はじめに : 地元・札幌で「なんでもCopilot」を開催して
毎週水曜日の20時からオンラインで勉強会を開催している「なんでもCopilot」コミュニティ。今回は地方開催の第二弾として、私の地元・札幌で開催することができました。
普段一緒に運営をしたり、コミュニティに参加してくださる皆さんを北海道に迎え、地元の方々と繋がる場をつくれたことは、本当に嬉しく、感慨深いものがありました。
開催にあたっては、北海道大学の皆様に全面的にご協力いただきました。会場提供だけでなく当日の運営までお手伝いいただき、心から感謝しています。
北海道大学の高崎さん、室蘭工業大学の斉藤さん、北海道在住Microsoft MVPのらむださん、daiさんに登壇いただき、現役北大院生の宇留野さん、北海道出身のなおきさんにもLTをしていただきました。私自身も北海道に関するクイズやLTを用意し、北海道にゆかりのある皆さんと地域色を前面に出したイベントをつくれたことも、今回ならではの喜びでした。
また、遠方から参加される皆さんに北海道を楽しんでもらいたくて、イベントの前後を含む2泊3日の観光ツアーも企画しました。予定に合わせてメンバーが入れ替わりながら総勢19名にご参加いただきました。
北海道で生まれ育った私が好きな場所や食べ物、良いと思っているものを一緒に体験して、気に入ってもらえたことが本当に嬉しかったです。勉強会だけでなく観光や食事を通じて皆さんと時間を共有できたことも大切な思い出になりました。
参加してくださった皆さん、登壇してくださった皆さん、北海道大学の皆様、そして一緒に準備してくれた運営メンバーに改めて感謝いたします。
札幌で持ち帰った「宿題」
そんな今回のイベントで室蘭工業大の斉藤さんから、セッションの中でこんな「宿題」をもらいました。
AIが正しい答えを返せる時代に人が学ぶことの価値は何でしょうか。そして大学は、何を教えて何を評価するべきなのでしょうか。
主催者として準備し、当日の雰囲気をつくり、終わったあとにこうして振り返る。その過程も私自身にとって学びでした。だからこの問いは大学教育の話だけでなく、今回自分がつくろうとしたコミュニティの場について考える問いとしても受け止めています。
いきなりですが問いに問いで返させてください。
そもそも「正しさ」とは何でしょう。「教える」とは何でしょう。そして「評価する」とは何でしょう。
私には、普遍的な答えは出せそうにありません。ただ今回の経験とこれまでの自分を振り返りながら、自分なりに考えてみたいと思います。
周りに合わせるより自分で納得したい
私は北海道でのびのびと育ちました。高校までは自分の行動に怒られたり、咎められることはほとんどありませんでした。勉強も先生の話を聞くより教科書を読む方が好きで、塾や家庭教師のお世話になったこともありません。「教わる」ことや「指導を受ける」ことに慣れていませんでした。
ところが大学に入ると、同級生や先輩から「空気を読め」「周りに合わせろ」と言われることが一気に増えました。
それでも、私はあまり合わせられませんでした。「皆が言うから」「皆がやっているから」という理由だけでは、そうする意味を感じられなかったからです。暗黙の了解というものが苦手で、なんだか居心地の悪いサークルは数か月でやめてしまいました。
勧められて買った『大学生のうちに身につけたい100のこと』みたいな自己啓発本も、読んですぐに捨てました。みなと同じが正解と思いたくなかったからです。
入試も就職活動や転職活動でも、書類の添削や面接練習を受けたことは一度もありません。今でこそAIで文章を整えることはありますが、それくらいです。
「なんでもCopilot」で『独特』とか『マッドサイエンティスト』と呼ばれることがありますが、たぶんそういうことなんだと思います。
別に、このやり方が正しいと言いたいわけではありません。ただ私は、誰かが決めた正解に合わせるより、自分で考えて納得することを大事にしてきました。今回の問いへの答えも、その延長にあります。
AIが返す正しい「答え」と自分にとっての「答え」
AIが世間的に「正しい答え」を返してくれるとしても、それがそのまま「自分にとっての答え」になるとは限りません。
事実として正しいことと、自分が何を大切にしてどう行動するかは別の話です。私が大事だと思うのは、AIから答えを受け取るのでなく、「何をもって正しいとするのか」「自分はどう考えるのか」を問い続けることです。
AIの答えを使うことと、自分で考えることは対立するものではありません。AIと話しながら考えを整理することもできます。ただ、その答えを自分がどう受け止めるかまで、丸ごと任せる必要はないと思っています。
私にとって学ぶことは、答えを覚えることではなく、自分なりの答えを考えられるようになることでもあります。
大学で学んだのは点数のつくことだけではなかった
多くの人にとって高校までの勉強の中心は、答えのある問題を解いて点数を取ることだったと思います。
私の大学(文系)でのイメージでは、「単位さえ取ればあとは自由で何をやってもいい」場所でした。もちろんレポートやテストには点数がつきます。でも、それは大学で学ぶことの一部でしかなかったと思っています。
自由な時間をどう過ごすか。誰と出会い、どこに行き、何に熱中するか。そこには模範解答も採点基準もありません。
自分よりずっと頭のいい教授の講義が、私にはつまらなかったこともあります。その一方で、ゼミは楽しかったし、教授が色々なイベントを企画してくださったり、飲みながら話したことには、今でも自分の中に残っている学びがあります。
学びはあらかじめ組まれたカリキュラムの中だけにあるわけでもありません。何かに向けて準備すること、人と一緒に場をつくること、経験したことを振り返ること。その過程から学ぶこともあります。
だから大学は何かを一方的に教えるだけでなく、人と人との関わり合いを通して、自分なりの答えを探せる場所であってほしいと思っています。
答えではなく「考え」を認める
では、大学は何を評価するべきなのでしょうか。私が大事だと思うのは「自分で考えたか」です。
「AIに作らせました」「周りに合わせました」「先輩のものをコピーしました」。それではその人自身の考えが見えません。
AIを使ったかどうかよりも、その内容をどう受け止め、なぜ自分の答えとして選んだのか。自分で考えて、今の自分なりに納得しているか。そこに目を向けてほしいと思います。
正解と一致しているかを評価するだけでなく、「あなたはそう考えたんですね」とその考えを認めることも大切なのではないでしょうか。
とはいえ、この問いは今更な話でもあります。代返もコピーもカンニングも生成AIが一般化するずっと前からありました。
時代は変わっても、「自分で考えているか」という問いは昔から変わっていないのだと思います。
「学ぶ」ということ
こうして大学での学びを考えてみると、今回の「なんでもCopilot in 札幌」で自分がやりたかったことにも繋がります。
私はコミュニティ活動で、「教える」とか「学びを与える」といった、おこがましいことは考えていません。自分が学んだことや気づいたことを楽しく共有して、誰かがそれを面白がってくれる。私も誰かの話から学ぶ。そんな場だと思っています。
「なんでもCopilot」主宰のみかんさんも、いつも「まず自分たちが楽しもう」と言っています。私はその考え方が大好きです。
学校でもコミュニティでも、用意されたカリキュラムやプログラムだけが学びではありません。開催に向けて準備すること、みんなが楽しめる雰囲気をつくること、終わったあとに振り返ること。様々な場面で学びはあります。
大学の講義だけでなくゼミ合宿や教授とのやり取りが自分の中に残っているように、今回もセッションを聞く時間だけが学びの時間だったわけではありません。一緒に観光したり、食事をしながら話したりする時間も、私にとっては地続きでした。
今回、まだまだAIに任せるだけではできない、人の繋がりをつくり心を動かすイベントができたのではないかと思っています。
「学び」は大学で終わらない
大学は、その後の長い社会人人生の土台をつくる場所だと思っています。でもそこで学びが終わるわけではありません。
働きながら学べることはたくさんありますし、学んだことを仕事に活かすこともできます。仕事で生まれた疑問が、次の学びにつながることもあります。
私にとって生涯学習とは、そういうことだと思っています。今回の札幌でのイベント経験もまさにその一つでした。
AIが正しい答えを返せる時代に、人はなぜ学ぶのか
今の私なら、「自分が何を面白いと思い、何を大切にして、どう行動したいのかを考え続けるため」と答えます。そして、人と出会い、何かを一緒につくり、振り返る中で、自分だけでは出会えなかった問いにも出会えるからです。
これからも「なんでもCopilot」とともに、学んで、試して、共有して、振り返って、学ぶ。そんなサイクルを広げていければと思います。





