考えるな感じろ!
考えたところで不測の事態は起きるし、どんなに考え抜いたアーキでも例外は必ず起きる。
そう、システム(プログラム)ってそういうモノ!!
そんなわけで、若い時はなんか色々と考えて生活やら実装やら設計してましたが、
いつの頃からかなんとなくの感覚で勢いと思いのままに生きてる、え~すけさんですよ。
いや、全く何も考えているわけではなく、経験からくるものなのかわかりませんが、なんとなくこうしたら(大きな失敗もなく)うまくいくんじゃね?と言うローリスク・ハイリターンな感覚が身についたのかも知れません。
そんなわけで
最近、AIに
- 設計を考えさせたり
- コードを書かせたり
- テストさせたり
- ブログの雛形を書かせたり
- ちょっとした雑談したり
気づけば仕事の半分以上をAIにお願いしているわけですが。。。
便利すぎる
も最近、ふと思った。
「あれ?俺、自分で考える時間減ってね?」
コードレビューをしていても、
「あれ?これ何でこうなるんだっけ?」
となる瞬間が増えた気がする。
年齢のせい?週末の犬の散歩の疲れが取れてない?
※チワワ(小型犬)のクセに1~3時間/1回 * 朝・夕方 歩いてあげる飼い主の鑑(DQウォークが捗ります
あ、中年の危機(ミドルエイジ・クライシス)になっちゃったか?
割と世界でも話題になっているっぽい
実はこの現象、海外では
「AI Overreliance(AIへの過度な依存)」
や
「Cognitive Offloading(認知的オフロード)」
という名前で研究されているみたいです。
要は、
「考える仕事をAIに預ける(丸投げする)こと」
電卓が計算を代わりにしてくれるようにAIは
- 考えて
- 調べて
- まとめる
まで代わりにやってくれるため、AIに頼りすぎると人間が本来持つ
- 批判的思考
- 判断力
- 自己評価
などが少しずつ弱くなる可能性が指摘され始めているみたい(まさに今のこの状態になりつつある
でも、電卓も最初は同じこと言われてたよね?
「電卓だってそうだったんじゃね?」
- 電卓
- GPS
も、
「人間を【バカ・アホ】にする」
と言われ続けてきた。だが現在は、
- 九九を暗算しなくても仕事はできる
- 辞書や専門書を隣に置いておかなくてもいい
- 誰も紙の地図を持って歩かない
つまり、
道具に仕事を任せること自体は悪ではない。
むしろないと不便だしね。
つまり問題は、
何を任せるか。
ってとこなんじゃないかと。
AIは「思考停止装置」にも「思考増幅装置」にもなる
「なんで?どうして?」まで理解しようとする人は、大きく成長すると勝手に思っています。
例えば「こんなSQL書いて」って依頼して出てきた結果を、脳死で「何も考えずにコピペで使って終わり」だと、「なぜそのSQLになったの?」と言う過程や説明まで理解して初めて使えるレベルになれるのに、例え動くモノが出来たとしても何の理解もないままで終わってしまうため、
SELECTってどう書くんだっけ?
って、笑えない未来がやってきてしまうのかなと。
AIを使っても能力が落ちにくい人
研究でも、AIを
「答えを出す機械」
ではなく、
「一緒に考える相手」
として使っている人のほうが、思考力を維持しやすいと言われているみたいです。
自分のAI関連の記事で、割と書いたりしていた
- 他に方法ある?
- この設計のデメリットは?
- 私の考え間違ってない?
- 反対意見を出して
みたいな「壁打ち」みたいな使い方はあながち間違っていなかったのかなと。
まぁAIの使い方としてはどうなのかなと言うところもありますが、人間として色々と終わらない使い方としては良かったのではないかと。。。
※それでも「アホになってきた」という不安が出てくるので、これが合ってるのかも疑わしいが。。。
個人的に思うこと
AIを使うこと自体は、時代的な流れも有るのでもう止められないし、むしろ使わないほうが損する時代だと思うが、
「考えること」まで全部AIに委ねる
と、便利になる代わりに自分の頭を使う機会は確実に減る。
なので、AIは人間の代わりに考える道具ではなく、
人間がより深く考えるための道具
として使うのが、一番強いんじゃないかなと思う。
AIのお陰で色々と出来ることも増えてきたし、
今まで実現できなかったアイデアとかも形にするところまで出来てきたけど、
AIも完璧じゃないので、間違った情報出してきたり、変な設計したり、不具合出したりもするので、
AIを疑う・結果をキチンと精査する能力
を付けるのも今後の人間の課題としてあるのかな。
それらを踏まえると、新人のうちからAIを使わせるのは仕方のないことだけど、AIの答えを鵜呑みにするのではなく 「なんで?どうして?」 を深堀りして 「知識・理解」 を深めていく方向で育成していくのがいいのではないか?