先日、Qiitaのポッドキャスト「Qiita FM」にゲストとして呼んでいただき、いろいろとお話をしてきました。全3回配信される予定です。
現在、音声メディアでしか配信されていないため、許可を得たうえで代替として、書き起こしテキストを投稿します。
- #62 流され続けて辿り着いた「全部やる」エンジニアデザイナー(この記事)
- #63 「誰もが使える」サービスへ:アクセシビリティで開発者の目が変わる理由
- #64 日常に潜む壁:気づきが変えるアクセシビリティの視点
この記事は、『#62 流され続けて辿り着いた「全部やる」エンジニアデザイナー』の内容です。このエピソードは以下のURLから聞くことができます。
- テキストとして読みやすいよう、実際の発言の一部(「えーっと」のような意味のない言葉や、言い直しなど)を省略・修正しています
- ymrlの分については自分の発言意図に沿った書き起こしをしていますが、パーソナリティの清野(@getty104)さんの発言の正確さは保証できません
- 文章内の見出しはymrlが付けているものです。見出しが挿入されるポイントは、番組内ではキータイプの音の効果音が鳴っています
音声メディアを聞ける状態にある人は、ぜひ配信されている番組の音声も聴いてください。そのほうがQiitaの中の人が喜ぶと思います。
オープニング
清野: 日本最大級のエンジニアコミュニティ、Qiita。プロダクト開発部部長の清野隼史です。この番組では日本で活躍するエンジニアをゲストに迎え、キャリアやモチベーションの話を深掘りしながら、エンジニアの皆さんに役立つ話題を発信していきます。
はい、ということで今回からのゲストは、フリー株式会社(freee)UIデザイナー、フロントエンドエンジニアで、「Webアプリケーションアクセシビリティ」共著者のymrl(やまある)さんです。よろしくお願いします。
ymrl: はい、よろしくお願いします。ymrlです。
清野: 最初に軽く自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか?
ymrl: はい、そうですね。フリー株式会社というところで、エンジニアなのかデザイナーなのか、たぶん今日その話をすると思うんですけれども、いちおう所属的にはデザイナーをしています。ymrl(やまある)と言います。
「Webアプリケーションアクセシビリティ」っていう本を共著して、そっちだと「山本伶さん」なので、そっちでポッドキャストの案内とか書いた方がいいのかもしれないみたいな。どっちの方が名前が通るか分からないですけれども。
書いた本のタイトル通り、アクセシビリティのことを結構やっていて、そっちの活動で結構よく登場してるんですけれども、一応フリー株式会社では、先ほど申し上げた通りデザイナーっていう立場をやっていて、デザインシステムを作るっていうことをしていて。
デザインシステムを作るっていうことは、デザインをするということでもあるし、フロントエンドの結構コードをがっつり書いてたりとか、そういうことをしています。と、いうぐらいですかね。はい、よろしくお願いします。
清野: はい、よろしくお願いします。本当にymrlさん色んなことをされてると思うので、今日は色々お話伺わせてください。
ymrlさんとお送りする1回目のテーマは「流され続けて辿りついた『全部やる』エンジニアデザイナー」です。
プログラミングとの出会い
清野: はい、ということで、1回目はですね、ymrlさんの今までのキャリアみたいなところをですね、ぜひ色々お伺いしたいなと思っております。
で、最初に自己紹介のところで今の仕事ってところは軽く触れていただけたかなと思うので。そもそも、デザイナー、デザイン業務をやりつつ、アクセシビリティの方でもありつつ、エンジニアでもありつつみたいな感じで結構いろんなことをされてると思うので、どうして今そういうところまでこうキャリアとしてきてるのかみたいなところですね、色々お伺いできたらなと思ってます。
ymrl: 話すと長くなりますよ。
清野: はい。お願いします。まず最初に聞きたいのが、プログラミングですね。やっぱり、エンジニアとしてプログラミングをもちろんされてるかなと思うので、プログラミングはいつから始めたのか、そのきっかけを最初にお伺いできたらなと思ってます。
ymrl: そうですね、プログラミングというよりかは、多分入ったのは、ホームページを作るみたいな、要はHTMLを書く、CSSを書くみたいなのが、この世界の入り口だったなっていう感じです。それがもう中学生の頃とかなので、2000年とか2001年、中学生の頃だと2001年とかですね。
そこからだんだん、WebというものHTMLというもので、当時ちょっとセマンティックWebみたいな話も盛り上がっていたので、そういうのに興味を持つうちに、プログラミングができるとWebサービスみたいなのが作れるぞっていうので、そこでちょっとやり始めてみたりとか。
最初は、これすごい老人会トークになっちゃうんですけど、掲示板とか、それからブログのシステムをレンタルサーバーに置いてみるみたいなところから、だんだんそれって自分で作れるんじゃないかって思ってやってみたんですけど、実はその時はあまりできなくて。
清野: あ、そうなんですか。
ymrl: うん。いろんな言語とかいろんな、当時そんなに種類はなかったんですけど、言語とか開発環境とか試してみたけど、作りたいものがなかったみたいなのが、中学高校生の頃かなっていう感じです。でも大学受験で、数学苦手だったので、数学の点数を稼ぐのにプログラミングの問題がだいたい大問1つだけあるんですよね。そこだけむちゃくちゃ活躍してましたね。BASICが。
清野: あ、そうなんですね。
ymrl: ええ。
清野: あ、なるほど。じゃあ、本当に最初の頃はいわゆるこうウェブサイトを作るとか。
ymrl: そうそう。
清野: みたいな、もう中学生の頃やってたってことですよね。
ymrl: そうですね。
清野: その元々中学生の時にそのウェブサイトを作りたいなって思ったきっかけは何だったんですか?
ymrl: すごい黒歴史の方行きますね(笑)。
別に何かウェブサイトを作りたいとか、そういうすごい強いモチベーションがあったというよりかは、そういうのをやれると面白いらしいぞっていう。
当時そんなにインターネットに人がいなかったっていうのがあって、いろんな人のホームページがあって、そこに人が集まっていて、いろんな交流ができたりとか、面白い文章が書いてあったりとか、それからちょっとかっこいいビジュアルが作ってあったりとか、そういうのがあったので、自分もそういうちょっとこう、かっこいいなって思ってやってみるみたいな。
この話題振られると思って考えてたのが、バイクに乗り始めた人みたいな。なんかバイクに乗り始めて好きな人ってバイクのカスタマイズとかメンテナンスとかしてるじゃないですか。そういう感覚だったんですよね、多分。なので、自分で作るっていうことがうまくできなかったっていう。でも、ホームページを作るぐらいのことはできて、それを綺麗にするみたいなのは楽しかったみたいな、そういう感じでしたね。
清野: ああ、なるほど。で、そこからこうより深みのプログラミングに行こうとしたけど、そのタイミングではちょっと挫折しちゃった。
ymrl: そのタイミングでは、そうですね。当時って、やっぱ入門コンテンツも今ほどないんですよね。なので、別になんか本気でそのエンジニアになりたいとかそういうわけでもない中学生高校生が、ちょっと放課後に暇な時間に2〜3時間でできる範囲のことやる、そこでできることと、すごいプログラミングしてアプリをリリースしてる人、Webサービスやってる人のギャップがすごいんですよね。なので、あんまり面白くないなってなっちゃったのかなっていう。
清野: なるほど、ありがとうございます。で、そこでまあ一旦プログラミング自体は、やめちゃった感じなんですかね。
ymrl: そうですね。大学受験っていうどの方向に進むか、どの進路に進むかみたいなところで、得意科目で言ったら、実はすごい「生物」っていう科目が得意だったんですよ。
清野: ああ、そうなんですね。
ymrl: そこで生物が得意で数学が苦手っていう、多分、高校の先生からするとむちゃくちゃ扱いづらい成績の状態で。当時バイオプログラミングみたいな、バイオサイエンスで、まあちょっとその情報系っぽいことをやるみたいな、そういうのをやってる研究とかを見て、それはそれでWebの世界とすごい近いなと思って。フラフラとこう自分の行きたいところがどこなのか分からないまま、たまたま情報の方面に強い、とある大学に入ってっていうところで。一旦挫折したというよりかは、よく分からないなってなってたものが、ちょっと自分の進む方向として方向づけられたみたいな、きっかけになったみたいなのが、大学に入ったっていうところっていう感じですね。
清野: ああ、なるほど。じゃあ、ふんわり触ったり触らなかったりしてたところから、まあ大学の中でそこそっちの方面に専攻として進んでいったってタイミングだったんですね。
ymrl: そうですね。大学が全員パソコン持って来るような、学内に無線LANが、2007年の話なので当時としてはすごい珍しい環境だったんですよね。全員がインターネットに繋がった端末を持ってるっていう。そこでプログラミングの授業とかもあるし、いろんなことを自由に学んでいいみたいな中で、やっぱり面白そうなことを選んでいくと、情報系の方になっていって。で、そこで授業とかで、もう1回そのプログラミングっていうものをやってみたら、何だろう、お題があるとできるんですよね。
清野: へえ。
ymrl: こういうものを使って、こういうものを使ってっていう、レギュレーションみたいなのがあって、これを使って何か作品作ってくださいみたいな、そういうのがあると、これを使ったらこう、こういう風にしたら、当時やったものだとカメラの入力をつかって何か画像処理して何かしてくださいとか、カメラの映像の中で手で動かしたものがちゃんと動くみたいなものを作るとか。そういうところで、「あ、作れるな、できるな」ってなってったっていうのが、プログラミングができるようになっていった経緯みたいなのの、最初のきっかけはそこかなっていう。
清野: ああ、そうなんですね。じゃあ、改めてこう専攻として大学で学び始めて、いわゆる授業というかカリキュラムの中でまたプログラミングのことをこう色々勉強してやれるようになっていった。
ymrl: うん。プログラミング関係の授業、それ情報、いわゆる情報技術とか、計算機科学に近いようなものとかを授業でやってたっていうのと。あと当時、元々インターネットで知り合った人たちっていうのはずっといて、プログラマーコミュニティみたいなのに近い人たちみたいなのがいて。
その人たちがやってることってのは、仕事でやってる人たちであったり、趣味でもすごいアプリ作ってる人だったりなんですけど。ちょっと自分がそういう人たちのところに少し近づけた感覚みたいなのがあって。だんだん崖に見えてたものが階段になってきたみたいな、そういうところがあって、だんだんいろんなことができるようになってきたっていう感じですね。
エンジニアっていうものがよく分かってなかった
清野: なるほど、ありがとうございます。で、そこから、実際、次は大学から社会人になっていくと思うんですけど、そのタイミングでやっぱり、大学の中でプログラミングとかもやってたからこそ、必然的にというか自然とエンジニアの方面に行こうかなみたいな思ってた感じだったんですかね。
ymrl: いや、そこもエンジニアっていうものがよく分かってなかったかなっていうのが当時の感じですね。
当時、ヒューマンコンピュータインタラクションって、どちらかというとデザイン寄りみたいなところもある研究室にいて、そこですごくプログラミングができる人みたいな、1番できたとは言わないんですけど。1番できた人、某社CTOとかいるので。
そういうところにいて、プログラミングができる人ではあったけど、エンジニアって何だろうって思っていたまま、大学の学部生の最後、大学院まで行ってたので、学部生の最後から大学院の間ずっと、ソーシャルゲームの会社に長期インターンというか、謎のアルバイトみたいな、好きなことをさせてるというよりかは、学生に「こういうことをやってみてよ」みたいな、ちょっと投げかけるような「こういうことやりたいと思ってるから、ちょっと試しに作って」みたいな、そういうことをやってたんですね。
で、そこにそのまんま、新卒の時は入社して、一応エンジニアっていう肩書きになったっていう、そういう感じですかね。
清野: ああ、なるほど。じゃあ、こうエンジニアになるぞっていう気持ちを持って、こうキャリアを進んできたというより、結果的にまず最初のファーストキャリアとしてはそっちの方面に行ったみたいな。
ymrl: そうですね。もう流れに流されてますね。分からなかった、就活っていう概念がよく分かってなくて。2011年、学部の卒業2011年で、大学院の卒業が2013年で、冷静に考えると結構氷河期の最後みたいな頃で、すごく周りが就活をやってる。就活就活って言ってる中で、何をすればいいのかよく分からなかったんですよ。なので、入れるところに入ったみたいな。本当に流されていました。
清野: なるほど。そうなんですね。実際、流されて入った会社で、仕事というか、その中では結構充実をしてたんですかね。
ymrl: そうですね。面白かったですよ。ゲームって、本当にいっぱい色んなものを実は作んなきゃいけない。自分は結構アイテムの管理画面とか作ってたんですけど、そこで面白くなるように、飽きさせないように、ちょっとした演出のアニメーション入れたりとか、そういうのがあって。人が面白いな、楽しいな、可愛いな、かっこいいな、みたいな感情に訴えるものみたいなのを、そういう要素もありつつ、でもプログラムとしてちゃんと動くものを作るっていうのは、面白い仕事ではあったなっていう感じなんですけど、ただ、割とすぐやめちゃったっていうのがあって。
清野: あ、そうなんですね。
ymrl: 面白いんですけど、ゲームってどうしても1つの正解に最後しなきゃいけないんですよね。「面白い1つのもの」っていうのを作んなきゃいけないので、いっぱい色々頑張ったものが、どんどん削り取られて最後1個のゲームになるみたいな感じで。リリース時、自分の作ったものがそんなにリリースされるわけではないみたいなところに、自分がやりたいこととこれは合ってるんだろうかみたいなのがようやく芽生えて、そこで、今のフリー株式会社(freee)に転職したっていう感じですね。
清野: あ、そうなんですね。その、ちなみにfreeeさんに入ったきっかけってどういう?
ymrl: これも流されてるんですけど。
清野: そうなんですね。
ymrl: 当時、お世話になった人に、「ちょっと面白い会社があるから行ってみなよ」って言われて。当時は麻布十番かな、オフィスに遊びに行って。で、社長とCTOが出てきて、話して。自分が学生時代に作ったものとかを、プレゼンテーションみたいにして、「こういうのやってきました」って話をして、他のエンジニアの人とかと話したりして。「あ、意外と面白い会社だな」って、あとは、結構やろうとしてることが「いいな」って思ったんですけど。
そしたらそのあとすごく社長から、「次いつ来ますか?」ってむちゃくちゃ言われて、で、次に言ったら、「内定なんで、じゃあいつ入りますか?」って言われるみたいな。流されてるんですよね。
清野: なるほど。じゃあ、もうそれでその流れで入って。
ymrl: 流れで、元々前の会社をちょっとやめたいなって思っていた時期ではあったので、じゃあいつやめるかみたいな感じではあったんですけど、いきなりそんな、1社だけでスルッと入っちゃっていいのかみたいなのもありつつ、でも「いつ来ますか」「じゃあ、こういう日にします」「じゃあそうしましょう」みたいな感じで、入社したっていう。
清野: なるほど。そうだったんですね。
エンジニアからデザイナーへのキャリアチェンジ
清野:: 今、freeeさんに入るまでのきっかけみたいな話をお伺いできたかと思うんですけど、そのタイミングでは、「エンジニア」として入社されているんですよね?
ymrl: そうですね
清野:: そこから、今、いろいろ肩書を持っていらっしゃると思うんですけど、いわゆるデザイン業務というか、「デザイナー」として働きだしたのはいつ頃だったんですか?
ymrl: 入って5年くらい、その少し前に遡るかなと思うんですけど、当時アクセシビリティをやろうとか、フロントエンドのいろんな問題意識があって。スタイルシートがすごい肥大化に肥大化を重ねていたとか、あちこちの見た目が違うとか、いろんな問題があったんですけど。
清野:: いろんな問題をどうにか解決しようとして?
ymrl: こういう大きなサービスって、絶対どっかで作り直す時が来るから、それを、作り直す時にいいものが作れるようにデザインシステムを作ろうっていう。
当時デザインシステムって言葉知らなかったんですけど、デザインシステムというよりかは、デザインのシステムを作ろうとしたんですね(笑)。よくよく後からいろんな会社の人の話とかを聞くと、「あ、これデザインシステムって呼んでいいものなんだ」って後から分かったみたいな感じではあったんですけど。デザインシステムというかコンポーネントシステムというかみたいなのを作るようになって。
元々やっぱりそのHCI、ヒューマンコンピュータインタラクションやってたとかもあって、やっぱり「ユーザーさんがどういう風にこのアプリケーションを使うのか」とか、「これを使った結果ユーザーさん何を得るのか」とか、「どうやったらもっと良くなるのか」とか、「ユーザーさんが何をやるのか」みたいなのを気にしながら作ってたので、やっぱり「UIのことをやりたいな」っていう気持ちがその辺ですごく強くなってたんですよね。UIのことをやりたい、で、フロントエンドの問題もなんとかしたいみたいな、そういうのでどんどん仕事の比重をUI寄りにしてもらってたんですね。UIの改善プロジェクトをやらせてもらったりとか、デザインシステムを作り始めたやつをどんどん作っていく仕事をしてたりとかしてて。
で、一緒にやってたデザイナーが辞めちゃうっていうタイミングがあって、「じゃあこれからどうしよう」って思った時に、「自分が『デザイナー』っていう肩書きを持てば、進めやすいんじゃないか」みたいな。そこまですごく計画立ててやってたわけじゃなくて、結構勢いだったんですけど、もうこれ自分がフルタイムでこのデザインシステムのことをやった方がいいなって思って、デザイナーのチームに行きたいですって話をして、その時はまあ単純に社内移動させてもらったっていう感じでしたね。
清野: なるほど。あ、じゃあもうそこからこう、本当に転身というか、肩書きとして、デザイナーっていうのも背負って、そのデザインシステムってところに対してコミットしていくっていうのをそこから始めたってことですね。
ymrl: はい。
清野: なんか、そこで1個気になるのが、肩書きがついたら突然デザインができるわけではないじゃないですか。当たり前ですけど。本業でデザイン業務をやってらっしゃる方もいる中で、なんかそこら辺のこうキャッチアップってすごい大変そうに感じちゃうんですけど、そこら辺はどうだったんですか?
ymrl: うん、そうですね。まあ、元々そのデザインシステム、えっと、コンポーネントシステムを作ってたっていうところが、ベースとしてそういうのが分かるとか。学生時代とかにも色々変なもの作ったりとかで、イラレでなんかちょっとしたものを作ったりとかしてたとかもあるし、そういうグラフィックみたいなところも元々やってたのもあるんですけど。
結構、自分がデザインの部署に行きたいですっていう話をした時に、すごく印象に残ってるのが、「もうymrlさんはデザイナーやれるんじゃない」っていうのを、「デザイナー、デザインやってきてるでしょ」みたいな感じに言われたんですよね。なんでかって言うと、エンジニアのチームの中で、画面遷移図とかを作ってたんですね。
それは別に、画面遷移図がプロセスとして必要とか、承認プロセスみたいな「作んなきゃいけないもの」として作ってたというよりかは、「ユーザーさんがこの機能を使ってどういう形でこの仕事をします」「この機能はどういう形のものです」みたいなのを、いろんな人に説明したりとか、あとはUIをデザイナーが作ってくれる前に、先にそういう仕様をドメインナレッジを紐解いて、その時って法律とか行政の文書とかいっぱい読んで、こういう届け出ってどう作るんだみたいなのを、むちゃくちゃ詳しくなった上で、画面遷移図みたいなのを作って、これどうですかみたいな仕事をしてたので。まあ、確かに、今思えばそれって、言い方で言うとあんまり好きじゃないんですけど、上流下流の上流なんですよね。
清野: うん、うん、うん。
ymrl: で、まあ、そこの上流のデザインやってた人だから、別にデザイナーって名乗っても全然おかしくないって多分思ってくれてたんだと思うんですよ。
清野: うん、うん。なるほど。実際、デザイナーとしてそこで仕事していくってなった時に、実際、期待されていた通りのアクションは取れてた感覚ありますか?最初から。
ymrl: そうですね。デザイナーっていう肩書きを得たことで、やっぱり、他のデザイナーに対して対等にデザイナーとしてこうですよねっていう話ができるようになったっていうのがすごい大きかったかなと思っていて。
清野: うん、うん、うん。
ymrl: やっぱりエンジニアが、UIに対して、あの、何か言ってるぞっていうのって、ちょっとデザイナーの中では、あんまり重みを持たないみたいなところもあって。
清野: はい、はい。
ymrl: で、デザイナーとして、UIコンポーネントの、元々やってた人からデザインツールの上でのビジュアルの物も受け継いでいて、しかもその動きを実装していて、それの使い方とか全部詳しいので、こういう画面ではこういう風にした方がいいですっていう答えが出せるようになってたんですよね。だから、そのまんまスッとデザイナーとして、他のデザイナーに対して「こうした方がいいですよね」とか、そういう話ができるようになったっていうのがあったので、まあ、できてたんじゃないかなと思います。
これ当時の働いてた人に怒られるかもしれないですけど(笑)。
清野: ありがとうございます。なるほど。
良いものを作りたい、良くないものをリリースしたくない
清野: 実際そんな感じで、エンジニアとして、そしてデザイナーとして色々ここまでやってきていらっしゃると思うんですけど、2足のわらじっていう表現が正しいのか分からないんですけど、どっちもやっていく中での、やってきたからこう得られたものみたいなお話を伺えたかなと思うんです。逆にそれによって、失ったものというか、今どっちもやってるからこそ、これはできなくなっちゃったなみたいなの、もしあるならお伺いしたいなと思ったんですけど、どうでしょう。
ymrl: ああ、そうですね。えっと、自分の感覚から言うと、全部やってるなんですよ。要はUIっていうユーザーさんから見た、ソフトウェアの姿の、一番手前側をやってるのがデザイナーだとしたら、そのちょっと後ろ側をフロントエンドエンジニアがやっていて、でどんどん深くなっていくみたいなイメージで、で、ただ自分はその中で言えば、デザイナーとフロントエンドエンジニアっていう、ユーザーに近い側を全部なるべく全部やろうとしてるみたいな、そういうイメージなんですよね。だから、それで言うとやっぱり、そこから遠ざかってる、そうですね、DBのチューニングとか、そういうのはやる機会がなくなったっていう感じがしてますね。
ただ、それって何か、単純にやる機会がないってだけで、もしそれを「やんなきゃいけない」ってなったら、やると思うんですよ。それはもう全部やるつもりでいるからこそなので。全部やる気つもりがあるので、やるんですけど、やる機会がなくなってしまったので、やんなくなってしまったので、できるか分かんなくなってるっていうのが、一番失ってるものですね。
清野: なるほど、ありがとうございます。すいません、1個って言ったんですけど、もう1個だけ聞いてもいいですか?
ymrl: はい。
清野: なんかその全部やるっていう、その、何て言うんですかね、いわゆるスタンスみたいなのって、源泉は何なんですかね?
ymrl: 源泉、良くないものをリリースしたくないんですよ。
清野: うん、うん、うん。
ymrl: やっぱり、アプリケーションを作る会社にいて、アプリケーションを出してる以上、そのアプリケーションってなるべく完璧に近いものであってほしいのに、ユーザーさんから見た姿が、それビジュアルの話かもしれないし、機能の中身の話かもしれないですけど、良くない状態になってるっていうのが嫌なんですよね。だから良くない状態になってるのがなんでなのかを全部知りたいし、改善できるものなのかを知りたいんですよ。
清野: うん、うん、うん。
ymrl: で、本来改善できるはずなのに、みんながこれでいいやって思ってるのが許せないんですよ。ていうのが、まあ全部やるスタンスの源泉かなって思います。
清野: なるほど。じゃあ本当に、とにかく良いものを世に届けたい。
ymrl: そうですね。もうそれだけですね。
清野: なるほど、ありがとうございます。
エンディング
清野: ymrlさん今日はありがとうございました。
ymrl: ありがとうございました。
清野: まだまだですね、お話し足りないなので、次回もymrlさんとお送りします。
ということで今回はですね、ymrlさんの今までのキャリアについて色々お伺いをしてきました。
ymrl: はい。
清野: はい、ありがとうございました。
最初の肩書きだけ聞くと本当にこう広いことをやってらっしゃるなあっていう印象だったんですが、実際お話を色々こう深掘ってみると、本当にやっぱりこう良いものを作りたいっていう、結構モチベーション自体はすごいシンプルかつ、すごい明確なんだなっていうのを、お話聞いていてすごい感じたところですね。
ymrl: ね、自分も話しててそう思いましたね。
清野: ありがとうございます。今後も多分ymrlさん色んなことをやっていくとは思うんですが、多分こうモチベーションの源泉は変わらないかなと思うので、そういうところ僕も、引き続きちょっと、陰ながら応援させていただきたいなと思っております。ありがとうございました。
さて、この番組では感想や次回ゲストへの質問、リクエストなどをお待ちしております。番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください。Xではハッシュタグ「#QiitaFM」をつけてポストしてください。表記は番組名と一緒で、Q、F、Mが大文字、残りは小文字です。そしてApple PodcastやSpotifyのポッドキャストではレビューもできますので、こちらにも感想を書いてもらえると嬉しいです。
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来週も火曜日の朝6時に最新話が更新されます。番組のフォローをして最新話もお聴きください。お相手はQiitaプロダクト開発部部長の清野隼史と
ymrl: フリー株式会社 エンジニア・デザイナーのymrlがお送りしました。