■ 影の揺れ
影獣が、音もなく横へ滑るように動いた。
その瞬間、私の視界がふるりと揺れたのを感じた。
深層で見た“あの色”が、現実の景色に薄く重なっていく。
胸の奥にズキンと痛みが走る。
ミリアの抱えたワサミが、
私の胸の痛みに反応したのかピクリと震え、
ミリア自身も肩をすくめた。
ネリアお姉様が優しく息を呑み、私を気遣う。
「……今の揺れ、深層のものに似ていますね。
ニカさん、無理はしないでくださいね」
その言葉に私は、強気な笑顔で返す。
今までとは違う。ただ守られてる私じゃない。
だから、私は影獣の気配を追う。
影獣の動きが“線”として繋がっていく。
右側に揺れが収束していく。
右から来る。そこから。
そう感じた私の喉から自然と言葉が紡がれる。
「アクス、右から来とる!」
私の言葉を、アクスが振り返りもせず、得意満面に応じる。
「おうよ!右……行くばい!」
■ 熱の理
アクスの左手に熱い熱が迸る。
彼の皮膚の下で赤い光が強く脈打ち、
手に握ったトンファーへとドクンと流れ込んでいく。
金属が低く鳴り、空気が歪む。
影獣の突進とアクスの熱が激突する。
ドンッ!
激突した衝撃に遅れて音が響き、
衝撃で床材がひび割れ、破片が跳ねる。
熱で空気が揺らぎ、埃がふわりと舞った。
影獣の身体が弾き飛ぶ。
アクスが親指を立てる。
「どやっ!」
ドヤ顔で振り返るアクスに、
「まだ、終わっとらんっちゃ!」
私の声に、一瞬目を見開き周囲の気配を探るアクス。
■ 深層の残滓
影獣は倒れない。
否、倒れたのに、滅せない。
床に落ちた影が液体のように広がり──
別の場所から、ぬるりと立ち上がる。
ルミエラの手に持つ端末が赤く、
緊急事態を知らせる様に激しく明滅する。
「データ……壊れていく……! 深層の揺れが干渉してる……こんなの、記録できない……!」
リミラさんが静かに言う。
「……深層の残滓どすな。
影獣が、ニカはんの揺れに引かれとりますわ」
ネリアお姉様が私の体を支えるように、下から覗き込む。
「ニカさん……胸の痛み、強くありませんか?」
胸がまたズキンと痛んだ。
だけど、今までのただ護られてただけの私じゃない。
「大丈夫です……まだ……まだいけます!」
■ 上からの強襲
心配してくれるネリアお姉様と一緒に、影獣の気配に視線を向ける。
影獣は再び動きだす。
一瞬見失った。でも、今度は上からの気配を感じた。
視界が一瞬だけ深層の色に染まる。
影獣の軌跡が、空に線として浮かぶ。
「アクス!今度は上から来るばい!」
アクスが勢いよく地面を蹴る。
「任せんしゃい!!」
逆手に構えたトンファーを、
下から一気に突き上げた。
熱が柱のように走り、影獣の身体を弾き飛ばす。
踏み込んだ衝撃で床材の破片が跳ね、埃が舞う。
影獣は壁に叩きつけられ、黒い影が液体のように広がった。
■変質する影
影獣の身体が、
まるで“影の泥”のように溶けて崩れ始める。
腕が溶け、脚が伸び、背中から黒い棘が生え──
形が定まらないままに、ゆらゆらと揺れ続けていた。
ルミエラが端末を握りしめる。
「形が……安定してない……! 深層の揺れが混じってる……!」
リミラさんが静かに、目を細めて呟く。
「形が定まらん……深層の残滓が混じっとりますわ」
ミリアはワサミを抱きしめて震える。
「ニカ姉……無理せんで……」
ミリアの声に、
「大丈夫!」
短く力強く応える。
■ 深層の声
影獣の揺れが強まった瞬間、
視界が一気に暗転した。
深層の色。
深層の音。
深層の“あの影”。
──誰かの声が聞こえた気がした。
『……ニカ……』
「っ……!」
ネリアお姉様が抱きとめる。
「ニカさん……! 深層と現実の境界が薄くなっています……!」
■ 迫る影
影獣が、形を揺らしながら私の方へとその歯牙を向ける。
音もなく、ただ“揺れ”だけを残して迫ってくる。
ミリアが震える声で。
「ニカ姉……っ……」
アクスが前に飛び出す。
「ニカには触らせん!!」
■爆ぜる熱
アクスの両腕に熱が走る。
今までよりも強く、赤い閃光。
「ニカを泣かせるもんか……!」
アクスが地面を蹴る。
トンファーが赤く燃え、空気が爆ぜる。
影獣の突進とぶつかり──
ドガァッ!!
衝撃で壁が揺れ、破片が落ちる。
熱が渦を巻き、影獣の身体が大きく歪んだ。
■影の胎動
影獣は吹き飛ばされながらも、
形を崩し、また別の場所から立ち上がる。
まるで“倒されること”を前提にした存在。
ネリアお姉様が震える声で言う。
「……これは、倒すだけでは終わりません。深層の揺れが核になっています……」
リミラさんがネリアお姉様の言葉に続ける。
「揺れそのものを断たな……終わりませんわ」
影獣の揺れが強まるたび、胸が痛む。
「っ……はぁ……はぁ……!」
視界が揺れ、深層の影が重なる。
ネリアお姉様が私を優しく抱きとめる。
「ニカさん……! あなたの深層が、影獣に引かれています……!」
アクスが叫ぶ。
「ニカ!下がっちょけ!!」
影獣の身体が大きく揺れ、
深層の色が溢れ出す。
黒い棘が伸び、形が歪み、
目のない顔が私の方を向いた。
胸が激しく痛む。
「……っ……!」
影獣が異形へと変化し始める。
深層の色が、現実に滲み出す。
影獣の揺れは止まらず、深層の色だけが静かに脈打っていた。
私の胸の痛みも、まだ消えずに痛みはさらに増すばかり。
──けれど、これはまだ“始まり”にすぎなかった。
次の瞬間、世界はさらに揺れようとしていた。