最近、AIや効率化の話が世の中にあふれている。楽しそうだ。
開発現場でQAや自動化・効率化を進める(進めろという圧もある)中で、最近ふと思うことがあります。
世の中、AI活用や効率化の話で溢れていて楽しそうだけど、
「そもそも、私たちが効率化しようとしているそれは、本当にただの『コスト』なのだろうか?」
「その泥臭いタスクは、私たちを学習・成長させてくれていたのではないか?」
「効率化を進めているはずなのに、なんだかつらくなってきてはいないか?」
と。
AI活用も、効率化も、なんのためにやっているのだろう?と思うことが増えました。
私たちが血にじむ思いで業務を1/3の時間に効率化しても、待っているのは「じゃあ空いた時間で300の仕事をやってね」という仕事の増殖と、給料据え置きの現実。
そんなために効率化しているわけではないはずです。
勤務時間が7時間に縮むわけでもない。残業はなくならず、タスクは常に溢れている。
……私たちは、なんのために効率化しているんだっけ?
私たちは「AIに仕事を奪われたい」はずだ
私たちは、本来なら労働から解放されたかったはずです。
「働くために生きている」という人は少ないと思っているのですが、どうでしょうか。
遊んで楽しく暮らしたい。面倒な儀式や、ハラスメントの温床になるような社内政治、しがらみからは解放されたい。空いた時間で、本当に他のやりたかったことをやりたい。多くの人は、そう願っているのではないでしょうか。
もし仮に、AIや効率化を拒むのだとしたら、それは「自分にしかできない仕事」として業務を属人化させ、組織化も共有もできない古いシステムのままでいるということになります。それも一つの生存戦略かもしれません。
けれど、私たちが抱え込んでいる多くの仕事には、どこかで必ず私よりも先に挑んだ先駆者がいるものです。
目指せるかもしれないところ
労働のための労働をAIに譲渡し、私たちはもっと創造的な仕事、あるいは「ただ生きることを楽しむ」フェーズへシフトする過渡期にいるのかもしれない。
これからの私たちは、きっとAIが負うことのできない役割へとシフトしていくのだと思います。
AIはまだ、私たちの仕事を奪いきれない
流れは来ています。来ているけれど、現実のAIはまだ完璧に仕事を奪ってはくれません(日本語の画像生成で文字がバグるような、可愛い限界もあります)。
この状況下で、まだキーボードを打つのに困る人も存在すれば、スマートフォンですら操作に困っている人もいる。そこには、非常に大きな格差が生まれているような気がしています。
AIに正しく仕事を奪ってもらうために、今まさに必要とされているのは、ツールを使いこなす技術以上に「問いかける力」と「課題の発見力」ではないでしょうか。
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何のためにこれをやるのか?(Why)
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AI(他者)に何を任せ、自分は何を判断するのか?
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「一般的にはこうだけど、うちの今のデータってどうなってますか? 1年後どうしていきたいのでしょうか」と組織に本質を問う力。
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顧客の本当に欲しかったものを、その対象から引き出す力、創造力や共感力。
AI時代、エンジニアの価値は「How(どう実装するか)」から「Why(何を問いかけるか)」へシフトするのだと確信しています。
これからの私たちは「信徒」であり「表現者」になる
これからの時代、AIという新たな技術や道具をどう使うかを超えて、「自分がどんな道を探して生きていきたいか」という意志そのものが必要になるのかもしれません。
「問いかける力」を磨いた先にあるのは、パイを奪い合うための労働ではなく、もっと綺麗な絵を誰かと一緒に描くような、きっとそんな世界であってほしい。
お互いがお互いの本質や、魅力、本当に欲しかったものを引き出し、より拡張された思考と、扱えるようになった多くの情報で、よりよい選択をしていけるようになっていけると良いと私は考えています。
みなさんには、どんな未来が見えていますか?