昨今、大規模言語モデル(LLM)1が大流行していますが、皆さんは「知能」って何だか本当に理解していますか?私たち全員が「知能」を備えていると思いますが、それはどんなもので、いつ、どんな風に働いているものでしょうか?
そもそも「知能」とは何なのか、「知能」はどこにあるのか、「知能」はいつ働くものなのか、「知能」はどんな風に働くものなのか。他にも、「思考」とは何か、「認知」とは何かという根本的な問いがあります。
自分の頭の中で何が行われていて、それを意識して「使う」ことができているでしょうか。この記事では、認知科学2の観点から「知能」の正体を解明し、AIとの関係性について考察していきます。
認知科学とは
認知科学(Cognitive Science)は、人間が外の世界の情報を認識し、脳によって知的処理を行う一連のプロセスを研究する学術分野です。この分野は心理学、神経科学、言語学、人工知能研究、哲学などの複数の学問領域が融合して成り立っており、人間の心の働きを科学的に解明しようとしています。
現在のAI技術の発展を理解するためには、まず人間の認知プロセスを理解することが重要です。なぜなら、多くのAI技術は人間の認知機能を模倣し、それを機械で再現しようとする試みだからです。
認知プロセス:知能が働くまでの7段階
人間の認知(Cognition)は、外部世界から情報を取り込み、それを処理して行動に至るまでの一連の流れとして理解することができます。この認知プロセスは、大きく7つの段階に分けることができます。
第一段階は感覚入力(Sensory Input)です。これは目や耳などの感覚器官に物理的な刺激が「入った」段階で、まだ脳による処理は行われていません。光や音波などの物理的エネルギーが感覚器官によって電気信号に変換される段階です。
第二段階は知覚(Perception)で、感覚入力が脳に到達し、基本的な処理が行われる段階です。ここで、単なる物理的刺激が意味のある情報として認識されるための第一歩が踏み出されます。
第三段階は注意(Attention)で、これが認知プロセスにおける最初の大きな関門となります。意識が向いて、ここで初めて「見えた」「聞こえた」という状態になります。この段階で多くの情報が失われることが知られており、人間の認知における重要なボトルネックとなっています。
第四段階は記憶(Memory)で、認識された情報が「これは電灯だ」「これは音楽だ」といった具合に既存の知識と照合され、考えるための一時記憶に保存されます。ここで初めて、情報が思考の材料として使用可能な状態になります。
第五段階は思考と推論(Thinking and Reasoning)で、ここが知能の中核をなす部分です。記憶に保存された情報を材料として、論理的な処理や創造的な思考が行われます。
第六段階は判断と意思決定(Judgment and Decision Making)で、思考と推論の結果を基に具体的な判断を下す段階です。特に仕事や重要な場面において、この段階の質が成果を大きく左右します。
第七段階は行動(Action)で、判断の結果として具体的な行動が実行されます。
知能(Intelligence)の正体
認知プロセスから見た場合、知能は主に「記憶から思考・推論」の部分、つまり第四段階から第五段階にかけてのプロセスに対応します。これは、単に情報を受け取るだけでなく、その情報を活用して新しい知識を生み出したり、問題を解決したりする能力を指しています。
興味深いことに、現在のAI技術は、これらの認知プロセス全体を再現しようと試みています。コンピュータビジョンや音声認識技術は感覚入力と知覚の段階を、認知コンピューティングは知覚から注意の段階を、注意機構(Attention Mechanism)3は文字通り注意の段階を、大規模言語モデルは記憶と思考・推論の段階を、推論エンジンは思考・推論から判断・意思決定の段階を、そしてロボット工学は行動の段階を担当していると考えることができます。
第一の壁:注意力(Attention)
知能や推論といった「思考力」を使用する上での第一の壁は、注意(Attention)のプロセスが適切に機能することです。しかし、このプロセスを発火させることは意外に難しく、一定の学習や訓練、あるいは意図的に発火させるための手続きが必要です。
注意を阻む要因として、まず選択的知覚(Selective Perception)4があります。これは脳が自動的に対象を無視する仕組みで、関心のない情報は文字通り「見えない」状態になります。例えば、新しい車を購入した後に同じ車種を街でよく見かけるようになるのは、以前からその車は存在していたが、注意が向いていなかったために「見えていなかった」からです。
次に認知バイアス(Cognitive Bias)5があります。これは心の中で無意識に働く様々な偏向で、先入観によって情報が歪められる現象です。確証バイアスや可用性ヒューリスティクスなど、数多くの認知バイアスが知られており、これらが客観的な情報処理を妨げることがあります。
ヒューリスティクス(Heuristic)6も重要な阻害要因です。これは無意識に行われる、難しい質問の易しい質問への置き換えで、簡単な答えで満足してしまう傾向を指します。複雑な問題に直面したとき、人間は無意識のうちに、より簡単で答えやすい問題に置き換えて考えてしまう傾向があります。
ジョシュアツリーの法則(Joshua Tree Principle)7という現象もあります。これは「人は名前を知らないものは見えない」という法則で、知識がないものは存在していても認識できないという現象を指します。小鳥は見えてもヒワという特定の種類は見えない、といった例が典型的です。
最後に、認知的不協和(Cognitive Dissonance)8も注意を阻む要因となります。これは見たくない情報や知りたくない情報に対して積極的な逃避心理が働く現象で、自分の信念や価値観と矛盾する情報を無意識に避けてしまう傾向を指します。
これらの問題を解決するためには、基礎学習と訓練が不可欠です。また、意識的に注意を向ける手順や手続きを習慣化することが重要です。さらに、メタ認知9、つまり自分の認知プロセスを意識する能力を発達させることで、これらの阻害要因をある程度コントロールすることが可能になります。
速い思考と遅い思考
思考と推論のプロセスは、心理学者ダニエル・カーネマンが提唱したシステム1とシステム2という2つのシステムに分けて理解することができます。
システム1(速い思考)は、直感的で自動的な思考プロセスです。見た瞬間、聞いた瞬間にイメージや回答をパッと出すような思考で、人間の思考の95パーセントから99パーセントがこのシステム1によるものとされています。このシステムは非常に高速で、エネルギー消費も少なく、日常生活の大部分を支えています。
一方、システム2(遅い思考)は、意識的かつ論理的な「慎重に考える」時の思考プロセスです。複雑な問題解決や分析的なタスクに使用され、実行すること自体に時間と努力を要します。人間の思考の1パーセントから5パーセント程度がこのシステム2によるもので、いわゆる「推論」を含む高度な思考活動がここに含まれます。
重要なポイントは、「論理的に考える」「概念を理解する」といった高度な「思考」は、意識してシステム2を使わないと実現しないということです。多くの人は、日常的にシステム1に依存しており、複雑な問題に対してもシステム1の直感的判断で済ませてしまう傾向があります。しかし、真に質の高い思考や判断を行うためには、意識的にシステム2を発動させる必要があります。
現代のAIとの関係で考えると、現在の大規模言語モデル(LLM)は、主に人間のシステム1に相当する処理を高速で行っていると考えられます。パターン認識に基づく高速な応答は、まさにシステム1の特徴と重なります。一方、論理的な推論や段階的な思考を行う推論AIは、システム2に相当する処理を目指していると言えるでしょう。
まとめ
本記事では、認知科学の観点から「知能」の正体を解明しました。知能は認知プロセスの一部、具体的には記憶から思考・推論にかけての部分に対応することを確認しました。また、注意力が知能活用の第一の壁となること、思考には速い思考と遅い思考という2つのシステムがあること、そして現在のAIは主にシステム1レベルの処理を行っていることを理解しました。
参考文献
- ダニエル・カーネマン著『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』早川書房、2012年
- 苧阪直行編『認知科学への招待』サイエンス社、2011年
- 松尾豊著『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』KADOKAWA、2015年
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大規模言語モデル(Large Language Model, LLM) - 膨大なテキストデータで訓練された深層学習モデルで、自然言語の理解と生成を行う人工知能技術。GPT、BERT、T5などが代表例。 ↩
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認知科学(Cognitive Science) - 人間の心の働きや知的活動を科学的に研究する学問分野。心理学、神経科学、言語学、人工知能、哲学などが融合した学際的な分野。 ↩
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注意機構(Attention Mechanism) - 深層学習において、入力の中で重要な部分に「注意」を向ける仕組み。Transformerアーキテクチャの中核技術で、現在のLLMの基盤となっている。 ↩
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選択的知覚(Selective Perception) - 人間が無意識のうちに、自分の関心や信念に合致する情報のみを選択的に認識し、それ以外の情報を無視する心理現象。 ↩
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認知バイアス(Cognitive Bias) - 認知心理学において、人間の思考や判断に影響を与える無意識の偏向や歪み。確証バイアス、可用性ヒューリスティクスなど多数の種類が知られている。 ↩
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ヒューリスティクス(Heuristics) - 複雑な問題を解決する際に用いられる経験則や直感的な判断方法。正確ではないが効率的な問題解決手法として機能する一方、判断の歪みをもたらすこともある。 ↩
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ジョシュアツリーの法則(Joshua Tree Principle) - 「人は名前を知らないものは見えない」という認知現象。特定の知識や概念を持っていないと、その対象が存在していても認識できない現象を指す。 ↩
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認知的不協和(Cognitive Dissonance) - 矛盾する認知や信念を同時に持つことによって生じる心理的不快感。この不快感を解消するため、人は情報の選択的受容や信念の変更を行う傾向がある。 ↩
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メタ認知(Metacognition) - 自分自身の認知プロセスについて認知すること。「考えることについて考える」能力で、学習効果の向上や問題解決能力の発達に重要な役割を果たす。 ↩