序章
皆さんは2017年刊行の「未来の年表 ~人口減少日本でこれから起きること~ 著:河合雅司」をご存じだろうか?私はこの本の序章にあった“西暦2900年の日本列島に住む人はわずか6000人、西暦3000年にはなんと2000人にまで減る”という衝撃的な予測に目を奪われた。西暦3000年と言えば、私は生きていないにしても、それほど遠くない将来だ。そんな未来に日本がほぼ無くなる(正確に表現すると日本人が日本列島からほぼ姿を消す)というのは、簡単には想像しえないことだった。私はこの問題に非常に興味を持ち、自分でも人口予測のプログラムを書き、パラメータを様々変化させることで将来人口への影響を探った。この記事では人口予測のシミュレーション・プログラム(GUI機能なし)を作成すること、そしてそれに関連する様々な情報を提供しようと思う。
当時作成したスマホアプリ(非公開)
まずは単純な予測モデルから
人口予測モデルを作るにあたり、まず非常に単純な前提を考える。精度はそこから上げていけば良い。
- 寿命を男性は81歳、女性は87歳
- 合計特殊出生率は1.0の場合と2.0の場合のみ
- 生まれる男女比は1:1
基本的に死亡と出生を仮定すれば、そこそこの結果が得られる。ちなみに合計特殊出生率(以降、TFR = Total Fertility Rate)とは一人の女性がその生涯において出産する子供の平均数である。ところで、このTFRは近年になり、かなり落ち込んでいる。2024年は1.15であり、2017年頃は1.4くらいあったことを考えると、いかに問題が深刻化しているか、が分かると思う。きっかけはコロナで出会いが少なくなった、との情報もあったが、その推移を見ると既にコロナ前に減少が始まっているので、データに基づかない情報の可能性がある。
興味深いのは、リーマンショックでは特に低下傾向は認められない。つまり近年、TFRが減ったのは経済的要因が大きいと言われているが、必ずしもそうではないかもしれないのだ。もし、そうであれば政府や自治体が子育て支援でお金を掛けても少子化問題の解決は難しそうだ。ちなみに東京都は「東京のお母さん」こと小池都知事が子育て支援に力を入れているが、東京都のTFRは0.96(2024年)であり、低下傾向が続いている。つまり、子育て支援と少子化対策は別モノと考えるのが妥当だろう。「少子化対策のために子育て支援をします!」と訴える政治家にはあまり期待できないかもしれない。。。
なぜ少子化が進むのか
ちょっと脱線するが、興味深いトピックでもあるので、ここで触れておきたい。少子化の原因は様々語られているが、例えば科学的な側面から見た場合、それが必然であることが伺える。2022年に放送されたNHKの「サイエンスZERO」では、その原因について分析している。
男性ホルモンの減少 → 不妊の可能性
近年、男性の男性ホルモン(テストステロン)量が減少していて、加えて活動量が少なく、元気のない精子が増えていることが報告されている。その現象の原因は肥満であることと、そもそも社会が成熟するにつれ、男性ホルモンが減少する運命にあることが番組で語られていた。
太古の昔、狩猟採集の時代の男性は男性ホルモンが非常に多かったのだが、より協力して仕事をするようになると、男性ホルモンが減少していった、というのだ(頭蓋骨の特徴から推測)。男性ホルモンは人々のヤル気を起こさせる特徴があるが、攻撃的になる側面もある。協力しなければならない仕事において、人を蹴落としてでも成果を上げよう、出世しよう、と考えるほどの男性ホルモンが強い人は周囲から疎まれるのが現代社会ではないか。近年は特にその傾向が強まってきている。男性ホルモンが減少している、というより、男性ホルモンが強い人が活躍しづらい社会になって次第にフェードアウトしている? とも考えられるのである(これは私の考え)。考えてみれば、芸能界でも内田裕也やショーケンのような本当の意味で破天荒な人は見かけなくなり、見るのはエセ破天荒芸人くらいだ。
社会的圧力からの解放
これは完全に私見である。女性が今より社会進出する前の時代、女性は寿退社して家庭に入り、子育てをすることを社会から暗黙的に求められていた。しかしそのような考えは口にするだけでも批判の的となるこの現代において、女性が結婚しなければならない社会的圧力はなくなった。私は男性であるが、もし女性であれば、そして経済的に自立できていれば、わざわざ結婚し、子育てをして苦労を重ねるより、自分の好きな事に時間やお金を掛けていた可能性は高いと思う(ただ母性があれば考えは変わるのかも)。そうなれば子供を産むインセンティブがあまり働かないであろう。このような社会的価値観の変化も少子化に関係しているのではないか、と考えるのである。
では少子化は止められるのか?
少子化を止めることは非常に難しいと私は考えている。ひとつは「いつかきっと解決するだろう」という楽観視である。"The problem will solve itself"(問題は自然に解決する)あるいは "Someone will fix it"(誰かが解決するだろう)という楽観的な考えは、問題を解決するどころか、抜本的な対策を先送りする最大の要因となり得る。少なくとも50年以上前から出生率の低下は始まっているのに、未だ有効な解決策が存在しない点は非常に重要だ。
加えて日本は民主国家である。専制国家である隣国でさえ出生率の低下が深刻化している。個人の価値観をより重視する民主国家において、問題が深刻化したからと言って妊娠を強制できるか? という疑問がある。そうであれば移民を受け入れる、という方策もあるが、現在は特に移民問題がホットな話題であり、政治問題化するほどである。品の良い外国人しか受け入れない国を、そして経済力でそれほど魅力のなくなった国に、どれだけの外国人が定住するのであろうか。
可能なのはできるだけ消滅を先延ばしにすること
我々ができることは、できるだけ人口減少を穏やかにすることではないだろうか?例えば、既に細胞から生物のクローンを作成することが可能になっているのだから、国家により人間のクローンを生産し、これを計画的に管理する方法だってあり得る。問題は財政的な負担、育てる人員であり、それほど生産できないかもしれない。しかし、いざ追い詰められればあり得る選択肢でもあろう(勿論、現代の価値観では取りづらい選択であり、これは将来の日本人に託すことになる)。
もうひとつ。これは個人的に切実な問題だ。高齢者がお金を使わなくなる原因の一つに、自分が何歳まで生きるか分からない、という問題がある。分からないからセーブするのだ。極めて合理的だ。では逆に自分が何歳で死ぬのか、を自分で決められたらどうだろう?しかも苦しまずに逝ける、とすれば(ただし高齢者のみの特権)。私なら引退時にその時の経済力と相談し、寿命を決め、それまでにほとんど全額使い果たしてあの世へ行く(もしかすると不治の病により、予定を早めるかも)。これに賛同する人が多ければ多いほど、高齢化問題は穏やかになり、経済的にも良い影響を与えるだろう。
死は誰にでも訪れる運命だ(現在でも世界平和を祈り続けている弘法大師(=空海)だけは例外)。その死の前は非常に苦しい時間である。あの元気が売りだったアントニオ猪木が病気で弱っていき、苦しむ姿を容易に想像できた人も多いだろう。新日の名物実況アナウンサーであった古館氏に早く逝きたい旨を訴えた、というエピソードは決して他人ごとではない。私の父親も苦しみながら旅立った。あなたはあなた自身の最期をどのように迎えたいだろうか?私は少なくとも苦しみたくはない。
で、結局人口予測モデルを作る話はどこへ行ったのか?
これも非常に興味深い問題である。私はもしかすると何かしら学習障害みたいなものがあるのかもしれない。なぜなら長い記事を読むことが非常に苦痛なのだ。とすると、このまま予測モデルを作成し、それを解説するとなると、とても長い記事になることは避けようがない事実である。読み返し推敲することを想像すると、発狂するかもしれない。そのため、賢明な私は予測モデル作成を次回に持ち越すことに決めた。我ながら英断だと思う。皆さんがどう思うかは分からないが… 😝