取適法って何だっけ
2026年1月、取適法(中小受託取引適正化法/いわゆる改正下請法)が施行されました。"お金と記録"の周りを、これまでより厳しく見る法律です。その前振りかのようにあった、フリーランス法の整備も含めると、外部パートナーとの関係性の健全化という大きな流れの一環のようです。
取適法(中小受託取引適正化法)とは、従来の下請法が改正・名称変更され、2026年1月1日に施行された新しい取引ルールです。主なポイントとして、適用対象の拡大、手形払いの原則禁止、価格協議義務の明文化が挙げられます。
- 名称の変更(上下を連想させる「下請」などの用語の見直し)
- 適用対象の拡大(適用を受ける事業者、取引対象いずれも範囲が広く)
- 禁止行為の追加(一方的な代金決定の禁止他)
細かな変更内容は、わかりやすいまとめ記事が公開されているので、そちらにお任せします。
私のフィールドであるWeb制作やシステム開発では、大きな会社組織からフリーランスまで、複雑に組織体が絡まっていて、誰が外部パートナーなのか意識せずに向き合っているからか、「あの人、違う会社の人なんだね」と後で気づくような事もあります。
大きなチームでは、多層化したピラミッド構造となりやすく、末端まで"お金と記録"をやりきれていると言い切れるかというと、そうでもない。
小さなチームでは、お互い顔が知れていることもあって、口頭で依頼をする習慣になってしまっている。
一人きりでの自主制作でもない限り、Web制作やシステム開発に携わる人間にとって"お金と記録"は抑えておいて損はないトピックです。
お国からのプレッシャーがジワジワと
公正取引委員会は2026年6月19日、委託事業者7万5,000社を対象とした「令和8年度中小受託事業者との取引に関する調査」を開始しました。これは、下請法から取引適正化に向けた法改正(取適法)が施行されてから初となる大規模な定期調査です。大規模調査の目的としては、違反行為の早期発見・改善につなげる、取引の適正化を目指しているものと思われます。"発注する側"の話だけではなく、この秋には受注側にも調査が来ると言われています。
私のスタンス - 取引を通じたパートナーとの関係性健全化を考える機会に
ここ48ヶ月ほどシステム保守に向き合ってきました。ただ、ゴリゴリのエンジニアというより、クライアントワーク中心の人間です。細かいタスクの調整や発注業務に伴うやりとりは、面倒な反面、お客さんとの関係を作るコミュニケーションの場として捉えています。
取適法の取り締まりの傾向を見ていて思うのは、この取り締まり強化で発注側と受注側がそれぞれ身を守るように対立する方向に進んではほしくないと。
もちろん、今回の法改正が全ての取引、全ての事業者に適用されるわけではありませんが、制度の目的が「関係性の健全化」であると純粋に捉えた時、組織形態の多様化時代に沿った関係性づくりに努めてみるきっかけと、前向きに捉えています。
エンジニア・デザイナーの日常における取適法的NG集 / #1 書面不交付の例
発注のときに書面を出さない「書面不交付」——これは下請法時代から、違反のなかで一番多い類型です。
数字で見ると、発注書が"常に交付される"のは全体で8割ほど。ところが、反復・都度型の取引になると5〜6割まで落ちます。
<反復パターン>
発注担当者Aさん:文言の修正お願いがあって…
エンジニアBさん:了解です。
発注担当者Aさん:先月と同じ感じで直してもらえます?
エンジニアBさん:あれと同じですね、対応します。
——「前回と同じ」だと、発注書は"わざわざ"になり、回を重ねるほど省かれていく。
<後出しパターン>
発注担当者Aさん:急ぎですみません、決済まわりで不具合が…お願いしていいですか?
エンジニアBさん:もちろんです、すぐ動きます
エンジニアBさん:(30分後)直りました、デプロイ済みです
発注担当者Aさん:さすが、助かりました!🙏
——短時間だったし、なんだか"わざわざ"請求するのも大袈裟な雰囲気さえ生まれてくる。
現場は、どこまでやれば?
緊急対応なのに、発注書をもらっている暇なんてないよね。と、言いたくなります。戸惑っているのはベンダーだけではない。発注側も同じです。「発注プロセスを、どこまで厳密にするか」。この答えを、誰も持っていない。
ベンダーからすれば、細かいタスクごとに発注書は面倒だし、長年のお客さんに急に書類を求めるのは、関係がギスつきそうで気が引ける。発注側からすれば、手間もコストもかかるし、そもそも急いでいるから頼んでいる。厳密にしすぎれば窮屈。緩すぎれば、後で困る。
その"ちょうどいい"がどこにあるのか、みんな手探りです。
なぜ"記録"が抜けるのか
急いでいた、気を利かせた。善意とスピードの副作用で、記録だけがすり抜ける。それが「書面不交付」の、現場での正体です。では、なぜこうも"すり抜ける"のか。
日々のコミュニケーションでの、記録とか費用請求に関しての意識があまり向きづらい。だから、記録はすっと落ちます。
- 発注サイド:早く直してほしい。似たような作業なら直ぐ取り掛かってもらいたい。
- エンジニア:自分は"作る人"。受発注や費用調整は「営業や会社の仕事」。
- 営業:営業担当がそもそもいない。現場のやり取りが見えず、後から集計できない。
あるいは、状況的・構造的な理由もあります。(システム保守に偏った内容になっているかもしれません)
- 依頼のきっかけが第三者起因:障害・セキュリティパッチ・監視アラート。起点が"事象"なので、発注をすっ飛ばして対応が始まってしまう。終わった後は、ほっとして別の作業に移ってしまう。
- 作業内容がうまく共有できない:当然のことですが、発注側と技術者の認知レベルには差異があります。急いでいるときなど特に、作業内容と費用についてのコミュニケーションに意識が向きづらい。
- 発注には見積りが必要:発注するということは、そもそも見積りが必要です。本来あるべき過程なのですがスキップが常套となっている状況からすれば、体感として工程が1つ増えたかのような感覚を受けます。
じゃあ、どうする?
あらかじめ伝えておきます。「記録をしっかりつけましょう」は、浸透しなかったです。勤怠管理のケースなどで皆さん重々ご存知かもしれないですが、記録をつけることと、それを徹底させようとするイタチごっこ程、辛いものはないです。"後で"記録することは、不可能ではないのですが、精神的にも辛いものがあります。
人工で成り立つ商売では、発注側も受注側も「動いた時間分(働く時間分)、いくらです」という考え方が染み付いています。記録と捉えると、動いたあとにしか作られない。だから、忘れるし、すり抜ける。この"先に動く"文化そのものが、書面不交付を生む土台になってしまっているのではないでしょうか。
記録じゃなくて"計画"、費用じゃなくて"予算"と捉えてみる
意識としては、こうです。動いてから値段を数えるのをやめて、値段(予算)に合意してから動く。時間の使い先を、先に決めるのです。行動としては、大げさな話ではありません。着手する前に、一言はさむだけです。
「これ、2時間くらいで見ますね。だいたい◯円くらいになりますが、進めていいですか?」
この一往復があるか、ないか。それだけで、「何を・どれくらいで・いくらで」が、着手の前に、両者の間に残ります。発注側も「頼んだ」とはっきり認識する。エンジニアも、あとで請求に困らない。角が立つどころか、むしろ「ちゃんとしてる人だな」と信頼されます。
小さなことのようでいて、けっこうな行動改革です。これが結構むずかしい。まだまだ浸透しているとは言い切れませんが、「予算ありき」が広がっていけば、見積りや発注などの書面交付の問題のクリアにもつながるのではないかと期待しています。
予算を伝える10フレーズ
まずは自分自身の行動から、ということで。見積りを出す受注者の立場から、"予算ありき"を浸透させるためのコミュニケーションフレーズを集めました。
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まずは概算を返す(基本形)
「これ、だいたい2時間くらいで見られそうです。◯円くらいになりますが、進めて大丈夫ですか?」 -
「前回と同じ」依頼のとき
「前回と同じ対応ですね。同じくらい(◯円)で進めます、大丈夫でしょうか?」 -
やってみないと読めないとき
「原因を見てみないと工数が読めなくて。まず◯時間だけ調査させてください。そこで正式にお見積りします。」 -
上限だけ先に置く
「ざっくり◯時間くらいかなと。もし超えそうなら、その前に一度ご相談しますね。」 -
緊急・障害で、先に動くとき(事後でなく、着手した直後に)
「先に復旧を進めますね。今回の対応、目安は◯時間/◯円くらいです。追って正式にお送りします。」 -
やってみたら範囲が広がったとき
「開けてみたら、想定より影響範囲が広くて。ここまでなら追加◯円で収まりそうですが、どうしましょう?」 -
「ついでにこれも」と来たとき
「そちらも一緒に、で大丈夫です。ざっと◯円ほど足す形になりますが、進めますね。」 -
終わったら、確定を一言
「完了しました。実績は◯時間、◯円で確定です。」 -
月額の枠を見せるとき
「今月の枠は、あと◯時間ぶん残っています。この作業を入れると◯時間なので、収まりますね。」 -
夜間・時間外になりそうなとき
「夜間の対応になりそうなので、通常と単価が変わります。◯円になりますが、進めて大丈夫ですか?」
10パターンも覚えていられないよ!という場合は、「作業、お見積もりしますね。」の一言をお伝えして持ち帰る、でも良いでしょう。
どこへ向かうのか
制度は、大きくは「取引を、書いて、残して、見えるようにする」方向へ進んでいます。この流れは、たぶん止まりません。
問題は、それを"取り締まり対策"と受け取るか、"関係の足場"と受け取るか。前者なら、記録は「いざというときの武器」になり、現場はギスついていきます。私が向かいたいのは、後者です。記録も透明性も、お互いが気持ちよく仕事を続けるための足場であってほしい。足場さえあれば、システムは維持され、それはめぐって、お客さん自身の利益に返っていきます。
とはいえ、「どこまで記録すれば"ちょうどいい"のか」の答えを、私もまだ持っていません。だからこの連載では、取適法が指摘する一つひとつ——書面のない発注、あとからの減額、仕様の変更、引き継いだ現場の混乱——を、私が見てきた実話に照らして、順にほどいていくつもりです。次回は、そのなかでも一番よく揉める「お金の話」から始めます。
あなたの現場の話も、よければ聞かせてください。"ちょうどいい"を一緒に探せる仲間を、探しています。
書いた人:柳本 安紀(やなぎもと あき)。プロジェクト管理・業務プロセス分析のコンサルタント。「プロジェクトに関わるすべての人のウェルビーイング(良くあること)を高める」Project-Wellbeing Act をライフワークに掲げて活動中。 → https://project-wellbeing.jp/