はじめに
私は理学療法士からITエンジニアへキャリアチェンジし、現在2社目で働いています。
(※2025年7月末で退社済みです)
この度、適応障害による休職をきっかけに転職活動を開始し、約1.5カ月で年収アップの転職を成功させました。
本記事では以下についてまとめます。
- 転職のきっかけと背景
- 実際に取り組んだ転職活動の工夫
- 年収アップの要因と内定先での評価
- 適応障害と向き合いながら感じたリアル
- これから転職を考える方へのメッセージ
自分と似た境遇の方や、第二新卒・未経験・メンタル不調を経験したエンジニアに少しでも参考になれば幸いです。
現職での業務とスキルレベル
プロジェクト概要 〜クラウド × BI × ETLのフルスタック構成〜
現職では、大手食品・飲料メーカーのデータ分析基盤構築プロジェクトに参画しています。
企業全体のデータ利活用を加速させるため、クラウド(AWS)とETLツール(HULFT Square)を組み合わせたDWH・BI基盤構築に携わりました。
具体的には以下のような工程・業務を担当しました。
🔧 バックエンド開発
- 既存の受注・出荷システムや販売管理システムからのデータ抽出ジョブをHULFT Squareで設計・開発
- AWS S3へのデータ格納・加工処理を実施
- Redshiftへのデータロード・スキーマ設計
🧱 データマート構築
- ビジネス部門のニーズに応じた分析用データマートの設計・実装
- 地域別、担当者別、商品別などの多軸集計に対応したモデル構築
📊 BIダッシュボード開発(Tableau)
- Tableauを用いたダッシュボードの開発・導入
- 売上・利益の可視化
- 担当者別KPIトラッキング
- 地域別傾向分析(マップ機能活用)
- 画面設計だけでなくUI/UX設計やフィルター構成の最適化にも注力
🛠️ 運用・保守・ユーザー支援
- 運用ドキュメントの整備・自動アラートの設定
- S3ライフサイクルポリシーを設定し、定期削除処理を実装
- ユーザー部門からの問い合わせ対応、利活用促進のための説明会実施
- Tableauダッシュボードのバージョン管理・アクセス権限管理の標準化
このプロジェクトを通じて、以下のような複数技術の連携を経験できました:
AWS × HULFT Square × Tableau × SQL × ビジネス部門との折衝
→ 技術的スキルだけでなく、要件定義や非エンジニアとのコミュニケーションも習得
スキル・経験年数(2025年7月現在)
スキル・ツール名 | 経験年数 | 補足情報 |
---|---|---|
SQL | 約1年半 | Redshift、PostgreSQL中心 |
Tableau | 約1年半 | Desktopでのダッシュボード開発と運用保守 |
AWS(S3, Redshift) | 約1年半 | IAM管理なども併用 |
HULFT Square(ETL) | 約1年半 | GUIベースのデータ連携処理の設計・実装 |
Salesforce | 約3ヶ月 | 顧客管理データの参照とKPI抽出の補助用途で使用 |
資格取得一覧(すべて自己学習)
1年半ほどで10個取得してました。
未経験から入った身としては結構頑張った方ですかね、、、😅
資格名 | 取得時期 | 備考 |
---|---|---|
ITパスポート | 2024年4月 | ITリテラシーの基礎を広くカバー |
Tableau Desktop Specialist | 2024年4月 | BIツールの基礎力を証明する認定資格 |
OSS-DB Silver ver3.0 | 2024年7月 | PostgreSQLに関する知識を証明 |
Python3エンジニア認定基礎試験 | 2024年9月 | Python文法・構文・基本的なプログラミング力 |
Python3エンジニア データ分析試験 | 2024年10月 | pandas/Numpy/データ可視化など |
G検定(ジェネラリスト検定) | 2024年11月 | AI・ディープラーニングの基礎理論と応用領域 |
AWS Cloud Practitioner | 2025年2月 | AWSの全体像・費用体系・セキュリティ基礎 |
AWS Certified AI Practitioner | 2025年5月 | 機械学習におけるAWS活用の初級資格 |
AWS Solutions Architect – Associate(SAA-C03) | 2025年7月 | インフラ設計・運用の実践的スキルを証明 |
AWS Certified Developer – Associate | 2025年8月 | AWS上でのアプリケーション開発・デプロイのスキルを証明 |
📌 補足: 資格取得はすべて業務外の自主学習で、平日夜や休日の時間を活用。
モチベーションの源は「キャッチアップのための自己投資」でした。
転職を考えたきっかけ 〜昇進の裏で限界に〜
私は未経験からIT業界に飛び込みました。
異業種出身ということもあり、最初は右も左もわからない状態からのスタートでしたが、わからないなりに必死で学び、業務にも真摯に取り組みました。
ありがたいことに入社して1年ほどでLeaderへ昇進することができました。
理由としては、日々の仕事に手を抜かず、同時に資格取得や勉強を自主的に継続していたこと、そして社内で行われていたLT会などにも積極的に参加していたことが評価されたのだと思います。
Leader昇進と増えていく業務
昇進当初はとても嬉しかったですし、「もっと会社に貢献したい」「次のステージに進みたい」という前向きな気持ちでいっぱいでした。
しかし、それと同時に業務内容が一気に膨れ上がっていく感覚がありました。
特に辛かったのは、退職者の穴埋めとして、自分が突然3案件を同時に担当することになったことです。
本来であれば経験豊富な人が担うはずのポジションに、まだ現場経験が浅い自分が急遽アサインされました。
「エンジニアではなく調整役」になっていく感覚
最初のうちは何とか乗り切ろうと思っていましたが、次第に自分の一日のスケジュールは会議と調整業務で埋め尽くされるようになっていきました。
- 会議でのファシリテーション
- 議事録の作成
- 複数の関係者とのスケジュール調整
- アジェンダの準備や報告資料の作成
こうした業務が中心となり、エンジニアとしての技術を実務で磨く時間がほとんど取れなくなっていきました。
特に厳しかったのは、「来週の定例会でダッシュボードの進捗説明お願いします」と突然振られるなど、プロジェクトの全容をまだ掴みきれていない段階で対外的な説明を求められる状況が続いたことです。
業務量だけでなく、自分の責任範囲や期待値とのギャップがどんどん広がっていく中で、「自分は何のためにエンジニアになったんだろう?」という疑問が芽生えるようになりました。
徐々に崩れていく心と身体のバランス
はじめのうちは「なんとかなる」「まだ頑張れる」と自分に言い聞かせていました。
けれど、慢性的な疲労感、集中力の低下、朝起きたときに仕事に向かう気力が湧かない感覚が、日に日に強くなっていきました。
ある日、ついに心身ともに限界を迎え、人事の方に勇気を出して相談したところ、すぐに会社からメンタルクリニックを紹介され、その日のうちに受診。
そして「適応障害」と診断され、翌日から休職に入ることになりました。
休職初期に感じた葛藤と無力感
最初の2週間は、昇進したのにその責任を全うできなかったことへの申し訳なさ、
期待に応えられなかった自分への自己嫌悪、
「また戻れるのか」「技術者としてやっていけるのか」という将来への不安に押しつぶされそうでした。
正直、布団から出るのもつらく、PCを開く気力すらない日もありました。
でも、時間が経つにつれて少しずつ気持ちが落ち着いていき、ようやく自分と向き合う時間を持てるようになりました。
自分がやりたかったことを見つめ直す
休職中、何度も考えたのは「自分は何がしたかったのか」ということです。
そこで思い出したのが、これまで担当してきたプロジェクトで、AWSやETL処理などのクラウド技術に触れていた時間が一番楽しかったこと。
資格の勉強も苦じゃなくて、むしろ楽しみながら進めていたこと。
「本当はもっと、インフラやクラウド技術を突き詰めてみたかったんじゃないか?」
「もっと手を動かして、技術者らしい仕事がしたいんじゃないか?」
そうした思いがだんだんと明確になり、「もう一度、環境を変えてエンジニアとしてゼロからやり直そう」と決意することができました。
この決断が、後の転職活動へとつながっていきます。
体調を崩した経験はつらいものでしたが、結果として「自分の本当の興味や価値観を再確認する」機会になりました。
転職活動スタート 〜資格と自己開示がカギに〜
転職サービスと活動の流れ
転職活動を始めたのは、少しずつ心身が回復してきた休職中のある日でした。
ふと、「そういえば転職サイトに登録してそのままだったな」と思い出し、WantedlyとGreenのプロフィールを見直すところから始めました。
特に意識したのは、「見える努力」をプロフィール上にしっかり反映することでした。
- 資格取得の履歴(AWS・Python・OSS-DBなど)
- 担当したプロジェクトで使った技術スタック
- 業務外での自主学習やQiitaでのアウトプット活動
この3点を明確に書き込んだことで、プロフィール更新後すぐにスカウトメールが急増。
以前と違い、1日に複数通届くことも多く、想像以上に反応があったのを覚えています。
それまで自分の市場価値を正直あまり意識していなかったのですが、「年齢が20代後半」「クラウド経験が多少ある」「資格取得を継続している」という点が、IT業界ではしっかり評価されることを肌で感じました。
転職活動で気づいたこと
しかし、スカウトが多く届く一方で、書類選考を通過する企業は意外なほど少なかったのが現実でした。
要因は複数あると思いますが、自分の中で大きく引っかかっていたのが「適応障害をどう扱うか」という点です。
- 言わずに活動することもできた
- でも、それは自分にとって誠実ではないと感じた
だから、カジュアル面談や面接の場で正直にお伝えすることにしました。
「以前の職場で業務量の急増と技術から離れたマネジメント中心の業務が続き、体調を崩してしまったこと。適応障害と診断され、現在は回復しながら次のステージを目指していること」
このように伝えました。
ただ、この正直さが必ずしも評価につながるわけではないことも痛感しました。
丁寧に聞いてくれる企業もありましたが、その後はお祈りメールが届くケースも多く、心が折れそうになることも。
また、仮に面接まで進めた場合でも、提示される年収は400万円前後が多く、「自分の努力はまだ市場に認められていないのかも」と感じることもありました。
転職先との出会い 〜「人を見てくれる会社」との出会い〜
そんな中、今の内定先となる企業からスカウトをいただき、カジュアル面談に進むことになりました。
他社と同じように、これまでの経験、取得資格、技術スタック、そして休職している理由を正直に伝えました。
「適応障害と診断され、今は休職中である」と伝えた瞬間、相手の反応を構えて見てしまった自分がいました。
けれど、担当者の方はまったく顔色を変えることなく、むしろ自然にこう言ってくれました。
「あ、それは全然気にしてないですよ。むしろ、どういった経緯でそうなったかってお聞きしても?」
さらに会話の中で、こんな言葉をかけていただきました。
「仮にうちのエンジニアが同じような状況になったとき、適応障害を経験したあなたならその痛みに寄り添えるし、サポートもできると思いますよ。だから、それはむしろ“財産”だと思います。」
この言葉に、本当に救われたと感じました。
他社では表面的な理解や遠回しな反応ばかりだったのに、この企業では人として向き合ってくれる感覚が明確に伝わってきました。
期待以上の評価とオファー
面談の後、直接オフィスでお話する機会をいただきました。
そこで希望年収の話になり、正直自分の市場価値は思っていたよりも低いのでは?となっていたこともあり、ただ今回の転職で年収を少しでも上げたいので、自信なさげに欲を出して「450万円くらいで……」と伝えたところ、
「あずを。さんの継続的な学習姿勢と資格取得、そしてQiitaなどで発信し続けていることを評価しています。正直、もう少し出せますよ。」
と想定以上の年収、約500万円(年俸460万+賞与3回)で提示いただきました。
ポテンシャル採用にも関わらずここまで評価していただけたこと、そして「背景も含めてあなたという人を見ている」という姿勢に本当に感動しました。
さらに、社長からも以下のようなお話をいただきました。
「うちで働く中で、もしまた同じような状況になることがあったとしても、それを責めたりしません。むしろそれを活かして、次の誰かを支えてくれたら嬉しい。」
こんなふうに言ってくれる経営者の下で働きたいと、心から思いました。
このように、転職活動は決して順風満帆ではありませんでしたが、正直であり続けたことが、最終的に“本当に自分を見てくれる企業”との出会いにつながったのだと確信しています。
年収の推移 〜キャリアと努力が確実に実を結んだ〜
職種 | 年数 | 社会人歴 | 年収 |
---|---|---|---|
理学療法士 | 1年目 | 1年目 | 約330万(年俸330万+賞与なし) |
理学療法士 | 2年目 | 2年目 | 約360万(年俸360万+賞与なし) |
ITコンサル兼エンジニア(未経験入社) | 1年目 | 3年目 | 約312万(年俸312万+賞与なし ※途中入社) |
ITコンサル兼エンジニア(Leader昇進) | 2年目 | 4年目 | 約420万(年俸384万+賞与30万+特別賞与6万) |
インフラ・クラウドエンジニア(転職先) | 初年度予定 | 5年目 | 約500万(年俸460万+賞与年3回 ※決算賞与込み見込み) |
理学療法士時代からのキャリアを振り返ると、年収面で言えば一度大きくダウンしています。
300万円前半台への転落は、生活面でも正直きつかったですし、周囲からも「なぜそんなリスクを?」と不思議がられることもありました。
ですが、資格取得や業務での実績を一つひとつ積み重ね、最終的には理学療法士時代よりも150万円ほど年収がアップ。
まさに、努力が形になった結果だと実感しています。
転職活動で学んだこと 〜市場に伝える力と継続の大切さ〜
転職活動を通して、強く実感したことがいくつかあります。
✅ 資格取得や技術記事の投稿は「見える努力」になる
スキルを言葉で伝えるのは難しいですが、資格やアウトプットは客観的な証拠になります。
Qiitaで技術記事を書いたり、資格の取得履歴を明示することで「この人は本気で学び続けている」と感じてもらえたことは、転職成功に大きく貢献したと思っています。
特に、ポテンシャル採用を狙う20代にとっては、「伸びしろ」を裏付ける材料があるかどうかが非常に重要です。
✅ 正直さはリスクでもあり、武器にもなる
適応障害について、隠すこともできたとは思います。
けれど私は、自分のキャリアを偽らずに話したいという気持ちを大切にしました。
結果として、何社にもお祈りされましたが、その誠実さを理解し、受け入れてくれた企業と出会えたことは何よりも大きな成果です。
「正直に話してよかった」と今は胸を張って言えます。
✅ キャリアは自分の意思で選べる
理学療法士→ITエンジニアという異色の経歴でも、学ぶことをやめなければ道は開ける。
周囲の期待ではなく、自分のやりたい方向へ勇気を出して進むことが、未来の選択肢を広げると学びました。
これからの目標 〜希少価値あるエンジニアへ〜
今回、インフラ・クラウドに強い企業への転職が決まり、ようやく手を動かして技術を深める環境に身を置くことができます。
私が目指すのは、「資格だけでは終わらない、実務で活きるスキルを持ったエンジニア」です。
具体的には:
- AWSを中心としたクラウド設計・構築・運用のスキルを高める
- オンプレからクラウドへの移行支援など、トランスフォーメーションを経験する
- セキュリティやIaC(Infrastructure as Code)など、現場で求められる技術力を体系的に習得する
- 学んだことは引き続きQiitaやZennなどで発信し、コミュニティにも還元
将来的には「この人に任せれば安心」と言ってもらえるような、技術も信頼も備えたインフラエンジニアになりたいと思っています。
おわりに 〜同じように悩む誰かへ〜
私はこれまで何度も「これでよかったのか?」と悩みました。
- 異業界からの転職で年収が大幅に下がったとき
- リーダーになっても仕事が回らなくなったとき
- 体調を崩し、休職を選んだとき
- 正直に伝えたことで選考に落ち続けたとき
それでも、一歩ずつ前に進んできた自分を、今では誇らしく思います。
適応障害という経験は決して恥ではなく、「限界を知って、自分と向き合った」証だと思っています。
そして、それをきちんと受け入れてくれる企業が本当に人を大切にする会社なんだと気づけたことも、大きな学びでした。
もし、今まさに苦しんでいる方がいたら、伝えたいです。
あなたの今までの努力は、絶対に無駄じゃない。
そして、その努力に気づいてくれる企業は、必ずあります。
大丈夫、あなたのキャリアはこれからです。ファイト🔥
この文章が、誰かの「もう一歩踏み出すきっかけ」になれたら嬉しいです。
《追記》
よろしければ、1回目の転職活動についても別記事でまとめているので、参考になる部分があれば嬉しいです🙌