自分のせいで達成できなかった時、
「どう考えても時間が足りなかった」
「裁量が与えられなくてうまく動けなかった」
誰かのせいで達成できなかった時、
「もっと自発的に行動して欲しかった」
「説明がなかった」
うまくいかなかった時、できなかった理由を外側に求めてしまう。
ではその場合、改善策はどうなるか。
きっと誰かをコントロールして制約をかけることで改善しようと考えてしまうかもしれない。
逆にいうと、誰かが変わらなければこの状況は変わらないということ。
この問題の責任は 「他人」。直すべきも 「他人」。
よくよく考えると、できなかった理由は責任逃れの言い訳にも見えてくる。
でも確かにできなかった理由が「他人」になるとなんか安心する。
ただ、この一時的な安心は自身の成長を止めるきっかけになる。
責任転嫁は自分を下げる
社会の仕組みとして、上に行けば行くほど責任が大きくなる。
上に行きたい、成長したいと願うなら、背負うものは重くなるはずだ。
しかし普段から責任転嫁していてはどうだろうか。
相手へ責任をなすりつけ、相手を否定し、自分は責任を取らない。
そう、責任転嫁は自分を下げていく行為なのだ。
上がりたいと願いながら、自ら降りていっているに等しい。
責任を許容し、覚悟をする
それが今やるべきこと。
主語を「自分」に変えて翻訳してみる。
自分のせいで達成できなかった時
「どう考えても時間が足りなかった」
↓
「スケジュール管理ができていなかった。スコープの話ができていなかった」
...
「裁量が与えられなくてうまく動けなかった」
↓
「相手を動かす提案やそのための準備を怠った」
誰かのせいで達成できなかった時
「もっと自発的に行動して欲しかった」
↓
「成果を出すための仕組みづくりができていなかった」
...
「説明がなかった」
↓
「目標を達成するために必要な情報の認識が甘く、情報をとりにいく行動ができていなかった」
というふうに自身の責任に置き換えてみる。
そうすると改善案はどうなるか?
「スケジュール管理ができていなかった」
↓
ゴールまでの進捗がわかるように可視化する。管理しやすいツールの導入を検討する。
...
「スコープの話ができていなかった」
↓
明らかに作業量が多く現実的なスケジュールではないとわかった時点で報告し、いつまでにどこまでやるかを再設計する。
...
「成果を出すための仕組みづくりができていなかった」
↓
フローを見直し、次何をやれば良いかがわかりやすい仕組みを作る。
...
「目標を達成するために必要な情報の認識が甘く、情報をとりにいく行動ができていなかった」
↓
完了の定義を明確にし、満たせない場合、情報を持っていそうな人にヒアリングする。
このように責任を自分に置くことで、自身の裁量の中でやれることが見えてくる。
なお、全てを負う必要はない。アクションの中で承認が必要なものもある。
裁量の範疇では情報をまとめ、相談し、提案し、承認をもらうことで動かすこともできる。
取れるアクションが変わってきた
景色が変わった気がする。
しかし、だからと言って次は絶対失敗しないとは限らない。
だから、覚悟を決めるのだ。
責任とは自身の判断。
責任を持つということはどんな結果であれ受け入れるということ。
そのためには覚悟が重要。
責任がないという状態は、いつまでも誰かの管理下でしか動けない。
責任を持つことで初めて解放される。
とはいえ、責任を負うのは怖い。覚悟できるかわからない。
そんな不安はすぐには解消されないと思う。
そんな時は仲間に頼ろう。
いつでも助けを求められるように、自分の状況、進捗、やろうとしていること、全てオープンにする。
もし、背負いきれない状態になったら作業を分担してほしいと助けを乞う。
そもそも対応できない状態にならないように、みんなでどうすれば良いか意見を言い合う。
そうやって周囲の仲間と助け合いながら課題を解決していくと、やがて信頼が生まれる。
つまり、
責任の許容と覚悟は、信頼の源泉なのだ。
最後に
もう一度聞きます。「あなたは誰のせいにしますか」
「誰も責めません」
自分のせいでも他人のせいでも状況のせいでもありません。
事実を受け止め、みんなと共に改善案を考え、前よりも強く次の一歩を踏み出します。
もう誰かのせいにして停滞はしません。