2018年、35歳無職ワイ
Qiitaで記事を書き始めたころ、私は無職のおじさんでした。
Twitterのフォロワー数は50人ほどでした。
でも、Qiitaで技術記事を書き始めてから
フォロワーさんがものすごく増えました。
1つ記事を書くごとに100人以上フォロワーさんが増えた時期もありました。
現在はありがたいことに15,000人の方にフォローいただいています。
なんと当初の300倍です。
正直、プログラマーとしては三流
私自身は、どこにでもいるレベルのポンコツ気味なプログラマーです。
メンタルも技術力も弱い感じです。
当然、皆さんより技術的にレベルの高い記事は書けていません。
皆さんより分かりやすい説明文も書けません。
誰よりも笑える記事も書けていません。
でも、2020年の年間いいね数で1位になることができました。
Qiitaアカウントのフォロワー数でも1位になることができました1。
大した才能もない割には、すごく上手くいった例だと思います。
その要因を自分なりに分析した結果を、この記事に書いていきたいと思います。
【要因1】 理解力が低かった
私はプログラミングの記事を読むのが苦手でした。
たぶん、理解力が低いんだと思います。
でも、それがあったからこそ逆に「読みやすい記事を書くこと」に異常に執着することができました。
【要因2】 文章が苦手だった
子供の頃から文章を書くのが苦手で、作文の宿題などは親に代筆してもらっていました。
そのため、普通の技術記事は書く気になれず、会話形式の記事しか書けませんでした。
会話形式といっても、小説も書いたことがないので、
2ちゃんねる風の関西弁の文体で書くことにしました。
「2ちゃんねるの人たちが書けるんだから、これなら私でも書けるだろう」
そんな感じです。
でも、それが逆に個性となり、覚えてもらいやすかったんだと思います。
具体的に言うと───
普通の文体で書かれた記事の場合
読者「この記事、ためになるな〜」
読書「いいねボタン、ポチ!」〜1ヶ月経過〜
読者「この記事、ためになるな〜」
読書「いいねボタン、ポチ!」
このとき、
読者「あ、1ヶ月前に読んだ記事の、あの人だ!」
と気づかないこと、多いと思います。
ワイ記法で書かれた記事の場合
読者「なんだこの関西弁のコントみたいな記事」
読者「まあ読みやすくていいじゃん」
読書「いいねボタン、ポチ!」〜1ヶ月経過〜
読者「お、またあの関西弁の人の記事だ」
↑このように、
記事だけでなく「人」を覚えてもらえる、というメリットがありました。
アカウント名も「会社やめ太郎(本名)」という珍妙なものだったので、余計に記憶に残りやすかったのだと思います。
【要因3】 Twitterもそのキャラでやっていた
もともと私は標準語の文章でTwitterをしていたのですが、
この頃から、なんとなくTwitterも関西弁で投稿するようになりました。
そのおかげで───
読者「Qiitaのあのキャラ、Twitterに実在してんのかい!」
───という感じで少し面白い感じになり、
それもあってTwitterのフォロワー数が増えていったのかもしれません。
【要因4】 自分の存在価値のなさを理解していた
当時は無職だったので、
「記事を書いて有名になって、再就職をしないといけない」
「そうしないと、妻子ともに路頭に迷ってしまう」
そんな風に考えていました。
ですが、技術力もキャリアも知名度も無かったため───
「誰も自分に興味などない」
「自分の記事など、読む理由がない」
「そんな中で、どうやって自分の記事をクリックさせるか」
「どうやって最初の一文で興味を持たせるか」
「どうやって最後まで読ませるか」
「どうやって、いいねボタンを押させるか」
「どうやって自分のことを覚えてもらうか」
「一生忘れられないようなアウトプットをしてやる」
───そんなことを無意識に考えていました。
自分の発信を手に取ってもらう「理由」を探していました。
そんな想いが、何かしら効いていたのかもしれません。
【要因5】 ディスられてもやめなかった
本人としては至って真面目に書いている記事なのですが、
文体がコント臭かったり、たまに内容が間違ってたりして、色々と批判されました。
- 2ちゃんねるに「やめ太郎しね」と書かれる
- 有名なエンジニアさんからも批判される
でも、死ねと言われようが、尊敬している人から否定されようが
「それでも、俺が面白いと思うことをやめる理由にはならねぇなぁ!?」
と、なんとか続けられたこと。
メンタル弱くてすぐ凹むくせに「なんだかんだで、やめない才能」があったことが
私の強みだったと思います。
でも、誰もいいねをしてくれなかったらここまで書き続けられなかったと思います。
私の記事に初めていいねをしてくれた@uhyoさんには感謝しています。
【要因6】 自分の力を過信し、嫉妬に燃えていた
35歳まで、技術記事どころか作文もあまり書いたことがなかったのに、
「世の中の技術記事、全部つまんねーな!」
「なんでこんなもんが評価されてんだ!」
そう思うことで、何もない自分を守っていました。
今思うと嫉妬まみれでダサ過ぎますが、その嫉妬のおかげで頑張れた部分もあると思います。
35歳で妻子もいるのに無職で、技術力もキャリアもなく、
どうしようもなくポンコツな状態でしたが、
「俺の方が面白い記事を書ける!」
そう自分の力を過信することで、半ば強引にモチベーションを保っていました。
現実を受け入れて「俺なんて、もうダメですわ...」と思うのではなく、
どんなポンコツな自分でも見捨てずに───
「俺、やってやっかんな!」
───そう思えたことが、後から考えると大事だったんだと思います。
まとめ
いろいろ書きましたが、大前提としては───
- 学びの深い記事
- できるだけ正確な記事
- 分かりやすい記事
- 旬のテーマを扱った記事
- 笑える記事
───みたいな、読む人にとって価値のある記事を書くことが大事だと思います。
笑いながら、分かりやすく旬の技術について学べるなんて、最高ですもんね。
〜おしまい〜