■研究室に一人(ネリアの解析)
「……私は、もう少し残って解析してみます」
そう告げた時、ミリアさんが一瞬だけ不安そうに眉を寄せた。
けれど、私が微笑むと、彼女はすぐに表情を明るく戻し、
ニカさんに満面の笑顔で向き直る。
「……うん。じゃあ、ニカ姉、帰ろ?」
と、ニカさんの手をそっと優しく握った。
そんなミリアさんの言葉に、アクスさんは黙って頷き、私の横を通り過ぎる時に
「なんかあったら呼べよ」
とだけ言って、みんなと一緒に研究室を後にした。
扉が閉まると、部屋の空気は先ほどまでの喧騒が嘘のように、しんと静まり返った。
私は深く息を吸い、白い波形が揺れる綺晶核の前に立つ。
「……さて。あなたは、何を見せようとしているのですか」
白い光が脈動し、淡い波紋がゆっくりと広がる。
その揺れは、さっきよりもわずかに深く、
そして……どこか“外側”から触れられたような歪みを帯びていた。
「……これは……」
私は指先をかざし、波形の揺れを読み取る。
内部の理が乱れているのではない。
これは──
外側からの干渉。
「……これは……ニカさんに……触れようとしている……?」
白い波形の奥で、黒い影の輪郭が私の言葉を肯定するように、ほんの一瞬だけ揺れた。
背筋に冷たいものが走る。
「……これは危険ですね……皆さんに早く知らせないと!」
私はすぐに解析装置を閉じ、勢いよく立ち上がって、特別回廊へと向かう。
私が皆さんを研究室へ案内するために開いた通路。
外側の揺れを遮断し、最短距離で宿屋へ向かうための道。
しかし、いつもより何故か、自分の足音が響く。
胸の奥で、ざわざわと騒ぐ嫌な感覚が拭えない。
「急がないと……内部が触れられる前に」
私は皆さんが待つ、宿屋の一室に向かってひたすら走った。
そんな私の視界の端で、白い光の残滓がゆらゆらと揺れ続けていた。
■宿屋での休息
私は、ミリア、ルミエラ、アクスの4人で、研究室を出て宿屋へ向かう道を歩きながら、
胸の奥に残る“あの脈動”をどうしても振り払えずにいた。
一歩、また一歩と足を進めるたび、微かな震えが胸の奥で跳ねる。
(……まだ、いる……)
そんな気配だけが、薄い膜の向こう側でゆらりと揺れている。
ミリアが心配そうに、私の袖をそっと掴んだ。
「ニカ姉……ほんとに大丈夫なの……?」
「大丈夫。……ちょっと疲れただけ」
私の応えに、ミリアは安心したように、でもまだ不安を抱えたまま、
ぎゅっと私の袖を握り直した。
アクスは後ろで腕を組み、何度もため息をついていた。
「……くそ。なんなん、あれ……
マジで意味わからんっちゃ……」
怒りというより、悔しさを噛みしめている声だった。
ルミエラは私の歩幅に合わせて静かに寄り添う。
「……無理はしないでくださいね。今日は、もう休むだけでいいんです」
宿屋に戻ると、特別回廊で感じていた違和感は少し和らいだ気がした。
アクスが、最後に入って、部屋の扉を閉めた瞬間、張り詰めていたものがふっと緩んだ。
私は胸元へ手を当て、深く息を吐いた。
「ニカ姉……座ろ?」
ミリアが椅子を引いてくれる。
そんなミリアの優しさが、とても可愛く感じた。
「ありがとう」
腰を下ろすと、脈動はまだ残っていたが、
さっきよりは少しだけ静かだった。
アクスは壁にもたれ、腕を組んだまま、心配そうにじっと私を見ている。
「……ニカ、なんかあったらすぐ言えよ。
ほんと、なんでもいいけん、絶対に言えよ!」
ぶっきらぼうな言葉の中に感じるアクスの優しさが、今は心強く感じた私は、
「うん。ありがとう……」
と、素直に感謝を伝える。
そんな私の言葉に、アクスは照れているのか、何を言っているのかわからなかった。
■特別な紅茶
ミリアは私の手を握り直し、心配そうに覗き込む。
「ニカ姉……ほんとに大丈夫?
なんか、さっきから顔色悪いよ……」
ルミエラが静かに立ち上がる。
「……少し、落ち着けるものを淹れますね」
「えっ、そんなのあるの!?」
ルミエラの急な提案に、ミリアがぱっと明るい表情で顔を上げる。
ルミエラは小さな銀色の缶を自分の荷物から取り出し、優しくそっと蓋を開けた。
「“綺晶樹の若葉”です。
内部の位相を整える力があります。
深層の揺らぎに触れた後は……こういうものが役に立ちます」
「すご……!そんなのあるんだ……!」
ミリアの目が興味津々にキラキラと輝く。
さっきまでの不安そうな表情からは、想像もできないくらいにキラキラした目で見つめるミリア。
アクスが紅茶の香りに、鼻をひくつかせる。
「なんやそれ……初めて聞いたばい」
しばらくして、湯気が立ちのぼり、ティーポットに注がれる。
ゆっくりとお湯を注がれたティーポットからは、淡い優しい香りが部屋に広がる。
ルミエラはティーポットからティーカップに紅茶を注ぎ、
一つずつ私たちの前に置いていく。
ミリアは自分のカップを受け取り、嬉しそうに笑った。
「美味しそうな香りだね、ニカ姉!
ルミエラさん、ありがとう!!」
私は熱を冷ますように、息を吹きかけゆっくりと一口。
口に含んだ優しい液体の温度が喉を通り、胸のざわつきを少しだけ和らげる。
「……美味しい」
私の言葉に、ミリアがぱぁっと笑顔になった。
「よかったぁ……!」
その言葉を聞いた私は、ルミエラもミリアも、何故かアクスの表情がすごく温かく感じた。
■突然の呼び出し
4人で、ルミエラの淹れた紅茶でホッと一息ついたその時だった。
コン、コン、コン。
静かだが、明らかに緊迫した“3回のノック”が響いた。
ミリアがびくっと肩を震わせ、私の腕にギュッとしがみつく。
「えっ……誰……?」
アクスが立ち上がり、低く構える。
「このノック……普通やなかぞ……
けど、乱暴でもなか……妙に張り詰めとる……」
ルミエラが扉の方へ視線を向ける。
私の胸の奥の脈動が、ノックに反応して僅かに跳ねる。
──……来て……
扉の向こうに、アクスが声をかける。
「どちらさんですか?」
少しの間を置いて、いつもの優しい感じではなく、
緊張を隠せない静かな声が返ってきた。
「……ネリアです。緊急事態を知らせる警報が、発報されました。」
扉を開けると、息を切らしたネリアお姉様が立っていた。
「境界の揺れが皆さんがいた時より、増大しています。
外側の影が、こちらに触れようとしています。
ここにいると危険です。もう一度、私の研究室へ戻ってください」
ネリアお姉様の緊迫した声に、胸の奥がズキンと脈動する。
──……こちらへ……
誰かから呼ばれているような感覚は、更に強くなっている。
私は息を整え、立ち上がった。
「……行こう」
■再度研究室へ
先ほど通った時には、静けさを感じたのに、今は空気がわずかに震えていた。
ミリアが私の手をギュッと握る。
「ニカ姉……ここ、なんか怖いよ……」
アクスは前を走りながら低く呟く。
「胸ん奥が、妙にざわつくばい……なんか、嫌な揺れや……」
ルミエラは私たちを保護する様な境界を張りながら言う。
「外側の干渉が強まっています。急ぎましょう」
ネリアお姉様は先頭で走りながら言った。
「研究室で観測した波形が乱れています。……間に合ってほしいのですが」
私の胸の奥の脈動が不意に強まる。
──……来て……
──……こちらへ……
その呼び声は、だんだんとはっきり、強く聞こえる。
否、心に響いてくる。
研究室の前につくと、
扉の隙間から白い光が漏れていた。
波形が乱れ、脈動し、まるで内側から押しているようだった。
ネリアお姉様が扉をゆっくりと押し開けた。
■研究室内部
研究室の内部では、白い波形が嵐のように揺れていた。
綺晶核が大きく波打ち、光が乱れ、影が混ざり込んでいる。
ミリアが震える声で言う。
「な、なにこれ……!」
ルミエラは境界を張り直し、光の揺れを抑えようとするが、
状況を上手く整理出来ていないのか、上手く境界を張り直せない。
アクスが私の前にしっかりと立つ。
「ニカ、俺の後ろにおれ。
なんかあったら……なんとしてでも、俺が止めるけん……!」
ネリアお姉様は波形を読み取りながら言った。
「……これは……"影"が、内部に触れようとしている……」
私の胸の奥が、その言葉に反応してドクンと強く脈動する。
──……ニカ……
──……こちらへ……
私は脈動する胸元を押さえた。違和感がどんどん増していく。
「っ……!」
その瞬間。
綺晶核の奥で──
黒い影の輪郭が、一瞬だけ揺れた。
やっとの思いで境界を張り直せたルミエラが息を呑む。
「……影の……輪郭……!」
アクスの野太い声が研究室を震わせる。
「なんやあれ……!」
ミリアは震えながらも私の手を離さない。
そんな中、ネリアお姉様の言葉はとても静かだった。
「……始まります」
その言葉に反応して、白い光が、パチンっと弾けた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
白の揺らぎが示した影は、
ニカたちにとって、そして物語にとっても大きな転機になりそうです。
次の一歩も、どうかあなたの心に届きますように。