はじめに:PMの便利な「お守り言葉」
プロジェクトマネジメントの現場で、こういう言葉を聞いたことはないでしょうか。
「うちは特殊なんで」
「うちの業界は他と違うから」
「他は他、うちはうち」
「予算は予算、うちはうち」
「現場の実情に合わせてテーラリングしてます」
「うちはアジャイルなんで、その辺は省略してます」
「前任者からそう引き継いでます」
「他社の事例は参考にならない」
これらは便利なお守り言葉です。口にした瞬間、外部基準との比較から免除され、自分たちの判断は正当化されます。
誤解のないように書いておきますと、これらの言葉に一定の機能性があったことも事実だと思っています。他プロジェクトとの比較を一旦切り離し、自分たちのプロジェクトをまずは固める、という意味合いで使われる場面もありました。問題は言葉そのものではなく、その状態が長期化し、参照軸そのものを失うことです。
私自身は、立ち上げよりも、すでに運用されていてやや炎上気味、トラブルを抱えた現場に入り込んで安定させ、後任を育てていく、という関わり方が多かったです。その立場から観察してきた「お守り言葉が組織に与える静かな影響」を、本記事では書いてみたいと思います。
なお本記事は、前回の記事「なぜBPO型PMにGitHubが定着しないのか──PMBOK三地層モデルで読み解く」で論じた「対面・同期的コミュニケーションを核とするBPO型業務では、情報非同期化ツールが定着しにくい」という構造を、別の角度から掘り下げる位置づけです。前回はツール定着の難しさを扱いましたが、本記事ではPMの判断回路そのものに焦点を当てます。
縦と横、二つの参照軸──「手弁当中央集権化」という言葉について
PMの判断には、二つの参照軸があります。
縦軸は、ベストプラクティス(PMBOK、PRINCE2、CMMI、業界標準等)への掘り下げです。先人が体系化した知的資産を、自分の判断の足場にするものです。
横軸は、他の類似プロジェクトとの参照です。同業他社、社内他部門、過去案件の事例を、自分の判断の比較対象にするものです。
縦と横の両方を持つPMは、自分の判断を相対化できます。「業界一般ではこう、他案件ではこう、その上で今回はこう判断する」という構造で語れます。
ここで本記事の中心概念を定義しておきます。
手弁当中央集権化とは、判断根拠が手弁当(個人の経験と現場の空気)に閉じており、縦軸・横軸への広がりを持たないまま、判断権が一人のPMに集中している状態を指します。本記事を分かりやすくするための造語ですが、現場で起きている現象を捉える言葉として使います。
なお、手弁当中央集権化が必ず失敗するわけではありません。手弁当の経験が極めて豊かで、なおかつカリスマ性や軽快なフットワークを持つPMは、参照軸が薄くても結果を出す場合があります。否定したいのはこの個人能力ではなく、再現性のない構造に組織が依存することのリスクです。
委託業務で起きやすい「内向き化」
手弁当中央集権化は、業務委託の現場で特に起きやすいと感じてきました。
委託先のPMはクライアント環境に入り込みます。すると視線が内に向きがちになります。横軸で他案件のアイデアを聞けばよいのに、自分の部下、すでにオペレーティングしているメンバー、かつて同じ業務に従事していたクライアント職員──近い人の意見だけで判断が回るようになります。
ここに特有のねじれがあります。委託して業務効率化したいはずなのに、過去にクライアント職員が自分でやっていた頃の方法論が、そのまま展開されてしまうことが、しばしばあります。代行されていない時代のやり方を引き継いだままで、改善余地が硬直化していきます。
前回記事で論じた「BPO型業務は対面・同期的コミュニケーションが業務の核を占める」という構造は、この内向き化を強化する方向に働きます。すぐ隣にいる人、すぐ顔を合わせる人の意見が、判断の重みを増していくのです。これは個人の怠慢ではなく構造的な現象として書いておきたい論点です。
4象限で見るPMの立ち位置
縦軸と横軸でPMの立ち位置をマッピングします。
| 横:参照する | 横:参照しない | |
|---|---|---|
| 縦:掘り下げる | 🟢 統合型 | 🟡 体系偏重型 |
| 縦:掘り下げない | 🟡 経験参照型 | 🔴 手弁当中央集権型 |
🟢 統合型は理想形です。標準と他事例の両方を持ち、現場の文脈に応じて判断できます。
🟡 体系偏重型は、標準には強いが現場の温度感に疎いタイプです。PMOや方法論コンサルに多く、「正論だが使えない」と評される傾向があります。
🟡 経験参照型は、他事例の引き出しは多いが体系の裏付けがないタイプです。「あの現場ではこうやっていた」が判断軸になり、原理を語れません。
🔴 手弁当中央集権型が本記事の対象です。最も厄介なのは、この状態が外から見えにくいことです。判断が明快で、現場が落ち着いて見えるため、組織内で「現場をよく分かっている人」として評価されがちです。
「落ち着いた現場」の正体と、情報の中央集権化
ここで一つ留保を入れておきます。安定そのものが悪なのではありません。保守運用フェーズや高度に洗練された定常業務では、安定は価値です。「変化がないこと」と「進化を止めていること」は別の現象で、前者は洗練の結果、後者は退化の前兆です。
両者の差は、外部基準と接続されているかどうかにあります。退化的安定は、外部基準そのものを失い、現状維持が無自覚な惰性として続いている状態です。
退化的安定は、容器の底に沈殿していく濁りに似ています。日常は澄んで見えるのですが、環境変化や障害で容器が揺れた瞬間、沈殿していた濁りが液体全体に広がり、組織は一気に機能不全に陥ります。
この沈殿を温存する強力な装置が、情報の中央集権化です。
PMがあえて業務をマニュアル化せず、文化・ルール・業務標準化の実際の内容を小出しにする運営があります。これにより、情報のアクセス権限が組織内に分散せず、PMだけが情報優位性を持つ構造ができあがります。メンバーは目の前の作業だけを与えられ、横の参照に必要な情報源そのものを持てなくなります。「他の現場ではこうやっていた」と発言する材料すら、組織内で失われていきます。
短期的には機能しているように見えますが、機能しているのは業務というより人間関係であり、トラブルがあることを前提に組織を前進させ続ける、消耗的な運営形態でもあります。
「いいプレイヤーが名監督になるわけじゃない」──4類型の比較
ここで視点を変えてみます。
手弁当中央集権型に陥りやすいのは、プレイングが上手なPMです。自分で動けば結果が出る。判断も早い。だから、外部基準と接続する回路を持たなくても、当面はうまく回ってしまいます。
しかし、いいプレイヤーが必ずしも名監督になるわけではありません。プレイング能力とマネジメント能力は別の能力です。両者を「プレイング力」と「縦の参照・横の参照・情報開示・相対化受容」という5軸で見ると、PMには4つの類型が浮かび上がります。
図:プレイヤー軸とマネジメント軸で見るPMの4類型
- 類型A:名プレイヤーかつ名監督(統合型) ──自分でも動けるし、組織も育てられます。理想形です。
- 類型B:名プレイヤーだが名監督ではない(手弁当中央集権型) ──本記事の対象です。本人の手腕で現場は回りますが、組織には何も残りません。
- 類型C:名プレイヤーではないが名監督(理論型管理者) ──自分は動けませんが、参照軸を組織に流通させる仕事ができます。
- 類型D:名プレイヤーでも名監督でもない ──最も伸びしろがある状態とも言えます。外部基準と接続する意志があれば類型Cに移行可能です。
注目すべきは、類型Bと類型Cの対比です。短期成果では類型Bが勝ちますが、中長期の組織能力では類型Cが勝ちます。「自分が抜けても回る組織」を作れるのは類型Cの方です。
これはある種のリーダーシップ論でもあります。プレイヤーとしての殻を破ること──この脱皮こそが、ある段階以降のPMに求められる課題です。
では、何をすればいいのか──業種横断で通用する4つの構造
ここからは処方箋です。個人の習慣論ではなく、組織構造レベルで何をすべきかという視点で書きます。BPOでもSEでも通用する形に整理しました。
第一に、明示化──情報を「黙示的」ではなく「明示的」にする
手弁当中央集権型は情報を中央集権化しようとします。逆の力学を組織として働かせる必要があります。発想としてはオープンソースに近いものです。自分の段取り・手順・判断ロジックを小出しにするような黙示的な見出しに留めず、明示的な文書・ツールに落とすことが重要です。SEならコードとREADMEとドキュメントに、BPOなら手順書と判断基準書に、共通して当てはまります。情報優位性をPMの権力源にする構造を、組織として認めない姿勢が要点です。
第二に、越境──視察・アイデアソン・ブレストで横を覗く
他プロジェクトがあるなら見に行きます。視察は軽視されがちですが、違う世界を覗くことで初めて自分の現場を相対化できます。最近の文脈ではアイデアソンや異業種ブレストも同じ機能を果たします。SEならカンファレンス・社外勉強会・他チームの振り返り会への参加、BPOなら他案件の視察・業界団体の交流会などが該当します。重要なのは、これを業務時間内の正式な活動として組織が認めることです。個人の自己研鑽に依存させると持続しません。
第三に、相対化──「リア王の道化」を意図的に置く
シェイクスピア『リア王』の道化は、王の絶対性を笑いながら相対化する存在でした。PMにもこの役割の他者が必要です。自分のプロジェクトを語った時に「他の現場ではこうやっているよ」「その判断は標準と違うよ」とガンガン返してくれる人です。上司、同僚、部下、外部のメンター、コミュニティの誰でも構いません。重要なのは、自分を絶対化せず相対化してくれる人物を意図的に確保することです。判断ログを個人で書くより、他者の目に晒す回路を組織として持つ方が遥かに強い装置になります。
第四に、実装──汎用スキルをとりあえず使ってみる
「うちは特殊」と語る前に、汎用スキルはどんな現場にも一定は適用可能だという前提に立つことが大事です。前回記事で論じたように、BPO現場のような領域固有性の高い業務でも、PMBOKの汎用枠組みは確実に使えます。偏りがあるだけで、使えないわけではありません。
WBS、バーンダウン・バーンアップチャート、プロジェクト憲章、手順書、マイルストーン──まずフットワーク軽く使ってみることです。古いやり方でもよく、むしろ古いやり方を知ることが新しいものをキャッチアップする一歩になります。
ここで思い出すのが、任天堂で『ゲーム&ウオッチ』や初代『ゲームボーイ』を生んだ故・横井軍平氏の 「枯れた技術の水平思考」 という思想です。最新ではなく成熟して安定した技術を、別の領域に組み合わせて新しい価値を生むという発想は、汎用スキルの活用論と論理構造が同じです。WBSもPMBOKも、長い時間をかけて磨かれてきた成熟体系ですが、それを自分の現場に水平展開する発想こそが、手弁当中央集権化を脱する第一歩になります。
これをエンタープライズ単位で組織的に推奨することが、沈殿を防ぐ最も実効的な方策です。
4つの処方箋をキーワードで束ねるなら、「明示化・越境・相対化・実装」 です。これらはBPOにもSEにも通用する、業種横断の組織構造論として機能します。
仮説のまとめと問いかけ
沈殿した濁りは、揺れるまで見えません。そして揺れた時には、対処は手遅れであることが多いのです。
手弁当中央集権化を脱する道は、個人の意志ではなく、明示化・越境・相対化・実装の4つを組織構造に埋め込むことです。プレイヤーとしての殻を破り、組織の知を流通させる仕事に踏み出すこと。そして成熟した知識を恐れず、水平に展開すること。
- あなたの直近の重要判断、根拠を縦(標準)と横(他事例)の両方で語れますか?
- あなたの現場の安定は、洗練の結果ですか、それとも参照軸の喪失の結果ですか?
これは現時点での仮説であり、何より私自身への問いです。皆さんの反応で精緻化していきたいと考えています。
