はじめに
LITALICO Engineers Advent Calendar 2024 シリーズ 4:10日目の記事です
どうもこんにちは。
株式会社LITALICOでITサポートグループに所属している@3939_ohagiです。
2024年4月にこのグループへ異動してきました。
社内のありとあらゆるIT面でのサポートを実施する組織で、
「情シス」に言い換えると伝わりやすいかと思います。
異動前は別のグループにインフラエンジニアとして所属していました。
なぜ異動したのか?どんな心の変化があったのか?
そんなところを書いてみようと思います。
異動してから意識した行動については、別の記事に書いていますので
セットでお楽しみください!
「情シスへ異動して意識的に変えたコミュニケーション方法」
この記事で得られること
- ちょっと前向きになれるかも。
- メンタルヘルスを見直すきっかりになるかも。
あれから4年
実は、4年前のアドベントカレンダーで
学習意欲皆無のゾンビ状態からインフラエンジニアにスキルチェンジするまでの話
これを書いておりました。
前回記事から4年が経ってどうなったか?という後日談にもなっています。
想像以上に多くの方から読んでいただき、公開から4年経っても反応をいただけることをとてもうれしく思っています
ぼくの考えた最強のITエンジニア
私は以前、"ITエンジニアらしい存在" についてこんな風に考えていました。
- アルゴリズムを理解し、効率的で見やすいコーディングができる
- Linuxサーバーの操作が難なくできる
- 学術的な情報工学の基本を理解 or 学んでいる
- 有名な資格を取得している
- 基本情報や応用情報、AWSやCISCOやLinuCなどなど
- 障害発生時にすぐにレスポンスができる
- 業務外の時間にも技術的な学習を行う
- 最新技術について常に情報収集をしている
- しかも学んだことをSNSやブログなどで発信
- なにより、技術の仕事を楽しんでいる
さて、これらを満たす人はどれくらいいるでのしょうか?
できない = 努力をしていない?
高校卒業後は家庭の事情で進学できなかったので、
就職するならある程度興味があって比較的稼ぎのいい業界にいこうと思い、飛び込みました。
まったく理系ではないので、取り残されたくないという焦りが常にあるなか
「どうしてできないの?」と正論で斬ってしまう独特の雰囲気に押されてしまい
本当に基本的なことほど、なかなか相談しにくい状況でした。周囲にはギークな人も多く、
次第に技術を楽しんで学ぶことができない自分に強い罪悪感を覚えるようになっていました。
女性が圧倒的に少ない業界なので、いたとしても10年以上前の当時は
「男社会で生き残った強い人」が多くキャリアを築く上でロールモデルとなる人はほぼいませんでした。
また、「未経験からITエンジニアを目指そう」系のSNS投稿や広告が増え、
「やりがいのある業界でキラキラしている」ことを殊更アピールするものが多くて
生活のためにこの仕事を選んだ自分は透明化されているかのような息苦しさもありました。
私のようのな中途半端なタイプは、なんでもこなせる人にならないと
この業界での存在価値はないと思い込むようにもなっていました。
しかしこの高すぎる理想と現実のギャップは当然ながら埋まることはなく
「できない=努力ができない人間」と自分を責めるようになっていきました。
歳を重ねるごとにこの考えは丸くなっていくものの、
何かに躓くたびに「ほらやっぱりダメなんだ」と立ち戻ってしまう厄介な状態でした。
異動した理由
すごく端的に言えば、インフラエンジニアとして
今後のキャリアを築いていくイメージが湧かなくなりました。
LITALICOには2020年にインフラエンジニアの育成枠として入社し、
それはもう色んな方々にご苦労をおかけしながらもなんとかやっていました。(その節は本当にありがとうございました泣)
なんやかんやで半年の休職もありました。
休職明けはチャレンジとしてサーバーサイドをメイン担当させてもらい、
1年経ったところでインフラエンジニアとしては頭打ちだなと正直に思いました。
突発的かつ難易度の高い対応を求められることが多い仕事柄、私自身の障害特性(ADHD)とも擦り合わせることが難しいと感じる部分も多く
このまま時間をかけてスキルアップできたとしても、
仕事に対してプロである自信を持てないまま働き続けることは目に見えていて
そうした働き方はいい加減やめようと決めました。また、休職を経て
「ITエンジニアらしくいられない自分でもいい」と受容できるようになっていたことも大きな理由でした。
障害の特性は人によって大きく異なります。
「発達障害者は○○の仕事に向いていない」と誤解なきようお願いいたします
休職していたときのこと
人生はじめての休職でした。
高卒で仕事を始めてからずっと技術力の面で自信がなく、
- 「バリバリ開発ができないからダメ」
- 「技術のことを積極的に学べないからダメ」
- 「あの人と比べて自分はどれだけダメなのか」
そんなことばかり考えていました。はい、鬱です。
見栄ばかりが邪魔をして、
そうした思いを同じ職種の人へ話すことにすごく躊躇いがありました。
よし、カウンセリングに行こう
そもそもどうしてこんな思考になってしまったのか?
色々と自分の中で清算したいことがあり、カウンセリングに通って認知療法を受けました。
そこで私は他者に自己開示することを長らく放棄していたことを教えてもらいました。
とにかく我慢して、自分が悪いと思って片づける癖が染みついていたのです。
白黒思考で完璧主義、少しでも理想から外れることを許容できずに自責する傾向がありました。
こうした思考の癖があると、
- 発生していない出来事にたいして「きっとこうなるに違いない」と悪い方向に決めつける
- 「ミスった!またダメなやつと思われる」などと事実と想像の区別ができずに落ち込む
という負のスパイラルに陥ってしまうので、身近に起きた出来事をもとに、
なぜしんどいのか?なぜ頭にきたのか?などの感情を言語化する訓練をしました。
言わないと伝わらない
カウンセリングでの訓練を経て、
ある時、休職中に行った上長との面談で思い切って伝えました。
「10年以上やっているけど、ろくに開発もできないし後ろめたさしかない。
技術の勉強も楽しんでできない。こんなダサい自分が嫌だ。マッチョな業界の風潮もしんどい」
このとき上長はとても共感してくれて、ITエンジニアと一口に言っても
開発が得意な人もいれば設計や話をまとめることに長けている人もいると言ってくれました。
想定外に「このしんどさはあるあるだよね」と盛り上がれたことで、
拍子抜けしたと同時に解放感を味わいました。
なんだ、早く言えばよかった!!!
そしてそんな休職明けになぜサーバーサイドにチャレンジしたかというと、
やっぱり"ITエンジニアらしい仕事"に未練があったから。
上長との会話をきっかけに「これでダメだったら潔く次を考えよう」と前向きに捉えていました。
結果としてインフラエンジニアとしてキャリアを築くことは難しいとわかったし、
「ぼくの考えた最強のITエンジニア」は幻想であることも理解でき、
自分が今できることにフォーカスするようになりました。
異動してから…
経歴としてITエンジニア出身ではない方がほとんどのグループなので、なんとなく仕事の仕方も違う。
なのでとにかく聞きまくりました。質問しまくり。そして、
飛んできた玉をすぐに打ち返して消化しまくる、といった作業が得意な私は
「社員からの問い合わせ対応」で一役買うことができました。
問い合わせ内容も多岐にわたるので、
- どこのエンジニア組織にエスカレーションするか?
- エスカレーションされたエンジニア側が必要とする情報の整理
- 事象の切り分け、事実の整理
- 端的に事実を伝える
こうした情報の整理・共有が重要になります。
これらは経験から難なく自然とできることだったので重宝されたことに驚きと喜びがありました。
結果として、「広義のITエンジニア」という形でプロの自信をもって働けるようになったのでした。
最後に
誰にでも理想の自分はあると思いますが、
他者と比べてどん底まで落ち込むようであれば、それは健全ではありません。
「らしさ」に囚われて本来できるはずのことを見失っているようなら、一度その「らしさ」を見直してみませんか?
いわゆる「つよつよエンジニア」になれなくていいし、それは出来る人がやってくれます。
挑戦して結果がダメでも死にませんし、日々は続いていきます。
長く走っていくには、弱音を吐いたり共感してもらったり必要な場面で誰かに頼ることがなにより大事ですから。
明日(12/11)のLITALICOアドベントカレンダーは
- @tomoki-oke さん
- @nonikeno さん
による記事となっています!ワイワイ!