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「私の」査読の仕方・査読への応え方

Last updated at Posted at 2025-02-10

はじめに

査読は研究者にとって、論文を書くのと同じくらい重要な活動です。私の考えでは、良い査読者は共著者に匹敵します。
論文の書き方に関する文書は沢山ある一方で、査読の仕方に関する文書は多くありません。査読が本質的に秘匿性の高い活動であることを考えると、致し方ないところではあります。

本来あるべき姿は、自分が受けた査読を最良の手本として学んでいくことだろうとは思います。あるいは、メンター研究者の手ほどきを受けられるならばそれに越したことはありません。ですが、様々な事情によって、そうした機会を得られる人は相対的に減りつつあるように感じます。

そんな中、友人のKaityo256の記事は大変参考になります1。ただ、(当然ですが)若干私の考えと違うところもあるので、自分なりの査読の作法も書いておこうかなと思った次第です。

査読の仕方

なぜ査読するのか

真面目にやればそれなりに時間を使うことになるのに、実績として認められにくく報酬ももらえない査読を、なぜ行うのか?自分の中できちんと理由付けすることはとても大事だと思います。そして正解は、自分で見つけるしかありません。

ご参考までに私自身の考えでは、査読に限らず全ての学会活動は、研究者が自分の居場所の質を自分で維持するための活動、という位置付けです。

学校ならば、学生を入学試験でスクリーニングし、資格を持った教員のみ採用することによって、教育の場としての質が担保されます2。研究の世界にこのような仕組みはありません。誰でも研究者を名乗れますし、資格を持った偉い誰かによって管理・監督されているわけでもありません。

自分がちゃんとした研究者であると保証するものは論文しかありませんが、読者の立場からしたら、知らない人の論文をいきなり信頼するのは難しいものです。ですので、既に研究者として実績が認められている人たちの信頼をまず得ることが重要です。そうして自分自身もある程度認められるようになったら、今度は他の研究者の論文が信頼に足るか判断する役割を担うことが求められるでしょう。
こうした互助努力によって質を維持するのが研究者のコミュニティだと私は考えます。いいかげんな論文が濫出されるコミュニティに属していれば、自分も外からはいいかげんな研究しかしていないと思われかねません3査読を疎かにすることは、自分自身の活動の価値を貶めることに直結します。

上記はニュートラルな理由付けですが、ポジティブな理由も幾つかあります。一つ、査読者の立場で論文を読む経験は、論文の価値を認められやすくする書き方の学びに転じます。これは単なるテクニックの話ではありません。価値のある論文を書くためには、まず価値のある研究をしなければならないからです。自分の論文を自分で査読できる研究者は、自ずと価値のある研究をします。
また査読は、公的には誰にも知られていない新しい発想に触れる機会にもなります。もちろん後述するように、そこで得た知識を我がものとするのは厳に慎むべきことですが、世界のどこでどんな人がどんな研究をしているのか知ることは、それだけで刺激になります。多くの場合、査読することになる論文は自分の専門領域の中心から少し外れた話題を扱っているので、視野を拡げることにもつながるでしょう。
最後に、査読を依頼されるということは、あなたがコミュニティである程度認められているということの証左でもあり、喜ばしいことです。査読を依頼する人も、普通はコミュニティで認められている研究者です。きちんとした査読をすれば、そのような人たちの信頼を得ることにもなります。

心構え

査読の役割は、大袈裟に言えば、その論文を歴史に残すべきか否かのふるいにかけることです。重責です。それを負える知見が自分には無い、あるいは提示された〆切までにその判断を下すことが難しい、と考えるならば、査読を辞退するのも一つの誠実な行動です。その場合、依頼者はあなたならば査読できるだろうと期待してくれたわけですから、それに応えられない理由をきちんと説明すべきです。可能ならば、査読が出来そうだとあなたが認める他の研究者を推薦するのが良いでしょう4

「ふるいにかける」という表現を誤解して欲しくないのですが、査読者は絶対的な権限を持つわけではありません。論文筆者は当然、自分たちの論文は歴史に残す価値があるはず、と思って投稿しているものです。判断に食い違いが生じたとして、原因が筆者側にあるのか査読者側にあるのかは、一般的には明らかでありません。それを明らかにするための筆者との丁寧な対話が、査読プロセスにおいては求められます。また、ひとたび歴史に残すべきだと判断したら、共著者になるつもりで、論文の内容ができるだけ多くの人に誤解無く伝わるようサポートしましょう。

Kaityo256も書いていることですが、査読評価は基本的に査読依頼者(エディタやアシスタントエディタ)へのレポートです。論文筆者との対話の内容は、客観的に理解できるものでなければいけません。

査読者は、公表前のアイデアを知ることが出来るという極めて大きな特権を持ちます。論文筆者も、そのことの重大性を理解した上で投稿しています。そのアイデアを盗用したり漏洩させたりすることは、科学の信頼を損ねることにつながるので決して許されません。
そこまでではないにしても、たとえば自分が執筆中の論文に関係の深い内容の論文査読を依頼された時に、自分の発表の方を先にしたいという理由で評価提出を遅らせるなどの行為も、やはり許されません。実際にそのような依頼をされた場合には、依頼者に事情を正直に伝えて辞退するのが良い、と私は考えます。

評価・評点

査読の判定は多くの場合、採択/条件付き採択/再投稿の勧告/不採択の四つくらいから選ぶことになっています5。媒体によっては、評価項目が細かく指定されているものもあります。経験的に、そこまで細かい評点がエディタの最終判断に影響しているとは思えないのですが、これはむしろ査読者であるあなた自身が、公平・公正に評価できているか?をチェックするためのものだと考えるのが良いです。

このような選択肢が提示されていない媒体の場合には6、あなたの判定がエディタに正しく伝わるようにしましょう。

私が査読をするときには、観点を

  • 提起されている技術課題は重要(本質的)か?
  • 課題に対する提案は合理的か?
  • その提案の評価は公平になされているか?

の三点に絞り、ロジックが通っているかどうかを第一に評価するよう心掛けています。また、これら三点のうち少なくとも一つに新奇性があるか? にも注意します。主張された新奇事項が、(論文筆者自身によるものも含め)過去の論文で既に公表された事柄ならば、必ず指摘します。

ただし、ロジックが通っていない、あるいは既知の事柄を新奇性があると主張している、という理由で即座に評価を下げるのも考えものです。もちろんそれらの事項は、採択できない理由としては十分ですが、論文の内容自体には価値があるかも知れないし、筆者が主張する事柄以外に新奇性があるかも知れないからです。ここはあなたの研究者としての勘が問われるところです。

重要なところであり、また難しいところでもあるのですが、問題提起の前提となる事柄に対するあなた自身の思想を評価に反映してはいけません。 たとえば、ロボットによる高齢者介護を題材としている論文に対し、高齢者をロボットに介護させるなんて怪しからん、という考え方があなたにあったとしても、それを理由に評価を低くしてはいけません。

研究者としてキャリアを積めば、友人・知人、先輩・後輩、研究内容で協力関係・ライバル関係にある人、個人的に好きな人・嫌いな人など、いろいろな関わりの人が自然と増えていきます。当然ながら、評価に私情を挟んではいけません。実際問題、これはとても難しいのですが、きちんとした研究者であればこのような事情はお互い様と考えるはずなので、負い目に感じる必要はありません。

査読コメントの書き方

最初に、論文の内容を自分の言葉でまとめましょう。特に、論文のoriginal contributionが何かを(論文の筆者自身が明確にしていなかったとしても、出来る限り)明確に書きます。自分自身の理解の確認のためであり、また論文筆者に、査読者は内容をちゃんと理解している、と安心させるためでもあります7。場合によっては、論文筆者自身によるまとめ(概要)と食い違うこともあります。

流儀もあろうと思いますが、自分がどのような判定(採択/不採択等)をしたか、コメントには書かない方が良いです。それは最終的にエディタが行うことだからです。

コメントの主語は「私 I」ではなく「査読者 the reviewer」としましょう。同様に、論文筆者は「あなた you」ではなく「筆者(ら) the author(s)」と呼びましょう。英語の場合には、三人称であることに注意して下さい。

結論は書かずとも、何がその結論に影響したのか、重要と思われる順番に書いていきましょう。私の場合は前述の通り、技術課題の重要さ、提案は合理性、評価の公平性に観点を絞るので、ここから指摘を始めることが多いです。
採択/不採択に影響しない事項(誤字・脱字など、マイナーコメントと言う)は、そうと分かるように書きましょう。ここにおいても上述の通り、自分の思想に基づく意見を書いてはいけません。
査読者は指導者では無いので、論文の書き方まではとやかく言わない(特に、筆者の流儀に相当する部分はなるべく受け入れる)のがマナーです。ただし、あまりに一般的な書き方から逸脱している場合には指摘すべきです。その場合も、指導的な物言いは避けましょう。

指摘は具体的に書きましょう。また、対応する論文中の該当箇所が分かるようにしましょう。たとえば「新奇性が明確でない」と書く場合は、過去のどの論文と類似の主張をしていると思うのか、なぜそのように思えるのか明記しましょう。
筆者らが見落としている重要な論文があるならば、文献情報を正しく書きましょう。

これもKaityo256が書いていることですが、コメントを書いたら一晩寝かせる、というのは私もとても有効だと思います。思想に関する議論を交えず、公平に、客観的に書いたつもりでも、改めて読み直したらやっぱり思想が入ってたとか、感情的になっていた、とかいうことはよくあります。

再査読について

最初の査読で「採択」と判定することは稀で、多くは「再投稿の勧告」を選ぶことになるでしょう。その場合、高い確率で、再投稿された論文の査読も依頼されます。論文筆者は、前回の査読結果で指摘された問題が解消されるように修正なり反論なりしてきているはずなので、そこをまず確認しましょう。繰り返しますが、査読プロセスは対話です。筆者の対応に納得がいけば、そのように返事しましょう。指摘を誤解されたと感じたり、回答に納得いかなかったり、修正内容に新たな疑義が生じたりした場合には、そのことをコメントに書きます。

最初の査読でコメントしなかったけれど、二回目に読んだら別の問題に気付いてしまったので追記した、というのは、論文筆者からすると「採択されるための条件を後出しされた」と感じます。可能な限り避けたいものです。

査読への応え方

査読の仕方を知ることは、立場を逆にすれば、査読者にどう応えるべきかを知ることにもなります。これについても少し書いておきます。

一般的には査読者は複数いて、彼らの評価に基づいてエディタが判定を下します。よって、返事をすべき相手はエディタと査読者全員です。礼儀を以て、一人ひとりへの書簡のつもりで返事を書きましょう。

一度でも自分が査読をすれば、匿名かつ無報酬で自分の論文の完成度を高めてくれる査読者とエディタに対し、自然と感謝の気持ちを抱くことでしょう。まずは御礼の言葉から("The authors would like to express cordial appreciation to the reviewer for his/her careful and thoughtful comments."とか)。

査読コメントは重要なことから順番に書いてあるはずなので、返事もこの順番を変えずにします。どのコメントに対する回答なのか、明確にしましょう。

査読者から、論文の質改善につながる提案がなされているならば、可能な限り応えましょう。ただし、査読者に媚びた回答をする必要はありません。査読者が誤解していると感じた場合には、そのように書きましょう。誤解の原因は自分にあるかも知れませんので、批判的にはならず、あくまでも誤解の原因を丁寧に解消することに努めましょう。
また、提案を採用することが過剰な労力を要し、かつその提案を採用しなくても論文の本旨が変わらない(ロジックに影響しない)場合は、よい提案をしてもらったことに感謝した上で、修正稿には採用しない旨を理由とともに明記しましょう。

おわりに

論文の質は、発表媒体のインパクトファクターが担保するのではありません。正しい互助努力がなされているコミュニティが担保するのです。結果として、そのコミュニティの主流媒体はよく引用されるようになり、インパクトファクターが上がる、というのが正しい因果関係です8

行き過ぎた成果主義により、研究者の評価において論文の「数」が求められるようになった今、査読プロセスに回る論文は恐らくここ数年で何倍にも増えたのではと想像します。それにバランスするように、良質の査読をできる研究者が増えて欲しいと思います。

  1. 余談ですが、Kaityo256の別記事「Predatory Journalの論文を査読してみた」も大変面白い(私にも覚えがあり過ぎ)です。本記事に興味を持って下さった方には、一読をお薦めします。

  2. 高等専門学校・大学の教員には公的な資格認定がありませんが、厳正な審査を経て採用されたという事実がそれに替わります。

  3. そのようなことを恐れて外を見なくなるのは、研究者である自分を棄てるに等しい行動です。

  4. 中には、こちらの専門も知らず適当に依頼してくる失礼な人もいますが、失礼を以て応えて良い理由にはなりません。

  5. もちろんこれは、あなたの一査読者としての評価であって、最終的判定はエディタがなすものだということを弁えましょう。

  6. 私はそのような媒体の査読に当たったことがありません。

  7. 逆に、査読者の理解が不十分である、とがっかりさせることもあります。いずれにしても、判断に食い違いが生じた場合、それを解消するためのヒントになります。

  8. 数字をコントロールする方法はいろいろあります。インパクトファクターの高い媒体は信頼できる、という命題は、残念なことにもはや真ではありません。

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