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論文を書く上での規則

Last updated at Posted at 2019-01-30

スライドの作り方 → イショティハドゥス的スライドの作り方

やりがちだけど、やらないべきだよねって思っていること。
論文を書く上でどちらにするか迷うところ。

この記事さえ読めば体裁はまずまともになると思います。

日本語・英語両方について書きます。英語は適当なので雰囲気だと思ってください。

ここで出している例はほとんどすべて実在する論文から引用しています。
面倒くさいので引用元は書いてありませんが、Google Scholar などで検索すればすぐ出てくると思います。

Disclaimer

あくまで僕の考えなので、参考にするかしないかはおまかせします。

おすすめの文献

科学英文のチェックマニュアル

英語論文におけるポイントはかなりまとまっている上、かなり信頼できます。
英語論文を読む前に一通り目を通しておくとよさそうです。
日本語論文を書く上でも参考にになる場所があります。

科学論文に役立つ英語

接続詞の例や文法の注意点としては結構使えます。
例文は若干宗教的に微妙な場所があるかも。

論文の書き方:特に気象学の論文について

気象学に関係なく参考になります。用例も多くて便利です。

用字用語の選び方と用例

漢字・仮名書き、送り仮名、外来語の表記など、表記揺れしやすい言葉の用例が解説されています。
全部読むと長いですし、別にこれに完全に従う必要はありませんが、1 つの参考になります。

論文の書き方/発表の仕方

東大の計数工学科に伝わる嵯峨山先生のスライドです。
これは公開されていないのでアレですが、参考になる部分もあるので書いておきます。

嵯峨山先生の宗教色が若干強いです。
卒論向けに書かれていますが、これをすべて成し遂げる卒論を執筆・発表するのは難しい気がします。

個人的にはどうかなってことも書かれているのですが、この記事を書くために参考にしたので謝辞として書きました。

大原則: 読者の思考時間を無駄に奪わない

この記事は、およそこの一言で言い尽くすことができます。
あなたの論文を読む人はあなたではありません。誰が読んでも読みやすい、サッと読める論文を書くべきです。

たとえば、図のキャプションを文章で書くことで、本文を読んで理解するための時間が減ります。
数式の変数の説明をちゃんとすることで、この変数はなんの意味だろうと考える時間が減ります。
アブストラクトをちゃんと書くことで、論文を詳しく読む時間が減ります。
文を長々と書かず、サクサク短い文を並べたほうが、文の文法構造を考える時間が減ります。

この記事は、この大原則を満たしやすくなるようなルールをまとめたつもりです。

回りくどい表現・曖昧な表現・多義性のある表現をしない

各文の曖昧性が最小に、可読性が最大になるような表現を選んでください
文章全体を読んだ人には伝わる、はダメです。論文を読む人は忙しいです。精読している暇はありません。斜め読みされることを考慮して書くべきです。
不必要な思考を避けるため、とにかく曖昧性を避け、絶対に読み違えない、はっきり明白で簡潔な表現を用いるべきです。

「これは」ではなく「この手法は」と書いたほうが回りくどくありません。
関係代名詞の that を書けば、関係代名詞かどうかを迷いません。
「など」とか「近年」とか書かなければ、「などってなんだよ」とか「近年っていつだよ」とか考えなくて済みます。
「It is 〜」から始まる文を避ければ「it ってなんだよ」と思う瞬間を作らなくて済みます。
受動態などの凝った文法構造がなければ、文法構造を読み解く労力がかかりません。

こなれた表現を使う必要はありません。倒置法や強調構文を使う俺カッコイイなどという概念は学術論文にはありません。日常会話と学術論文は違います。

議論・論理展開に必要のないことは書かない

引用の著者名を書かない、一人称を書かないなど。
それって論文の本筋とは関係ないよね? という表現は積極的に避けるべきです。
必要のない表現があると単純に読みにくいです。

とにかく文字数を減らすことを意識すると、個人的には簡潔で読みやすくなるんじゃないかな、と思います。

一貫する・統一する

一貫していない表現は、可読性が下がります。

引用の番号を名詞として使うか注釈として使うかを統一する。
オクスフォードカンマを入れるか入れないかを明確に決める。
略称を定義したらその後は必ず略称を使う。
参考文献リストの書き方を統一する。

表現・用法を間違えない

文法や単語の用法が間違っていると、論文を読む人はしんどいです。
自信のない表現は、日本語英語によらず、辞書や用例を調べて使いましょう。

読者のやる気を削がない

原則とは少しそれますが、これも大事です。

「〜じゃん」とか「〜だし、」とかいう表現を見たら、なんとなく論文を読みたくなくなると思います。
論文に口語表現を書くということは、読者のやる気を削ぐ可能性があるということです。

論文の体裁をきれいにするというのもこの理由です。

読みなおす

とても重要。もっとも重要。

読みなおしてください。できれば 2 回読みなおしてください。

とくに LaTeX でありがちな参照が ?? になってるやつとか気をつけてください(pdf の検索で ? で検索することをおすすめします)。

汎用的な(大雑把な)タイトルの禁止

タイトルでは、目的ではなく内容を説明するべきです。

High-quality Voice Conversion Using Spectrogram-Based WaveNet Vocoder

誰でも書けそうなのでダメです。WaveNet ボコーダをスペクトログラムで動かした高品質(?)な声質変換なんてみんなやってます。

A Comparison of Acoustic Features for High-quality Voice Conversion Using WaveNet くらいの名前であれば、何をしたのかがわかりやすくてよいと思います。

強そうなタイトルにしなくても、ちゃんと事実を書けば読んでくれる人は読んでくれますので、安心して事実をタイトルに反映しましょう。

なお、「〜に関するニ、三の考察」とか「〜であるべきか?」とかも、それが主題であればよいのではないでしょうか。

アブストラクト

アブストラクトは、論文を手にした誰もが必ず読むもっとも大事な場所です。
とくに気合いを入れて、簡潔に書きましょう。

アブストラクトはイントロダクションではありません。
この論文が何をしたのかを簡潔に明らかにする場所です。

ここでは、研究会や国際会議の予稿、ジャーナル論文などの、短めのアブストラクトの話をします。
アブストラクトの構成にはさまざまな宗派がありますが、僕の宗教を書いておきます。

1 文目は「本論文は〜をする」

アブストラクトの 1 文目は、「本稿では〜を提案する」や「This paper investigates」など、本論文で何をしたかを述べるべきだと僕は考えています。
アブストラクトは通常、次の順序で書くべきです(欠けがある場合もあります)。

  1. この論文が何をしたのか(詳細な手法ではない、タイトルを少し詳しくしたもの)
  2. なぜそれをする必要があるのか(いままで何がなされてきたか、そこには何が足りなかったか)
  3. そこでこの論文は何をしたのか(1 文目より少し詳しめに、論文の唯一性・独創性が満たされるように)
  4. どのようにしてそれを実現したのか
  5. 実現したものは客観的に見てどのくらいよかったか

1 文目に背景を述べるタイプのアブストラクトも多く見られますが、何をしたのかパッとわからなくて読みにくいです。
また、論文の読者はタイトルを見て論文を開くため、背景を共有している場合がほとんどです。
本当に背景がわからなければ、イントロダクションを読めばいいわけですし。
それよりも、この論文が何をしたのかの方がよっぽど大事です。

Abstract
New advances in Language Identification (LID) using Recurrent Neural Networks (RNNs) and Neural Embeddings have been proposed recently. While their application has been successfully applied at a word level, results at a phoneme level may not be as good because of the greater variability found in phoneme sequences which reduces LID accuracy. Thus, we propose to use phonetic units called “phonegrams” that implicitly include longer-context information and use them to train neural embeddings and RNN language models (RNNLMs).
...

このようなアブストラクトでは、この論文が一体何をするのかすぐにはわかりません。
This paper proposes とか In this paper とかそういうのをアブストラクトの中で探さなくてはいけません。
論文において一番大切なのはコントリビューションです。コントリビューションをわかりやすくしましょう 1
次のように書くと少しマシなアブストラクトになります。

Abstract
This paper utilizes phonegrams, the phonetic units that implicitly include longer-context information, for language identification (LID) using language models based on recurrent neural networks (RNNs).
(今までの研究は word レベルでやってきたが、こういう理由で phoneme レベルでの言語認識が必要である。)(しかし、既存のモデルでは phoneme レベルの言語はこういう理由から厳しいです。)(本稿で提案したモデルでは、こういう風に phonegrams を使って phoneme レベルでの言語認識を行う。)(実験をした結果はこうでした。)

なお、アブストラクトで実験条件を説明する人がいますが、よほど重要な実験条件でない限り説明する必要はありません。

段落分けをしない

アブストラクトに必要な論理展開は最低限です。
段落分けが必要なアブストラクトは、それはもうアブストラクトではありません。

引用も必要ありません。

数式はどちらでも構いませんが、最近は Web にアブストラクトが載ることも多くなったので、避ける方が無難かなと個人的には思っています。
数式を使わないと表現できない固有名詞(基本周波数 $f_o$ とか)もあるので一概には言えませんが。

学位論文のアブストラクト(梗概・要旨)

学位論文のアブストラクトは、他の学術論文の要旨と異なりかなり長く書くことができます。
そのため、分野外の何も知らない読者を想定して書くべきで、段落分けもしていいし、背景を述べても構いません。
構成する各章の内容が見えてくるようなアブストラクトを書くとよいと思います(正しくはサマリーに当たるのだと思います)。

引用

引用はかなり様々な宗教があるので、1 つのやり方として捉えてください。

僕は引用に次のルールを設けています。

  • 著者名は絶対に書かない
  • 引用の数字は文末以外に書かない
    • とくに引用番号を名詞として用いない

著者名はどうせ参考文献リストに載りますし、あとで誰々さんが〜とか言ってもう一回出てきたときに論文を読む側は著者名を覚えていないと誰やねんという気持ちになってしまうので、僕は好きではありません。誰がやったかとかもどうでもいいので。
著者名については、かなり分野によるところもあります。人の名前を出すことがその人への礼儀みたいな風習がある分野もあるようです。僕はどうでもいいと思いますが。

文中引用を避けるのは、文が長くなりやすくグダグダで読みにくくなるのを避けるためという側面があります。
ちゃんと論理展開を書けるのであれば文中引用しても構いません。

引用番号を名詞として使うのは、様々な理由で避けるべしとしています。

  • 引用は、論文の論理展開に対する補助情報であって、それ自身が文の要素になりえないから
  • 引用番号が名詞の場所とそうでない場所があると文法構造の把握が面倒になるから
    • すべて名詞として使い、さらに文中引用しても文がグダグダせず論理展開が明確でわかりやすければ、名詞として使っても一向に構わないと思います
    • そんな書き方を最初からできる人はいないので、だからこそ避けましょうと言いたいです
  • Wikipedia が基本的に引用番号を補助情報として使う形式だから
    • 長い時間をかけて洗練されてきた Wikipedia という側面と、普段見慣れている可能性が高いという側面があります
    • Wikipedia では名詞として引用することも一応できます

たとえば、次の文は読みにくいです。

Pascual et al. [12] proposed the use of an end-to-end generative adversarial network for speech denoising.

人の名前は引用をたどればわかりますし、論文の本筋とはまったく関係ありません。
誰が発明したかは引用としては必要ですが、論文の話を構成する上でまったく必要でない情報です。
どうせ Pascual と書いたところで読む人は References の欄を読まなければ論文がわかりません。
次のように書けば論理展開には十分ではないでしょうか。

End-to-end generative adversarial networks also have been adopted for speech denoising [12].

「(たとえば [1]–[4] など)」とか書く人もいますが、文末に [1]–[4] と書いてはいけないのでしょうか。

文末引用ルール

文末で引用するのは、どちらかというと文の読み易さの確保のためです。

たとえば、

Some methods are based on speech recognition, feature extraction exemplified by MFCC [4], [6], [18], Linear Prediction Cepstral Coefficients (LPCC) [18], and models, by way of example, GMM [2], [3], [4], Hidden Markov Models (HMM) [1], [5], ...

様々に検討されている手法を紹介する場合には、それぞれに対して引用を述べるほうがいいのですが、引用を文末に書かないやり方を繰り返すとグダグダと長い文が構成されて読みにくいです。

そのため、文末引用できないような文を書かないようにすることで、文章が読みやすくなる傾向がある気がしています。

実用上は必ず文末だとやりすぎなこともあるので、適度に制御できるのであれば文末以外でも構わないと思います(僕も文末以外で引用します)。

なお、文末で引用する場合、括弧書きの補足と同様、引用番号は必ずピリオド・句点の前に書きます。

例外

手法やモデルなどの名前に提案者の名前がついている場合は、当然その手法名・モデル名として名前を登場させても構いません。
ただし、「Griffin および Lim は〜を提案した [13]。Griffin-Lim 法は」と書くと、その Griffin と Lim が提案した手法のことを Griffin-Lim 法と呼ぶのか意味不明なので、「Griffin-Lim 法と呼ばれる〜を〜の手法で実現する手法が提案されている [13]。」などのように書くべきです。
つまり、人名を「〇〇さんがやりました」の文脈で用いるのはやはり避けるべきです。

また、ツール名や手法名は、用いたという文脈では引用文末ルールを無視して構いません。

音声分析合成に用いるボコーダには,高品質音声合成系 WORLD [6](D4C edition [7])を使用した.

提案されたという文脈であれば、できれば文末引用ルールを適用すべきです。

高品質なボコーダとして WORLD と呼ばれる音声合成系が開発されている [5].

サーベイ論文の場合は、紙面と比較して引用数がかなり増えるため、このような規則が厳しいときがあります。
また「こういう研究があってこういう特徴があるよ」と紹介する特殊な論文のため、文末引用を強要する必要もありません。
そのため、サーベイ論文に限っては文中引用はある程度許容できる気がします。

また、Google とか Baidu とか iFlytek とか USTC とか、明らかにデータとマシンリソースの暴力で成果を出している論文を引用する場合は、「Baidu が〜を提案している」などと皮肉って表現することは構わないと思います 2

孫引きしない

「他の本に引用してある文句を、無批判にそのまま引用すること。〔誤りの元になる〕」(新明解国語辞典)

文献の中で引用されている事柄をもとに、さらに引用することは基本的に禁止されています。いかなる理由があっても絶対にするな、と完全に禁止している研究室や分野もあるほどです。
引用したい内容が、文献中で引用付きで示されている場合、必ずその引用されている原典にあたってください。

ただし、あまりに古い文献や、そもそも原典が存在しない(出版されなかった)など、原典が手に入らない場合には、罪悪感を持ちながら孫引きしても構いません。
可能であれば、孫引きと明らかにわかるような表現にしてください。

基本的には、孫引きをしなくてもいいように論文を書くほうが無難です。

何を記述するかを予告しない

「以下に実験条件を述べる。」とか「以下に、その詳細を述べる。」とか、文章を読んでいれば当然わかるようなことは記述しません。そもそも章や節の見出しがある時点で何が書かれるのかわかっているので、いちいち予告はいりません。

ただし、Introduction でよくやる「〜節では〜を述べる」系は構いません。
また学位論文など巨大な論文で章見出しだけでは限界がある場合には、「本章では、〜について述べる。(この説明は見出しから推測できないくらいの十分な長さがないといけない)」などとやるのも許容範囲内です。この場合は議論が展開されているわけではないので、「3.1 はじめに」などと節を切る必要はありません。

意思表示をしない

「〜したい」「これから〜していく」みたいな意思表示をしないでください。

今後はより多くのメトリクスの設定と実証実験を行うことで,有効なメトリクスの分析・検証と C3PV の実装のフィードバックを行っていきたい.

最悪。「〜していく」だし「行ってい(行)く」が漢字が重複してキモいですし、さらに「〜したい」までついています。

より多くのメトリクスの設定と実証実験を行うことで有効なメトリクスの分析と検証を行い,C3PV の実装へのフィードバックを行う必要がある.

「以下では〜〜について見ていく」みたいな表現も、記述の予告にあたるし「〜していく」なので最悪です。
どうしても予告する必要がある場合には、「〜について観察する」みたいな表現のほうがよろしい。

「〜を参照されたい」などの表現は可能。

表現を統一する

この記事で何度も言っています。統一してください。

とくに日本語で、漢字 or 仮名書き、送り仮名、外来語のカタカナ書き(パラメータ、パラメタなど)は、論文内ですべて統一してください。

表記が揺れると「これは表記が 2 つある理由があるのか?」という邪推をされることがあります。

未知略語禁止(とくにタイトル)

DNN であってもダメです。
必ず、最初に使うときに deep neural networks(DNNs)と明示してから使いましょう。

タイトルでは、原則略称禁止です。

ただし、提案した手法名や、それを用いたのであれば、タイトルで使っても問題ないと思います。

たとえば、D4C, a band-aperiodicity estimator for high-quality speech synthesis であれば、D4C は Definitive Decomposition Derived Dirt-Cheap の略称とされていますが 3 提案した手法の名なのでタイトルに用いて問題ないと思います。
[1611.09904] C-RNN-GAN: Continuous recurrent neural networks with adversarial training。これも仕方がありませんね。提案した手法の名前なので許されるでしょう。
同様に using C-RNN-GAN などと(略称の)手法を用いたことをタイトルで明記したければ、これもこのままでよいと思います。
EM アルゴリズムも Dempster が EM という名前で書いているので問題ないと思います 4

本文についても、たとえばアブストラクトで一度定義しても、もう一度定義して使ったほうがよいと思います。

セクションの見出しは微妙ですが、なるべく略称は禁止したほうがよいでしょう。
実用上は長くなりすぎて困ることもあるので、そういう場合には略してもいい気がします。

主述は正しいか?

「実験 1 は、〜〜〜〜〜〜〜〜の実験を行う。」みたいな文、普通に見ます。

長い文を書くと人は主述を間違えがちになるので、ちゃんとチェックしましょう。

ちなみに、京浜東北線の快速停車駅表示では「この電車の停車駅は、大森、大井町、〜、蕨駅に停まります。」という最低な文が流れます(わかりやすさのためだと思います)。

1 人称の禁止

日本語、英語に限らず、自己主張が強くなるので避けるほうが無難です。
論文は論理を展開するものであって、自分を売る場所ではありません。

日本語では、「我々」や「筆者」「筆者ら」などを用いることが一応できます。
しかし、日本語はとくに主語を書かなくても問題ない言語なので、意識して書かないべきです。
「本稿では」とか「本研究では」とかでだいたい済むはずです。

ウェブログはウェブ日記とは異なるコンテンツであるとする向きもあるが,著者らは「作者である個人が経験・見聞した事実や,それに対する自分のコメントをコンテンツとして記録・公開する」という意味においてウェブ日記とウェブログは基本的に差異がないと考える.

これは、考えられるを使えば問題ないはずです。

ウェブログはウェブ日記とは異なるコンテンツであると指摘される場合もあるが,「作者である個人が経験・見聞した事実や,それに対する自分のコメントをコンテンツとして記録・公開する」という観点からすればウェブ日記とウェブログは基本的に差異がないと考えられる.

「本稿では考える」のような表現も OK でしょう。

ウェブログはウェブ日記とは異なるコンテンツであるとの指摘も見られるが,どちらも作者である個人が経験・見聞した事実やそれに対する自分のコメントをコンテンツとして記録・公開するという点で,ウェブ日記とウェブログは基本的に差異がないと本稿では考える.

というか、この例では「考える」も必要ありません。

ウェブログとウェブ日記は異なるとする見方もあるが,どちらも個人の作者が経験した事実やそれに対する感想をコンテンツとして記録・公開するものであり,本稿ではこの観点から差異のないものとして扱う.

英語の場合、人称には数の概念があるので、単著にしたとき I にするのか we にするのか問題が存在します。
これは論文誌にもよるらしいですが、面倒くさいので使わないべきです。
たいてい This paper proposes とかで済みます。

We have recently shown that USH1C underlies Usher syndrome type 1c (USH1C), an USH1 subtype characterized by profound deafness, retinitis pigmentosa, and vestibular dysfunction.

専門用語が多すぎてわかりませんが、we have recently shown である必要はないでしょう。

Usher syndrome type 1c (USH1C), a subtype of USH1, is characterized by profound deafness, retinitis pigmentosa, and vestibular dysfunction.
USH1C はアッシャー症候群のタイプ Ⅰ のサブタイプであり,高度難聴,網膜色素変性症,前庭系障害が特徴である。

なお、事実を表現する際に筆者が必要な場合には使っても構いません。
ちなみに下の例では A 市となっていますが,ググると市の名前が……。

本研究には,A 市の公立小学校 1 校が参加した.A 市では,2002 年度から「通常の学級における LD 等への特別支援事業」が実施され,第一著者および共同観察者はこの事業の教員補助者として,第二著者は巡回相談員として対象校の支援を行っていた.

観察者は,第一著者を含む 2 名であり,共同観察者は心理学を先行する大学院生であった.

また、「筆者の感想である」とか「筆者の解釈である」などは、文脈によっては OK かもしれません。
学位論文など長く筆者としての意見を明確に述べる場所があるのであれば、こういう表現をすることも面白いと思います。

次の例は、筆者の感想がしっくりくる例です。
確かに筆者の感想ですし、あったほうが適切な感じがします。

初めに述べたように,食用カンナは,その頻度はあまり高くはないものの,伝統的農業の中での家庭消費用植物として,古代から現代に至るまで利用が続けられてきた.根茎を直接,煮たり焼いたりしても十分に食用となる(著者の感想では,サツマイモやタロイモなどに比べると,さほど美味ではないが).

ただ、普通に投稿する論文でこれは非常にキモいです(論文は筆者の感想を述べるところではありません)。

なお、筆者がこの論文で貢献したことを主張する場合には使ってもよい、という人もいます。
科学英文のチェックマニュアルでは文の数にして 1/3 以内が目安、とされています。

曖昧表現・婉曲表現の禁止

否定表現

「彼を見ていると、卒論に真面目に取り組まなくてはならないことが分かってないんじゃないかって考えざるを得ないじゃありませか。」
(嵯峨山スライド)

簡潔さのため、ニュアンスや意味と相談しつつ減らしましょう。

「安定しなかった」ではなく「不安定であった」のほうがカッコいいですね。

「相関が見られなかった」などはどう考えてもこの表現しかないので(「無相関である」ではありませんからね)、こういうのは問題ありません。

英語でも、not 〜 はあまり使わず、否定形の単語を使ったほうがよいでしょう。
was not stable ではなく was unstable のほうがよいです。

類似の概念として、否定論理も避けたいとよく指摘されます。
「これまでの研究にはこういう問題点がある」ではなく「これまでの研究ではここまで達成された。そこで本研究ではここをやってもっとよくする」のような論理のほうが優れているといわれています。

一定の・ある程度の

中国やインドでは 100 万円以下の車が一定程度のシェアを占め,低所得層が初めて購入する車の大宗となっている.

一定とはどれくらいでしょうか。論拠が弱くなります。書けるなら数字を書くべきです。

「一定の品質が得られた」「ある程度実現できた」などの表現を実験結果や考察などに書きがちな場合がありますが、これらはとくに避けましょう。

非常に・極めて・とても

主観的な表現なのでなるべく避けてください。
「○○と比較して」と指摘できるとなおよいです。

「とても」は口語なので禁止。

考えられる・思われる

基本的に避けるべきとされていますが、考察や結論ではさすがに考えざるを得ないので、僕は禁止というほどではないと思っています。
ただし、これらは非常に主観的な表現なので、避けるべきなのは確かです。
特に「思われる」は非常に主観的な表現なので、まず使いません。

明らかな場合には、示されたなどの表現が適切です。

心拍変動性指標は照度条件によっては異ならず,色温度条件で異なることが示された.

ちょっと自信がないか、直接的に示されるわけではない場合には、示唆されたなどの表現が適切です。

さらに,中流部では天然魚の PSD 値が 71.6 と極めて高く,天然魚が良好に成長していたことが示唆された.

「考えられる」は、どうしても「考えられる」をつけないと破綻するし、しかも考えて得られた結論の場合にはつけてよいです。
下の例はどうしようもない感じがします。

そのため,IPv4 は今後も半永久的に使われていくと考えられる.

「思われる」が適切な場面もあるようです。
下の例は、示すことが非常に困難であることが伝わってくるし、分野の人の共通見解とも思われるので、「思われる」で適切な感じがします。

本邦での扁桃周囲膿瘍の抗菌薬治療に関する報告は多々あるが,クリンダマイシン(CLDM)に広域ペニシリンもしくはセフェムを併用する使用法が一般的と思われる [1–4].

ただ、一般的には「考えられる」「思われる」は避けたほうがよいです。

より高い効果を得るためには幼児に合った絵本を選ぶことが重要と考えられる.

なんか弱いです。この「考えられる」いりませんね。

より高い効果を得るためには幼児に合った絵本を選ぶことが重要である.

なお、「感じられた」は知覚した場合に使わざるを得ない表現なので使っても問題ありませんが、「認められた」や「知覚された」などの表現が使える場合にはそちらも検討しましょう。
下の例は「感じられた」が適切そうです。

穴に溜まっている水をなめてみるとやや甘く(塩分が低く)感じられたが,流れなどは無く,淡水の湧出をはっきりと確認することはできなかった.

など

例示をする場合、なるべく網羅的に書いたほうがよいです。

また,コスモス・バラ祭りイベントの実証実験においては,天候データなどとの相関は見られなかったものの,イベント後に人群量の減少が見られ,イベント効果を確認することができた.

「天候データなどとの相関が見られなかった」ということは、天候以外のデータとも相関をとって相関が見られなかったはずです。
その「以外」が何かは基本的に書くべきです。

この論文は気象のデータしか見ていませんので、以下の文が正しいです。

また,コスモス・バラ祭りイベントの実証実験においては,気温,日照時間,降水量との相関は見られない一方,イベント後に人群量の減少が見られた.

すべて列挙できないほど多い場合や、列挙する意味がない場合には使っても構いません。

無意味単語 “bidaku”,“padoti”,“golabu” などを切れ目なく連続させた合成音声を短時間聞かせただけで,8 か月の乳児でも単語の切り出しが可能であることを示した.

なお、「といった」はすべて列挙されている可能性まで含むため、「など」よりもさらに曖昧な表現です。「など」のほうがマシ説まであります。

また、気象、気候、天気、天候は違いますので、使う場合には十分注意しましょう。

指示語

「これ」とか「それ」とか「あれ」とか。英語でも同様です。

電圧飽和時に,従来から行われているように積分器の積算を停止した場合,図 1 に示すように速度応答は収束が遅く,オーバーシュートとアンダーシュートをくり返すことがある.これは,d-q 座標軸上のリミット値を適切に決められないこと,操作量と制御対象への入力との不一致および過剰積算によるものと考えられる.

たいてい、「この式は」とか「この現象は」とか言い換えができるので、「これ」「それ」だけで使うのはやめましょう。

また「従来」には「から今まで」の意味が入っているため「従来から」「従来より」は禁止表現です。

この文は並列表現も不釣り合いです。

図 1 に示すように,電圧飽和時に積分器の積算を停止する従来手法では,速度応答の収束が遅い上,オーバーシュートとアンダーシュートをくり返すことがある.この現象は,d-q 座標軸上の制限値が不適切であること,操作量と制御対象への入力量が一致しないこと,また積算が過剰になることが原因であると考えられる.

英語の場合は、this ではなく the 〜 と指摘しましょう。

Variational iteration method has been favourably applied to various kinds of nonlinear problems. The main property of the method is in its flexibility and ability to solve nonlinear equations accurately and conveniently.

文章を指示する以上・以下

「以上の議論から」や「以下のように」などの文章を指す「以上」「以下」は、どこからどこまでを指しているのか不明確なため禁止です。

ただし、「(後に続いている箇条書きを指して)以下の 5 点が」とか「(今まで示してきた証明を指して)以上の証明は」とか具体的に示す場合には、「これ」「それ」「あれ」の議論と同様使うことができます。

近年

近年は禁止です。Recently や in recent years も同様に禁止です。

近年,バーチャル YouTuber が盛り上がりを見せている.

近年提案された深層自己回帰モデル [9, 10] は,非線形な表現を学習でき,この問題を解決できると期待される.

近年とはいつでしょうか。

2017 年 12 月ごろより盛り上がりを見せたバーチャル YouTuber は,今なお注目を集め,その数は 2,000 人に迫る勢いである(2018 年 4 月現在).

このような表現力の高い歌声を合成する手法として,深層自己回帰モデルを用いた合成法が提案されている [9, 10].

大抵の場合、いつ提案されたかなどは不要な情報です。書く必要がありません。
文脈によって近年の長さが違うし、そもそも 50 年後あなたの論文を読んだ人にとっては近年ではありません(出版年の情報が展開に必要な文章は微妙だと思いませんか?)。

「近年、地球温暖化が問題になっている [要出典][いつから?]。」

確かに近年であることを示したい場合には、VTuber の例のように年月などを書く方法があります。

イントロダクションなどで「最近○○の研究が流行っているから/性能がいいから」みたいな表現を使おうとする場合は、やってみた論文になってしまいがちでそもそも論拠として微妙なので避けるべきです。
「既存手法で実現されていない点を」などと(無理矢理にでも)指摘しながら書くべきでしょう。

英語の受動態

主語が人称代名詞にならない場合、不要な受動態は避けたほうが無難です。

日本語では非生物が主語になりにくく、また主語を明示しなくても構わないため、受身が多くても不自然になりません。
一方、英語ではいくらでも非生物が主語になれるため受動態にすると回りくどい印象を受けます。

たとえば、〜 is described in Section 2. より Section 2 describes 〜. のほうが無難です 5
また、The results are shown in Figure 1. より Figure 1 shows the results. のほうが無難です。
受動態を使いたくなったら、一歩踏みとどまり、文構造として能動態・受動態のどちらが適切かを一度吟味して、どちらを使うか決めるのがよいと思います。
人称代名詞が登場したり能動態にすると逆にわかりにくくなったりすると思われれば、受動態を使っても問題ありません。

なお関係代名詞節などが入る場合には、「主節 which 従属節.」などとしたほうがわかりやすいことも多いため、関係代名詞に係られる名詞が最後に来るように主節を受動態にするのも手です。

Many of the beneficial effects of calorie restriction can be mimicked using resveratrol, which activates the Sirt1 enzyme.
(レスベラトロールは SIRT1 酵素を活性化させる物質であり、これを用いてカロリー制限によって得られる有益な効果の多くを模倣できる。)

It is 〜 that 構文(形式主語構文・強調構文)

It が指示代名詞扱いに近く何を指しているかが不明瞭になりやすく、また冗長なので避けるべきです。
ほとんどの表現はこれらの構文を使わなくても表現できるので、そちらを優先してつかうべきです。

It should be emphasized that the attention in CRM has mainly centered on customers' value creation for firms.

強調したい場合には Note that などを使うとシンプルですが、この場合にはそれもいらない気がします。

It はほとんど必要のない単語なので、it を書いた瞬間に再考できるくらいの敏感さはあっていいと思います(もちろん it が適切なときもあります)。

することができる

「解釈することができる」などの「することができる」は回りくどいのでやめてください。
「解釈できる」と言えばよろしい。

また,反射イメージングにおいては表面凹凸を位相情報として取得することができる.しかし,顕微鏡取得画像には強度情報しか存在しないため,何らかの方法で位相情報を取得する必要がある.そこで,フーリエ反復法による位相回復手法に着目した.この手法は,容易にかつ安価に位相情報を取得することができる

「取得できる」にするべき。

また,反射イメージングでは表面凹凸を位相情報として取得できる.しかし,顕微鏡画像には強度情報しか存在しないため,何らかの方法で位相情報を取得する必要がある.そこで,本論文ではフーリエ反復法による位相回復手法に着目した.この手法では,容易かつ安価に位相情報を取得できる

なお「〜したり〜したりすることができる」など必要な場合には使って構いません。

口語表現の禁止

という

その方法の一つとして,Project-Based Learning(PBL)という手法があげられるが

とくに,「道義的責任」,「広島・長崎」,「北朝鮮」,「中国」という 4 つのキーワードに焦点を当て,批判的言説分析論を用いて,体系機能文法という分析ツールを利用し,テクスト分析を行った.

なんか口語っぽいですね。

その方法の一つとして,Project-Based Learning(PBL)とよばれる手法があげられるが

とくに,「道義的責任」,「広島・長崎」,「北朝鮮」,「中国」の 4 つのキーワードに焦点を当て,批判的言説分析論を用いて,体系機能文法とよばれる分析ツールを利用し,テクスト分析を行った.

「これを〜という.」などの表現は問題ありません。

いえる

口語っぽく、また曖昧なので避けることが好まれます。
言い換えは適切にできるはずです。

「いえる」と書く人はだいたい何度も使いがちになるため、鬱陶しいことが多いです。

クラスタ A は直近の活動期間の中央値が 22 日と短く、IssueComment 回数が 147 回とイベントの半数を占めている。よって、迅速に活動しており、主にコメントを行っているため迅速・議論型といえる。

なんか読んでて変ですね。

クラスタ A は直近の活動期間が(他のクラスタと比べて)短く迅速に活動している。また、IssueComment の割合が高いことから、迅速・議論型に分類される(or できる)。

わかる・わかった

「いえる」と同様。

ただし,電気系などの高周波外乱の影響が期待される系に対しては,同次有限時間 PD 制御を実装する価値が低いことがわかるため,注意が必要であることも同時にわかった

示された、明らかになった、判断される、観察される、などに言い換えます。

ただし,電気系などの高周波外乱の影響が期待される系に対しては,同次有限時間 PD 制御を実装する価値が低いため,注意が必要であることも同時に示された.

より・のほうが

しかし,提案法よりも文献 [1], [2] の方法で得られたラビリンス風画像の方がラビリンス模様が規則正しく生成されている.

「〜と比較して」と明示すると、「〜と比較して〜は〜」と表現できるので「より」「のほうが」を回避できます。

あとこの文は引用番号を名詞として使っていてどんな手法が全然わかりませんし、主述が微妙な気がします(生成されているのは画像? 模様?)。

しかし,微分方程式やタイリングを用いた従来手法では,提案法に比べ得られたラビリンス風画像のラビリンス模様が規則的である.

形容詞の過去形

大きかった・小さかった・多かった・少なかった・良かった・悪かった。

たいてい弱そうです。「多くなった」「大きくなった」などと言い換えるとだいたい解決します。

d = 7.0 m,反射音像間の距離が 6.44 m の場合でも,分かりにくいものの 1 点に音像が定位しており,背後に壁のない状態であれば,より定位性能が高かった可能性もありうる.

「高かった可能性もありうる」、弱そう。
そもそも「可能性もありうる」は可能性の存在すら可能性レベルなので、明らかに表現として間違っています。

感想として得られたとはいえ、「分かりにくい」もちょっと弱そうです。

d = 7.0 m,すなわち反射音像間距離が 6.44 m の場合でも,すべての被験者は 1 つのみの音像を知覚した.被験者の感じた定位の困難さは,背後の壁を取り除くことで低減できた可能性がある.

形容動詞の過去形も弱そうですが、こちらは「であった」にするとだいたい解決します。

また,今回用いた提案手法のパラメータはいくつかのパラメータの値を試したうち最適だった $T_s=30,\,L_{max}=8,\,D=7$ を用いた.

「いくつか試した」とかも弱そうです。いくつだよ。
「今回」もよくわかりませんね。回とはなんでしょうか。
「最適だった」もよく考えるとどういう根拠で最適なのかよくわかりません。
細かいですが、下付きや上付きで max などを使うときは mathrm しましょう。

また事前実験にもとづき,パラメータには $T_s=30,\,L_{\mathrm{max}}=8,\,D=7$ を選んだ.

となる・になる

「こちら、ミソラーメンになります」なんて言う。これからミソラーメンになるのであれば、今は一体、なんなのだ。
第246夜 ほうほう族

「〜である」に書き換えられる「となる」なのか、become に対応する「となる」なのかがはっきりしないため、前者の「となる」は避けることが望まれます。
「となる」「になる」を書いたら「である」に置き換えて自然かどうかを試してみて、自然であれば「である」にしたほうがよいです。

このとき、光①と光②の光路差は $ 2nd\cos r $ となる。

何かが変化したことによって光路差が変化したことを表しているわけではなく、単に条件(このとき)を仮定したら光路差がそのように計算されるという事実を述べているだけなので、「である」のほうが適切です。

このとき、光①と光②の光路差は $ 2nd\cos r $ である。

どうでもいいですが、丸付き数字は日本語(アジア圏?)特有らしいので避けたほうが無難なようです。
この場合は L1、L2 などとするとよいと思います。

ちなみに、こうした用法は(現実世界の)変化のナルが拡張してできていると考えられ、「計算的推論のナル」や「対人的行為のナル」と呼ばれるそうです 6
なお、「になる」は無理なく自然に移行する場合に、「となる」は突発的・一時的に変化する場合に使います(NHK ことばのハンドブック第 2 版)。

「分析をかける」「精度が落ちる」など

転成名詞の用例グループの中に,形態的な特徴が要因として関係するかどうかという観点で捉えることにして,転成名詞の前後の形態を変数とし,語をケースとして,表 4の指標に基づき,表 5の頻度表に整理した後,クラスター分析,因子分析をかける.

これもわかりにくいですね。まず文が長くてグダグダしています。「ことにして」とかも口語っぽいです。「という」もありますね。

転成名詞の用例グループを,形態的な特徴が関係するかの観点で分析する.分析には,転成名詞前後の形態を変数,語をケースとした,クラスター分析および因子分析を用いる.

「正解率が落ちる」なども「分析をかける」と同様に口語表現っぽいです。避けましょう。

どうでもいいのですが、この論文、試用版のアドインを使っていておもしろいです。

クラスター分析には,CollegeAnalysis Ver. 5.0 を利用し,因子分析には,Excel のアドイン試用版を利用する.

手法が明らかな場合には使ったツールの名前を書かなくてもいいです。
たとえば CNN を用いて実験する場合「TensorFlow を用いて Python で実装した」とか書く人はいないと思います。書かないでください。
一方、(音声系でいう)SPTK とか HTK とか Kaldi とか、明らかにそれがないと実装できないものについては(もしくは実装が大きく依存している場合には)書いたほうがよいでしょう。

その他の日本語の口語的な表現

こういった・そういった・こうした・そうした

そういった判断は日常生活のみならず,著者がFPS(First-Person-shooter)ゲームと接している中でも,知覚した複数の情報を処理し論理的に判断を行う場面は多い.

口語っぽいので「このような」「そのような」にするとマシになります。
そもそもこの文は著者が登場したり略語の表記が逆だったりアレすぎますね。

First-person-shooter(FPS)ゲームでは,知覚した情報から瞬時にそのような判断を行う能力がとくに求められる。

だから・なので・そのため・でも

「だから」「なので」は「したがって」、「そのため」は「そこで」、「でも」は「しかし」や「一方」などに置き換えましょう。

なお、「そこで」は「したがって」とほぼ同義ですが、書き手の意思が入る場合に用いると自然です。

同じ・違う

等しい or 同一の、異なる

とくに「同じ」は形容動詞の連体形「同じな」の「な」が落ちている形なので、かなり口語っぽく見えます。

着火は確率論的な現象ではなく,混合気を定容あるいは定圧条件に保った場合,着火遅れ時間 $\tau$ は同じ組成の混合気であれば,初期温度 $T$,初期圧力 $p$ のみの関数である.

これも主述がぐちゃぐちゃで何を言っているかわかりませんね。

同一組成の混合気で定容あるいは定圧条件の場合,着火の遅れ時間 $\tau$ は初期温度 $T$ および初期圧力 $p$ により決定される。

良い・悪い

結構見ます。良くなった・悪くなったものに対して適切な形容詞を選びましょう。
「形容詞の過去形」にも通じるところがあります。
英語での good / bad なども同様。

「改善した」「品質が低下した」などが汎用的でしょうか。
「性能が良い」「SNR が悪い」などは「性能が高い」「SNR が小さい」など具体的な形容詞を使うほうがベターです。

良い・悪いに限らず、評価に使う形容詞はたいてい比較をしないと発生しない概念なので、何に対して良かったのか・悪かったのかを明確にするような文章を書くように心がけましょう。

もっと・ずっと・とても

説明不要。

いろんな・いろいろな

様々な、多様な、種々の、など。

しか

口語っぽいので僕は避けています。

しかし,既存手法では導電性素材が接触している特定の箇所においてタッチ入力を発生させるか,スクロールのような直線動作のタッチ入力を発生させることしかできず,単純な操作しか実現できなかった.

単純には書き換えられないので、いい感じにします。

しかし既存手法でのタッチ入力は,導電性素材が接触している特定の箇所における入力や,スクロールのような直線動作による入力に限られ,複雑な操作が実現できなかった.

もう

「もう片方」「もう 1 つ」など。これもなんか口語っぽいので僕は避けています。

これら 6 つの手法は大きく 2 通りのアプローチに分類される.1 つは状態の共分散行列も未知パラメータとして求めるアプローチで,もう 1 つは状態の共分散行列の項を消去してから求めるアプローチである.

なんかいい感じにします。

これら 6 つの手法は,状態の共分散行列をも未知パラメータとして求めるアプローチ,および状態の共分散行列の項を消去してから求めるアプローチの 2 アプローチに分類できる.

実際(に)

論文は実際にやったことしか書かないんだからやめろという意見があります。
強調としての表現が多いため、なくても通じることが多いです。

そこで本研究では,実際に対面で推薦行為をする際に対話的に情報のやり取りが行われることに着目し,その中でも相手の好みに応じて提示内容を柔軟に変更するように,マニアックなジャンルに精通したユーザの知識を用いて作成した楽曲群の中からユーザの好みに応じた楽曲の推薦を行う分岐型人力音楽推薦手法を提案する.

この「実際に」はいりませんね。こういう「実際に」は削除したほうがよいと思います。

「実際には」ならば「正しくは」とか、「実際に」ならば「現実に」とか、文脈にそった言い換えをするのが適切でしょう。

ただし、simulated の対義語として利用する場合には「実際の」などと用いてもよいとは思います。

なんでこんなに「実際に」「実際に」って言いたくなるんでしょうね。トリビアの泉みたいな番組が影響しているのかもしれない。

波形

信号のことを口頭では単に「波形」と言うことも多いですが、国語辞典には「波が伝わるときの、一定の位置での物理量の時間的変化、または一定の時刻での物理量の空間的変化をグラフで示したもの。」(デジタル大辞泉)とあるとおり、波形とは波をグラフに図示したときの形についての単語であって、信号を表す単語として用いるのは間違いです。
波形全体の振幅の時間変化を意図する「波形の包絡」などの表現は問題ありません。

なおスペクトルは(たとえグラフであっても)波ではないので、「スペクトル波形」という単語は禁止です。

中黒(・)

この記事では多用していますが、ものごをと並列するための中黒は基本的に避けたほうが無難です。

単純に置き換えるのであれば「および」などを使うか、頑張って書き換えたほうが日本語としては綺麗です。

なお、外国人の名前など必要な場面では用いても構いません。

英語の略語

isn't、aren't、don't、can't、wouldn't などは口語っぽいのですべて禁止です。

一方、ラテン語由来の略語(e.g.、i.e.、etc.、et al. など)は略したほうが自然です。
ただ、参考文献で et al. を用いる場合などを除き、本文で使う場合には such as や that is など英語で言い換えたほうが無難です。

なお、参考文献でページ数を表す p.p. は用いても構いません。
p.p. は複数形なので、1 ページしかない場合には p. になります。

過去形の助動詞

would、could、might、should など。
仮定法と混同するため避けるほうがよいです。
またこれらの助動詞に過去の意味は(ほとんど)ありません。

こうした助動詞はだいたい「〜じゃないかなぁ」「〜なはずなんだけどなぁ」という気持ちになりますが、お気持ちは論文ではあまり表明しないはずなので、これらの助動詞を使うというのはそもそも論文として誤っている可能性があります。

can の過去は was (were) able to、未来は will be able to です。
can と be able to は同一ではありませんし、be able to は非生物には用いられないと書いている記事もありますが、あまり気にしなくて構いません。過去・未来には be able to を使ってください。

shall は見たことありませんね。
タイトルには “Shall we really say goodbye to first rank symptoms?” などと用いられることもありますが、ちょっと技巧的すぎて日本人には無理感があります。

should は「べきである」系の表現にも使われます。
ただ、筆者の主観である感じが強い気もするので、より客観的な表現を用いたほうが無難です。

The model should also take into account that the UCAPs are only a temporary energy source, because at the end of the driving cycle, they should remain fully charged.

1 つめの should は need to や must などに言い換えたほうが自然な感じがします。

Since UCAPs remain fully charged at the end of each driving cycle, these are the only temporary source of energy. This needs to be considered on model construction.

this とか these とかが曖昧だし、そもそも because 節が理由になっていない気がしますが、まあいいでしょう。なお energy source は複合名詞なのでここでは一応避けていますが、energy source くらいであれば問題ないと思います。また無生物主語の take into account はちょっと自信がないので受動態にしました。

なお、日本語の「〜できる」は可能だけでなく受身などの意味も含みます。
たとえば「〜を導くことができる」や「〜を観測できる」などは「〜は〜を導く」や「〜が観測される」などと考えて英語に訳したほうが自然です。
日本語では前者のほうが自然なので、日本語の論文は当然「〜できる」で書くことができます 7

文末の too

中学 1 年で習う用法ですが、口語的なので also で書きます。

なお文頭の Also, も微妙で、Moreover などを使うと多少カッチリします。

現在形か過去形か現在完了か過去完了か

日本語でも英語でも同様です。

一般に、実験条件や実験の結果など明らかに過去であるものが過去形、そして結論で「〜を示した」も過去形になり、それ以外はだいたい現在形です。

イントロダクションの「本論文では〜を示す」も、これから示すことなので現在形がよいでしょう。

「〜が提案されている」も、なんとなく現在形で使ったほうが自然な気がします。
「〇〇が提案した」は過去形で正しいですが、その文構造は【著者名登場禁止】で禁止されています。

〜などが提案されてきた(し、今も提案され研究がなされ続けている)場合には現在完了でしょう。
現在完了・過去完了は英語の文法を適用すればいいと思います。

「しかし」「一方で」「にもかかわらず」

英語だと however、on the other hand、nevertheless にあたります。
これらはなんとなく使っていると混同しますが、それぞれ明確に意味が異なります。
否定系の接続をするときには神経を使ってください。

「しかし」は前文の全部または一部を否定する言葉です。

今日の東京は晴れの予報だった。しかし、雨が降った。

「一方で」は前文を否定せず、同時に成立している事柄を述べるための言葉です。

今日の東京は晴れの予報だった。一方で、沖縄の予報は雨だった。

「にもかかわらず」は前文を否定せず、前文から想定されるものとは異なる事柄を述べるための言葉です。

今日の東京は晴れの予報だった。それにもかかわらず、僕は買い物に出かける予定をキャンセルした。

ディスプレイ表式は、日本語では図で英語では句扱い

日本語では数式を文(節)として用いるのは若干キモいです。
これは、論文中に句として扱う箇所と図として扱う箇所があって統一されなくなるためです。
もちろんすべて句として扱えれば構いませんが、そのような使い方は日本語の論文としては結構キモい感じもするので、すべて図として扱ったほうが自然な気がします。

たとえば次のような文です。

任意の時点 $t$ におけるシステムの信頼性 $R(t)$ は

R(t) = 1-\int_{\omega\in\Omega}\delta\left(\overline{x}-x\left(\omega,t\right)\right)P\left(\omega\right)d\omega

と定義できる.

これは、次のように書くべきです。

任意の時点 $t$ におけるシステムの信頼性 $R(t)$ は次式のように定義できる.

R(t) = 1-\int_{\omega\in\Omega}\delta\left(\overline{x}-x\left(\omega,t\right)\right)P\left(\omega\right)d\omega

逆に、英語では数式を常に句として扱います。
そのため、数式の末尾にカンマやピリオドを付けることができます。

The rotational strength of the transition from the ground $o$ state to the molecular excitation $n$ state, which is composed of the $i$-th and the $j$-th chromophores, is given by

R_{on} = \frac{\pi\nu}{c}\left(R_i-R_j\right)\cdot p_i\times p_j

where $R_i$ and $R_j$ are the positional vectors of the $i$-th and $j$-th chromophores and transition moments are defined as follows:

p_i = \left\langle o \mid er_i \mid n \right\rangle \quad\mbox{and}\quad p_j = \left\langle n \mid er_j \mid o \right\rangle .

日本語論文では日本語を使う

当たり前です。

安易にカタカナ語を使わない

ディスはジャパニーズのリーディングのイージネスやコンプレヘンシビリティにベリーリレーショナルです。

たとえば学習に対する「テスト」は評価などと表現したほうが日本語っぽいです。
「エラー」は誤りのほうがいいです。「ルール」も規則のほうがいいですね。
「リスク」も、専門用語でなければおそれとか危険とかのほうがいい気がします。

ただ、モデルとかデータとかルールベースとかシステムとかゲームとか、カタカナ語じゃないと通じないものも枚挙にいとまがないので、なるべくという話です。

複雑な手法名などで、カタカナにするかアルファベットで書くかは結構微妙なところがあります。
レジデュアル・ニューラルネットワークとかカタカナで書かれても意味不明なので、こういうのは residual neural networks(ResNets)と書いたほうが親切な気がします。
差分神経回路網でもいいですね(ほんとに?)。

なお、「データ」は不要な表現であることも多いです。
「評価データには〜を用いた」は「評価には〜を用いた」ではダメでしょうか。
(ちなみに申請書やプレスリリースなどでは強そうにするためカタカナ語を多用するのもアリです。)

手法名をなるべく日本語に訳す

略語禁止にも関連します。

ある程度エミリー スチュアートになって構わないので、なるべく日本語訳したほうがよいです。

たとえば、NMF は非負値行列因子分解にするべきだし、CNN は畳み込みニューラルネットワークにすべきです。
CNN は本当は畳み込み神経回路網にしたいところですが、神経回路網はさすがに何を言っているかわからなくてエミリー スチュアートすぎるので、こういうのはさすがに諦めてもよいと思います。

日本語文法

並列のたりは 2 度以上使う

A したり B したりの場合には、すべての並列に「たり」をつけなければなりません。

そこで本研究では,登場人物の本当の性別を伏せて物語が進む日本語作品が英語や独語に翻訳された場合に,どのように表現されたり,工夫されたりしているのかを解析した.

なお論文とは関係ありませんが、口語では並列せず 1 つの例示をする場合にのみ 1 度きりの「たり」も OK です。

あの、プロデューサーさん。自分で小説を書いたりしたことって、あったりしますか?
いえ、いつも私ばっかり見られて、ちょっとずるいなぁと思って…。何か書いたら、見せてくださいね!

「小説を書いたりする」というのは、たとえば小説を書くだけではなく妄想するとかそういうのも含まれている上での代表例としての「小説を書く」ということでしょうね。百合子は多分そこまで意識していませんが、小説を書くドンピシャじゃなくても、それに類似した行為の経験があれば教えて欲しいという意図が含まれていそうです。
「あったりしますか?」は個人的にタリ疑問文と呼んでいる用法です(この用語は存在しません)。強引に解釈すると「ありますか?あったら見せてください」を表しているんだと思います。この条件付きのお願いに関して、条件の部分だけに「たり」を付けて疑問文を作ると、明示的には言わないけど見せてほしいなぁという気持ちを出すことができるようです。強引に連続させると「あったり見せてくれたりしますか」の 2 つめが落ちている形だと解釈できます。「知ってたりする?(知ってたらおしえてほしいなぁ)」「持ってたりする?(持ってたら貸してほしいなぁ)」という感じですね。これは平叙文では起きない気がします。
ちなみにこれは「Chrono-Lexica 七尾百合子」の劇場ふれあいセリフです。単独のたりが 2 度もでてくる例として重宝しています。

助詞・接続詞はひらがな

漢文の書き下しの規則ですが、助詞と助動詞はひらがなにするべきです。
「まで」「ほど」「など」はひらがなにしましょう。

接続詞もひらがなになる傾向があります。
「したがって」「ゆえに」「ならびに」「すなわち」「もっとも」「あるいは」「もしくは」などはひらがなです。

「たとえば」も副詞ですがひらがなのほうが好きです。

逆説の「かかわらず(拘わらず)」もひらがなです。「〜に関係なく」の「かかわらず(関わらず)」は漢字でも構いません 8

ちなみに公用文では「及び」「並びに」「又は」「若しくは」のみ漢字になるらしいですね。
ただし「また、」はひらがな。

なお補助動詞「やってる」「飛んでく」「〜〜できる」なども強制ひらがなです。

送り仮名を統一する

文化庁「送り仮名の付け方」には、「表わす」「著わす」「現われる」「行なう」「断わる」「賜わる」のみ、この送りが許容として認められています。
これらを使う場合には、たとえば「行わず」と「行なった」が同時に出現しないよう、統一してください。
当然ですが「送り仮名の付け方」は日本の正書法ですので、通則に従うのが基本です。

なお、漢字にするかひらがなにするかなどの表示揺れも避けたいところです。

尊敬語と謙譲語

謝辞以外では使いません。
とくに「〜してあげる」「〜していただく」などは敬語です。論文中では使いません。

「〜してもらう」は敬語ではありませんが、やっていただいた感がすごいので、微妙な表現として避けます。

色比較実験では中心の LED ポールから見て左右対称の位置にある 4 組のポールのうちランダムに選ばれた 1 組に、ランダムに選ばれた 2 色の LED を同時に点灯しどちらが目立つかを被験者に回答してもらった。点滅周波数特性実験では、5 種類の点滅周波数をランダムに 2 種類選択し順に呈示し被験者にどちらが目立つか回答してもらった

「回答させた」などが適切です。呈示もおかしいですね。提示が正しいです。ランダムも無作為のほうがよいですね。

色比較実験では、中心の LED ポールから見て左右対称の位置にある 4 組のポールのうち無作為に選んだ 1 組に、無作為に選んだ 2 色の LED を同時に点灯し、どちらが目立つかを被験者に回答させた。点滅周波数特性実験では、5 種類の点滅周波数から 2 種類無作為に選択し順に提示して、どちらが目立つかを被験者に回答させた

人と名(助数詞)

基本的に「人」で統一したほうが無難だと思います。
辞書によっては「(名は)人よりは丁寧な言い方」(スーパー大辞林)と書いてあり、数えられている人間に対する尊敬が意味に含まれていると思われるので、丁寧語である必要のない論文では「人」でよいのではないかという感じがします。
NHK や朝日新聞なども、「名」を原則使わないことを明言しています。

なお、ネットで検索すると「個人が特定できるときは名、特定できない場合は人」などという記述が見られますが、おそらくこれは完全に俗説です。

適用と適応

響きが似ているので混同する人がいますが、全然違います。

適用は「そのまま当てはめること」、適応は「当てはまるように歪めること」を指します。

たとえば「モデルを適用する」はある対象に対してモデルを使って表現することを指していて、モデルのパラメータは適当になんか取ってくるわけであって何かを歪めているわけではありません。
「モデルを適応する」は、何かモデルを当てはめたい対象があって、その対象に添うようにモデルを操作することを指しています。

表 2 より,提案手法の適応的領域分割を適用した ABPMSE 及び ABPFGSE の両手法が,各々従来の MSEA 及び FGSE より処理量を削減できている.

適応は、与えた画像に適するように(もともとあった何らかの領域分割を)歪めた領域分割を指すので適応です。
適用は、そういう領域分割法を画像に対して当てはめたので適用です。

適用・適応は英語では adopt・adapt と訳されますが、これも混乱しやすい組み合わせの 1 つです。
ad- は to(〜へ)の意味で、それを抜いた opt(選ぶ)や apt(適した)がメインの意味であると覚えておくと間違えません。
混乱する単語に adept(熟達した)もあります。

筆者・著者・作者

明確な使い分けはありません。ググると「筆者と著者は違う!」みたいに書いてありますが、あんまり根拠はないと思います。

新明解国語辞典の第 8 版には次のように書かれています。

ひっしゃ【筆者】①その文章(本)を書いた人。 ②今この文章(本)を書いている自分。
ちょしゃ【著者】その本を著作した人。作者。
さくしゃ【作者】その芸術作品を作る(作った)人。

したがって、今書いている私を指すのであれば「筆者」、芸術作品であれば「作者」、そうでなければ「著者」が選択肢としては一応適切でしょう。
論文は芸術作品ではないので、引用など論文を書いた他人を指すのであれば「著者」を使います。もっとも、上の辞書の記述からも明らかなように、この場合に「筆者」を用いたとしてもなんら問題はありません。
また、小説の作者を推定する技術は「著者推定」とよび、作者推定とは呼ばないようです。

こういった辞書の記述をもとに「著者は本でなければ使えない」「本として出版されていなければ著者ではない」という意見もインターネットでは見られますが、さすがに強引だと思います。たとえ論文が本として出版されていなくても、Web の予稿集だとしても、著者です。
手紙やメモ書きなどの明らかに書物でない物は、「書き手」「送り手」などの曖昧な表現を使うとよいでしょう。

次の例は、筆者・著者・作者の使い分けとしては正しい例です。

作品の可能な限りの復元を試みるケース、新たな創作を付け加えて忘れられた古典を上演するケースと、復曲の手法を分類し、各場合について、能本作者としての筆者の豊富な経験から『雪鬼』、『松山天狗』、『鐘巻』、『当願暮頭』などの例を挙げて説明する。

なお、ダブルブラインド査読などでは論文の著者が推定されてはならないため、たとえ自分の論文であっても「筆者」と指摘してはいけないケースがあります。

序論・結論

論文では Introduction / Conclusion(s) をたいてい書きますが、日本語の訳ではこれらが対になっている必要があります。
これには、およそ次のような候補があります。上のほうがよく見ますが順番は適当です。

  • 序論 / 結論
  • はじめに / おわりに
  • 緒言(しょげん) / 結言
  • まえがき / あとがき

英文法

文頭の and、but、so 禁止

文頭のandと but >> 英語論文校正サービスのエナゴ

英語の接続詞は厳密に接続される対象 2 つが必要なため、片方が存在しない接続詞の用法は学術論文では禁止されます(口語では構いません)。
文頭の and、but、so などは、前側(接続される側)が存在しないため相応しくありません。

論文中では代わりに moreover、however、hence などの副詞(接続副詞)で言い換えることができます。
接続詞/接続副詞の使い分けは、この名前を使い分けられている記事であればだいたい信頼できると思います。

なお、however や therefore は副詞であるため文頭・文末を含め文のどこに入れることもできますが、副詞であるという性質上強調したい部分の直前に置くのが適切なようです。
(このうち文末は若干口語っぽさがあるので論文には適さないと思います。)

また、接続副詞(とくに however など前後にカンマが必要になるような副詞)は対訳される日本語と比べてかなり強い接続の意味を持つので、日本語の「だから」とか「でも」とかと同じ雰囲気で使うことは控えるべきです。
(「しかしながら、」とか「そうであるからして、」くらいの重さがあると捉えるといいと思います。)
同様の理由で、段落の先頭に用いることも避けるべきです。

to / in order to / so as to

こちらも口語ではどちらでもいいです。っていうか論文でもどれでもいいです。
このあたりの使い分けは母語話者に聞いてもいろいろな答えが返ってくるので、我々非母語話者にはどうしようもありません。

目的の to は in order to と書けることがよく知られており、英語教育では「目的を表すことをはっきりと示すため」(Forest)、英英辞典を開くと「書き言葉では in order to をよく使う」(LDOCE)などと書かれていて、実は使い分けは簡単ではないようです。そもそも例文に (in order) to と書かれていたりもします。

目的であることがはっきりわかる in order to が万能かと思いきや、毎回 in order to を書くとくどいらしく、実用上は to と in order to を適切に使いわけることが求められます。

そこで、僕は次のようなルールで使いわけています。ようは「わかりにくそうなら in order to」です。

  • 次の条件は in order to
    1. 文頭に目的がくるとき
      • 名詞用法が主語になる場合との混同を避けるため
    2. to の直前が名詞のとき
      • 形容詞用法との混同を避けるため
    3. 意味上の主語が違って明示しなくてはいけないとき
      • for 〜 to 〜 だと軽くてわかりにくそうなので(適当)
    4. 文中に前置詞の to がでてくるとき
    5. to 節をとりそうな動詞の直後のとき
    6. 文が長いとき
    7. 否定のとき(not to のとき)
    8. to の直後が状態動詞のとき
  • それ以外は to 不定詞

たとえば、次の文は文頭に to 不定詞が欲しいので in order to にします(ルール 1)。受動態の文の意味上の主語は能動態での主語(by 節の中身)になるらしく、ここでは主述が一致しており意味上の主語を明示する必要はありません。

In order to build a basis for comparison, the precipitation characteristics of 〜 were also examined.
基礎的な比較を行うために,〜の沈殿特性についても調査した.

次の例はルール 4 および 6 に当てはまるので in order to にします。

Internationally standardized annoyance scales are required in order to compare community responses to environmental noises measured in various linguistic regions.
種々の言語地域にわたって環境雑音に対する社会反応を比較するため、うるささの指標の世界標準が求められる。

次の例は to 不定詞でもいいと思います(原文は in order to ですが)。

A series of bulky end‐capped [1]benzothieno[3,2-b]benzothiophenes (BTBTs) are developed to tune the packing structure via terminal substitution.

否定のときには単独で not to は使わず、in order not to か so as not to を使う傾向にあるようです(so as not to は使わないという人もいます)。
また、状態動詞(have、know、seem などの進行形になりにくい動詞)の場合には、なぜか in order to か so as to を使うようです。
このあたりは BBC の教材に書いてあります。

so as to は in order to と同様のかしこまった表現ですが、for で意味上の主語を取れない、文頭に来れない(来ても構わないと主張する人もいます)以外については、論文でも一応普通に使えます。
若干 in order to と so as to には違いがあって、in order to は目的・手段に主眼を置いている(〜のために〜する)のに対して so as to は結果に主眼を置いている(〜することで〜となる)というニュアンスの違いがあるようです。これが so as to が文頭に来にくい理由のようです。

これをまとめると、だいたい次のような表になります。

to in order to so as to
堅苦しさ カジュアル フォーマル フォーマル
否定(not to) ×
意味上の主語 ×
文頭 ×
状態動詞(to know) ×

どうでもいいですが、in order not only to 〜 but also to 〜 や in order not to 〜 but to 〜 なども表現として使えます。遭遇したことも書いたこともありませんが。

オックスフォードカンマ

A, B, and (or) C の and / or の前のオックスフォードカンマは、統一していればあってもなくてもよいとされています。

どちらでも構わないとされていますが、英語では and / or を書かずにカンマで列挙できたりカンマに同格の意味があったりするため、オックスフォードカンマがないと曖昧性が生じることがあります。
そのため、学術論文ではオックスフォードカンマを用いるほうが好ましいと考えています。

有名な例に、次の文が知られています。

Zinovieff shot over five hundred of the bourgeoisie at a stroke—nobles, professors, officers, journalists, men and women.

この文では、「貴族、教授、将校、記者、そういった男女たち」なのか「貴族、教授、将校、記者、そして男女」なのかが曖昧です。
オックスフォードカンマを使う場合は前者であることが明確です。

また、次の文も有名なパターンです。

She took a photograph for her parents, the president and the vice president.

この文では、彼女の両親すなわち大統領と副大統領の写真を撮ったのか、それとも彼女の両親と大統領と副大統領の写真を撮ったのかが曖昧です。
こちらもオックスフォードカンマを使う場合は前者であることが明確です。

文をつなぐときの and の前のカンマ

主語が省略されるときにはカンマなし、2 文目に主語があるときには(たとえ主語が同じでも)カンマあり。

I eat breakfast and then check my e-mails, in case there is something I need to do right away.

You can recognize and correct written mistakes , and you can also take part in spoken dialogues.

3 文以上つながるときは、当然ですが主語が省略されていてもカンマが入ります。次の例はオックスフォードカンマが入っています。

I thought about renewing my driver’s license (it does not expire for another two years) , recycled all our aluminum cans , cleaned the patio twice (even though it was clean before the second time I did it) , corrected the spelling of “mayonnaise” on a jar label , and am paying attention to the inexorable and sorrowful increases in deaths, here and everywhere else.

and でつなぐとあまりにも長くなってしまう場合には、複数の文に分けてしまうのも手です。

→ 参考資料

そのほかのカンマ

カンマの使い方は厳しく、基本的にないとダメ or あってはダメのどちらかです。

Grammarly の Rules for Comma Usage を読んでおくと便利。

such as と and so on の併用禁止

どっちも「〜など」の意味なので、両方使うと二重表現になります。

according to に注意する

「〜によると」と訳されますが、どちらかというと「〜とかいう奴が言うことには」くらいの意味です。

「〇〇はこう言っている(が、僕は知らないし責任はとらん疑うならそいつに聞いてくれ)」のような責任転嫁する文脈に使います。
(ここまでぞんざいなニュアンスにはさすがになりません。)
すなわち、たとえば自分の過去の成果や今回示す実験結果などに用いることはできません。

According to WHO experts, obesity (E66) is one of the most common non-infectious chronic diseases in the world.

according to は「〜によって」「〜に応じて」のような使い方もできます。
理系論文だとこちらの用法のほうが多いようです。
なお下の文は文頭アラビア数字禁止規則によって数字がラテン文字綴りになっています 9

One hundred and twenty-six (126) healthy subjects were divided into five groups according to their ages.

単に「〜によると」と言いたいときは、たとえば this figure shows や the paper says などの動詞で言い換えるときれいです。

according to には有名な誤用 according to me がありますが、これは in my opinion などと言い換えることになります(このような表現はそもそも論文では使えませんが)。

etc. / et al.

etc.(et cetra)は and so forth や and the rest の略、et al.(et alii)は and others の略です。
ともに etc.、et al. と略した形で使うほうが自然なようです。

etc. は「物理的に存在する人以外の物体」のみに用いることができます。
人、概念(物理的に存在しない「こと」)には使うことができません 10

et al. は人に対してのみ用いることができます。
こちらはもとの意味的にはそうではなさそうですが、人を etc. というのは失礼な感じがするので et al. とするという説があるそうです。

どちらも and が意味に入るため、and etc. などのように使わないようにしましょう。
また、and の前のカンマのルールも同様に適用されるので、オックスフォードカンマを使う場合は A, B, C, etc. などのようになります。

逆に、1 つしか例示しない場合には A et al. のようにカンマが必要ありません(が、わかりにくいためかカンマを入れることも多いようです)。
1 つだけしか例示せず etc. を使うパターンはほとんどありませんが、この場合もカンマは必要ありません。

文中に etc. が入る場合には、ピリオドが文の終端でないことを示すために直後にカンマを置くことが多いようです。

Empirical studies that do not assume a lot about elasticities etc., are therefore important complements to simulations in estimating taxes' distorting growth effects.

結局のところ、etc. は面倒しか生まないので、and so on などを用いて言い換えたほうが無難です。

なお、et al. は et alibi(and elsewhere・などの箇所)の略として用いることもあります(が、理系の論文で見たことはありません)。

Wilamowitz's attempt to maintain a running record of the ups and downs in Pindar's financial position seems especially odd (with Pindaros p.269 et alibi, cf. p.195 et alibi).

関係代名詞の which と that

that は限定的、which は非制限用法を使うほどでもない説明的、非制限用法の , which はさらに説明的、の順序性があります。
したがって、「(A の中から)B であるようなものを選ぶ」ような場合に that になります。

One of these advantages is its amenability to systems-level and quantitative approaches that can be used to dissect essential processes such as cell division and to model cell division behavior.

この場合は、様々な approaches がある中で essential processes を dissect するのに使えるような、という限定をする意味をもつので that が正解です。

These methods use all available data, addressing the limitation of ORA approaches which rely on an arbitrary significance threshold.

この場合は、ORA approaches のうち、arbitrary な significance threshold に rely on する approaches を指していますが、それが説明であるのか限定であるのかは非常に曖昧です。
つまり、ORA approaches のすべてがそうではなくてそういうものもあるのか、それとも一部の ORA approaches だけがそうなのか、についてはなんとも言えません。
さらにいうと、ORA approaches が定義上そうではないけれど、でも現状性質として持っているような雰囲気を感じます。

Among the protein-based approaches , which target proteins encoded by the transgenes, several methods depend on the Enzyme-Linked Immunosorbent Assay (ELISA) technique.

この場合は、既知の the protein-based approaches が、すべて encoded by the transgenes されている proteins を target にしているものである、という情報を付け加えています。
非制限用法では、関係詞節がなくても意味が同じになるような文である必要があります。

制限用法の which は意味が曖昧なため、学術論文では使うべきでないとする人もいるようです。

関係代名詞はおもに関係代名詞自身が目的格になる場合に省略できますが、意味が曖昧になり(that か which かわからない)、また読みにくくなるので、基本的には避けるべきです。
関係代名詞を省略しないと長ったらしくしつこく見える文は、そもそもその文の構造が不適切です。
ただ、関係代名詞節が目的格かつ節末が文末と一致する場合(Haruka is an idol everyone knows. など)ではあまりわかりにくくならないので省略してもいい気がします。

図表のキャプションは文章

図表のキャプションは、図表とキャプションだけ見て何の図かわかるような説明になっているべきで、文章であるべきです。
何行になっても構いません。文章で書いてください。
ただし、1 文目は体言止め(〜の概要図)とかでも構いません。

WaveRNN の論文では次のようになっています。素晴らしいですね。

image.png

図表の目次がある場合には、目次では文章にせず体言止めだけにするべきです。表記し分けるべきでしょう。

なお、「〜の図」とか「〜の表」とかは自明なので禁止です。
「〜の概要図」「〜のダイアグラム」や「〜の一覧」などの表現を使うべきです。

グラフのタイトルは上に書かれますが、これはあってもなくても構わないようです(WaveRNN の例では書いてあります)。

また、図は文章で書かなきゃいけないけど表は文章で書かなくてもいいよ、という主義もあるようです。

表のキャプションは(テンプレートの指示がない限り)上です。WaveRNN は下に書いてありますが、JIS 規格は上です

なお、図や表のデータを何らかの文献から引用した場合には、たとえ文章中で引用していても、必ずキャプションでもう一度明確に引用しなければなりません。

括弧で図を参照するな

また,術前の腎 CT では両側水腎尿管が認められたため(図 3),原疾患の糸球体腎炎に加え,膀胱腫瘍が尿管口を閉塞したことによる閉塞機転も腎機能の低下に関与している可能性を考え,より皮質の厚い右腎に対して腎機能の回復を期待して膀胱全摘除術と同時に右尿管皮膚痩を造設した(図 3).

なぜか知りませんがやってはいけないことになっています。
一部の論文誌や一部の大学の卒論など、提出フォーマットなどによっては明確に禁じていることもあります。

「図 3 に示すように」とかいちいち説明してください。

また,図 3 のように術前の腎 CT では両側水腎尿管が認められた.そこで,原疾患の糸球体腎炎に加え,膀胱腫瘍が尿管口を閉塞したことによる閉塞機転も腎機能の低下に関与している可能性を考え,図 3 に示すように,より皮質の厚い右腎に対して腎機能の回復を期待して膀胱全摘除術と同時に右尿管皮膚痩を造設した.

表や節に対する参照ももちろん同様です。

謝辞(Acknowledgements)

著者には書かれなかったが、論文を構成する上で必要な人・組織を指摘するためのものです。適当に扱われがちですが、非常に重要です。「共著に入っていないが共著レベルの貢献をした人・組織」あたりがわかりやすい比喩です。
国語辞典には「感謝の意を表す言葉。」(デジタル大辞泉)と書いてありますが、これとは異なります(誤訳と解釈されることが多いです)。
感謝ではなく指摘するためのものなので実は敬体である必要はありせんが、学位論文のみは敬体にするようです。(感謝している人たちを書いているんだから丁寧語にしろって言われた気がします。あれ?)

対外発表

研究会や国際会議などの対外発表の論文では、資金提供者の名前のみを書くことが多いです(科研費など)。これらはたいてい「こう謝辞に書いてくれ」というリクエスト付きで援助されているので、一言一句違わずそれに従います。ポスター等にも忘れずに。
データの提供元などにも謝辞を書く場合があるので、これはその都度要検討。

学位論文

学位論文の場合はページ数に大きな制約がないので、論文を構成する上で必要な人・組織であればなんでも書いて構わないことになっています。
論文を成し遂げるために必要だったのであれば、アイドルでもアニメやゲームのキャラクターでも声優でも全然まったくもって構いません。
雨宮天の研究をしたら謝辞に雨宮天が登場するのは当然でしょう 11

謝辞にはおよそ順番があって、次の順序に書くことが多いです。基本的に上の方が重要(コミットが大きい)ですが、家族で締めるときれいにまとまります。

  • メイン指導教員
  • サブ指導教員
  • 共同研究者
  • 助言をもらった人、研究室(所属組織)内の仲間など
  • 家族・恋人・夫・妻・息子・娘など
  • 資金やデータの提供者など
  • 書いた(提出した)日付と自分の名前(右寄せ)

資金が人と紐付いている場合には、「また〜と関連して、〜から援助を受けました。」的な表現を中盤に入れても構いません。

人の名前を出すときには、英文での敬称ルールとほぼ同様に、次の優先度で敬称を付けることになっています。表現に自信がない場合にはあらかじめ関係者本人に確認を取ります。本来であれば全員分本人に確認をとるべきですが、雨宮天とかは多分無理でしょう。
何度も名前が出てくるときでも、敬称は変えません(教授と指摘してから先生と呼ぶのはダメ)。
なお既に亡くなっている場合には「故」を付けても構わないようです。

  • 本人の希望
  • 大学及び同等の研究組織の所属である場合には、その地位(〜教授、〜技術補佐員など)
    • 秘書さんなど地位が敬称に直接ならない場合は、(職名)である〜氏も OK
  • 博士号をとっていることが明らかな場合には、〜博士
    • 医師の場合には医師を使ってもいいのかもしれない(文化を知らない)
  • 直接コミットがある場合には、〜氏
  • 家族でかつ学術的なコミットがない場合、名前を出さず母、父、兄、妹など
    • 学術的な貢献があれば家族よりも優先して「妹であり本学〜学部〜科の〜氏には」とか
  • 〜さん(雨宮天の研究でいう雨宮天など)
    • 滅多に使いませんが

なお、学位論文において指導教員は非常に重要な情報なので、所属をフルスペルで書く慣例があります。なぜなら、そこにしか指導教員の所属を明らかにする場所がないからです。「指導教員である〜大学(or 本学)大学院〜学系研究科の〜教授には」みたいな表現にします。
同様に直接の指導教員でない場合には「〜教授には第二の指導教員として」のような明らかに指導教員ではないとわかる表現(混同を招かない表現)をします。

日本語の謝辞では、具体的に何をしてもらったのかを明らかにしつつ、なるべく言い回しのバラエティが増やせるといいようです。ちゃんと丁寧に説明しましょう。
一方、英語の謝辞では登場人物間での差異が生まれないよう、なるべく表現を統一するとよいらしいです。

なお「教官」「助教授」などの廃止された表現があったりするので、過去の論文の謝辞を参考にする場合にはとくに注意を要します。

大学のロゴの無断利用禁止

ロゴには著作権があり、商標登録されている場合もあります。

無断使用は、多くの組織・大学が禁じています。

一方、構成員であれば用いてよい大学も存在します。

ロゴを使用する際には、一度使用規定を確認するべきです。


  1. 発表時(とくに学内発表時)に、「あなたのコントリビューションはなんですか?」と質問されることが多々あります。これは「お前は何も新規性のあることをしていないじゃないか」という詰問ではなく、「単純に君の発表のコントリビューション部分がわからない」という意味です。「何をしました」という主張は読み手・聞き手にとって内容を読み解く最大のヒントなので、これは絶対にはっきりさせるべきです。 

  2. あと中国系企業のモラル無さな。あいつらぜってぇ著作権とか肖像【検閲により削除されました】 

  3. これはジョジョネタです。 

  4. Dempster って誰やねん、と思いませんでしたか? 引用で著者名を書くというのは、こういうことです。 

  5. はじめて英文校正を投げたときにガツガツ修正されました。今でも記憶が残っています。 

  6. 『自動詞文と他動詞文の意味論』(佐藤琢三) 

  7. これはおそらく、日本語が可能と受身が曖昧な言語であるためだと思います。「A は B と表される。」という文では「れる」は可能・受身・尊敬・自発の意味を持ちますが、英語的に考えればここでは「私は A を B と表した」のですから本来受身のはずです。しかも、A は意思を持たない物体ですから A が主語で可能動詞を用いるのはやや不自然です。ただ、この文は主体がわかりにくく、また可能と受身が曖昧なため、可能となんとなく捉えて「A は B と表すことができる。」と表現し、結果的に本来受身だったものが可能になってしまったと考えるのが自然です。可能動詞「表せる」も「表すことができる」と同様本来は可能の意味しか持たないため同様です。確かに、表すことができるかどうかと言われれば、確かに表すことができます。このような曖昧さから、受身であるはずの表現を可能で表現してもあまり気にならず、可能で表現したほうが自然な場合さえあるようです。このようなラレル文の曖昧さは、口語文法の研究者によっても指摘がなされています。一方英語ではそういった曖昧さはないため、受身と可能を慎重に使い分ける必要があります。 

  8. なぜ「にも関わらず」は「にもかかわらず」と書くべきなのか | 毎日ことば 

  9. 英語の論文では文頭が大文字のアルファベットになるというルールが強烈に働くため、アラビア数字は強制的にラテン文字綴り(英単語での表記)になります。ただ、数字表記じゃなくなると読みにくいため通常は According to their ages, 126 healthy subjects were divided into 5 groups. などのように文頭に持ってこない工夫をするべきです。なお、文頭でない five groups は 5 groups と書いても問題ありません。 

  10. このルールは僕も知りませんでしたが、あまり守られていない気もするのでどちらでもいい気がします。 

  11. そういう卒論が Twitter で話題になりました。 

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