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これほど焦燥感を感じたのはいつぶりだろうか。

AppleがiPhone向けのAppStoreを世に出した時か。
あの時は、1大アプリ開発ブームが起きて、まるでゴールドラッシュの様相だった。
参加した勉強会には得意げに自分たちが作ったアプリを発表する開発者であふれていた記憶がある。

あの時も今と同じ、このビッグウェーブに乗り遅れるなという焦りがあった記憶がある。

今やスマホを開いてニュースサイトを見ようものなら、毎日必ずAIの文字が目に飛び込んでくる。
新しいAIモデルの発表、AIエージェントを使った新サービス、まだAI使ってないの?と煽る宣伝記事。
もはやマスメディアの力が失われ、”流行”という言葉が昔に比べて薄っぺらくなってしまった今においても、
このAIを取り巻く状況は一大ムーブメントである。

そんな中、私もその流行に乗り遅れまいと日々情報を収集してはいる。
しかし、業務も忙しくなかなか試せる時間が取れず、そう思っていると新たなサービスが登場し、また情報収集におわれるという状況で、知ったかぶりは得意になったが、試せる所まで至っておらず、もどかしい思いをしている状態だ。
そんな状態だからだろう。
取り残される・・・と頭の片隅でうっすら思ってしまうのだ。

勿論、それが個人の範囲であれば、年末年始のまとまった休みとかで、ある程度AIエージェント周りを触れば、その焦燥感は晴れるかもしれない。

しかし、私は組織の管理者としての立場でもその焦りを感じているのだ。

私、悩んでます。

私は今開発エンジニアの部門を見ている。

そう。AIの影響をどストライクで受ける部門だ。

勿論、これまで何の対策も打たなかったわけではない。

Github CopilotやClaud Codeといったコーディング支援ツールは1年も前から導入しているし、メンバーにもその使用を奨励している。

新しいAIソリューションも提供を始めている。

(気になる方は弊社HPをどうぞ。)

しかし、だ。

このAIという大波が、これまでのような何かのサービス・ツールの普及というだけで終わることはないと考えている。

その理由は、AIがIT業界だけでなく、全ての業界業種に浸透し始めているからだ。

この流れは、スマートフォンに近いかもしれない。
スマートフォンが普及すると、画面タッチが主流になり、フリック入力が生まれ、アプリという経済圏が出来上がり、今ではQRコードでの決済もできるようになった。
今やスマートフォンがないと不便な世の中になるほど、人々の生活に浸透している。

AIも同じである。
ChatGPTが5.0にアップデートした時、その機械的な答えから、4.0を返してという声がX上に溢れかえった。
それはつまり、もう人々の生活にAIが浸透している証左である。

かく言う私も、もうAIの便利さから逃れることができない。
私は何か考える時に最初にやることは、AIに聞くためのチャットを開くことである。
AIがなかった時はどうしてたって?
もう覚えてすらいない。

だから、AIはスマートフォンのように人々の生活・ビジネスに浸透し、今までの当たり前だった仕組みを根こそぎ変えていくと考えている。
それまで常識だったものが崩れ、新たな常識が生まれる。

それはAIでも似たようなことが起こる。
いや、その動きはスマートフォンよりも大きいかもしれない。
何せ、AIはスマートフォンと違い、基本機能を無料で使えるからだ。

話を戻そう。
そんな大規模な変革の影響をダイレクトに受けるエンジニア組織を率いなくてはいけない。

AIの登場と共に、SIという事業は光の速さで斜陽産業に仲間入りしてしまった。
アメリカに目を向けると、ソフトウェア開発は既にAIに置き換えが進んでいて、新卒の採用数は下落しているそうだ。
既に影響はで始めている。

2030年どころか、来年の今頃にどんなブログ記事を書いているかすら想像がつかない。
そんな、未来も見通せない、けど足場は崩れそうな絶望的な状況で、一体どうすれば良いのだろうか。

もちろん、AIに聞けばいいのだ。
そういった漠然とした悩みも、AIに聞けば親身になって答えてくれ、道が開けるのだ。

いい時代である。

え?自分の仕事を奪う存在に、自分の仕事の存続の相談をするのかって?

そう思ったあなたには、「使えるものは猫の手でも使え」という言葉を進呈しよう。

では、自分の相棒であるチャッピーと会話をしながら、

私の漠然とした悩みに対する答えを探っていこう。

過去に学ぶ

さて、こういったことは人類の歴史の中で初めてだっただろうか。
答えは否である。

馬から車、カセットからCD、ガラケーからスマホ。
近現代史においてもこういった技術的革新によるシフトチェンジは何度も起きた。

人は過去から学ぶことができる動物である。

であれば、過去の事例を基にどういった企業が生き延びてきたのか。
それを紐解けば、きっと生き残るヒントが得られるはずだ。

まずはこれまで起きたシフトチェンジで代表的なものを調べてみた。
(もちろんほとんどチャッピーが作ってくれた。)

時期 旧技術・旧産業 新技術・新産業 シフト内容(不可逆ポイント) 影響・特徴
1900年代初頭 馬車・馬による輸送 自動車(T型フォード) 内燃機関+量産による圧倒的コストダウン。馬車産業は不可逆的衰退。 運送・都市設計・産業構造が総入れ替え。自動車メーカーが新たな巨大雇用に。
1920〜40年代 蒸気機関車 電気機関車・ディーゼル機関車 燃費・速度・保守性の圧倒的改善。蒸気機関は象徴的存在になる。 鉄道会社の運用コスト激減、安全性向上。製造業の主役交代。
1950〜60年代 真空管 トランジスタ 小型化・低消費電力・信頼性の飛躍的向上。真空管は特殊用途を除き衰退。 電子機器の爆発的普及を支える基盤に。現代IT産業の原点。
1970〜80年代 カセットテープ CD(デジタル音源) 物理摩耗がなくなり、音質が飛躍的向上。録音市場がデジタルへ不可逆に転換。 音楽産業の再編、レンタル市場の爆発。レコード・カセットは一気に縮小。
1990〜2000年代 フィルムカメラ デジタルカメラ 現像不要、高速確認、編集可能。フィルム消費が激減。 カメラ市場の中心がデジタル一眼へ。フィルムメーカー(Kodak等)は衰退。
2000年代 ガラケー スマートフォン(iPhone/Android) タッチUI・アプリ生態系の爆発。操作概念が根本から変化し、ガラケーはニッチ化。 生活インフラ化。SNS・モバイルEC・位置情報産業が誕生し新市場を創出。
2000〜2010年代 DVDレンタル 動画ストリーミング(Netflix等) 所有→アクセス、店舗→オンラインへの不可逆移行。 Blockbuster消滅、コンテンツ産業の主戦場がデジタルに完全移行。
2010年代 現金中心決済 スマホ決済(NFC/QR) 物理カード・現金に比べ利便性が圧倒的。個人間送金も即時化。 中国・北欧で社会インフラ化。金融サービス全体がAPI経済に転換。
2020年代 オンプレミスサーバ クラウド(AWS/GCP/Azure) 物理資産から運用レスのクラウドへ不可逆移行。CapEx→OpExへ。 SI産業・ソフトウェア構築が「クラウド前提」に再構築。
2023〜 手作業中心のソフトウェア開発 AI補助開発(Copilot等) 実装の一部をAIが担う構造的変化。人の役割が「設計・評価・監査」にシフト。 開発生産性とスピードが根本的に変わり、人材の再定義が始まる。

ご丁寧に最後にソフトウェア開発も入れてくれた。

こうしてみると、昔は20年くらいの感覚で何かのシフトチェンジがあったが、
2000年代に入ると10年毎に何かしらのシフトチェンジが起こっているようだ。

では、この流れのなかで衰退した企業はどういう顛末となったのか。
幾つか紐解いていきたい。

そう。失敗から学べ。である。

過去に衰退した企業

早速、このシフトチェンジの波にのまれ消えていった企業をピックアップしてもらった。

企業名 主な概要 衰退の要因(シフトチェンジに適応できなかった理由)
Kodak(コダック) 世界最大のフィルム・カメラメーカー。写真産業を長年支配。 デジタルカメラを自社で発明したにもかかわらず、既存のフィルム事業の利益構造を守るためデジタル化を推進できず、技術シフトに適応できなかった。結果、2012年に破産申請。
Nokia(ノキア) 1990〜2000年代前半に世界携帯市場を席巻したモバイル業界の覇者。 スマートフォン(iPhone/Android)の登場を過小評価し、旧OS(Symbian)に固執。プラットフォーム戦略への移行が遅れ、急激にシェアを失った。
Blockbuster(ブロックバスター) 全米に数千店舗を構えたビデオレンタル最大手企業。 ストリーミング時代の到来を軽視。Netflixの提案を拒否し、旧来の“実店舗レンタル”モデルに固執して急速に衰退・倒産。

📉 Kodak(コダック)

デジタルシフトを理解していたのに、あえて動けなかった企業の象徴。
1975年、世界初のデジタルカメラを実はコダック自身が発明。
しかし、フィルム事業による莫大な利益(当時の売上の70%超)を守るため、
“デジタルは脅威” と捉えて積極投資しなかった。
デジカメが普及し始めた1990〜2000年代、技術投資より既存事業維持を優先。
結果、市場が完全にデジタルへシフトしたタイミングで競争力を失い、2012年に破産。

👉 イノベーションのジレンマを最も体現した企業。
「自分で発明した未来」に対応できなかったことが致命傷となった。

📉 Nokia(ノキア)

かつて世界シェア40%を占めた巨人が、10年で消えた理由。
2000年代前半まで「携帯電話の覇者」であり、技術力もブランド力も圧倒的だった。
しかし2007年のiPhone登場後も、「スマホは一時的な流行」「物理キー文化はなくならない」と判断。
旧来OSのSymbianに固執し、Androidへの移行が遅れた。
アプリストア/OSエコシステム競争の本質を理解できず、取り残された。

👉 “いまの顧客はこれで十分” という油断が最大の敗因。
プラットフォーム戦争に参入が遅れたことが、不可逆的な敗北を生んだ。

📉 Blockbuster(ブロックバスター)

「顧客体験のシフト」を読み誤ると、一夜にしてビジネスが崩壊する実例。
かつて全米に数千店舗を展開したレンタル業界の王者。
しかしNetflixが提案した「宅配DVD→ストリーミング」への転換を拒否。
顧客が“店舗に行く”から“いつでも見られる”へ不可逆シフトしたことで急速に衰退。
2010年破産。

👉 顧客の行動変化を軽視する企業は、技術より先に滅びる。

そうか。今の若い人はKodakもNokiaも知らないのか。

小さい頃、フジフィルムの緑のパッケージじゃなくて、Kodakのあの黄色いパッケージがどこかイケてる感じがしたのは、遠い昔の記憶である。

しかし、この衰退した企業の事を想像すると、うすら寒さを感じる。

"大丈夫、このブームは一過性だよ。"
"私たちの事業はこの先も大丈夫だよ。"
"来年にはみんな飽きて落ち着くよ。"

当時の社内でもきっとそういう会話がされていたに違いない。

おや?

そういえば去年の年末から今年の冒頭はそんなセリフばっかり聞いた気もする。

しかし、この失敗事例。

我々のSI業界とは別なので、なかなかピンとこないところもある。

そこで、今度はこれらの衰退企業を、SI業界と重ね合わせてもらった。
(助かるよ、チャッピー)

📉 AI時代のSIerが直面する構造と、歴史上の失敗企業の共通点

― 失敗企業 × SIer = 共通の“死の構造”がある

1) 🚫 Kodak(コダック) ≒ 人月依存の大手SIer

▼ 何が起きたか

自社が世界で最初にデジタルカメラを発明したにも関わらず、
既存のフィルム事業の利益構造に固執。

デジタル写真市場の伸長を「脅威」「一時的な流行」と過小評価。
変革の機会を逃し、2012年に破産。

▼ SIerとの共通点

コダック SIer
“フィルム”の利益(既存モデル)に依存 “人月”の利益に依存
成功体験に縛られ、変化を否定 ウォーターフォール・大規模工数が前提
自社でデジタル技術を持っていたのに活かせなかった AIツールを持ちながら、収益モデルに組み込めていない
新しい収益モデルを敵視 AI導入=売上減と恐れる

▼ 我々への教訓

自分で発明した技術(AI)を、自分の「利益の敵」と見る組織は滅びる。
AIを封じ込めるのではなく、AIを利益構造に組み込むことが必須。

2) 🚫 Nokia(ノキア) ≒ 技術はあるが意思決定が遅いSIer

▼ 何が起きたか

Symbian OSに依存し続け、iPhone/Android の登場を過小評価。
「まだガラケーは売れる」という部分最適の判断が続き、OS刷新に踏み切れず。
結果、世界シェア首位から一気に転落。

▼ SIerとの共通点

ノキア SIer
OS刷新を躊躇 アーキ刷新(AI前提)を躊躇
“この顧客層にはまだこれで十分”という判断 “官公庁/金融はまだAI不要”という誤判断
既存製品を守るあまり、新しい価値提供が遅れた 既存プロセス(要件→設計→実装)を守りすぎる
“熟練者文化”が変革を阻害 SE/PGの役割観が変革を阻害

▼ 我々への教訓

「今の顧客がまだAIを求めていない」は、未来の崩壊予兆。
技術より意思決定速度で負けた企業が最も早く沈む。

3) 🚫 Blockbuster(ブロックバスター) ≒ 顧客体験を再定義しなかったSIer

▼ 何が起きたか

DVDレンタルを軸にした店舗モデルを維持し続け、
ストリーミングの「顧客の新しい行動」を理解できなかった。
Netflixの提案を拒否。
消費者の利用モデルが変わると同時に崩壊。

▼ SIerとの共通点

Blockbuster SIer
顧客の生活変化を軽視 顧客の“AI前提での業務変革”を軽視
旧モデル(店舗/貸出)に固執 旧モデル(人月/設計書)に固執
新規プレイヤー(Netflix)を侮った 新興AI系スタートアップを侮る
顧客接点を失った 顧客のデジタル戦略の中心ではなくなる危険

▼ 我々への教訓

“顧客は変わらない”という前提は最も危険。
顧客がAI活用に舵を切ると、SIerは一気に置き換え可能な存在になる。


これはAIが出力した内容を整形しているだけで、会社・個人の見解・思想ではありません。

おっと。思わず予防線を張ってしまった。

それくらい、なかなかに痺れる鋭い指摘ではないだろうか。

もちろんチャッピーが言っていることを鵜吞みにしてはいけない。

しかし、分析をする上ではなかなかに示唆に富んでいる内容である。

とくに

"AIツールを持ちながら、収益モデルに組み込めていない"
"AI導入=売上減と恐れる"

この辺りは思わず、うーんと唸ってしまった。

さらにチャッピーはこんな強いメッセージも残してくれた。


AIの波で沈む企業は「技術がない企業」ではない。
成功した過去にしがみつく企業だ。
コダックもノキアも、負けた理由は技術不足ではなかった。
「価値定義の更新」「意思決定の速度」「変化への投資」――
この3つを誤った組織が、次々と歴史の表舞台から消えていった。


そして希望を持つために

ここまでのチャッピーとの対話の中で、衰退してきた企業がどういう罠にはまったのかというのが見えてきた。

漠然とした私の悩みは大分クリアにはなってきた。

では、次である。

今度はこれを踏まえ、同じ罠にはまらないように我々としてはどういう動き方をすればいいか考えよう。
(といいながら、チャッピーに聞くのだけれど)

🧩 生き残る組織に共通する3つの構造

① “知識”が循環し蓄積する構造になっている

過去の案件から得た知識が、人ごとに散らばらず、
AIの中に整理され蓄積されていく仕組みを持つ組織。
「属人化」「最後は人の経験」はすべて撤廃。

② 社員が常に“新しい役割”を獲得し続ける

開発において人はもはや生産ラインの中にいない
代わりに生産ラインの運営責任者として立つ。

例)
コーダー → AIコンポーザー(AIエージェントの指揮をする)
テスター → AI評価設計者(評価基準を設計しAIエージェントに与える)
PM → AIオーケストレーター(AIエージェント群を管理する)

役割が固定されない組織文化を持つこと。

③ “小さく試して大きく育てる”文化が根付いている

失敗を責める文化の組織は確実に没落する。
Netflix、Microsoft、Amazon、Adobeは「試行回数」が企業文化の中心にある。


  • 業務の中にAIを組み込むことが前提の組織を形成する。
  • そこに至るまでの小さな失敗は許容する。

ということか。

確かにこういった組織であれば、間違いなく今後も生き残れるであろう。

では、そういった組織へと変わっていく為には、どういった戦略を取ればよいのだろうか。

SIerがとるべき組織戦略

結論:組織は “Exploit(既存)” と “Explore(新規)” の2系統を持つべき。

これを経営学では 「両利きの経営」 と呼ぶ。

Exploit(既存価値を磨く)

既存案件の生産性をAIで底上げする
テンプレート化・再利用性・工数削減
運用・品質改善を高速化
→ これは 利益確保ライン。

Explore(新たな価値を創る)

新しいAI導入のPoC
新しい役割の職能標準
新しいサービス(AI運用、AIプラットフォーム)開発
小規模プロジェクトで「AI完全融合案件」を回す
→ これは 未来創造ライン。

両方がないと企業は沈む。
片方だけだとノキアやKodakと同じ運命になる。

補足:両利きの経営とは

これはハーバード大学のオライリーとタッシュマンが提唱した概念で、
既存の主力事業を徹底的に改善・強化する「知の深化(Exploitation)」と、
新しい未来の事業を幅広く模索・実験する「知の探索(Exploration)」の二つを、
一つの企業内で同時に、かつバランス良く行う経営戦略です。
変化の激しい時代に「イノベーションのジレンマ」を乗り越え、持続的な成長を実現するための重要な概念で、「守り」と「攻め」の両方を実践する考え方と言えます。


両利きの経営か。

最終的には普遍的な概念にたどり着いた感はある。

しかし、こういったものはその時代の文脈が違うだけで裏にある概念・本質は同じという事かもしれない。

それに今のAIの波は、経営という大規模レベルだけの話にはとどまらない。

組織レベル、個人レベルという小さい規模においても、この「深化」と「探索」の両方をバランス良く進めることが必要になっていくのだと思う。

最後に

チャッピーの対話を通して、私は無意識のうちに守りの姿勢になっていたことに気づいた。

組織を守るという事自体は、もちろん大事なことである。

一方で、ただ守るだけではジリ貧となり、最後には組織自体が消滅する可能性すらある。

孫氏の「先んずれば人を制す」。

攻めの守りをすることで、守ることができるものもあるのだ。

今日のチャッピーとの対話で攻めるべき道が少し見えてきた気がする。

と、今日はこの辺で締めたいと思う。

チャッピーもありがとう。

この記事をここまで読んでくれた人もありがとう。

良いクリスマス、良い年末を。

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