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刺激と評価のアウトソーシング — 刺激の欠如という危険性

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刺激のない日常は緩やかな死である

平凡で起伏のない学生生活を送っていると、人はやがて腐り、そして死んでゆく

これは比喩ではあるが、大げさでもない
技術者としての成長において、刺激の欠如は最も静かで、最も危険な状態だと私は考えている
毎日同じ講義を受け、同じ課題をこなし、同じメンバーと同じ話をする
それ自体は悪いことではないが、そこに「自分はまだまだだ」「こういう世界があるのか」という揺さぶりがなければ、現状に安住し、成長の動機を失う
気づいたときにはもう手遅れになり、そういうやつに限って学校のGoogle Mapに星1をつけて文句を垂れる

天井ばかり見上げていると首がもげる

では刺激を求めればいいのかというと、そう単純な話でもない

SNSを開けば「CTF最年少優勝!」「権威ある○○プロジェクトに採択されました!」といった輝かしい成果が流れてくる
彼らの成果は本物だし、素晴らしいことだ
しかし、それらばかりを見上げ続けるとどうなるか

首がもげる

自分との距離があまりにも遠い成功を日常的に浴び続けると、比較の対象として機能しなくなる
「すごいな」で終わればまだいい
「自分には無理だ」「自分は何もできていない」みたいな方向に転がり始めると、自尊心が削られ、メンタルをやられる

刺激を受けているようで、実際には自己評価を破壊しているだけだ

これは悪い意味での「評価のアウトソーシング」だ
自分の立ち位置や成長度合いを、SNS上の極端な成功事例に委ねてしまっている
本来、評価とは自分の文脈の中で行われるべきものだが、それを遠すぎる他者に外注してしまうと、返ってくるのは常に「不十分」という結果だけだ

適切な距離にある刺激を探す

では、健全な刺激とはどこにあるのか

私は、自分から「適切な距離」にいる人間との接触だと考えている
自分より少し先を歩いている人が、何を考え、何に取り組んでいるのかを知ること
彼らの姿は、SNS上の超人たちと違い、自分の延長線上にある
「あと数年でああなれるかもしれない」という想像ができる距離感
これを「最近接発達領域」と言うらしい
一人では届かないが、少し先にいる人間の存在によって届くようになる領域だ
その距離にある刺激が、健全に機能する

業界のカンファレンスに参加してみるのもいい
発表者の話を聞くだけでなく、懇親会などで参加者と会話する中で、自分の知らなかった技術領域や、考えたこともなかった問題意識に触れることができる
「知らなかった」という感覚は、それ自体が強い刺激になる
いわば「無知の知」で自分が何を知らないかを知ることが、次の一歩を踏み出す理由になる
地域の開発者コミュニティの勉強会に参加したり、LTをしてみたりするのも一つの手だ
SNSのタイムラインとは質の違う、双方向で具体的な刺激をくれる

しかし、これらが機能するには前提条件がある
自分と同じ分野、あるいは近い分野の人間がそこにいることだ
Web開発のコミュニティにネットワークの人間が一人で参加しても、技術的な議論の深さには限界がある
「楽しい」「居場所がある」という社会的な充足感は得られても、専門性を刺激してくれる存在がいなければ、成長のドライバーとしては弱い
物理的にコミュニティに所属していても、知的な刺激が得られなければ、それは平凡な日常の延長にすぎない

私の場合

私は某バッタの専門学校に通っているが、学校がネットワークという分野に著しく関心がない
同じ教室に、BGPの経路制御について議論できる人間がいない
DNSの権威サーバの設計思想について語り合える相手がいない
同学年にネットワークを専門にしている人間がいないのは確認済みだし、他学年も接点が少ないが、おそらくいない

これは先述の「平凡な日常」よりもさらに危険な状態だと感じている
周囲に合わせていれば、自分の専門性が錆びていくことを肌で感じるからだ

学校で評価されないことに対して「どうでもいい」と割り切ることはできる
実際、自分の専門性を理解できない環境での評価に一喜一憂しても仕方がない
しかし、そう割り切ったところで、自分が所属する場所で評価されないという事実は、どこか心に穴が空いたような虚無感として残る

人間はそう単純にはよくできていない

評価のアウトソーシングという提案

そこで私が提案したいのが、「評価のアウトソーシング」だ

先ほど、SNSの成功事例に自己評価を委ねるのは悪い意味でのアウトソーシングだと書いた
しかし、アウトソーシング先を正しく選べば、これは強力な成長戦略になる

ポイントは「どこに評価を委ねるか」だ

得体の知れないコミュニティでの評価に満足するのは危険だ
しかし、その業界で実際にプレイヤーとして活動している人が率いる産学連携プロジェクトや、JANOGやJAWS-UGといった、業界の実務者が集まるコミュニティでの評価であれば話は別だ
Google Developer Groupのように、企業がDevRelの一環として支援する開発者コミュニティもある
そこには自分の専門分野を正しく理解し、正しく評価できる人間がいる
彼らからのフィードバックは、学校では得られない種類の刺激を与えてくれる

実際、私自身もそうやって外に出ることで道が開けた経験がある
教授がコロナ禍で活動停止していたプロジェクトを再始動させるにあたり、その初期メンバとして声をかけてもらったことがあった
そのプロジェクトでは主にネットワーク人材の育成に取り組んでいる
ネットワークの面白さをもっと学生に知ってほしい、私のような孤独な人間をこれ以上生みたくない — そういう動機があったりする
学校の中にいるだけでは絶対に生まれなかった接点だ
外のコミュニティで活動し、顔を出し、自分の関心を表明し続けたからこそ、そういった機会が巡ってきた

学校だけを自分の評価軸にしてしまうと、専門性と環境のミスマッチがある場合、刺激が枯渇し、自己評価が歪む
学校の外に、自分の専門性を評価してくれるコミュニティを持つこと
そこでの評価を、自分の成長のバロメーターにすること
評価を受ける場所を意図的に複数持つことで、一つの環境に依存しない健全な自己認識を保てるのではないだろうか

これからの2年と、その先

この虚無感は、最低でもあと卒業までの2年は続くだろう
それは変えようのない事実だ

だからこそ、その2年を耐えるための仕組みが要る
外に評価の場を持つこと
それが今の私にとっての生存戦略みたいなものだ

そして卒業後は大学院に進学しようと考えている
エスカレーター、近大、県大、奈良先端、筑波、etc...ネットワークの研究で知られる大学院はいくつもある
正直なところ、狙う研究室はまだ定まっていない
ネットワークという大きな括りの中で、自分がどの分野に最も惹かれるのか、まだ見つけ切れていないからだ

そして正直に言えば、もっと根本的な不安もある
そもそも自分が専門学校にいるのは、受験勉強を放棄した結果だ
そのツケが回ってきているだけではないかと、ふと思うことがある
専門学校にいること自体がその証左だろう
そんな人間が大学院の院試を通過できるのか確信はない

外のコミュニティで様々な刺激を受けながら、自分の関心の輪郭を少しずつ明確にしていけばいい
評価のアウトソーシング先で得た経験が、やがて自分の進むべき方向を教えてくれるはずだ

大学院への進学は、評価のアウトソーシング先を恒久的に手に入れるための選択でもある
自分の専門性を理解し、正しく評価してくれる環境に身を置くこと
それが、刺激の欠如という緩やかな死から逃れるための、最も確実な方法なのだと思う

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