ようこそ考察の沼へ
こんにちは。
山田遍音とかいて、やまだあまねと呼んでください。
ツバメと聞くと、舌打ちをしたりしていませんか?
りんご味のグミを過剰に咀嚼していませんか?
胸に手を当てて自分に聞いてみてください。
想定する記事読者
わたしの記事を開いた人は、残念だが、iOSエンジニアとして、食いつなげるかわからないが、iOSを含めApple製品の調査やコーディングをして糊口をしのぎたい人だ。
とどのつまり、わたしだ。
Appleエンジニア・・・?
Appleエンジニアは、Apple社員かつエンジニア職に就いている人のことではない。
いや、おそらく、Apple社員かつエンジニア職に就いている人はAppleエンジニアと称していいはずだ。
iOSエンジニア・コーディングやアプリのリリースに関わる者は、今後2分する。
前者は従来通り、コーディングやライブラリ生成に関わるものたちだ。プログラマやPMとして、従来通り働く。
後者は、コーディングは得意ではないが、日本人でありながら翻訳が非常に得意で、Appleのドキュメントを迅速に理解し、チームメンバにわかるように連携する仕事に従事することになる。
サーバエンジニアがAWSエンジニアやGCPエンジニアに転じたように、iOSエンジニアから、Appleのサービスを代わりに理解するエンジニア(Appleエンジニア)が発生するだろう。
それって、エンジニアなのか?
本質を組み替えて換骨奪胎して、本家に劣るとも勝らないガイダンスを作る仕事になる。
これがエンジニアリングなのか?
そもそもエンジニアとは、なんなのか?
それでも、私の主張は今の時点では揺るがない。
Appleエンジニアは、親鳥がひな鳥に生きの良いシャクトリムシを与えるような仕事をするだろう。2025年が転換期だろうか?
日本のAppleエンジニアは、日本人に理解可能な形に、英文を咀嚼して質の良いガイダンスを吐き出すはずだ。
このテキストを打ち込んでいるわたしが、うんざりしていると思うか?
このテキストを呼んでいる人が、内容がなくてがっかりしているとは思う。
最後に
英語がないと、やっていけない日本にしたのは、紛れもなく我々日本人だ。
「美しくないけど日本!なんかとにかく残したい」派閥の山田遍音としては、Appleエンジニアか、やってこ!という感じである。
勉強をして足りないという日は来ないもんだな。