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宇宙における「指数分布」と「べき分布」― 足し算と掛け算、そして対数エネルギーという視点 ―

Last updated at Posted at 2026-01-10

はじめに:分布の形は「偶然」ではない

高エネルギー宇宙物理を学び始めると、次のような事実に何度も出会います。

  • 宇宙線のエネルギースペクトル
  • 超新星残骸やジェットの非熱放射
  • 粒子加速を受けた電子・陽子の分布

それらの多くが

N(E) \propto E^{-\alpha}

という べき分布(冪分布, power-law) で表されます。一方、統計物理や熱平衡では、

N(E) \propto e^{-E/E_0}

という 指数分布 が自然に現れます。

この記事の目的は、

なぜ宇宙では指数分布ではなく、べき分布が現れるのか?

を、整理して解説してみます。

1. 算数で見る「べき」が出る理由(最初の入口)

まず、物理を一切使わない、極めて単純なモデルから始めます。

仮定

ある粒子が「イベント(散乱・加速)」を何度も経験するとします。

  • イベント1回ごとに

    • 粒子が生き残る確率:$p < 1$
    • エネルギーが増える割合:$\beta > 1$

イベント回数を $k$ とすると、

N = N_0 p^k
E = E_0 \beta^k

と書けます。

回数 k を消去する

$E = E_0 \beta^k$ の式で両辺 log を取って変形すると、

k = \frac{\ln(E/E_0)}{\ln\beta}

これを粒子数に代入すると、

\frac{N}{N_0}
= \left(\frac{E}{E_0}\right)^{\ln p / \ln\beta}

すなわち

N(E) \propto E^{-\alpha}
\quad
(\alpha = -\ln p / \ln\beta)

と書けます。

ここで何が起きたのか?

  • 粒子数もエネルギーも 「回数」に対して指数的に変化
  • 回数という履歴を消すと 指数 "÷" 指数 = べき

つまり、

べき分布は、指数的過程を“履歴で割り算した”結果として現れる

という、純粋に算数的な事実です。

2. 歴史的背景:ブラウン運動と拡散という考え方

この話は、高エネルギー宇宙物理から始まったものではありません。

1905年
アルベルト・アインシュタインは、
水中で花粉がランダムに動く ブラウン運動 を理論的に解析しました。

当時の本質的な問い

  • 個々の運動は予測不能
  • それでも 集団としての振る舞い は法則に従うのではないか?

アインシュタインは、すでに知られていた 拡散方程式

\frac{\partial P(x,t)}{\partial t}
= D\frac{\partial^2 P}{\partial x^2}

を、ブラウン運動の確率分布に適用し、

\langle x^2\rangle = 2Dt

という関係を導きました。

拡散係数 $D$ とは何か?は下記を参考ください。

重要な視点

  • 拡散方程式そのものは、熱伝導や物質拡散として以前から存在
  • アインシュタインの貢献は、
    確率分布という粗視化された量に着目し、ミクロの運動と結びつけたこと
    です。

3. 拡散とは「履歴を捨てる」記述である

拡散方程式には、次の情報が書かれていません

  • 粒子が何回衝突したか
  • どの順番で動いたか
  • どの方向を向いていたか

代わりに残るのは、

  • 分布の形
  • その広がり方

つまり拡散とは、

ミクロな履歴を捨て、マクロな統計的振る舞いだけを記述する近似

です。

4. 分布の形は「どの変数で変化を測るか」で決まる

ここからが、この記事の数理的な核心です。

分布 $N(E)$ を考えたとき、
微分

\frac{dN}{dE}

は、

$E$ を少し変えたときに、$N$ がどれくらい変わるか

を表します。

つまり微分方程式は、

「どの量の“微小変化”を基本操作としているか」

を明示しています。

5. 指数分布:エネルギー E の微小変化に対して一定の割合で減る

指数分布

N(E) = C e^{-E/E_0}

は、次の微分方程式を満たします。

\frac{dN}{dE} = -\frac{1}{E_0} N

これは、

\frac{1}{N}\frac{dN}{dE} = \text{一定}

すなわち、

エネルギーを「同じ量だけ」増やしたときの減り方(増え方)が、どの $E$ でも同じ

という意味です。

テイラー展開して、物理次元の関係について確認しておく。$e^{-x}$はテイラー展開で、

e^{-x} = 1 - x + \frac{x^2}{2!} - \cdots

と書けるので、

  • 展開変数 $x$ は 必ず無次元
  • だから物理量 $E$ を入れるには
    x=E/E_0
    
    とせざるを得ない

指数関数は本質的にスケールを要求

6. べき分布:対数エネルギーの微小変化に対して一定の割合で減る

べき分布

N(E) = C E^{-\alpha}

を微分すると、

\frac{dN}{dE} = -\alpha\frac{1}{E}N

両辺に $E$ を掛けると、

E\frac{dN}{dE} = -\alpha N

ここで、次の恒等式を用います。

\frac{d}{d(\ln E)} = E\frac{d}{dE}

すると、

\frac{dN}{d(\ln E)} = -\alpha N

となります。

これが意味していること

  • 指数分布:
    \frac{dN}{dE} \propto N
    
  • べき分布:
    \frac{dN}{d(\ln E)} \propto N
    

つまり、

べき分布とは、
「エネルギーそのもの」ではなく
「対数エネルギー」を変数にしたときの指数分布

です。

7. 「対数エネルギーで測る」とはどういうことか

\ln E \to \ln E + \delta

という変化は、

E \to e^{\delta} E

すなわち、

エネルギーが「一定の割合」で変化する

ことを意味します。

重要なことは、対数微分はスケールを持たないことです。

対数エネルギーでの微分は

\frac{d}{d(\ln E)} = E\frac{d}{dE}

と書ける。この演算子は、
$E \to \lambda E$ というスケール変換に対して不変であり、
エネルギーの「割合的変化」を自然に記述する微分操作である。

(補足) logE を新しい変数とみなし,微分演算子をチェーンルールで計算する。

\frac{d}{d\log E} = \frac{d}{dE}\frac{dE}{d\log E}  = \frac{d}{dE} \frac{1}{(\frac{d\log E}{dE})} = E~\frac{d}{dE}

[覚え方] $d(\log x)$で微分するとは、$x$を掛けて$dx$で微分すること

8. 物理との対応:なぜ熱平衡は指数なのか

熱平衡では、

  • エネルギーのやり取りは
    少量ずつの加算・減算

として起きます。

そのため、

  • $E$ の変化を直接見る
  • $E$ に対して指数分布が現れる

のは自然です。

9. 宇宙における粒子加速:なぜべき分布なのか

一方、宇宙線加速や非熱粒子では、

  • 散乱や加速のたびに
    エネルギーが 割合で 変化する
E \to \beta E

という過程が基本になります。

これは、

$\ln E$ が足し算的に増えていく過程

です。

したがって、

  • $\ln E$ の世界では指数分布
  • 元の $E$ の世界ではべき分布

が現れます。

10. フェルミ加速とは何か

― 無衝突プラズマで起きる「割合の加速」

ここまでで、
「べき分布が $\ln E$ を変数にした指数分布である」
という数理構造を見てきました。

では、宇宙ではなぜ $\ln E$ が自然な変数になるのか?
その物理的な答えの一つが、フェルミ加速です。

10.1 歴史的背景:エンリコ・フェルミの着想

1949年、フェルミは「宇宙線はどうやってあれほど高エネルギーになるのか?」という問いに対し、極めて単純なアイデアを提案しました。

  • 宇宙空間には、磁場をまとった“動く散乱体”が存在する
    (磁気雲・衝撃波・乱流構造など)
  • 荷電粒子はそれらに何度も散乱される
  • そのたびに、少しずつエネルギーを得る

これが フェルミ加速 の原型です。

10.2 無衝突プラズマという前提

宇宙のプラズマは、実験室の気体とは決定的に違います。

  • 粒子同士が直接衝突する頻度は極めて低い
  • クーロン衝突よりも
    磁場・電磁波との相互作用が支配的

このようなプラズマを 無衝突プラズマ と呼びます。

重要なのは、

エネルギー変化が「少し足される」のではなく、「割合で変化する」

という点です。

10.3 フェルミ加速の核心(式で見る)

散乱を1回受けるたびに、

E \to \beta E \qquad (\beta > 1)

とエネルギーが比例的に増えるとします。

散乱回数を $k$ とすると、

E = E_0 \beta^k

対数を取ると、

\ln E = \ln E_0 + k \ln \beta

10.4 ここが決定的

  • エネルギー $E$ は 指数的 に増える
  • しかし
    対数エネルギー $\ln E$ は、回数に対して足し算的に増える

つまりフェルミ加速とは、

$\ln E$ がランダムウォーク(拡散)する過程

だと理解できます。これが、べき分布が現れる物理的理由です。

11. そもそも「変化」をどういう単位で見るのか?

ここで一段深く、微分という操作そのものを見直します。

11.1 微分とは何をしているのか

微分

\frac{dN}{dE}

は、

変数 $E$ を「少し足したとき」の関数 $N$ の変化量

を見ています。つまり、微分方程式は本質的に、

足し算的な変化を基本操作として世界を記述する枠組み

です。

11.2 変数を変える=「どの足し算を見るか」を変える

同じ関数 $N$ でも、

  • $E$ を変数にするか
  • $\ln E$ を変数にするか

で、「少し変えた」の意味が変わります。

(A) E を変数にする場合

E \to E + \Delta
  • エネルギーが 一定量だけ 変わる
  • 熱平衡・衝突的過程に適している

このとき自然なのが 指数分布

(B) ln(E) を変数にする場合

\ln E \to \ln E + \Delta
\quad\Leftrightarrow\quad
E \to e^{\Delta} E
  • エネルギーが 一定の割合で 変わる
  • 散乱・加速・拡散過程に適している

このとき自然なのが べき分布

11.3 微分方程式で世界を理解するという立場

私たちが物理を微分方程式で記述するということは、

「どの量を足し算的に変化させるか」を選ぶ

という思想に立っている、ということでもあります。

  • 熱物理 → $E$ を足す
  • 粒子加速 → $\ln E$ を足す

この違いが、分布の形として現れます。

12. 指数分布は「スケールを要求」、べき分布は「スケール拒否」

最後に、スケールという言葉を曖昧さなく整理します。

12.1 スケールとは何か(定義)

ここで言う「スケール」とは、

「この値を基準にすればよい」という固有の大きさ

のことです。

12.2 指数分布がスケールを要求する理由

指数分布

N(E) \propto e^{-E/E_0}

には、必ず (E_0) が現れます。

  • $E_0$ は
    「これくらいが典型的」という基準
  • 分布の形は
    $E/E_0$ という無次元比で決まる

つまり指数分布は、

「このスケールを基準に見よ」という要求を内包した分布

です。

12.3 べき分布がスケールを拒否する理由

べき分布

N(E) \propto E^{-\alpha}

には、

  • $E \to \lambda E$ としても、$E^{-\alpha}$という関数形は変わらない
  • $E_0$ のような基準スケールが存在しません(比例係数に吸収されるだけ。関数系は不変、という意味)

これは、

「どこを基準にしても同じ関数系の振る舞いをする」

という性質です。数学的には スケール不変性 と呼ばれます。

12.4 物理的に言い換えると

  • 指数分布 → 「このあたりが普通」という目安がある
  • べき分布 → 「特別な大きさが存在しない」

12.5 なぜ宇宙ではスケールが消えるのか

宇宙線加速や無衝突プラズマでは、

  • 衝突頻度
  • 温度
  • 局所的な平衡

といった 典型スケールを決める要因が存在しません。

その結果、

スケールを持たない過程の定常的な影として、べき分布が現れる

と理解できます。

おわりに:分布は「見方」で決まる

指数分布とべき分布の違いは、

  • 特殊な宇宙物理の結果
  • 不思議な経験則

ではありません。

どの変数で“変化”を測るか

その選択の違いが、分布の形として現れているだけです。

この視点を持つと、

  • 統計学
  • 拡散過程
  • 宇宙線加速
  • 非熱放射

が、同じ数理構造の視点から見えてきます。

Appendix

足し算と掛け算の確率過程 ― データサイエンスとの接点 ―

本文は、

「どの変数で足し算が起きているか」

にある。これは確率過程・機械学習の言葉に自然に翻訳できる。

B.1 加法ノイズ:指数分布の世界

E_{n+1} = E_n + \delta_n
  • ノイズが 足し算
  • 中央極限定理 → 正規分布
  • エネルギー空間では 指数分布が自然

(注:エネルギーが非負なので、正規分布ではなく指数分布が自然に現れる。)

👉 熱平衡・衝突過程・拡散現象

B.2 乗法ノイズ:べき分布の世界

E_{n+1} = \beta_n E_n
  • ノイズが 掛け算

  • 対数を取ると

    \ln E_{n+1} = \ln E_n + \ln\beta_n
    
  • $\ln E$ 空間で中央極限定理が働く

👉 log-normal → power-law

(おまけ) ブラックホールのX線強度変動は、log-normal 的であることが知られており、
ブラックホール近傍の強度変動の起源は、明るさの変動が 掛け算なプロセス
で起きてると考えられています。

B.3 生成過程(generative process)という視点

分布の違いは「結果」ではなく、

どの更新則でデータが生成されているか

の違いである。

更新規則 自然な分布
足し算 指数分布
掛け算 べき分布

これは、

  • SGD の更新
  • multiplicative weight update
  • 正規化・対数変換

などと同じ構造を持つ。

スケール不変性となぜ「特別な大きさ」が消えるのか

本文の「スケール不変」を、物理の言葉で最小限に補足する。

C.1 スケール変換

エネルギーに対して

E \to \lambda E

という変換を考える。

C.2 指数分布の場合

e^{-E/E_0} \to e^{-\lambda E/E_0}
  • $E_0$ が基準として残る
  • スケールが固定される

C.3 べき分布の場合

E^{-\alpha} \to (\lambda E)^{-\alpha}
= \lambda^{-\alpha} E^{-\alpha}
  • 形は変わらない(定数倍のみ)
  • 基準スケールが存在しない

C.4 基準スケールが存在しないことの解釈

(補足)繰り込み群(Renormalization Group; RG)とは何か

繰り込み群(RG)とは、
「観測するスケールを変えながら、物理量や分布の形がどう変わるか」
を調べるための考え方
である。

具体的には、

  • 微小な構造(ミクロな詳細)を平均化・粗視化し
  • その結果として残る量や分布の変化を追う

という操作を繰り返す。

多くの場合、スケールを変えると分布の形は変化するが、
ある特別な場合には、

スケールを変えても、分布の形が変わらない

ことがある。

このような分布や状態を、RG の言葉で fixed point(不動点)
と呼ぶ。

「べき分布」は、まさにこの意味で、繰り込み群(RG)で言えば、

べき分布はスケール変換の fixed point

に対応する。

  • ミクロな詳細を消しても形が変わらない
  • 履歴を捨てた先に残る普遍的構造

C.5 宇宙物理への翻訳

宇宙線加速・無衝突プラズマでは、

  • 温度
  • 衝突長
  • 平衡スケール

といった 基準量が存在しない、場合は、その結果として、

スケールを持たない過程の定常解としてべき分布が現れる

おまけ

ブラックホール連星のX線スペクトルは、ベキ的なエネルギースペクトルを示すこと(hard tail と呼ばれる)が知られているが、この起源はいまだに謎である。スケールがないから観測で制限が難しいとも言えるでしょう。

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