はじめに
ここ数年、Gemini / GPT / Claude / Grok / Llama / DeepSeek / Qwen など、大規模言語モデル(LLM)が次々と登場しています。「どのモデルが一番強いか」「どこがAGIに一番近いか」といった議論もとても盛んです。
しかし、実際にいろいろなモデルを触っていると、単純なスコアの優劣よりも、 モデルごとの「個性」や「方言」 のほうが、現場ではよっぽど重要なのではないか、と感じる場面が増えてきました。
この記事では、私が日々LLMを触る中で考えるようになった以下のようなテーマについて整理してみます。
- LLMの「個性」「方言」とは何か
- なぜモデル差し替えがそんなに辛いのか
- その背景にある合成データと“文化”の話
- 人類史・方言の比喩から見える、これからのAIの姿
技術的な厳密さというより、「実際に使っていてこう感じる」という視点で書いています。
「勝者総取り」への違和感
よくあるストーリーとして、次のようなものがあります。
どこかの企業がAGIを達成した瞬間、シンギュラリティが来て、その会社以外のAIは全部いらなくなる
正直に言うと、私はずっとここに違和感を持ってきました。
なぜかというと、LLMは「正解を出す装置」ではなく、「世界の見え方を持った存在」に近いと感じているからです。同じ問いを投げても、モデルごとに次のような違いがあります。
- どこを重要だと思うか
- どこまで丁寧に説明するか
- どれくらい抽象化するか
- どんな比喩や例え話を好むか
その結果として、生成されるテキストや画像には、そのモデルならではの“作風”が出てきます。
もしAGIが実現したとしても、Googleが辿り着くAGIと、OpenAIが辿り着くAGIはきっと違うはずです。どちらか一つが“絶対正義”になるというより、用途や価値観ごとに「相性の良いAGI」が選ばれていくというイメージのほうが、私にはしっくりきます。
猫の画像で感じた「作風」の違い
モデルの個性が一番わかりやすく出るのは、私は画像生成だと感じています。
例えば、次のような状況を考えてみます。
- 同じ 5000 トークン級の詳細なプロンプト
- テーマは「最高に可愛い猫のポートレート」
- 片方は OpenAI 系の画像モデル、もう片方は Google 系の画像モデル
この条件で、まったく同じプロンプトをそれぞれのモデルに投げてみると、出てくる画像は明らかに“別の作家が描いた絵”になります。
- OpenAI 側は、毛並みの質感や光の回り方が写真寄りで、色味もやや落ち着いた印象になりやすい
- Google 側は、パステル調のピンクやブルーのグラデーションが強く、ハートや花びらなど「かわいさを盛る」装飾が前面に出やすい
実際、私は同じプロンプトで複数枚生成してみて、
- 「あ、これは明らかに OpenAI っぽい」
- 「これは Google っぽい“盛り”が入っている」
と直感的に感じられることがありました。
OpenAI一枚目

Google一枚目

OpenAI二枚目

Google二枚目

同じプロンプトなのに、構図・色・装飾・表情などがかなり違うことがわかると思います。
ここで重要なのは、これが単なる“性能差”ではなく“作風の違い”として知覚されるという点です。私はここに、モデルの「個性」や「方言」の入り口があると感じています。
そして、この話は画像だけではなくテキストにもそのまま当てはまります。同じ指示を出しても、
- 「どこから説明し始めるか」
- 「どれくらい丁寧に背景を書くか」
- 「要約にどれだけ情報を詰め込むか」
といった部分に、それぞれのモデルの性格がはっきりとにじみ出てきます。
モデルの個性はどこから生まれるのか
では、その「個性」はどこから生まれているのでしょうか。
大雑把に言えば、
- 学習データの分布
- モデル構造(アーキテクチャ)
- 安全性チューニングやRLHFの方針
- 評価指標と開発チームの美学
といった要素からにじみ出てくるものだと思います。
その中でも、最近特に効いていると感じるのが 「合成データ」 です。
今のLLMは、インターネット上の生データだけでなく、
- 旧世代モデルが生成したテキスト
- 人手でレビューされたQ&A
- 自社モデルを使って作られた指示データ
といった “AI自身が生み出したデータ” を大量に使って学習・チューニングされています。
ここがポイントで、
旧世代のLLMが、次世代LLMの“先生”になっている
と言い換えることができます。
最初はベンダー間の違いなんて誤差レベルだったかもしれません。しかし、
- 各社のモデルがそれぞれのクセを持ったデータを生成する
- その合成データで次世代モデルを学習する
- クセが少しずつ増幅される
というサイクルを数世代繰り返すと、モデルごとの「方言」や「文化」がどんどん濃くなっていくはずです。
私はこれを、
LLMが「自分の言語文化を継承し始めている」
状態だと捉えています。
人間の文化・方言との類似
この現象は、人間の文化や方言の発達とよく似ていると感じます。
人間の世界では、
- 同じ言語でも、地域ごとに少しずつ発音や言い回しが違う
- 最初は小さな癖だったものが、数世代経つと立派な方言になる
- 「正しい/間違い」ではなく、そのコミュニティにとって心地よい形に偏っていく
ということが起こります。
LLMも同じで、
- OpenAI 文化圏の日本語
- Google 文化圏の日本語
- Anthropic 文化圏の日本語
- 中国系モデル文化圏の日本語
といった“AI方言”が静かに育ちつつあるように見えます。
面白いのは、これは単に訓練データの違いというより、合成データを介した文化の継承に近いところです。
RAGで一番「方言差」を感じる
個人的に、モデルの方言差を一番強く感じるのは RAG(Retrieval-Augmented Generation) を組んでいるときです。
具体的には、次のようなポイントで差が出ます。
- 回答スタイル(要約寄りか、逐語寄りか)
- 文書の引用方法(どこまで原文を残すか、どう整形するか)
- 検索クエリの作り方(抽象度、キーワードの盛り方)
- ツール呼び出しのタイミング(自力で頑張るか、すぐ検索するか)
同じ設計のRAGでも、モデルを差し替えると、
- クエリの傾向が変わって検索結果が別物になる
- 引用の粒度が変わってユーザー体験が変わる
- 回答の「締め方」が変わって、完了判定がズレる
といった現象が普通に起こります。
つまりRAGは、モデルの思考様式とアプリの設計が強くカップリングしている領域なので、方言差がモロにシステムの挙動に響いてきます。
なぜモデル差し替えはそんなに辛いのか
この「方言」があるせいで、アプリベンダーはどうしても 特定モデルへのロックイン から逃れにくいと感じています。
表面的には「APIを差し替えるだけ」に見えても、実際には、
- そのモデルに最適化されたプロンプト資産
- モデルの“失敗の仕方”に合わせたワークフロー
- 回答スタイルに依存したUI/UX
- モデルの安全性ポリシーに合わせたエラー処理
といったものが、アプリ全体に染み込んでいます。
そのため、
新モデルのほうがベンチマークで強いから乗り換えよう
という判断は、現場レベルでは本当に難しいです。
すでに「十分に良い」精度が出ているなら、
追加で10〜20%良くなることより、移行コストのほうが大きいからです。
結局のところ、
- 性能の“差”より、文化・方言の“相性”
- 絶対的なベストモデルより、「自分たちが一番クセを理解しているモデル」
のほうが、アプリベンダーにとっては重要になってきます。
いまは「AI文明の黎明期」かもしれない
少しスケールの大きい話になりますが、人類史になぞらえると、今のLLMの状況は 「古代文明の黎明期」 に近いのかもしれないと感じています。
- GPT帝国
- Gemini王朝
- Claude神殿
- Grok帝国
- Llama連邦
- DeepSeek公国
- Qwen王朝
……といった感じで、世界にまだ数えるほどしか“AI文明”が存在していません。
人類史でも、初期の文明はメソポタミア、エジプト、インダス、黄河…と、そう多くはありませんでした。その中で、それぞれが独自の文字や宗教や建築様式を育てていきました。
今のAIも同じで、
- ベンダーごとの合成データ文化
- 方言として現れるモデルの癖
- 安全性・価値観チューニングの違い
が、世代を重ねるたびに濃くなっていくフェーズにいるのかもしれません。
この先、もしAGIが生まれたとしても、
- ひとつの「唯一神」が全てを支配する
というよりは、
- いくつかの“大宗教/大文明”的なAGIが並び立つ
- その上で、用途別・個人別に細かい方言AGIが多数存在する
という姿のほうが、歴史的にも自然な気がしています。
これからの「AIとの付き合い方」について
技術的な観点だけでなく、文化的な観点からLLMを見ると、
- 「どのモデルが一番強いか」
- 「どこがAGIを最初に達成するか」
といった競争軸だけでは捉えきれない世界が見えてきます。
アプリベンダーとしては、
- どの文化圏のモデルを“母語”として採用するか
- その方言に最適化したワークフローやプロンプトをどう積み上げるか
- 必要に応じて、他の文化圏のモデルとどう橋渡しするか
といった 「AI文化設計」 が、今後ますます重要になっていくはずです。
おわりに
LLMを使っていると、つい「精度」「ベンチマーク」「推論能力」の話に意識が向きがちです。しかし実際に付き合ってみると、
- どのように説明してくれるか
- どんなところでつまずくか
- どんな癖のある答え方をするか
といった “性格”や“方言” のほうが、日々の開発体験には強く効いてきます。
合成データを通じて文化を継承し、世代ごとに方言を濃くしていくLLMたち。いま私たちは、そんな「AI文明の黎明期」に立ち会っているのかもしれません。
どの文明の言葉を母語として選び、どの方言と共にプロダクトを育てていくのか。そこには、単なる技術選定を超えた、かなり深い“好み”や“思想”がにじむのではないかと感じています。