はじめに
みなさん、DeepLやChatGPT・Gemini 3.0を使っていますか?
私は課金して使い倒しています。ドキュメントを読むのも、ちょっとしたメールを書くのも、彼らがいなければ仕事にならないレベルです。
これだけAI翻訳が進化すると、「エンジニアが語学(英語や中国語など)を学ぶコストって、もう回収できないのでは?」 という疑問が湧いてきます。
「全部AIに任せればいいじゃん」
その通りです。大抵のことは任せられます。
しかし、不思議なことにAIツールを使えば使うほど、逆に 「あ、ここは自分で読めないとマズいな」 と感じるシーンが増えてきました。また、海外のカンファレンスに登壇したり参加したりする中で、「翻訳機越しでは超えられない壁」も痛感しています。
この記事では、 「AI全盛期にあえて自分の脳に語学をインストールする技術的メリット」 と、私が実践している 「エンジニアのための語学ハック」 を紹介します。
1. コードの品質は「語彙の解像度」で決まる
なぜAI翻訳があるのに原文を読むのか。最大の理由は 「情報の検証(Verification)」 と 「命名(Naming)」 です。
「Help」→「助けて」
今年(2025年)の7月に話題となったニュースを覚えているでしょうか。
Microsoft Learnの自動翻訳が、Windowsコマンドの help を 「助けて」 、tree を 「木」 と直訳してしまった件です。さらには Copilot Adoption Kit(導入キット)が 「養子縁組キット」 と訳されるなど、ソーシャルメディアでも「迷翻訳」として話題になりました。
笑い話のように見えますが、これはエンジニアにとって 「検索と検証の死」 を意味します。
もし私たちが日本語訳しか見ていなければ、「ディレクトリ構造を表示するコマンド」を探すためにドキュメントの索引から「木」という項目を探さなければなりません。それに気付かない限り、見つからない見つからないと時間を浪費することになり得ます。
エラーログやコマンド、ライブラリのメソッド名は100%英語です。
「助けて」や「養子縁組」という日本語を見て、瞬時に「あ、これは help のことだな」「Adoption の誤訳だな」と脳内で 原文へ逆変換(デバッグ)できる知識 がなければ、トラブルシューティングの初動で大きくつまづくことになります。
余談: 中国語の場合
「祝」という漢字がありますね。日本語では主にめでたいこと、喜ばしいことに対してよく使われます。
中国語でも「祝」は使われます。日本語の「祝う」と同じ意味もある一方、願う・祈る……といった意味でも使われます。
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祝你生日快乐!:誕生日おめでとう! -
祝你健康!:健康でありますように!
例えば、災害や不幸があった際は「どうかご無事で」という意図で「 祝你平安 」と使いますが、我々日本人の感覚だと字面だけでは「嫌味?」と受けてしまいがちです。能登半島地震の時にも話題になりました。
誤訳も然り、特に中国語の場合は日本語と漢字の意味が一部異なる部分もあるため、言語を知っておくことで不要な誤解を避けることができる訳です。
ドキュメントは「仕様書」であり「辞書」である
また、プログラミングの半分は「適切な名前付け」だと言われます。
AI翻訳は非常に優秀ですが、文脈によっては 「厳密に区別すべき類義語」 を同じ日本語に訳してしまうことがあります。
典型的な例が Verify と Validate です。
これらはどちらも「検証する」「確認する」と翻訳されがちですが、エンジニアリングの文脈では意味が異なります。
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Verify: 真偽を確かめる
- 例: 署名が正しいか、パスワードが合っているか
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Validate: 期待される形式か確かめる
- 例: メールアドレスの形式を満たすか、必須項目があるか
公式ドキュメントやソースコードを原文で読むと、そのライブラリが「署名チェック」を verify_signature と呼んでいるか、validate_signature と呼んでいるか、といった 「作者の意図した語彙」 をダイレクトに採取できます。
この解像度を持っているかどうかが、「なんとなくのそれっぽい英語」ではなく「実装と一致した美しい英語」でコードを書くための分水嶺になります。
AI生成コードの「違和感」に気づくためのレビュー力
今やコードを書くのはCopilotやClaude Codeですが、そのコードをレビューして最終責任を持つのは人間です。障害が起きたときコードを書いたAIは腹を切ることができません。
AIは英語のドキュメントやコードベースを学習元として思考しています。そのため、AIが出力する変数名やコメントには、学習元の英語のニュアンスが色濃く反映されます。
原文のドキュメントを読んでいると、 「なぜAIがここでこのメソッドを選んだのか」 という意図が分かるようになってきます。
逆に、翻訳された曖昧な日本語の知識しかないと、AIが書いた「文脈にそぐわない古い書き方」や「微妙なロジックの勘違い(ハルシネーション)」を「それっぽいからいいか」とスルーしてしまうリスクがあります。語学力は、AIを安全に使うための 「監査(Audit)能力」 として機能するのです。
2. カンファレンスの本番は「アーカイブ外」にある
もう一つの理由は、よりアナログな「対人コミュニケーション」です。
アーカイブに残らない「熱量」を拾う
海外のテックカンファレンスに参加して感じたのは、 「セッション動画は後からYoutubeで見られるが、現地の体験はアーカイブされない」 ということです。
もちろんセッションの内容も重要ですが、現地の価値は 「Hallway Track(廊下での立ち話)」 にあります。
翻訳機を使えば意思疎通は可能ですが、どうしても数秒のレイテンシ(遅延)が発生します。
技術的なQ&Aなら問題ありませんが、例えばキーノート直後の興奮した状態で、
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Did you see that demo? It was absolutely magic!- 「さっきのデモ、完全に魔法だったよね?」
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To be honest, I wonder if it's production-ready.- 「いやー、正直本番環境で使えるかなあ?」
こうした 「感想戦」をリアルタイムに共有するスピード感 こそが、現地で仲良くなるための鍵です。
拙い英語でも、その場の熱量を共有しようとする姿勢が相手の懐に入る一番の近道であり、そこから予期せぬキャリアのチャンスが生まれたりします。
非英語圏での「Hello World」
また、非英語圏のカンファレンスに行く場合、英語だけでなく 「現地の言葉」 を少しだけ覚えていくことを強くお勧めします。
流暢に話せる必要はありません。挨拶や「ありがとう」だけでも十分です。
開口一番に現地語で挨拶すれば、現地の方々の心を簡単に「掴む」ことができます。
「わざわざ自分たちの言葉を覚えてきてくれたんだ!」
という驚きで、目の前の人々がぱああっと目を見開いたり、笑顔になる瞬間。この体験は本当にクセになります。
語学は単なるツールではなく、相手へのリスペクトを示す 「プロトコル」 なのだと実感できる瞬間です。
3. エンジニア思考による語学学習ハック
「必要性はわかったけど、勉強する時間がない」
そんな我々エンジニアにおすすめの、ツールを駆使した学習法を紹介します。
① 「自分専用問題集」を生成する
Googleの NotebookLM などのAIツールは、語学学習の強力な味方です。
- Podcast風に変換
- 英語の技術ドキュメントを読み込ませ、「Audio Overview」機能で対話形式の音声に変換して通勤中に聞く
- リスニングクイズ生成
- Youtubeの海外テック系動画を指定し、「この動画内容に基づいたTOEICパート4(あるいはTOEFL IBTリスニングのレクチャー問題)形式のリスニング問題を作って」とプロンプトを投げる
- TOEIC パート4のプロンプト例:
Write practice questions like the TOEIC part four in English: one correct answer and three incorrect choices. Please write the answers to the last part of the output. - TOEFL IBT リスニングにおけるレクチャー問題のプロンプト例:
Write practice questions like a lecture section in the TOEFL IBT's listening in English: one correct answer and three incorrect choices. Please write the answers to the last part of the output.
こうすれば、自分が今必要としている技術ドキュメントそのものを、一瞬で「演習問題」に変えることができます。
しかし、いくら便利でも、毎日硬い技術ドキュメントばかりでは飽きてしまいますよね。
継続するために一番必要なのは、実は「技術への関心」ではなく、もっと別の「熱量」かもしれません。
② 「推し活」の熱量を借りる
そこで提案したいのが、自分の趣味(推し活)を教材に混ぜるハックです。
私はF1やサッカーが好きなので、海外のフォーラムや実況解説を英語で追っています。
「好きなチームが勝った/負けた」という強烈な感情とセットで覚えた単語は、絶対に忘れません。
上記のやり方を自分の好きな分野でもやってみると演習を楽しみやすくなります。
- 技術情報はツールで効率的に
- モチベーション維持は「推し活」の熱量で
この使い分けが、挫折しないためのコツです。
③ Duolingo + α (理解と習慣のセット化)
Duolingoは私が中国語を学び始めて間もない頃から使っています。
↑英語・中国語・広東語コースは完走してしまったので最近は韓国語をやっています
Duolingoは学習の習慣化(ログインボーナス的な快感)には最高ですが、文法解説が不足しがちです。
特に英語や中国語(HSK4級まで取りましたが痛感しました)は、語順のルール(SVOなど)が日本語と決定的に異なります。
アプリの問題では「正解」と「不正解/正解文章」しか見せてくれず、「なんでこれじゃダメなんだ?」に対する答えが得にくいです(一応MAX会員になれば解説は見られますが……)。
ここは、アプリで「慣れ」を作りつつ、 「体系的にまとまった文法書」 を横に置いて、気になった時は辞書的に引くのをお勧めします。
お勧め書籍
英語: 総合英語Evergreen (旧Forest)
かつてはForestとして出版されていた本です。出版社が変わったことによってタイトルが変わっていますが、体系的に英文法が纏まっています。
お勧め文法学習アプリ
英語: Cambridge Oneというオンライン学習プラットフォームがありお勧めです。Webアプリケーションであることに留意してください。
中国語: SuperChineseがお勧めです。文法に限らず単語学習もできますし、AIによる発音チェックシステムもあります。日本人が中国語を学ぶ上で最大の障壁が発音なので、ここをチェックできるのはありがたいです。
HSK取得を目指すなら、級ごとのレベルに明確に分けられて学習ができる SuperTest という姉妹アプリもあります。自分がHSK4級を取得した時はこちらを使っていました。
習慣付けを促進するアプリ学習と、論理による理解を促進する文法書。この 「Duolingo + α」 のハイブリッドスタイルが、理屈で納得したいエンジニアには合っていると思います。
おわりに
AI翻訳は最強の「下駄」です。これを使わない手はありません。
しかし、下駄を履いて楽をしつつも、自分の足(語学力)を鍛えておけば、ここぞという時に 「走る」 ことができます。
高い下駄を履いた状態で走るには、相応の筋力とバランス感覚が必要であるように、
- AIのコードを自信を持ってレビューするため
- カンファレンスの後の一杯を美味しく飲むため
技術キャッチアップの一環として、ゆるく、でも戦略的に語学をハックしてみてはいかがでしょうか。