はじめに
この記事は下記で扱った一次遅れについて、丁寧に解説してみます。
回路理論や制御工学では、よく次のような事実が知られています。
一次遅れ系の Nyquist 線図は 半円になる
例えば RC 回路の伝達関数
H(i\omega)=\frac{1}{1+i\omega\tau}
を Nyquist 平面に描くと、半円軌道になります。
多くの教科書では「実部と虚部に分けて計算すると円になる」
と説明されます。これは 偶然ではありません。
もっと本質的な理由があります。それは、
(一次遅れ系の)伝達関数が Möbius変換(一次分数変換)だから
です。Möbius変換は複素平面上の円と直線を保つ変換として知られています。
この記事では
- なぜ Nyquist が半円になるのか
- なぜ単一極は円になるのか
を Möbius変換の視点から理解してみます。
1 一次遅れの伝達関数
一次遅れ系の伝達関数は
H(s)=\frac{1}{1+s\tau}
です。
ここで $s$ はラプラス変数で
s=\sigma+i\omega
と書くことができます。
回路や制御理論では、システムが正弦波入力に対して
どのように応答するかを調べるために、
s=i\omega
すなわち ラプラス平面の虚軸上の値を調べます。
このときの伝達関数
H(i\omega)
を 周波数応答と呼びます。
したがって一次遅れ系の周波数応答は
H(i\omega)=\frac{1}{1+i\omega\tau}
となります。
Nyquist 線図とは、周波数 ω を連続的に変化させたときの、
s = iω(虚軸上の点)を 伝達関数 H(s) によって複素平面へ写した軌跡
つまり、
\omega \in (-\infty,\infty)
を動かしたときの
H(i\omega)
を複素平面に描いたものがNyquist 線図です。
2 Möbius変換とは何か
複素関数
f(z)=\frac{az+b}{cz+d}
を
Möbius変換(一次分数変換)
と呼びます。
非常に重要な性質があります。
Möbius変換は
円または直線を円または直線に写す
これは複素解析の基本的な性質の一つです。
つまり
- 直線 → 円
- 円 → 円
- 円 → 直線
といった写像になります。
"複素平面での反転"は、大学入試の題材としても有名な話です。下記の記事など。
3 一次遅れは Möbius変換
一次遅れの伝達関数
H(s)=\frac{1}{1+s\tau}
は
H(s)=\frac{1}{\tau}\frac{1}{s+\frac{1}{\tau}}
と書けます。
これは
f(z)=\frac{az+b}{cz+d}
の形なので
Möbius変換
です。
つまり、この伝達関数は
この伝達関数は複素平面を幾何学的に変形する写像
になっています。
4 Nyquist は何をしているのか
Nyquist線図は
s=i\omega
という 虚軸 を動かしたときの
H(s)
の軌跡です。つまり
\text{s平面の虚軸}
を、
H(s)
で写しています。
5 Möbius変換の重要な定理
Möbius変換は
円または直線を円または直線に写す
という性質があります。
虚軸は
Re(s)=0
という 直線 です。
したがって、この直線を Möbius変換で写すと
円
になります。これが、
Nyquist線図が円になる理由
です。
6 なぜ「半円」になるのか
さらに、$\omega=0 $のとき、
H(0)=1
になります。
また、$\omega \to \infty$のとき、
H(i\omega)\to 0
です。つまり、Nyquist軌道は、
1 \rightarrow 0
へ移動します。
さらに、$\omega>0$ では
\mathrm{Im}(H)<0
になるので、軌道は、下半平面を通ります(実際の計算は下記)。
結果として、
中心 (1/2,0)、半径 1/2 の半円
になります。
7 実際に円になることを確認
実際に計算すると
H(i\omega)=\frac{1}{1+i\omega\tau}
は
u=\frac{1}{1+(\omega\tau)^2}
v=-\frac{\omega\tau}{1+(\omega\tau)^2}
になります。
これから
\left(u-\frac12\right)^2+v^2=\frac14
が得られます。
これは、中心 (1/2,0)、半径 1/2 の円、です。
また、v は、$\omega>0$ $\tau>0$ では、負になることもわかります。
8 重要なポイント
半円になるのは 計算の結果ではなく幾何学的な必然です。
理由は次の3つです。
- 伝達関数は Möbius変換
- Nyquist 線図は、周波数 ω を変化させたときの $H(i\omega)$ の軌跡である
- Möbius変換は直線を円に写す
からです。
9 一次遅れのまとめ
一次遅れの Nyquist 線図が半円になる理由は単なる計算結果ではなく、
複素関数の幾何学によるものです。
ポイントは次の3つです。
- 一次遅れの伝達関数は Möbius変換
- Nyquist線図は 虚軸の写像
- Möbius変換は 直線を円に写す
その結果
単一極の周波数応答は半円になる
のです。
10 二次系ではなぜ円にならないのか?
ここまでで、
一次遅れ系の Nyquist 線図は半円になる
理由は
- 伝達関数が Möbius変換
- Möbius変換は 直線を円に写す
という数学的性質によるものであることが分かりました。
では次の疑問が出てきます。
二次系ではなぜ円にならないのでしょうか?
11 二次系の伝達関数
典型的な二次系は
H(s)=\frac{1}{1+s\tau_1+s^2\tau_1\tau_2}
あるいは
H(s)=\frac{\omega_0^2}{s^2+2\zeta\omega_0 s+\omega_0^2}
のような形です。
ここで Nyquist を考えるため
s=i\omega
を代入すると
H(i\omega)=
\frac{1}{1+i\omega\tau_1-(\omega^2\tau_1\tau_2)}
となります。
ここで重要なのは
分母が2次多項式
になっていることです。
12 Möbius変換ではなくなる
一次遅れの場合は
H(s)=\frac{1}{1+s\tau}
でした。
これは
f(z)=\frac{az+b}{cz+d}
という
一次分数変換(Möbius変換)
です。
しかし二次系では
H(s)=\frac{1}{a+bs+cs^2}
になります。
これは
Möbius変換ではありません。
つまり
「直線 → 円」
という幾何学的性質が 失われます。
13 Nyquist 線図はどうなるか
Nyquist 線図は
s=i\omega
という 虚軸の直線を
H(s)
で写した軌跡です。
しかし
二次系では
H(s)
が Möbius変換ではないため
直線は
- 円
- 楕円
- ループ
などの
より複雑な曲線
に写されます。
そのため Nyquist 図は 円ではなく歪んだループ になります。
14 直感的な物理的理解
二次系になると
システムには
- 2つの極
- 共振
が現れます。
一次遅れでは
- 位相遅れ:最大 90°
ですが
二次系では
- 位相遅れ:最大 180°
になります。
Nyquist 平面では
- 一次系 → 半円
- 二次系 → ループ
という形になります。
15 極の数と Nyquist線図の形
ここまでをまとめると
| 極の数 | Nyquist形状 |
|---|---|
| 1極 | 半円 |
| 2極 | ループ |
| 3極以上 | 複雑な曲線 |
になります。これは
極の数が増えるほど、周波数応答の位相が大きく回転する
ためです。
16 数学的な見方
数学的には
伝達関数は
H(s)=\frac{P(s)}{Q(s)}
という
有理関数
です。
- 1次分母 → Möbius変換
- 2次以上 → 一般の有理関数
になります。
したがって
Nyquist 図は
- 1極 → 円
- 2極以上 → より一般的な曲線
になります。
17 実はここが制御理論の核心
制御理論ではNyquist 図を使って、安定性、を判断します。
その理由は、
Nyquist 図は
複素平面の幾何学として極の情報を可視化する
からです。つまり、Nyquist 図は、複素解析の幾何学的構造を可視化したもの
と見ることもできます。
18 まとめ
この記事では
一次遅れの Nyquist 線図が
なぜ半円になるのか
を説明しました。
重要なポイントは次の3つです。
- 一次遅れの伝達関数は Möbius変換
- Nyquist は 虚軸の写像
- Möbius変換は 直線を円または直線に写す
そのため
単一極の系では Nyquist 軌跡は円弧になる
のです。
そして
二次系になると
- Möbius変換ではなくなる
- Nyquist 図は円でなくなる
という違いが生まれます。
最後に、pole–zero cancellation についての注意だけ記載しておきます。
補足:pole–zero cancellation はなぜ「危険」と言われるのか
ここまでの議論に基づくと、極(pole)と零点(zero)が同じ位置にある場合、
H(s)=\frac{(s-z)}{(s-z)(s-p)}
\quad\Rightarrow\quad
H(s)=\frac{1}{s-p}
のように pole–zero cancellation が起こり、系の次数が下がるように見えます。
数学的にはこれは単なる代数的簡約であり、
複素解析の言葉では 可除特異点(removable singularity) に対応します。
しかし実際の制御系では、この操作には注意が必要です。
理由は単純で、
実際の物理システムでは極と零点が完全に一致することはほぼない
からです。
例えば設計モデルで
(s+a)
の pole と zero がキャンセルすると仮定しても、
実際のシステムでは
(s+a+\varepsilon)
のようにわずかにずれることが普通です。
このとき理論上は消えていたはずの極が
- 未観測モード
- 隠れた不安定モード
として現れる可能性があります。
特に危険なのは、**不安定極(右半平面の極)**を零点でキャンセルしようとする設計です。
モデル上では安定に見えても、
Re(s) > 0
の極がわずかに残るだけで実際のシステムは 指数的に発散します。
そのため制御理論では一般に
右半平面の pole–zero cancellation に依存する設計は避けるべき
とされています。
この問題は
- ロバスト制御
- 内部安定性 (internal stability)
- 隠れモード (hidden modes)
といった概念と深く関係しています。
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