目的
競技プログラミングにおける「レートを上げるにはとにかく問題を解け」という風潮に疑問を感じ、その実態を整理したい。
疑念の根本
本来、アルゴリズムを理解し、論理的思考ができていれば、初見の問題であっても解法を導けるはずです。
にもかかわらず、それができない理由は、次のような根本的な要因にあると考えます。
- 論理的思考ができない
- 思考の癖が誤って定着している
- 読解力が不足している
- 焦りやモチベーションの欠如
- アルゴリズムを使いこなせない
- 理解が表層的で、再現できない
- 仮説検証のプロセスを持たない
- 記憶が定着していない
- 構築が遅い
- 体調や集中力を維持できない
- 作業記憶が弱い
- 改善への意識が欠けている
こうした基礎的な能力の不足を、「練習量でごり押す」という発想こそが、現状の精進文化の実態ではないでしょうか。
時間を費やすということ
もちろん、上位層の方々が並外れた努力を積み重ねていることは理解しています。
ただ、それでも成長速度に差が出るのは、「基礎力の欠如を補う」という個人的かつ地道な課題に向き合わないまま、量に逃げてしまっているからだと思うのです。
「精進」を再定義しよう
私は誰かを貶めたいわけではありません。
ただ、“脳死反復”を美徳とする文化に一石を投じたいのです。
基礎能力が高ければ、自然と高いレートにつながります。
しかし、高レートだからといって基礎力が保証されているわけではないことも忘れてはいけません。
パズル的な問題に対して、総当たりで挑むのは本来の学習ではありません。
評価されるべきは「数値」ではなく、「実力」そのものです。
そこを、もう一度見つめ直す必要があります。
8回目のコンテストで入水している中学生がいます。下らない言い訳はやめて、辞めるか続けるか再検討しましょう。
ここまで読んでくれてありがとうございました。