※この投稿は以下のnoteに掲載した同タイトルの記事をQiita用にリメイクしたものとなっております。
2011年からITクリエイター達の「自由なモノづくり」を志向する開発コンテストMashupAwards (現在はヒーローズリーグに改名)やハッカソンに関わり、早いものでまもなく10年に到達しようとしています。
その間、テクノロジートレンドもSNS、O2O、ハードウェア、IoT、ビックデータ、ARVR、OMO、AI、、、と息つく間もないほどに目まぐるしく変化しており、それぞれのタイミングで様々なアウトプットが生まれるのを、横で見守ってきました。
この約10年間寄り添ってきたITクリエイター達の「モノづくり」の現場に対する、考えやtipsを徒然なるままにまとめていきたいと思いnoteをはじめました。
まず今回の記事は、今僕が活動している領域**「野生のプロトタイピング」** について触れていきたいと思います。
#プロトタイピングって言葉のもやもや
プロトタイピングってなんだろ。
weblio辞書によると
「試作開発品」ソフトウエア開発方法の一つ。最初の段階で作成した大まかな仮のプログラムを作り,それにユーザーの要求を反映して完成させるもの。試作開発。
試作なので、「検証をもって完成」させるということが大前提。それが僕のもやもやの原因。
いわゆる「検証の無い」プロトタイピングって存在しないの?
#「プロトタイピングの3分類
仕事柄様々なプロトタイピングに触れておりまして、プロトタイピングの類型を独断と偏見で整理してみたいと思います。
合計3種類にわけてみました。
①プロダクト開発のためのプロトタイピング
様々な手法が用いられますが、最近は顧客とその課題をプロダクト開発の中心におくことを重要視するスタイルがトレンドな、プロダクト開発の過程としてのプロトタイピング。
この場合のプロトタイピングとは、プロダクト開発に向かうための試作品・試用品として位置づけられ、様々な検証をしながら紆余曲折の結果、Product/Market Fitを目指す。
多分一般的な読者の方は「プロトタイピング」といったら、この領域を想像すると思われます。
②新技術活用のプロダクト創出を目指すプロトタイピング群
新しい技術は、その技術が利用されるべき最適な領域が探索中である場合がある。(例:ブロックチェーン、AIなど)
**多様なプレイヤーが参加し幅広くプロトタイピングを実施される。**当該技術が活用される最適な領域が、全体的に検証されていくプロトタイピング。
多様なプレイヤーが参加しそれぞれの視点でプロトタイピングすることが重要と考えられており、ソフトウェア領域ではハッカソンや開発コンテスト、ビジネスコンテストなどが開催されることが多い。
③野生のプロトタイピング
高速化する技術のコモディティ化やメイカームーブメントがもたらした、新しいプロトタイピングの形。開発者自身の欲求や好奇心からモノづくりに着手し、プロトタイピングを行う。アート思考的なアプローチ。
①、②に比べ創作者の「プロダクト」指向性は必ずしも高くなく、どのような状態を完成と呼ぶべきか定義されていない事が多い。それを定義するのは開発者自身なのです。
当然それぞれが混在しハイブリッド化しているケースもあり様々だと思うのですが、おおまかにわけるとこんな感じかな、、と。
#アート思考と「野生のプロトタイピング」
ぼくの周りは③の「野生のプロトタイピング」分野が多いと感じます。
共通しているのは、誰かの課題のためのプロトタイピングではなく、純粋な作りたいという衝動が創作行為をあと押ししている点。説明するよりも作ってしまう方が早い場合が多いため、最初に出てくるものが企画書や事業計画でも無く、プロトタイプそのものです。
このプロトタイピングは、自分自身が満足するまで終わりがありません。終わりは唐突に訪れるかもしれないし、訪れないかもしれません。
そもそもゴールを最初から定義しないので、わからないのです。
振り返ると最近よく聞く**「アート思考」**という言葉に重なる部分が多くあります。
アート思考の目的は「クリエイター(アーティスト)のアイデア、感情、信念、哲学の表現」です。一方のデザイン思考では「(顧客の為に)必要な機能の開発」となっています。
自分が起点となるアート思考と顧客起点のデザイン思考の差です。一方のデザイン思考では「(顧客の為に)必要な機能の開発」となっています。(中略)
アート思考の場合は、「自分(達)自身」が本当に満足するまでそれは完成されません。つくり方においても効率性よりも、「こだわり」を重視する傾向にあります。
(引用:アート思考とデザイン思考の違いとは?(株)Salt Blog)
「感情・信念・哲学」の表現と言ってしまうと硬く捉えられてしまうかもしれませんが、「野生のプロトタイピング」の場合は、もう少しカジュアルに「その時の気分や、自分の興味あるもの」の表現に近いです。
日記を書くように、Blogを書くように、自分の感じるものをプロトタイピングし、アウトプットしていくのです。
この場合、このプロトタイプは自分の写し鏡となり、外界とコミュニケーションをするための媒介にもなります。
プロトタイピングすることが自己表現となり、プロトタイピングを見てもらい、フィードバックを受け取る事で、自らの興味関心や表現にも変化が訪れる。
そのような、自己表現の媒介としてのプロトタイピング。アート思考的プロトタイピングが、「野生のプロトタイピング」なのです。
もしかしたら、その先にいわゆる「プロダクト開発」に歩みを進むかもしれません。
実際にプロトタイピングを通じて、自分の新しい道が見つかる事も多くあります。
はじめからそのゴールを意識せず、
まずプロトタイピングをし、
社会(第三者)から見てもらい、
見てもらう事でプロトタイプや自分が変化をし、
その新しい道やこだわりに**「たまたま」**たどり着くのです。
より良い飛行機を作るのではなく、何度失敗しても、飛行は可能だと信じるライト兄弟。それが、アート思考と野生のプロトタイピングです。(参考:エイミーウィテカー著 「アートシンキング」)
検証や何かのゴールが目的では無くても、自らの思いで何かをアウトプットし、それによって自分の中の何かが変わっていく。
そんなプロトタイピングの形もあるのだと言う事を、沢山の人に知ってほしくこちらを書きました。
#最後に
自分も「プロトタイピング」にチャレンジ!という気持ちが芽生えたら、ぜひ国内初のプロトタイピング専門スクール(今ならオンライン開催)を覗いてみてください。
新しい道を開くきっかけになるかもしれません。
https://protoout.studio/
[参考記事]
・プログラミング学習はもう古い。「令和」時代のイノベーションを担う日本初のプロトタイピング専門スクールを開校
・「プログラミング学習はもう古い」って言ってしまった件について