本記事は個人的な見解であり、筆者の所属するいかなる団体にも関係ございません。
技術書典7に出品した話
ことの発端
ある時のI氏との会話(注:脚色されています)
2019年7月10日頃の話
I氏:「いやね、技術書典に応募したんですよ」
私:「お、ほうほう」
I氏:「そうしたらですね。当選しちゃったんですが(注:技術書典7は会場が2フロアになったので当選しやすかった)」
私:「いいじゃないですか!」
I氏:「出品するネタがなくて、どなたか本を書いていただける方はいらっしゃらないですか(注:I氏は某技術系出版社の元編集者さん)」
私:「そういうことですか!折角当選したのに出品するものがないとよくないですよね」
私:「某パーフェクト本を書いた人に相談してみましょうか」
I氏:「よろしくお願いいたします」
CNDT2019
某パーフェクト本著者を発見!
私:「かくかくしかじかで、文章を書いていただける方を探しています」
I氏:「意欲のある方であればどなたでも構いません」
某パーフェクト本著者:「いいですよ!xxxはyyyなのでzzzがいいかな」
(いつもナイスガイな著者さんでした。その節は誠にありがとうございます。)
一段落して
I氏:「ああ、よかった、紹介していただけるそうです」
私:「よかったですね!そういえば、最近私のQiitaの記事でGitLabのリファレンス翻訳したのが結構人気なんですが、これって書籍のネタになりますか?」
I氏:「!!??」
私:「2017年にGitLabのCIを使おうと思って自分で翻訳したネタをQiitaにアップしてあるんですよ。それからほったらかしにしてたのですが、2019年7月に新しいバージョンに追従して更新したんですね。よければそれを使って本の形になりませんか?」
I氏:「それはいいですね。ネタは沢山あった方がいいですし、今回の出品にならなくても今後のネタにもなるかもしれませんし」
QiitaのGitLab CIのリファレンス翻訳記事について
そもそも
元々は、自分の勉強用資料でした。
社内でGitLabを動かしていて、Ver.8からCI周りが新しくなったのは知っていたのですが、GitLabのバージョンアップに疲れており社内向けGitLabのバージョンは7で止まってしまっていました。
これではいかんとGitLab 10を入れ直して社内のプロジェクトを全て移行、Runnerを動かし始めたのはよいのですがよい資料がないので困っていました。
GitLab 10の.gitlab-ci.ymlのリファレンスを翻訳をしました。
Qiitaの編集履歴を見たら2017年9月17日から翻訳を開始したようです。
一旦2017年10月にはこのバージョンで一旦Fixしています。
月日は流れて
最初の翻訳のバージョンが10だったのでそれから2年経っていました。GitLab 12が発表されており資料が古くなってきていたのは知っていました。そこで、2019年に翻訳内容をバージョンアップしようとリブートしました。
修正を開始したのが2019年5月で完了しているのが
7月でした。
そういう意味では、タイミングがよかったと思います。
書籍の編集について
書籍の編集作業は、I氏に任せっきりで何もする必要はありませんでした。
編集作業から印刷の手配、技術書典への搬入、電子版の作成、BOOTHへの出品など全てI氏にやっていただきました。
できあがりもパーフェクトなもので修正点も殆どなく、流石に長年編集をやられているだけあり非常に品質よくまとめていただきました。
ありがとうございます。
技術書典 7
技術書典には何回か参加していますが、出品者として参加することになるとは思いませんでした。
おかげさまで100冊弱当日は売れたようです。
宣伝
I氏がやられているBOOTHのページが以下になります。
techiemedia - BOOTH
https://techiemedia.booth.pm/
よろしければ、電子書籍版お買い求めください。
【電子書籍版】日本語版GitLab CIリファレンス - techiemedia - BOOTH
https://techiemedia.booth.pm/items/1579669
まとめ
技術書典に出品すると「〆切が!」とか「原稿が!」「印刷が!」となることが多いと思いますが、
テッキーメディアさんにお願いするとその辺りの苦労をまるっとお任せできたのは、非常に助かりました。
※その辺りも技術書典への出品の醍醐味だったりもするので善し悪しですが、私は助かりました。
注:売り上げはテッキーメディアさんで、原稿料だけいただく形になります。
紙媒体になると感激もひとしおです。
今は自分で書いた内容を参照しながら、.gitlab-ci.ymlを書いています。
さらに出店者の気分も味わえるので、楽して楽しいところだけを味わえたのではないかと思います。