Fortranをめぐる言説(discourse)について
現在の計算機科学(Computer Science、以下CS)の主流的な言説(discourse)において、Fortranや、それが長らく担ってきた数値計算の領域は、しばしば周縁化(marginalized)された位置に置かれています。
弁証法的進歩史観と優生思想
特にコンピュータに強い関心を持つ学生ほど、ネットやメディアにあふれる言説や語り(narrative)の影響を強く受けがちです。
「プログラミングのパラダイムは時間とともに進化し、新しい優れたプログラミング言語が古い劣った言語を駆逐する」──こうした信念は、弁証法的な進歩史観と、そこに接続された優生思想の無意識の反映と見ることができます。
周縁化という構造的な暴力
その結果、Fortranや数値計算を「古い」「すでに滅んだ」と断じ、周縁化に無自覚に加担してしまう事態が生じます。この構造は、植民者が先住民の文化や伝統を意図的に軽視する状況と類似しており、無意識的であっても、「進歩」の名のもとに、ある知的伝統を消し去る暴力的な運動に加担していることになります。
CSの教育構造と連続量の排除
現代のCS教育では、離散数学を基盤とした代数的構造やアルゴリズム設計が中心に据えられており、実数・複素数などの連続量や、それを扱う数値解析は「周辺的」な位置に追いやられています。事実、数値解析は多くのカリキュラムにおいて必修ですらありません。
浮動小数点と例外領域
しかし、計算機上では連続量は浮動小数点数として近似的に表現され、その振る舞いはCSの理論が前提とする離散的整合性とは本質的に異なります。そして、CSの方法論がそのままではうまく機能しない例外的な領域に、理工学において最も重要な現象がしばしば発生します。
例:数学的・数値的に不安定だったり発散するところで、共鳴・異常分散・相転移などの現象
科学とソフトウェアの文化の違い
ソフトウェア分野では、利用者を増やすことがその存続に直結するため、言説や語りが政治的・興行的になりやすい傾向があります。これは、再現性や蓄積を重視する自然科学の文化とは構造的に異なる点です。
結論:言説の空間に自覚的であること
このような社会構造を理解せずに、安易に「古い言語を排除すべき」「Fortranは就職に役立たない」などと言って切り捨ててしまうのは、実は言説に流された非理性的視点であることに注意すべきです。
どのような語りが何を正当化し、何を忘却してきたのか──
自分は今どのような言説の空間にいるのか、よく考えてみる必要があると思います。