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$$

0 はじめに

みなさんこんにちは.東京大学理学部物理学科3年の王塚康太(dawn)と申します.もうすぐクリスマスですね.少し早いですが, 1みなさん,メリークリスマス!素敵なクリスマスをお過ごしください.私はその日に物理学実験と戦ってきます.

Physics Lab. 2025アドベントカレンダーの23日目の記事として,エルゴード理論について書くことにしました.エルゴード理論は,統計力学におけるエルゴード仮説を証明しようとする試みとして発足した理論です.エルゴード仮説が統計力学の根幹を成しているかどうかについて未だに定説がない今では,なんで今さらエルゴード理論なんだ,と疑問に思われるかもしれないですが,実は今でも物理・数学両方の力学系の一分野であるカオス理論や,数論(連分数など[c1])などの幅広い分野の理論研究に役立っています.個人的にはその数理的側面(エルゴード定理各種)に興味を持ち,それらの証明などを読んで学んだ手法・アイデアをぜひ今後の研究に活かしたい2と思っています.

この記事では,エルゴードとは一体なんなのかをまず説明し,その後にエルゴード理論の歴史,エルゴード仮説の問題点,エルゴード定理及びその証明,古典エルゴード性を順に紹介します.最後まで読んでいただけますと幸いです.

1 エルゴードとは何か

エルゴードとは,遍歴,すなわち,ほとんどすべての初期状態が,時間発展により系の取り得る状態をくまなく辿ることを指します.より具体的に,例えば密閉された容器の中にたった一つの粒子が存在し,その粒子が物理法則に従って運動していると考えましょう.このとき,粒子の運動の軌跡が,時間発展していくとやがて容器内の空間をすべて埋め尽くすならば,(位置にだけ注目すると)この系はエルゴード的であると言います.

この概念を古典力学に当てはめて考えてみましょう.古典力学では,粒子の状態は二つの共役な物理量:位置$\bm{x}$と運動量$\bm{p}$によって完全に指定されます.したがって,古典的な$N$粒子系では,$i$番目の粒子の位置と運動量をそれぞれ$\bm{x}_i,\bm{p}_i$とすれば,系全体の状態は$6N$個の物理量により完全に決定されます(これらをまとめて$X$と略記します).この系の取り得るすべての状態$X$の集合を相空間と呼び,$\Gamma$と書くことにします.例えば$N$個の粒子が一辺の長さが$L$の箱に入っているとき,系の相空間は$\Gamma=[0,L]^{3N}\times\mathbf{R}^{3N}$となります.この系がエルゴード的であるということは,時間発展していくと相空間$\Gamma$の等エネルギー面上にある,ほとんどすべての点$X$の軌跡が等エネルギー面全体を埋め尽くす3ことを意味します.

古典力学に従う系(ハミルトン力学系)がエルゴード的であれば,その系において定義される物理量$f$の長時間平均,すなわち$$\bar{f}(X(0)):=\lim_{T\nearrow+\infty}\frac1T\int_0^Tf(X(t))\:\mathrm{d}t$$はその系を特徴づける何かの量になるはずです.この量が,ミクロカノニカルアンサンブルにおけるミクロカノニカル平均(相空間上の平均)と等しく,初期状態$X(0)\in\Gamma$によらない量であると大胆に主張したのがエルゴード仮説です.すなわち,エネルギーシェル$$\Gamma_{E,\epsilon}:=\{X\in\Gamma\mid |H(X)-E|\le \epsilon\}$$上のLebesgue測度(Liouville測度)$m$を規格化して得られる確率測度$$\forall B\subset\Gamma_{E,\epsilon}\quad\mu^E_\text{mc}(B)=\left.\int_B\mathrm{d}m(X)\right/\int_{\Gamma_{E,\epsilon}}\mathrm{d}m(X)$$をミクロカノニカル測度と定義し,これを用いてミクロカノニカル平均を$$\langle\cdot\rangle_\text{mc}^E:=\int\cdot\;\mathrm{d}\mu_\text{mc}^E$$と定義すると,エルゴード仮説の主張は$$\bar{f}(X(0)\in\Gamma_{E,\epsilon})=\langle f\rangle^E_\text{mc}$$と書けます(古典系では正確には,$\epsilon\searrow+0$とするべきですが).系が平衡状態へと緩和していくとき,この式の左辺は平衡状態における値となり,ミクロカノニカル分布を使うことの正当性を担保する式となります.

エルゴード理論は,0 はじめにでも言及した通り,上のエルゴード仮説の主張を正当化しようとする数学の理論です.4 エルゴード定理及びその証明に詳しく書かれていますが,エルゴード理論により,ハミルトン力学系がエルゴード的であるとき,エルゴード仮説が正しいことは示されています.

2 エルゴード理論の歴史

エルゴード(Ergode)という単語は,L. Boltzmann([c3], 1884)によって最初に用いられ,元々は現在「エルゴード仮説」と呼ばれる原理を仮定し,そこから等重率の原理を経て,J. W. Gibbsによって命名され現在まで用いられる概念である「ミクロカノニカル分布」を導く一連の理論のことを意味する語でした[c4][c5].

その後,Ehrenfest夫妻(P. & T. Ehrenfest)([c6], 1911)によって連続な相空間上の議論が整備し直されました.これによって,G. D. Birkhoffは1931年にBirkhoffの(個別)エルゴード定理,John von Neumannは1932年にvon Neumannの平均エルゴード定理をそれぞれ示し,エルゴード理論における最初の非自明な結果を残しました.実はvon Neumannの方がより早く平均エルゴード定理を証明したものの,正式発表する前にBirkhoffへの手紙にその旨を書き,それによってBirkhoffは啓発され,なんとvon Neumannよりも早くBirkhoffのエルゴード定理を証明し発表しました[c7][c8]ので,結果的に,発表は遅いがvon Neumannの平均エルゴード定理はBirkhoffのエルゴード定理よりやや弱い定理となっています.(これらのエルゴード定理の詳細及び証明は,4.3 エルゴード定理を参照してください.また,この段落の内容に関して,より詳しい歴史的な流れは[c9]で議論されています.)

Birkhoffによる最初のBirkhoffのエルゴード定理の証明は50ページほどの大作でした.1939年に,日本の数学者吉田耕作と角谷静夫は,まず極大エルゴード定理(4.3 エルゴード定理参照)を証明し,そしてそれを用いてBirkhoffのエルゴード定理を示す方針で証明を10ページに収めることに成功しました[c10].1965年にA. M. Garsiaは極大エルゴード定理の驚くべきほど短い証明(たった数行!)を与え[c11],現在に知られている最も簡潔な証明を完成させました.

エルゴード性を持つ非自明な系の例はあまり多く見つかっていませんが,その中でも,最初に非自明な例として挙げられたYa. G. Sinai(Я́ков Григо́рьевич Сина́й)によるSinai's (Dynamical) Billiard(1963, [c12])が最も有名です.BilliardはBirkhoffが著書の Dynamical Systems で初めて提唱した概念であり,区分的に滑らかな境界を持つ平面あるいはトーラスの中で,粒子が境界と弾性衝突して運動するような力学系のことを指します.そのような力学系のエルゴード性は完全に境界に依存しており,ものすごく非自明です.Sinai's Billiardは,トーラス$\mathbf{T}^2=\mathbf{R}^2/\mathbf{Z}^2$の内部に円状の境界を置いたカオス力学系であり,トーラス内の2粒子が弾性衝突して運動するモデルと等価です.後者の$N$体への拡張が物理での古典的な気体モデルとしてみなせるため,この結果は物理的にもかなり有意義なものとなっています4[c14].

1950年代末に,A. N. KolmogorovとSinaiによるKolmogorov-Sinaiエントロピーが考案されてから,Lyapunov指数を用いたV. OseledetsによるOsledetsの(乗法的)エルゴード定理(1968),Lyapunov指数とKolmogorov-Sinaiエントロピーの関係を示すYa. PesinによるPesinの等式(1977)とD. RuelleによるMargulis-Ruelleの不等式(1978)などの,Riemann多様体上の保測変換の理論が著しい発展を見せました[c14].(この段落にある用語の定義は,残念ながら勉強する暇も書く暇も全くありませんので割愛させてください,ごめんなさい.)

3 エルゴード仮説の問題点

Boltzmannのエルゴード仮説は提唱されて以来,色々な批判を受けてきました.最も早い批判の一つとして,J. H. Poincaréによる,ハミルトン力学系は時間発展により必ずある時間後に初期状態に戻ると主張するポアンカレの再帰定理([c15], 1899)があります5.しかし,これが物理的に意義のある定理であるとすれば,エルゴード仮説に対する反論になっているだけではなく,任意のハミルトン力学系が有限時間で初期状態に戻ることが観測され,真の熱平衡状態に到達することはないはずです.これは明らかに経験的事実に反しています.幸いにも,回帰時間は系に含まれる粒子の数に対して指数関数的に増大することが示され,マクロ的な系(粒子数 ~ アボガドロ数)では回帰時間が物理的に意味をなさないほどの長い時間(例えば,宇宙年齢を遥かに超える時間)になることが判明しました(一種の次元の呪い).エルゴード仮説において,エルゴード的な系が初期状態から出発して,その軌跡がエネルギーシェルを埋め尽くすまでにかかる時間(エルゴード時間)も一般的にはそれほどの時間を要求しますが(実際にその点に対する批判もありました[c4].一方,注目する物理量をマクロ的な量に制限すれば緩和時間( ≠ エルゴード時間)が実験結果と矛盾しないという見解もあります[c18]),両者は大体一致している[c18]ためポアンカレの再帰定理はエルゴード仮説に対する否定になっていないと筆者は考えています.

また,4.2 用語の定義にも書いてある通り,系がエネルギー以外の非自明な保存量を持っているならば,エネルギーシェルでのエルゴード性はありません.しかし,一般的に系の保存量が多く,つまりこれは,マクロ的な系においてエネルギーシェルでのエルゴード性は保証されないことを意味します(統計力学で考える大自由度の力学系が,エルゴード性をもつかどうかについては,未だに意見の一致はありません[c18]).もちろん,エネルギーシェルを保存量に従ってエルゴード類に分解すれば,エルゴード定理によりそのエルゴード類のアンサンブル平均と長時間平均は一致しますが,アンサンブル平均はエネルギーシェルにおけるミクロカノニカル平均と必ずしも一致しません.

さらに,エルゴード仮説の主張は,ミクロカノニカル分布,すなわち等重率の原理を仮定することの正当性を担保できるだけであり,そこから等重率の原理を導出することはできません.ミクロカノニカル測度はエルゴード的な測度ですが,Liouville測度から誘導されるエルゴード的な測度は,特異的な測度まで許せば一意に定まりません(無限にあります)(特異的だからといって,物理的な意味を持たないとは限りません).その中からミクロカノニカル測度を選ばなければならない,という必然的な理由は今のところまだ見つかっていないようです[c19][c20].

4 エルゴード定理及びその証明

本節では,Birkhoffのエルゴード定理を中心とした各エルゴード定理を紹介します.まず4.2 用語の定義でエルゴード定理に現れる各用語の定義を説明し,そしてエルゴード定理とその証明を4.3 エルゴード定理にまとめます.

4.1 前提知識

記事の都合上,ここでは詳細な説明は省きますが,これ以降に登場する用語や定理・証明を理解するために必要な前提知識のキーワードをここにまとめておきます.どれも深い理解は不要ですので,必要に応じて他の文献を参照しながら読み進めていただければと思います.

キーワード
測度,$\sigma$-加法族,Borel集合族,確率空間,$L^p$空間,Lebesgueの優収束定理,Fubini-Tonelliの定理,Hölderの不等式,閉包,稠密集合

4.2 用語の定義

4.2.1 保測変換に関する諸定義・定理

古典力学におけるLiouvilleの定理は,時間発展により相空間上の部分集合の体積(測度)が変化しないということを示しました(5 古典エルゴード性参照).数学では,この時間発展のような,測度を保存する変換を保測変換といいます.実はこの性質を持った変換が,エルゴード性を議論するときの大前提となっています.今では保測変換を研究する学問も広義エルゴード理論として扱われています.本小節では,保測変換の定義を説明します.

Definition 1.1 (可測関数,可測変換)
2つの確率空間$(X,\mathscr{B},\mu),(Y,\mathscr{C},\nu)$上の関数$f:X\to Y$について,$C\in\mathscr{C}\Rightarrow f^{-1}C\in\mathscr{B}$ならば$f$を可測関数という.また,確率空間$(X,\mathscr{B},\mu)$上の変換$T:X\to X$が同様な性質を持っているならば,$T$を可測変換という.
Definition 1.2 (保測変換)
確率空間$(X,\mathscr{B},\mu)$上の可測変換$T$が$$\forall B\in\mathscr{B}\quad\mu(T^{-1}B)=\mu(B)$$を満たす時,$T$を保測変換といい,$(X,\mathscr{B},\mu,T)$を測度保存系という.

保測変換の典型例として,パイこね変換(Baker's Map)とArnoldの猫(Arnol'd cat)が知られています.ここでは詳しく紹介しませんが,気になる方は検索してみてください.面白いですよ.

このように,保測変換が定義されましたが,エルゴード仮説の形に近づけるため,空間$X$上で定義される任意の実数値関数$f:X\to\mathbf{R}$の積分を考えます.Theorem 1.3とLebesgueの優収束定理を使えば,任意の実数値関数と保測変換の合成写像の積分に関する等式Proposition 1.4を示せます.

Theorem 1.3 (単関数による近似)
$(X,\mathscr{B},\mu)$を測度空間とし,$f:X\to\mathbf{R}$を可測関数とする.このとき,任意の$f\in L_\mu^1:=L^1(X,\mathscr{B},\mu)$に各点収束する単関数の列$(f_n)_{n\in\mathbf{N}}$ $$f_n=\sum_{i=0}^na_i\chi_{B_i},\quad\forall B_i\in\mathscr{B}$$が存在する.ここで,$\chi$は指示関数である.

この定理の証明は省略します.

Proposition 1.4 (保測変換による期待値の保存)
空間$X$上の確率測度$\mu$が変換$T:X\to X$によって保存されることの必要十分条件は,すべての$f\in L_\mu^\infty$に対して$$\int_X f\mathrm{d}\mu=\int_X f\circ T\mathrm{d}\mu$$をみたすことである.また,$\mu$が$T$によって保存されているならば,上の式はすべての$f\in L_\mu^1$に対して成り立つ.
Proof of Proposition 1.4 まず上式が成り立つと仮定する.すると,$B\in\mathscr{B}$に対し$f=\chi_B$とおくと,$$\mu(T^{-1}B)=\int_X\chi_{T^{-1}B}\mathrm{d}\mu=\int_X\chi_B\circ T\mathrm{d}\mu=\int_X\chi_B\mathrm{d}\mu=\mu(B)$$が成り立つ.

次に,$T$が$\mu$を保存すると仮定すると,定義により上式は任意の$f=\chi_{B},\;B\in\mathscr{B}$に対して成り立つ.したがって,単関数$f=\sum_ia_i\chi_{B_i}$に対しても成り立つ.Theorem 1.3により,$f\in L_\mu^1$に各点収束する単関数の列$\{f_n\}$が存在するので,$f_n\circ T\to f\circ T$に注意すると$$\int_Xf\mathrm{d}\mu=\lim_{n\to\infty}\int_Xf_n\mathrm{d}\mu=\lim_{n\to\infty}\int_Xf_n\circ T\mathrm{d}\mu=\int_Xf\circ T\mathrm{d}\mu$$はLebesgueの優収束定理により成り立つ.◼️

4.2.2 エルゴードの定義及び具体例

エルゴードの物理的な意味は,1 エルゴードとは何かで詳しく説明しましたが,ここでは数式を使って数学的に(抽象的に)定義します.

Definition 1.5 (エルゴード)
確率空間$(X,\mathscr{B},\mu)$上の保測変換$T:X\to X$が,$B\in\mathscr{B}$に対し$$T^{-1}B=B\;\Rightarrow\mu(B)\in\{0,1\}$$を満たせば,エルゴード的であるという.

このエルゴードの定義が意味することは,空間$X$における領域が,零集合,あるいは零集合を除いて空間全体$X$と一致するようなものを除いて,保測変換に対して不変であることがないということです.確かに,この定義を満たす保測変換による,領域$B$に含まれる点の軌跡すべてからなる集合(やや不正確ではありますが,簡単にいえば$B$の軌跡)は,零集合を除いて$X$を埋め尽くすだろうと期待できます.

保測変換の典型例として挙げたパイこね変換とArnoldの猫はどれもエルゴード的な変換です(実は,より強い条件である強混合性をも満たしますが).証明などはしませんが,パイこね変換のエルゴード性を端的に示す画像をここに貼ります.

パイこね変換のエルゴード性
(出典:[c14])

次に,エルゴードの定義と同値であるいくつかの有用な言い換えを考えます.特に3は,物理的な意味を持つ大事な主張です.

Proposition 1.6 (エルゴード性の言い換え)
測度保存系$(X,\mathscr{B},\mu,T)$に対して以下の各命題は同値である:
1. $T$はエルゴード的.
2. $B\in\mathscr{B}$に対し,$\mu(T^{-1}B\triangle B)=0$ならば$\mu(B)\in\{0,1\}$.
3. 可測関数$f:X\to\mathbf{R}$に対し,$f\circ T=f\;\text{a.e.}$ならば$f=\text{const.}\;\text{a.e.}$

Proposition 1.6からわかるように,もし系に非自明な保存量があるならば,すなわち,ここでいう$T$-不変な量$f$が存在し,かつ空間$X$全体で$f$が異なる値を取ることができるならば,空間$X$全体は$f$の異なる値に応じて完全に分解できます.この分解した先の空間はエルゴード類といい,$T$による軌道はエルゴード類の内部に限られ,エルゴード類において稠密になります.測度保存系$(X,\mathscr{B},\mu,T)$における空間$X$を$$X=\bigsqcup_iX_i,\quad\forall x\in X_i\;\;f(x)=c_i=\text{const.}\;\text{a.e.},\quad c_i=c_j\;\text{iff}\; i=j$$とエルゴード類に分解した場合,新しい測度保存系$(X_i,\mathscr{B}|_{X_i},\mu|_{X_i}/{\mu(X_i)},T|_{X_i})$はエルゴード性を持ちます.

4.2.3 証明で使われる測度論の定理

本小節では,各エルゴード定理を証明する際に用いられる測度論の定理をまとめます.

Theorem 1.7 (有限測度における$L^p$空間の包含関係)
$(X,\mathscr{B},\mu)$を有限測度空間とする.このとき,任意の$1\le p\le q\le\infty$に対し$$L^q(X,\mathscr{B},\mu)\subseteq L^p(X,\mathscr{B},\mu)$$が成り立つ.
Proof of Theorem 1.7 Hölderの不等式を使う.$p=q=\infty$の場合は自明であるため,$p<\infty$とする .$f\in L_\mu^q$であれば,$(q/p)^{-1}+(q/(q-p))^{-1}=1$を使って$$\begin{aligned}\int_X|f|^p\mathrm{d}\mu&=\int_X|f|^p\cdot1\mathrm{d}\mu\\&\le\left(\int_X|f|^{p\cdot\frac{q}p}\mathrm{d}\mu\right)^{\frac{p}q}\left(\int_X1^{\frac{q}{q-p}}\mathrm{d}\mu\right)^{\frac{q-p}q}\\&=||f||_q^p\times\left(\int_X\mathrm{d}\mu\right)^{\frac{q}{q-p}}<\infty\end{aligned}$$と評価できる.したがって,$f\in L_\mu^p$.◼️
Theorem 1.8 (Riesz-Fischerの定理)
$(X,\mathscr{B},\mu)$をLebesgue空間とする.任意の$1\le p<\infty$に対し,空間$L_\mu^p$はノルム$||\cdot||_p$に関して可分Banach空間である.また,$L_\mu^2$は可分Hilbert空間である.

この定理の証明は省略します.

4.3 エルゴード定理

いよいよ本題です.この節では,von Neumannの平均エルゴード定理(Theorem 2.1 ~ Corollary 2.3),極大エルゴード定理(Proposition 2.4 ~ Theorem 2.5),Birkhoffのエルゴード定理(Theorem 2.6)を順に示していきます.Birkhoffのエルゴード定理をvon Neumannの平均エルゴード定理を用いずに証明する方法もあるらしいですが,せっかく証明しましたのでここではvon Neumannの平均エルゴード定理を使う方法を採用します.

ではまずvon Neumannの平均エルゴード定理から始めましょう.「平均」とは,ノルム収束を意味し,すなわち関数全体の収束性を意味します.

Theorem 2.1 (von Neumannの平均エルゴード定理 for $L_\mu^2$)
$(X,\mathscr{B},\mu,T)$を測度保存系とし,$T$がエルゴード的であるとする.$U_Tf:=f\circ T$とおき,$P_T:L_\mu^2\to I$を閉部分空間$$I:=\{f\in L_\mu^2\mid U_Tf=f\}\subseteq L_\mu^2$$に写す射影作用素と定義する.このとき,すべての$f\in L_\mu^2$に対して以下の式が成り立つ:$$\frac1n\sum_{i=0}^{n-1}U_T^if\xrightarrow[L_\mu^2]{}P_Tf.$$
Proof of Theorem 2.1 $f\in I$の場合,上式における収束は自明である.ここで,以下のような$L_\mu^2$の(必ずしも閉ではない)部分空間$A$を定義する.$$A:=\{{U_Tf-f\mid f\in L_\mu^2\}}$$$U_Tg-g\in A$と$f\in I$に対し,作用素$U_T$のエルゴード性より$$\langle U_Tg-g,f\rangle=\langle g,U_T^{-1}f\rangle-\langle g,f\rangle=\langle g,f\rangle-\langle g,f\rangle=0$$であるので$A$は$I$と直交する.つまり,$P_T(U_Tg-g)=0$である.さらに,$$\frac1{n}\sum_{i=0}^{n-1}U_T^i(U_Tg-g)=\frac1n(U_T^ng-g)\xrightarrow{n\to\infty}0$$が言え,この場合に対してもやはり定理における収束が満たされる.

ここまでの議論と線形性から,$A$の閉包を$\overline{A}$と記すと,少なくとも定理における収束は,$I+\overline{A}$において満たされている.また,$U_T$と$P_T$は有界作用素であるため,$\overline{I+A}$までは同様なことが言える.ここから先は,$L_\mu^2=\overline{I+A}$を示せば良い.

この等式が成り立たないと仮定すると,零ベクトルでない$h\notin\overline{I+A}$が存在する.すると,$\langle U_Th-h,h\rangle=0$と$||U_Th-h||_2^2=-2\mathrm{Re}\langle U_Th-h,h\rangle$により$U_Th=h$であり$h\in I$となる.これは$h$が自分自身と直交することを意味し,$h=0$に限られる.仮定により$h\neq0$であるので,矛盾が導かれ,等式が示された.◼️

ここから先では,簡単のためエルゴード的な保測変換$T$に対し$$\boxed{\;\;A_nf:=\frac1n\sum_{i=0}^{n-1}U_T^if\;\;}$$とおきます.$A$はエルゴード平均を意味します.

以上ではvon Neumannの平均エルゴード定理を,$L_\mu^2$の場合について示しました.実はvon Neumannの平均エルゴードは任意の$L_\mu^p\;(1\le p<\infty)$に対して成り立ちます.この性質は,$L_\mu^\infty$の$L_\mu^p$における稠密性によるものです.

Corollary 2.2 (von Neumannの平均エルゴード定理 for $L_\mu^1$)
$(X,\mathscr{B},\mu,T)$を測度保存系とし,$T$がエルゴード的であるとする.任意の$f\in L_\mu^1$に対し$A_nf$は$T$-不変な関数$\bar{f}\in L_\mu^1$に$L_\mu^1$収束する.
Proof of Corollary 2.2 Theorem 2.1により$g\in L_\mu^\infty\subseteq L_\mu^2$に対し,$A_ng$は$T$-不変な関数$\bar{g}$に$L_\mu^2$収束する.定義より$||A_ng||_\infty\le||g||_\infty$であるので部分集合$B\in\mathscr{B}$に対し,$$|\langle A_ng,\chi_B\rangle|=\left|\int_BA_ng\mathrm{d}\mu\right|\le\int_B|A_ng|\mathrm{d}\mu\le||A_ng||_\infty\mu(B)\le||g||_\infty\mu(B)$$である.$A_ng\to\bar{g}\;(L_\mu^2)$であるので,上の不等式により$|\langle \bar{g},\chi_B\rangle|\le||g||_\infty\mu(B)$となる.$T$のエルゴード性により$T$-不変な$\bar{g}$はほとんど至る所で定数関数であるので,$|\langle \bar{g},\chi_B\rangle|=||\bar{g}||_\infty\mu(B)$であり,したがって$||\bar{g}||_\infty\le||g||_\infty<\infty$となり$\bar{g}\in L_\mu^\infty$である.また,確率測度$\mu$に対しTheorem 1.7により$L_\mu^2\subseteq L_\mu^1$であるので,$A_ng\to\bar{g}\;(L_\mu^1)$である.

$L_\mu^\infty$の$L_\mu^1$における稠密性により,任意の$f\in L_\mu^1,\;\epsilon>0$に対し$||f-g||_1<\epsilon$となる$g\in L_\mu^\infty$が存在する.これとProposition 1.4より,$$\begin{aligned}||A_nf-A_ng||_1&=\int_X\left|\frac1n\sum_{i=0}^{n-1}(f-g)\circ T^i\right|\mathrm{d}\mu\\
&\le\frac1n\int_X\sum_{i=0}^{n-1}\left|(f-g)\circ T^i\right|\mathrm{d}\mu\\
&=\frac1n\sum_{i=0}^{n-1}\int_X|f-g|\mathrm{d}\mu\\
&<\frac1n\cdot n\epsilon=\epsilon.\end{aligned}$$$n$を十分に大きく取ることで,$||\bar{g}-A_ng||_1<\epsilon$とできるので,上の不等式と合わせて考えると,十分に大きい$n,m$が存在し$$\begin{aligned}||A_nf-A_mf||_1&\le||A_nf-A_ng||_1+||A_ng-\bar{g}||_1+||\bar{g}-A_mg||_1+||A_mg-A_mf||_1\\&<4\epsilon\end{aligned}$$を満たす.このようにして得られた$L_\mu^1$上のコーシー列は,Theorem 1.8により$\bar{f}\in L_\mu^1$に$L_\mu^1$収束する.また,$$||A_nf\circ T-A_nf||_1=\left|\left|\frac1n(f\circ T^{n+1}-f)\right|\right|_1<\frac1n||2f||_1\xrightarrow{n\to\infty}0$$であるので,$\bar{f}$は$T$-不変性を持つ.◼️

$p\neq1$の場合に対しても,ほぼ同様に示すことができます.以上のことをすべて合わせると,次の系が得られます.

Corollary 2.3 (von Neumannの平均エルゴード定理 for $L_\mu^p$)
$(X,\mathscr{B},\mu,T)$を測度保存系とし,$T$がエルゴード的であるとする.任意の$1\le p<\infty$で任意の$f\in L_\mu^p$に対し$A_nf$は$T$-不変な関数$\bar{f}\in L_\mu^p$に$L_\mu^p$収束する.

次に,極大エルゴード定理を証明していきます.「極大」という名は,Hardy-Littlewoodの極大不等式に由来するらしいです.これらの主張の直観的な意味を見出すことは難しいので,Birkhoffのエルゴード定理を証明するための補題的な存在として理解する方が良いかもしれません.

Proposition 2.4 (極大エルゴード不等式)
$U:L_\mu^1\to L_\mu^1$を$||U||\le1$,$f\ge0\Rightarrow Uf\ge0$を満たす線形作用素とする.$f\in L_\mu^1$に対し関数列$$f_n:=\begin{cases}\sum_{i=0}^{n-1}U^if&(n\ge1)\\0&(n=0)\end{cases}$$を定義し,また$$F_N:=\max_{0\le n\le N}\{f_n\}$$と定義する.この時,$N\ge1$に対し以下の不等式が成り立つ:$$\int_{\{x\mid F_N(x)>0\}}f\mathrm{d}\mu\ge0.$$
Proof of Proposition 2.4 線形作用素$U$の性質と$F_N$の定義により,$U(F_N-f_n)\ge0$,したがって$UF_N+f\ge Uf_n+f=f_{n+1}$であり,これより帰納的に$UF_N+f\ge\max_{1\le n\le N}\{f_n\}$となることがわかる.$f_0=0$であるので,$E:=\{x\in X\mid F_n(x)>0\}$において$UF_N+f\ge F_N$,つまり$f\ge F_N-UF_N$が成り立つ.これより,$||U||\le 1$であることから$$\int_Ef\mathrm{d}\mu\ge\int_EF_N\mathrm{d}\mu-\int_EUF_N\mathrm{d}\mu=\int_XF_N\mathrm{d}\mu-\int_XUF_N\mathrm{d}\mu\ge0$$となり,不等式が示された.◼️
Theorem 2.5 (極大エルゴード定理)(Garsia)
$(X,\mathscr{B},\mu,T)$を測度保存系とし,$f\in L_\mu^1$とする.$\alpha\in\mathbf{R}$に対し,$$E_\alpha:=\left\{x\in X\mid\sup_{n\ge1}\frac1n\sum_{i=0}^{n-1}f\circ T^i(x)>\alpha\right\}$$とおく.このとき,$$\alpha\mu(E_\alpha)\le\int_{E_\alpha}f\mathrm{d}\mu$$が成り立つ.また,$T^{-1}A=A$ならば,$$\alpha\mu(E_\alpha\cap A)\le\int_{E_\alpha\cap A}f\mathrm{d}\mu$$が成り立つ.
Proof of Theorem 2.5 $g=f-\alpha$に対し同様に$g_n,G_N$を定義し$U=U_T$とすると,$$\begin{aligned} E_\alpha&=\left\{x\in X\mid \sup_{n\ge 1}\frac1n\sum_{i=0}^{n-1}f\circ T^i(x)>\alpha\right\}\\&=\left\{x\in X\mid\sup_{n\ge1}\frac1ng_n(x)>0\right\}\\ &=\left\{x\in X\mid\sup_{n\ge1}G_n(x)>0\right\}\\ &=\bigcup_{N=0}^\infty\{x\mid G_N(x)>0\} \end{aligned}$$であるので,これに対しProposition 2.4を使えば,$$\int_{E_\alpha}g\mathrm{d}\mu\ge0\Rightarrow\int_{E_\alpha}f\mathrm{d}\mu\ge\alpha\mu(E_\alpha)$$が従う.定理の後半の主張は,エルゴード類$A$について考えることにより得られる.◼️

さて,以上で示されたvon Neumannの平均エルゴード定理と極大エルゴードを用いてBirkhoffの個別エルゴード定理を示していきましょう.「個別」とは,各点収束を意味します.各点収束とノルム収束の間には従属関係はありませんが,今の場合は各点収束の方がやや強い主張となっています.

Theorem 2.6 (Birkhoffの(個別)エルゴード定理)
$(X,\mathscr{B},\mu,T)$を測度保存系とする.任意の$f\in L_\mu^1$に対し,$$\lim_{n\to\infty}\frac1n\sum_{i=0}^{n-1}f\circ T^i(x)$$は$T$-不変な関数$\bar{f}\in L_\mu^1$にほとんどいたるところで収束し,$$\int_Xf\mathrm{d}\mu=\int_X\bar{f}\mathrm{d}\mu$$を満たす.更に,$T$がエルゴード的であれば,$$\int_Xf\mathrm{d}\mu=\bar{f}$$となる.
Proof of Theorem 2.6 von Neumannの平均エルゴード定理より,$g\in L_\mu^\infty$に対し$A_ng\to\bar{g}\;(L_\mu^1)$($\bar{g}$:$T$-不変)である.したがって任意の$\epsilon>0$に対し $||\bar{g}-A_ng||_1<\epsilon^2$となるような十分大きい$n$が取れ,そのような$n$に対し極大エルゴード定理を関数$h=\bar{g}-A_ng$に適用すると$$\epsilon\mu(\{x\in X\mid\sup_{m\ge1}|A_m(\bar{g}-A_ng)|>\epsilon\})\le\epsilon^2$$が得られる.ここで,$\bar{g}$は$T$-不変であるので,$A_m\bar{g}=\bar{g}$である.一方,$$\begin{aligned}A_mA_ng&=\frac1{mn}\sum_{j=0}^{m-1}\sum_{i=0}^{n-1}g\circ T^{i+j}\\\\ &=\frac1{mn}\sum_{j=0}^{m-1}\sum_{i=0}^{n-1}(g\circ T^j+g\circ T^{i+j}-g\circ T^j)\\\\ &=A_mg+\frac1{mn}\sum_{j=0}^{m-1}\sum_{i=0}^{n-1}(g\circ T^{i+j}-g\circ T^j)\\\\ &\le A_mg+\frac1{mn}\frac{n(n-1)}22||g||_\infty\\\\ &\le A_mg+\frac{n-1}m||g||_\infty\end{aligned}$$であるので,$$|A_mA_ng-A_mg|\xrightarrow{m\to\infty,\;n\;\text{fixed}}0$$となる.したがって,$$\begin{aligned}&\mu(\{x\mid\limsup_{m\to\infty}|\bar{g}-A_mg|>\epsilon\})\\&\qquad=\mu(\{x\mid\limsup_{m\to\infty}|\bar{g}-A_mA_ng|>\epsilon\})\\ &\qquad\le\mu(\{x\mid\limsup_{m\to\infty}|A_m(\bar{g}-A_ng)|>\epsilon\})\\ &\qquad\le\epsilon\end{aligned}$$となり,$A_mg\to\bar{g}\;\text{a.e.}$が示された.

以上で$L_\mu^1$における稠密集合$L_\mu^\infty$について示したが,ここからは$L_\mu^1$に一般化することを考える.$f\in L_\mu^1,\;A_mf\to\bar{f}\;(L_\mu^1)$に対し$g\in L_\mu^\infty$を$||f-g||_1<\epsilon^2$を満たす関数とすると,$||A_mf-A_mg||_1\le||f-g||_1<\epsilon^2$により$||\bar{f}-\bar{g}||<\epsilon^2$である.したがって,$$\begin{aligned}&\mu(\{x\mid\limsup_{m\to\infty}|\bar{f}-A_mf|\ge2\epsilon\})\\&\qquad\le\mu(\{x\mid|\bar{f}-\bar{g}|+\limsup_{m\to\infty}|\bar{g}-A_mg|+\sup_{m\ge 1}|A_mg-A_mf|\ge2\epsilon\})\\
&\qquad\le\mu(\{x\mid|\bar{f}-\bar{g}|\ge\epsilon\})+\mu(\{x\mid|A_mg-A_mf|\ge\epsilon\})\\
&\qquad\le\frac{||\bar{f}-\bar{g}||_1}\epsilon+\frac{||g-f||_1}\epsilon\le2\epsilon\end{aligned}$$でありこの場合でもやはり$A_mf\to\bar{f}\;\text{a.e.}$が成り立つ.最後から2番めの不等号はTheorem 2.5による.

定理の後半を示す.集合$$D_k^n:=\left\{x\in X\mid\frac{k}n\le\bar{f}\le\frac{k+1}n\right\}$$に対し,$D_k^n\cap E_{k/n}=D_k^n$であるので,Theorem 2.5により$$\int_{D_k^n\cap E_{k/n}}f\mathrm{d}\mu=\int_{D_k^n}f\mathrm{d}\mu\ge\frac{k}n\mu(D_k^n).$$これより,$$\int_{D_k^n}\bar{f}\mathrm{d}\mu\le\frac{k+1}n\mu(D_k^n)\le\frac1n\mu(D_k^n)+\int_{D_k^n}f\mathrm{d}\mu$$が成り立ち,これをすべての$D_k^n$に対して足し合わせると$$\int_X\bar{f}\mathrm{d}\mu\le\int_Xf\mathrm{d}\mu$$を得る.$f$を$-f$に置き換え,エルゴード平均作用素の線形性により$$-\int_X\bar{f}\mathrm{d}\mu=\int_X\overline{-f}\mathrm{d}\mu\le\int_X(-f)\mathrm{d}\mu=-\int_Xf\mathrm{d}\mu$$が成り立つ.したがって,$$\int_X\bar{f}\mathrm{d}\mu=\int_Xf\mathrm{d}\mu.$$$\bar{f}$は$T$-不変であるので,$T$がエルゴード的であればほとんどいたるところで定数関数となる.したがって,$T$がエルゴード的であるとき,$$\int_Xf\mathrm{d}\mu=\int_X\bar{f}\mathrm{d}\mu=\bar{f}\mu(X)=\bar{f}$$となる.◼️

このBirkhoffのエルゴード定理によって,古典力学のエルゴード性は次節のように定式化されます.

5 古典エルゴード性

前節でBirkhoffのエルゴード定理を示しましたので,これを使って古典力学のエルゴード性を記述することを考えましょう.古典力学において,以下のLiouvilleの定理が成り立っています.

Theorem 3.1 (Liouvilleの定理)
相空間における領域のLiouville測度(相空間におけるLebesgue体積測度)は時間変化しない.

この定理は,相空間での時間発展により,Liouville測度が保存されることを主張します.この意味で有限時間発展を表す変換$T$は,Liouville測度を保存する保測変換になっています.しかし,このことから直接に古典力学のエルゴード性を導くことはできません.なぜなら,古典力学において,系の全エネルギーは保存され,相空間上の点の運動は等エネルギー面上に限られるからです.言い換えると,非自明な保存量がなければ,相空間全体はエルゴード類である等エネルギー面によって完全に分割されます.古典力学のエルゴード性を記述するためには,Liouville測度により自然に誘導される,時間発展に対して不変な等エネルギー面上の面積測度を求める必要があります.

しかしこれは難しいことではありません.相空間のLiouville測度を$\mu_L$とすると,エネルギー差が小さい2つの等エネルギー面(それぞれのエネルギーを$E_a,E_b$とする)によって挟まれる領域$\Gamma_{E_a,E_b}$のLiouville測度の極限,つまり$$\mu_E(B_E):=\lim_{|E_{a,b}-E|\to0}\frac{\mu_L(B)}{\mu_L(\Gamma_{E_a,E_b})},\quad B\in\Gamma_{E_a,E_b}\to B_E\in\Gamma_E$$としてエネルギーが$E$である等エネルギー面$\Gamma_E$上の規格化された面積測度(確率測度)を定義できます6.この面積測度は,定義により自明に時間発展に対して不変性を持ちます.

この新しい面積測度$\mu_E$は,決して等エネルギー面上のLebesgue面積測度ではありません.エネルギー面$\Gamma_{E_a},\;\Gamma_{E_b}$によって挟まれる領域の厚さを考えると,極限において面積要素に$|\nabla H|^{-1}$という重みがつくことがわかります.したがって,$\mu_E$は面積分を使って以下のように表すことができます:$$\mu_E(B_E)=\int_{B_E}\frac{\mathrm{d}S}{|\nabla H|}/\int_{\Gamma_E}\frac{\mathrm{d}S}{|\nabla H|}=:\int_{B_E}\mathrm{d}\mu_E.$$

さて,この$\mu_E$に対してBirkhoffのエルゴード定理を適用しましょう.今の場合,$(\Gamma_E,\mathcal{B}(\Gamma_E),\mu_E,T)$は測度保存系を成します.Liouvilleの定理は任意の長さの時間発展に対して成り立つので,例えば$$\forall s,t\in\mathbf{R},\forall x\in\Gamma_E\quad\mathcal{T}^sx(t)=x(s+t),\quad\mathcal{T}^s\circ\mathcal{T}^t=\mathcal{T}^{s+t}$$と連続時間発展を表す変換を定義すれば,やはり$(\Gamma_E,\mathcal{B}(\Gamma_E),\mu_E,\mathcal{T})$も測度保存系を成します.すると,$\mathcal{T}$がエルゴード的であれば,(連続変換版の)Birkhoffのエルゴード定理により任意の関数$f\in L_{\mu_E}^1$に対し$$\lim_{T\to\infty}\frac1T\int_0^Tf(x(t))\mathrm{d}t=\int_{\Gamma_E}f(x(0))\mathrm{d}\mu_E(x)$$が成り立ちます.特に,デルタ測度を用いて$f(x)=\delta_x(B_E)$とすれば,上式は$$\lim_{T\to\infty}\frac1T\int_0^T\delta_{x(t)}(B_E)\mathrm{d}t=\int_{\Gamma_E}\delta_{x(0)}(B_E)\mathrm{d}\mu_E(x)$$となり,左辺は無限時間発展において系の状態が領域$B_E$内に滞在する時間の割合を示し,右辺は等エネルギー面$\Gamma_E$上を領域$B_E$が占める「面積」$\mu_E(B_E)$を示します.この等式により,古典エルゴード性は,測度の等式として以下のように簡潔にまとめることができます7:$$\mu_E=\overline{\delta_{x(t)}}.$$

6 おわりに

最後までお読みいただきありがとうございました.長かったですね.私も書いている途中に思いました.エルゴード理論に対する興味や理解を少しでも深められる記事になっていることを祈ります.ではまた!

参考文献 / Reference

また,エルゴード定理の証明は,以下の文献を参考にしました:

  1. カスな進捗により当日となりました.ごめんなさい.

  2. 研究できれば,ですが

  3. この表現はやや不正確です.相空間上の一点の時間発展により得られる軌跡の面測度は0です.したがって,面測度が0でない等エネルギー面を文字通りに「埋め尽くす・覆い尽くす」(空間の任意の点を通過する)ことはできません(C. Carathéodory, [c2], 1919).2 エルゴード理論の歴史に書いてありますが,Ehrenfest夫妻が連続な相空間での議論をし始めた時代ではH. L. LebesgueによるLebesgue測度(1901)はまだ新しい考え方でした.後に上の主張は「相空間上の一点の軌跡は,等エネルギー面において稠密(等エネルギー面上の任意の点に対し,その近傍が軌跡の元を少なくとも一つ含む)である」に修正されました.両者を区分するために,前者は「エルゴード仮説」(ergodic hypothesis),後者は「準エルゴード仮説」(quasi-ergodic hypothesis)とそれぞれ呼ばれています.

  4. ちなみに,Sinai's Billiardの対応する量子カオス系では,隣り合うエネルギー準位間の幅が,ランダム行列理論におけるWigner-Dyson (Gauss直交集団:GOE)統計に従います[c13].このように,エルゴード理論は量子カオスを通じてランダム行列理論とも密接に関わっています.

  5. ポアンカレの回帰定理の量子力学版といえる量子回帰定理が存在します[c16].偶然にも,この量子回帰定理を証明した物理学者たちは,まさにフォン・ノイマンによる量子エルゴード定理(1929(1929???まじか),[c17])を誤解して批判した人たちでした.宿命を感じますね.

  6. もちろん,3 エルゴード仮説の問題点で言及した通り,Liouville測度から誘導される等エネルギー面上の面積測度はこれだけではありません.Liouville測度に対して絶対連続な測度は確かにこれだけですが,特異的な測度(例えばデルタ測度など)成分を許してしまうと無限にあることは明白です.今定義した面積測度はミクロカノニカル測度と一致しますが,特異的な測度が許される場合は特定の状態だけ確率が他のほとんどすべての状態と異なり等確率性が破れます.

  7. ただし,この等式の測度の収束性に関しては注意が必要です.Riesz-Markov-Kakutaniの表現定理により,測度の観点から,離散時間変換版のBirkhoffのエルゴード定理は$\mu_n=\frac1n\sum_{i=0}^{n-1}\delta_{T^ix}$,連続時間変換版のBirkhoffのエルゴード定理は単調増大列$\{T_n\}$を用いた$\mu_n=\frac1{T_n}\int_0^{T_n}\delta_{x(t)}\mathrm{d}t$による測度列の弱収束として解釈されます.

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