こんにちは、座禅いぬです。
最近、Obsidian x AIの情報商材が人気とかいうトピックが話題になってますね。ここ数か月人々の注目を集めているツールであることは確かで、僕も使い始めてまだ半年程度の初心者なのでみんなすごい使い方しているなと思いながら眺めています。やっぱ「第二の脳」を持っている人はすごいなあ~。
でもふと思いました。そもそもObsidianもAIも、必要なんですかね?
ObsidianとAIで何がしたいの?
Obsidianを使えば以下の事が出来ますよね。
- ノートをジャンルごとに整理できる
- 関連メモをリンクで繋げて思考を広げられる
- マークダウンで素早く記録できる
- タグや検索で情報をすぐ引き出せる
- 過去のメモを再発見して活用できる
頭の中だけだと忘れてしまうことも、Obsidianに書き出すことでストックできるわけですね。
そして、AIは以下のことが出来ます。
- 文章を自動で生成できる
- ナレッジを記憶しコンテキストとすることができる
- コンテキストを読み込み高度な推論ができる
- マルチモーダルでPDFやエクセルも読める
- OCRやワークフローの実行もできる
- PowerPointやイラストだって作成できる
いやー何でもできて凄いですね。みんな注目するのも納得です。でも、この辺のことをやるのに必要なものってそもそも何だったんでしたっけ・・・?
やりたいことを実行するのに必要なもの:紙とペン。あとPC。以上
Obsidianで出来る事って、実は紙とペンでもある程度出来る事だと思います。
Obsidianを使う前は、知識の整頓はルーズリーフにまとめていました。ジャンル分けしてファイリングしていったり、日付や順番でグループをまとめます。そして、何度も書き足したり、書き直したり。学生のころから今に至るまで、基本的なやり方は同じです。
アイディアを構造化し、思考を拡張することも同様です。なんでもいいから紙に書き出してみる。マインドマップを書いていくことで思考を拡張できる。マンダラートみたいなものを使えばアイディアを意図的に生み出せる。別に紙に手書きで十分達成可能なことです。チラ裏で充分です。
結局、紙とペンがあればそもそもは十分な作業なんです。
紙に書いた方が良い理由がちゃんとある
実は、紙に書いた方が良い理由がちゃんとあるんです。
物理的に長文を書くのは結構大変です。脳内でいったん言語化してから、推敲して書く。その作業プロセスの中で推論的な思考が起こります。そもそもZettelkastenは紙で書かれてたわけですから、コンピューターが必要だとは思えない。この基本をないがしろにしてまでAIに頼るべきなのでしょうか。
人間の思考には2つのシステムがあるという考え方があります。カーネマンが「ファスト&スロー」で提唱したもので、「速い思考(System1)」と「遅い思考(System2)」です。System1は直感的で一瞬で判断できる自動的な思考、System2は論理的で意識的にしっかり考える思考です。たとえば、2+2=4のようにすぐに答えが出せるのはSystem1、複雑な計算や新しい問題を解くときにはSystem2が働きます。
このSystem2は、問題解決や思考プロセスの分解など抽象的な作業をするシステムと言えます。ただし、これはかなり負荷がかかる作業です。人間は本能的に高負荷の思考を避けるように進化しているので、基本的には取り組みたくないし、起動させるのは簡単ではありません。
普段はSystem1で省エネ運転しているわけですが、紙に書く行為はSystem2を強制起動させます。だから手書きで思考が深まるんです。
Obsidianがなくても、AIがなくても。人間は素晴らしい人生は送れます
冒頭の問いに対する解をまとめると、紙に書くことで思考は加速できます。AIに頼らなくても人間は素晴らしいんです。
AIと比較してみましょう。人間は以下の事を出来ます。
・文章を自動で生成できます。
・ナレッジを記憶しコンテキストとすることができます。
・コンテキストを読み込み高度な推論ができます。
・マルチモーダルでPDFやエクセルも読めます。
・OCRやワークフローの実行もできます。
・PowerPointを作成できます。
・そして人間にはいらすとやがあります。
貴方が人間ならば、これは全部出来る事です。あなたに必要なのは本当にAIですか?
あなたに必要なのはAIではなくこれ
敢えて人間の欠点をあげるとすれば、怠惰なことです。
解決策として電気ショックを導入しました。
→参考記事:
【狂気の実証実験1】AIエージェントに電気ショック権限を付与したら生活が更生した(知的で素晴らしい記事と思います)
めちゃくちゃ目が覚めますし、自分の悪い習慣を言語化した瞬間に断ち切れる力強さを感じます。マジで痛いです。朝5時に電気ショックを設定したところ、体は相当怖かったらしくて4時には目が覚めました。おかげで朝の作業に余裕ができて、休憩時間に散歩している時間にこの記事のアイディアが浮かんできた次第です。
とはいえ、僕はAIなしでは生きていけない
ここまで「AIなくても生きていける」と言ってきましたが、本音を言います。僕自身はもはや生成AIがないと生きていける気がしていません。毎日Claude CodeやDeep Researchを使って、調査や文書作成、コード生成をしています。この記事だって生成AIと一緒に書いています(生成するというより「一緒に」書いているという認識です。System2の負荷を調整する部分でサポートしてもらっています)。
ただ、みんなが真新しい情報に飛びついて、それがビジネスになっている状況には確かに違和感を覚えます。「ObsidianとAIで第二の脳を作ろう」みたいな情報商材(僕も似たようなタイトルで書いていたような...?)があっても別にいいとは思うんです、問題は多くの人にとってそれは本質的でない情報だということだと思います。どちらかというと必要なのは、「イシューから始めよ」のような本を読んで課題を言語化・整頓する技術だと思います。
なぜ多くの人がObsidianや生成AIに触れても、結局習得に至らないのか。僕は「どの作業をAIで拡張したいか」という堅実な視点からスタートする解説が足りていないからだと思っています。ツールの機能紹介や設定方法はたくさんあるけど、「自分の何を拡張したいのか」を言語化するプロセスがすっ飛ばされている。だから使い方がわからないまま挫折してしまう。
繰り返します。人間の欠点は、怠惰なことです。
学習のショートカットとして生成AIを活用することは良いことだと思います。上記の「人間に出来る事」は、時間や知識が必要な作業ですから、学習コストをどう減らすか考えるのは妥当なことだと思います。問題は、「時間を短縮する」と「知識が必要な作業を外注する」をどのようにタスク分解して問題解決に臨むか、この手順を考えているかどうかです。
紙とペンで思考を深める習慣がある人は、自分が何を考えたいのか、何を解決したいのかを言語化できています。その土台があるからこそ、AIを「拡張」として使いこなせるのだと思います。
まとめ
AIがなくても、人間は生きていけます。ちなみに僕はAIがないといろいろ無理です。
AIツールが溢れる時代でも、紙とペンで思考を深める時間の価値は変わりません。今までは「AIを使う」がコストをかける作業でしたが、今後は「AIを使わない」がコストをかける作業になっていきます。その段階においては、AIを使わない事でどのような価値が発生するかを言語化することは重要です。意図的な摩擦(intentional friction)を作る場面をあなたは選択出来ますか?
おそらく、Obsidianと生成AIの組み合わせを1から取り組むのであればObsidianでvaultを作成してドキュメントの数を絞って質を高める作業を覚えてから、自分のやりたいことを生成AIでプロセス最適化を目指すのが良いと思います。
今後はソフトウェア開発と課題解決は結合がより強くなるのではと感じています。皆さんも、たまにはAIから離れて、紙とペンで思考を深める作業を楽しんでみてはいかがでしょうか。