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はじめに

※ SKILL.mdに関する話ではないので、その点はあらかじめご容赦ください。

AIを使いこなすという「スキル」

Anthropicは2026年3月に「Learning Curves」というレポートを出した。
そこでは、Claudeを6か月以上使っているユーザー群は、利用歴の短いユーザー群より会話の成功率が10%高いとされている。
また、長く使っている人ほど個人的な会話が10%少なく、入力に反映される教育水準が6%高いという。

これは、自分自身の経験と照らし合わせても自然な結果なのだろうと感じている。
なぜならAIを使い始めたばかりの頃より、今のほうが効率的にアウトプットを出せている実感があるからだ。
もちろん前提として、コーディングエージェントやそのモデルの進歩によるものであるという側面は大きい。
しかしそれと同じくらい、AIとの距離感や、「これくらいなら任せられるだろう」という期待値のすり合わせがうまくなってきたことによって、複雑なコーディングやタスクの実行などを依頼できるようになっている。

ただ、これを読んで「AIを使いこなす」というスキルの習得に、もっと時間を投資しなければならない、とだけ受け取るのは少し危ういとも思っている。
その理由は二つある。

ひとつは、このレポートを出しているのが、あくまでAnthropicだということだ。
自社プラットフォームの利用促進にインセンティブを持つ企業が「たくさん使う人ほど成果が出ます」と言っているわけで、レポート自体に納得感があったとしても、読み手としてはポジショントークの構造を意識しておいたほうがいい。

もうひとつ。
こちらが本題だが、AI活用にリソースを振り向けることで、他のスキルの学習が阻害されているのではないか、という問題がある。

おもしろいことに、この懸念を実証したのもAnthropic自身だ。

2026年1月の「How AI assistance impacts the formation of coding skills」では、52人のエンジニアに、未経験のPythonライブラリであるTrioを学ばせてみた結果についてまとめられている。(対象者の大半はジュニアに分類されるそうだ)

半分のグループにはAIアシスタントを使わせ、もう半分にはAIを使わせなかった。
結果、AI支援ありのグループはクイズのスコアが17ポイント低く、特にデバッグでの点差が大きかったようだ

もちろん、52人という小規模な実験であり、タスクも未経験ライブラリの学習という限定的な状況に絞られている。その点は留意が必要なのだろう。
ただ、なぜ差が生じたかについてのAnthropicの仮説には納得感がある。
AIなしのグループはエラーにぶつかり、自力で解決する過程でライブラリの仕組みを理解していった。
一方、AIありのグループはエラーをAIに投げて解決してもらえるぶん、そもそも原因を考える機会が少なかった。

ただし、AIありのグループ全員の理解度スコアが悪かったわけではない。
AIへの依存度が高いパターン(コード生成の丸投げ、段階的なAI依存、反復的なAIデバッグ)ではスコアが40%未満だったのに対し、概念的な質問を中心にAIを使ったパターンではスコアが65%以上を維持していたというのだ。
これはつまり、同じ「AIを使う」でも、思考を外注するか、思考の補助に使うかで結果がまるで違うということだ。

また、Anthropic社内でも同じジレンマが起きているらしい。
Anthropicの社内調査レポートでは、「以前なら怖くて触れられなかった領域に踏み込めるようになった」という声と、「アウトプットの生産が容易になりすぎて、じっくり学ぶ時間が取りにくくなった」という声が同居しているとも報告されている。

生産性と成長のトレードオフはAI以前からあった

ただ、「生産性(タスク効率)を上げようとすると個人の成長が犠牲になる」という構造は、AIに限った話ではなく、以前から指摘されていた。

t_wadaさんの講演「質とスピード」では、品質とスピードを単純なトレードオフとして捉えず、むしろ質が上がればスピードも上がると述べられている。
さらに踏み込んで、「では『質とスピード』は何とトレードオフなのか」という問いに対し、「各メンバーの成長や学習」だと述べている。

つまり、AIはこの構造を加速させているにすぎないのだと捉えることができる。

いまのAIに解決をすべて委ねると、アウトプットは高速に出るし、レビューエージェントの活用などによって品質もある程度は担保できる。

その代わりに失われるのが、自分で考え、試行錯誤する過程から得られる学習だ。
少なくとも学習初期の局面では、先ほどのAnthropicの研究結果が、それを数値で裏付けていると言える。

基盤となる技術は形が変わっても残り続ける

こうした話は、以前、会社の上司との1on1でも話題に上がった。

その場でも、エンジニアを取り巻く環境の変化を否定しても仕方がない、という前提で、今後のキャリアや働き方の話になった。

ただ意外かもしれないが、そこで盛り上がったのは将来に関する話ではなく、主に歴史の話だった。

前の時代で重要だった技術は、完全に無駄になるのかというと、そうでもない。
むしろ原理を理解していれば、形を変えて転用できることが多いというのだ。

岐阜県関市の話を紹介したい。
関市は鎌倉時代から日本刀の産地で、室町時代には300人以上の刀匠がいたという。ただ江戸の太平で刀の需要が減り、明治の廃刀令でその流れはさらに加速したらしい。

ここで刀鍛冶たちの多くは、包丁や小刀、ハサミやカミソリなどの家庭用刃物を作る「野鍛冶」に転身した。
そして明治以降は欧米から紹介されたポケットナイフの生産も始まり、日本初の安全カミソリの替え刃なども生まれた。いまの関市はドイツのゾーリンゲン、英国のシェフィールドと並ぶ世界三大刃物産地で、医療用製品も数多く扱っている。
つまり刀、包丁、ナイフ、カミソリ、医療用のメスと、700年以上かけて技術が形を変え続けてきた。

刀鍛冶の技術やスキルは、具体的な製品が変わっても受け継がれた。
「刀を打つ」という具体的なスキルは時代とともに需要を失ったのだろうが、その下にある基盤技術は、形を変えて生き残ったと言える。

同じことが、ソフトウェアにも当てはまるはずだ。
なぜなら「Reactが書ける」「Pythonが書ける」は具体的なスキルだが、その下にある設計の考え方、問題の分解の仕方、デバッグの勘所は、表面的なツールが変わっても流用が可能だからだ。

ただし、AIに解決を委ねすぎている限り、この「基礎力」は育ちにくい。
だからこそ、こうした力を意識的に学ぼうとすることをやめてはならない。

1on1でのディスカッションは、たしかこんな結論になったと記憶している。

AI活用スキルと基礎力は対立しない

ここまでの流れだと、AI活用に対してやや否定的に見えるかもしれない。
しかし、「AIを使いこなす」というスキル自体を否定したいわけではない。

最近の論文に、「Computer Science Achievement and Writing Skills Predict Vibe Coding Proficiency」というものがある。
これによると、100人の学生にVibe Codingの課題を解かせた実験で、成績を最も強く予測したのはComputer Scienceの基礎知識だったというのだ。
文章力も有意な予測因子だが、その効果の半分以上は「プロンプトの質」を介している。つまり、文章がうまい人は的確なプロンプトを書けるから成績がいい、という構造だ。

またこの中で興味深いのは、LLMの利用頻度が高い人ほどスコアが低かったという結果も出ていることだ。
冒頭で紹介したAnthropicのLearning Curvesレポートは「長く使うほど成果が出る」と報告していたが、この研究はそれと矛盾する結果を示している。もちろん実験の設計も対象者も異なるので単純比較はできないが、少なくとも「たくさん使えばうまくなる」という単純な話ではないらしい。

これを読んで思ったのは、AIを使いこなすことはマネジメントに近い、ということだ。(実際私の周囲でもコーディングエージェントを活用することをチーム運営などに例えるエンジニアは多い。)
つまり、文章力と技術力を持ったマネージャーほどメンバーへの指示が的確になるのと同じで、要件を言語化する力と技術の基礎理解がある人ほど、AIにも的確な指示を出せる。
裏を返せば、AIを相手にうまく仕事を進める経験は、将来、人間のチームをマネジメントするときにも活きてくるかもしれない。

Vibe Codingの研究が示しているのは、結局、AI活用がうまい人はCSの基礎と文章力を持っている人だ、というある意味で身も蓋もない話ではある。
しかしこれは、AI活用を促進することと、基礎を固めることが対立しないはずだ。
すくなくとも我々は対立しないようにむしろシナジーを生み出していく必要がある。

焦りすぎないでいい

まとめると、AIを使いこなすスキルも、その土台になるコンピュータサイエンスや設計の基礎も、どちらも必要だということになる。
t_wadaさんの言葉を借りれば「両にらみ」だ。
コーディングを捨てるか、AIを拒否するか、という二者択一ではない。
両方を取りにいくべきだ。不確実なときに選択肢を狭めるのがいちばん危ない。

その上で、最新のAIトレンドを過度に追いかけることのリスクについても触れておきたい。

Googleのソフトウェアエンジニアであるアディ・オスマニ氏は、「新技術は借金」と表現している
AIの場合、ツールの進化が速すぎて、特定のツールや使い方に最適化したスキルがすぐ陳腐化する場合もある。半年前のベストプラクティスがもう通用しない世界で、ツール固有のノウハウに過度に賭けるのはリスクが高い。

また、現状が過剰な投資フェーズ(AIバブル)である可能性も以前から指摘されている
そうなると、AIサービスの現在の価格体系が長期にわたってそのまま維持されるとは限らないことも、忘れてはならない。

だからこそ今の状況では、現時点のAIツール固有スキルに、過剰な学習コスト・リソースを支払うことのリスクについても頭に入れておくべきだ。
(繰り返しにはなるが、私個人としてはAIを活用すること自体やそのスキルを否定する意図はない)

AIが今後どこまで「エンジニアが担ってきた仕事」を代替するかは、現時点では見通せない。
だからこそ、特定のツールに依存したスキルだけでなく、設計の考え方や問題の分解、デバッグの勘所といった基盤的な能力を意識的に鍛えておく必要がある。
こうした力は、仮に現在の業務がAIに置き換えられたとしても、別の場面で必ず活きてくる。
日々の開発でも、すべてをAIに投げるのではなく、「まず自分で仮説を立てて考える」「AIの提案を自分の言葉で説明し直してみる」といった時間を、あえて残しておきたい。

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