どうもPMのKenです。最近、年金制度のモダナイゼーション案件の提案コンペに参加したことがあったため、その参加ログを共有します。
最初に言っておくと、これは普通の提案案件ではありませんでした。調査を進めると「そもそもこのシステム、なんで存在するんでしたっけ」というところから議論が始まり、最終的には「社会保障システム全体をリアーキテクチャする必要があるのでは」という結論に辿り着くことになりました。
スコープクリープどころか、スコープが宇宙規模に広がった提案参加ログです。
そして、この案件の結末を先に言っておきます。最終的に僕はコンペから撤退しました。 理由は最後に書いているので、ぜひ最後まで読み進めてみてください。
フェーズ0:既存システムの現状把握——仕様書を読み込む
どんな案件でも最初にやることは変わりません。既存システムの仕様書を読むことです。
今回のシステム名は「公的年金制度」。稼働開始は1942年(戦時体制下)、現行の主要仕様が確定したのは2004年の大規模改修時。エンドユーザーは日本国民全員、受益者は約4,000万人の年金受給者です。年間給付総額は約60兆円です。
まずコアアーキテクチャを理解します。
コアロジック:賦課方式
【基本設計:賦課方式(Pay-as-you-go)】
現役世代の保険料(労使合計 18.3%)
↓
プール(総原資)
↓
その年の受給者に給付
シンプルに見えますが、「人口が安定している」という前提に強く依存した設計です。人口が安定していれば賃金上昇がそのまま給付増につながるエレガントな仕組みですが、少子高齢化という環境変化に対してきわめて脆弱になります。
実際の数字を見ると深刻さがわかります:
| 年 | 現役/受給者比 |
|---|---|
| 1960年 | 約11対1 |
| 現在 | 約2.7対1 |
| 2050年推計 | 約2対1 |
60年で支え手が5分の1になりました。これはシステム前提の崩壊と呼んで差し支えないと思います。このシステムは前提が大きく崩れてしまい、崩壊に向かっていることが分かりました。
バッファコンポーネント:GPIF
ただ、運用改善が全く行われてこなかったわけではありません。このような大規模かつミッションクリティカルなシステムにおいても、パッチ的な改善対応は行われてきました。このアーキテクチャの弱点を補完するために設置されているのが**GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)**です。
【GPIFの役割】
人口ボーナス期(現役が多い時代)
→ 保険料収入の余剰を積立
↓
人口オーナス期(高齢化が深刻な時代)
→ 積立金を取り崩しながら給付を補完
→ 運用益で取り崩し速度を緩和
運用残高は約277兆円(2025年時点)。世界最大の年金運用ファンドで、国内外の株式・債券に分散投資しています。英米の類似制度と決定的に違うのは、株式等のリスク資産に積極投資している点です。英国のNIF(National Insurance Fund)や米国の信託基金は法律で国債のみへの投資に制限されており、GPIFは設計として一段上の洗練度を持っています。
自動調整モジュール:マクロ経済スライド
改善施策は他にもあります。2004年の改修で追加された最重要モジュールです。
スライド調整率 = 被保険者数の減少率(直近3年平均)
+ 平均余命の伸び率(固定値 0.3%)
年金改定率 = 名目賃金変動率 − スライド調整率
設計思想は「保険料率を固定したまま、人口動態の悪化を給付側で自動吸収する」というものです。賃金・物価が上がっても、その伸びを100%は年金に反映せず、少子高齢化の分だけ引いて給付水準をじわじわ下げていきます。
ただしこれには名目下限措置というバグがあります。 物価・賃金がマイナスや低成長の年はスライドが発動できず、調整が翌年以降に繰り越される。結果として「デフレ期は機能しない、インフレ期に一気に調整」というタイムラグ設計になっています。
稼働実績はさらに問題です。2004年の導入から2025年までの発動回数はわずか6回。20年で6回しか動いていない自動調整モジュールなのです。しかも基礎年金(1階)は2057年まで調整継続が見込まれているのに、厚生年金の報酬比例部分(2階)はすでに調整終了。最も守るべき低所得者層が依存する1階が一番長く削られ続けるという、設計上の逆転現象が起きています。
仕様書読み込みの所感
既存システムの仕様書を読んだ段階での所感を正直に言います。
基本設計は悪くないのですが、問題は「二つの数学的に両立しない約束を同時にしている」ことです。
- 約束①:保険料率を18.3%に固定する(現役世代の負担を増やさない)
- 約束②:所得代替率50%以上を法律で保証する(受給者の給付水準を守る)
少子高齢化が進む中でこの二つは同時に成立しません。マクロ経済スライドは「②をじわじわ削りながら①を守る」という、この矛盾を先送りするための装置に過ぎません。
コアの設計思想は正しいですが、政治的なコミットメントを後付けで詰め込んだ結果、仕様が内部矛盾を抱えている——これが既存システムの本質的な問題です。
フェーズ0.5:コンペ参加ベンダーの提案を確認する
既存システムの仕様を把握したところで、今回のモダナイゼーションコンペに参加している各ベンダーの提案を確認しました。
念のため確認しておきますが、この段階ではモダナイゼーションのアプローチはまだ確定していません。 リプラットフォームなのか、リファクタリングなのか、フルリビルドなのか——そこも含めて各ベンダーが提案してくるコンペです。RFPの時点でアプローチを縛ってしまうと、最適解を見逃すリスクがあります。
各ベンダーはそれぞれが「自分たちのアプローチで年金制度をモダナイズする」という提案書を持ってコンペに参加しています。
なお現在の政治状況を補足しておくと、かつての自公政権は終わり、直近の衆院選では中道改革連合が野党の中軸を担っていました。コンペのステークホルダー構造も、変わってきていますね。
ベンダーA:維新(フルリビルド案)
最も攻撃的な提案です。モダナイゼーションのアプローチとして「フルリビルド」を選択しており、「賦課方式から積立方式に全面移行」というもので、ざっくり言うと「現行システムを全部捨てて作り直せ」に近い。具体的には最低保障年金の構築、英国モデルへの一本化、社会保障国民会議の設置を提案しています。
設計思考として悪くない部分はあります。しかし提案書を読んで最初に気になったのは移行設計の欠如です。
積立方式への移行コストをざっくり試算すると賦課方式の潜在債務は600兆円規模。維新は旧国鉄民営化の清算事業団方式(当時の債務:約25兆円)の応用を主張しているが、桁が2つ違います。しかもこれは本番稼働中のシステムを止めずに全部作り直せというリクエストです。
エンジニアリングで言えば「ブルーグリーンデプロイメントもカナリーリリースも考えずに、いきなり本番を切り替えます」という提案です。要件定義の精緻さとは裏腹に、最も重要なフェーズである移行設計が白紙のままで、制度移行を行うのは現実的ではないと思いました。
ベンダーB:立憲民主党(漸進的リファクタリング案)
アプローチとして「小さなリファクタリングを積み重ねる」路線を選択しています。2025年の通常国会で基礎年金底上げの修正案を与党に飲ませた実績があります。「実際に動かした」という意味では唯一の稼働実績持ちベンダーです。
ただしこちらも問題があります。底上げのための財源設計と長期的な持続可能性の説明が曖昧なまま「もらえる年金を増やせ」という方向に動きました。本番システムに場当たり的なパッチを当てて、技術的負債をさらに積み上げたという見方ができます。既存の矛盾を解消するのではなく、その上にもう一層矛盾を追加した形です。年金受益者層の得票を狙った提案であることがわかります。
ベンダーC:国民民主党(手取り改善・現行安定運用案)
「手取りを増やす」を軸に社会保険料の負担軽減を訴える路線です。年金制度そのものの抜本改革よりも、現役世代の可処分所得を増やすことを優先しています。
エンジニアリングで言えば「年金システムに限らずにシステムを作り直すより、まずはシステム運用やシステム移行を行うチーム体制の見直しと改善」という判断です。長期的に見て正しい視点ですが、根本的なアーキテクチャ負債には手をつけていません。しかしながら、他ベンダーとは異なるアプローチの面白い提案であると思いました。
ベンダーD:参政党(国益優先・給付水準維持案)
少子化対策と食料・エネルギー安全保障を重視しつつ、年金制度は現行水準を維持する方向性です。制度改革よりも「日本人が安心して子を産み育てられる社会をつくる」ことで支え手を増やすというアプローチをとっています。
これも国民民主の案に近く、長期的には正しい方向性です。ただし提案事自体の具体性が低く、「支え手が増えるまでの数十年をどう乗り切るか」のブリッジ設計がありません。少子化対策の効果が出るのは20〜30年後であり、今のシステムは今すぐ対処が必要な問題を抱えています。
ベンダーE:チームみらい(DX・合理化案)
デジタル化と行政の合理化を起点に、制度の効率化を図るアプローチです。データドリブンな政策立案、マイナンバー活用による給付の自動化、縦割り行政の統合などを提案しています。
このコンペの中では最も「エンジニアリング思考」に近い提案で、問題意識は共有できる部分が多いです。ただし制度設計の変更より実装の最適化に寄っており、根本的なアーキテクチャ問題(賦課方式の矛盾・サイロ構造)への処方箋が薄いです。ベンチャーなので、今後に期待ですね。
ベンダーF:共産・れいわ(機能削除案)
アプローチとしては「問題のある機能を削除して給付を増やす」という方向性です。マクロ経済スライド即時廃止・給付増という提案で、財政的にどう賄うかの説明が不十分です。そもそもの設計方向と逆行して日本の二階建て年金を一階建てのフラットレート(New State Pension)に統合したもので、維新が「これをやれ」と言っていたやつです。
ただし、英国は積立方式に移行したわけではありません。賦課方式のまま、構造をシンプル化しました。維新の「英国モデル参照」は「一本化の部分」だけを参照していて、「積立方式への転換」は英国もやっていません。
英国が採用している物価連動の仕組みがトリプルロック——①物価上昇率、②賃金上昇率、③2.5%のうち最大値で毎年引き上げ——というものです。
これ、設計として一見いい感じに見えます。受給者がインフレで生活水準が下がらないように守るためのロジックです。
でも実際に動かしてみると、「良い機能」が「財政を食いつぶすバグ」になっていました。
IFS(英国財政研究所)の試算だと、2070年代までにトリプルロックにより年金支出が現在の価値ベースで約8,000億ポンド増加する見通し。「賃金も物価もどちらか高い方に合わせる」という設計が、経済が不安定になるほど青天井にコストが膨らむ構造になっていました。
PMとして学んだこと:「どちらか良い方の条件を採用」という仕様は、長期運用で必ずコスト爆発を起こすということが再確認できました。
また、ここで米国の年金システムについても深堀しておきましょう。米国のSocial SecurityはシンプルなPay-as-you-goで、財源は労使各6.2%の給与税。報酬比例型の給付設計です。
最大の問題は2033年の信託基金枯渇問題です。その時点で給付が予定額の77%のみになります——つまり議会が何もしなければ自動的に23%カットが発動します。
最後の大規模改修が1983年(レーガン政権)。以降40年間、「増税か給付削減か」という政治的に痛い修正を誰もやりたくなくて、ずっとそのまま動かしてきました。
これ、エンジニアとして見ると完全に「40年分の技術的負債を放置して本番稼働し続けているシステム」です。
「いつかやらないといけないのはわかってる。でも今期のスプリントには入れたくない」を40年続けた結果、2033年という強制デプロイデッドラインが迫ってきています。
日英米を並べると、一つのパターンが見えてきます。
全部賦課方式です。維新が「積立方式に転換すべき」と言っていますが、主要国でその転換を実施した事例はありません。
そして三か国に共通するのが「少子高齢化に対して、民主主義の選挙サイクルが機能不全を起こしています」という問題。正しい修正を加えると選挙に負ける。だから誰もやりません。これはシステムの問題ではなく、意思決定プロセスの設計バグです。
ここまでは各ベンダーの提案内容と日米英のシステム比較を行ってきました。ここからはさらにこの年金システムにおける3国比較をして、提案の精度を高めていきましょう。
フェーズ2:依存コンポーネントの調査——NIF・Trust Funds・GPIFの違い
英米日の「年金の準備金的なもの」を比較すると、設計思想の違いが如実に出ていました。
| コンポーネント | 🇬🇧 英国 NIF | 🇺🇸 米国 Trust Funds | 🇯🇵 GPIF |
|---|---|---|---|
| 残高規模 | 約15兆円 | 約400兆円 | 約277兆円 |
| 運用 | 政府コール預金のみ | 特別国債のみ(法律で株式禁止) | 国内外株式・債券・オルタナ等 |
| 設計思想 | 当座の支払いバッファ | 当座の支払いバッファ | 積立金の戦略的運用 |
英国NIFと米国Trust Fundsは「キャッシュフロー管理のための一時的バッファ」で、GPIFは「将来の給付不足を補うための長期運用ファンド」です。別物です。
米国が法律で株式投資を禁じている理由が面白く、「政府が民間企業の株主になることへの哲学的忌避」だそうで、設計上のトレードオフではなくイデオロギー的な制約のようです。
この設計差が現在の問題の深刻度の差を生んでいるように思います。日本はGPIFの運用収益で時間を稼げるが、米国は2033年に純粋な「増税か給付削減か」の二択を強制されるという構造になっています。
日本のGPIF設計は、世界的に見ても「賦課方式の時間的平準化装置」として非常によく考えられています。
フェーズ3:コアロジックの解剖——マクロ経済スライドの設計思想
現行システムの最重要ロジックがここです。ここもさらに深堀をしてみましょう。
マクロ経済スライドは2004年の改修で追加された自動調整モジュールで計算式は以下のようになっています:
スライド調整率 = 被保険者数の減少率(直近3年平均)
+ 平均余命の伸び率(固定値 0.3%)
年金改定率 = 名目賃金変動率 − スライド調整率
2025年度の実例:賃金+2.3%、調整▲0.4%、年金改定率+1.9%。賃金より0.4%分、毎年実質的に給付を削っていく仕組みです。
設計思想としては「賃金・物価が上がっても、人口動態の悪化分だけ給付の伸びを抑える」というもので、現役世代の保険料負担を固定したまま、少子高齢化に自動対応するための装置として理にかなっています。
ところが前述のとおり、実際の稼働実績を見ると、2004年の導入から2025年までの発動回数はわずか6回(2015・2019・2020・2023・2024・2025年度)。
名目下限措置というバグが存在します。 デフレや低成長で「調整すると名目額がマイナスになる」場合、発動がスキップされます。そのかわり「キャリーオーバー(繰越)」として積み上がっていきます。
つまり「デフレ期は機能しない、インフレ期に一気に調整する」という、タイムラグありの後処理型設計になっています。
さらに深い問題があります。基礎年金(1階)と厚生年金の報酬比例部分(2階)で調整終了時期が全然違います。
- 報酬比例部分:2025年度以降すでに調整不要
- 基礎年金:2037年〜2057年まで調整継続
1階だけが30年以上調整され続けることになります。1階は全国民が受け取る定額給付で、低所得者ほど依存度が高い部分です。設計として一番守るべきコンポーネントが一番削られ続けるという逆転現象が起きています。
フェーズ4:ユーザー調査——ねんきん定期便の「前提仕様」を読む
私(30歳)もシステムユーザーなので、私の自宅に届いたねんきん定期便を「仕様書」として読んでみました。
結論から言うと、この仕様書には重大な前提条件が小さな文字で書いてあります。
| 定期便の暗黙的前提 | 現実 |
|---|---|
| 現在の収入が60歳まで変わらない | 昇給・転職・キャリアアップが未反映 |
| 現在の給付水準で固定 | マクロ経済スライドが一切織り込まれていない |
| 65歳から受給開始 | 受給開始年齢引き上げリスクが無視されている |
| 現在の制度設計が変わらない | 制度変更リスクゼロと仮定 |
一番致命的なのが**「マクロ経済スライドが完全に無視されている」**点です。
30歳が65歳になるまで約35年。毎年0.4%の調整が継続すると仮定すると、基礎年金部分は概算で約13%目減りします(0.996の35乗≒0.869)。
定期便に書いてある数字は**「今のペースで積み上がれば最低これくらい」というアンカー値**であって、実際の受取額の予測ではありません。
これ、普通のシステム開発で言うと「ユーザーに見せているダッシュボードの数値が、最も重要なパラメータを除外して計算されている」状態です。設計としておかしいと感じます。
ただ、この年金定期便自体は中小企業の厚生年金支払いの踏み倒しの対策として作られたものでもあるため、正確な受給額予測のダッシュボード機能には最初から重きをおいていなかったという点は、譲歩の余地があります。
フェーズ5:ゴール定義——そもそもこのシステムは何のために存在するのか
要件定義で最初にやるべき「ゴール定義」を、なぜかこのタイミングまでやっていありませんでした。
世界最初の年金制度を設計したのは1889年のビスマルクです。
表向きの目的:高齢労働者の生活保障。実際の目的:社会主義運動の鎮圧。
受給開始年齢70歳、当時の平均寿命約45歳——ほとんどの人が受給できない設計で、「保障している」という政治的効果だけを最大化したシステムです。フィーチャーリクエストに見せかけたプロパガンダツールだったわけです。
日本でも似たような話があって、1942年に戦費調達目的で導入され(保険料を軍需資金に転用)、1973年に「福祉元年」という名目で政治的人気取りのために給付を大幅拡充しています。
機能を整理すると、年金は実は複数の異なる目的を一つのシステムに詰め込んでいることがわかります。
- 老後の所得保障 — 公的制度の最大の正当化根拠
- 強制貯蓄 — 「現在バイアス」対策(人間は将来より今を優先しすぎる)
- 世代間リスクシェアリング — 賦課方式の本質的な機能
- 所得再分配 — 高所得から低所得への移転
- 社会的安定装置 — ①③の副産物
ここで重要な発見がありました。④の所得再分配は税制で代替可能なはずです。
なぜこれが年金に内包されているかというと、歴史的経緯で「後から混入」されてきた機能だからです。基礎年金(1階)は①と④が混在していて、これが第3号被保険者問題(専業主婦が保険料ゼロで基礎年金を受給)などの複雑さの根源になっています。
要件定義の前に「この機能は本当にこのシステムの責務か」を問い直す必要がありました。
フェーズ6:新アーキテクチャの要件定義——「プール分配+GPIF長寿給付」モデル
ここまでの調査を踏まえて、新しい設計の基本方針を固めました。
基本アーキテクチャ
【プール分配モジュール(固定受給期間)】
現役世代の保険料(固定率)
↓
プール(総原資)
↓ ÷ 受給者数
受給者が等分に自動分配
[受給期間:固定年数 or 固定終了年齢]
+
【GPIF長寿給付モジュール(延長保証)】
GPIF運用益
↓
固定期間を超えた長寿者への余剰分配
確定要件
R-01: 保険料率は法定上限で固定。財政悪化時に引き上げない。
R-02: 給付額は「原資 ÷ 受給者数」で自動計算。ロジックを法律で固定し政治介入を排除。
R-03: 所得代替率の法定下限を廃止。「いくらもらえるか」より「持続可能か」を優先。
R-04: マクロ経済スライドは廃止。プール分配が自動調整を内包するため不要。
Open Issues(議論が必要な未決定事項)
| Issue | 問い | 優先度 |
|---|---|---|
| #001 受給期間の固定方式 | 固定年数方式か固定終了年齢方式か | 🔴 Critical |
| #002 受給開始年齢 | 標準何歳か、繰り上げ・繰り下げの自由度は | 🔴 Critical |
| #003 長寿給付の性格定義 | 「生活保障」か「ボーナス」かで設計が変わる | 🔴 Critical |
| #004 死亡残余の扱い | プール返還か遺族給付か | 🟡 High |
| #005 第3号被保険者の廃止 | 廃止か税方式補完か | 🟡 High |
| #006 移行期設計 | 現行受給者をどう扱うか | 🟢 Medium |
参考実装:スウェーデンNDC
「現役世代の保険料を固定して、原資を受給世代で分け合う」に最も近い実装がスウェーデンのNDC(名目確定拠出方式)です。
個人ごとに仮想口座を持ち、経済成長率・人口動態に応じて残高を自動増減、受給時に「残高 ÷ 平均余命」で給付額を自動計算します。現役世代の負担率は固定で、給付水準は完全に変動します。
これ、まさに「人口変動を給付側で自動吸収する」設計です。透明性が高く、政治介入の余地が構造的に少ないです。
日本がこの方向に踏み込まなかった理由は「受給額が事前に見えない年金に誰が加入するか」という政治的リスク回避だったとされています。仕様を正直にすると採用されないという、あるあるの問題ですね。
フェーズ7:スコープの見直し——「このシステム、本当に必要ですか?」
このタイミングでクライアントから本質的な問いが来ました。
「そもそも年金制度いらなくないですか。縮小させていけばよいのでは。」
エンジニアとして正直な感想:これ、正しい問いだと思いました。
廃止論の根拠を整理するとこうなります。
- NISA・iDeCoの整備により、老後所得保障の私的手段が充実した
- 再分配機能は税制で代替可能
- 賦課方式は人口動態に脆弱で、制度があるから「給付を守れ」という政治ゲームが発生する
- 制度がなければそのゲーム自体がなくなる
ただし完全廃止が難しい理由があります。
①低所得層問題:金融リテラシーと投資余力は所得に強く相関する。廃止した場合、低所得層の老後貧困が生活保護に全面転嫁され、財政的に純減にならない可能性があります。
②長寿リスクの本質問題:「何歳まで生きるかわからない」という不確実性は個人で管理できません。民間保険では逆選択問題(健康な人だけ加入する)により持続可能な価格設定が困難です。
廃止よりも論理的に強い立場は**「縮小・純化」**です。
Phase 1(〜10年): 制度の純化
- 再分配機能を税・生活保護に完全分離
- 第3号被保険者廃止
- 給付下限保証の撤廃
Phase 2(〜20年): 強制加入範囲の縮小
- 一定所得以上は任意加入へ
- 厚生年金2階の私的移行促進
Phase 3(〜40年): 最終形
- 公的年金は「長寿リスクの最低保障」のみに純化
- GPIFの運用益で賄う最小限の制度
今回設計した「プール+GPIF長寿給付」モデルは、この縮小路線の到達点の姿だったとも言えます。
フェーズ8:スコープが宇宙に拡大——社会保障システム全体のサイロ問題
ただこの制度においても、各ベンダーの提示した案と比べて凄く優れているか、と言われればそうは思えません。
そこで気づきましたが、少し頭を切り替えて社会保障制度として考えるのならば**年金制度だけを見ていてもよいのか、**という問いを立ててみることにしました。
日本の社会保障は歴史的経緯で積み上げられた結果、完全にサイロ化しています。
【現状のサイロ構造】
収入側 給付側
────────────────────────────────────────────
所得税システム → 一般財源(何にでも使える)
消費税システム → 社会保障費(名目上)
厚生年金保険料システム → 老齢・障害・遺族年金
国民年金保険料システム → 基礎年金
健康保険料システム → 医療給付
介護保険料システム → 介護サービス
雇用保険料システム → 失業給付・育児休業給付
↓
生活保護(全部が機能しなかった人の最後の網)
各サイロの問題点:
- 徴収主体がバラバラ(国・都道府県・市区町村・健康保険組合・年金機構)
- 申請要件がそれぞれ異なる(制度ごとに資格確認が必要)
- 「壁」が複数存在し就労抑制を生む(106万円・130万円・150万円etc)
- 行政コストの重複が膨大(同じ人の情報を複数の機関が別々に管理)
これってシステムアーキテクチャで言うと、マイクロサービスの乱立で全体設計がなく、サービス間の依存関係が複雑に絡み合い、誰も全体の仕様を把握していない状態です。
なぜこうなったかといえば、**「ある時点での政治的要請に応えて、制度を後から追加してきた結果」**です。継ぎはぎで作られてきたシステムなので、全体設計をしたエンジニアが最初からいなかったわけです。
統合設計の理論的理想形
議論が発散してしまい、どんどんと答えから遠のいているように思いますが、ここで過去の賢人の知恵をかりましょう。
フリードマン(1962年)が提案した負の所得税は、この問題へのエレガントな解です。
収入 > 閾値 → 通常通り所得税を払う
収入 < 閾値 → 逆に政府から給付を受ける
この一本の仕組みで、年金・生活保護・失業給付・育児支援を全部代替できます。これを極限まで推し進めるとベーシックインカムになります。
ミレイは診断が正しかったが実装が粗かった
また、最近話題となったアルゼンチンのミレイ大統領が「チェーンソー」で切ろうとしたのも、このサイロ解体です。複数省庁の統廃合、補助金・給付の整理統合、徴収・給付の一元化——方向性は正しいです。
ただし:
✅ 診断:正しい(サイロが非効率)
✅ 方向性:正しい(統合・簡素化)
❌ 移行設計:なし(いきなりチェーンソー)
❌ 激変緩和:なし(既存受給者への配慮ゼロ)
❌ 合意形成:なし(ステークホルダーを無視)
「設計思想は正しいが、エンジニアリングとしての実装や移行設計、運用想定が粗い」——これ、レビューで返すやつです。アルゼンチン人の感覚だからできたことで日本では到底考えられません。
フェーズ9:最終報告——日本の行政DXに本当に必要なもの
このプロジェクトを通じて、一つの確信に至りました。
日本の行政DXが失敗し続ける本質的理由は、「技術者の質」や「議論の質」ではありません。
【現状の誤った処方箋】
「ITシステムを入れれば解決する」
「デジタル庁を作れば解決する」
「優秀なエンジニアを採用すれば解決する」
↓
複雑な制度をそのままデジタル化
= 「複雑なサイロのデジタル版」が完成するだけ
【正しい処方箋】
制度をシンプルにする → その後デジタル化する
マイナンバーがその典型例です。番号は作りました。でも番号を使う「制度側」が複雑なままなので、「複雑な制度に番号が紐づいた」だけになっています。
複雑なアーキテクチャをそのままKubernetesに載せても、複雑なアーキテクチャが高速で動くだけです。
本当に必要な人材:「制度アーキテクト」
【必要なスキルセット】
Technical:
- 制度設計(法律・行政・財政の横断理解)
- システム思考(サイロ間の依存関係の把握)
- 数理モデリング(改革の定量的インパクト試算)
- 法律・憲法のリファクタリング(既存法の
矛盾・重複の特定と再設計)
Non-Technical:
- 利害関係者の長期損得を計算して提示できる
- 短期の痛みを引き受けさせる政治的説得力
- 移行期の補償スキームの設計
最も希少なスキル:
- 全体最適と個別最適の乖離を特定し、
「全員が長期的に得をする再設計」を提示できること
ステークホルダーが合意できない本当の理由
各利害関係者(医師会・労組・省庁・族議員)が統合に反対する理由は「損をする」からではありません。**「損が先に来て、得が後に来る」**からです。
統合改革のタイムライン
短期(0〜5年):移行コスト・既得権喪失 ← ここが痛い
中期(5〜15年):効率化・行政コスト削減
長期(15年〜):経済成長・財政健全化 ← ここが得
現役世代の政治家・官僚・業界リーダーの在職期間は「短期」と重なります。長期の果実は後任者が享受します。
これは個人の合理性と社会の合理性が構造的にずれている問題です。通常の説得では解決しません。必要なのは:
- 損失の可視化 — 「サイロを守ることで国家が毎年いくら失っているか」をGDP影響として数値化する
- インセンティブ構造の変更 — 制度統合の実績で評価される報酬設計にする
- 憲法・法律レベルの制約除去 — 立法作業を通じてサイロを解体する
まとめ:問い設定のリファクタリング
プロジェクトの全体像を振り返るとこうなります。
年金制度モダナイゼーションコンペの参加依頼
↓ フェーズ0:仕様書読み込み
賦課方式の設計 × GPIFのバッファ構造
× マクロ経済スライドの内部矛盾を把握
↓ フェーズ0.5:ベンダー提案確認
全ベンダーの移行設計が不十分と判明
全ベンダーが本番環境でしかテストしない問題
↓ フェーズ1:海外事例調査
英米も同じ賦課方式・積立方式転換実績なし
↓ フェーズ2-3:依存コンポーネント深掘り
NIF/Trust Fundsとの設計思想の差を把握
↓ フェーズ4:ユーザー調査
ねんきん定期便の前提が楽観的すぎると判明
↓ フェーズ5:ゴール定義の遡及
そもそもこの制度の目的が複数機能の混在と判明
↓ フェーズ6:代替アーキテクチャ設計
プール分配 + GPIF長寿給付モデルを試設計
↓ フェーズ7:スコープ問い直し
「年金制度ではなく社会保障全体が問題」と気づく
↓ フェーズ8-9:スコープが宇宙規模に拡大
社会保障サイロの統合設計が本質的問題と確信
↓ 最終判断
国PM、コンペから撤退
「年金モダナイゼーション」という問い設定自体が間違いで、「社会保障システムの統合設計」が正しい問いでした。しかしその問いに答える胆力が、今の自分にはありませんでした。
これが今回のプロジェクトから学んだことです。
結論:このコンペから撤退します
ここまで丁寧に調査・分析を進めてきましたが、最終的に僕はこのコンペから撤退することにしました。
理由を正直に書きます。
理由①:本番環境しか存在しない
フェーズ0.5のベンダー評価の最後で触れた通り、全ベンダーに共通する致命的な欠陥があります。このシステムには本番環境しかありません。
ステージングがありません。カナリーリリースができません。ロールバック設計がありません。受益者4,000万人が現在進行形で依存しているシステムを、止めずに、しかも受益者が損をしない形で移行することを求められます。
エンジニアとして言います。これは相当しんどい。
GPIFというバッファがあるとはいえ、「現在受給中の人の給付が途中で変わる」「これまで払ってきた保険料との整合性が取れない」という問題を全部クリアしながら新設計に移行するのは、技術的難易度が宇宙規模です。
理由②:サイロ化されたシステムが深すぎる
フェーズ8・9で詳しく見ましたが、年金制度は単独で存在していません。健康保険・介護保険・雇用保険・生活保護・税制——全部が複雑に絡み合っています。年金だけ触ると必ずどこかで影響が出ます。
しかも各サイロには守護する省庁・族議員・業界団体がいて、それぞれが自分のサイロを守るために活発に動いています。社内政治が非常に活発な案件です。
技術的な難しさだけならまだいいのですが、ステークホルダーが多すぎて、全員を説得しながら正しい設計をするのは、PMとしてのリソースを超えています。
理由③:個人的なトラウマ
実は個人的に、似た構造の案件で非常に苦労した経験があります。メインフレームのモダナイゼーション案件です。
長年稼働し続けてきた巨大システムを、受益者への影響を最小化しながら、止めずに、新しいアーキテクチャに移行する——あの案件で学んだことは一つです。
「動いているシステムへの敬意を忘れるな」
動いている、ということは、誰かの生活が依存しているということです。年金制度の場合、その「誰か」が4,000万人います。コードのリファクタリングと違って、失敗してもロールバックできません。
最終判断
撤退します!!!
触らぬ神に祟りなし。
このプロジェクトは、正しい設計思想を持ち、政治的な調整力を持ち、かつ国家規模のリスクを引き受ける覚悟がある人間が担うべき案件です。残念ながら今の自分にその覚悟はありません。
コンペの結果がどうなるかは引き続き注視していますが、個人的には大阪都構想(おまけ参照)が実現して、まず「検証環境」が生まれることを期待しています。検証環境さえできれば、次のコンペでは参加を検討できるかもしれません。
今回のプロジェクトから学んだ最大の教訓:要件定義の前に「このシステムは触れるか」を判断することも、PMの重要な仕事です。
撤退報告以上です。また別の案件でお会いしましょう。
おまけ:サブリージョンでのリプラットフォームという選択
ここまで考えてくると、この国家制度のモダナイゼーションが相当な難易度であることがわかります。そしてコンペの段階でアプローチが未確定なのも、当然と言えば当然です。何せ選択肢の中に「フルリビルド」があり、移行設計が誰も書けていない状況なのですから。
その文脈で一つ、面白い選択肢として「リプラットフォーム」を検討してみたいと思います。その前に、もう一つの致命的な欠陥を先に指摘する必要があります。国家制度には本番環境しかないのです。
個別のサイロ化されたシステムは地域ごとに多少の違いがあるとしても、年金制度・消費税制・社会保障制度のような大規模な制度には、原則として本番環境しか存在しない。ステージング環境がない。カナリーリリースもできない。A/Bテストもできない。
フェーズ0で「全政党に共通する欠陥がある」と書いたのはこれです。誰も検証環境の設計について話していないのです。
ここで一つ、検討できる策が大阪都構想です。
大阪リージョン:国家制度のステージング環境
大阪都構想の本質を制度アーキテクチャとして読み直すと、こういう設計になります。
【現状】
東京リージョン(本番)
├── 年金制度
├── 社会保障
├── 税制
└── 行政サービス
↓
本番環境のみ。変更は全国即時適用。
ロールバック不可。
【大阪都構想後】
東京リージョン(本番)
└── 既存の国家制度を継続稼働
大阪リージョン(サブリージョン)
└── 別の制度設計を並行稼働
→ 結果を比較・検証
→ 良い方をスケールアウト
念のため言っておくと、「大阪を検証環境にしよう」という意図ではありません。SREの文脈で言えば、信頼性と開発速度はトレードオフです。大阪リージョンが「モダナイゼーションの検証環境」として機能するなら、それは同時に「リスクを集中的に引き受けるリージョン」でもある。そのリスクテイクが住民にとって許容できるかは、住民との相談になります。
ただし、検証しながら調整できる環境を持つこと自体の価値は非常に高い。
日本は国家制度が冗長化されていない
現状を整理するとこうなります。
システム設計の観点から見た日本の問題点:
❌ 単一リージョン構成(東京集中)
❌ 本番環境のみ(ステージングなし)
❌ ロールバック設計なし
❌ 障害時のフェイルオーバーなし
❌ 制度変更のカナリーリリースなし
SRE的に言えば、SLAを定義できないシステムを本番稼働させている状態です。
まず国家制度というシステム設計を東京と大阪で冗長化し、各リージョンでそれぞれ制度の検証を行うことで、最適な制度設計を目指していく——このスタンスが重要だと思います。
維新への評価を改める
フェーズ0で「維新の積立方式移行は移行設計がありません」と批判しました。それ自体は変わりません。
しかし都構想の実現については、自分は支持したいと思います。
都構想が前提として整備された上で、「大阪リージョンでは移行設計を考慮しない制度改革にチャレンジする」という姿を見てみたい気持ちは正直あります。失敗したらロールバックする。成功したら東京リージョンにも適用する。そのプロセス自体が日本の制度設計にとって貴重なデータになるはずです。
リスクを取ることが難しいつまらない社会にならないために——国家制度の冗長化は、今後の日本に必須の設計要件だと思います。
維新に対する本当の批判は「積立方式への移行設計がない」ではなく、「その移行を試す検証環境の設計がない」であるべきだったかもしれません。
各国の制度データは2026年4月時点のものです。政党名・政策内容は同時点のものに基づいており、今後の政治状況により変動する可能性があります。