「AIとどう共存していくべきか」
最近、そんな話をよく見かけます。
AIで作った画像はどうなのか。
AIに文章を書かせるのはどうなのか。
仕事を奪われるのではないか。
人間が考えなくなるのではないか。
私も以前、AIとの共存についてダラダラと考えて、記事を書いたことがあります。
でも最近、ChatGPTを使いながらnoteの記事を書いていて、ふと思いました。
あれ? 私たち、もうとっくにAIと共存してない?
「AIを使う」は、ChatGPTを開くことだけじゃなかった
私は最近、文章を書くときに音声入力をかなり使っています。
頭に浮かんだことをそのまま喋る。
スマホがそれを文字にする。
その文章をChatGPTに渡して整理したり、話を膨らませたりする。
考えてみれば、音声を認識して文字に変換してくれる時点で、すでにかなり高度な技術に助けられています。
予測変換もそうです。
写真アプリが勝手に人や動物を見つけたり、スマホのカメラがいい感じに写真を補正してくれたり、迷惑メールを自動で振り分けたり。
私たちは「AIを使うぞ!」と身構えるよりずっと前から、それっぽい技術に囲まれて生活していました。
便利だから使っていただけです。
つまり、
AIとの共存は、これから始めるものではなく、気づいたら始まっていたものなのかもしれません。
便利なものは、なかなか元には戻らない
新しい技術が出てくると、だいたい何かしら問題になります。
危ない。
仕事がなくなる。
文化が壊れる。
規制したほうがいい。
もちろん、問題があるならルールは必要です。
ただ一方で、便利だったり、面白かったりするものを、一度知ってしまった人間が完全に手放すのはかなり難しいとも思っています。
特に「これを使えば昨日まで1時間かかっていたことが10分で終わる」みたいなものは強い。
社会的な規制が強くなったとしても、その技術そのものが消えるとは限りません。
むしろ時間が経つと、
「そういえば、これが登場したころってめちゃくちゃ揉めてたよね」
と言われながら、当たり前のものとして生活の中に残っている。
AIもそうなるのではないかと思っています。
「AIで作りました」と言わなくなる世界
今はまだ、
「この画像はAIで生成しました」
「この記事では生成AIを使用しています」
と書く場面があります。
でも、この表記はいつまで続くんでしょう。
もちろん、用途によってAI利用の開示が必要な場面は残るでしょう。
でも日常的な文章まで含めて考えると、いつか、
「まあ、どこかではAI使ってるでしょ」
が前提になる世界もありそうです。
文章の構成を考えてもらった。
誤字を直してもらった。
検索を手伝ってもらった。
タイトル候補を出してもらった。
音声を文字にしてもらった。
画像を補正してもらった。
どこからを「AIで作った」と呼ぶのか、だんだん境界線そのものが曖昧になっていく。
そうなったら、逆の現象が起きるんじゃないでしょうか。
「この記事、全部人間が書きました」がコンテンツになる
未来のインターネットで、こんな記事がバズっているかもしれません。
「生成AIを一切使わず、久しぶりに記事を全部自分で書いてみた」
そしてコメント欄では、
「ここ誤字ってる!」
「本当に人間が書いてるじゃん」
「この誤字、キーボード見たら隣のキー押してるんだな」
「人間ってこういう間違いするんだ……」
みたいなことで盛り上がる。
今ならただの誤字です。
でも、AIが当たり前になった世界では、それが妙に人間臭くて愛おしいものになるかもしれません。
例えば、
「お願いいたします」
と書きたかったのに、
「お願いいたいたします」
になっている。
今だったら、
「誤字ってますよ」
で終わります。
未来では、
「いたいが一個多い!」
「人間だ!」
「かわいい!」
となっているかもしれない。
手作りの価値は、技術が進むと消えるのではなく変わる
これは文章だけではないと思います。
絵も写真も音楽もデザインも同じです。
AIが大量に作れるようになったから、人間が作ったものに価値がなくなる。
必ずしもそうではない気がしています。
むしろ大量生産できるものが増えれば増えるほど、
「これ、全部人間がやったの?」
という部分そのものが価値になる可能性があります。
機械で綺麗なものを大量生産できる時代に、手作りの器や手編みの服がなくならなかったように。
AIが人間の創作を消すというより、
人間が作ったという事実の意味が変わる。
そんな未来のほうが、私はなんとなく想像しやすいです。
私はもうAIと共存していた
ChatGPTを使いながら記事を書いていて、
「AIと人間はこれからどう共存するんだろう」
と考えていました。
でも、その文章を音声入力で喋っている。
スマホが私の声を文字にしている。
ChatGPTがそれを読んでいる。
私は出てきた文章を見て、
「いや、そこは違う」
「それ面白い」
「もっとこうしたい」
と言っている。
よく考えたら、
共存について考えている、その行為自体がすでに共存でした。
たぶん未来から見たら、「AIと共存するべきか」と真剣に議論していた今の時代そのものが、ちょっと面白く見えるのかもしれません。
そして未来の誰かが、AIを使わずにキーボードだけで3,000文字の記事を書いて、
最後に盛大な誤字を残す。
その誤字を見た人たちが、
「うわ、本当に人間が書いてる」
と喜ぶ。
そんなインターネットもちょっと見てみたいです。