱う日本語の入門
- M. Bauer, The problem of time in quantum mechanics(掲載題 On the problem of time in quantum mechanics, Eur. J. Phys. 38 (2017) 035402)。Dirac 方程式の枠組みで自己共役な時間作用素を主張する立場の論文
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不確定性関係・到着時刻
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相対論的な局在・時空の量子化
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- D. Malament, In defense of dogma: why there cannot be a relativistic quantum mechanics of (localizable) particles, in R. Clifton (ed.), Perspectives on Quantum Reality (1996) 1–10
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- D. N. Page, W. K. Wootters, Evolution without evolution: Dynamics described by stationary observables, Phys. Rev. D 27 (1983) 2885
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筆者は夢現技研合同会社を運営しています。数学・物理学・情報科学を行間を埋めて解説する教科書サイト「Rikai」も公開しているので、よければご覧ください。